あれから10年経ちました。 続・使徒に憑かれた三号機の中のアスカを助けに言ったら僕がヴンダーの艦長になった件について 作:モーター戦車
EVANGELION ∧ i : AAA Wunder S 3.33 『YOU CAN (NOT) TRIP.』Prototype
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EPISODE:2 No one is righteous,not even one.
Prologue
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航海艦橋へ向け、電磁レールによって低速上昇するトラム・リフト(ヴンダーの巨大な艦内を移動するために設えられた、エレベーター兼トラムの移動装置だ)の中で、私は艦長──シンジが黒のブリッジ要員用プラグスーツの上に纏った、白のヴィレジャケットの左腕に、黒のバンダナを巻き、結いつけていた。
「終わったわよ」
結び目を確かめた後、私はシンジに言うと、自分が身につけた白のヴィレジャケットの左腕にシンジが結んだ、黒のバンダナを見た。
「ありがとう」
シンジが私に答え、そして自分の腕に私が巻いたバンダナを見つめる。
その視線が、やっぱり、硬い。
私もシンジも、基本的に腕に緑のヴィレのバンダナを巻かない身の上ではあるけれど、今日ばかりは、いろいろな意味で例外となる。
一ヶ月かけ、一通り乗員がものになるだけの訓練を終え、出立を明日に控えた今日は、あの日からちょうど10年が過ぎたことを意味する日なのだ。
全艦への放送はあくまで音声のみとはいえ、こういう日の挨拶であるのなら、こういう儀礼的な服飾も必要になる。私も今日ばかりは普段の赤いプラグスーツではなく、シンジ同様白のヴィレジャケットと黒の艦橋要員用プラグスーツだ。
「顔、硬い。しゃんとしろ」
私の言葉に、唇だけをわずかに歪めた硬い笑みでシンジは応えた。
「──どういう顔をしていいか、わからないんだ。
訓示や命令の類なら表情を扮えても、今日は──嘘の顔は、できない。
たとえ艦長として必要でも。いや、艦長だからこそ、かもしれない」
「自分を騙すことは出来ても、責任と背負った生命を、騙せないから?」
「うん」
目深に被った軍帽を傾けるように、シンジが頷く。
その脳裏に、つかの間彼の父親と、彼の母の墓の映像がよぎるのも、見えた。
「セカンドインパクト。三号機事件──第一次ニアサード。そして、第二次ニアサード。十億単位の人間と、それ以上の生命がコア化するか、死んだ。
それはあんたの父親のせい。でも、贖罪だけは口にできない。それを自分の罪にはしない。あの日理不尽に死んだ人たち、旧生命、仕組まれ、騙された人々の罪を問う、Bußeの言霊を否定したあの日から、それだけは絶対に拒絶しなければいけない。だからこそ、何を言っていいかわからない。迷ってる。そういうツラよね、それ」
「うん」
俯いた、やっぱり硬いシンジの顔つきを、私は半目で見つめる。
「私とあんただけなら、こんなことをしなくても良かった。ミサトに呼ばれても今日の式典の類への出席を、ヴンダー艦長の職責があると盾にとって拒否したあんただし、きっついのはわかるけど──人乗せるって決めたなら、ちゃんとやらないとだめよ。あんたが決めたことじゃない」
「うん」
「うん、うん、うん、ってアンタ、ホント大丈夫? 原稿も準備してないのに」
「わからない。でも、本音で話したい。
それに、伝えたいことはあるから──多分、大丈夫だよ」
そういって、また唇の端だけを曲げて笑う。
アドリブ本番ぶっつけ勝負って、ミサトの作戦じゃあるまいに。
私は半目のまま、シンジの胸板の真ん中を、右手の人差指で強く突いた。
「モヤッてるみたいだから、言っておく。
乗員約400名、それぞれに事情がある。そのほぼ全員が、10年前に誰かしら、大切な人を失ってる。アンタも私もそう。みんなそう。今を生きてる人類で、10年前から今日に至るまで、誰も、何も失っていない人間なんて、多分殆どいやしない。
