Fate/Fiend Friends [フェイト/フィエンド フレンズ] 作:皇緋那
日本・熱海市にて、サーヴァントの召喚が確認されたことが、つい先日魔術協会日本支部へと報告された。
謎の巨大隕石の来訪に次いで届いたその報告は、時計塔上層の魔術師のみならず、情報を抜き出した在野の魔術師たちにも急速に広まっていった。
日本では既に幾度となく聖杯戦争が行われてきた土地。
隕石の内部には聖杯に匹敵する魔術炉心があるだろうと噂され、東京オリンピックが開催される影で、近日中に熱海を舞台とした聖杯戦争が開幕することが推測されていた。
それを鵜呑みにして日本への渡航を始めたり、触媒漁りを始める魔術師は少なくなかった。
大抵の魔術師はそのような都合のいい話があるかと切り捨てるが、一定数は噂を信じる者がいる。
特に、思うように成果を得られず燻っている者や、頭のネジが外れた者の中には、真偽を確かめようともせず飛行機に乗り込む者さえいた。
その女──ローリエ・ユカレプトは前者だった。衰退しつつある一族に生まれ、魔術の研鑽もうまくいかず、聖杯に一縷の望みを賭けるしかないとロンドンを飛び出してきたのだ。
覚悟を決めるため、他の魔術師を殺して聖遺物を奪い取って、単身日本に乗り込んだ。
奪い取ることができたのは1本の古い矢。鏃には血液がこびりついており、何かの逸話を感じさせる。
それに、聖杯戦争に参加するつもりの魔術師が大事に持っていたということは、英雄との縁が存在するはず。
ローリエは人生の逆転を確信し、つい数時間前、噂通り例の巨大隕石に触れ、幸運なことに令呪を授かることに成功していた。
召喚の儀に選んだ場所は、山林の一角に見つけた小さな洞窟。召喚の陣は通りがかった獣を仕留めてその血液で描き、時間帯は自分の魔力の高まる深夜を選んだ。準備も万全で、詠唱も一字一句違わずに紡いでいく。
「──汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」
最後の一節が洞窟に響いた時、魔法陣が眩く輝き、そこからサーヴァントがこの世に招かれる。その使い魔こそがローリエにとっての救世主であり、運命を共にする存在となるのだ。
期待を胸に、光の中に希望を見るローリエ。しかし、その向こうから這い出してきたのは、大量の小さな黒い影。ひとつひとつは数センチしかない何か──恐らくは、昆虫の群れだ。数は恐らく、万はくだらないだろう。
一斉に湧いてくるその大群をかわすことなどできず、もろに浴びてしまった。
咄嗟に目を閉じたおかげで眼球への激突は避けられたが、衣服の中に入ったものもおり、想像するだけで気持ち悪い。魔術師といえどローリエは年頃の乙女、当然虫に飛びかかられたら生理的な嫌悪感を覚えるのだから。
なんとか振り払おうともがいて、特に服の中に入ってきた虫を捕まえて外に捨て続け、夢中でそうしているうちに、ふと昆虫の飛来が止んでいることに気がつく。
目を開くと、まだ少しだけ周囲を先の昆虫が飛び交う中、佇む白髪の青年の姿が目に入った。その姿は暗い洞窟の中でも不思議と神々しく、美しい。きっと、彼こそが、ローリエの召喚したサーヴァントだ。
息を呑んでその姿に見惚れていたローリエに対し、青年は彼女の存在に気がつくと、近くに歩み寄ってくる。いきなりのことに怯み、後ずさるローリエ。
だが青年に容赦はなく、ローリエの顎はくいっと持ち上げられ、強制的に見つめ合わされることとなる。
「っ、あ、あの、私、貴方のマスターで」
照れてしまって目が泳ぎ、なんとか話しかけようとするが返事はない。ただじろじろと顔を見られ、やがて、ようやく青年は口を開く。
「うん、なるほどね。なかなか可愛い、私好みの顔だ」
顔……? 顔立ちを褒められた、のだろうか。青年の意図が読み取れず、首を傾げるしかない。それを見ての反応なのか、青年の言葉が続いた。
「まあ……君には立派な仕事を与えるよ。光栄に思うといい」
ようやっと、ローリエの顎から青年の指が離れた。かと思うと、一気に周囲の羽音が大きくなり、直後にはローリエの両脚に虫どもがまとわりついている。それだけでは飽き足らず、大群は次々とローリエの体を覆い尽くそうと集ってくる。
「あ、あのっ! この虫って、貴方の使い魔とかだったりするのかな。だったら、離して欲しいんだけど」
