あれから10年経ちました。 続・使徒に憑かれた三号機の中のアスカを助けに言ったら僕がヴンダーの艦長になった件について   作:モーター戦車

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第2話『北の地にて』Aパート

 EVANGELION ∧ i : AAA Wunder S 3.33 『YOU CAN (NOT) TRIP.』Prototype

 

 

 

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 EPISODE:2 No one is righteous,not even one.

 

 Apart

 

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──オアフ島防空戦より一ヶ月後

 

  北アフリカ リビア砂漠上空 PM12:10

 

 作業ポイント上空200メートルの位置で、私はヴンダーを静止させた。

 空に青、雲の白。地にはいい加減見飽きた赤の 砂漠。

 

「しっかし、いい加減にこの色味の世界、見飽きたわよね。

 赤、赤、赤、どこ行っても赤、空以外何もかも赤。うんざりするほど赤。

 火星でもあるまいに、赤色バーゲンセールにもほどがあるのよ。目が疲れるってーの」

 

 ヴンダー艦体、その各部に備えられたセンサーが捉えた映像に、私は思わず眉をひそめ、瞼を半ば閉じてしまった。

 

 ほぼ睡眠を必要としない疲れ知らずの肉体のおかげで、本来眼精疲労とは縁のない身体だし、そもそも眼球ではなくセンサーとのシンクロでダイレクトに脳で画像を認知しているわけだから、目が疲れるわけがないのだけれど、それはそれとしてここまで真っ赤だと、ストレスを目に感じてしまう。

 

 人間の精神と言うか、脳ないしは魂がそういう作りになっているから仕方ないのかもしれない。赤は交感神経を刺激し、精神を活性、興奮の方向に引張る色なのだ。壁を真っ赤に塗りたくった部屋だと、その作用のせいか、体温が上昇するという話もある。

 

 まして砂漠地帯ど真ん中で陽光が強い。つまり端的に言って視界が暑苦しい。艦橋内にはエアコンが効いているし、プラグスーツにも体温調節機能はあるけれど、何もかも真っ赤な世界に十年雪隠詰めなので、うんざり感がほんとパない。

 

 赤自体は好きな色ではある。自分を表す色、イメージカラーであり、己を体現する色だと認じていた。赤色の持つ強さと活性なイメージに憧れ、そういう存在になりたいと思っていたのかもしれない。

 

 けれど、あの結界のせいで何もかもが染まってしまった結果、この10年で完璧に見飽きてうんざりしてしまい、赤という色へのイメージ株価がじわじわ下落しつつあるのを自覚する。

 

 もし新型プラグスーツが支給されたら、いい加減色を変えるのも手だろうか。白はどうだろう。すっきりした色合いで、目も疲れなくていいかもしれない、あーでもレイとスーツの色かぶるか、などという実にどうでもいい願望が脳裏をよぎるあたり、多分少し疲れてもいる。

 

 防空戦を終えて以来、応急修復、訓練、訓練、研究、訓練、会議、訓練、訓練、訓練終了通常配置と見せかけて突然アラートが鳴って訓練、「リフト故障のため別ルートで主機まで移動されたし」とか私にも言ってくる始末なので容赦ないし、艦長自身も「艦橋大破のため予備発令所へ直ちに移動せよ」とか言って率先して猛ダッシュするので、部下としては皆従うほかない。とはいえそんな調子の情け無用が続いたものだから、半分以上人間をやめたこの身体でもさすがに精神的疲労を感じる。

 

 新人たちは余計だろう。

 

 平時に優しくして、いざ有事というときに動けず戦死されたり、と暇に任せてイジメの類が発生したりといった諸々のトラブルを避ける目的があるとはいえ、艦長が恨まれてないか心配になる毎日だったように思う。

 

 ともかく、ヴンダークルーは艦長の連日連夜の拷問じみた訓練で疲弊しきっていた。それは勿論私も例外じゃない、という話である。そんな疲れた精神状態なので、赤色が視界越しに心へ押し付けてくる圧が、いつもよりきつく感じられるのだ。

 

 赤は血の色、ヒトの色(正確に言うと人を含めたリリス系炭素生命全部のフィールド色だけど、細かいことは置いておく)。使徒の色である青の対極ということに光子スペクトル使徒解析法ではなっているんだけど、ほんとそれはそれとして、視界全部真っ赤はつらい。

 

 L結界を研究するヴィレの形而上生物学者たちの仮説では、この目に悪い赤の色合いは、単純にコアの色というだけでなく、それだけの数の生命をL結界が吸い上げたという意味になるらしい。肉体が形象崩壊した結果、L結界内を個体としての形状を失い、けれど混ざり合うことなく彷徨っているATフィールド、いわば魂の色で染まった結果、あの独特の赤い色合いになるのだそうだ。

 

 パッと見は均一に見えるけれど、あれでも魂が溶け合ったり混ざり合ったりはしていないのだそうで、コア化土壌を掘削すると、断面を雲母片のように煌きながら漂うものがみえたりする。それがかろうじて形を保った状態のATフィールド片、いわば魂の残滓とでもいうものらしい。

 

 肉体無しのまま亡霊のように、十年赤い荒野を彷徨う気分なんてあまり想像したくはない。とはいえ、理論上、肉体を形象崩壊で喪失した時点で感覚機能及び思考機能が消失するため、魂の自我機能がその時点で停止し、いわば失神状態になってしまうため、その種の苦痛は、おそらく、ない。

 

 とはいえ、いまだかつてL結界による形象崩壊から魂を復元できた事例はないわけで、未知の環境が人や他の動物の魂、ATフィールドに経年劣化や変性を生じさせない保証もない。

 ヴンダーの周囲を取り巻く、L結界に包まれた世界は、この10年、代わり映えせず赤いまま。

 

 何がどうなって、どういう理由で、こういうどん詰まりを世界が迎えなければならないのか、誰に聞けば答えをもらえるのだろう。

 

 ゼーレかネルフか、あるいは神様か。

 

 カヲル野郎曰く、円環と称される彼の多元世界観測遍歴でも、こうなるケースは少数事例らしい。そして、少数事例であるがために、彼にも具体的な要因は測りかねるようだ。

 

 多元世界だけに、それぞれの世界を構築する物理法則の数式が、同一式から成り立つように見えて、実のところいずれも微細に違い、そしてこの世界を織りなす各種乱数込み込みの物理数式は、諸々の物理作用の結果として、『人為的ないしは自然発生的に複数のインパクトが発生するとL結界が発生しうる』という塩梅に書かれていると推測できる。

 

 あくまで『推測』になってしまうのは、L結界の物理特性が判然とせず、現状では未だにL結界による世界干渉を数式化できずにいるためだったりする。

 

 L結界というものの物理特性を語るには、私と艦長、そしてリツコといった旧ネルフメンバーによって研究・提唱された、ATF次元についての説明が必要かもしれない。

 

 ATF次元というのは、人類が認識している縦横高さの三次元ユークリッド空間に垂直に交わるもう一つの次元であり、あらゆる物体、素粒子などの形象に対応している。

 

 人類が目にしているのは、いわばそれらの3次元の『影』に過ぎず、本当の姿はATF次元を加えた超ユークリッド立体というわけだ。とはいえそれを2次元平面、ないしは3次元立体として仮想的にモデル化・図形化するのは、具体的な定数や数式化がまるきりできていない現状では難しい。

 

 例えば超次元立方体のように、常に蠢く立方体を内包した立方体、といった比較的シンプルなモデルとして描画表現するのも不可能なくらいだ。人体に備わる視覚機能は、そうした超次元物体を認識するようにはできていないのもあるけれど、そもそも『これでだいたい計算できます』という、ATF次元の現象を表現できる敷がないのではモデル化もグラフ化もできやしないのだ。

 

 表現がし難い具体例でいうと、たとえばATF次元の具象化事例としては、エヴァのATフィールドがある。これはパイロットのメンタル次第で出力から性質まで変動する傾向があり、なんなら核融合爆発の手合を食らわせても破壊困難、けれどATフィールドを以て中和・無力化することが可能だ。とはいえ、その入力と出力の関係性はまるきり人外未知もいいところで、搭乗者の精神とエヴァのATフィールドが発揮する出力には関係性が有る事はわかっても、数値的ブレが凄まじく、到底定数や具体的数値化ができる段階には至っていない。

 

 ともあれ、地球上の生命は、このATF次元の齎しているであろう、いまだ解明されていない各種の物理法則を気づかないままに利用しているし、そういう人外未知の座標軸であるあら、この次元には面倒くさいところがある。

 

 本来、ATF次元は超弦理論で言うところの『閉じられた次元』、『余剰次元』であり、その内包する物理法則やエネルギー、影響は極めて限定的なものとなるはずで、働きは極めて(それこそ重力などよりも)遥かに弱い物理力であるはずなのだ。

 

 けれど、実際の所はそうなっていない。

 

 この世界においてはエヴァのATフィールドに代表されるように、分子間の「強い力」すら凌駕するような恐るべき強度を発揮する。核爆発や、その核爆発すら凌駕するN2融合爆発すら無効化せしめるのだから、その物理干渉力・影響力共に、桁外れと言える。

 

 さらにこの次元の値が負となる場合、この次元は振る舞いを変え、アンチATフィールドとしての特性を顕し、値が負の状態となっている空間域全てに働きはじめるのだ。

 

 アンチATフィールドは、ATフィールドの弱い生命のAT次元値を低減させ、ゼロ以下に落とし込んでしまうことにより個体の自我や肉体の維持を困難とせしめ、最後には形象崩壊と呼ばれる状態へと至らしめてしまう。

 

 十年前、第二次ニア・サードインパクトの際に地表を覆い尽くした高圧L結界、その内部で、多くの人々の肉体がLCL還元され液状化、衣類を残して消えてしまうなどという現象が多発し、それが当時生存していた人類の肉体の9割を『消失』させてしまったが、これがその具体例の一つと言えるだろう。

 

 形象崩壊の進行は、様々な形を取るけれど、多くの場合は肉体のLCL変換による液状化崩壊、ないしは高次元物質であるコアへの相転移、いわゆるコア化の2種類に仕分けられる。ビルや地殻、また植物を構成するセルロースなどはLCL化せず、コア化するのが専らだ。

 

 とはいえ、これが完全なコア化、完全な高次元物質への相転移でないのは間違いなく、コア化した物質自体の物理的特性が、コア化前とコア化後で変動していないあたりがその証明になるだろう。鉄であれば、磁石と引き合いもすれば曲がりもするし、ケイ素質などの岩石であれば砕けもする。

 

 L結界がATF次元に影響を与える事象であることは、人体の形象崩壊を踏まえ、確実と断定できるので、各種物質がその特性を保ったまま、ATF値だけL結界によって変性しただけの可能性が現状では高い。その証拠に、アンチLシステムによってL結界を退去(正確に言うともっとややこしく、現状のALS運用にあたっては相補性だの原罪だの浄化だのと宗教用語が飛び交いだすので、ここでは見た目の現象のまま『退去』と表現させてもらう)させると、まるで時間がそこだけ止まっていたかのように、全ての物体がL結界汚損前の状態へと戻るあたり、物体の特性は、L結界によりコア化を遂げても、概ね変質することなく保存されていると断定してよさそう。

 

 勿論、例外はある。動植物、いわゆる生命と称されるものは、L結界を退去させても、戻ってこない。各個人のATFを担保する肉体が形象崩壊でLCL化したため、魂──そのいのちを憑依させる依代がないから、もどってこれないのだろうと推測されている。

 

 形を保ったままの植物のばあい、生命を取り戻してもよさそうだけれど、そう都合のいい話はない。生体機能維持に必要な成分がLCL化してしまっており、見た目は瑞々しくとも、実際には死んでいる。葉を切断して組織を観察すると、セルロースの細胞の内側が溶融したLCLに満たされた状態となっており、色が緑色なのはLCL化を免れ、細胞壁内部に残置されたクロロフィルの色に染まっているからでしかない。

 

 ちなみに一人の人間が形象崩壊を起こした場合、肉体の大半がLCL化した後、ごく微量のコアが残るパターンが定番だ。この、残ったコアに関しては「魂が物質化したのでは」とか、ともかく大量の仮説があるが、魂についての科学的定義が不可能と断じてもいいレベルで困難であり、なおかつ仮説が山積み状態なので、ここでは説明しないことにする。

 

 この世界において『魂』が存在し、それが科学的に計測・定義可能であることは私とシンジが身を以て証明したところがあり、それはATF次元理論の確立によってより確かな論拠を得たけれど、肝心要のATフィールドが未だに謎だらけ過ぎて数式化どころかそもそもの定義自体が困難で、掴みどころのない状態となっているのだ。つまり、説明が面倒を通り越して、不可能な状態ってわけだ。

 

 私達含め、ヴンダーの研究グループ総掛かりで定義・検証したバカみたいな数の仮説と、それを説明するための数式はあるけれど、仮説止まりで確定していない、当たり外れがわからない宝くじの山を並べたてても仕方ないものね。

 

 L結界というのは、そういう意味では『ATフィールド次元が負の値を取った状態で安定化した空間の状態』と言える。厄介なのは、ATF次元は私達に認識できない高次元でありながら、私達の世界に強い力で干渉可能な『開かれた』次元軸であるために、この世界に甚大な影響を与えてしまう点にある。

 

 どれぐらい甚大かというと、セカンド・インパクトと、二度のニア・サードインパクトが代表例。

 

 いずれのインパクトでも、海や大地、空間のL結界への相転移にとどまらず、発生時にN2融合爆発を凌駕する物理的エネルギーを発生させ、地形の崩壊だの爆発的破壊だのを発生させてしまっている。

 

 そんな感じで、ATF次元絡みの現象というのは、恐ろしく厄介極まりない。説明が困難、を通り越して不可能、人外未知、未曾有不可解。ごくありふれた天外魔境。

 

 数式状の見た目からは、エネルギー保存則や対象性が、なにそれ美味しいのぐらい壊れてしまっているのだから、太刀打ちすること自体が困難というか、何もかも投げ出して、「そういうもの」と儀式化して説明を放棄して、ふて寝してしまいたくなるほどだ。

 

 とにかく、そういう滅茶苦茶な影響を与える強い法則をもたらす次元軸なので、この次元軸まわりがどうにかなってしまって、相転移を起こしてしまっているL結界環境では、重力を始めとした各種物理法則も容赦なく影響を受けてしまう。

 

 重力周りがとりわけひどく、セカンドインパクト前から地球上の重力は均一ではなかったけれど、L結界内部ではそれを通り越して、重力が中和されて0になっている空間だの、斥力に化けていて突然地球大気圏外へ放り出される空間だのがごろごろあって、しかもでたり消えたりする。

 

 わかりやすい事例は、第三村を維持する各種封印柱が作り出したアンチL結界の外側各地に大量に浮かんでいる各国軍の航空機だの、SF映画に出てくるアステロイドのように浮かんだ岩石や土砂などの浮遊密集帯などがある。

 

 重力異常が原因と推定されるけれど、ともかく、浮かんでいるのだ。空に。

 

 しかも同じポイントに。地球の自転に合わせるかのようなお行儀良さで、おとなしく空中に居座っている。風に流されることもなく。ああ気持ち悪い。

 

 学校で並ぶように地球は太陽の周りを公転しており、なおかつ自転しているわけで、重力関連の異常だけなら当然その座標にとどまることはなく、大気圏外に放り出されたり、あるいはどこかへ漂って行くのが必然なわけだけど、それらの浮遊物体は『重力? なにそれ。慣性? 知らない』と言わんばかりに浮かんでいるわけで。

 

 どれだけヘンか、よくわからないかもしれないから、地球と太陽の関係性で例えてみるわね。

 

 地球が太陽の重力の影響を受けなくなったり、逆に重力に反発する斥力を発生させた場合、当然地球は太陽系から離脱してしまう。斥力なら太陽の重力に反発してどっかに消えてしまう。

 

 斥力ではなく、太陽の重力の影響を受けなくなっただけの場合でも、やっぱり離脱してしまう。

 

 太陽は、生成時の物体運動の慣性や、他の重力源の影響で、宇宙を絶え間なく移動しているのだ。で、地球を太陽に紐づけているのは目に見えない重力の鎖のみ。

 

 で、地球が重力の影響を受けなくなれば、当然太陽に引っ張られることはなくなる。飼い主を嫌って逃げたいけれど、首に繋がれたリードが邪魔で、逃げられずにいる飼い犬みたいなもの。

 

 重力というリードがなくなれば、これ幸いと太陽から急激に離れてしまい、地球はあっという間に飛び去ってしまい、宇宙のどこかに漂う、孤立した惑星になってしまうだろう。自己発光せず観測不能な、ダークマターの仲間入り。

 

 で、第三村周りにふわふわ浮かんでいるVTOLこそが、さっき例えた『太陽の重力の影響を受けなくなったかどうにかなった地球』というわけ。重力の影響をうけなくなったなら、そこに静止しているのはおかしいのだ。

 

