とあるモブウマ娘の記憶喪失   作:ハリボテエレジー

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3話 タッタッタッ

 

 

 部屋に戻ると、今度こそ一人のウマ娘がいた。

 眼鏡をかけ、目つきが鋭い黒髪のウマ娘。デュオプリュウェンとはきっと彼女のことだろう。

 デュオプリュウェンは私の顔を見ると、今にも舌打ちしそうなほど恐ろしい顔色を浮かべた。

 

「……聞いています。記憶喪失になったんですね」

「は、はい」

「それもオーバーワークで頭を打ったと……馬鹿ですか? それで本当に速くなれると、未勝利戦に勝てると思っていたんですか? 愚直にやったところでそんな無理に決まってるじゃないですか。況してやそんな調子じゃクラシック三冠なんて……」

 

 クラシック三冠? と私は疑念から首を傾げると、デュオプリュウェンは息を呑んだ。それまで凄まじい熱量を伴っていたのに、勢いが萎むと、複雑そうな表情へと変化させた。

 

「本当に記憶が無いんですね、いえ、分かっていました。分かってましたが……」

「……あの、聞いても良いですか? 私ってどんな人でしたか?」

「私は貴方の性格をそう知っている訳じゃありません。話した回数も多くはないですし、ウマも合いませんでした。ですが同じ志を持っていたことだけは確かです」

「同じ志?」

「クラッシック三冠。皐月賞、東京ダービー、菊花賞を制覇することです。私も貴方もそれを目標にこの学園に来たのは確かです……今の実力じゃ到底無理ですが」

 

 デュオプリュウェンはそう言って顔に影を落とした。

 私にそんな夢があったなんて……信じられない。しかも未勝利戦というレースすらも勝てないのにGⅠレースが目標なんて、何と言うか、不相応な目標だ。

 

「もう一度言いますが、私は貴方とはウマが合わなかったので詳しいことは知りません。ですが、私は貴方とは通ずる目標がありました。実力も同じくらいでしたし。なので……友達ではなくとも、同志として私は思っていました」

「な、なるほど」

「それでこれからどうするつもりですか?」

「そう、だね。取り合えず記憶の手がかりを探してみるつもり」

「……レースには出るつもりありますか?」

「ドクターストップが掛かってるからそれまでは」

「その後は出ますか?」

 

 私はその問いに答えられなかった。

 きっと何か、夢とか大きな希望があったのだと思う。だからこそ入るのも難しい学校に来て、レース結果が振るわずとも学業でトップクラスを取り続けた。クラッシック三冠というのもその目的を叶える手段だったはずだ。私がそう推測してるんだから、きっとそれは的を射ている。

 

 しかし私には走る理由がない。思い入れも無い。テレビで煎餅を齧りながらぼーっと見ている側の存在だ。

 

「……そうですか」

 

 デュオプリュウェンが寂し気に呟いた声音に、ほんの少し、誤って包丁で手を切ったような痛みを感じた。

 

 

──────

 

 

 一週間が経っても私は記憶は戻らなかった。

 

 代わりに火山灰みたいに積もっていくのは今の記憶。私はこの一週間、トレセン学園やその周囲の知識だけはその辺のウマ娘並みに蓄えることが出来た。その知識を生かして理解したのは、結局のところこの学園にいる限りはいつかレースに出なくてはならないということ。

 

 私はいま未勝利戦で留まっている。

 この未勝利戦は学園としても早く通過してほしいポイントなのか、週に2回、1日に数レース行われている。1位を取れない限り公式レースには出れない以上この回数は納得だ。でも実はこの未勝利戦、最初の振るい落としでもあるのだ。

 

 未勝利戦に挑戦できるのは最初の一年間のみだけど、それでも勝てるウマ娘の数はレースの数と等しい。実力のあるウマ娘は最初の方で抜けていき、最後に残るのはトレセン学園でも遅いウマ娘。そういうウマ娘はこの中央では存在価値無しと、進路変更という名の退学処分になるらしい。私の想像以上にこのトレセン学園は実力主義で、不平等な競争社会だった。

 

 その期限が12月下旬。つまり年内。それまでに未勝利戦に勝利できなければ、自動的に退学になる。例年で30~50人ほどのウマ娘がそうして涙を堪えながらトレセン学園から去っていくらしい。学校としてはシビア極まりないけど、興行としてトゥインクル・シリーズが存在している以上それは当然なのかもしれない。

 

 その事実を知っても私は特段何も感じなかった。まあ思うことが無いといえば嘘となる。私がオーバーワーク気味だった理由、その一端にこの事情が関わっているのは想像に易い。焦りと不安からこんなことになってしまったのだろう。

 でもそれは記憶を無くす前の私の感情で、今の私とはリンクしていない。だからこそぼんやりとこの情報を捉えられるのだろう。

 

