あれから10年経ちました。 続・使徒に憑かれた三号機の中のアスカを助けに言ったら僕がヴンダーの艦長になった件について 作:モーター戦車
この事件は、汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンへの決定的な不信を人類社会に引き起こし、それは大規模な政治的混乱へと発展した。
国連はインパクト発動の原因が判明するまでエヴァの使用を禁止する決議を発令したものの、まもなく第3新東京市に第10の使徒が襲来。
戦略自衛隊はこれに対し全力で迎撃を行ったものの、エヴァ以外の兵器では突破不能なATフィールドを持つ使徒に対し、通常戦力は無力であった。
使徒とリリスの遭遇は不可避であったかと思われたが、土壇場で投入されたネルフの新戦力、空中戦艦Bußeにより第10の使徒は撃破され、当面の危機は去った。
しかし、使徒と人との戦いに区切りがついてなお、人と人との争いは、終わるどころか熾烈を極めていった。
混沌を極める情勢の中、それぞれの定義する『人類補完計画』発動を狙った各国ネルフ支部および各国正規軍は第3新東京市への軍事侵攻を開始。
ネルフ本部地下の第二使徒リリスをめぐり、関東・東海地方を中心とした大規模軍事衝突、後に『第3新東京市戦役』と呼ばれる戦争へと発展した。
その混乱を縫うように、何者かがネルフ本部ターミナルドグマに自律制御化されたエヴァンゲリオンMark.06を投入。その結果、第二次ニア・サードインパクトの発生を招くこととなった。
しかし、サードインパクト発生を予期した反ゼーレ・ネルフ組織「ヴィレ」は、ラグランジュポイントに隠匿した無数の封印柱を大気圏外より投下、インパクトにより発生するであろう『地上の浄化』に伴うL結界の洪水より人類を護る結界地域を世界各地に展開する『アスクレピオスの杖』作戦を発動。
人類生存可能地域が確保された結果、数億の人類が赤く染まった地球上に生残することとなった。
そして10年の歳月が流れた。
艦長碇シンジ大佐、副長式波・アスカ・ラングレー中佐指揮の元、第10使徒迎撃、第3新東京市戦役、今なお補完計画を狙うネルフとの戦いを経たヴンダーは、次なる戦いに備え、新たな乗組員を迎えることとなる。
三号機事件より10年。碇シンジと式波・アスカ・ラングレーの新たなる旅路が始まろうとしていた。
EVANGELION ∧ i : AAA Wunder S 3.33 『YOU CAN (NOT) TRIP.』Prototype
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EPISODE:1 The Blazer
Apart
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この25年の間、三度に渡って発生した『インパクト』と呼ばれる特異異常現象。
人知を超えた未曾有の災厄にともない発生した『L結界』と称される、あらゆる地球生命をLCLへと還元、コア化させてしまう正体不明の力状により完全に汚染され、赤く染まった太平洋。
その只中、文字通り血のに染まった海の只中に浮かぶように、深く、しかし鮮やかな青に染まった、小さな丸い水域がある。
旧アメリカ合衆国領、ハワイ州オアフ島周辺。
反ゼーレ・ネルフ抵抗組織ヴィレが、地球上に保有する人類居住可能領域の一つである。
かつての州都であるホノルル市は、現生人類が保有する最大級の都市の一つであり、南部に存在する旧米海軍軍港は、現在はヴィレが戦力を整備・開発する数少ない軍事設備として機能していた。
また、地球上の各地に点在する、生存領域における人類生存支援を目的とした下部組織、クレーディトの一大物流センターとしての機能も担っている。
地球上に残存する人類へ食料を初めとした生活物資を送り込む、残存人類文明を持続させ続けるための、いわば重要な心臓機能を果たしていた。
セカンドインパクト後、日本海洋生態系保存研究機構をはじめ、各国ネルフ支部に潜伏し、再度発動されるであろうインパクトに備えていたヴィレは、この島を守護すべき、戦略目標の一つとしてみなしていた。
ゼーレ及びその下部組織であるネルフへの決起こそ計画されていたものの、サードインパクトを阻止できる確率は、おそらく非常に低いものと予測されていた。
このため、サードインパクトによって発生するL結界の地上への大規模侵食、すなわち『地上の浄化』により、地上の全生命が喪われる前に、人類のみならず、各種動植物がL結界の津波から逃れるための避難先、やがては反撃の拠点となるであろう居住地域・物資生産拠点の確保は、ヴィレにとって必須の課題であったのだ。。
第3新東京市戦役勃発の際、戦役に伴う第二次ニア・サードインパクトの発生を予期したヴィレは、『アスクレピオスの杖』作戦を前倒しして発動。
オアフ島は、宇宙空間のラグランジュ点各地に隠匿されていたアンチLシステム展開のための封印柱群が、作戦発動に伴いもっとも集中的に投下された地域の一つである。
ニア・サードインパクトに伴い、月が何らかの特異的反応を起こすであろうことは予期されていた。
事実、インパクト発生と連動するようにして月が地球へ異常接近を開始、低軌道へ遷移するという事態が発生した結果、地球と月の間の重力バランスが崩れてしまったのである。
地球軌道上のほぼ全ての人工衛星が、この重力異常により地上と通信不能になる、あるいは軌道が歪み大気圏落下軌道に突入して喪失するなど、様々な要因により機能を消失。
更にはラグランジュ点位置も変動するという事態が発生し、封印柱ユニット自体の予定地点への投入も、この月の異常接近に伴う重力変動の影響を受ける形となった。
しかし、こうした想定外の状況に対応するため、投入用の封印柱ユニットは事前プランニングに基づき、ヴィレからの通信・誘導途絶時にも、AIを用いたスタンドアローンでの自律制御が可能なよう、非常用の慣性誘導装置が設計されていた。
結果、これらの封印柱は、月の接近に伴う重力異常をセンサーによって察知後、進路・大気圏突入角等の数値を再演算、進路修正を行った。
そして自らを世界各地の目標地域へ誘導、着陸させることに成功した封印柱群は、即座にアンチLシステムを展開。世界を満たすL結界の赤い大海嘯より、原生生命を護る、巨大なダムの如き結界を、地上の各地に無数に展開することに成功したのである。
特にオアフ島周辺には、ヴィレが保有する中でも、寄りすぐりの大型封印柱ユニットが32本投入されていた。オアフ島周辺沿岸から10キロはなれた水域に、等間隔で投入されたそれらの封印柱は、逆噴射制動をかけながら着水し、起動。
オアフ島全域を、島を囲む水域ごと包みこむようにして、巨大なアンチL結界が展開された。
また、投入地点が陸ではなく、海であったことは、思いもよらぬ副作用を齎してもいた。
セカンド・インパクトが発生した結果、L結界の発生源となっていた海中生物のコア化遺骸が、封印柱が展開するアンチL結界に弾き出されるようにして結界内部より押し出されてしまったのだ。
これにより、本来反ゼーレ・ネルフ組織であったヴィレの隠れ蓑の一つであった、日本海洋生態系保存研究機構が、セカンドインパクト発生後、長らく研究・実験を続けていた、海洋再生オペの大規模な実施が可能な状態となっていたのである。
そして、長年の海洋再生の努力を経て、オアフ島周辺の海域は、本来の海の青色を取り戻した。
何もないLCLの海であったオアフ島近海は、海面から海底にいたるまで、今や多くの魚類や棘皮動物、貝類、海藻などが群生する、セカンドインパクト以前の、生命に満ち溢れた過去の姿を取り戻していた。
その、目に涼しい、深い青をたたえた海面上。
オアフ島南方、かつてパールハーバーと呼ばれていた、現ヴィレ軍港設備、その南方5キロ地点の位置に、奇妙な物体が存在している。
浮かんでいる、という表現を用いるには、それはあまりにも巨大すぎた。
全長が、ゆうに2kmを越える。
それは一つの島に匹敵するサイズであるが、島だと思うものは誰一人存在すまい。
その姿は、一言で言えば、異形である。
両肩が異様に前方に張り出した水鳥とでも言うべき、左右に長い羽根を備えた三胴構造。
さらに後端からは蛇の骨めいた、異様な白色のスタビライザー・テールが伸びていた。
表面こそ人工物的な薄紫に塗装されていたが、全体的にゆるいカーヴを帯びた、有機的と言うよりはどこか怪物的な形状をしたそれは、現生人類が識り得ぬ太古の地球に存在していた怪物の、遺骸とも見える奇怪さである。
かつてゼーレが、そして特務機関ネルフが、表向きは対使徒用の決戦戦艦として開発した、人類史上未曾有の大戦艦。
しかし実際には、人類補完計画の要の一つとして建造された、ガフの守人級戦艦、一番艦Bußeが、この異形の物体の正体であった。
この、人類補完計画のために建造された巨艦は、しかし、その本来の真逆の目的で運用されていた。
そして、艦名も、それに伴い変更されている。
ヴンダー。これが、今のこの戦艦の名となっている。
Bußeという単語が持つ『贖罪』という意味を嫌った、この戦艦の副長を現在務める人物によって、ネルフへの叛乱、ヴィレへの所属変更時に、艦名が変更されたのだ。
この一見禍々しい、しかしまぎれもない人類最後の希望の艦艇は、今、一時の棲家を見出した渡り鳥のように、静かに青い海の上で、その翼を休めていた。
ヴンダー上部構造部、中央艦体部分と両翼の結節する中央点。
全高51メートルの、戦略自衛隊にかつて在籍していた超大型護衛艦に備わっていた鐘楼、いわゆるパゴダ・マストに似た、基部から上方、後部へ緩やかなカーヴ形状を与えられたそれは、ヴンダー第一次改修時に新たに増設された大型艦橋であった。
宇宙空間のみならず、深海での戦闘行動すら見据えた大型の艦橋は、展性チタニウム合金複合材を主材として形成されており、深深度L結界圧力に耐える完全密閉構造となっている。
最上部には両翼各一基、後部一基、合計三基備えられた巨大なパラボラアンテナ状構造物を統括・管制するための、大型電算室が設けられていた。。