でも、これだけは断言できる。10年前、少なくともアンタは一人救ってる。そこがアンタの起点で、それからアンタは頑張り続けて今日がある。誰が保証しなくても、この私が保証する。保証できる。だって、救われたのは私だもの」
私の言葉に、何かを言おうと唇を動かそうとしたシンジの唇を、私はシンジの胸板に当てていた人差し指で塞ぐ。
「いいのよ。本来の碇シンジと式波・アスカ・ラングレーが死んでいる可能性とか、BM-02とか03とかどうでもいい。今ここにいる私は、今ここにいるアンタがいなかったら、存在してない。それは間違いないでしょ?」
「──そうだね」
漸く、シンジが頷いた。
「何もかも懐かしい。でも、昨日のことみたいに覚えてる。
誰かにあんなに正直になれたのは、生まれて初めてだったからね」
「お互い、隠し立てなしの大げんかだったもの。
いいたい放題言って、あの日まで、お互い知りもしなかったお互いの過去に八つ当たりして、仕舞いにはあんた、私の記憶と精神のガワコピーして真似してるだけの第9使徒にまで喧嘩売りだして──ガキ丸出しだった。私の普段の態度にブチ切れてるくせに、私の過去を言う第9使徒が私を煽るのにまでブチ切れだすんだもの。支離滅裂よ。アレだってコピーの態度なんだから、自嘲みたいなもんなのに」
「僕に似てたから。だから、我慢できなかったんだ」
「削られたアンタ、そもそも両親がいない私。
過去がなくて人生が完璧に歪んだもの同士。
それが縁。
傷の舐め合いがスタートってーのも、みっともない話だけど……ま、悪かなかったわよ。色々。アンタに何かを教えるのも、アンタに何かを教わるのも、お互いについて知り合うのも悪かなかった。
だから、胸を張れ。碇シンジ。アンタに救われた人間は、きっと私だけじゃない」
「ありがとう、アスカ。──やってみるよ」
白手袋で覆われた手で、視線を隠す目深でも、あからさまに目を出すあみだでもなく、しゃんとした形で軍帽をかぶり直しながら、眼帯に隠されていない左目に柔らかな光を湛え、シンジが言う。
私は、黙って頷いた。
トラム・リフトが、止まる。トラムのドアが、到着先のドアと一度密着し、そして開いた。その先にひろがるのは航海艦橋。
私とシンジの到着に気づいたらしい、日向戦術長の声が向こうから響く。
「艦長、副長入室!」
私の視線にシンジが頷くと、彼は艦橋へと踏み出した。私は自分が被った黒のベレー帽を直しながら、彼の背中に続く。
平時のため、艦橋構造物および各座席は、航海艦橋の床面に全て設置しており、艦橋要員は全員が配置についていた。通常はハンガーに詰めているエヴァパイロット両名、綾波レイ大尉と真希波・マリ・イラストリアス大尉の両名も、今日は艦橋に姿を表していた。もちろん、ふたりとも黒のベレー帽、黒のプラグスーツに、白のヴィレジャケット、そして左腕に黒のバンダナを巻いている。これがヴィレの隊員が喪に服する時の正規の装束だ。といってもあくまで儀礼的なものであり、強制ではない。とはいえ、艦橋要員は、赤木博士に至るまで同じ服装だったけれど。
レイはいつもどおりの無表情。真希波大尉も真剣とまではいかないまでも、緩んだ顔はしていない。
つまり、今日はそういう日だ。
艦橋に踏み入った私と艦長に、全員が一斉に起立し、敬礼した。
リツコ、日向戦術長、青葉戦術長補佐、高雄機関長、長良航海長補佐、多摩射撃補佐。
私達に思うところがある北上戦術・船務補佐や、普段敬礼などという堅苦しい行為は遊びで以外一切行わない真希波大尉でさえも、今日ばかりは例外はない。
私と艦長は、彼等に目線を回しながら答礼し、艦長席へたどり着く。
艦長は座席に腰掛けない。私は頷き、彼の傍らに佇んだ。
私は日向戦術長に一度頷き、彼が首肯し返すのを見てから、おもむろにヴンダー全艦の通信回線を開いた。
『副長より総員に告ぐ。一ヶ月の訓練、ご苦労さま。
10年目の今日だけれど、戦況・状況等鑑み、第二次ニア・サードインパクト慰霊祭は、例年通りの略式で執り行う』
私の声が、ヴンダー全艦に放送回線を通じて響き渡った。
この星が赤い地獄に包まれたあの日から、10年。本来なら、半舷上陸の一つも許してあげたいところだけれど、いつもどおり戦況がそれを許さない。けれど、略式でも、ヴィレでは必ず弔いは行っている。