 せめて風に流される程度の可愛げがあればまだいいけれど、その気配もないし、地球の公転運動から抜けて大気圏外に出る気配もない。じゃあやっぱり重力に引かれているのか、というとそんなこともなく、地面に落ちてくる気配は一向にない。

 

 なによあれなんなのあれで、これも例によって仮説は大量にあるけれど、どの説も現状、例によって決定打に欠けている。

 

 おそらくは『エヴァがATフィールドで攻撃を防いだり、防ぐだけでなく対象をATフィールドで攻撃したりできる』のと同じノリで、ATF次元が物理干渉を加えた結果、重力からはときはなたれているけれど、未知のATF次元物理法則が働き、浮遊物体をその座標に固定しているのだろう、程度の推測がせいぜいってところなのだ。

 

 10年ヴンダーで世界中をうろつきながら各種任務ついでに探査をかけ、マギプラスで散々シミュレーションをかけてなお確定した式を算出できないのだから、煮ても焼いても食えない結界がL結界というわけ。

 

 結界の性質や影響を、もうすこし具体的に算出できれば、アンチLシステムや鹵獲44Aコアを使ってL結界に干渉を試みて、ちったあ使いみちを見つけ出す事ができるのかも知れないけれど、現状は肉体に有害なだけでクソの役にも立たない。強いて言うなら再利用困難なレベルで汚染された水の浄化には便利だったりするけれど。

 

 各生存圏は、循環させるだけ循環させ、再利用できる有機物は再利用しつつ、限られた生活用水を利用しているけれど、そのうち『これはもうどうしようもない』ぐらい汚染された下水がでてしまう。もうそうなってしまうと蒸留なりなんなりするしかなくなるのだけれど、蒸留にも相応の熱コストがいる。

 

 その辺のコストを削減するために、L結界の生体分解能を利用するのだ。

 

 アンチLシステムの外側の低圧L結界地域に、その汚染水をコンテナに放り込んで叩き出し、毒性がひどい有機成分をL結界の形象崩壊作用で分解しする。

 

 そのあと、コンテナを回収してアンチLシステムでまるごと除染すると、アミノ酸とか塩分とかの使いやすいミネラルや栄養素やらが溶けた状態になるので、これ幸いと再利用している。

 

 少し話を逸らすと、なんだってそうも生命に都合のいい『原始の海の生命のスープ』みたいな状態になるのかも謎がおおい。

 

 現在の地球生命が、概ね第二使徒リリス由来だからではないか、と言われていたりするけれど、そのあたり、古生物学の研究と合致しない部分があるので、面倒くさいのだ。

 

 おそらく形而上生物学あたりをつなぎに使えばそのあたりのミッシング・リンクを説明しきれるのではないか、なんて話もあるけれど、あいにく、古生物学者も形而上生物学者も、第二次ニア・サードインパクトで大半が形象崩壊してしまい、彼らの論文や書籍も回収困難な状態となってしまっている。

 

 真希波大尉あたりがこのあたり、地味に詳しかったりするけれど、過去にゼミで一通り習ったものを修めているだけで、古生物とリリスの関連性と、生物学史的全貌はと言うと「よくわかんにゃい」だそうで、どうにもならない。まあ、一人詳しい人間がいる程度では、学問というものはどうにもならない、という話なのだろう。

 

 さて、そらした話を元に戻そう。

 

 この水資源としての再利用も、アンチLシステム、漢字で書くと相補性L結界浄化無効阻止装置、短く書くと封印柱、この装置の操作を失敗すると細菌は死滅しても、毒性が凄まじいままの腐臭を放つ有機物がそのまま戻ってきたりするので、あーでもないこーでもないと表面の得体のしれない呪詛文様の励起パターンをいじくりまわし、いい感じに水と栄養になるよう試行錯誤して、いい感じに戻して再利用している。

 

 人類はとても生き汚いので、使えるものはL結界でも使う。使い方は、現状原始的もいいところだけれど、使っていけば色々見つかるものもあれば、分かる事も出てくるだろう。今はトライ&エラーの季節なのだ。

 

 さて、人体に危険なL結界を退去させるアンチLシステムだけれど、これも実のところ、ろくに分析が出来ていない人外未知の代物であり、表面の呪詛文字もろくに解読できていない。とりあえず電気を流すと発光すること、発光パターンを変移させることで現実の物理事象に影響を与えうる、というのは判明している。

 

 実のところ、アヤナミシリーズやシキナミシリーズの製造も、この呪詛文字によってLCLやリリスないしはアダムス組織、あとベースとなる体細胞の類を寄せ合わせ、シリンダーに呪詛文字発光投射で形象化することで行われていたりするのだけれど、これについても、説明すると本当に長いので割愛。

 

 まあ、この時代、一事が万事、何事に対してもこんなノリなのよね。

 

 なにもかも由来不明なものを私達はなんとなく「こうすればこうなる」と、ノリと感覚で使っている。遥かな昔、折れた木が水に浮かぶのを見た人類の祖先が、「これをうまく使えば川や海を渡れるのではないか?」と浮力の原理も理解していないのに、樹木や葦をつかって船を作り、海や川を渡ったように。

 

 人と世界の関わり合いなんて、いつの時代も、きっとそんな程度のものなのかもしれない。種が存続する限り、きっとこんな調子でトライアンドエラーを繰り返していくのだと思うし、私達は当然そうしている、というだけの話。

 

 ともかく、大規模L結界が最初に確認されたのが南極のセカンドインパクト。

 地上がこのざまになったのが二度のニアサードインパクト(2つ合わせて地上がこのざまなので、実質サードインパクトではある)の結果なので、今地球を満たすこのL結界が人為的産物なのは間違いない。

 

 誰かが地球の放射能汚染を企み、意図的に地球全体を巻き込むレベルの全面核戦争を起こさせたようなものだ。

 

 葛城理論に基づいた人類補完計画とその最初の実験としてのセカンドインパクト、私とシンジが知らずに引き金を引かされた第一次ニア・サードインパクト、そして第三新東京市戦役において、セントラルドグマに自律化けされたエヴァンゲリオンMark6が投入され、その後の諸々の結果発生した第二次ニア・サードインパクトによって、月までコア変異するレベルでのL結界汚染が発生しているわけであり、これら全てに人為が絡んでいる。自然現象の偶然でないのは間違いないと断定していい。

 

 世界はこうなるように、ネルフやゼーレによって仕組まれていたというわけで、私達はこの状態を発生させるために知らぬ間に利用されていたことになる。

 

 いずれにせよ、このくそったれL結界のせいで、世界の9割9分が、ただの人間であるならば、間を置かずしてコア化を遂げ、肉体が形象崩壊しLCLに還元されてしまう、現実のものとなった魂の辺獄となりはててしまった。

 

 いま眼下に広がるリビア砂漠の赤い大地も、旧生命にとって得るものなどなにもない、何ら益なき不毛の地でしかない。本来なら、だけれど。

 

 世界がどん詰まりであろうとも、生きているなら生きるため、死ぬまで足掻くのが人のサガであり、そして知恵の実のなんたらたる人類であれば、こういう地の果て、虚無同然の地域だろうと、使えるものを見出して、ぶんどれるものをぶんどっていく。

 

 それは、原始の海を漂う頃から、食えるもの吸えるもの全てを食らいつくし、飲み尽くし、不毛の地上に上陸して地球中に広がった、生き汚い炭素生命、その末裔たる人類の生きるための手段であり、そうしなければ生きられないという業というやつだ。働かなければ食べられない。食べられなければ飢え死にって事。 

 

 ともかく、オアフ島を出発して一日。猛訓練でくたびれたクルーが待望しているであろう休暇の前に、終わらせておくべき仕事は終わらせておく必要があった。

 

 私は一度深呼吸すると、視界と意識を艦橋の副長席に座する私自身の肉体へ戻した。艦長席を振り返り、報告する。

 

「副長より艦橋各員へ通達、L結界密度、作業可能閾値内。

 翼下懸吊封印柱展開準備。

 総員、結界退去オペ用意。さっさと一仕事、済ませてしまいましょ」

 

「結界退去オペって……こんな、なんにもない砂漠のど真ん中で、なにをやるんですか?」

 

 砲術士官席の多摩ヒデキ少尉が、私の方を振り返って問いかけてくる。

 

「なんもないからいいのよ。

 

 このあたりはL結界密度が薄くて、生物由来コアや、形象崩壊後の残置ATフィールドが少ない。というかほぼ皆無ね。

 

 セカンドインパクト以来の地球温暖化で、このあたりはずっと生命が生存困難な灼熱地獄だったわけ。

 

 つまりこの辺の地面の赤色は、地殻物質変質由来の、ろくに残置ATフィールドを含まないコアばかり。ああでもないこうでもないと封印柱の文様パターンを弄り回さずに、容易にL結界を退去させられるわけ。残置された生命の魂が、自らの肉体を崩壊させる原因になった赤き浄化の結界退去の妨害要因になるってのも皮肉な話だけれど。

 

 ともかく、そんなわけで、これから行うオペを考えると、この砂漠が一番都合がいいのよ。色々と。

 

 長話も何だし、詳しい説明はオペ進めながらするわね。そっちのほうが多分理解が早いし」

 

 多摩少尉の質問に答えながら、思う。

 

 一ヶ月の訓練で、こいつも動きはだいぶよくなったけれど、どこか娑婆くささが抜けないところがある。

 

 脳裏に浮かんだ素朴な疑問を、上官に向かって同僚に話すような口調で聞いてくるのだ。

 私や艦長の見た目が子供なもんだから、話しかけやすい、というのもあるのかもしれないけれど、気安いわね、と思わなくもない。

 

 ただ、このあたり、言い過ぎると、変に忖度し硬直されて肝心な時何も聞いてこず、ビビってやるべきときに何も行動を起こせなくなる、なんてのも、軍隊ではあるある話だから、正直注意したいところよね。パワハラ上司のパワハラは、組織にとって結構な有害だったりする。

 

 まだ猿の群れと大差ない時代ならそういうのも有効なのかもだけど、組織を構成する各個人の連帯や協力という意味合いでは、正直負の方向にしか作用しないものでもあるし。

 

 少なくとも、艦長は彼のことを気に入っている。私には見どころがあるのかしれない。まだ20前、時代が時代なら高校生なのだし、教えれば教えるほど伸びる年頃でもある。

 

 それに、見方を変えれば、わからないことを素直に聞いてくるのは間違いなく美点だ。

 

 わからないものをわからないまま進めてしまって当然にようにしくじりをやらかし、注意しても萎縮するだけで、なぜ失敗したかを理解せず、学ばず、同じやらかしをまた繰り返す手合というのは、案外世の中に多かったりするものなのだ。

 

 そう考えれば、こいつはだいぶマシな部類ではある。伊達や贔屓でブリッジクルーになったわけではない、ということにしておこうかしらね。

 

 多摩ヒデキ少尉についての個人的評定を済ませつつ、私は改めて艦長に視線を投げる。

 碇シンジ艦長は、こちらに視線を向け、軍帽をあみだにかぶり直すと、小さくうなずいた。

 

「結界退去オペの実行を許可する。

 みんな疲れているだろうし、いい加減硬い地面が恋しい頃合いだ。ついでの業務は早めに済ませてしまいたい」

 

「そうね。副長了解、結界退去オペ開始。

 長良中尉、直ちに重力操演を開始。

 翼下懸吊封印柱12基、等間隔で地面に垂直投下。

 地上5メートルで静止。

 展開パターン、半径500メートル、真円、柱間距離は等間隔。

 L結界圧の変動によって生じる位置遷移に関しては、随時副長およびマギプラスにて調整入れる。よろしく」

 

「イエス、マム。封印柱一斉投下。重力操演、開始します」

 

 長良スミレ中尉の、一ヶ月の訓練の疲労を感じさせない、張りのある返答が返ってくる。

 

 さすが戦略自衛隊の薫陶を受け、新人ブリッジクルーでも一階級上の中尉で入ってきただけあって、タフな女性である。

 

 ちなみに受けた訓練が相当タフだったのか、発想もわりとタフであり、この一ヶ月の訓練中、『敵組織による本艦への接舷強襲揚陸を想定し、艦内に催涙ガスを充満させ、その状況で操船および邀撃訓練を行ってはどうでしょう』などと提案されたときは、流石に顔が引き攣った。

 

 なんでも過去にそういう訓練を受けたそうで、ドラえもんとか歌いながら薄めてあるとは言え催涙ガスの真っ只中で白兵訓練とかしたらしい。皮膚という皮膚、気管という気管が死ぬほど痛くなる程度、と笑顔で言われ、うわー、ぱねー、陸さんぱねー、と元空軍での私は思ったりした。

 

 高高度低酸素対応のための減圧訓練とかは受けたことがあるけれど(低酸素状態なので脳が貧血状態というか、思考が本当に回らなくなる。昔は空戦中は思考能力が3割まで落ちるというけれど、あながち嘘ではなかったりするわけ)、少なくとも空気を吸っても激痛、息を我慢しても皮膚が激痛とか、体験したくない。

 

 多分艦長や私でも死ぬほど痛い思いをするだろう。謹んで提案を却下させていただいた。本格修繕前に艦内を催涙ガスまみれにするわけにも行かないし。

 

 それにしても、と私は眉をひそめる。

 

「マムて」

 

「米軍では女性の上官のことをマムといいますし、戦略自衛隊設立の経緯には米軍が絡んでいます。伝統に従ったまでですが?」

 

 長良中尉が不思議そうな顔を擦る。当たり前のことを何故聞くのか、と言わんばかりの口調に、私は小さく肩を落とした。

 

「いつもどおりに副長でいいわよ。正直母親ってガラじゃないしね」

 

 思わず眉をひそめる。

 

 何しろ生まれが生まれ、母親と言われてもピンとこない身の上なのだ。だから、ママ扱いはわりと個人的に抵抗感が有る。船は母親のメタファともいうけれど、いくらヴンダー主機担当とはいえ、私はあいにくフネそのものではない。

 

「了解しました。一度言ってみたかっただけですので、お気になさらず」

 

 いいたかっただけか、と喉まで出かけた言葉を飲み込む。

 長良中尉、よくも悪くもヴンダーに染まりつつ有るらしい。

 

 とはいえ、オペレーションそのものは実に速やかで正確だった。翼面下より投下された大型封印柱12基が、空中で綺麗に円を描きながら展開する。

 

 僅かなブレもない理想的な軌道を描きながら、封印柱の群れは、さながら環状列石のように、L結界の只中に均等な距離を置いて浮遊しながら立ち並ぶ。

 

 彼女はこの一ヶ月の猛訓練で、重力操演をものにした気配で、まるで自分の身体の延長線上のように、空中の物体を複数操ってのけている。初陣のオアフ島防空戦でこちらの無茶にあれだけ答えた女性だし、やっぱり才能があるのかもしれないわね。

 

 で、最後に問題児。

 私は多摩中尉の反対側の座席、北上ミドリ少尉に視線を投げた。

 

「封印柱、全基予定地点に投入を確認。

 北上少尉、全封印柱のアンチLシステム起動。展開地点の除染を開始して」

 

「了解」

 

 私の言葉に、北上少尉が硬い返答を返してくる。

 

 レイの話だと、割と気を許した相手には相当甘えたり、緩い態度を示すと言うが、私と艦長に対しては、恨みの感情がでるのか、反応が硬い場合が多い。

 

 もっとも本来、封印柱を用いたL結界除染はどちらかと言うと整備班の兼任業務であり、低圧地域とはいえ自分だけでL結界除染を行うことに、少しは緊張しているのかもしれない。とはいえ、ダメージコントロールの一環として艦内L結界圧上昇時の緊急除染訓練は何度も行ったわけで、ノウハウ自体は体に染み付いているはず。

 

 してみると、やーっぱ敵意が主要因か。

 

 本気の戦闘状態だったり、訓練で切羽詰まったりすると、素がでてしまうのか、口調にそのあたりの緩さをしばしば見せるだけに、こういうふうに私達相手だと露骨に態度が固くなると、気を許してないのがよくわかる。

 

 ただ、嫌っている相手の命令だろうと、手を抜かないところは好感が持てるかな。馴れ合うつもりはないけれど、自分の仕事はちゃんとやるというのは、プロ意識の現れだし、悪くないと思う。仲良しこよしの無能よりは、こっちのことを嫌っていても、有能で仕事に手を抜かない子のほうが、個人的には好ましいし。

 

 封印柱に関する結界退去オペを行う際の、精密な文様パターンコントロールに関しては、伊吹整備長をはじめとした整備班の方が遥かに熟達している。少尉はそのあたり、まだ経験一ヶ月、封印柱関連の操作に関しては、ダメコン訓練で経験を積んだとはいえ、まだまだ尻から殻が取れたばかりのひよこ同然の経験しかないはず。

 

 けれど、北上少尉の表情には、未熟と未経験由来の不安と戸惑いは感じられない。コンソールを操作する手付きにも、戸惑いは感じられず、また状況進捗を見る限り、誤操作由来のエラーも発生していない。

 

 彼女の操作によって、展開した封印柱が速やかに励起し、その表面を幾何学的なパターンの赤い明滅が走り出す。艦内配置のダメコン用封印柱とはノウハウこそ同じでも勝手が違うだろうに、手際がいいことこの上ない。