セカンドインパクト以前に米国国家航空宇宙局が地球外知的生命体探査計画に運用していたものと同型のアクティブ/パッシブ式外宇宙探査ユニット群が、この巨大なアンテナ群の正体である。
光学・音響・重力場・時空振・L結界内部のATフィールド振動等の、外部環境情報を、ヴンダーはこの巨大アンテナ群によって、地球曲率の限界まで探知することが可能となっていた。
艦体側面・下部にも、防空・監視・索敵を目的とした各種センサー・レーダー・光学カメラ等が備えられているが、これらアンテナ群がヴンダーという艦艇にとって、最大の『目』であり『耳』であり、そして『触覚』でもあった。
その下方フロア、現段階では完成こそしているものの、未だ本格試験が行われないままの第一艦橋、別名戦闘艦橋のさらに下にある通常航海時用の指揮機能を有した第二艦橋内部。
各種電子計器が壁面せましと取り付けられたその巨大な部屋で一番目立つものは、天井部分より吊り下げられた、可動式有人指揮ユニットであった。
古典的シャンデリアに似た、金属製の腕木構造デザインをしたそれは、シャンデリアで言えば椀木に相当する可動式アームユニットの先端に、艦長席および副長席、各科長席、戦術オペレーター用席をそれぞれ配している。
副長席ではなく、今は人員が配されていない戦術オペレーター用の座席の一つに腰掛けながら、正面モニタにホログラフィック投影された、艦橋正面カメラの捉えたヴンダー前方の外部映像を眺めつつ、空中戦艦AAAヴンダー副長、式波・アスカ・ラングレー中佐は呟いた。
「ほんと、きれいな景色よね。サファイアが液体みたいになった青っていうか。
セカンド・インパクト前は、これが当たり前だったなんて信じられない」
10年前、まだ中学生として第三東京市立第壱中学校に通っていた頃、他人の誘いでクラスメイトと共に見学に行った、海洋生物研究所のことを、ふと思い出す。
この青い海は、あの研究所が封印柱の術式を元に編み出した、海洋再生技術の賜物というわけね。
自分の殻の中にある意味閉じこもっていたあの頃は、気にも留めていなかったけれど、彼らの地道な試行錯誤と苦悩と苦労は、ささやかとは言え、オアフ島全体を覆うほどの広さの海を再生させるという成果を、ちゃんと上げることができたってことなのだろう。それは、絶望の赤の只中で、なお諦めずにいる名も知らぬ人々が、今も生きてあがき続けている証明でもある。
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そういう景色と思えば、いよいよ素敵な景色に思えてくる。子供だった頃は、そんなこと、思いもしなかったけれど。
ただ、きれいな景色だけれど、問題がなくもない。
臭いのだ。海洋研究所の、小さな水槽とは違う、桁違いの広さの青い海からは、セカンドインパクト以降の世代が知らない、強烈な悪臭が放たれている。
磯の臭い、というらしい。
今はクレーディトの物流統括および、人類生存域拡大・環境再生の指揮を執っている加持リョウジに言わせれば、海の生き物が必死に生きて、そして死んだ臭いが由来なのだそうだ。要するに腐臭の類。
慣れれば、それほど悪い匂いでもないよとヴンダー艦長たる碇シンジ大佐はいうけれど、個人的にはなんかほんと臭くて、胸を通り越して胃に来るから、なかなかブリッジから出る気になれないのよね、海に来ると。
でも、たまのF作業、いわゆる海釣りでシンジが釣ってくる魚は美味しいのよね、などとも思う。昔第3新東京市に住んでいた頃は、あいつが焼く青魚が臭くてかなわず、何度も文句を言って挙げ句暴力まで奮った記憶もあるけれど、あれも一ヶ月ぐらいで慣れてしまった気がする。ちゃんとした調理器具で焼いた魚と醤油、それと大根おろしの組み合わせは、慣れてしまえばいかにも日本的でエキゾチックで、日本の主食であるところのごはんに良く合った。
懐かしいわねえ、などと一つため息。今は加熱調理が難しいせいか、焼きで食べることはあまりなくて、シンジがF作業で釣ってきた魚はもっぱら刺し身やカルパッチョ、あとはアクアパッツァや煮つけが多い。
大豆由来でない、合成タンパク質から無理やり発酵させた、今の代用品もいいところの粗悪な醤油でも、慣れてしまえば案外乙なもの。愛想もクソもない、ゲル状のトマトペースト食も、他の野菜ペーストと合わせ、アクアパッツァに使うと、ペーストのままだとろくに感じられなかった痩せた酸味と甘さがふくよかさを取り戻して、なんというか、「あ、トマトが生き返ってる」という感じで、年々味覚が薄らいでいる(正しく言えば、味わう価値を覚えなくなっているというべきかもしれない)とはいえ、なんというか口の中が幸せ、というかんじになる。
美味しいということは、味覚がまだ残っている証。
同時に、私がまだ人間であるという証でもある。楽しめるうちに、楽しめるものは楽しまないと。楽しめなくなる時が来ても、それは思い出として残るのだから。
などと、過去の記憶の味を脳裏で改めて反芻しつつ、手元のコンソールを操作して、左側のサブディスプレイに、本日乗艦予定のヴンダー新規乗員のリストを呼び出した。
30以上の大人がいなくもないが、ごく少数だ。大半は20歳以下ばかり、17才でも年嵩なほうで、14才の子供すら混じっている。
12才の頃に戦場に立たされていた身の上、セカンド・インパクト後の東欧やバルカン半島で繰り広げられた救いようのない内戦を知る身の上からすれば、そういうこともあるだろうとは思う。けれど。
「子供ばっかりじゃない。訓練、本当に大丈夫なの?」
「仕方ないですよ、副長殿」
右下方、戦術長用シートからヴンダー戦術長、日向マコト中佐が応えた。
「ニア・サードインパクト以降の人口減は深刻です。
生き残りの大人世代は、持っている技能を最大限に活かして、今生きている人類を活かすための活動に専念してもらわなければならない。葛城総司令の本意ではありませんよ」
「ニア・サードインパクトの再発を抑止できなかった私達の咎、か。
気がひけるわね、子供を使うのって」
「貴方に言われると妙な気分になりますよ。
まだ使徒と殴り合っていた頃の貴女は、失礼ながら跳ねっ返りのヤマアラシもいいところの子供でしたよ、式波副長」
「そんなひどかった?」
「自覚なしですか」
きょとん、とした眼差しを日向戦術長に向けると、分厚い眼鏡越しに呆れ笑いを多分に孕んだ視線が返ってきた。それに私は、苦笑で答える。
「ごめん、正直ある。でも、14才ってそういう時期じゃない?
そういう、難しい年頃の子が大勢乗り組んできたってこと。
それこそ子供が労働力として当たり前に使わてた時代は知らないけれど、本来まだ学校に通ってたほうがいい時期よ。
いっそ、働くにしても大人としてどう振る舞うかを、大人の背中から学ばないといけない時期よね。まだ社会の手絵、守られて、生き方を学校で、働くにしても職場で、人生の生き方を、友達や、大人を見ながら覚えていく時期のはずなのにね。
他人を教育した経験はなし、子供いないから育児経験もないし、学校も第3新東京市時代にちょっと通ってただけで、人へのものの教え方なんて全然知らない。
その前の『訓練』は……いえ、あれは訓練なんて呼べたものじゃないわ。ただのサバイバル、生存競争。より良い果実を作るため、他の果実を摘果するだけの、言わばただの作業、生産工程の一つにすぎなかった。そうして生まれた、消費のための果実に過ぎないものが、副長だなんて偉そうにしてる。
必要なら、『死ね』と命じることさえできるのよね。冷たい方程式、ってやつ? トリアージでもいいけど。そんな命令であろうと、上官からの命令は絶対、戦死もありうる規律最重視のの戦闘艦艇勤務。
これまで積み上げた戦果を権威に、上から目線で大人をやらないといけないってのがしんどいわよ」
顔をしかめながら、未だに膨らもうとしない自らの胸元に視線を落とす。
紅いプラグスーツの上に羽織ったヴィレ正規軍(反乱組織に正規軍もクソもあったものではないと内心思うが、もはや現生人類を代表する軍事戦力がヴィレしか存在しない以上、正規軍を名乗るほかないのだ)ジャケットに包まれた体躯は、大人と言うにはあまりにもか細い。
ジャケットのポケットからメイクパレットを取り出して開き、蓋の裏側の鏡で私は自分の顔を見た。
鏡の中の顔、その左目に、白いガーゼの眼帯をあてた14才の頃のままの自分の顔が映る。
もう24才だというのに。
三号機事件、またの名を第一次ニアサードインパクトを切欠として変質した肉体は、変わりゆく精神とは裏腹に、成長と加齢を完全に留めてしまっていた。伸びるのは、髪の毛と体毛、それに爪程度のものだ。
せめて髪型でごまかせないかと思い、いろいろ工夫してみたけれど、正直どれもしっくり来ず、いま一つ似合っていなかったので、結局今は、ツーサイドアップに戻してしまっている。
艦の運用都合上、どこからでも即座にヴンダーをシンクロ制御するために脳波の送受信を行う必要があるから、髪飾り代わりの紅い脳波インターフェイスも昔のように髪留めがわりに使っている。
昔はエヴァパイロット自慢でつけていた。一種の見栄だ。他人と私を区別し、自分は違うのだと自分で自分を特別視するための大切なアクセサリー。
あれはあれで他者と自分を隔絶し、自分で自分を特別視するため、他人を見下すための一種の儀式であったとおもうし、そういう意味ではホントに黒歴史。
今もつけるたび思い出してしまうし、可能なら外したり、無理なら別デザインにしたいとすら思っているのだが、デザインが気に入らないから新型開発して、などという我儘を言うわけにも行かない。
老いない外見、外したくても外せない頭の脳波インターフェイス、まさにエヴァの呪いといったところね。
あるいは私とシンジという鳥籠に量子レベルで閉じ込められてしまった、第9使徒の呪いかもしれないが。
それは、ともかく。
「30半ばの渋みのある男性に、年嵩の上官を見る顔つきで、おそろしく堅苦しく喋られる見た目は14才の女の子の構図って、事情知らない新人からみたら、いろいろきつくみえないかしらね。
マジ、不安なんだけど」
「副長。気持ちはわかりますが、慣れていただかないと困ります。
そもそも第3新東京市戦役以来、ヴンダーは艦長と貴女の二人で運用してきた船です。