私達が十年前、守れなかった数十億、そして今を生きる数億の人々を忘れないための儀式だからだ。そして、私は艦長に視線を向けた。艦長が、頷く。
『これより艦長挨拶。総員、傾聴』
私はいい終えると、艦長のプラグスーツの喉頭マイクに回線をつないだ。
ゆっくりと、艦長が口を開く。
『艦長より、AAAヴンダー総員に告ぐ』
一度言葉を止め、艦長は静かに視線を艦橋に巡らせた。そして、再び口を開く。
『まず、諸君がこの艦へ乗艦を決意し、この一ヶ月の訓練に耐えてくれたことに、心から感謝する。ありがとう。
そして、本日この時を持って、第二次ニア・サードインパクトより10年の時が過ぎたけれど、まことに遺憾ながら、我々は勝利を得るに至っていない。先の防空戦も、防衛には成功したものの、空も、陸も、海も、宇宙も、そのほぼ全てが秘密結社ゼーレ及びその走狗たる特務機関ネルフの手中にあり、現生生命に残された生存圏は、あまりに少ない。
また、この10年の間にも、ニア・サードインパクト以外の要因で、多くの生命が失われた。僕らの実力と尽力の不足故だ。けれど、ここでの謝罪はしない。
なぜなら、僕らはまだ勝利していないが、未だ敗北していない。
人類はまだ戦える。だから戦う。そして、勝つ。
その先ならば、謝罪も贖罪も意味をなすだろう。
けれど勝利の前のその行為は、ただの気休めにしかならない。
誰一人、生命の一つも救えない』
彼は一度息を吸い、天井を見つめた。
『その自由など、僕は自分に許さない。
まして本艦に与えられた元の言霊は贖罪だ。
なぜ贖罪なのか。今を生きる生命に何の罪があるのか。
汝ら罪なしとするならば何故贖罪なのか。
そもそも、補完とは何を意味するのか。
均一化され、画一化され、苦悩も悩みも感情も無い、原罪無き汚れなき存在として、一にして多たる完全として永遠を生きる。なるほど哀しみも怒りもない。そして楽しさも喜びもない。
つまりは無だ。
なにもない。
あの日の痛みも悲しみも。
家族や友達を失った気持ちは尽く無価値であり、その後の10年の間に喪った物も尽く無価値であり、その後10年の間にそれでも築いたものも、尽く、彼等に言わせるならば、無価値なのだそうだ。
その何もかもが、欠陥であるからこそ、人類は、生命は補完せねばならない。
それが彼等の言う補完の定義だ。
では、彼等の語る如き境地に、7万年前、残余二千人あまりとなった今の人類がたどり着いていたなら?
結果は容易に想像がつく。人類という貧弱な生命は、いとも容易く滅亡していただろう。
我々人類は、喜怒哀楽という感情を持ち、その感情に知恵を相補させ、生き延びるために生命を燃やした。感情を燃やした。それは多くの場合野蛮であり、そして多くの滅亡を産み、そして人類同士の壮絶な殺し合いさえ生んだ。
ならば、人は邪悪なだけなのか。そうじゃないことは、諸君が一番知っていると思う。
この十年、僕らは多くの邪悪を観た。少ない糧を、水を奪い合い、殺し合い、時に人間同士くらい合うことさえあった。
けれど、殺し合うだけでも奪い合うだけでもなかった。譲り死んでいった人たちを知っている人もいるだろう。生きるために、自らを糧にしてくれと言って、死んだ人もいるだろう。
少なくとも、僕には心当たりがある。
そして、十年前、守りたかったのに守れなかった人がいる人々もいるだろう。
僕にも守りたい人がいる。そして、救いうる生命がある』
そこまで言い終えて、艦長は強い意思を秘めた目で、赤木リツコ博士を見た。
リツコは、艦長に迷わず頷いた。
艦長もうなずき返す。そして、告げた。
『葛城ミサト総司令より、ヴンダー乗員に限り、開示を許可された。
ゼーレの補完計画は3段階に分かれている。
海の浄化、セカンドインパクト。
大地の浄化、サードインパクト。
最後に、魂の浄化、フォースインパクト。
彼等の計画は不完全ながらも第二段階たるサードインパクトを終えた。
しかし、未だ以て魂の浄化たるフォースインパクトは発生していない。
故に、セカンド・サードインパクトでコア化されたあらゆる生命種の魂の情報はATフィールドの形でL結界域に保存されている。つまり、まだ生きているんだ』