 

 たぶん整備班の結界退去オペの工程記録とマニュアルを、マギプラスのデータベースを通じて入手、事前に記憶・学習しておき、命令された際に行動できるよう密かに努力を積み重ねていたのかしらね。

 

 普段の表情や口調ほどには、不真面目というわけではないってことか。彼女もまた、伊達酔狂だけでブリッジクルーの座までのぼってきたわけではないようだった。

 

 ともかく、砂漠を覆っていたL結界がアンチLシステムによって払いのけられ、コア化していた砂漠から赤が失せ、ニアサードインパクト前の、元の黄色みを帯びた砂の大地が、封印柱アンチLシステム結界内部に姿を表した。

 

「アンチLシステム、展開終了。L結界圧、だいたい大丈夫です」

 

「……だいたい……ともかく大丈夫ってことよね。副長了解。」

 

 アバウト極まる報告にため息をつく。数字で言え数字で。

 

 報告がしばしばふわっとした印象の報告になるのが、北上ミドリという人材の難点である。数字でなく印象で報告してくるので、口頭報告が当てにならず、モニタの数字を見たほうが早い、なんてこともしばしばある。

 

 けれどオペレーティングにおける入出力において、概ねだけれどそつはない。口調にも手際にも疲労の気配が感じられないあたり、案外要領もいいのだろう。彼女の入力はスムーズそのもので、エラーのたぐいも発生していない。

 

 あまり考えたくはないけれど、人員の戦死・形象崩壊による脱落等の喪失を考えれば、この種の操作ができる予備要員は多いにこしたことはない。この艦は本来有人に作られていないし、今後想定される作戦行動の多くはL結界域内部でのものとなる。

 

 艦内有人プレハブ区画を保護するための封印柱が攻撃により損壊した場合、プラグスーツの身体形象維持には限度があるわけで、結界圧によってはその区画にいる全員が形象崩壊でお陀仏になってしまう。これを防ぐための迅速なダメージコントロール、非常用封印柱運搬・機動オペレーションやプレハブ損壊部分修復作業が必要となるわけで、そのためには封印柱操作技術保有者は大いに越したことはない。

 

 一ヶ月でこの腕前なら、今後、キャリアを積んでいけばますます良くなっていくだろうしね。

 

 多摩少尉はギリギリ合格ラインだけれど、女性の新人二人は、概ねどころか当たりと見なして間違いなさそうだった。ともかく、これにてすべて準備完了。

 

「L結界の排除を確認。作業工程、第二段階へ移る。重力・斥力操演システム、起動」

 

 私は手早くマギプラスにシンクロすると、情報記憶領域から作業工程を引きだし、作動させた。

 艦体を構成するアダムス組織、そして主機たる虚号機が補機N2リアクターからの電力を吸い上げ、大量の重力子と斥力子産生を司るアダムス組織群へと流し込み始めた。

 

 サイズとしては微粒子もいいところだけれど、それでも強力な重力源たる未知のエキゾチック物質が電力という形でエネルギーを得たアダムス組織によって次々に産生されていく。

 

 これらの物質には、それこそ第十使徒邀撃戦以来お世話になりっぱなしで、運用側としては蛮用に耐えるレベルには熟して枯れた技術すら確立されているのだけれど、実のところ使われている産生物質や素粒子に関しては、悲しいほどに研究がなされていない。

 

 核種だけでもおそらく数百種、それぞれ性質や特性が違うから、本来なら個別に命名・運用してきっちり研究したいところだけれど、生憎セカンド・ニアサードの両インパクトのせいで、未だに正式な固有名を与えられていなかったりする。

 

 あまりにも多くの科学者が、二度のニアサードとそれ関連の動乱と混乱で、死ぬか形象崩壊してしまった上に、無数の研究設備も都市ごとL結界のどん底に沈んでしまったので、これら各種のエキゾチック粒子について本格的かつ仔細に研究したくても、不可能に近いのが現状なのだ。

 

 とはいえ実地運用にあたっては、少なくともある程度のレッテル付けができていないと、操演その他の運用に用いること自体が不可能になるので、16進法の数字とコードの羅列で仮命名だけは済ませてある。

 

 各エキゾチック物質から発振される電磁波や重力、斥力などの値から電磁的特性、化学的特性などの細かい差異を多元センサーで観測・分析をかけ、マギプラスに精査させ、とりあえずこれとこれは別っぽいから別カテゴリで、と雑に仕分けもすませてあるのだ。

 

 作戦行動中は疑似イナーシャル・キャンセル用に重力子・斥力子をふんだんにばらまく必要があるため、各種諸元とそれが体細胞に与える影響のシミュレーションは必須だったりするし、最初の頃私とシンジだけが乗ってヴンダーを運用していたのも、実験用ラットとしての役目を果たすため、みたいなところがなくもない。当時は今より細胞が人間を辞めていなかったので、充分各種エキゾチック物質が人体にどう影響を与えるかの参考にできたのだ。(ただ、BM判定を受けた後、色々あってキレたシンジパンチで試作耐圧プレハブ用の超硬ジオクリート隔壁に亀裂が走るみたいなインシデントが起こる程度には辞めていたので、正直参考値ではあったりする)

 

 そして想定される各種作戦や作業必要に応じ、個々の物質ごとに産生プロセスを確立、組織内部に備蓄なども済ませてあるのだ。

 

 艦内が安定した1G環境を保てているのもこれら重力・斥力系の実用技術がある程度確立されていて、なおかつ人体への各種物質の影響も概ね検証済みだからで、だからこそ第二次改装で大幅な有人化へと舵を切れたわけ。

 

 とくに人工重力の安定は必須かつ最重要で、重力と斥力の総和で1G環境を作り出し、通常航行中であれば問題なく維持・安定させられるからこそクルーが内部で気軽に生活・移動ができている。

 

 これができず人工重力が不安定な状態になってしまっていると、極端な話、突然廊下に10Gの重力環境が発生して、運悪くそこに居合わせた人員が突然自分の体重が十倍になり転倒、『強く身体を打ち』殉職なんてことになりかねない。

 

 あるいはたまたま甲板に出ていたら、10倍の斥力が発生して青空めがけて射出、そのまま転落死なんてのも考えられるかもしれない。

 

 ともかく、運用が地味に大変、というのはわかってほしいわよね。大変だったのよ。私も艦長も旧司令部スタッフも、それこそ年単位をかけて、人手が足りないところにああでもないこうでもないって、死ぬほど頭ひねったってーの。

 

 ともかく、マギシリーズの高度な分析能力抜きでは絶対にここまでの柔軟な重力系制御の確立および発展は不可能だったろうし、なんというか先代のマギと後継のマギプラスには頭が上がらない。かといって、マギを量産すれば人間を完全代替! 人手不足全面解消! となるかというと、どれほどマギが優秀でも、そういうのは実は無理だったりする。

 

 マギプラスを構成する各ユニットには、運用しやすいよう疑似人格が植え付けてはあるけれど、だからといって会話ができるわけでもない。

 

 そもそも人間の脳機能のコンピューティングへの応用を主眼に開発された脳型コンピュータ、というのがマギシリーズの一連の計画のそもそもの成り立ちなのだ。

 

 まず、ヒト脳細胞を元に作ったのでは頑丈さが足りず、それに人道面での問題が発生するので、人工脳細胞を作るのが、最初の課題になった。

 

 このため、各種の化学触媒を用い、珪素ベースの半導体物質や、ヴンダーが産生するエキゾチック物質のうち都合のいい導特性を持つものを組み合わせ、ヒト細胞より強度の高い人工脳細胞を作り上げた。

 

 次に、この脳細胞の成長・機能維持と、贋造ニューロンの生成・抹消などによる配線替えを可能とする、人工脳・脊髄液を作った。水ガラス、シリコンオイル、ヴンダーから生まれたよくわからないけどなんかこういう挙動はするらしいそういう謎の物質、そういうものをごたまぜにした、『ともかくそう動いてくれる』都合のいい、マギプラスシリーズの維持と生育、修復を司ってくれる人工体液だ。

 

 これに関しては専門書が何冊書けるかしれたものでないほど苦労した。リツコが。なので、リツコが暇になり、気が向いたら何らかの著作を書くかも知れないけれど、現状人類は存亡の危機なので、当分その暇は訪れない。リツコは気の毒だと思うけれど、そのあたりの忙しさは私たちも大差ない。纏まった暇がほしい。

 

 ともかく、これらの技術の開発の成功により、脳同様の成長性をもちながら、デジタルなインプット・アウトプットを可能としつつ、ヒト脳より物理的強度を高めつつ、電磁パルス攻撃や太陽風、宇宙船といった危険な電磁波や、L結界による物体相転移変性への耐性を高めたものが、マギシリーズの最新型にしてヴンダーの脳髄、私達が誇る叡智の結晶にして私と艦長とリツコの誇り、マギプラスなのだ。

 

 まあ誇りではあるんだけれど、私と艦長の都合のいいサボり場だったり、レイが実益と趣味を兼ねて世界中のありとあらゆる書籍データを詰め込んでいたり、クロさんがどこから探し出してきたのかわからない量のクソ映画データを詰め込んでいたり、そのクソ映画をデジタル補正で高画質4K化したり、私が趣味で名作からクソゲーからなにから電子データ化して詰めて、艦長やヴンダークルーと遊んだり、青葉さんと艦長が趣味で持ってきたけど劣化したカセットテープだのCDだののデジタル音楽データをこれまた高品質化したり、マギシリーズ最新型でメンテが旧マギに比べて容易でアクセス簡単データ容量たっぷりとはいえ、どいつもこいつも私用がすぎるといわれればごめんなさい。いや暇なときは暇なのよ航海中って! しかも中途半端な小分けの暇だから思いっきり一週間休みますとか出来ないし! わーい6時間暇になったーとかだいたい一桁よ一桁! 半端でなにもできやしない! でも6時間やることないわねーってぼんやりしてるのって意外ときっついし、暇つぶしが大事なときってほんと大事なのよ! こちとら一応人間のはしくれ、年がら年中研究やシゴトばかりしてらんないっての!

 

 ステイステイ。落ち着け私。

 

 で、マギプラス生成にあたって、ベースとして諸事情によりヒト脳をわりと辞めている艦長や私の脳をサンプルとして設計がされた。私と艦長の脳は、思考がつながっていると言うか、脳内で生成される電子が常に量子もつれ状態で互いの脳に生成されるという奇妙な特徴があったりする。

 

 これによって私と艦長は思考がリンクしているわけだけれど、このリンク機能をマギプラスを構成する各端末同士で持たせることができれば、データリンクやインプット・アウトプットの面で非常に便利であり、なんならこの特性を利用して、高量子ビット数の量子コンピューティング処理だってできるようになるのだ。

 

 でまあ、計測された電子状態を元に擬似人格を形成、OSとしてインストールされたわけなので、艦長や私からすると、とてもシンクロしやすいものになっている。え? どうやって量子もつれするような電子生成を可能にして、同調・接続を可能にしたかって? ……混ざりもの状態でこの辺は大丈夫かな、な脳細胞をちょっと取って培養して一部補助。うん。これ以上は機密なのであしからず。

 

 いざという時自分の脳の拡張メモリや拡張演算装置として運用することさえできるけれど、会話ができたりとか、強いAIよろしく本物の自我があります、というわけでもない。

 

 これこれこのタスクをこなしてと指示書を出して、その種の処理を任せると勝手に成果物をあげてくれる優秀な部下、けれど戦略判断はできません、といった味がある。

 

 生成過程が生成過程だけに、量子コンピュータおよびノイマン型コンピュータを統合したすこぶるつきの優秀な演算システム、ビッグデータの取り扱いは大得意。

 

  なんならシミュレーションから状況予測、砲撃諸元の算出、L結界による物理事象変動予測等、人間には到底不可能な規模の演算を可能とする強力なシステムではあるけれど、これ程に高度なコンピュータを持ってしても、入力数値の差異や演算式選定ミス、センサーの故障、データの統合エラーといった細かな要素から、結果として演算を失敗し、現実にそぐわない数値をはじき出す事がある。

 

 この世にある単語で、完璧の二文字ほど、幻想の二文字に近い単語はないってことなのよね。

 

 なので、そうしたトラブルに対応すべく、相応の数の人員をブリッジに配置しなければいけないわけで。

 

 マギプラスは重機にも似て巨大な演算力を持っているけれど、巨大な力というのは、得てして微細なエラーを『些細なことだから無視しちゃいますね』と度外視してしまう。というか、そうしないと小数点以下を無限に演算してしまうため、そこで演算が止まってしまうのだ。

 

 なので、どこかで『その桁から上は繰り上げね』と処理する必要がある。円周率のようなものだ。約3だったり、約3.14だったり、精度上げたいならいくらでも桁は増やせるけれど、あまり増やしてると計算が地獄のように大変になるのは、ヒトも機械もかわりない。

 

 ただ、微細にすぎないようで実はそれが致命的エラーというのは充分ありうることだったりする。マギプラスはヒト脳がベースとは言え、基礎はあくまで演算システムであり、現象よりも数字を見るところがある。なので、ヒトから見ると「なんでそんなボーンヘッドするの!?」みたいなことをやらかしたりする。

 

 たとえばロボットを作ったとする。

 

 で、このロボットの歩行プログラムを手早く作りたいからと、ロボットの仮想モデルを生成し、これに二足歩行できるよう二足歩行方法を学習させてね、というふうに自己学習式シミュレーションを実行させたとする。

 

 ここでマギプラスが勘違いしたり、あるいはシミュレーション設定者が条件設定を間違えると、24時間後に自己学習成果を見たところ、『歩くより転がるほうが効率がいい』と言わんばかりに仮想現実内のロボット仮想モデルが延々前回り受け身を続けている光景が出現していたりするのだ。

 

 そういうのの良し悪しが、コンピュータにはわからないところがある。

 

 なので、そういうところはきちんと人間が補ってやる必要があるのだ。つまりは相補性。

 

 現状人の数が10分の1になるということは、専門家や科学者の数も10分の1になったということで、共同研究等を乗算として考えるなら、人類の科学研究能力は100分の1にも1万分の1にも減衰したと考えられるかもしれない。まさに唾棄すべき悲しい現実。

 

 なので、そういうのを補うためにマギプラスは必要だし、かといってマギプラスがあっても人間は不要になりません、というお話なわけ。

 

 それはそれとして。

 

 ブリッジクルーの鮮やかな仕事のおかげもあり、無事、重力・斥力操演の準備が整ったので、それら重力子と斥力子をばーっと砂漠にばらまいた。

 

 それらの微細な重力源と斥力源は、地球重力や散布された別の重力子と斥力子と相互作用しつつ、地表へ向かって落ちていく。

 

 もちろん斥力子は重力に対応した斥力を司るので、重力めがけて落ちるなんて嫌だー! と反発して上昇しようとするわけだけれど、それは困るので、質量として0であるため重力を有さず、しかしながら絶対的といえるほどの物理干渉力を有する針ATフィールドを各斥力場ごとに展開して固定する。ビリヤードのキューを想像してほしい。本体部分がATフィールド、先端部分が斥力子を格納したまた別口のATフィールドでできたキュー。

 

 その構造をもってして、地球の重力に反発したくてたまらない斥力子を、うるせえだまれ落ちろ落ちやがれで無理くり地べたへ押し込んでいく。なにしろヴンダー、こちとら全長2千m超え、推定重量2億トン、ちょっとやそっとの斥力がジタバタしようと、この恐るべき質量に保持されたATフィールドに抗えるものではない。

 

 重量だけれど、アダムス組織なので色々変動するため、あくまで推定値になるのは勘弁してほしいところ。なにしろ電流流して「かくあれかし」と思うだけで、充分物質に干渉しうるだけの重力子を産生する代物なので、重力・斥力制御を行うだけでも色々各部の重量が変わってしまうやつなのだ。

 

 通常形態ですらそのざまなので、突撃形態へ変形すればますます変わってくる。いわゆる排水量とかそう言うので測れないところがあり、エヴァと使徒、そしてアダムスが可視化された対称性の破れ、動く法則破断、受肉した特異点と呼ばれる所以だったりするのよね。

 

 そんな塩梅で、ATフィールドの針、を食らって、いやいやリビア砂漠の地べたに押し付けられた斥力子が跳ね上げた大量の砂漠の砂を、今度は落ちて地球に吸い付きたくてたまらないけれど、これまた針状ATフィールドによって落下を阻まれ、空中に位置を固定された重力子が、ズルズルと砂を吸い上げる。

 

 あー、久々にビリヤードやりたいわね。あれなら艦内でもできるし、マギプラス利用のシンクロシミュレートでもいいけれど、実物の台で遊ぶというのはまた感覚が違う。

 

 それに中学校時代、まだバカシンジだった艦長含めた3馬鹿やヒカリ、あと加持さんあたりまで巻き込んで、皆で遊んた思い出があるのだ。あれをやろうと最初にいい出したのは誰だったか、今では艦長も私も思い出せない。私じゃないのは確か。その頃の私は自分から他人づきあいしたがるタイプじゃなかったもの。