 だがそれは私が異常という訳でもなかった。周囲もまた私と同じように、未勝利戦に勝ってなくても仲の良い友人同士で朗らかに話している。その様子はさながら普通の女子学生みたいだ。

 実際この時期にメイクデビューを勝ち抜いたウマ娘は一目を置かれているし、その直後に未勝利戦に勝利したウマ娘も同様。明らかに実力が抜きんでているウマ娘ばかりだった。更に期限までは5か月あるのも手伝って心に余裕があるのだ。

 当然その余裕は油断とは違う。本当に意識が浅薄な私とは違い、どのウマ娘たちもトレーニングだけは必至で食らいついている。

 

 一方、私はといえば流している訳じゃない。でも強い意志がないのも本当だった。

 

 ドクターストップは解けて、走りの許可は下りた私は流されて全体トレーニングに参加するようになった。だけど私は自分で自覚できるくらい、トレーニングに身が入っていない。当然だ。目標も強い意思もない私が服を汚して、身体を痛めぬいて、そのうえで更に前を向くなんて出来ない。トレーニングに参加する動機なんて精々、記憶を取り戻したいという薄い理由だけなんだから。

 

 トレーニングに参加することで分かったこともある。 

 私の脚は本当に速くなかった。未だ未勝利戦に出続けるウマ娘の中でも下位から数えた方が早い方だ。未勝利戦に勝てないのも頷ける。それが努力不足なのか、或いはブランクによるものなのかは私には分からないけど。

 

 デュオプリュウェンとはあれ以降、ほとんど話さなくなった。それが元来の私と彼女の日常だったのだろう。デュオプリュウェンは部屋にいるときは必ず何かしているから話せる雰囲気でもない。それを見て真面目だなぁ、とか思いながら私はベッドで自分の書いたノートを眺めたりして手掛かりを探る一週間だった。

 

「それでどうだろう。トレーニングも再開し始めたらしいが、何か進展はあったか?」

 

 その日の放課後、私はシンボリルドルフに呼び出されて生徒会室に来ていた。

 シンボリルドルフは革張りの椅子に腰を掛け、手前の机には私の手首ほどの高さに書類が積み重なっている。

 

「いえ……記憶の方は全く」

「そうか……走れば感覚が蘇ってくると思っていたが、どうやら楽観的すぎたようだ」 

 

 そう呟くと軽く溜息を吐いた。

 私自身も未だに戻らない記憶には不安を感じてしまう。何をしても記憶の一部にさえ触れられないから、このままずっと記憶を無くしたままなんじゃないかと思う瞬間だって少なくない。今のところは記憶喪失でも上手く周りに馴染んで生きているけど、取り繕うのもいつか限界が来る。特に家族にはどう連絡をすればいいか分からくて、やって来たメールや電話は全部スルーしている。

 

「あ、あの。ご心配をおかけしてすいません……私のことなのに」

「構わないさ。生徒会長として訳ありの下級生の世話くらい何てことはない。それに私自身気になっているのもある」

「気になって?」

「トレーニングやレースなどで選手生命に関わる怪我を負って学園を去っていくウマ娘たちは何人もいる。でもキミみたいな身体には問題が無く、記憶に問題があるウマ娘は前代未聞なんだ。物珍しさを感じていないかと聞かれれば否定できないが、それ以上にキミの手伝いをしたいという気持ちがある」

「ありがとうございます……?」

 

 良く分からないけど、たぶん面倒見が良いってことなんだろう。

 

「礼を言う必要などないよ。それよりもキミはこれからどうしたいのか、聞かせてもらいたい」

「これから……ですか……」

「何にせよ、この学園にいる限りは記憶が戻ろうが戻らまいがレースとは無関係では居られない。未勝利戦、まだ出走予約してないのだろう?」

 

 戸惑いながら頷く。ドクターストップが解けたばかりという甘えもあったけど、それ以上にレースに対する心持ちが他のウマ娘とは違うのだろう。 

 でも逃げてばかりじゃ駄目なのもそうかもしれない。そう、私はレースという舞台から逃げていた。言語化するのは初めてだ。自分に自信が無いから、怪我が治ったばかりだから、記憶が治ってからでも遅くはないから。そんな色々な理由がちょっとずつブレンドされて、未勝利戦にエントリーしない理由は形作られていた。

 

 けど、私はウマ娘だ。意識はともかく身体はそうなのだ。

 なら走らなきゃならない。一位を目指して走らなきゃいけない。それが前の私に通じる道になるかもしれないのだから走らなきゃならない。

 

「そうですね、今決意しました。記憶の手掛かりがあるなら走ります。それが今の私の意味ですから」

「……そうか。ならば私の方で来週のものを手配しておこう。どうか、キミの走りが先へ至ることを願っているよ」

 

 そうして私は未勝利戦に出場し、9着で敗北した。

 

 

 





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