艦長の言葉が響いた艦橋に、さざなみのような気配が走った。
多摩少尉と、長良中尉の目には、驚愕。
レイを始めとした旧ネルフ人員及び高雄機関長には、決意。
真希波・マリ・イラストリアスが興味深げに笑う。
『つまり、葛城ミサト総司令のヤマト計画、その最終段階として構想されるヤマト作戦は、フォースインパクト発生による魂の不可逆変性を阻止することにあり、コア化した全ての生命は、L結界という赤き辺獄の虜として、ゼーレおよびネルフの神の如き裁決と執行を待つ、囚われた生命にほかならない。
無論、ヤマト作戦は、死んだ生命は救えない。殺した生命も、殺された生命も戻らない。
しかし、肉体が形象崩壊し、コア化したいのちであるならば、取り戻せる可能性はある』
艦長の言葉に、眦に、感情が走り始めた。それは、怒りの色を帯びている。
『彼等にとり、我々といういのちは、L結界に囚われた生命は旧弊で野蛮なのだろう。
野蛮上等。先進を気取る知恵深き彼等にとり、まさに忌むべきものを以て、このヴンダーは立ち向かう。
過去現在未来に渡って刻まれ紡がれた、彼等の言う欠落そのもの、廃すべき蛮性、喜怒哀楽、愛情、憎悪、善良、邪悪、古き生命が刻んできた全てを以て、彼等の掲げる神の姿、その美しき理想図を、野蛮な醜き偶像を持って打ち砕こう。
何も、偉そうな、難しそうなことを言ってるわけじゃない。
あの日楽しかったこと、あの日嬉しかったこと。あの日悲しかったこと、あの日腹が立ったこと。みんな、そういうのはあるだろう。
あいつらはその全部をゴミだと抜かし、奪い、殺したわけだ。
君たちがどう思うかは知らない。
ただ、無礼(ナメ)られている。過去から今、そして未来を生きたいと望む全てが、無礼(ナメ)られている。彼等、ゼーレとネルフが無礼(ナメ)るものこそ生命の意思。
つまりヴィレ、意思の言霊にほかならない。
勿論君たちが、僕、碇シンジという存在について色々思うところがあることは知っている。
だが、それは後でもいいだろう。ナメた知恵者気取りのクソ野郎全員の前歯を残らずへし折って、流動食以外食えない身体にしたあとでもだ。
もちろん、僕らが利用され、インパクトトリガーと成り果てたことは忘れていない。
彼等は狡猾であり、僕らを利用、ないしは殺害を目論むかもしれない。
故に、僕らは君たちをヴンダーへ受け入れ、この一ヶ月、寝ても覚めてもしごきあげた。
以前のヴンダーは、僕と副長がいなくなれば滅びる定めのフネだったろう。
だがそうではなくなりつつある。
いずれ僕が死んだとしても、副長が死んだとしても、君たちのいずれかが後を継ぎ、この船を戦わせ続けるだろう。多少の肉を削いでも肉体が再生するように。
一人二人死んだ程度で生命の蛮性は止みはしない。諸君もまた彼等にそれを教育できる存在たりうるよう尽力してほしい』
一度、艦長は深く息を吐いた。そして、深く息を吸う。
『長い挨拶になってしまった。
最後に、これを思ってほしい。
十年前、あの日より前の思い出がある人々は、それを思い出してほしい。
いい思い出だけじゃないだろうし、悪い思い出もあるだろう。
そして、十年前。あの日からあった全てを思い出してほしい。
辛いことや哀しいこと、腹立たしいことが山程あるだろう。
そして、あの日を経た後ですら、胸に湧いたものはそれらだけではないはずだ。
僕らの守るべきものは、それなんだ。
僕らの思うべきものは、それなんだ。
僕らが戦うに当たり、立つべき岩盤こそがそれだ。
それが、ヴィレだ。ヴンダーはその手段に過ぎない。
僕はそのために命じる。君たちはそのために戦う。
僕が居なくなっても、一人ひとりに意思(ヴィレ)があるならば、生命は戦い続けられる。
みんな、それを思ってほしい。
その想いをかつて抱き、今は彼岸へと去ったために、思うことが叶わなくなった、この世から去ってしまった全ての生命のために。
生きたい、生命を紡ぎたいというあらゆる生命種の願いのために。
──総員、黙祷』
皆が、一斉に目を閉じた。私も、目を閉じる。
頭の中、思うものは、不思議なほどになにもない。