本来が有人を意図していないアダムスの器を、そうした存在への同調を可能とする、シンクロ運用で生かしてきたのは貴女たちです。。
エヴァ同様、土台が人類が運用する通常兵器とは、異なる船です。
それを通常艦艇のように、多大な戦力低下を承知の上で、多人数による運用へ切り替えるよう提言したのは貴女でしょう」
いい出したんだから責任とれってことね。
私は小さくため息を付いた。
「確かに提言したのは私だけど、アイデア元は艦長よ。
リスク分散はしたほうがいいし、ヴィレクルーやクレーディトのスタッフには私や艦長、旧ネルフスタッフに内心反感持ってる人も少なくないし。
要するに、私達が気に食わない、外部の人たちから見ると、人類を突然噛み殺すかも知れない危険な猟犬に首輪をつけてリードを持つ、『猟師』が居たほうが安心にみえるんじゃないかってことよね。
──忌々しい。
けど、私もそう思えたし、いつもいつも艦長にばかり責任をもたせるわけにいかないもの
だから、私から提案したってわけ」
「仕方ないですよ」
日向戦術長とは別の声がした。
左下方座席、ヴンダー戦術長補佐、青葉シゲル中佐が答えた。旧ネルフ時代からの顔なじみの一人で、信頼できるキャリアと実力をもったオペレーターの一人だ。
「ニア・サードインパクト以後の生存者には、エヴァのみならずエヴァパイロットまで禁忌の存在、死神を観るような目で居るものがいるのは確かです。
どれだけ艦長と副長が実績を積んでも、疑う人間は疑いますし、嫌う人間は忌み嫌う。
気に入りませんがね、正直」
戦術長補佐の声には、僅かに憂慮の成分が滲んでいた。
補佐とは言うが、階級が示すとおり、同格である。責任の所在を明白にするために仮に日向を上官としているだけである。
「ヘイトコントロールってやつ? まあしょうがないわよ、ヒトとも使徒ともつかないのに、最大戦力のヴンダーを任せておいていい気分にならない連中、多分死ぬほど多いもの」
いい加減時代遅れだろうに頑なに変えようとしない、青葉のロングの髪を見つめながら、私はため息をつき肩を落とした。
そう、本当に多いのだ。
10年前、意識を取り戻してからも、いろいろあって封印柱に取り囲まれた使徒研究要封印ケージに艦長ともども軟禁という状態が、それこそうんざりするほど続いた。
色々とあってようやく監視付きとは言え基地内部程度であれば歩き回ることを赦された私たちは、与えられた私室……といっても、補強された工事現場用のコンテナハウスを使徒覚醒時にそなえ爆弾まみれにした代物を、封印ケージ内部に設えられた、私室という名の処刑装置にほかならなかったけれど……ともかく拘束ベッドに四肢拘束なんてされずに暮らせるようになり、ミサトのマンションから運ばれてきた私物の開封をしたときのことを思い出す。
衣類や人形だのの中に埋もれていた、私の携帯本体に残されていた伝言メッセージ。
どこの誰ともしらない連中、あるいはクラスメイトの、怒りと哀しみに満ちた声。そのほぼ全てが私たちの生を呪う呪詛の嵐だった。シンジの携帯も以下同文。
リダイヤルして言い返そうにも、携帯電話会社は基地局もろとも撤収するか、戦災に巻き込まれ、消失してしまっていた。
ここまで私達が憎悪された理由は一つ。
ネルフ本部に仕掛けることを目論んだどこかの国の誰かが、三号機事件の機密情報と映像、関与したパイロットの姓名、つまりは私と艦長の名前を報道機関へリークしたのだ。
その後、エヴァおよびエヴァパイロット危険論が日本国内に沸騰。
私達に対する怒涛の呪詛は、その些細な一端に過ぎなかった。今は冷静に見返せる思い出ではあるけれど、当時は随分傷ついたことを思い出す。
ただ、その後、第二次ニア・サードインパクトが発生し、もう、私達は私事などにかまっていられなくなってしまった。あとは死にものぐるい。必死に闘い、必死に救い、救えた生命もあり、救えなかった生命もあり、生き残るために殺した生命も勿論ある。
それで得られたものはといえば、多くの人々の畏怖。
ただ、一握りの人間からの、信頼を得ることはできたのは、せめてもの慰めかも知れない。
私の言葉を受けてか、いつの間にか傍らに佇んでいた、白衣の女性が応える。
赤木リツコ技術班長。私たちを信頼してくれる、ヴィレ内部でも貴重な味方と呼べる人間の一人。
「もう少しヴィレのスタッフを入れられれば、違ったのかしらね。
それこそリョウちゃんが入ってくれればよかったのだけれど。
今のヴンダーのブリッジ要員、ほぼ旧ネルフ本部系だもの。不安要因と思われてもしかたないわ」
彼女なりに思うところがあったのか、第二次ニア・サードインパクト以後はショートヘアにした金髪をなぜていた。ヴンダー技術班長にして、現在の艦長と私の科学者としての師匠にあたる。
もう四十路も近い、けれど若さを残した、大人の色香漂う整った面立ちに、彼女は僅かに苦悩の表情を浮かべている。リツコのその様子に思うところがあったのか、私の後ろの座席でずっと沈黙を保っていた彼が、不意に口を開いた。
「加地さんには親の勤めを果たしてもらわないと困るんですよ、技術班長」
響きがとても澄んだ、どこか儚い玻璃を思わせる少年の声。
昔のようなおどおどしたところのない、冷静な声音。
その声を聞くたび、肉体は変化せずとも精神が成長していることと、ある意味において、彼が昔の彼ではなくなっている寂しさをも思い知らせる。
振り返り、見上げた。
私とは逆の、右目に黒の眼帯をした、見た目は14才の少年。
白の軍帽を、眼差しを隠すかのように、目深に被っている。
上体にはヴィレ正規軍所属であることを示す軍用の、これも白のジャケットを羽織り、パイロット用のものとは違う、生地が厚く、所々に防弾機能を兼ねたシンクロ同期補助電極プレートが装甲板のように仕込まれた、独特のダークグレーの艦長用プラグスーツをまとっている。
碇シンジのまだ細身の体躯は、男としては未成熟で、線が細く、実のところか細さすら感じさせるものであるのだけれど、身につけた艦長専用プラグスーツの、ところどころ角張ったシルエットが、相対的に奇妙なほど厳つい印象をを与えていた。あるいは、あの日以来微笑むことはまれにあっても、朗らかに笑うことのなくなった、硬質さを湛えた面立ちには、長年の戦闘経験がもたらした、何か底しれぬ深みがあった。
AAAヴンダー艦長、碇シンジ大佐。
24歳にして戦闘部門における位を極めた、並ぶものなき武勲の持ち手。
10年前の不安定さ、薄い硝子を思わせるような危うさが失せたことを嬉しく思う反面、時折寂しさも思う。そも、冷徹という選択肢を選べるようになった彼のそれは、果たして成長と評していいものなんか、私自身まようところがある。
実際のところ、彼の精神に軽く「触れ」れば、本質は変わっていないというのはわかるのだけれど、それを行うといらぬものまで見えるので、普段はなるべく控えている。
戦闘中ならいざしらず、年がら年中精神を同調させるというのは、気持ちいい体験ばかりもたらすものではないことを、この世の誰より知っているのは、おそらく私と碇シンジ本人だろう。
「父母無しで育ったに等しいメンタリティだからこそ生じた、個人的経験からかしら?」
リツコがシンジの居る艦長席を見上げ、軽く皮肉げに笑む。
「違いますよ」
シンジは即座に否定した。
「生き残った生態系と人類の世話をやるほうが、多分向いているという話です。
この海がここまで豊かさを取り戻したのも、あの人の尽力のお陰です。
それに、あの人の場合、気が変わったらヴンダーを乗っ取って太陽系から逃げ出しかねないところがある。あの人、工作活動と奇襲・強襲は恐ろしく強いですからね」
「セカンドインパクト世代だもの。いろいろと人の出し抜き方が巧いのよ、加持くんは。
そういえば、北上ミドリさん、だったかしら。ブリッジに配属になるそうだけど、よく通したわね、貴方」
「乗艦は本人のたっての希望ですし、能力は優秀です。
基本的には日向さんの元で火器管制・各所ダメージコントロール指揮のアシストをしていただく予定です。
資料を観る限り、訓練時の態度はよくないようですが、LCLガスを媒体としたブレイン・マシーン・インターフェイスによるオペレーションへの適性、シンクロを介さない非BMI式の手動入力、演算速度とも優れています。拒否する理由はありませんよ」
「恨みを買うのも上司の仕事。ミサトの真似?」
「艦長をやるというのは、そういうことでしょう。
多くの人命を使い捨てていい代わり、その命の運用に関する責任の全ては僕にあります。つまりは仕事ですよ。昔のミサトさんと、同じです」
リツコの昔とほぼ変わらない、嘲りと自嘲が入り混じったような独特の口調に、しかしシンジは落ち着いた口調で返す。大人の女の煽りに狼狽しないあたり、昔のシンジではないということを感じる。
「碇司令に似たのか、それともミサトに似たのか……どの道怒りも恨みも多すぎるほどに背負った以上、多少増えたところで何も変わらない。そういう諦観。いえ、頓悟かしらね。諦めという言葉を嫌う貴方にとっての」
リツコが諦めたように、視線をつま先におとした。
「それもまた艦長の度量かもしれないけれど……顔、硬いわよ。あまり気を張らないことね。
気持ちを入れすぎると視野が狭くなり、見落としが出る。貴方の悪いところよ」
「アスカにも、よく言われますよ」
わずかに、シンジが苦笑した。
実際そのとおりではあると思う。
碇シンジという男は、もとより実行すると決めたときの実行力と決断力は強く、可能であるならば絶対にそれをなしとげるというところがあり、それが彼のあげた赫奕たる戦果へとつながっているところがあった。
4年前、軌道上からの封印柱投入による北海道南部のL結界からの解放及び可住領域化、航空特化型エヴァンゲリオンMark.44A及び陸戦特化型エヴァンゲリオンMark.44Gによる逆侵攻への迎撃成功は、シンジの決断力に負うところが大きい。ただ、精神的に譲れないとなると何かしら意固地になるところがあり、その頑固さが10年前に失敗を招き、彼の心に深い傷を逐わせたことを、アスカはよく覚えている。
碇シンジにとって、未だに認めがたい、最後の死者。
「そういうとこ目が効くのよね、リツコって。人間観察眼ってやつ?