青年からの返事はない。うまく身動きが取れず、ただ虫の大群になすがままにされている状態だ。中には衣服を食いちぎっていく個体もいて、既に服はぼろぼろにされていた。
しかし、止めてくれというローリエの言葉には耳を貸さず、彼は背を向けて洞窟の外へと歩いていってしまう。
「ま、待って、わ、私が、貴方のマスターだからっ、行かないで、ここから出してっ、ねぇ──」
一体何が起きているのかわからないまま群がられている。全身を羽と脚にまさぐられて気持ち悪い。どうにかできないかと、ふと目に止まったのは己の右手の甲にある聖痕だ。令呪の力なら、彼を止められる。
「れっ、令呪を以て──きゃっ!?」
手首に鋭い痛みが走った。見ると、大量の蝗がローリエの手首に噛みつき、皮を引き裂いていた。傷から血が滴り、それを虫たちが舐めている光景に、身体を覆う全ての虫がこの手段に出たらどうなるかを想像してしまう。
「っ、わ、わかった……わ、私、なんでもするから、だから」
「魔力袋も苗床も、神官の立派な仕事だよ。頑張って」
青年は最後に一度だけ振り返って、その一言を残して、洞窟を出ていってしまう。彼が去った後の洞窟には、ローリエのうめく声と、千を超えるイナゴの羽音だけが響いていた。
ローリエは幸運であり、そして不運だった。彼女が召喚したのは神に近い存在であり、強大な力を持ち、そして人外ゆえに人と全く異なる思考回路を有していたのだから。
◇
「おはようございまーす……」
合鍵で開けた扉をそっと開いて、少年は恐る恐る薄暗い室内に顔を出す。彼の他には誰もおらず、返事を返す者はなかった。
ここは市内某所にある喫茶店『ふらんけんしゅたいん』。人造人間を作り上げた博士の名を冠した、観光客向けのお店である。
時刻はまだ開店前であり、いつも店長すら来ていない時間帯。彼はここで働くアルバイトなのだが、店長に相談して合鍵をもらい、毎朝一番乗りで出勤しているのだ。
なぜ、わざわざ合鍵を貰ってまで一番乗りを死守しているのか。
その理由は、彼──『
つかさは薄暗い中をロッカールームまで赴き、自分の名前が書かれたロッカーの前で背負っていた大きめのリュックを下ろすと、中から白黒の衣服を取り出した。
誰かが来る前に済ませてしまわなければと、早速取り掛かる。
「よいしょ、っと」
誰もいない空間でひとり、少年はそれまでの地味な衣服を脱ぎ捨て、せっせと制服に着替えていく。
リュックから引っ張り出したパンプスを履き、フリルのたくさんあしらわれたメイド服に袖を通した。髪は縛ってツインテールにして、お気に入りの向日葵の髪飾りを着けておくのも忘れない。
それから、脱いだ衣服は入念に隠しておく。別の袋に入れてファスナーを閉じ、念の為南京錠のロックをかけて、リュックの底にしまってロッカーを閉じるのだ。
次はいつもの通りに鏡の前に立ち、お化粧をして、つかさの思う一番可愛い自分になる。丁寧に、昨日よりも可愛くなるように。
「……よし! 今日も可愛いよ、ボク……ううん、
完成したら、姿見の前でスカートの裾を持ち上げ、くるりと一回転。そんな最終確認を行って、今日もうまくやれていることに安心する。これでいつ店長と鉢合わせても大丈夫だ。
いつも通りの開店時間の一時間前になると、眠たげな目をした店長が出勤してきて、他のメイドたちも顔を見せ始める。
「おっはよー、ひまわりちゃん。今日も早いね」
「あはは、おはようございます、店長。まあ、それだけが取り柄みたいなものですから」
店長の挨拶に、なんでもない言葉で返す。『ひまわり』と呼ばれているのは、つかさがこのお店でいる間はそう呼んでほしいと頼んだ芸名だからだ。制服についている名札にも同じ名が書いてある。
さて──つかさの抱える秘密。それは、両親にも内緒でメイド喫茶で働いているということ。しかも、性別を偽って、である。
つまり、つかさは両親にも喫茶店側にも、双方に後ろめたさを抱えて過ごしている。幸い、今のところどちらもバレていない。
「それじゃ、今日もみんな頑張ろー」
店長はつかさが朝早いことにだけ言及すると、着替え終えるのが早いメイドたちを連れ、開店の準備を進めていく。