 

 ただ、そのときは認めていなかったけれど、無意識ではそういう他人との付き合いが楽しかったし、待機だ迎撃だ実験だで時間がとれない中、ゲームセンターだけ夜遅くまで開いてるのをいいことに、艦長を引っ張って練習に行き、店長に無理を言ってマッセとか馬鹿みたいに練習したのを思い出す。

 

 ネルフ勤務と学校でプライベート時間が削られるってーのに、それでも必死に練習した理由は……あー、そうだ。トウジだ。

 

 あの洒落くさい遊びを洒落臭いと言って拒む中学生当時の時点でおっさん臭いことこの上なかったあのトウジが、トウジのくせに死ぬほど強くて腹たったからだ。

 

 何が腹立つって芋ジャージのくせにあいつ店長からトウジだけはマッセやっていいよくらい球捌きが絶妙で、球に奇怪なスピンを加えて打つもんだから、球が気持ち悪い曲がり方して綺麗に番号順にポケットに落下し、あいつが本気だすとナインボールの場合あいつの番でだいたい終わる。

 

 年中芋ジャージオンリーなあたり含めてガサツ極まる性格といい見た目といい、融通きかない体育会系の権化みたいなメンタルのくせに実は運動神経は大したことがなくて、短距離走は早いけどバスケットだと一人バタバタ走り回っておしまい、シュートもろくにキメられない下手くそのくせに、ともかくビリヤードだけはやたらあいつは巧かった。

 

 あまり腹が立つから私も真似しようとしたら、店長に素人はラシャ痛めるからマッセ禁止ね、とやんわり言われてさらにキレ散らかしたのを覚えているし、ヒカリに文句言おうと思ったらヒカリはヒカリで鈴原の新しい魅力を見つけた、みたいにひっそり目をキラキラさせててその日は無様に只管キレ散らかしていた。

 

 ケンスケはケンスケで、トウジみたいな妙な器用さとスキルはないんだけど、ともかくあいつは手堅くて、ミスショットがなかったのよね。サバゲの影響と、トウジとの付き合いもあるんだろうけど、ともかく手堅くてミスショットがない。慣れもあるんだろうけど、バンクショットをほぼ外さないからこいつもほんと相手をしてて性質悪かった。

 

 あとバカシンジにねっとりと加持さんが絡みついて手とり足取り初心者向けビリヤード講座してて、ホモ変態ばーかばーか死ねみたいな無様な捨て台詞を吐きつつ、仕舞いにはすねて自動販売機脇でグンペイやってた負け犬状態な14才の私の思い出が蘇る。

 

 いやゲーセンに来て携帯ゲーム機を遊ぶんじゃない当時の私。ゲーセンなんだからゲームをやりなさいゲームを、と思い出の自分に言ってもしかたないか。

 

 たしかあの店、エイリアンvsプレデターとかパワードギアとか稼働してたのに。もったいない。あ、ヴンダー6年目ぐらいにレイが私と艦長がヴンダーで遊べるものって除染してコア化状態から戻した基盤持ってきて、苦心してマギプラスに接続して、艦内イントラネットで遊べるようにしてあったりする。福利厚生は大事なのよ。私と艦長は籠の鳥なので、割と正直娯楽に飢えているので本当に有り難かった。

 

 それはそれとしてビリヤードだけれど、その後もなんだかんだ皆で遊ぶ機会はあったし、密かに練習もしたけれど、トウジにはついにリベンジを果たせずじまいのまま、現在に至る。

 

 ああいう性格でああいうの興味もってるわけがないと思ってたトウジがそういうのをやるのが先ず意外だったけれど、いろいろ縁があったのかもしれない。それに、あいつの今の仕事は手先の器用さに他人の生命がかかっている。つまりそれくらい昔から手先があいつは器用だったのだ。

 

 そういえば、中学校のみんなで、みんなでサバゲやったこともあったわね。

 

 回数はそんなに多くない。

 

 たしか、サバゲしにでかけたのは2回くらいだったと思う。ケンスケがたまには一人じゃなくて皆でサバゲをやりたいと愚痴ったらしく、それをシンジから聞いたミサトが妙に乗り気になってしまって、わざわざ車を出してくれたのだ。

 

 あげく箱根の山奥の、多分ネルフ所属の特殊部隊の訓練場だとおもうんだけど、そこをミサトが演習名目で貸し切りにしてしまい、本来軍隊が使うようなご立派な演習エリアで電動ガン振り回して、皆で盛大にお遊びの撃ち合いをやらかした。

 

 慣れてないシンジは、当然位置バレバレで身を隠すことも考えず、うろうろしてるもんだから即ヒットで退場。単細胞の突撃バカのトウジも音で位置バレして即ヒット。

 

 だから、その日何回かフラッグ戦やったけど、だいたい私とケンスケが主力でやり合うことがおおかったのよね。まあ専門訓練受けてる私のほうが直接の撃ち合いは強いし、CQBレンジなら、エアガン使うまでもなくナイフキルでヒット取れたし。

 

 ただ、ヒットとりにいくことに夢中になってて、フラッグ防衛から意識が飛ぶボーンヘッドをやらかしてしまった。脳みそシングルコンバットはこれだからダメ。

 

 キルしたケンスケ相手に勝ち誇ってる間に、ケンスケの指示で密かにフラッグ狙いにいってたヒカリにフラッグとられて敗北、ゲーム終了。ケンスケを始末したらあとはヒカリだけだし、と油断していたので、戦術で勝って戦略で負けたとはこのことだと思う。

 

 あのときは腹が立つやら悔しいやらでほんとみっともないぐらいキレ散らかして、次の試合からほんと素人相手に本気出して勝ちにいったのは覚えてる。

 

 ってもあいも変わらずシングルコンバットで他人を頼みにしない猪突もいいとこだから、どれだけ動きが良くても、いい感じにケンスケが指示出しした他の連中の牽制射が邪魔で進撃できずしばしばあしらわれたっけ、いえ突破できるときは突破したわよ、ブッシュくぐって迂回突破。一応そういう訓練受けてたし。余技だけど。意地よ意地。

 

 あれも今思い出すと(当時の私は気づいてなかったけど)結構楽しかった。

 

 要所要所で戦闘推移を見たミサトが、チームバランス見てバランサーとして入ってくれて、わざと切られ役よろしく動くこともあれば、電動ハンドガン一丁で単騎駆けフラッグアタック成功で、負けが込んでやる気をなくしかけてたシンジやトウジのやる気を戻したりしてた。

 

 他人に気を使わないがさつさがむしろ演技。実のところは気を使いすぎでそれが大げさ大仰になるのがミサトのミサトらしいとこで、だからあのときも結構気を使ってくれてたんだと思う。

 

 もしあのあとも機会があって、シンジやトウジの腕が上がったら、ケンスケと同じチームでやっても面白かったかもしれない。

 

 そういやケンスケが造る昼食、いかにもミリオタって感じの野戦食で、そのときは私、たしか『レーションかよ』みたいな反応したんだった。

 

 でもあいつ、いろんな軍隊のレーションをどっからか仕入れてきて、美味しいのをなるべく出すようにしてたのよね、今にして思えば。

 

 軍隊ごっこだ不謹慎だなんだかんだと死ぬほど口でバカにした記憶があったけど、みんなでわいわいたべると、ちゃんと美味しいやつはちゃんと美味しかった。

 

 そういうあいつのミリオタぶりは、第三村立ち上げから維持に至るまでずっと役立って、今でもレイの話では随分そういう知識と経験をフル活用しているんだそうだ。

 

 さほど付き合いが長くないとは言え、私が人間らしく生きられた時代の、ごく短い間とは言え友達だった男二人の妙な取り柄が、妙な形で生きている。

 

 人間のどういう要素がどういう風に未来へ繋がっていくかなんてわからない。意外な強みが意外な形で発揮されることもある。人生は驚きの連続なのは、10年ヴンダーに缶詰の今でさえしばしば思うことだ。

 

 何もかも懐かしいし、叶うならまた会って、何でもいいから楽しいことをして遊びたいとも思う。

 

 とはいえ私も含め、みんないい年をした大人で、14の頃のように遊ぶわけには行かない。

 

 それに何より私とシンジ──艦長は、三号機事件の張本人。第三村に顔を出したとして、面白い顔をしない村民も多いだろう。

 

 昔艦長が試しに半舷上陸した時は、12.7ミリ対物ライフルの狙撃のお出迎えを複数の狙撃ポイントから受けたくらい。まあイズモの連中に予定が漏れた、と考えるのが妥当かもしれない。

 

 ニアサードで家族を喪った人々による私的復讐の線もある。まあ、未だに犯人が判明していない時点で色々察しがつきもする。まあ、『疫病神』ということだろう。

 

 なんなら手紙でやり取り、ってのも手かもしれないけれど、あいつにあの疫病神どもから手紙が来ている、というだけで、トウジ自身に妙な悪評が立ちでもしたら申し訳が立たない。

 

 昔から第三村へ連絡員として行き来し、なんなら村の維持や復興、苦情対応をやってきたレイや、食料から生活必需品まで、あらゆるものを運んで村の機能を維持し続けたクロさんのようにはいかないのだ。自らに罪なしと自認はできても、他者の汝ら罪ありという意識は、こちらでどうこうできるものおじゃないわけで。

 

 ま、なくしたものは戻らない、過ぎた日々も帰ってこない。過ぎた夏より来たる秋よね。

 

 ともかくビリヤード台に関しては、半舷上陸予定のレイにお願いしておこう。多分あの街なら、ラシャの予備やキュー含めて手に入るはず。その程度には繁栄しているものね。

 

 艦内サバゲ……は流石に無茶か。事故死者出かねないし、たぶんゲームの内容的にこの一ヶ月で艦長が訓練という名の身体で死ぬほどわからせ体験をさせたので、そのトラウマで楽しいどころかもういやだになるクルーが大量発生するのは想像に難くない。 

 

「……なんか砂を空中に次から次へ引っ張り上げてますけど、なにやってんすか?」

 

 どこかぼーっとしたところのある響きを帯びた若い男の声が、私をあまりにも長すぎる回想から引き戻す。

 

 やってしまった。

 

 何をやっているのか気になったのか、多摩少尉の顔の作りはいいけれど、人格のせいかどこか緩さのある顔立ちが、シートに腰掛けたままシンクロしていた私の顔を見下ろしていた。

 

 説明すると言われて説明もなく、行っていることが重力操演機能を利用した意味不明かつ壮大な砂遊びなので、流石に聞かずにはいられなくなったのだろう。

 

 やってしまった、というのは、艦長と私の二人でやってたころの悪い癖で、単調な作業にかんしては、マギプラス任せのほうが楽でミスもないので、自分でやらず大半をマギプラス任せにして、なにがしか別のことに手を付けてしまうというものだったりする。

 

 マギプラスから作業プロセスのデータを呼び出して艦長や私の脳を通過させ、ヴンダーに「考えてるのは私ないしは艦長」と思い込ませて作業に専念させるのだ。

 

 で、私達自身の脳の9割9分はというと、別の作業に当たったり、各種研究の論文を書いたり、さもなければマギプラス内部に構築した暇つぶし空間で艦長と遊んだり、二人で映画を見たりして、仕事をしながら堂々とサボるなんてことをしたりが普通だった。

 

 そんな悪癖があるものだから、つい、いつもの癖で作業中に回想にふけってしまったのだ。軍人というより社会人失格かもしれないなどと、ふと思う。娑婆に帰れるかしらね私。マギプラス抜きの社会生活してる自分が、正直想像つかないわよ。

 

 3次元CAD設計でレンダリング中みたいなもので、レンダリングが終わるまで暇で仕方ないから何かしら別の仕事をこなすようなものといえば伝わるだろうか。ともかくそれくらい、することがなくて暇なやつ。CAD設計以外のたとえだと、そうね。目の前で勝手に回る、回転によって何かの仕事をしているらしいけれど、その仕事の正体も回転する理由も不明な無人回転奴隷バーの、回転の見守り作業とか。あと交通量調査ただし一時間ぶっ続けとか。

 

 それくらい、暇。とはいえサボりはよくないわけで。今回の主目的は教育なわけだし、オペしながら説明する、といいながら、見て学べと言わんばかりに放置はよくない。仮にも中佐で指揮官格、人を入れると決めたんだから、こういうところはちゃんと直さないといけないわよね。。

 

 一呼吸挟んで思考を切り替える。さて、どう説明したものやらと思いつつ、私は脳裏で言葉を練りながら口を開く。

 

「艦長演説の後、皆に給料出すって言ったじゃない?

 

 でも現状、世界全部で通用するような便利な非兌換通貨なんてないし、だから根本は物々交換で、向こうの現地通貨を仕入れる必要があるのよ。

 

 みんなの給料だけじゃなくて、ヴンダーの修繕に必要な修繕物資や施工機械のレンタル費用諸々、現地オペレーターの人件費、停泊場所を借りるだけでもこの巨体だから相応に代償が必要なわけ」

 

 私の言葉を聞いた多摩少尉が、一瞬首をひねったが、すぐに見当がついたようだった。

 

「物々交換ってことは、仕入れですか。

 とはいえ、なんていうか、見た感じ、さっきから集めてるのってただの砂っすよね。これって売り物になるんスか?」

 

「砂ってだけでも案外売れるのよ。何しろ人が入れる領域が限られる時代だし、ただの砂でも各生存圏にとっては垂涎の一品だったりするのよね。

 

 昔じゃ値段がつかないような木材一つでも、現状じゃほんと高級品。木材っぽいのでも、大抵が二酸化炭素なんかをマテリアルに触媒作用で合成した炭化水素ベースのフェイクで、天然物なんて超が付くほどの貴重品、貧乏人に手が出るもんでなし。

 

 要はなんでもかんでも貴重貴重、そういう時代だからこそ、どの生存圏でもたかが砂、されど砂みたいなもんで、ヴンダーが全力で砂だけ持ってっても結構な価値になるのよね。

 

 これから行く先は大きな生存圏だから、ただの砂でも建造物用の骨材としてひっぱりだこだし。ただ、もちろんそれだけじゃ、必要経費が賄いきれない。それで、わざわざ遠回りしてリビア砂漠まで来たってわけ。っていうか、ここの砂くらい細かいと摩擦係数が低すぎて骨材に使えないっていうのもあるから、当然目的は別口だけど」

 

 多摩少尉が得心したような表情を浮かべる。

 

「L結界を退去させやすい分、作業の面倒が少なくて済むので、相対的にコスト安、すか。

 でも他にもなんか理由ありそうスね、その言い方だと」

 

「気づきがいいわね。

 

 少尉の言う通り、他所の砂漠じゃなくて、ここを選んだのには相応に理由があるのよ。

 リビア砂漠は砂漠としては高齢で、かなり成熟が進んだ砂漠。

 

 長い歴史のある砂漠は、熱変化による風化作用と、風が原因の摩擦の2つの作用から、割れたり表面がすり減って研磨されたみたいな状態になってるわけ。形状は粒ぞろいの球状がおおくて、砂粒は0.1ミリから1ミリ大。見たほうが早いかしらね」

 

 私は手元のタッチパネルを操作して、リビア砂漠の砂サンプル画像をモニタに表示し、多摩少尉に見るよう右手に人差し指で見るよう促した。多摩少尉が覗き込む。

 

 細かく粒ぞろいで、しかも球状の、ごく僅かに黄色みをおびた、けれど透明な無数の砂粒の映像を見て、多摩少尉が感心したように呟く。

 

「サンプル画像で見ると、結構透明なんすね。丸くて、粒はもっと小さいスけど、子供のころ食べた菓子に同封されてた脱酸素剤のシリカゲルに似てるッスね」

 

「そう。成熟してるってのはそういうことで、ずっと砂漠地帯だったから、表面から他の成分が風化なり摩滅なりでなくなってしまって、91%がほぼ石英質。石英の大半は二酸化珪素だから、珪素をマテリアルとした工業素材作成に丁度いいってこと。

 

 ほんとはもっと南のボツワナのカラハリ砂漠あたりがもっと珪素質割合はたかいんだけど、ルート的にそこまで遠回りしたくなかったし。

 

 まあ、いくら純度が高いって言っても9割程度だから、1割は余分は混じってるわけ。重金属とか、あとはなんだかんだ混じってる塩化ナトリウムとかね。そういう成分があると、モノの仕上がりが悪くなるのよね。

 

 だから、マテリアルとして使うための下ごしらえとして、重力・斥力操演やATフィールドを利用して粉砕したり不純物を取り除いたりするわけよ。つまり、こう」

 

 重力場や斥力場、ATフィールド、そうした諸々の力場の相互作用の結果として、ヴンダー下方70メートルの位置には艦底に平行に、いくつもの砂が固まった砂球が、直径一キロのリング状に配置されている。

 

 私の脳波による音声無き号令に応じ、そのリングが超高速で回転を始める。一見シンプルなリングが回転しているだけにみえるけれど、実のところ単純に回転しているのではなく、土星の輪のように幾重もの輪で形成されていて、それぞれの輪の回転速度がそれぞれ違っていて、輪を形成する砂同士が干渉するよう配されてたりする。