やっぱリツコが副長やればよかったのに」
私は言った。冗談めかしてはいるけれど、正直本気でもある。
もともと私はチームプレイよりシングルコンバットを好む傾向があり、そのことをかつては葛城ミサトに窘められもした。
シンジや日向、青葉といったメンバーとは10年来轡を並べてきた仲であり、互いの呼吸も知れているからこそ連携できる。しかし、人を束ね、まとめるということが自分にできるのかどうか。
天才肌の人間には、失敗しやすい人間の失敗の痛みを理解しづらいところがあると聞く。人を率いながら育て、管理するという立場が、私みたいな24才の、人間社会においてはまだ小娘もいいところの人間に、果たして務まるのかどうか。
シンジと組んでいた頃はそういうことに悩むこともなかった。なにしろ戦闘中に限れば、お互い隠したくても隠せなくなる。思考よりも早く通じ合い、お互いがまるでもう一人の自分であるかのように動けた。鳥が飛ぶとき左右の翼を意識しないように。人で例えるなら、右脳と左脳が、それぞれ動作原理がちがうのに、有機的に連結して一つの意識のように挙動できるとでもいったところか。
けれど、これからは、違う。たくさんの……本当にたくさんの他人が、このヴンダーに乗り組んでくる。
いきなり、効率よく集団行動ができるわけもない。
不慣れな新人のオペレーションに、思わず昔のような調子で罵詈雑言を浴びせないかどうか、私は自信を持てずにいた。
しかし、リツコはあっさりと首を横にふる。
「艦長と貴方のユニゾン・ダブルエントリーの戦術展開速度を思えば、私が副長の立場になったとしても、追いつける気がしないのよ。勿論新しく入るスタッフもそうなのはたしかだけれど、戦闘キャリアでもあなた達の方が上。もともと戦闘に関しては本職でなし、彼らを鍛え上げ、使い物になるように、生き延びられるよう育て上げるのはあなた達の方がいいのよ。
私はマギプラス、この艦の脳髄たる六弁の花の運用とフォロー、新規技術研究と遺産解析に専念させていただくわ。これもまた、本艦の生残生向上のため、必要なアプローチよ。わかってほしいわね。」
「つれないわねえ、リツコ」
私はため息をつく。決断は最終的に艦長が行うとしても、必要なのは立案や決断に対する釘刺しなのだ。そういう計画に対するネガティブな気づきは、私よりもリツコのほうが巧い。
艦長の判断の意図を正確に汲み取りつつ、その上で問題点を精査して、こういう言い方もどうかと思うけれど、つまり『ケチをつける』のが副長の最重要な仕事なのだ。感情な口喧嘩ではない、討論としての論理と論議のせめぎあい。マギシステムに植え込まれた異なる私の疑似人格同士の対話のような、建設的で効率的な議論、結論を積み上げ、それら結論を基として、さらなる論議の提議、その繰り返しの積み上げ。
私と艦長の関係性と距離感は、他人のそれとは、だいぶ違う。読みすぎて手垢じみた、冒頭から結末までを知っている文庫本みたいな関係性。よく識っているからこそ、気楽な間柄で居られる。けれど、よく知りすぎているからこそ、相互の想定する外側の発想ということができないところがある。案外、倦怠期の夫婦とは、こういうものなのかもしれないという。お互いに馴染みすぎた、意外性のない、新味のない距離感。
人間関係ならばそれでも構わない。ただ、作戦立案および検討にあたって、そういう馴れ合いの関係というのは、あまり望ましくない。
その点は艦長も当然踏まえていて、だからこそ艦長が口を開いた。
「先任として忠告と提言をしていただければ充分ですよ。
それに、研究職の方がリツコさんには似合っています」
なるほど、先任ね。それならいいか。
艦長の判断に私は納得する。艦長や副長という立場を無視して意見をずけずけ言える現場の人間としてふるまってもらえるなら、特に私に不満はない。
そして、艦長の言葉は、リツコの気にもめしたようだった。
「そうね、もともとネルフには研究がしたくて入ったんだし、感謝しているわ」
嬉しげに笑む。本来の性分が科学者なのだから、それに専念できるのが嬉しくてしかたないのだろう。
まあ、色々あって私自身、自分の身体なんてものを研究しないといけなくなっているので現状リツコの弟子でもあり、またヴンダーの各機能把握でいろいろな分野に首を突っ込まないといけなくなってしまっているため、望むにせよ望まざるにせよ、軍人をやりながら学究の徒をやるという二足のわらじをシンジもアスカも強いられている。
基本的に多忙な身の上であるのだけれど、困ったことに最近、そういう分野に魅せられつつある自分も居たので、実のところを言えばそういうことに専念できるリツコのことを、私は少しだけ羨ましく思っていたりもする。
なにしろヴンダーという艦艇は未知があまりにも多く、研究対象として観るならばこれほど研究しがいのある艦艇はない。全長2キロ以上のオーパーツであり、100年かけても解明できるか不明な未知の集合体だ。それにずっと取っ組み合いができるのなら、それはきっと間違いなく楽しい。
昔はパイロットバカ一代だったのに、変われば変わるもんよねと、私は薄く自分を笑った。
「艦長、オアフ島より内火艇、接近。接舷許可を求めています」
日向戦術長の声が、私を現実に戻す。
右パネルに、水面を切って進む内火艇の列が観えた。ヴンダーの新規乗艦者はひとまず500人を予定している。
いつまでも二人体勢のヴンダー、そしてエヴァ弐号機と八号機頼みでは、補完計画を潰す前に、ヴァチカン条約無視で生産された各国ネルフ支部の残存エヴァ素体および、ネルフ本部で新規生産された各種自律行動型エヴァの狂った物量に間違いなく潰される。
ヴィレ全体のの戦闘ノウハウの蓄積と、非エヴァパイロット以外の戦闘人員育成は火急であったし、また補完計画阻止に当たって、ヴンダーを初めとした正体不明の先文明遺物の研究も重要であった。
カヲル野郎があの時残ってくれればよかったのに、と私は内心呻くが、彼には彼なりの考えがあるらしく、今は出奔中の身だ。少なくとも彼が『碇シンジの味方』であることだけは(死ぬほど腹立たしいが)確信できるので、ゼーレなりネルフなりが何事か仕掛けてくるときは、おそらく役立ってくれるだろう。
それにしても、と私は思う。
モニタを指で軽く撫ぜて画像拡大をかけた。
先頭をいく内火艇の甲板に、10人以上の若者が立っていた。
青い海が珍しいのだろう。表に出ているのだから、臭さに辟易しているわけでも船酔いしているわけでもあるまい。目を丸くしている男女の顔立ちは、若いというよりもむしろ幼さを残した呈で、あどけないとすらアスカには思えた。時代が時代、人類危急存亡の秋とは言え、やはり戦場に立たせていいのか、という気持ちになる。
「大人の尻拭いに付き合わせるのって、いい気分にならないわね」
「本人たちの希望だよ」
どこか韜晦した口調で、艦長が答えた。
「動機はそれぞれあるだろうけれど、拒む理由はない。
それに、ミサトさんの目線からすれば、万一のときはこの子達を連れてヴンダーで離脱してほしい、というのもあるかもしれないしね……ミサトさん、艦長になりたがってたのを、無理言ってヴィレの総司令に収まってもらったんだ。その程度の気持ちは忖度する必要があるさ。ちゃんと自分の子供の親を務めるのと、トレードオフだよ」
韜晦というよりは、過去をみつめているのかもしれなかった。
かつてヴンダーから見つめた、あの髑髏降り注ぐニア・サードインパクト再起の絶望の景色を。
死ぬなと止めた碇シンジと私へ、葛城ミサトと加持リョウジが投げた、怨念とも哀しみともつかない視線を。
だが、あの時、どのように思われ、恨まれ、生涯憎悪されたとしても、やはりシンジと私は止めただろう、という確信がある。
父もいない、母もいない、LCLの虚無から生まれた得体のしれない自分。
母が消えた日から過去を粉々に砕かれ、父に捨てられ、父がいない哀しみ、過去がない苦しみを誰にも理解されないまま、本来新天地たり得たかも知れない長野で虚無の生活に溺死しかけていた、碇シンジという壊れかけた少年。
そして、ヴンダーの生体センサーは、葛城ミサトの中に、新しい生命の息吹を認めていた。
だからこそ、どれほど憎悪されても、それだけは二人には許せなかったのだ。
「……親に親をやってもらわないと、子供はきついもの。
案外、いなくてもうまくいくこともあるのかもしれない。けれど、私達はそれでだめになった。
ミサトは自信ないみたいだけど……ミサトにはちゃんと親、やってほしいのよね。
自信を持ってほしいし」
「ミサトさんには生き延びた全人類の親をやってもらってるようなものだよ。
重いものを背負わせてしまったけれど、知る限りで他にお願いできそうな人が、いなかった」
14才の私達、振り返りたい楽しい過去なんて何一つなかったがらんどうだった私達と、一緒にいようと手を伸ばしてくれた、優しい女性のことを思い出す。
ミサト自身にとり、両親とはあまり思い出したくない存在であるらしいけれど、それでも私やシンジにとって、彼女が不快であったかと言うと、そんなことはなかった。
むしろ、知らなかった光を見せてくれた人ですらあったようにおもう。
けれど、戦いの場に居る彼女は、どこか自分の命すら度外視する危うさがあった。
普段の陽気さがむしろ装いで、葛城ミサトという女性の内側には、どこか他人には触れがたい暗さ、見通せない闇があり、エヴァを運用しての作戦において、時折彼女が見せる奇妙な冷徹さと、時に捨て鉢とすらいえる、勝率が異様に低い作戦の決行は、おそらくその、彼女が人に見せたくない闇に由来しているのだろうと思う。
誰にだってそういう闇はある。私にもあり、艦長にもある。
けれど、葛城ミサトという女性は、その闇がとりわけ深いように私には思えた。
自らを投げうってでも討たなければならないものがあるかのような、強い信念。犠牲を惜しまず、たぶんその犠牲に自分を選ぶことを、一切惜しまない。
その危うさが、私には怖かった。それは、シンジも同じだったのだ。
ともあれ、今はミサトはヴィレ総司令として、加持リョウジさんはクレーディトの責任者として、生きる道を選んでくれた。もう残り少なくなったとは言え、人類の群れは未だ多い。居住地域は赤いL結界の海の中に、封印柱でこしらえたダムで、無理矢理にL結界の侵入を押し留めた、いつ崩れるかもわからない危ういセーフハウス。誰もがなにかしら恐怖を抱き、怒りを抱き、それら負の感情の向け先を探している日々が続いている。
そういう人々を取りまとめ、不安を、怒りを、不満を聞き、受け止める、大人としての仕事を、ミサトは引き受けてくれた。あの人の性格を思えば、きっと前線のほうがよかったろうに、それでもミサトは、私達の意思を汲んでくれた。
そのことが、嬉しかった。それは私達にはできない仕事で、想像を絶するほどに大変な仕事だ。
それでも、ミサトは、引き受けてくれたのだから。
「そうね、それができるのは、私達みたいな壊れた、けれど自分が壊れていることに気づくことすらできずに、意固地になって固まっていたことに気づいてくれた、ミサトしかいないものね。
そういうミサトが選抜して、送り出してくれた子供たちだもの。
きっと、期待しても──」
と、私が呟いた瞬間。
モニタの中で、それほど大きくない横波を受けた先頭の内火艇がグラリと揺れ……そのまま横転した。
「……」
「……内火艇、転覆。救助信号受信しました。
……ヴンダーに見とれてたそうです」
急激に頭痛が痛くなる。決して大きくないとは言え横波は横波で、それに気づかず雑転舵で、しかも船の重量バランスも考えておらずみんなして甲板に登ってたということでうーんこの。
「──もしかしてヘビー級の馬鹿? よそ見運転で転覆って期待値だだ下がりなんだけど……」
「エヴァで待機中の綾波大尉、真希波大尉へ連絡。
至急、転覆した内火艇の救助にあたれ。続く内火艇の進路を邪魔しないように。以上」
艦長が冷静な口調で、ハンガーのエヴァで待機中のレイとマリに指示を下す。
「了解」
「アイアイ、了解ー!」
「……艦長、内火艇の操縦しくじる連中にヴンダー任せて大丈夫?