きっと、思うべきものは、本当は色々とあるのだろうけれど、それはいつも考えていることで、もう居ない人々に向き合う今この時、ああすればよかった、こうすればよかったという悩みは、不可解なほどに浮かんでこなかった。
だって、戦いはまだ終わっていないのだから、後悔なんてしている暇がない。その時間が有るのなら、それを果たせなかった彼等のために使いたいし、彼等が生かしたかった、そして今を生きている人々のために、彼等の願いのために使いたい。
だから、今思う後悔も、死者に託す願いも、今は一つも浮かんでこない。
たぶん、それはあいつのせいなのだろう。
十年前にあの男は、式波・アスカ・ラングレーを助けたのかもしれない。けれど、その行為は同時に、式波・アスカ・ラングレーという魂のあり方を、どうしようもなく破壊してしまってもいた。
昔は一人でいいと思っていたのに、今はそう思わない。
群れてもいい。群れなくてもいい。
好きに選べるからこそ、自分から他人を望んでもいないのに引き剥がす必要を感じず、こうして誰かと群れていられるのだと思う。
何故こうなったのか、私自身、完全にはよくわかっていない。
けれど、昔より少しだけ自在。
十年一昔、か。第二次ニアサードインパクトが、それだけの昔に沈んでしまったという話。
あの頃の自分の姿が、ふと、まぶたの裏側に垣間見えた。
今の私の生き方は決して器用なものではないけれど、その私に比べてさえ不器用で、本当の望みと正反対の行動ばかり取っていた、寂しがり屋のくせに、逆に孤独へ自分を陥れていた過去の自分。
けれど孤高で、あるいはそのまま独りで完成する、という可能性を、あるいは選択していたかもしれない自分。
いずれにせよ昔の話で、昔の自分。もう孤高の完成を選べない。
独りでいいなんて思えない。つくづく壊れてしまったわよね、私。
とても静かな気持ちになる。
目を閉じている間、暗さだけがある。
あいつの思いを感じないのは、きっとあいつも同じなのだろう。
それはそうか。皆に言いたいことを、あいつはだいたい言い尽くしたのだから。
『黙祷、終了』
あいつが、言う。
私は目を開く。
そして艦橋を見回した。
艦橋のクルーが、それぞれにそれぞれの気持ちを目に込めて、私達を、艦長を見ていた。
最後に、艦長が告げる。
『僕らは十年戦った。
奪われるのも、護るのも、そろそろ飽きた。
そろそろ奪う番だと思う。詳細は事後、副長より通達する。
この一ヶ月の訓練の精髄を見せてほしい。
艦長、以上』
艦長が、言葉を終えた。
最後の最後で丸投げ?
ま、ずっとあいつばかり喋らせるわけにもいかないわよね。
私はこのフネで二番目に偉いのだから、その分は仕事しないといけないもの。
『艦長指示により、副長より通達するわ。
本艦は先の防空戦により露呈した強度不足箇所の修繕・改修・補給を、もうバレた第三次改装を行った生存圏、サンクトペテルブルク第二ジオフロントで実施する。期間は二週間を予定。
全ての準備が完了の後、積極的攻勢作戦を発動する』
私はいい終えると同時に、艦橋各座席及び艦内各部署の端末に、必要な事前情報を送った。
やたら接近しているように見えて、実のところ重力波諸元等から、距離32万キロまで接近したものの、二度目のサードが半端に終わったせいか、そこで接近が止まって軌道が安定している月軌道と、さらに各ラグランジュ点、及び想定される敵防衛戦力が各モニタに表示される。
『ええ、攻勢防御の類じゃないわよ。艦長が言う通り、こっちが奪う番。
戦略目標は衛星軌道及び月面。
二度のニアサードによりコア化したとはいえ、月は未だ有用な拠点たりえる。
また、制宙権をこちらが確保すれば、各生存圏同士の衛星軌道を利用した通信が回復し、拠点防衛戦力の統合運用および連携も可能となる。天秤のこちら側にだいぶ重しを乗せられる。
戦術目標はネーメズィスシリーズ、この誘引と殲滅。
連中が人を贄と求めるならば、こちらは神罰たる義憤の女神を血祭りに上げて反撃の狼煙となすってわけ。叩き潰すわよ』
そこまで一気にいい終えて、私は少しだけ口調を明るく変えた。
『……ただ、みんな一ヶ月の猛訓練でいい加減死ぬほど疲れてるわよね?