 

 そして外見的には輪が浮遊しているようにしか見えないけれど、実のところはATフィールドの針と重力子を組み合わせた構造物がさっき言ったようにハリネズミ状態で配されており、これがぐるぐると速度差をつけて回転することで土星の輪のような摩擦粉砕リング構造を形成しているのだ。

 

 このへんのぐしゃぐしゃしたATフィールド変形は、今は無き第6の使徒の形象変形記録をかなり参考にしたやつで、昔からなんだかんだとお世話になっていたりするのだ。戦闘以外の用途で使うとは、あの頃はおもっていなかったけれど。

 

 ともかく、高速の回転で粉砕珪素質成分から重元素を追い出すように遠心分離をかけつつ、また別の重力ATフィールド針を下ろして砂を吸い上げにかかる。

 

 モニタに映し出された作業進捗状況や、リング内の光スペクトル分析による元素位置の変化を見て、多摩少尉が感心したようにうなずいた。

 

「粉砕をかけることで、重元素の粒だけでなく、砂を構成する珪素質の内側の不純物も取り去ってるわけですか。

 

 ATフィールドの絶対強度も併用しているから、粉砕度も高い。時折網みたいなパターンでフィールドを展開してるのは、粉砕した砂の分子単位の仕分けと不要成分の除去が目的スかね? いえ、工業はさっぱりわからないスけど、ヴンダーの操演とATフィールドは、こういうふうにも使えるんスね。驚きましたよ。こういう使い方は考えたこともなかったっス」

 

 む。さっぱりと言う割に、見ただけでそれなりに言い当ててくるか。こいつはこいつなりにATフィールドの挙動や展開方法を勉強してるってことね。

 

 流石にヴンダーのアダムス組織が産生するエキゾチック物質の「なんかこの元素に特性が類似してる」という点を利用し、ATフィールドで位置固定かけて触媒反応をさせて珪素を純化している、まではわからなかったようだけど。というか砲術屋がそこまでひと目で当てたらそれはそれで怖い。

 

 内心で多摩少尉を少し見直しつつつ、私は彼の言葉に頷いた。

 

「そ。戦うばかりがヴンダーの仕事で無し、この10年、人類生存圏の維持発達のためのあらゆる物資の調達・供給、科学分野の研究もヴンダーの大切な仕事なのよ。

 

 人口だけじゃなくて科学者も減って科学設備も減ってアレも足りないコレも足りないだもの、私だって本来軍隊勤務の戦争屋が、何の因果か研究職と二足のわらじ。

 

 ま、そのへんはうちの艦長とエヴァパイ二人も同じだけど」

 

 ぼやく私に、けれど多摩少尉が不思議そうな顔をした。

 

「でも副長、説明してる時楽しそうっだったスよ」

 

 一瞬彼の言葉の意味が飲み込めず、あっけにとられた気分になる。

 

 艦橋内カメラを使ってシンクロ操作で脳裏にカメラ映像を移すと、変な顔をした自分が見えた。きょとんとした顔というのはこういうのをいうんだろうか。

 

 楽しい、か。楽しいね。うーん。

 

「楽しい、まあそうね。楽しんでないって言えば嘘にはなるわよ。

 

 これをこうすればあれがよくなる。あれをああすればあれがよくなる。問題点だらけの世の中だから、問題点はわかりやすいし、そこを何とかできて目に見えて状況が改善されれば、誰が褒めてくれなくても誇らしいっていうか、やった甲斐があるってなるじゃない」

 

 当たり障りない言葉を選んで返しているような、それが本音でもあるような、妙な気分になってくる。

 

 この10年、この世界のために私達やヴンダーにできることなら、それこそなんだってやったと思う。

 

 重力異常で漂っていた新型機を軍用機も民間機も区別なしで回収、除染してリバースエンジニアリングをかけ、ニアサードの結果として失伝状態になっていた各種新技術を機体から回収したり。

 

 そういった技術を応用して、まだ各国で試作研究段階だったパルスデトネーションエンジンをマギプラスのシミュレーション上とはいえ設計をモノにして、研究・生産力のある生存圏に回したり。

 

 ともかくそんな調子で、あれこれと色々成果をあげ、相応に感謝されたり褒められたりするのは、悪い気分がしない。

 

 また、そうしたノウハウの積み上げは、あるとき想像もしていない、本当に意外なタイミングで利用できたりする。基礎研究の積み重ねは、妙なタイミングで化学反応をおこし、パラダイムシフトを引き起こすものだ。逆に言えば、充分に材料が揃わないと、その種の反応と転換は絶対に生じないわけで、今日もこうしてあれこれそれこれ、せっせと積み重ねているのだ。

 

「あれこれ手掛けていると、妙なタイミングで妙なものが役に立ったりすることがあるのよ。わかりやすいのがこの間の艦長の光子爆雷ね。特殊ブラックホールのホーキング輻射エネルギーを利用した即興の爆雷戦。装備がないなら造ればいいし、それができるフネだし。

 

 ただ私は飛ばすのは巧いけれど、ヴンダーの創造という面での権能をああいう形で咄嗟に発揮はできないわね。

 

 ま、一長一短、バランス取れてて丁度いいのかもしれない。飛ばす方のエンジン廻りのテックなら、私も一家言……と自慢するほどのものではないけれど、自信あるし。パイロット専念からいつの間にやらエンジン設計ってのも皮肉な話だけど」

 

「戦って勝てばいい、ってだけじゃないってことスか。訓練施設で聞いていた話と、任務内容が随分違う気がします」

 

「いいのよ。研究者が少なすぎるからやってる非常のことだし、今は与えられた職掌を十全にこなすことを覚えてくれればいい。この種の生産・研究なんかは、余裕できてからでいいから。

 

 だいたいアンタ、世が世ならまだ高校生でしょ? まだまだガキ時分だってのに、それでブリッジクルーまで上がってきたんだから上等よ上等。ま、この間の防空戦ではだいぶビビってたみたいだけど、初陣じゃしょうがないわよね」

 

「いや、それ言われるときっついス。艦長には気にするなって言われたスけど。

 

 それより、さっきから回してる珪素純化円環構造体? スか、A環からE環まで概ね珪素純度99%オーバーになったみたいスけど、これからどうするんですか?」

 

 っと、年上づらしてる場合じゃなかったわね。

 

 モニタに目をなげると、概ねリング内径部分は次工程に移っていい純度となっているようだった。

 

 思考の一部をマギプラスと同調させ、次工程に移行しつつあることを確認しつつ、私は多摩少尉への説明を再開した。

 

「次はねーー」

 

「わんこくーん、奥さーん、リビア砂漠に着いたってホントかにゃー?」

 

 説明を遮るように、唐突な乱入者の気配。

 

 軽やかな足音とともに艦橋に乱入する気配一つ。

 

 そちらに視線を投げると、猫じみた素早さで長い髪と羽織った実験用白衣をなびかせながら、艦橋前方の窓へ走り寄っていくピンク色のプラグスーツのちちとしりがでかい女の姿。能天気という言葉があるけれど、彼女に関しては全身天気という言葉を使ったほうがいいくらい、機嫌が悪い時を見たことのない女、真希波・マリ・イラストリアス。

 

 うわーっホントに砂漠だーっ結界ないのにあかーいっ、なっつかしーなどと楽しそうな騒ぎ声が、無邪気に艦橋内に響き渡る。L結界を排除して、なお赤みがある砂丘景色に、どうも真希波大尉は妙に思い入れがあるのか、いつも以上のテンションの高さの気配を感じる。

 

 なにやら圧倒されたような表情の(無理もない)多摩少尉が、おずおずと真希波大尉に言葉を投げた。

 

「真希波大尉、テンション高……じゃなくて、すごく嬉しそうっスね」

 

 その多摩少尉の言葉に、目から星でも溢れるんじゃないかぐらい瞳を輝かせながら、真希波大尉がこちらの方を振り返ってくる。

 

「わっかんないかなー! だってここリビア砂漠だよ? この様子だと当分暇そうだし、宝探しとか行きたいじゃん!」

 

 じゃん。じゃないってーの。L結界除去区域、まるっと砂しかないわよ。このへん。いやほんと。

 

 別口の可能性が脳裏をよぎるけれど、それは意図的に無視した。

 

「大尉、L結界内部に、お宝がありそうな場所なんてないですけど」

 

 多摩少尉の言葉に、私は頷き、言葉を続けた。

 

「それにヴンダー周囲のアンチLシステム効果範囲は、今まさに重力斥力の乱流状態で、それに加えて原料加工のためのATフィールド針が乱舞中、超がつくほど危険だってーの。

 

 アンチLシステムの外側は、圧こそそれほど高くないけれどL結界の赤い海だし、土台虚無もいいとこの砂漠オブ砂漠ってのに、一体どこに行きたいってのよ」

 

「だから宝探しだって多摩君に奥さーん! 昔からリビア砂漠と言えば名物のほらアレ! ね!」

 

 テンション上がりすぎて言葉でない病にでもなったのか、出てきた言葉が名刺ではなく形容詞。喜びが溢れすぎて挙動がおかしくなった猫とか犬とかペンギンとかみたいな挙動。A10神経オーバーフロー中みたいな。A10神経機能高いとシンクロ率上がるし、そういう意味ではエヴァ向きなのだろうか。

 

「副長、やっぱ既婚だったんスか?」

 

「やっぱじゃないし未婚、艦長とはミサトのせいの腐れ縁。あんたまで勘違いしないの!」

 

「いえ俺、艦長って言ってないスけど」

 

 その言葉を聞いた瞬間、顔が熱くなる。

 

 はず。恥ずッッッ!!

 

 いえこういう時こそ冷静さが大事よね。セルフコントロール。セルフコントロール。

 

 吸ってー。吐いてー。大地を感じるようにー。今飛んでるけど。地面遠いけど。ともかく大地を感じるようにー。

 

 よし。セットok。血圧、脈拍正常。

 

「……なんかそう言われるのよ。陰謀よ陰謀。

 

 諸事情で艦長と雪隠詰めくらってこのフネで10年だし、揶揄の類よ。そういうんじゃないから気にしないで」

 

「多摩くん、奥さん副長はこう言ってすぐ逃げるのが癖。騙されないでよん♪」

 

「よん、じゃないわよ!!」

 

「それはそれとしてアレ回収しにいきたいー。 ほら、リビアって言ったら、ね?

 

 副長奥さん、下船許可申請ッ! んー、もしかして意見具申の方がよかったかにゃ?」

 

 私の咆哮など気にも止めていない気配でさらりと流しつつ、執拗に要求を貫いてくる。真希波大尉が自分の欲望に正直なのはいつもどおりとは言え、この状況を理解してそれを言ってくるのだからメチャクチャだと思う。

 

 44Aはこの間大量に叩き潰したし、航海中の索敵データやL結界内部波動探査を踏まえて、ここにはまず来ないとはいえ、一応このフネが軍艦だという自覚は持ってもらいたい。

 

 それに一応準戦闘配置ではあるわけで、万一に備えて規則通り待機していてほしいわよ……っても真希波マリに通じるわけもなく。とうとう私は諦めて、彼女に確認するように問うた。

 

「まさかリビアングラス探しに行きたいとか言わないわよね」

 

「行きたいけどにゃ?」

 

「あんたバカ!? けどにゃ、じゃないわよ!?」

 

 至極当然のように頷かれ、思わず全力でツッコミを入れてしまった。

 

「副長、リビアングラスってなんですか?」

 

「ガラスよ、天然ガラス。極めて珪素純度が高いこの砂漠でだけ取れる特殊な珪素塊」

 

 多摩少尉の質問に、ため息混ざりの返答を返す。

 

 リビアングラスとは、リビア砂漠で稀に発見される、天然ガラスの事を言う。

 

 色は黄色から黄緑、深緑色と様々で、黄色系の天然ガラスというのは珍しいらしく、古代エジプトのファラオにも珍重されていたそうだ。

 

 その証拠に、副葬品にリビアングラス製のスカラベや装飾品が見つかっているのだという。

 

 そして真希波マリはと言うと、ここまで私が簡潔にまとめた地の文の文字数を、それこそ乗算で、あとさらに10のN乗がつくぐらいの勢いで、およそ常人には理解が難しいレベルの、異様に鮮明な歴史解像度のナレーションでもって、リビアングラスの素晴らしさについてまくしたてはじめていた。

 

 分間何文字? わからない。書き起こし文字数万単位? 想像したくない。マイペースで、テンション高いときは高い子なんだけど、普段ここまで熱弁を振るうことなんないだけに、流石の私も声がでないし口が挟めない。

 

 ヒトラーの電動ノコギリことアレでもここまで弾幕浴びせてこないわよという勢いなので、私も多摩少尉も思わずたじろぐ。

 

 エヴァのパイロットを辞めても声優かナレーターになれるんじゃないか、ぐらい言葉の滑舌がよく詠唱が早く、しかもそれだけ口調が早いのにちゃんと聞き取れ感情もこもっている。

 

 才能か。才能ね。なんたる才能の無駄遣い。

 

 一瞬で5メガバイトぐらいの文章情報量を脳みそに詰め込まれ咀嚼困難になり、途中にバビロン捕囚とかファラオがどうとかラムセス二世がオジマンディアスでモーゼがエヴァンゲリオンして海が割れ約束の地にいたりクレオパトラが愛した宝石とか情報過多で脳が混乱し内容がとぎれとぎれでかつ錯綜しているけれど、ともかく彼女にとって、それが思い出の一品であることまでは理解した。思い出といっても多分二千年以上前の話だけど。

 

 ってかアンチLシステムエリアから出たら、何もかもが赤いアレに埋もれちゃってるけれど、それを掘ってまわってさがすのだろうか。ちょっとどころではなく広大極まるリビア砂漠を。

 正気だろうか。気長なのだろうか。コア化が怖くないのだろうか。

 

 でも真希波マリだしやりかねない。私は内心で頭を抱えた。

 

 またしても背後から足音。

 

 多摩少尉の表情にわずかだけれど緊張が走る。そして、敬礼。 

 

 助け舟到来。私と多摩少尉のやり取りを無言で観察してたみたいだけど、イレギュラー出現なので流石に出張るつもりになったらしい。

 

 多摩少尉に答礼した碇シンジ艦長が、苦笑しながら会話に割って入る。

 

「見ての通り、副長が丁度硅砂の加工中だ。砂の回収過程で、その種の物体が出てくる可能性はあると思う。

 

 センサーを効かせておく。もし出てきたら、操演で選り分けておいて、確認が取れたらマリさんの手元に届くように手配しておくよ」

 

「ほんと!? 副長奥さんわんこくんベリーありがとう~!」

 

 そこの真希波人類史とともに生きてきました考古学大好き女マリイラストリアス、目をうるませるのをやめろ。

 

 なんか人外じゃないのかぐらいの勢いで駆け上っているのか跳躍してるのかわからない勢いでこっちへ突進するのをやめろ。

 

 てか艦長に抱きつくな。あげく頬ずりをするな。見せつけるように胸を押し付けるな。階級を考えなさい。空気読め。あとシンジ、今大尉のおっぱいの感触でエロい想像をしたわね後で覚えてなさいよ。

 

 分かってる。真希波マリはいつだってやりたいようにやる。

 

 ブレーキ不可能ネコ科女だってことは、この10年で否応なしに理解している。

 

 ってーかシンジ、助け舟とひとまずの状況収拾はありがたいけど、見つからなかった時どうすんのよ一体。クソ映画感想を聞けなかったときのクロさんぐらい凹むわよ真希波大尉。 

 

 ……ああ。はいはい。リビアングラスはテクタイトやトリニタイトの類で、隕石由来の超高熱で変性して出来たと推定されるやつだから、最悪ATフィールドで圧かけて無理やり贋造できる、と。

 

 そうね。この辺の砂漠は熟成してて、他の砂漠と違ってほぼほぼケイ素質だからパチモノはいざとなればこさえらえるけど。

 

 そういうこすっからいとこ父親に似てきてない? あんた大丈夫?