主機担当……っても現状エヴァとアダムス予備パーツの寄せ集めで艦体動作とATフィールド発生にしか使えない主機もどきだけど、ともかく舵取らせたくないんだけど。
重力制御とATフィールド制御しくじって自壊とか勘弁だからね?」
真顔でそう思う。ヴンダーは巨大であるがゆえに、通常の空力等で飛ぶわけではない。
補機のN2リアクター推進機は膨大な電力と推進力を生むが、それだけでヴンダーをコントロールしきれるわけではない。
重力操作およびATフィールドを併用し、空間歪曲を適切に発生させることで推進を行う以上、その点のバランスを失敗すれば、最悪重力とATフィールドがそれぞれ別別のベクトルへ機体を『捻じり』、最悪、空中で自壊しかねない。
この手のATフィールド利用の超加速は、エヴァで『走る』だけでもノウハウが必要なものなのだ。
特にヴンダーで予定されている操作系はLCLガスによるブレイン・マシン・インターフェース入力が主力となる予定である。タッチパネルやキーボード、音声操作では入力操作に限界があるのだ。
ただ、思考操作というのも難しい。雑念や奇妙なことを考えると、ダイレクトに影響が出る。
無論操作系に制御システムとしてマギプラスを噛ませ、致命的な飛行エラーだけは発生させないよう保守は徹底する予定ではいるのだが、それでも不安なものは不安になる。
ヴィレが現状当てにできるのはヴンダーとエヴァンゲリオン二機であり、欧州をL結界から開放する目処がない以上、ペーパープランとしては存在する、抗L結界人型決戦兵器ジェットアローンの量産も、生産工場の奪還と、人員補充ができなければ、夢のまた夢、夢物語。
他の戦力と言えば重力操演式の旧式船舶や無人VTOL、また各国戦闘機ぐらいのもので、これらは操演のみでは限界がある。アダムス組織移植によるシンクロでの総遠距離の延伸も試験してはいるが、その手の機体はシンクロ能力がある私達以外にはまず操演不能。
電波が通る環境ならばマギプラスによる自動操演もできるかもしれないが、高濃度L結界内部は条件一つであらゆる物理事象が異常を起こす、常識が通用しない地域である。
そして、その手の操演能力やら操縦能力やらを身に着けてほしい彼らは、それら複雑な操縦系を有する戦闘兵器に比べればはるかに原始的で扱いやすいはずの内火艇なのに、L結界もない、しかも封印柱で波が安定した、静かな海で、よりにもよって転覆。
大丈夫、なのだろうか。
そう思って振り向くと、シンジが私の不安を見透かした家のように答えた。
「誰だって失敗から学ぶものだよ。
僕だって最初の実戦はそうだった。誰だって最初は無様なところから始めるしかない。
いつまでも無様なままじゃ困るけどね」
そういって、ほんの少しだけ笑ってみせる。
「経験者は語るってやつ?」
「そういうこと。僕が初陣のときも、使徒の前で転んでも、案外なんとかなったよ。案外」
「常人に当てはめていい経験じゃないわよそれ」
呆れ半分、諦観半分。
私は深く感情の入り混じったため息をついた。
シートから立ち上がる。
「副長、艦橋をでる。
出迎えてくるわね。メンツ考えると、艦長より私のほうがいいでしょ」
「わかった」
艦長の声を背中で聞きつつ、肩を丸め気味に私は艦橋から出た。
本当に大丈夫かしらね。
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「多摩ヒデキ以下25名、ただいまとうちゃ……ぶぇぐじょい!!!」
代表らしい若者の一人が、到着の報告をしながら敬礼しつつ、盛大にくしゃみをした。
白ベストに黒いツナギのような全身インナーの、ヴィレ正規軍制服が、海水でずぶ濡れとなっている。
そして私はと言えば、彼の目前で彼の敬礼を受けていたわけで、くしゃみもろとも放たれたツバを、必然としてまとめて顔面に食らっていた。
えっとー、子供に見えるかもだけど一応上官なんだけど私。
昔の自分だったら確実に側頭部めがけて意識が飛ぶ威力のハイキックを放っていただろうと思う。
脳の中をぐるぐるするいろいろな感情が、脳裏の艦長の『そのうち慣れるから』、みたいな前に言われた言葉によって、とりあえず諦めの方向へと収束する。
ポケットからハンカチをだして顔を拭いつつ、こめかみに指先を揃えて当て、答礼を返した。
「……式波・アスカ・ラングレー中佐です。
本艦の副長を勤めてるわ。あなたたちの乗艦を歓迎します。
一ヶ月は練習航海の予定だから、早いとここの艦に慣れてね。」
うん、無難だぞ私。くしゃみぶっかけて謝りもしない男にグーが出ない。
褒めて。だれか私を褒めて。いやほんとマジほめてマジ。
つかこの下唇たらこのぼんやり若造はなぜくしゃみぶっかけて誤らずぼんやりしているのか。
いやまて、低体温ショックかなんかかなこれ、意外と温かい海でも身体冷えるって聞くものね。
青く塗装されたエヴァ弐号機から、搭乗用クレーンで降りて来ている途中の、白いプラグスーツ姿の少女の顔を見つめる。
「レイー、救助ミッション終わってすぐで悪いけど、バスタオル用意して。
風邪引かれても困るわ。ハンガーのN603倉庫、救難者用のやつー!」
「了解、副長」
小さい、本来は聞こえないようなつぶやきが、私の耳に『届いた』。
私は副長ではあるが、同時にヴンダーの主機担当でもある。
式波・アスカ・ラングレーという人の肉体と、ヴンダーという巨大な船の2つの肉体を同時に動かしているようなものだ。戦闘中ならともかく、いまは停止中であり、シンクロレベルは最低限で足りるので、主機へのエントリーへエントリーできずとも、各部動作維持には支障がない。
もとよりアダムスの体内なのだ。エントリープラグをもちいたより深いシンクロ制御は、戦闘速度の工場において必須とすらいえるけれど、平常時なら、艦内で問題ない。マギプラスから放たれる擬似脳波のアシストもある。まあ、年がら年中ヴンダーと全力でシンクロしていたら疲れてしまうし、シンクロ数値が危険域に達すると形象崩壊の可能性すら発生してくる。
それはそれとして、私はシンクロを用いて艦内各所の警備カメラやマイクなどから得られる情報を常に見たり聞いたりでき、このためレイのプラグスーツに仕込まれた喉頭マイクを通信回線越しに傍受することすらできる。いろいろと呪わしい身体ではあるが、こういうときは便利なものだ。
白いプラグスーツのパイロットは、私の指示もしっかり聞いていたようで、私が指示した倉庫に向かい、やがて台車の上に大量のバスタオルと毛布を納めたコンテナを山積みにして私たちのところまで押してきた。
毛布に関しては指示していないのだが、そういうところは意外と気が利くのだと、この10年で識りつつある。会ったばかりの頃は人形同然、私と同じネルフの繰り人形であり、逢うたび観るたびキレていたきもするけれど、もういい加減お互い、同じ釜の飯を食って長い。
単に知らないことに対して変な反応をするだけであり、実際のところは好奇心旺盛で、言動こそ朴訥で愛想がないものの、これで気立てがよく、色々学んだのか気がかなり効く。毛布までは気が至らなかったので、レイも優しくなったなー、と思う。十年一昔、とはこのことだろう。昔のレイではないのだ。
綾波レイは一通り新任たちに毛布とバスタオルを配り終えたあと、アスカ同様に新任士官たちへ敬礼した。
「……エヴァンゲリオン弐号機担当パイロット、綾波レイ。階級は大尉。
人手が増えて本当に嬉しい」
最後の言葉は実感なのだろう。
実際、ここ数年、エヴァを搭載しておこなうミッションも増えたが、実際人手が足りない。
良さそうな地域を見つけて封印柱を埋めに行くだけのミッションでも、物資運びからエントリープラグ清掃といった雑務まで、パイロットがやらねばならないほどの人員不足が極まった状況だったのだ。
なので、実際のところ人員が増えたのは、素直に嬉しい。……今回のようなヘマ連打されたら、逆に仕事が増えちゃいそうだけど。
転覆した内火艇の格納(ひっくり返った以上電気系は一通り見る必要があるだろう。今の人類にとっては、まともに動くエンジン付きボートの類すら大切なのだ)を終えた8号機からも、ピンク色のスーツをまとった少女、というには年重の、しかし女というには若い女性が降りてきて、新任士官に駆け寄ってくる。
「真希波マリ、エヴァンゲリオン八号機担当パイロット。階級は綾波さんと同じく大尉だにゃ♪
よろしく♪」
こっちはというと、特に敬礼はせず、楽しそうに手を新任士官に振っている。
ブリッジクルー全員が規律の大切さを確認したあとで、規律もクソもない態度を取られるとやんぬるかなという気持ちにもなるが、真希波マリという女にそれができるわけがないというのは、この10年でヴンダーというか、真希波マリに関わった全員が理解していることだ。
いつだってマイペース。ブラックホールに吸われても徒歩速度をやめないマイペース等速移動女。
まあ悪い人間ではないが、他人に対して独特の距離感があり、なんというか面白く、しかし疲れる女性でもある。得意技がうざがらみなのでそういうやつなのだ。かといって嫌悪したくなるようなことはしてこないので、妙な人生経験の豊かさを感じさせる女性でもある。エヴァパイロットとしての腕もよく、狙撃から白兵戦までそつなくこなす。ただいきなりATフィールド噛みちぎりだすのは引いた。
ATフィールド周りの技術は、パイロットの心理が強く影響がでるものであり、人によってアプローチ、破り方は色々と異なってくる。両手で開くように押し開いたり、叩き切ったりするのだが、彼女の場合エヴァで噛み付いてゴム膜かなんかのようにぶちぶち引き裂いていくのでわりとえげつない。獣か、みたいなところがある。そういう人なつこさと凶暴性がともなうところまで、どこか猫っぽい女性とアスカは評価していた。
レイとはルームメイトで、ふたりとも本の虫であり、二人の部屋には死ぬほどの量の本がみっしりと詰まっている。無論戦闘機動をすると部屋の中を本がGで乱舞してえらいことになり、ベルト保護しなさい本棚なんとかしろ断捨離しろと言っているのだが、わりとふたりともそういうのを気にせず、床がいつもほんの洪水である。私が同居してたらどうなったのだろう。たぶん本に追いやられ、サラミみたいに本につぶされていたのだろうか。いや現実逃避している場合じゃなかった。
私はしんどそうに体を拭いたり、寒そうに毛布にくるまる新任士官に向き直った。
「ヴンダーは全長2キロの超大型艦艇、物資不足の時勢だから、移動ベルトや、エレベータ含めた移動設備も充分でなし。
無重力空間での作戦行動も想定されるから、二次元的じゃなくて三次元的に艦内を把握しとくと後々楽。
で、無重力時の移動通路は無重力前提だから、有G環境を想定してないから、近道したいからってハッチこじ開けて通らないように。穴に落ちて転落死しても保証できないからね」
「「「了解」」」
寒いせいなのか、地なのか、あまり覇気のない返答が返ってくる。
うーん蹴りたさ。人類の存亡が双肩にかかってるってわかってんのかこいつら。
果てしなく湧き上がってくる本能的なアレを噛み殺しつつ、私は説明を続けた。
「それと、お風呂はないけど共有のシャワーはあるから、身体ふいたら早いとこ着替えて温まりなさい。
ホントは艦内案内とかもすませとこうかと思ったけれど、艦内で風邪引かれても困るから割愛。
士官クラスは二人で一部屋二段ベッド、曹長以下は3人一部屋三段ベッド。
大きい船だけど狭くなるのは許してね、いろいろ詰まってるから居住区画拡張するのも大変なのよこの船」
そう言いながら見回すが、やはりどっかしら目に覇気がない。
現代っ子ということなのだろうか。ただ、事故直後ということも有るわよね。
世代的に、ニア・サードインパクト以後生きるためだけに必死だった世代だ。