隕石が落ちてからも、熱海市には変わらない日常が流れている。元々オリンピックの影響もあって、観光客が増えていて忙しいけれど、コンビニも飲食店も、もちろんメイドカフェも通常営業。
業務内容も変わりなく、ご主人様探しとそのお世話である。
今日のつかさは外回り担当であった。宣伝の看板とチラシを持って、通りに出ていく。
店舗の場所は本郷家の自宅から結構な距離があるし、化粧もしている。メイド服のままならまずばれることはない。以前のチラシ配りでも知っている顔が何度か通りがかったものの、その誰もがつかさに気が付かず通り過ぎていった。
よって、外回りそのものへの抵抗はなかったし、むしろご主人様との距離が近くないため気楽な方だ。
しかし今日、つかさが不運だったのは、むやみやたらとメイドに絡んでいくような人間が街を通りがかったことだろう。
「お、可愛い子見っけ」
「この辺にメイドカフェなんてあったっけ?」
「わかんね。でもどうせ行かないし関係ないっしょ」
「君ひまわりちゃんって言うんだ。仕事なんてもういいからさ、むしろ俺たちと遊びに行かない?」
大学生くらいだろうか。現在高校生のつかさより歳上の男性4人組に声をかけられた。
ナンパにしてももっとやりようがあるだろうに。心の中でだけため息をついて、ご主人様候補には笑顔で応対する。
「えへへ、ご主人様にお誘いいただけるのは嬉しいんですけど……私たちの館に来てくれたら、もっとたくさんお世話できるんですよっ」
流れるようにチラシを渡し、お店の宣伝に持ち込もうとするつかさ。男たちは渡されたチラシに軽く目を通し、仲間内で何か相談し、周囲を確認すると、それを見せつけるように破り捨て、つかさの腕を掴んでくる。
「わっ、ちょっと、お触りはだめですって」
「いいから行こうぜ? こんな喫茶なんかよりホテルの方が絶対楽しいからよ」
「えっ!? ま、待って、ちょっ……!」
抵抗するつかさだが、女性と偽ることができる程度の筋肉量である彼が歳上の男性に勝てるはずもなく、振り払うことは叶わなかった。
周囲の人々は、知らん顔をして足早に通り過ぎていく。助けてくれる白馬の騎士が現れるわけもなく、そのまま路地裏に引きずり込まれた。壁際に追い詰められて、男の顔が近づけられる。
「アイツまだ時間かかるってよ。先やっちゃう?」
「街中でコスプレして突っ立ってるような痴女なんだし、どうせ慣れてんだろ。やっちまおうぜ」
……まずいことになった。このままだと衣服を剥ぎ取られ、つかさが男性だとわかってしまう。それだけは避けないと。
でも、どうやって。助けは来ないし、なんとか助かったとしても、性別を知られたら終わりだ。
せっかく、ひまわりでいる間は男であることを忘れられたのに。どうして、こんな奴らに居場所を奪われなくちゃいけないんだ。
悔しさにひ弱な拳をぐっと握り、奥歯を噛み締めた。
「んじゃ、さっさと脱がして……」
「……ん? なんだこの虫?」
──その時のことだ。黒雲のような何かの群れが、羽音の不協和音を伴って、つかさの元へとやって来たのは。
「お、おい、なんだよこれ!?」
「やめろこの虫ケラどもっ、この、このっ……!」
路地裏へと大量になだれ込んでくる謎の昆虫。真っ黒なイナゴ、だろうか。
彼らは群れが意思を持っているかのように蠢き、抵抗する男たちに覆いかぶさり、つかさから引き剥がしてくれる。だが彼らにも何かの基準があるのか、1匹もつかさには止まってこない。不思議に思いながら、つかさは呆然とその光景を眺めるばかりだった。
やがて、地面に倒れ込んだ彼らはしばらくもがき苦しむと、痙攣するだけになり、動かなくなっていく。最後には蝗が皮膚を食い破って飛び出してくるその様子は、あまりの悪夢に現実と思えない。気がつけば絶えず吐いていた汚い言葉も止んでおり、路地裏には一瞬だけ静寂が戻った。
「え……?」
この昆虫の群れに助けられたのだろうか。受け入れ難い異常な状況に、つかさは首を傾げた。
その直後、イナゴたちは一斉に飛び立ち、1ヶ所に集うと、それが1つの人影となっていく。現れるのは地面に転がっている死体たちと同年代だろうが、ずっと麗しく、ずっと輝かしい容貌の青年だった。
「──見つけた。私好みのかわい子ちゃん。君なら退屈しなそうだ」
この出会いこそが、ただの女装少年だった本郷つかさを、血みどろの世界へと連れ込んでいくことになる。