 

 まあいいけど。見つからなかったら真希波大尉、絶対4日ぐらいしょげてるし。

 

 などとぐだぐだした空気が流れている間にも、マギプラスによるほぼほぼオート制御で、空中を旋転する砂粒の精錬が進んでいく。もちろん、重力操演により、順次下方から追加原料の硅砂も吸い上げられている。

 

 幸い、それらの硅砂の中に、砂ではなく石ころより大きなサイズの、それらしき質量が混ざっていたので、レフトハンガーに連絡を送り、重力制御で放り込んでおいた。

 

 さっき艦長に脳内返答したとおり、リビアングラス生成過程の一説として、一種のテクタイトであるというものがある。テクタイトというのは、隕石が衝突した際にその高熱で蒸発した珪素が、冷えて再度固化したガラスの事を指して言う。このリビア砂漠は古く熟成が進んだ砂漠なわけで、その中に大きなものが紛れているとすれば、砂漠形成時から後、何らかの理由で紛れ込んだリビア砂漠外部由来のものである可能性が高い。

 

 もちろん通りかかった自動車の残骸だの、砂嵐で吹っ飛んできた他所の石だのの可能性は否定できないけれど、センサー群を利用して光学スペクトル解析をかけた限りでは、高純度珪素塊である可能性が高く、運が良ければリビアングラスかもしれない。

 

 もちろん、砂嵐か何かで紛れ込んだ砂岩の塊の可能性のほうが高いし、他にも砂漠に雷が落下することで珪石が溶融、そのまま固体化したフルグライト(雷管石)の可能性もある。

 

 リビアングラスは磨くと黄色なり緑なりの色味を帯びた透明のガラス質だけれど、フルグライトはそれほど綺麗なものでもなく、なんかこう凸凹した奇怪な骨みたいな外見で、リビアングラスのような綺麗なものではない。

 

 ただフルグライトならフルグライトで喜びそうよね、真希波大尉。雷管石の漢字名のとおり、砂漠に雷が落ちるとできる物質で、雷の通った経路に沿って形成された石英ガラス物質であり、この特徴から「雷の化石」と呼ばれることもある。

 

 博覧強記の真希波大尉、こういうのには目がないだろうし、コレクション目的以外なら、半舷上陸の際に換金したりするかもしれない。真希波大尉は然るべき博物館なりオーナーに預けることで部屋の余剰スペースを消費せずに済み、取引相手はレアな鉱物をコレクションできて嬉しい。

 

 長いこと生きてきただけあって、そういう交渉に意外なほど長けているのが真希波大尉で、だからこそ半舷上陸時にあれこれとお使いを頼んでいるわけだけど。

 

 まあ、ハズレならハズレで、真希波大尉がわざとらしく凹んで凹んだムーヴで楽しそうに(矛盾しているようだけれどそういうことをよく彼女はやる。楽しいからだと思う)じゃれ突いてきて鬱陶しさ半々困り半々みたいな気持ちになるだけだし。いや正直作業のジャマだけど、言葉でいうほど不快ではなかったりもする。

 

 ただそういう時必ず顔におっぱいを押し当てるのをやめてほしい。自慢か。おっぱい自慢か。こっちは一向に大きくならないのに。

 

 それはそれとして、作業の続きに戻る。

 

 取引するモノの出来しだいで、クルーに支払う給料やら、受ける工事の質やらが変わってくるわけで、戦闘でこそないけれど、地味に重要なミッションでもある。経済は人を活かしもすれば殺しもする。手を抜いちゃいけないわよね。

 

 

 続きやるわよ、と多摩少尉に目配せをすると、彼も気づいたようで、こちらに視線を戻してきた。

 

 私は先程までの情景を脳裏からさっと洗い流すと、再び作業に先進する。

 

 純度はとっくに程よい塩梅になっていたので、ヴンダー下部の格納庫予備ハッチを解放した。

 格納庫内部、ハッチ上に満載されていたポリエチレンの大袋が、重力に引かれて落下する。

 

 それらはヴンダー下方を旋回する、粉砕された砂の輪の中に飲み込まれた。

 

 無数の砂の奔流によって袋は一瞬にして原型を留めずに砕け、中身が砂に入り交じる。

 

 巨大な白色の砂のリングが、一気にして光を通さない暗黒色へ染まった。

 

「墨でも混ぜたんスか?」

 

「そんなとこ。墨汁じゃなくて炭素粉末だけど。これをケイ素粉末と均質になるまで混ぜてーと」

 

 多摩少尉の問いに答えつつ、重力制御によって旋転する黒いリングの軌道に、さらに別個に立体整形ATフィールドを展開する。形状はやや特殊で、細かく溝を切った円錐螺旋歯車機構とでもいうべきもの。

 

 さてここからは前回と手順を変えた新方式。なので、ひそかに思念で艦長にヘルプを請う。

 針状ATフィールドによる重力制御に加え、大型整形ATフィールド制御はやや脳負荷がきついし、それにこのあたりは生産物の質を高めるため新たに演算し直した新方式でもある。

 

 将来的にはマギプラスや、クルーの意思を出力元としたATフィールドを利用して全自動生産まで持ち込みたいけれど、それへの挑戦は次回作戦か次次回作戦以後の話になる。

 

 了解の思念を感じ取った。とりあえず5%、といったところか。

 

 艦長も寄港に向けて色々準備している真っ最中で、普通に歩いて話しているようでも、それはマギプラス等をあわせた彼の思考能力の1割程度で、残り9割はあれやこれやとヴンダー艦体内部の精査や工事施工の下準備、艦内イントラネットを利用した各部署との同時打ち合わせなどに用いられている。

 

 会議4つぐらいこなしつつ工事の準備のため艦内をドタバタ思考が走り回りつつ本人は一見艦橋でまったり過ごしているように見えている状態なので、色んな意味で人間をやめてるなーと思うけれど、その点は私も言えたことでは多分ないので、言わないことにしておく。思った時点でどのみち伝わってしまうし、言うだけ疲れて意味がない。

 

 ともかく艦長の助けを得たこととで、ATフィールド形成能力が1、2割増しくらいには向上した。

 

 お互い本気を出せばもっとあげられるけれど、それは頭が疲れるので、さすがにやらない。長丁場なのに無駄に急いで疲れても仕方がない。

 

 螺旋歯車機構の周囲を覆うように、内側に溝を切った、中央に空洞のある直方体ATフィールド場を艦長に展開してもらう。その直方体の内側の穴は、さきほど私が整形した円錐にフィットするサイズに設定しておく。

 

 そして、この2つを組み合わせ、混合物リングの軌道上に移動させると、円錐の広い側から炭素とケイ素粉末の混合物が慣性にしたがって流れ込むように配置した。

 

 そして、私は円錐螺旋ATフィールドを、立方体フィールドの中でくるくると回転させる。

 

 構造と原理を、一言で言ってしまえば、ATフィールドで作ったコニカル式コーヒーミル。

 

 違うのはコーヒー豆の代わりに、ケイ素と炭素が合い挽きにされるところで、土星の環のように展開された硅砂と端子の混合物が、ATフィールド製コニカル式ミルに一気に吸い込まれていく。

 

「都合数千トンぐらいの砂を、一気に処理できるもんなんスね……」

 

 モニタの中の各種数値を見て、感心ながら多摩少尉が頷く。

 

「ま、試しだから、最初はそんなもんよ。新方式だからモノがちゃんと仕上がるか、実地にやってみないとわからないところはあるし」

 

 答えつつ、艦長とマギプラスの補助を受けながら、ただでさえ微細な粉末に成り果てたケイ素を分子分解かレベルまでさらに摺り砕き、ATフィールドを利用して酸素が交じって無用な酸化が発生しないよう気をつけながら、丹念に丹念に轢く。

 

 そして、電気の導体になりうる金属分子をさっと電磁場を走らせATフィールド表面に吸着ないしは弾いて、フィールド内部に取り込んで除去した。

 

 良いマテリアル生成にはしっかりした不純物排除。

 

 こういうの、スープと同じでアク取りが大切なのよね。不要な物質は徹底的に弾く。

 

 そして最終的に、反対側の円錐先端の方向から排出。

 

 当然、原子同士の摩擦により、多大な熱が発生するけれど、この熱を逃さないのが秘訣で肝心。

 

 熱々のケイ素・炭素混合物が一定量吐き出されたタイミングで、逃さずATフィールドで包み込む。そうしてできた無数の梱包物を、ATフィールド制御と重力・斥力制御の併用で癒着させ、それを繰り返し、雪だるまのようにどんどん大きくしていき、おもむろに、おにぎりを両手で握りつぶすように、全体を包むATフィールドを絞り込む。

 

 真空断熱状態で逃げ場を失った熱エネルギーが、強烈な圧力と、断熱圧縮により、相対的に高温となり、混合物をさらに加熱する。

 

 各種センサーで混合物の状態を解析。仕上がり、よし。

 

 あと2、3回ミルで挽いて、またぞろ断熱圧縮をかけ、各種センサーで結晶構造を仔細に確認、分解・加圧・均質化が終了すれば、多分上物に仕上がるはず。

 

 今回の取引相手であるペトラ自治政府の需要はクロスレイ中佐相当官を通じて確認済みだし、それに答えられる仕上がりにはなっている。

 

 半日後には一揃い、各種結晶構造ごとの確認用サンプルを準備する事ができるだろう。

 

「よし、いい出来。去年のに比べても純度高いし、やっぱ経験と蓄積って大事よね」

 

 私は満足してうなずいた。

 

「副長、結局ここの砂を使って作ってたやつってなんなんですか?」

 

 多摩少尉の問いに、私は笑みを浮かべて答える。

 

「炭化ケイ素よ。モース硬度13で硬いから研磨剤によし、融点2730度だから防火建材によし。

 

 ちょっと製法いじれば高温に耐える繊維にもなって、頑丈で熱に強い配管によし。科学的に安定しているから酸にもアルカリにも強い。ま、色々便利なやつなんだけど」

 

 私はスラスラと答えながら、モニタに炭化ケイ素の物質としての特性のデータを表示しつつ、そのまま説明を続けた。

 

「なんといっても、電気的に半導体なのが大きいのよね。

 

 しかも炭化ケイ素製デバイスは従来の純ケイ素、まあシリコン製デバイスよりバンドギャップが高いのよ。純ケイ素だと1.12eVに対し、炭化ケイ素だと3.26eVまでいける。

 

 より高い電圧と周波数で動かせるし、通電で発生する熱、つまりロスも少ない上に高温に良く耐えるし、しかも熱伝導性がいいから放熱にも優れてると、いい事ずくめ。

 

 工業的に生産すると雑晶や夾雑物が混ざらないよう苦労するし、なんならウェハーに仕立てるのも硬度が硬度だから一苦労なんだけど、その点ヴンダーはATフィールドと重力・斥力制御でいくらでもインチキが効くのよね。

 

 それこそ分子単位で粉砕・分解・再結晶まで可能、加熱加圧も自由自在だから、2Hから4H、6Hと各種ポリタイプ単結晶を、時間のかかる結晶成長式じゃなくてダイレクトに整形できるのは、うちの明確にして他所の真似できない強みなわけよ。

 

 何しろどこもかしこも世界中、L結界だらけで鉱物採掘もままならない時代だし、各種マテリアルの生産と配分は生存圏維持に最重要。

 

 扱う品物の種類は多いほうがいいから、うちとしても将来的にはダイヤモンド半導体素材のの大規模生産と供給に切り替えたいわね。

 

 パワーデバイスとしてはやっぱりダイヤが最強だし、それに宇宙空間での作戦を考えた場合、なるべくタフなマテリアルを使いたいし。とはいえ強烈に加圧すると当然熱を帯びるし、その状態で酸素に触れさせると覿面に燃えちゃうし、どういう構造にするかも色々あるのよねアレ。炭素を超高圧で圧縮すれば作れるものではあるんだけど、用途別に達成したい結晶構造からなにからちがうわけで、まあ課題山積。

 

 というわけで、今の所、マテリアル形成方法を完成させることができてる炭化ケイ素が主力生産品の一つになってるの。

 

 ともかく、こういう形で各地にお安く電化製品素材供給するのもヴンダーの大切なお仕事。ただただ戦うだけが人類を守る手段じゃないってこと。わかった?」

 

「副長、訓練の時の戦闘指導より喋りますね……」

 

 一通り説明を終えた私に、半分呆然とした表情で多摩少尉が言った。

 

 またぞろ顔が熱くなる。あー、巧く行き過ぎて、調子に乗って少し喋りすぎたかもしれない。

 

 本来なら年単位で莫大な予算をかけ、専用の重工業機械を制作するところを、やっつけのATフィールドやら重力操演やらの組み合わせで成し遂げられたわけで。

 

 シミュレーションで何度も事前チェック済とはいえ、事前の段取りがぴたりと嵌って想定通りの成果が出ると、やっぱりテンションが上ってしまう。いくらシミュレーションを徹底しても、なにかごく微細な要素を見落とした結果として結果が伴わず、見るも無残に大失敗、なんてのは科学工業あるあるで、その失敗を積み重ねて次の成功へ向かうのが本来の筋道。とはいえ一発成功はテンション上がるわよね。会心の仕事ってやつ。

 

 人生で感じる喜びの大半が戦闘だの研究だの製造・生産だったりする現状を思うと、こういう癖がついてしまったあたり、仕事人間になってきた証で、悲しい業というべきかもしれない。とはいってもこの10年このフネに缶詰だし、プライベートが映画鑑賞とかゲームとか以外にないのが悪い。

 

 全長2キロの巨艦とはいえ、セントヘレナ島より遥かにヴンダーは狭いのだ。どれだけ艦内が広かろうと、だいたい見たしだいたい知ってる。ただ、晩年のナポレオンよりはやれることがいっぱいあるだけ遥かにましだ。

 

 愚痴はともかく、私は多摩少尉の目を改めてみた。

 

「そのうち貴方にもこの手の作業をやってもらうわけだし、OJTみたいなものだと思ってほしいわね。半分ぐらい自慢なのは認めるけど、さっきもいったとおり、取引のためにはこういう製造業務やマテリアル研究も必要なのよ。

 

 崇高な理念、果たすべき使命、人類救済という大義だけでみんな動いてくれるなら、世論コントロールだ人員管理だ士気向上だの苦労なんてないもの。実際、正義のためにお前のもの全部よこせ正義のためだ、なんて言われても、取られる側にしてみればたまったものじゃないしね。大義があっても、やってることは説教強盗と同類。それって最悪じゃない?

 

 ま、そういうわけで渡すものは渡してるし、貰うものは貰ってるからWIN-WIN関係。気持ちよーく受け取って気持ちよーくお渡しする、それで後腐れなく、かくて世はこともなしってこと。わかった?」

 

 昔の苦労を思い返し、私は思わずため息をつく。

 

「それに、なるべくヴンダーで品質の良いマテリアルを準備したい、っていうの、他にも理由有るのよね。現状、工場も企業も生存圏ごとに散り散りばらばらで、商売の面での競争もなし、殿様商売で充分食えるもんだから、どこのパーツも高かろう悪かろうばかりで、いざ使ってみたらカタログスペックの半分もいかないことが多すぎるのよ。

 

 ほら、こないだの防空戦でも、いざ終わって艦内チェックしたら、あれこれ壊れて滅茶苦茶になっててひっどいことになってたじゃない。忘れた?」

 

「本当に大変でしたね……」

 

 私の言葉が聞こえたのか、操舵席の長良中尉がため息をつく。

 

「マジで大変でしたね……」

 

 多摩少尉が、その言葉に頷きながら、疲れた視線を遠くに投げていた。

 

 二人の気持ちはわかる。

 

 何しろ、艦内のいたるところで電装系の故障だのショートだのが数えるのも嫌になるほど発生し、オアフ島の修理工だけでは足りず、乗員総出で手伝って応急修理をする羽目になったわけで。

 

 餅は餅屋、業者任せで修繕を済ませたくても、その餅屋の施工結果が一度の作戦行動であちこちズタボロでまずあてにならず、持ってきた餅も本物の餅だか怪しい。

 

 質を保ちたいのなら、ヴンダークルー側で全部チェックを入れる必要が生じてしまって、実際そうした結果、本格訓練前からクルー全員が疲弊の極地に陥る、なんて間抜けなことになっていた。

 

 居住区画のプレハブ構造を形成する鍛造合金が予定強度の60%しか出ていなかったり、どこの中古屋から引っ張ってきたのよとなるゴム被膜が寿命で風化寸前の配線まで使用されていたぐらいで、ズタズタのボロボロでいずれショート不可避なゴム配線束を目撃した高雄機関長はどこの関羽雲長かぐらい顔を真赤にしており、人相はたぶんスクショが魔除けに使えるぐらいになっていた。

 

 仁王も失禁するわねアレ。機関科全員に同情したくなる。基本普段豪放ではあるものの振る舞いは優しい人だけに、そういう人が常時あの顔は多分怖いもの。いや本気で殺しに来たときはもっと怖いけど。表情がなくなって眼光が殺意だけになるっちゅーか。二度とごめんよ。

 

 会話の流れで気づいたのか、多摩少尉が再び私に視線を向けてきた。

 

「そういえば、あの島の設備じゃ追いつかないからって、本格的な修理を別の生存圏で入れるって話でしたけど、今作ってるやつ、そのための修理用資材の素材にもなるんスか?」

 

 む、勘がいい。話してて思ったけれど、素直だし御しやすいわよねこいつ。

 

 素朴なのと、あとたぶん女性経験がないのか、女性にくしゃみぶっかけて平然なのは未熟だし無礼だけど経験ないなら致し方無しとしておいて、私は彼の言葉に頷く。

 

「ご名答。基礎技術がアレでも、素材がマシになるだけでだいぶ違うのよね、こういうの。

 いまや人類人口が10分の1だし、レベル下がるのはしょうがないけれど、そのせいでこのフネが沈んだらホント何もかもおしまいになるし。

 

 あとまあ、全部が全部ヴンダーの修理用ってわけでもないのよ。向こうが都市拡張や電子機器製造に使ったりする分もある、ってーかそれが8割ね。

 

