とあるモブウマ娘の記憶喪失 作:ハリボテエレジー
どうやら私はウマ娘であるらしいということを知ったのはつい昨日の話だった。
まず色々と突っ込ませていただきたい。
髪の上のこの、馬みたいな耳はなに? というか何で人間が競馬場で走ってるの? しかも最高時速70㎞で走る人間ってそれ本当に人間ですか? 完全なる生身でその速度で走るのを許されるのはジャンプキャラくらいじゃないの?
頭の中はコミカルに考えているが実のところ本当に戸惑っている。
私にはウマ娘という自覚は正直に言って無い。皆無だ。医者によれば、私は並走中に地面に躓いて転んで頭を打ち、そのまま病院に搬送されたようだ。目覚めた私を医者は一時的な記憶喪失と診断したけど、その説明を真顔で頷く傍ら私は心の中で一部否定した。
と言うのも私には知識がある。ウマ娘なんて存在せず、馬がターフを走るのが常識である世界の知識が。蹄を持ったその四足歩行の動物は歴史上では人類の移動手段として重要な役割を果たしていた。
ただ私には記憶が無いのも事実だった。知識だけが漠然と水面に浮かび上がる一方で、私自身のことについては何も分からない。趣味、食の好み。普段は何時に起床して何時に就寝しているか。それにウマ娘のことも分からない。それ以外の日常的な知識は覚えているにも関わらず、自分のことが絡んだ瞬間頭の中の配列メモリが空の記憶しか引き出してこない。真っ白だ。
日本ウマ娘トレーニングセンター学園。
自分のことを知る手掛かりは恐らくこの学校にあるのだと私は確信した。なにせ私が通っていたこの学校はウマ娘として走るために学ぶ場所。これを特殊な環境と言わずして何を特殊と言うのか。しかもここは日本中にあるウマ娘の学校の中で最も難しい中央の学校で、選び抜かれたウマ娘たちが集うと言う。きっと私も何か理由があってこの学校に入学したんだろう。ただ今日は検査入院で帰れないから、それを思い出すのは後回しにしようと思う。
記憶喪失となった私は一週間病院に通院することになった。いわゆる様子見だ。既に病院であちこちレントゲンを取られたり、念のためと言われMRIにまで入り、その結果主だって肉体的な後遺症は存在していないと断言されている。身体はそのままでこれまで私が生きてきた経験だけが綺麗すっぽり消失してしまったみたいだった。
だがそれでも突然悪化しないとも限らないと言われ、通院と一緒にこれから一週間はトレーニングも禁止で安静に過ごすことを医者から余儀なく命じられた。いや、余儀なくという言葉はあまり正確ではない。何せ私は以前までの私がトレーニングで何をしていたのか知らないし、もしやっていいと言われても戸惑う他ないからだ。
その日はそのまま病室で睡眠を取った。悪い意味で夢気分だった私は処理落ち間近だったのか、午前九時を指す時計をちらりと見た記憶を最後に意識が落ちている。
一日が経って、今日。
初めて自分が中学一年生であることを知った。納得感がまるでないのが不思議だった。ただ一つ、へーそうですか、という空返事だけが脳内で反芻した。
自分の学年を知って更に自分のことを知らなすぎるのを自覚した私は、手始めに病院のトイレで自分の姿を確認した。
鏡に映る私は動物みたいに大きな耳も去ることながら、それと同じくらい知らない顔だった。知らない身体でもあった。
中学一年生という年齢上、まだ子供っぽい顔立ちは認めよう。小麦色に若干焼けている、アクティブさが滲み出た肌もまだ分かる。だけどこの前髪ぱっつんで長い銀髪はどういうこと? まさか染めてたの私は? こんなギャルでも滅多にしないような銀色に? 整った相貌から幼い無邪気さを感じるから愛くるしいという印象で済むけど、要素だけ羅列すれば銀髪で褐色。これが普通の顔なら原宿でも上位に値する派手目のギャルに見られること間違いなしだった。何と言うか私、意外とはっちゃけてたのかな?