泳ぐ練習なんてしたことがなく、まして海なんて全く知らなかったのだろう。
昔のイギリス海軍の水兵みたいなものよね、まあ死人が出なかっただけまし。
そう思い、まずは部屋で休んでもらうのが先決と考えた私は、
「それじゃあ、なにか質問ある? なければこれで解散で──」
歓迎の言葉を締めようとして、不意の挙手に遮られた。
「副長さん。鈴原サクラ少尉です」
真顔だった。顔がこわばっている。その眼差しに、なにか、決意のようなものを感じさせた。
鈴原、という名字が記憶を刺激した。面立ちに、なにか懐かしいものを感じる。
ああ、あいつの。そう言えば名簿にあったわね。
「一つ、質問、よろしくありますか」
こわばった決意の顔。
私が何者であるかを知っている顔。
自らの心の中の気持ちを整理できず、我慢もできず、ただ問わずには居られない顔。
ああ、いつものか。
私は、内心で諦めながら口を開く。
「構わないけど」
「はい。
副長と、艦長の、第一次ニア・サードインパクトについての見解を、お伺いしたく思います」
僅かに関西弁のイントネーションを含んではいるも丁寧な口調。
けれど、眼差しは、強い。聞かずには得られないという気持ちが、眼光に見えるようだった。
過去のトラウマ、突然の人生の絶望的かつ不可逆の変化、それを齎したトリガーたる存在への率直な疑問。
エースへの質問ばかりだった大学時代とは逆角度だが、似たようなものだ。
正直に言えば、苛々する。
私を観る気がない質問。自分のことしか考えてない、相手を考えていない質問。
自分が納得する気しかない質問。少しだけ、昔の自分が顔を出す。
一瞬迷った。けれど、副長であるならば、その問いに応じなければならない。
「鈴原少尉。申し訳ないけれど、そうした個人的疑問に対して答える場ではないわ。
それに、どう答えても、貴方は納得はしないでしょう。だから、解答はしない。
必要ないもの」
その言葉に、鈴原サクラ少尉の表情がこわばった。目つきに一瞬怒りが走る。
けれど、鈴原サクラの返答より先に、別の女性の叫びが走った。
「必要? あるにきまってんじゃん!」
女の甲高い声音。明白な怒りを孕んだ、自分の感情に飲まれた声。
髪をピンク色に染めた女が、眼光の敵意を隠す気配もなく、私のことを睨んでいた。
「……貴女は?」
「北上ミドリ。あんたらが起こしたニアサーのせいで、私らの家族全員死んだ口。
たしかに、あんたにとっちゃ珍しくもないし、だから答える必要がない、そう言いたいわけ?」
ああ、あんたが。あの。それなら、そうなるか。
「サクラも両親死んで、私ら全員、あんたらのせいで人生めちゃめちゃなんです。
私やサクラだけじゃない、ここにいる全員、あんたたちには色々思うとこあるわけ。
この真っ赤な地獄みたいな世界を生み出しといて、答える必要がない。
あー、キミツジコーってやつですか? いいですよね上の立場って。不都合なことは黙ってればすむ。
そういうの、チョームカつくんですけど」
ああ、もういい。それなら、期待通りに踊ってやる。
とはいえごめんなさいで平身低頭して気が済む連中じゃない。
目の前で拳銃自殺したところでこの手の感情はどうにもならない。
だから、期待通りに踊ってやる。こいつらが期待する、その逆位相。ある意味、こいつの想定通りの私を演じてやる。
「別に?」
「は!?」
「だから、別にって──」
売られた喧嘩を買おうとして。
直後、目の前に通信用ホログラムが出現した。
エヴァにも搭載されていたホログラムを、艦内通信用に移植したものだ。
『副長。僕が代わる』
無論、顕れたのはシンジだった。
私より嫌われ、私より憎まれる、ネルフ本部首魁碇ゲンドウの息子であり。
そして、私より、畏れられている。
一瞬、北上ミドリの目に狼狽が走る。
歴戦のヴンダー艦長としての覚めた碇シンジの眼光は、その怯みを見逃さなかった。
『感情任せの問答になると面倒だからね。誤解されてこじれられても困るから、僕が代わるよ。
碇シンジ大佐。空中戦艦AAAヴンダー艦長。君たちの乗艦を歓迎する。
副長の言葉だけれど、彼女が言ったとおり、どう答えたところで、君たちは納得しないと思う』
そのままシンジは、直球で、まっすぐに。
どうせ相手は自分が好きなようにしか受け取らない。
だからこそ、事実だけを投げつけていく。
『この状況はゼーレ及びネルフによって仕組まれていた。そして、僕らはそうなるよう仕組まれた存在であり、意図せずして世界の現状を招いた。踊らされていた人形だよ。君の言うとおりに。
けれど、気づいた以上、ゼーレやネルフの木偶で居続けるつもりは、僕らにはなかった。それから10年、こうして闘い続けている。結果、人類は絶滅を免れ、いまも生残を続けている。これは事実だ』
ヴィレの汚れた英雄、ニア・サードインパクトの最初の引き金を引いたもの。
しかしそれが仕組まれたものであると気づいた後、空中戦艦AAAヴンダーを操り、あらゆる脅威を殲滅し、第3新東京市をめぐり戦争状態へ突入した各国軍及びヴァチカン条約無視の複数のエヴァを殲滅、第3新東京市市民が脱出する時間を稼いでのけた。
そして、ゼーレの暗躍の果てにセントラルドグマに投入された、自動操縦式へと改造されたエヴァンゲリオンMark.06により、サードインパクトが再発動した際、突入を辞さず、発動したサードインパクトは完全なるものとはならず、『アスクレピオスの杖』作戦によって構築された生存圏を破壊するほどの圧を、地球上を満たすL結界は得ることができなかった。
そして、第3新東京市での戦闘状況が終了してからはヴンダーおよび、各種操演艦隊を最大動員して各地の生存者を避難所たる生存圏へ移送し続けた、生命の救い手であり、今を生きる人間を救った本物の英雄。
少なくともヴィレが発行するサードインパクト関連の各種情報資料では、そういうことになっている。実際には、人類を救ったのは、私達では、ないけれど。
けれど、艦長は構うことなく言葉を連ねる。
『僕はわからないが、式波副長がヴンダーの主機役を務めなければ、そもそもヴンダーはまともに動かなかった。おそらく第10の使徒との闘いで、人類は滅亡していたよ。
あれから10年。今までの闘いで、あまりにも多くの犠牲が発生した。
けれど僕らも君等も生きている。そして、生きている以上、僕は諦めない。絶対に。
この言葉を君たちがどう受け取るかは、自由だ。
無論恨み続けても構わない。それも自由だ。
ただ、手は抜かないでくれ。この艦には人類の命運がかかっている』
そして、シンジは感情をこめず、しかし一人ひとりの新任士官の瞳を見つめながら、語った。
『明日生きることより私的復讐を望んで乗艦したのなら、今すぐこの艦を降りてほしい。
それはゼーレとネルフが片付いてからでもかまわないだろう。
諸君らの奮励努力を期待する。以上だ』
シンジのホログラムが敬礼し、答礼をまたず、かき消えた。
重い沈黙が、格納庫内に満ちる。
迂闊だった。10年人のために戦ってきて、成果も上げてきた。
それでも憎みたい奴、憎まないと生きていけないやつは憎む。
「……私の言いたいこと、全部艦長に言われたわね。
副長としても以上。私と艦長は10年一緒にやってきた。
それが積み上げてきたものをみて、認められないなら退艦したほうがいいと思う。
戦争が終わったその後なら、私的復讐にはいくらでも付き合う。
それも艦長と同じ。
副長からは以上。
各自、思うとこいろいろあるだろうけど、ともかく風邪引かないうちにシャワー浴びて着替えて休みなさい。明日からは色々ハードだから覚悟するように。
戦艦ぐらしが楽じゃないってこと、骨身でおぼえてもらうからね。
いい? では解散!」
私が先に敬礼した。
そして漸く気づいたのか、全員が私に答礼する。
戸惑いの気配はあったが、漸く目の前の14のガキが、自分より遥かにキャリアのある上官だと認識したらしい。悔しいけれど、これは自力ではなく、艦長のさっきの言葉の圧のお陰だろう。
なまじっか優しくやっても、だめか。
むずかしいわね、人を扱うって。ったく。
まあ、だからシンジが艦長で私が副長なんだし。
ていうか、見ててくれたのか、あいつ。
気にしてくれてたのか。
信頼されてなかったのが悔しいような、心配してもらえていて、危ないところを助けてもらったことへの嬉しさもあり、複雑な気分になる。
敬礼を崩し、身を翻して歩み去ろうとして、ふと肩を叩かれた。
甘い女性の匂い。おおきなおっぱいが背中に当たる感触。
「おつかれさんだにゃー。
まあ、難しい年頃だし、副長は見た目が見た目だからしょうがないかもね。
でもま、ちょっと妬けるかなー。夫婦仲いいねー奥さん♪」
「奥さんゆーな」
苦い表情で返す。
真希波マリという女、私のことをともかく奥さんとしか呼ばないのである。
シンジはわんこくん。レイだけ綾波さん。
なんでレイだけさんづけなのか。
つか艦長にわんこくんはどうなのか。
突っ込んでもなんかどうあがいてもわんこくん呼ばわりだしシンジは普通に流すのでなんかイライラする。
真希波マリ相手だからしょうがないというのはこの10年でよく理解したとはいえ、なんかくやしい。
あれか、他人を馬鹿にしたあだ名で呼ぶ癖があった中二時代の私のアレを真似してるのか。
まあ、そうやって『奥さん』呼ばわり一発で、さっきの新任たちとのギスギスした感じが心から少し消えてくれたので、なんだかんだそういうのがわかるのが、真希波マリという女のいいところなのだ。
なんだかんだ、多分新人士官の面倒も見てくれたり見てくれなかったりするのだろう。
見たくないときは見てくれないのが困りものなのだが、まあこれも真希波マリだからしかたないのだ。
少しだけ思い出した昔のギスついた私が霧散する。
思い出す。
私だって、切欠は三号機事件で、それからわりとものの観え方が代わるのに何年もかかった。
いきなり相手が変わるのを望まないのが多分大事なんだ。
慌てず騒がず、即座に成果がでなくても、じっくりと物事を育てていく。
人でもモノでも、いきなり変えることは難しいのだ。
だから、あの子達も今は敵意に満ちていても、そのうち変わってくるのだろう。
私も変わり、シンジも変わり、レイも変わり、マリも変わってないようで実は変わっているのかもしれない。
真剣に、でも楽天的に。我をうしなわず、怒るのは自分のストレス発散じゃなくて、必要な時に。
私もまだまだ副長として勉強途上だ。
でもそのうちいつかとどく。
それぐらい楽天的に行こうと、艦橋へのもどり道、少しだけ考えた。
=====================================
「……なによあれ……まるで取り返しつくみたいな言い方じゃん」
一人、また一人と自らに与えられた部屋へ去る一方、北上ミドリは一人格納庫に残り、呪詛を吐き続けていた。
誰が聞いているわけでもない。だが言わずにはいられないのだ。
「諦めないって、何様よ!! L結界で死んだ植物、パッと見は生きてるようだけど全部死んでるんですけど!! 枯れてるんですけど!! 封印柱でL結界を退けても、そこにあったいのちは戻らないって、私達が知らないとでもおもってるわけ?! 馬鹿にしてんの?!」
大切な人がその日のうちに消えて、たまたま自分は助かって、けれど食べ物が一日三食から一食になって、そのうちもっとひどくなって、人にも言えないようなことをして。
あの英雄様たちはなんなのよ。私がクソみたいな生活して、ひたすら辛い時に大暴れして、そりゃアイツラのお陰で助かったのかもしんないよ、でもさ、あいつらはたぶん食べれてたじゃん、立派な戦艦に乗って、戦って、食べれてたじゃん、食べれなくて死んだ人たちだっているのに。
あいつらその人達も取り返しつくっていいたいの?
原因創ったの自分たちのくせに!