 徴用じゃなくて取引の形にしてるわけよ、なにしろただでさえ質が悪くなりがちなのを、素材くれてやるから働けで、実質タダ働きだと当然作業担当企業も人員もやる気なくすし、そうなると当然製造部品の質も、修理作業の質も下がる。

 

 そうなるとまた一ヶ月前の二の舞になるわけで、それはなるべく避けたいってのもあるのよ」

 

「副長、ほんと色々気を使ってるんスね……」

 

 わかるマン多摩少尉の同情の混じった言葉が胸に刺さる。

 

 昔みたいに自分のことだけ考えて、自分の殻に引きこもって、自分も周りもいじめるトガリハリネズミをやっていられればそれは楽だったかもしれないけれど、そういう贅沢を時代が許してくれないというのがあった。

 

 人類の10分の9が失われたとはいえ、まだ残余は数億人いる。

 

 彼らに、彼女たちにに衣食住を段取りして文明を維持しろ。そしてネルフやゼーレと戦うための象徴になれ、世界を支える力になれ、かくかくしかじかなのであれやれこれやれお願いしますと、このフネに託されたミッションは、大小各種とりそろえ、とにかく凄まじいことになっている。

 

 正直なところを言えば、キャパシティオーバーもいいとこなのよね。

 

 いくら私と艦長が人間やめかけてるったって、限度ってのがあるってーの、と文句の一つもいいたくなるけれど、やらなきゃ滅びるからお願いしますと言われればしょうがないわけで。

 

「まあ、仕事だからしょうがないのよ。

 粗品っても、向こうも建屋の拡張工事したがってるから、電子系マテリアル以外にも色々作らないといけないし、あと24時間はここに居ずっぱりになるわね」

 

「色々作るって、まだ造るんスか!?」

 

 驚いた表情を浮かべた多摩少尉に私は頷く。

 

「色々よ。ジオポリマーコンクリートに必要なケイ酸ナトリウム。

 

 超高強度ガラス繊維、マルチコア光ファイバー。

 

 持ち込み炭素は弐号機の単分子ワイヤーにも使ってる建材補強用炭素繊維を作るのにもつかうし、その繊維を使って超高強度ガラス・炭素繊維複合材も作る。

 

 あと老朽箇所の補習・解体に出る廃棄コンクリートを利用して先方がこさえてる再生コンクリートだけど、この辺も商売の狙い目なのよね。

 

 コンクリート打設の時、コンクリに混ぜておくと、ひび割れが生じた時に目を覚まして炭酸カルシウムを発生させてひび割れを治すバクテリア粉末なんてのも、うちのラボでつくってるのよ。

 

 もっとも、そっちの補修バクテリアの方はレイが開発・生産担当だけどね。この10年で、すっかりあの子もバイオティクスのプロだし、真希波大尉もレイのことアシストしてくれてるし。

 

 各製品の最終的な質の担保は、リツコが技術から製品から全部精査・検品してくれるし。

 

 ま、そうやってものになった諸々の品物を、ヴンダーの全長2キロの巨体に満載して持ってくわけ」

 

「……さっきも言ってましたけど、艦長や副長たちって凄いっつか、ほんと色々多彩っスね」

 

 軍艦の副長やエヴァンゲリオンのパイロットって、そこまでする必要あるのか、みたいな複雑な表情を浮かべる多摩少尉。

 

 その言葉に、思わず疲れた顔をして俯いてしまう私。

 

 いやカメラ越しで自分の顔すぐ見えちゃうのよね。なので演じたつもりでも『疲れ丸出しじゃないのよ』が見えてしまう。そういう意味では、肉体にいながらも半分肉体にいないような状態なのだ。よく10年狂わなかったな-と思う。いやもう狂ってるのかも知れない。

 

 少なくとも、認知がヴンダー管理に特化しつつはあるのはまちがいない。何もかも無事終わったとして、私も艦長も、無事に娑婆にもどれるんだろうか。正直な所、自信がない。

 

「好きで多彩やってるわけじゃないわよ、いえ、楽しいは楽しいけれど、ほんっと科学者と研究者と施設がたりないし、インターネット死んでるから通信連携共同研究も絶望的だし、嫌でも多彩やんないといけないし、とはいえ、ここじゃないとできないような研究もできるし、人類が未だたどり着いていない真実を解明したり、新発明をつくれたり、充実してるとこもある。

 死ぬほど楽しいけれど死ぬほどつかれるし、うんざりするほど疲れるけれど、うんざりするほど楽しい。

 

 ただ、こういう矛盾した心理状態に陥ってる時点で、疲れ切ってるのも確かだし、たまにはたっぷり休暇取りたいわよ。

 みんな半舷上陸、上陸通り越してお泊りしてもokよっても、私と艦長はヴンダーで留守番強制だし。

 まあ、工事中に変なの入ってきて小細工されても困るし、工事施工中は艦内がちょっとどうかぐらいL結界まみれになるわけで、私達以外に残ってもらうわけにはいかないし。名誉の戦死じゃなくて、なんか残ってたら床の染みになっちゃいましたとか、残された家族にどう説明すりゃいいのって話よ、ホント」

 

「ほんっと大変すね、艦長と副長……」

 

「ご理解くださり感謝の極みよ。色々疲れる仕事なのよね」

 

 などと職場のデスマに疲弊した女上司と部下みたいな会話を楽しんでいると、艦橋後ろのドアが開く音がした。

 

「鈴原少尉、入ります。昼食の配食に来ましたー」

 

「綾波大尉、入室します」

 

「まいどー! いつもニコニコ以下省略! クロスレイ・SS・大隅中佐相当官、お昼と聞いてお相伴に預かりに参りましたー!」

 

 声の方を振り返る。

 

 医務科の制服とエプロンに身を包んだ鈴原サクラ少尉が温冷配膳カートを押して、艦橋に入室してきたところだった。

 

 その後に、白のプラグスーツの上から白の実験用白衣を纏った綾波レイ大尉と、茶色のファーのついたフライトジャケットに濃緑色のプラグスーツという出で立ちのクロスレイ・SS・大隅中佐相当官がぞろぞろと続いてくる。

 

「配食ご苦労さま。広いヴンダーの中、歩き回らせちゃって悪いわね。

 ホントは主計科の職掌なのに、医務科の貴女まで手伝わせちゃって」

 

「いえ、ごそっと人が抜けた分忙しいですけれど、平時は医務科もそこまで忙しくはないですし」

 

 日向戦術長や青葉戦術長補佐に、蓋付き重箱やお吸い物の乗った昼食トレイを配りつつ、楽しげな様子で鈴原サクラ少尉が言う。その顔つきのほがらかさを見る限り、彼女の笑顔に嘘はなさそうだ。少なくとも、北上少尉ほど私達のことを敵視している気配は、彼女からは感じられなかった。

 

 いい兆候と受け取るべきなのかもしれない。いつもニコニコ楽しい職場、というのもあれだけれど、言いたいことも言えないほど人間関係がギスギスするのは、ヒューマンエラー発生の一大要因なのだ。

 

 例えば、昔まだ飛行機での旅行が当たり前だった頃、重大事故要因として、権威的で威圧的な上司に部下が忠告できず、結果、重大事故ファクトを見逃して墜落という案件は多いし、昔の軍隊ではうつ病になった水兵が、自殺のために弾薬庫で自爆して全乗員諸共戦艦轟沈、なんてことも歴史の中では起こっている。ヴンダーをそういう憂き目には合わせたくない。

 

 それにしても、昼食にわざわざ三人で艦橋に来る。

 

 面子が医務科新人、バイオティクス科学者兼パイロット、物流担当兼貿易商。このとりあわせ、ってーことは。

 

 期待で思わず笑みが浮かびそうになるのを我慢しながら、私は聞いた。

 

「レイ、もしかして今日のランチって、今度ペトラに本格的に技術供与するっていう例のアレの産物?」

 

 私の言葉に、レイは頷いた。

 

「そう。何度かテストはして好評価は得ているけれど、大規模投入と展開は今回が初めて。ペトラへのサンプル引き渡しと技術供与前に、多角的な視点から評価を済ませておきたい。その一環としての人体実験」

 

 さっきまで心のなかで上がっていた期待が、ちょっと下がった。

 

 人体実験て。

 

「あんたね、ちったー言葉選びなさいよ……」

 

「……Menschenversuch」

 

 小首を傾げながら綾波レイがドイツ語で言い直す。

 

「意味変わってないわよそれ!?」

 

 同居人の悪影響なのか、それとも14才まで密かに病に苦しんでいた結果として、成長が抑制されていた感情が身体の回復とともに急激に発達したらしき影響なのかわからないけれど、最近のレイのユーモアはなんというか非常に独特なものがあり、対応に困るものがある。

 

「副長さん、安心して食べられることは医療科で確かめていますから、安心してください」

 

 レイの言動が微笑ましく感じられたのか、やや苦笑気味に鈴原少尉差し出してきたトレイを右手で受け取った。

 

「鈴原少尉が言うなら安心かしらね」

 

 言いながら、トレイの上に乗った食器群をしげしげとながめる。

 

 蓋がついた黒い重箱。香の物の乗った小皿、艦内醸しの醤油が入ったプラスチックの小瓶。

 

 こんな食器ヴンダーにあった? なかったわよね。ということは、わざわざオアフ島で間宮さんを介して仕入れたのか。今日のために。いや気合入りすぎじゃない? ともかく医務の鈴原少尉が言うなら、多分腕が2本増えるとかそういうことはないのだろう。

 

 さて、ランチタイムとなれば、講義もここまででいいかしらね。私は視線を多摩少尉に向けた。 

 

「多摩少尉、各種マテリアルの製造過程は、材質や生産物が異なるにせよ、基本的にはATフィールドや重力・斥力操演の応用よ。

 

 今後この種の業務を私や艦長の代わりに行って貰う場合は、マギプラスを利用した全自動工程で各種マテリアルの製造を行う方式で、言ってみれば生産ラインの監視業務の形になると思う。

 

 ATフィールド形成や重力・斥力操演時の異常の監視がメインになるくらいまでは簡素化する予定。

 

 あなたの本業は砲術屋で、その過程でATフィールド併用の砲戦を行うわけだし、フィールド運用の応用でやれるまではこっちで持っていく。できるようになったら、協力お願いね。

 

 それじゃ、食事も届いたし、あなたも席に戻っていいわよ。勘だけど、今日のは多分格別。レイの表情見る限り、期待していいやつ。ともかく副長以上。多摩少尉、お疲れ様」

 

「了解。ご指導ありがとうございます」

 

 私の言葉にさっと背筋を伸ばして敬礼を返し、席へ戻る背中を見る。

 

 こないだ艦長となにか話したみたいだけれど、それで何か心理的変化でもあったのかしらね。一ヶ月の訓練期間、基本教育は戦術長と戦術長補佐、たまに艦長で教育してたけど、有事に備えて操艦系の訓練兼ねて私が当たっても良かったかもしれない。やっぱりちゃんと話をしてみないと、人間ってほんとわかんないわね。紋切り型で決めつけて行動するとろくな目に合わない。この10年で私が散々味わった学びだ。

 

 それはそれとして、いつもとは違う気配のランチに少しだけ心が躍る。

 

 味覚は現状4割と言ったところで、胃腸が空腹信号を送ってこず、いよいよ食事不要が近づいてきたわねというきもちになる。

 

 ただ、食事を味わうに当たっては、なるべくちゃんと味わいたい。まだ人の組織が残っている以上、食欲がなかろうが、ちゃんと栄養を送ってやらないと、一層侵食が進むようだし。なので食欲を得るために、マギプラスを介して疑似空腹信号を脳に送る。

 

 また、味わうにあたっては味覚情報を舌で感じた後にマギへ一度量子通信転送し、シグナルを増幅して脳に再転送することで10割程度、まだ人間として暮らしていたころの感覚レベルまで戻せたりする。

 

 ただ、食べてから味がフィードバックされるまで、コンマ秒単位とはいえラグがある。この違和感を緩和するには、よく噛んで、ゆっくり食べ、ゆっくりと味わうのが肝心なのよね。。

 

 こうすることで胃腸にも負担がかからない。胃薬のお世話にならなくてもすむわけで。傾向と対策とノウハウの蓄積は、いつの時代も大事なのだ。まあ、10年前から胃薬のお世話になる必要を一切合切覚えたことなんてないけれど。ほんっと無駄に頑丈になってくれたもので、ありがたがるべきか呪うべきなのかイマイチわからない。

 

 左手で正面モニタ群の並ぶ操作パネル下段から、テーブル兼用の作業用ボードを引き出し、トレイを乗せる。鈴原少尉が、保温鍋からお吸い物をレードルで茶碗によそって差し出してくる。

 

 私は軽く会釈してそれを受け取った。いかにも和、というニュアンスのだしの匂いが、過去の記憶を呼び起こし、郷愁を誘った。

 

 ん、でも、なんだかだしの匂いが記憶と違う。中学時代の艦長が使っていただしとは違うだしなのだろうか。いろいろあって嗅覚が、少し昔と変化したせいかもしれない。

 

 マギプラスシンクロによる嗅覚信号再分析と解像度周りのズレかもしれない。そうだとしたら、もう少しいじったほういいかしらね。勿論マギプラスはそういう用途で使うためのものではないことは承知しているけれど、私が食事を美味しく食べられることによる士気向上には戦略的なアドバンテージがある。中長期的に見て。多分。

 

 ともかくヴンダーの食事といえば、一枚物のトレイに、べこべことペースト食や添え物の野菜を盛り付けるためのくぼみがついた、効率最重点で愛想も素っ気もないフードトレイで供されるのが専らなのだ。

 

 こういう、きちんとした弁当だかお重だかで供されると、妙に懐かしい気持ちになるし、ひどく贅沢をしている気分にもなる。

 

 サイズこそあの時より小さいとは言え、こういう立派な形の重箱を見たのは、ひょっとしたら10年前の海洋生物研究所を見学に行った時、艦長が気合い入れてみんなの昼食をこさえてきた時以来かもしれない。

 

 この種の食器は、一枚トレイを洗浄するだけですむ普段のペーストのアレより遥かに無駄が多く、盛り付けの手間もかかれば、食べ終えた後洗う手間暇もかかる。そのあたりの労働コストを踏まえると無駄、贅沢の部類だと思う

 

。けれど、効率だけで食生活を続けて平気なら、みんな栄養とカロリーだけとれればいいやのペースト食にうんざりしないわけで、こういうシーンの「贅沢」に食器もまた一役買うということを、レイはわきまえているようだった。

 

中学校時代、シンジが押し付け気味に渡した弁当の容器を返してきたとき、仕切りのバランや使い捨てのカップまでもが洗われて中に入っていたそうだから、そのあたりに感動の原体験があり、だからこそ食器に拘ったのかもしれない。もちろん、防空戦からこっち、激務に激務、訓練に訓練を重ねたヴンダークルーへの彼女なりの労いの気持ちもあるだろう。

 

 彼女の表情を見る限り、いつもの無表情ながらも眼光は強い。

 

 つまり気合と自信は充分といったところ。それじゃ、レイの研究成果を拝見といこうかしらね。

 

 私は重箱の蓋を開けた。

 

 開封と同時、酢の匂いが漂う。さては酢飯か。

 

 重箱いっぱいに敷き詰められた酢飯の上には、彩りの大葉、その脇にわさび、見慣れない赤と薄桃色の刺し身がそれこそみっしりと敷き詰められていた。

 

「海鮮丼、だっけ? セカンドインパクト前の日本で、よく食べられてたってやつね」

 

 10年以上前に読んでいた雑誌には、上流階級向けの和食レストランで、スシと一緒に上流階級向けに出してるところもある、なんて記事があったような気がする。

 

 私はしげしげと重箱の中身を眺める。

 

 刺身といえば、10年前、陸上で養殖されていた海由来の魚をミサトが飲んだ帰りにお土産で持ってきたのを食べたのが初めてだったように思う。あのときは、それほど美味しいものとは思わなかった気がする。抵抗感の方が強かったろうか。ただ、その後何度か食べる機会があり、そうして魚を生で食べることに、段々と慣れていった。

 

 いろいろあって、そういう時期が唐突に終わりを告げてからは、年がら年中ペースト食、付け合せでついてくる生野菜がドレッシングなしでもうれしくて美味しいみたいな時代が長らく続いた。

 

 結果として生魚の刺し身は、たまに食べられる超贅沢品、ありていに言って私の好物のカテゴリに分類されている。これは艦長の趣味が釣りで、釣りができる海域に停泊した時はよく釣りに行く癖があり、釣果の調理にあたっては、焼きが難しいから専ら刺し身や煮物になりがちなのが原因でもある。

 

 にしても、これは何の刺し身かしらね。

 

 赤いのとピンクのきめ細かいのはマグロとして、桜色を帯びた白身の刺し身がわからない。

 比較対象として思い浮かぶのは、艦長がオアフ島のF作業で釣って刺し身に仕立てた、マヒマヒだかシイラとかいう魚の刺身、あるいはコガネシマアジの皮目が金色じゃないやつのような、どちらでもないような。

 

 わからないのがもう一つ。色は薄桃色、太さ1.5センチぐらいの、やや透明な白い薄桃色のなだらかな角のない円筒の身なのだけれど、魚の身ではなく、なにか頼りなくふるふるした見た目をしていた。

 

「えーと……?」

 

 わからないわねこれ。原始時代のチューブワーム?