容姿に優れているようだけど、平均的な中学一年生とはかけ離れたものなのも事実。無いとは思うけど、もし非行少女だったなら凹む。
ついでとばかりに血液検査も行われ、午後の早い時間に退院することになった。それにしてもお見舞いの一つも来ないなんて……私、友達とかいないの? 両親は田舎というから分かるけど。
まあ、後遺症が無いというなら問題も無いと思う。記憶喪失も一時的だと言っていたし、知識の齟齬で戸惑うこともまだあるけど記憶さえ戻ればその問題は解消されるだろう。
入院着からトレセン学園の制服に着替え、私は病床を後にする。この先どうするかについては学園に戻ってから教職員と話すことになっているから今は考えなくて良い。
病院を出ると蒸し暑い七月上旬の空気が肌に纏わりつく。この日本の夏特有の気持ち悪い感覚は慣れたもので、記憶は無くともウンザリとした気持ちが自然と湧いてくる。
外を歩いてみても大して衝動は無い。相変わらず脳が刺激されて記憶が戻って来るなんてことはなく、私は持っていたスマートフォンを頼りにトレセン学園への電車に乗り込んでいた。
とにかく、今重要な事実はたった一つ。
私はバイトアルヒクマ。一介のウマ娘らしい。
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病院から既に学校側には連絡が行っていたようだ。トレーナーという、私たちを指導する立場の大人とは今後のことについて五分ほど職員室で話すと最後に無理をしないよう言い含められ、割とすぐに解放された。意外と淡白だ……と感じるのは私がおかしいのかな? 一応弁護しておくと、この学校にはウマ娘が2000人以上いる。しかしトレーナーはその数より遥かに少ないため、一人当たりに避ける労力にも限度がある。有望なウマ娘とトレーナーがより綿密にタッグを組んで優勝を目指すための専属契約制度というものがあって、そういう相手がいれば話は別になって来るらしいが私はまだ契約した相手がいないらしい。
そのトレーナーから話された今後のことというのは未デビュー戦についてだった。どうやら私は既にメイクデビューというウマ娘がデビュー最初に走るレースを敗北したそうだ。このレースで勝利できないと未勝利戦と呼ばれるレースで勝利するまでずっと走らなきゃならないらしく、私はいまその渦中にいると。予定では来週にそのレースに出走するはずだったみたいだけどそれはもう学校側がキャンセルにしたとトレーナーは書類片手に言っていた。
そうして要件が終わった今、全く見慣れないトレセン学園の廊下を歩いている。学校としては非常にキレイに管理されていて、廊下は白一面で汚れ一つ無い。
ウマ娘たちとすれ違うたびに鬱屈とした不安が募って、五回目の交差で溜息が零れた。
何と言うか、理解も出来ない内に放り投げ出らされたよね。うん。私これからどうすれば良いんですか。
廊下を歩きながら悩んでいると学食らしき場所に行きついた。トレセン学園についてはもう昨日ネットで検索して履修済み。何が言いたいかといえばこの学校、学食が無料なのだ。資金源とか若干気にならなくもないけど今は素直に感謝しておこう。
私は適当にレバニラ定食を注文して、長机の一席で食べ始めた。
食事しながら観察するが、今この学食で食事を取っているウマ娘たちに私の琴線に触れるような人影はない。向こうも全く見向きもしてこないから本当に知らない人なんだろうと思う。私の知り合いとかに会えればまた色々と知れると思ったんだけど……。
そう言えば、スマホに一通も連絡来てなかった気がする。友達とかいたなら一晩戻ってこなかった私に何かあってもいいのに……うわぁ凄い嫌な予感。もしかしなくとも私友達いなかった? ボッチ? 嘘でしょ?
動揺しつつも食べ終えると、次は自分の部屋を目指す。トレーナーから宿舎の場所は教えてもらっているのですいすいと曲がり角を曲がる。
そして、部屋に着くとすぐさま私は立ち止った。ゆっくりと扉を開く。
相部屋ということだったけど今は相手はいないらしい。トレーニングでもしてるのかな。
……と言うか私のスペースはどっち?
右手はシンプルながらも要所要所にパステルカラーを取り入れた、スタイリッシュかつセンスのあるスペース。左手は無骨……といえばまだ柔らかい表現で、もっと端的に言えば何も無い。勉強机には教科書と筆記用具、ベッドには白い布団と枕。その他も学生マンションを何も手入れせずに生活感だけ詰め込んだらこんな風になるんだろうと思ってしまうくらい特徴のないスペースだ。しかし何故だろう、私はこっちの気がする。記憶ないのに。
取り合えずベッドに座りつつ無機質な方を物色してみることにした。
「……バイトアルヒクマって書かれてるしこのノート。やっぱ私なんだこのスペース」
悲しいことに予想通り……。分かってたよ、何となくだけど私にこの手のセンスがないことなんて……。
そのまま物色していると、コンコンコンとノックが鳴り響く。はい、と返事をするとドアが開いた。
中に入ってきたのは茶髪のウマ娘だった。凛然とした佇まいに軍服を思わせる深い緑色の服を着ていて、私を見つけるとふむと頷いた。