勿論私も疲れてる。移動座席抜きであらゆる経路を使って主機までマラソンの日々を過ごしたし、いい加減私もガタが来てる。
工事期間中は、ヴンダーは動きたくとも動けない。
よって、工事期間中はヴンダー乗員に半舷上陸を許可、というか命令ね。全体的に再施工だから、人残せないのよ。中に。
現地での自由行動範囲は、後ほど主計から正式に通達。
あと、もう一つお知らせ。
あんたたちは都合一ヶ月勤務したので、給料が当然発生してる。
サンクトペテルブルクについたら、お待ちかねの初任給を出すわよ。
っても時節柄、共通通貨なんてないから現地通貨でだけど。防空戦の時に出たガタの応急修理から、訓練までがんばった分、色はつける。
よく働いてよく報酬。働いた分はちゃんと給料払う、ヴンダーは昔の英国海軍じゃないってことよ。
向こうは一代生産拠点。
美味しいものから不味いビールまで、色々作って色々売ってるから、作戦前に美味しいもの食べて、ゆっくり休んで欲しい物買って思い出づくりをするように。
ほら、さっき艦長も思い出が力になるって言ってたわよね。そういうやつ。
行動可能範囲に関しては、給与情報カード配布時にこれも主計から通達ある。どんな国やどんな都市でも、民度低くて危険な地域ってのはつきもの。治安悪い地域だけでなく、向こうが機密にしておきたい、立ち入り禁止地域なんてのもあるから、当然そこにも潜り込まないこと。
ヴンダーとサンクトペテルブルク、両方の規則を守って、豊かな半舷上陸ライフを楽しむように。間違ってもやらかして弁護士はどこだなんて状況を招かないように。これも命令よ。
はい、副長以上。解散!』
勢いよくいい終える。
そして、どんなもんよ、みたいに自信たっぷりでリツコを見た。
えっなに何もかも台無しよ台無し、みたいな呆れ疲れたその顔つき。
一ヶ月働いたのよ? 初任給よ? 皆すごい疲れてるし、弔いは一通り終わったし、頃合いじゃない? 慰霊も大事だけど疲労を取るのと今を生きるのとモチベーションを与えるのも大事だし。
などと思いながらリツコを見つめる。
「……あなた達が、ミサトに育てられたのを失念していたわね。
ミサトもそうだけれど、あなた達も情動で動いたら色々台無しにする口というのを忘れていたわ。
艦長も気持ちが入った途端、演説途中から言葉遣いが荒くなりだすし……ミサト、教育を間違えたわね」
えっなんで。つーか旧ネルフメンバーの作戦ネーミングセンスとかよりよほどいいと思うんだけど。
ミサトやリツコたちに任せると現地展開戦力に『カチコミ部隊』とかつけるでしょ。私も嫌いじゃないけどそのセンス。どうかしてるって思うだけで。
つかなんでシンジも苦笑してんのよ。
いや思い出の意味が微妙に違うってほら楽しいとか喜びとかが力になるって、アンタさっき言ってたじゃない、そういう意味じゃないの?
そうだけど違う? わかんないわね。
はいはいうるさい、後で録音聞き直しとくわよ、しょうがないわね。
ま、それはそれとして。
今度はレイに視線を投げる。
レイは素直に頷いてくれた。
「……ブツの仕込みは充分。医療科とも連携して、現地のニーズにマッチしたソリューションを提供予定よ。四字熟語で言うと医食同源」
医食同源て。
いやまあそういうブツだけど、今回任せたやつ。
レイは微妙に説明がアレね。まあレイは買い出し組だし、そのへんの現地説明は医療科がやってくれる予定だし、たぶん問題ないと思いたい。
レイから少し視線をずらし、隣の真希波大尉の方を見る。
「真希波大尉、例によって、レイと組んで買い出しお願い。
電子製品とかは、ニアサー前のが種類も物もいいこと多いし、そういうのにリバースエンジニアリングをかければ、失伝したメーカー特許技術を復元できるかもしれないし」
「任された! んで奥さん、エヴァパイロットって他より苦労してるしちょっとはずんでくんないかニャ?」
「わかってるわよ。まあ、アンタのことだし、あの街のことは私たち以上に知ってるんだろうし。 それに、向こうであれこれ、なんだっけ、わらすぼ長者? とかやって稼いで、大きくやるんだろうし、それで古書とかの贅沢品を大量にせしめるって腹はお見通し。前もアンタ、別のとこでやってたわよね」
シンジが変な顔をする。わらすぼじゃなくてわらしべ? 発音の問題ようるさいわね。
取引だからいいじゃない。わらだか魚だか知らないけど。
一方真希波大尉はというとご機嫌の気配だ。
「っしゃー! 任されたよー! 色々向こうの自治政府が、公式には回しづらいもの仕入れて来るからニャ、期待して待ってて!」
「……つかほんといい加減奥さん呼びをね? 私結婚してないんだけど?」
「だって奥さんは奥さんじゃん……」
「……」
もういい。まあマイペースなのでぐだぐだするのはいつものことだ。身体的にいじられないだけマシだと思っておこう。真希波大尉に油断すると、胸とか揉まれて発育を確かめられる。10年前で止まって成長せんっちゅーとるのに何なのよ。
ちなみに真希波大尉に言わせると、どうもさわり心地とサイズがいいらしいのでつい揉んでしまうのだとか。
うるさい。嫌がらせか。セクハラか。
その成長止まるだか止めるだかする前に水牛かぐらい育ったりっぱなちちをはんぶんよこせと思ってしまう。そう言えばミサトもあの年なのに垂れないし大きいしだし、アラフォーなのに画像見る限り肌も綺麗だし、無い身の上からすると嫉妬対象ではある。成長すればねー! 私だってねー!