壁を殴りつける。何度も。何度も。
拳が痛い。けれど心はもっと痛い。
まだ目が覚えている。いなくなった大切な人たちのことを目が覚えている。
見える気さえするのに、二度と会えない。
その痛みが、あまりに痛くて、だから壁を殴ってしまう。
この痛さで私の心と身体の辛さ、全部消えてしまえばいいのに。
けれど。
不意に、壁を殴りつける彼女の拳を。太く大きな指と手のひらが受け止め、止めた。
「お前の気持ちも、わかる」
筋骨粒々とした、スキンヘッドの、いかつい壮年男が、彼女を見ていた。
憐れむ目つきではない。彼女の気持ちを見ていると、ミドリは直感した。
「だが、艦長たちの言うことも事実だ」
その上で、彼は碇シンジの肩を持った。
心が、濁る。昏い方向に。
「誰」
「高雄コウジ少佐。機関長を拝命した。今しがた第二便でついたばかりだ。
この艦の艦長と副長に命を救われたヴィレクルーの一人だよ」
「命を、救われた?」
ミドリの言葉に、高雄コウジと名乗った男は、懐かしげに虚空に視線を泳がせた。
「そうだ。第3新東京市戦役。あれは世界全ての軍隊が、ネルフ本部のリリスを狙って起こした戦争だった。
それぞれの御大層な『人類補完計画』とやらを達成するための殺し合いだ。
故に俺たちヴィレは、同調するネルフ職員とともに決起し、補完計画発動を阻止するため戦った。
だが、戦略自衛隊は方針が定まらず、各国軍隊の攻撃は熾烈を極めた。
ネルフ本部内部での戦闘も、事実上の同士討ちだ。
識別のために腕に緑のバンダナを巻く必要があった。
昨日まで同じ釜の飯を食っていた仲間を殺さなければならないやつも居た。
そしてそういう辛さを一番背負ったのが、碇シンジ艦長だよ」
「……どういうことよ。辛さを背負ったって」
「本艦の主砲は20インチレールガン。2トンの巨弾を超音速で正確に、空中から目標めがけ投射できる。
我々の血路を拓き、脅威を排除するため、艦長操るヴンダーは道を阻む全てを、20インチ砲弾で粉砕した。
徹甲弾、榴弾、あらゆる方法でだ。
歩兵や戦車を師団単位で吹き飛ばし、かつて本部で共に努めていた、しかし今は敵対する仲間を殺して、俺達の蜂起の成功と脱出まで導いた」
訓練過程で嫌になるほど聞かされた、ヴィレ決起時の、碇シンジと式波・アスカ・ラングレーの英雄譚。
原罪に汚れた人類を清めるためのインパクトの滅び、赤き死の洪水より人類をすくい上げた方舟の主。
本来は『贖罪』の名を与えられていたこの船の名を否定し、『奇跡』、ヴンダーと名を改めたのは、式波・アスカ・ラングレーであったという。
罪なきものなどこの世になく、故に人にもケモノにも贖う必要もなく。
神を畏れ洪水より逃げる方舟ではなく、神の糾弾する罪を否定し抗うために武装としての神殺しの方舟。
故に、ヴンダー。可能性が無限大に低くとも諦めぬという決意の名。
すなわち奇跡を諦めぬという絶対の意志の具現として、彼女はその名を船に刻んだ。
そのときのことを、眼前の男は思い出しているのだろうか。
「たしかに、成功とは言えんかもしれん。ニア・サードインパクトは再開してしまい、世界の多くがL結界に沈んだ。そういう意味では艦長たちの努力と覚悟は、徒労におわったのかもしれん。
……だがな、嬢さん。お前さんは生きてる。俺も生きてる。
あの日の艦長の決断と行動がなければ、そこで終わりだったんだ。
それがわからんわけでもあるまい。そうでなければこの艦に乗ることを志願なんてしない。違うか?」
「……」
答える言葉を思いつかない。
けれど同意したわけでもない。相手もそれは分かっているようだった。
だが、その上で、こう考えるものも居るのだ、というのを、彼は伝えたいようだった。
「失ったのは、お前さんだけじゃない。艦長も、副長もだ。
恨むなら、何も知らなかった艦長や副長ではなく、ネルフと、その上層組織のゼーレを恨め。
相手を間違えるんじゃない」
「でも」
そう。そんなことはわかってる。でも。
言い返そうとして、今度は別の声がミドリを止める。
「ミドリ、もうええよ」
「サクラ……」
鈴原サクラ。
最初に質問を発した彼女は、兵科こそ違うとは言え、訓練生時代からの仲間同士だ。
「うちの父ちゃんも母ちゃんも目の前で爆ぜてもうた。
艦長の言葉がほんまに信じられるか、それを見極めにきた。
わたしはそうやし、ミドリもそのつもりやったのと違うんか?
それに、嘘とばかりも言い切れないとおもうんよ。
私も、一度、艦長に助けられとるし」
知っている。
よく聞かされた話だ。
子供の頃、まだエヴァに乗っていたころの碇シンジに彼女は助けられたのだという。
しかしそのとき、てひどい怪我を彼女は負った。
手術には成功し、無事退院という日、それは起こった。
ニア・サードインパクト。
碇シンジが発動させた、地獄の始まり。
そこから始まった混沌が全てを飲み込んだ。
彼女を助けてくれた医師も看護婦も、医療システムも、全てニア・サードインパクトとその後の地獄に飲み込まれてしまった。だから、彼女は碇シンジを憎もうとした。
だが、それは違うと兄に諭されたのだという。
あいつがおらんだらおまえは死んでたいうんは、お前のいうたことやないか
あいつががんばった、だから、ワイらはいきとる。そこ履き違えたらあかん。
そう言われても、やはり彼女は、納得しかねる部分があったのだという。
彼女を助けてくれた病院や医師、看護婦、たべられて当たり前だった食事があったなら助かった人々が大勢死んだのだ。其れを彼女は見たのだ。
そして兄が、医師がいないならと、ヴィレが配布した薬物の分配役となり、やがて医師のマネごともはじめ、手当の甲斐なく死んでいく人々の哀しみと、怒りを一身に受け続ける姿を、だれやって苦しい時代やからこそ、そういう人間が必要やからなと。
苦しみと哀しみ、怒りを引き受けながら、それでも誰かを治し続ける道を選んだ兄の姿を見て、では殺し続ける碇シンジはその対極ではないのか、彼は誰かを救ったと本当にいえるのか、兄より立派な人間なのかという、強い疑問が浮かんだのだという。
「……」
北上ミドリは、沈黙する。
「ミドリだけと違う。この船に乗り組んだ皆、艦長と副長には、思うところがある。
でも、あの人達がうちらを助けたのも事実。そして仇なんも事実。
恩人で仇であるあの人が、今も闘い続けとる理由。
少なくともうちはそれを見に来た」
そして、鈴原サクラは、艦長のホログラムが投影されていた、今は虚空の空間に、視線を投げた。
「子供の頃、写真でみたときは、もっと優しい目をしとったし、気弱で、自信なさそうな顔やったよ。
もう、ぼんやりとしか覚えとらん。けれど、強さよりも、なにか、優しさで戦っとるようやったと兄は言っとった。それが、今は、ああいう顔をする。強い、顔やと思ったよ。人間、10年も戦えばあないな顔になるんかね。人というより、兵器に半分心がなってもうたような顔。厳つくて冷たい顔やった。
そうなるだけのことが、10年前にあった。だから、ああなってもうた。
問題はそれの是非。艦長がああなってまで何を願うか、何をしようとしとるか。
理由は違うにせよ、ミドリもそれを見極めに来た。そのために志願した。
このヴンダーを。競争率半端ないのを、必死で努力して、クルーになったんや。
だから、見極めるまでは、よしや。な?」
何も納得できていない。
けれど、続けたところで意味もない。
北上ミドリは、一旦、鉾をしまうこととした。
その仕舞った鉾にきづいたのかどうか、高雄コウジが再び口をひらいた。
「世界がこうなった以上、誰の腹の中にだって辛いものはある。
だが、俺達はその腹のものの苦しみを吐き出すために来たんじゃない。
人類の腹の中の苦しみの源を掻き出しに、病根を打ち砕くためにこの船に乗ったんだ。
お互い色々あるだろうが、そこだけは共有できる感情のはずだ。よろしく頼む。
それでは、またな」
「高雄少佐、了解です。
機関科はN2リアクター含め、激務や聞いとります。科員の人が倒れたら、いつでも頼りにしてくださいね」
鈴原サクラが、ほほえみながら高雄コウジに敬礼した。
高雄コウジも、中年男の太い笑みを浮かべながら、ややぶっきらぼうに答礼を返す。
「了解だ、鈴原少尉。そちらも激務なはずだ、なるべく互いに負担をかけんようにしよう。
よろしく頼む。それじゃあな」
「はい。ヴンダーの主機と補機はヴンダーの生命線です。よろしうたのみます。
それじゃ、ミドリ、行こか」
「……うん」
言葉を返し、サクラについていきながら、北上ミドリは思うのだ。
そう。
たしかにみんな家族を失って、私が助かったのは、艦長たちの行動のおかげかも知れない。
けれど、私の家族は、あの人のせいで帰らなかったんだし。
それは絶対事実だし。そのことだけは絶対許せない。
みんな、時代のせいだ組織のせいだっていうけれど、あいつの手が血まみれの、とんでもない虐殺者だってことわかってんの? 英雄なら人殺ししても許されるわけ? 私、そういうの絶対嫌なんですけど。
それになにより。
あいつはそこにいたのに。
わたしの、たいせつな。
おねえちゃんは──
とうとう、目から溢れる。
歩きながら。
北上ミドリは、今はもううしなわれてしまった、たいせつなひとの柔らかな笑顔と、暖かな手のひらが頬を撫でる感触を思い出す。
忘れたくても忘れられない。
忘れてなどやるものか。
あの柔らかさを、優しさを、暖かさを、うばわれたことを忘れるものか。
歩みを止めず、声を押し殺しながら、ただ号泣した。
許さない。私は、絶対に──赦さない。
=====================================
疲弊しきった表情で、私、式波・アスカ・ラングレー副長は艦橋へ戻った。
恨んでる人は恨んでると聞いたけれど、わざわざ私の居る艦選んで呪詛りにくるってのは……こう。
まあ許せないやつは絶対許せないだろうし、そりゃそうだだろうけど。
「……こうも荒れてる子がいるってのは想定外だった。
いや、乗らないでしょとか甘く見てたかも。
シンジ、フォローさせてごめん」
艦長席を見上げる。
シンジが私をみた。少し、遠い目をしていた。
自分が関わった戦火の過去を、見てでもいるかのように。
「人がたくさん死んだ。恨まれる時は恨まれるよ。
僕だって父さんを恨んだ。なんてことをさせたんだって。こうなるのを知っていたのかって。
でも、それでは何も解決しない。行動でしか解決できない。
分かってくれる人は、分かってくれるよ。
高雄さんだって、分かってくれたんだし」
「そういや、高雄少佐、第二便だったわね。
挨拶しそびれちゃった。N2リアクター周りの運用、楽になるわねー。
まあ、出会いは最悪だったけど。
封印柱付き強襲艇でシンクロ中に突き刺さってくるからいやほんと……」
「加持さん、怖かったよねあの時」
「いやあんな余裕ない加持さん初めて見たわよ。
もう一生見ないっつーか、見たくないわよね。勝てる気しないわ本気加持さん」
二人して、笑う。
辛い昔を昔話として笑うというのも、辛さを受け流す方法の一つであるというのは、わたしたちの一つの方法論だった。
日向戦術長が、私達を振り返る。
「気持ちと憎しみは、言葉ではどうにもなりません。ただ、少なくともあの日決起した人々や、艦長や副長のお陰で拘禁から開放された人間は、お二人に感謝しています」
「あ、いや、いいけど……っていうか、さっきも言ったけど、なんかやりづらいわね。
私のほうが日向さんより上官だと。
前は私がパイロットで、日向さん達のオペレートに従う立場だったのに」
私の言葉に、日向が首を振る。