「キミがバイトアルヒクマで合ってるね? 事情は聞いている、トレーニング中に頭を打ったってね。大変だったろう……いや、これからが大変なのかもしれないな」
「は、はい」
「おっとすまない。記憶が無いというのに話を進めすぎたね。私はシンボリルドルフ。この学園の生徒会長をやっている」
生徒会長……。
言われてみれば、そんななりもしている気もする。クールで、何と言うか宝塚っぽい雰囲気を醸し出しているし。住む世界が違うように感じてちょっと気圧されるね……。
「さて、私がここに来た理由だけども学園からキミに色々と説明することを頼まれてね。丁度手が空いていたから私が来たと言うことだ」
「そ、そうですか……」
「早速だが学園を案内しよう。トレーニングはドクターストップが掛かっていると聞いたが、授業の方は明日から出てもらうつもりだからな」
私は無言で頷いた。非常にありがたい話だ。
廊下に再び出ると、シンボリルドルフの後を追いながら辺りを見回す。
「記憶の方は戻りそうか?」
シンボリルドルフは挙動不審気味な私を見て、ポツリと語りかけた。
「そうですね……全然です」
「そうか……。まあまだ時間はある。気長にやって行くと良い。ならば私もキミの記憶が回復する一助として、キミのことについて知ってることを話そう」
「知っていることですか?」
生徒会長のこの人が、恐らくは一般的な生徒でしかない私について知っていること? もしかして以前からの私の知り合い……な訳ないよね。
そんなことを考えているとシンボリルドルフは申し訳なさそうに口を僅かに歪めた。無意識に期待の目で見ちゃったかな私……。
「すまないが知っているといっても書面上のことだけだ。だがそれでも多少は何か琴線に触れることがあるかもしれない」
「い、いえ……お願いします」
「ああ」
シンボリルドルフは快く首を縦に振ると口を開いた。
「キミは今年4月に入学してきたばかりの新入生だ。交友関係は……面と向かって言うのは気が引けるが、同室でクラスメイトのデュオプリュウェンを除いて分からないそうだ」
「デュオプリュウェン……」
凄い言いにくい名前だ。こんな特徴的な名前なら脳に残っててもおかしくないけど、残念なことに全く聞き覚えがない……。
「そのデュオプリュウェンですらキミとはあまり話す機会もなかったと証言している。気を悪くしたならすまない」
「いえ……心の奥底で燻っていた疑念が核心になっただけですのでダメージはありません……はい……」
やっぱり私、ぼっちだったか……。スマホの通知を見てから何となくそんな気はしてたんだよね、チクショウ。
シンボリルドルフは居た堪れないといった温かい目で私を見ると、続けて言う。
「授業態度は勤勉そのもの。6月の中間試験では席次10位以内に入っている。一方でレースの方はあまり振るわなかったそうだな。5月のメイクデビューでは11人中7着。その翌月にあった未勝利戦では8着。言うまでもないが、あまり良くない順位だ」
「なるほど……私は足が遅いんですね」
「そういう訳じゃないさ。この学園にだって遅咲きのウマ娘はいる。ここにいる時点でキミの脚質は認められているのだからそう卑下するものじゃない」
思わず呟いた言葉はシンボリルドルフに拾われた。私はその暖かすぎる意見に肩を縮こませる。凄い気を使わせてるね私……。
「話を戻そう。私が思うに、それらのレース結果はキミの心境に大きな変化を与えたのだろう」
「どういうことですか?」
「キミは6月の未勝利戦以降、少々オーバーワーク気味なトレーニングを重ねていたようだ。証言したのは同室のデュオプリュウェン。嘘ではないだろう。彼女もキミのことは心配していたからな」
「オーバーワーク……私がですか?」
「信じられない……のも無理はないな。だが事実、私が言うのも変な話ではあるが、総合的な評価としてキミは向上心が強く努力家だった」
シンボリルドルフは私の顔を見ながら断言した。な、なんだってー……ありえねー。驚きすぎて逆に記憶吹っ飛んじゃったかもしれない……。
「……すまない。私が話せるのはこんなところだ」
「いえ、ありがとうございました。記憶は……駄目っぽいみたいですけど、それで何となく私のことが分かったので」
「そう言ってくれると助かる」
まさか私がそんな少年漫画の主人公を張れそうなほどキャラが濃いとは思わなかった。学力は高くて肝心の脚は遅いとか、漫画ならこれから覚醒して強くなり始めるパターンの奴だよ。でも私、早く走れる自信なんて欠片も無いなぁ。
顎に手を当てて考えていると、シンボリルドルフが声を上げた。
「ただ、一つだけ勝手な私見を挟んでも良いだろうか?」
「私見……? 何でしょうか?」
「キミはどうやら書類を読んで予測していた人柄よりも話しやすいな。そこにキミ自身の鍵があるのかもしれない」
私の人柄が違う……。
それはつまり、全てを忘れる前の私がそれほど追い詰められていたということなのだろうか?
「では、こっちだ」
更なる新たな疑問に頭を悩ませつつも、シンボリルドルフの案内のまま私は学園内を練り歩いた。
設定やプロットは考えてるけど試し書きなので後から色々と変えるかも。
バイトアルヒクマ可愛いですよね(と言って通じる人が何人いるんだろうか)