まあ、それはそれとして、私と艦長も、予定通り道中での『輸出品』の生産工程を、そろそろ詰めておいたほうがいいかもしれない。
以前からの定例業務ではあるし、造るものも工程も確定済みではあるけれど、都度使う技術は工夫して新しいものを試しているし、モノも毎回良くしている。
先方もその方が間違いなく喜ぶし、実ンとこ、それがうまくいかないと、うちの子たちの賃金に響くやつでもある。
まあ、いつもどおりにテストからはじめて、ある程度見込みがついたら、マギプラスで自動生産できる。そうしたら、私も艦長も、その間ぐらいは休めるだろう。
諸々踏まえて24時間ぐらいだろうか。
流石に私達も、年がら年中働いてないで、一日ぐらいはゆっくりしたいし。たとえ頭上にN2爆弾がある部屋でも、屋根があるだけましなのだ。
少なくとも、子供時代よりは遥かにマシ。人道と権利のじの字もなかったし、あの頃。
などとすっかり厳粛ムードが解けた艦橋の中。
一点、私に突き刺さる、冷え切った視線があった。
……貴女はそうよね、北上少尉。今日は厳粛に過ごしたいとこ、勢い任せの給料話で壊されたら、姉を蔑ろにされたと、思うか。
少し油断していたかもしれない。
唇の蠢きが見える。
やっぱり欺瞞じゃん。
目つきと敵意が突き刺さる。
そうよね。そりゃそう思うわよね。
台無しにしたのは、たしかに悪かったと思うし、もうちょっとタイミング考えたほうよかったかもしれない。
彼女にしてみれば、厳粛に弔うムードとか決意とかより、飯だ金だ休暇だで釣るのかってなるもの。たぶんあの子には私は汚い大人に見えてるし、少なくともただでさえ低い位階の位置が、かなり下がったのは疑いなさそうだ。
ま、実際やることは汚い大人で、欺瞞だし。
ちょっとばかり、わざとらしく浮かれて見せすぎたかなどと思いつつ、高雄機関長に視線を投げた。
給料話で長良中尉とあれこれ話していた高雄機関長が、私の視線に気づいた瞬間、一瞬だけ私を見て、そして頷き、また長良中尉との会話に戻った。
今度は艦長に視線を投げる。
艦長が、先程の演説の情熱とも、さっきの私の給料話とも違う、どこか冷めた視線を虚空に漂わせていた。ただ、顔つきはオアフ島で釣りをしているときのような茫洋としたところがある。
ま、そうよね。
欺瞞で、釣り。
艦長の言うフォース阻止も、魂の解放もまあ、嘘ではないけれど、現状は理論上止まり。それどころか、生命全てが形象崩壊せずともいずれ段階的コア化で使徒となり知恵を失いかねない瀬戸際に有る。
ゼーレの言うところの旧生命、人類の強みは感情と、それによって駆使される知恵と工夫と勇気なのは、たしかに艦長の語ったとおりだ。
ただ、その感情が刃となる場合、しばしばそれは敵ではなく味方に向けられるのも、また歴史では珍しいことではない。人に限らず、多くの生命は内ゲバをするし、なんなら共食いも当たり前。
ヴンダーがクルーを受け入れてまだ一ヶ月。
離艦者100名。嫌になってやめたやつばかりの訳がない。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
本命は地球外移民を望むイズモ急進派、対抗で大穴は……ゼーレないしはネルフの諜報員。
後者の手をネルフは長らく取っていないけれど、向こうがシナリオとやらの段取りに手間取っている場合、調整にしかけてくる可能性は否定できない。
わざわざヴンダーを、工事を理由に私と艦長二人だけにするという好条件、わかりやすい餌。フネが望みにせよ命が望みにせよ、なんかしら仕掛けてくるわよね。
二週間の間に乗員をきっちり休ませて士気を上げつつ、こっちは自分らを囮にして釣りをやる。 あとは他にも仕事多数。
重力斥力自在の、色々使える万能戦艦ヴンダーは、万能なだけに、この滅びかけた世界においては、果たすべき役目があまりに多い。
億単位の人類を、ごくごく限られた土地に住まわせて、そして糧を確保し疫病も防ぎ、戦力を強化し文明を維持する。
本当に楽な仕事じゃない。
生存圏確立にあたっては、西に東に、あらゆるジャンルで奔走するのがヴンダーの定め。
戦闘ばかりやっていられるなら、これほど気楽なことはない。
パイロットに専念出来ていた14の頃とどちらがマシなのやら。
艦長たる碇シンジほどではないにせよ、副長たる私もこの世界を相応に背負ってるし、相応の重いものを背負ってる。どう思われようが、生きたいし、生きてほしいし、生き延びさせたい。気楽な仕事じゃないのだ。