「私としても、やりづらくありますが……しかし、かつてのネルフと異なり、ヴィレは軍事組織としての体裁を取っております。かつての司令施設のようなやり方はできません」
「自分も日向に同意です。
あの様子を観る限り、艦長や副長への反感から、反乱を起こしかねない者もいると判断します。
相応に引き締めてゆく必要があるかと」
青葉シゲルが、日向を見てうなずいた。
「青葉戦術長補佐にそう言われるとね。
一番そういうの似合わない人だけに」
「時節柄ですよ。俺だって、もう少し楽にやりたいし、昔の空気を懐かしむこともありますが……状況が許さんでしょう。
葛城総司令が艦長と副長にこの艦を託したように、俺たちも艦長と副長に命を預けています。
一蓮托生ですよ」
「そ。ありがと」
私の言葉に、青葉が微笑む。
「それにしても副長どの、これは私語ですが、隨分柔らかくなられましたね」
どこか、おもしろそうな目つきで青葉は私の事を見ていた。
無理もない、と内心思う。
客観的に見れば、たぶんエリート意識むき出しの余裕のない鼻持ちならない女だったろうから。
内面は違うのだけれど、その頃の私は、そういう弱さを他人に絶対に見せないよう振る舞っていたし、他人に近づかれすぎても厭だったし、意図的に遠ざけるような振る舞いをしていたと思う。
振り返れば、精神に余裕がなくなるように、あえてデザインされたような幼少期であり、訓練経験であり、いらないいのちとして選別され捨てられる、『居なくなる』のが恐ろしくてたまらなくなるようしくまれていた。生まれが生まれ。しかも生存確率100分の1以下のゲームを10年以上。
心がおかしくならないほうがおかしい。
それを、誰にも言えないし、言わない。
どうせ言ったところで分かってもらえないから。
だから、一人で閉じこもる道を選んだ。
せっかく鳥籠からでたのに、自分で鳥籠を作って、閉じ込めてしまった。
エヴァンゲリオン弐号機も、鳥籠なんかじゃないのに、自分で鳥籠にしてしまった。
そこしか居場所がないと定義してしまった。
出口のない鳥籠の中には、いつしか鬱屈した想いが満ち満ちていた。
ただそれは、第3新東京市を訪れてからの日々で、少しずつ内圧を弱めていったのは確かだ。
問題は、抜けきる前に、あの三号機事件が起きてしまったことなのだが。
ただ、それは呪詛であると同時に、有る意味福音でもあった。
「なんていうか、ほら、あれ、腹にいろいろ溜め込んでただけだから。自覚ゼロで。
吐き出すだけ吐き出したら、なんかスッキリして。
そんなかんじ。吐く相手ほしかっただけなのよ。そんだけ。
二日酔いみたいなもんよ。とりあえず吐けばスッキリするやつ」
「どういう例えですか……」
「私の左の目玉に居る奴が、艦長と一時期脳みそつなげやがったもんだから、こう、否応なしにおえーって全部シンジにね。
いやそういう意味ではシンジのゲロも私が全部ひっかぶったんだけど。
疑似補完っっていうか、自他境界があの時曖昧だったからね。
あんまり気分がいいものじゃないし、他の人に体験してほしいもんでもないわねアレ。
他人に見せる必要ないものって、他人に見せる必要なってのがよく分かったわ」
私はその時のことを振り返った。
多分一生覚えているだろう。
私にとって、いろいろと曰くいい難い現象だったとおもう。
他人が自分で自分が他人、他人を罵る自分を他人視点でみるというのは得難い経験であり、体験したくなく、今振り返ってもあのときの自分にはドン引きした。使徒に感情を励起されて壊れてたというのもあるのだろうけれど、なんかこうお互い殺すーみたいな感じで殺し愛みたいな体験はもうしたくない。
質の悪いドラッグをキメて、バッド・トリップに入れば、また同じ体験ができるかもしれない。いえその手のドラッグを使ったことは一度もないし、今の体になってからは、ユーロ空軍時代のように、疲労をごまかすためのデキセドリンといったアンフェタミン系の除倦剤を使って目を覚ましつづける必要もなくなった。要するに二度と経験したくないのだ.
挙句の果て、好きでやらかしたわけではないにせよ、世界も自分自身も滅茶苦茶なことになり、シンジともども1ヶ月ぐらい封印部屋送りになる有様になったので、本当に散々だったと思う。
発見時、私もシンジもよほど滅茶苦茶な状態だったらしく、とくに伊吹マヤ整備長にはトラウマだったようで、私とシンジが回復し、いろいろあったあと再会したら、挨拶代わりにトラウマ嘔吐されたのは思い出だ。青葉戦術長補佐曰く『グロ画像』だったそうである。艦長も私も、その時の記録画像は未だに見ていないというか、ネルフ本部を巻き込んだ10年前のドタバタで、画像データが失われてしまった。とはいえ、別に見なくていい類のものだろうし、見ずに済んでよかったのかもしれない。
「マヤちゃんしばらくトラウマで二人の顔みれなかったもんな……っと失礼、油断すると口調が戻りますな。
過ぎた話でした」
「そ、過ぎた話」
不意に、シンジの座席脇コンソールからアラートがなった。
シンジがモニタに目を滑らせる。
その顔が、曇った。
「今報告読んでた。よくない話がきたよ。
オアフ島観測所より通達、周囲のL結界に変動周波数値を観測とのこと。
おそらくMK4シリーズ航空特化型、数は推定不能。
時空振探知から、おそらく複数の飛行群が本島めがけ接近中」
新人が来たばかりのタイミングで?
内通者?
いや、それはない。『人間』をつかうことを、ゼーレもネルフも久しく止めている。
とすれば、何か他の原因があるはずだ。
意識を足裏に送る。床下構造材の下の、アダムスの器の材質へ思いをとおし、私とヴンダーをつなげ、さらにマギプラスの演算機構へと私を連結する。
マギプラスは、ネルフ本部にあったマギタイプコンピュータの独自改修版であり、私とシンジによる同時シンクロを目的として、第3新東京市戦役以後に追加増設したものだ。
異なる私の疑似人格からなる3ユニット、同様に異なるシンジの疑似人格からなる3ユニットを連結した第7世代有機コンピュータであり、本来「異なる自分」どうしの討議によって演算するシステムに、「他人」として対のユニットを増設することで、更に演算能力と状況判断速度を向上させたものである。
私とシンジの同時シンクロによるヴンダーの、戦闘速度向上の要となるユニットであり、ATフィールド推進や重力制御に依る空間歪曲推進等、ヴンダー以外では困難な推進法による推進を、高効率高精度で可能ともする、ヴンダーにとっては私とシンジ以外のもう一つの脳とも言える。
そのマギブラスが、僅かな重力振と時空振をL結界から探知、それらを量子演算機能で一気に算出し、敵の概算位置と数を叩き出す。出力されたのは、クソみたいな数字だった。
「……少なくとも3個群、300以上か。
量子フィールド迷彩をかけてたのに、ヴンダーの位置を気取られるなんてどういうことよ」
私の無意識の呻きに、青葉戦術長補佐が答える。
「内火艇収容時にエヴァを運用した際、固有ATフィールドのL結界干渉を逆探知されたものと思われます」
エヴァか。有り得る話だと思う。
あらゆる生命がATフィールドを持ちうるこの世界において、エヴァのATフィールドは極めて出力が高く、なんとなれば空間・光学観測すら不可能とするほどなのだ。
そういうものであるために、エヴァのパイロットは、エヴァの肉体を動かすため、アシストとして身体各部をアダムスやリリス由来の筋肉だけではなく、補助として無意識にATフィールドを力場として使用してしまうことがある。
そういう意味合いではヴンダーのほうがよほどATフィールドの出力が高いのだが、フィールド表面に観測欺瞞するための量子変質を行わせることで、この種の探知から艦の位置を欺瞞することが可能となっている。第8の使徒が用いた欺瞞方法のの応用かつ発展形なのだけれど、フィールドの周波数帯が違う弐号機と八号機のフィールドがL結界にわずかに干渉した可能性が高い。
フィールドが揺らした、僅かな時空の振動をおそらくオアフ島沖、封印柱の武庫川で偵察を行っていた、44Aのいずれかに探知されたのだろう。なにしろ連中、数だけは気持ち悪くなるほど居る。探知情報をL結界圧で伝播され、それこそ世界中からあつまってきたのかもしれない。
「やられたわね……」
舌打ちする私に対し、シンジはあくまでも冷静だった。
「問題ない、量子迷彩の存在を前提として、44Aの無限に等しい航続距離を利して十重二十重に警戒網を敷かれていた以上、わずかでも本艦が動けば探知されてたよ。
本艦が囮となれば人類生存圏から連中を引きはがせるだろうね。
特定の匂いに飛びつくように仕込まれた連中だ、この機に殲滅し本艦の行動の自由を確保する。
未訓練の新入りの皆には悪いが、転びながら覚えてもらうしかない」
「あんたみたいに?」
無茶を言う、と内心思う。
同時に、新入りたちが気の毒になる。
こちらの手持ち戦力として数えていいのはヴンダーとエヴァ二機程度。
重力操演で使える艦艇がパールハーバーになくもないが、これはそれら艦艇を保有する現地ヴィレ支部やクレーディトに許可を取る必要があり、こちらが使用できるようになった頃には、もう手遅れとなりかねない。
あとは操演用無人VTOLが40機程度、ただこれは実質気を引くための猫騙しみたいなもので、的に対しての致命傷はおそらく与えがたい。無論、使い方一つにもよるのだけれど。
ただ、むしろ艦長はこれを、訓練経験を実戦につなげさせる好機だと思っているようだった。
どうみてもぼんやりしてたあいつらをいきなりエヴァ300機に晒すというあたり、思い切りがいい。よすぎる。同じ釜の飯を食って10年。付き合っていいかげん長いけれど、こいつはたまによくドSになり、そしてそのことに自覚がない。中学時代はこんな子じゃなかったのに。
まあ、実際のところ、人は成長するものだし、一度成長した人格を、もとに戻すことなんてできない。
それに、今更14才の、無垢で壊れたシンジに戻られても、困る。覆水盆に返らず、事象は何事も不可逆的。時の流れという因果律から、人はそうそうのがれられるものではないのだ。
そのことを示すように、艦長はうなずく。
「こういう時代だ、どこかで訓練経験を実戦に結びつけるしかないしね。
遅いか早いか、それだけじゃないかな。
それに、僕だって、初めてエヴァにのったとき、訓練もなしで使徒を倒せたし、案外なんとかなるよ」
そう言って、口の端だけを上げて私を安心させるように笑みを浮かべてみせると、艦長はコンソールの通信機能のスイッチをいれた。
号令が、下る。
「総員第一種戦闘配置! これより本艦は出撃、接近する敵飛行群を叩く!」
アラートが鳴り響く。
おそらく休んでいいと言われ安心した新米たちが、いまごろ先達にしばかれながら現場に容赦なく放り込まれていることだろう。
とくに整備班・ダメコン班はきついかもしれない。
現場一筋10年以上、ヴンダー屈指の仕事の鬼。
鬼より怖い伊吹マヤ整備長。
「まあでも艦長の滅茶苦茶な作戦判断よりマシよね」
「副長の無茶苦茶な戦術機動のがきついですよ」
思わず出た言葉に、青葉戦術長補佐が真顔で答えた。
シンジと私以外が乗るようになってからは手加減してるのにそれでもひどい?
新米の子たち、大丈夫だろうか。
一抹どころではない不安が、脳裏となく胸となくよぎりまくった。
シンジが笑っている。
なにかいいアイデアを思いついたという顔だ。
たぶん、今回もひどいことになるだろう。
それも敵味方両方にとって。
本気の碇シンジには、基本容赦という言葉がないのだから。