ただ、たしかに気楽ではない、気楽ではないけれど……心のどこかで、楽しんでもいる。
そういうところは、今冷えた面してる艦長の碇シンジも実のところ同じで、10年老けた結果として、それだけ多くの経験をつみ、多くの価値観を知り、多くの知識を得て、人生豊かになったということでもあり、そういうのは、色々あるにしても楽しい。
まあ、現状、このフネも私達も、せいぜいが万能レベル。
億や兆には到底至らず、全能などもちろん夢のまた夢。
これほど便利な船であっても、実際使ってみるとあれこれと不満点が出てしまうのだ。願望器寸前の代物、本来今の人類には届き得ないエキゾチック物質すら産生しうる夢の船であるというのに、足りない能力が多すぎで困る。人の欲には限りがないのだ。
ただ、どの生存圏にも思い出は有るし、生存圏なのだから、名前通りにどこまでも生きてほしい。
サンクトペテルブルクはそういう思い入れがとりわけつよい街の一つだ。見た目といいやりくちといい、確かにそこまでして生き延びるのか人類、みたいな街だけど、それでも人は生きているし、色々発展してもいる。
L結界対策や、避難民の収容・住居確保都合から、初期施工がどうしても乱暴になった街でもあり、その点は後悔がなくもない。ヴィレの計画に本来なかった急造の、過去遺産もいいところの建造計画を、対L結界を踏まえてマギプラスのシミュレートでブラッシュアップをかけ、将来の拡張性を踏まえて急ごしらえででっち上げた街だから、いろいろ問題がなくもない。
ただ、拡張性が高くなるよう、垂直都市としての可塑性と改良・更新性能はかなり工夫したので、問題点は年々解決に向かっているし、もちろん昔より、住民が食べる食べ物もだいぶましになった。
この都市が輸出する作物や食料のおかげで、億人単位の現生人類が生き延びているといっても、あながち嘘ではなかったりするのだ。
それにサンクトペテルブルクの上層部は、私達に友好的な部類でもある。少なくとも、私達が、色々世間にだんまりで、螺旋衝角『轟天』を第二ジオフロントで密かに据え付けるのを黙認する程度には。
何しろ、あの街の基礎たる第二ジオフロントをこさえ、垂直都市としての拡張性を跳ね上げたのもヴンダーだし、そういう恩は感じているのかもしれない。
まあ向こうにしてみれば、こちらに恩を着せて、後々大きくむしり取る算段かもしれないけれど、そういうのも含めてフェア・ゲームだしフェア・トレード。
滅私の善意の贈り物は、個人同士ならいざしらず、政治勢力同士のものであれば、むしろ利権取引より高く付きやすい。後腐れなく支払って後腐れなくサービスを享受し合うドライさのが、距離感として実際気楽なのもたしか。
まあ、それにしたってあの危険物施工に協力してくれる上に、今回の緊急施工にもイエスを返してくれるあたり、向こうのこちらへの期待度が伺える。
ヴンダーという鳥籠に囚われた身の上でもなお、作れる縁というのはある。
懐かしきあの街。この世界での人類の生存と、生き延びた人類の科学的成長のため、一役買っている重要な街。
『ヴィレの世界樹』とすら言われるあの威容、果たして幹をどれほど伸ばしたやら。それももちろん気になるところだ。
それに、あちらはあちらで独自に抱えた技術者や科学者が相当数おり、色々とバイオテックから工学系まで、できる範囲で手広く研究してもいる。
私達が思いつかなかった新しい知識や、ひょっとしたらどん詰まり気味の現状を打破しうる、ブレイクスルーもあるかもしれない。袖すり合うも他生の縁、基礎研究と論文と研究者と予算は概して多いほうが、新発見と文明の発達につながるものだ。
人類は現状、正しく土壇場瀬戸際崖っぷちだけれど、やっぱり諦める気にならない。艦長が言うほどトライできないにしても、終わるまでは、明日へトライし続けたい。
気がついたら、私にとって明日を生きていて欲しい人達も、子供の頃に比べ、随分増えてしまっているわけで。
だから、どれほど難しくて、不可能に近いタスクにせよ、やれるものは、やれるところまでやりたいのが私の正直な気持ち。
はじまりはたぶん10年前だろう。
どっかのバカに色々あって壊されて、孤独になりたがりだった女が、すっかり他人を容れられるようになってしまったわけで。
喜びと悲しみは二重らせん。いいことと悪いことは一緒に来るのが当たり前なのよね。
つまりはまあ、今回の寄港も、私の人生にとって、きっと破り捨てられない大切な1ページとなるのだろう。
私、式波・アスカ・ラングレーは、久々に赴く北の地へ、早くも思いを馳せ始めていた。