 

 生まれてこの方、色々な事情から紙学問で色々読んだり調べたりはしているけれど、魚、特にセカンドインパクトで一度絶滅した海洋生物に関しては、からきしの私だ。

 

 他の乗員のことも考えれば、景気のいいリアクションの一つもしたいところだけれど、絶滅種の失伝レシピではリアクションのしようもなく、どうしていいか困ってしまう。

 

 そんな様子の私に気づいたのか、リツコがすっかり自分の席にしてしまった予備オペレーターシートから声をかけてきた。

 

「きめ細かい赤と、深く筋が入った脂の多いピンクの刺身が恐らくクロマグロ。

 

 幹細胞からの培養とは思えないほど組織分化ができているわね。

 

 桜色の刺身はマダイ、この丸く白い筒は、報告書によると、おそらくエビね。

 

 確かアマエビの細胞ベースと書類には記載されていたけれど、エビ特有の赤い模様がないのは、培養過程が原因かしら。

 

 ともかく、ペースト食と農園の野菜が申し訳だった頃を思えば、格段の進化よ。見事な仕事ね、レイ」

 

 セカンドインパクト以前に生まれた世代だけに、海の食べ物の味を知っているのか、リツコが見当をつけた具材について、すらすらと説明を述べていく。

 

 リツコのその言葉に、レイは視線を返した。

 

「赤木博士の言う通り。アマエビに関しては、殻剥きの手間を考えて、殻が生成されないよう培養をかけたけれど、そのせいか、身の表面にアマエビ特有の赤い文様が出なかったのは今後の課題。ただ、味そのものには成分的に問題ないわ。

 

 今回提供するにあたっては、いずれの培養細胞も、その細胞死と死後硬直、体組織の自己分解のタイミングを見計らっている。酸化防止のため、培養ケーシング撤去タイミングにも注意し、細菌汚染に注意しつつ、各種アミノ酸生成状態を最善の状態で提供している。安全率はほぼ完全とおもってもらっていい」

 

「あー、あっしが言うのもなんですけどね、綾波姉さん」

 

 自信満々に言い切るレイに、壁面の、かつて避難民収容用に設えられた非常用座席をあてがわれたクロスレイ中佐相当官が、頬と片眉をやや困り気味に引き攣らせながら言った。

 

「自信がものすごいのと研究者として気合入ってるのはそりゃもうすんごい伝わるんですが、その、食べ物スから、もーちょっと聞き心地のいい言葉選んだほうがいいと思うスよ営業的に。

 

 こう、戦闘や研究なら誤解のない正確な言葉で伝えるのが大事ですけど、食べ物なんで。

 ちょっと細胞死と死後硬直とか自己分解とか、専門職はともかく素人さんにはパワーワードすぎゃしないスかって」

 

 その言葉に、レイが感心したように頷く。

 

「その視点はなかった。営業職関係の参考書は蔵書にないし、使うこともなかったからその概念がなかった。失念していた。ありがとう。ペトラにあればいいのだけれど」

 

「いや、このご時世にあるスかねえ……」

 

 なんというか非常に困った表情をクロスレイ中佐相当官が浮かべていた。私にもビジネスのことはわからないけれど、おそらく人間相手の宣伝行動だから流行り廃りが激しいところはあるのだろう。フット・イン・ザ・ドアみたいな基礎テクニックは有効だろうけれど、そのあたりの骨子になるようなテクニックが載った本であれば、たぶんもうヴンダー艦内にある。

 

「L結界外部の書店跡に探索……モスクワなら」

 

 

 さすが大元の綾波レイ、微動だにしない重さでズレた発言を連打してくる。

 

 真剣顔で思慮モードに入ったレイに対し、こめかみに一筋汗を垂らしながら「やめとけ」をどうやって伝えようか非常に悩んでいるのが傍目にも丸わかりのクロさんがなんとか口から言葉を絞り出す。

 

「そこまでして取りに行く必要あるスかね……営業文句も流行り廃りがあって足の早いジャンルっスし……」

 

 あのクロスレイ中佐相当官が呆れ、もとい圧倒されている。もっとも四捨五入して十年は外部連絡員もやっていたはずなので、意図的にズレた発言をしている可能性も高いだけに、厄介かつ図太く育ってしまったのかもしれない。うん、人生で色々死線をくぐってきた女だけに色々違う。

 

 色々違うのはいいけれど、幹細胞培養系は再生医療から食糧生産に至るまで幅広く使えるものだけに、取引先全員ドン引き顔面コバルトブルーな営業ミスだけはしないでほしい、と願わなくもない。

 ペトラとの連絡要員かつ物資運搬要員として、クロさんを呼んで正解だったわねこれ。

 

 多分、レイの事務的でイノセントでエキセントリックな説明を、いい感じに緩和してくれると思う。緩和してほしい。いえ、これ多分、クロさんにいっそ営業と説明丸投げしたほういいわね。

 

 相応にクロさんに手間賃代わりの報酬を上積みする必要があるだろうけど、レイに変な営業されて、せっかく高値で売れるものを安値で買い叩かれたら、いろいろ困るわけだし。クロさんのヘルプで値段を吊り上げられるなら、それに越したことはない。多忙なクロさんが引き受けてくれればの話だけど。

 

 仕事の話は仕事の話しとして、いい加減今日のランチと向き合おう。

 

 あのべたべたの忌まわしい、自分トマトでーす、緑黄色野菜練りミックスでーす、プリンだと思ったか、甘くないトウモロコシだよ! なわかりづらくて美味しくない栄養だけはあるペースト食ではない、せっかくの贅沢なランチなのだ。もーほんっと食べ飽きて、毎日こればっか続くなら、いっそもう水でもいいかもしれないとなりかけていた忌々しいアレではない。

 

 それに培養肉とはいえ、それぞれの細胞が幹細胞から分化して、生きてきたことには間違いないし。せっかくの生命、美味しく食べなければもったいない。レイが誠心誠意こめて続けた、研究成果の精髄でもある。そのありがたみを忘れちゃいけないわよね、この艦の副長として。

 

 私は拝むように両手を重箱の前であわせた。

 

「いただきまーす」

 

 すっかり癖になった日本式の食前挨拶を終えると、刺し身に適量の醤油を回しかけ、わさび(といっても多分農園で育てられたホースラディッシュを原料にして、艦内で加工したものだろう)をまずはマグロの赤身刺の一枚の上に箸で乗せ、酢飯とともに頬張り、噛みしめる。

 

「!?」

 

 ぇ。

 

 ぅま!?

 

 なにこれ。ぅま。え?

 

 うぉー。信じらんない。ほんとに?

 

 今の私の4割味覚が、ちゃんと味を得るまでにはコンマ秒のズレがある。だから最初は味がボケ気味に入ってくるのだけれど、そこに初手でここまで舌に来るというのはすごい。

 

 濃い甘みというか、旨味がほんとうにヤバイのだ。

 

 僅かな酸味がまたアクセントで、これがマグロの香り? というのが鼻に抜けていく。

 

 ホースラディッシュを使ったまがい物とはいえ、わさびを軽く添えてやると、香りが絡まって実に乙な味になる。もちろん酢飯との相性など語るべくもなく最高で、マグロと酢飯と醤油とわさびで四乗。足し算ではなくて乗算。足し算ごときであるはずがない。

 

 ただ、相応の美辞麗句で称賛しようにも、あいにく私の舌は味わうので完全に限界となっており、結果として見事なまでの失語症に陥ってしまっていた。

 

「えっこ。なに? は?」

 

 美味しさを表現する言葉がでない。よくわからない。とにかく、美味しい。さては罠か。

 

 私が目を白黒させているのを見て、満足したのか、無表情のままレイが私を振り返り、右手の親指を立ててきた。いつもどおりの無表情だけれど、その目つきで会心の笑みであることがわかるやつ。

 

 レイも適当な予備座席に腰掛け、左手で蓋が開いた重箱を持っている。

 

 もっとも、中身は野菜の緑色。

 

 大豆もやしを茹でたか漬けたのと、茹でたほうれん草がたっぷりと。その上にいりごま。そのまた上に何か、木くずのようなものを削ったものが大量に。

 

 この味なら自信満々も納得いくけれど、レイはまだ刺し身や肉類がダメらしく、その辛さは理屈としてわかってはいても、あまりのもったいなさに、思わず私はため息を付いた。

 

「昔の体調考えれば苦手意識あるのもわかるけれど、レイもこれだけ美味しいなら、チャレンジしてみればいいのに。あんたが思う以上に美味しいわよ、これ」

 

 私の言葉に、レイは頷く。

 

「ええ。でもまだ生は少し自信がない。だから少しアプローチを変えている。

 

 この上の削り節がそう。

 

 これもマグロよ。半年ほど、一部のサンプルを利用して枯節にする実験をしていたの。体内バイオームの研究、その一環の名目で」

 

 そのレイの言葉に、リツコが目を剥いた。

 

「まさか、クロマグロをマグロ節に!? ありえないわ! マグロ節は本来混獲したキハダマグロの幼魚を使って製造するもの、それをクロマグロでなんて」

 

 ……よくわからないけれど、セカンドインパクト世代からすると、ありえない超贅沢な加工を施していたらしい。綾波レイは侮れない。わかっていたけれど、リツコがこれほど驚くのだから、きっと相当のアレなのだろう。綾波レイがアレなのはいつものこと。それはそうだけど。

 

「味に関してはお吸い物を飲んでもらえればわかる。いつまでも私が味噌汁しか作れない女と思われても困るもの。ここで乗員の胃袋を掴んで士気をあげていく。

 

 みんな、一ヶ月の訓練で疲れているし、ねぎらいの意味合いと、今後も食生活に希望が持てるということを示す必要があるから。

 

 暗い気持ちでどうせ明日も明後日もペースト食と諦らめてしまうと、描く未来像も冷たく味気なくなるの。

 報いの経験があれば、今日一日が辛くても、いつかまた美味しいものが食べられると思えるし、多分心がぽかぽかして、目指したい未来もぽかぽかになるの。多分そう。多分」

 

 一理ある。実際、私も散々言ったように、味気もなにもあったものではないペースト食にはうんざりしていたし、メシマズ艦艇の汚名を浴びた結果、またぞろ乗員が百人単位で大量離脱して民間に流出の惨劇は繰り返したくない。

 

 ともかくお吸い物にも自信ありのようなので、クロマグロ赤身の余韻が残る口で、お吸い物を軽く飲み……。

 

「ぅま!? 上品!?」

 

 あまりの美味に、またぞろ言語野が機能停止した。

 

 いかにも和、という塩梅の、驚くほど品がある香り。

 

 ニアサード前にコンビニやスーパーで市販されていた、とりあえずグルタミン酸ナトリウムでごまかしとけみたいな、適量を明確にオーバーしたやつに、なんかの化学だしと、あと香料を9割入れてごまかした、得体のしれない合成ダシなどとは比べ物にならない美味しさ。

 

 ともかく旨味が強く、なのにくどくなく、軽やかに飲めて品があり、そのくせ後を引く美味しさ。

 

 ほんとうによくわからない。なにかこの世界のものではない美味を飲まされた気分になっていた。

 

 先程から言動が完全にフードポルノになってしまっているけど許してほしい。何しろこちとら毎日毎日ペースト食、酷いときにはカロリーバー型レーションだ。

 

 そういう食事未満実質餌ばかりの生活は、本当に辛い。

 

 いや帆船時代みたいに腐ったクラッカーと酒と腐った塩漬け肉ばっかで壊血病まったなしの明日死んでもおかしくない生活よりよりマシでしょと言われるとそうだけれど、美味しいって言う栄養がないと心が死ぬのよね、本当に。

 

 てーか咀嚼感がなくてまるで食べた気がしないのもペースト食生活の厭なところで神様仏様ちゃんとしたプチトマトさまとか崇めながら付け合せ野菜を食べ、ちゃんとした歯ごたえに泣く羽目になる。1ヶ月試すとそうなるのよ、ペースト食。

 

 それはそれとして、なんというか異次元の虹彩を飲まされましたみたいな表情で固まった私に、得意げな無表情(この娘はそういうよくわからない表情を浮かべるのが得意で、余人にはわからないけれど慣れてくるとああいますごい自慢気にしている自慢モードだがとてもわかるようになってくる。

 

 といっても、そういう表情を浮かべられるようになったのは、心身が癒えきったごくごく最近のことで、中学時代はそんなこと、全く気づくことができなかったし、多分彼女にもそんな余裕は存在しなかっただろう。彼女にも色々あるのだ)でこの謎の吸い物について語り始めていた。

 

「しっかり乾燥・発酵させた枯節だから、軽い塩だけで味が決まるの。

 

 旨味としては鰹節同様、イノシン酸が主体だけれど、カツオほど癖がない魚で、さらに旨味と甘味がつよいから、それがぐっと凝縮されて味の強さになるの。だから味付けは軽くで充分。

 

 お吸い物には培養エビ肉を使った海老しんじょう。ネギでは多分強いから、加えた葉物は水菜」

 

「い、いつのまにかやるようになったわね……」

 

 十年前、二人きりのエレベーターでお互いの指の傷の数を見比べた時のことを思い出す。

 

 その頃は知らなかったけれど、ろくに何も食べられない身体で、それでも美味しいものを食べられることは幸せだと思いだして、それでせめて誰かと誰かに仲良くなってほしかった、それだけが残る僅かな望みだった、彼女のあの頃。

 

 あとで食事会と言いながら、味噌汁だけ寸胴で作っていたと聞いたときはおかしさで笑いそうになったけれど、実のところそれ以外受け付けない身体に成り果てていて、戻すわけにはいかないから味噌汁だけと思うと、笑うにも笑えない彼女の本気さと真摯さがある。また彼女らしく少しズレてもいるやつだ。

 

 ホント身体が治ってよかった、と思う。そのせいで喪ったものもあるようだけれど、きっと得たもののほうがおおきいとわかる。昔と変わらないように見える無表情、昔と変わらないように見える眼光、けれどその端々に、中学時代にはなかった豊かで複雑な感情が見える。それは同時に、彼女がもう14才の未熟な少女ではないことを意味してもいる。

 

 十年一昔とはよくいったものね、と思う。料理というかレシピ再現の腕の進化の度合いが色々おかしい。

 

 つまりはそれだけ根を詰めたし、それだけいろいろな人に美味しいを伝えたいという気持ちが、一品一品にこもったということなのだろう。何しろ料理のはるか前、この刺し身がまだ何者でもない幹細胞だったころから、培養をかけ、これくらい美味しくなるように、丹精を重ねた結果がこれなのだ。そこにこもる彼女の気持ちと仕事への熱意を感じずにはいられない。

 

 で、お吸い物を食べればわかるということは、その一見青いおひたしだけが乗ったように見えるレイのお重には。

 

「あー、その野菜丼みたいなの、あんた結構工夫したわね。肉は食べられないけど肉だしは大好きですって変な味覚だし」

 

 私の戯れ言葉を聞いて、レイが再び私を見る。

 

「ええ。本枯マグロ節の削り節と、別に取っただしを加えて調味してある。 

 

 ほうれん草ともやしはナムルに仕立てたのだけれど、ヴンダーで仕入れている合成鶏ダシではなく、本枯マグロダシをふんだんに使い、胡麻油といりごまのバランスを考えて作ったものよ。

 

 思いつく限りのあらゆる手段で、せっかくの命はもれなく全部食べつくす。いつか貴女が言ったこと」

 

「まだ覚えてたの? それ」

 

 あまりの懐かしさに、思わず苦笑してしまう。

 

「ええ、覚えているの。とても大事な思い出だから」

 

 無表情なレイの言葉に、思わず苦い笑いが出た。海洋再生施設見学の時のことを思い出す。

 まだ若いと言うより幼くすらあった私が、様々な抑圧と、他人への拒絶と欣求という自己矛盾と、その自己矛盾故に全てのものを全うに受け取れない認知の歪みから来る強烈なストレスを基として、彼女が『食べない』ということが逆鱗に触れ、感情に任せて叫んだ言葉。幼く拙く、私にしてみれば子供時代の恥の思い出ですらある。

 

 けれど、それを大切な教えや思い出にカテゴライズされてしまうと、どう反応していいか困ってしまう。

 

 もっとも、反応なんてする必要はないのかもしれない。レイがどう思って、どういう形であのときの叫びを受け取ったにせよ、それが綺麗な輝きを今も放って居るのなら、わざわざ土足で踏み入って、間違っているから歪んでいるからと、勝手に彼女にとって持つ意味を変えて台無しにするのは、どうも良くない事のように思える。

 

 今は遠く過ぎ去りし日々。この吸い物の味と美味しさも、あの日の私の、その時は自分自身でも原因を理解していなかった、苛立ち任せの叫びから繋がったものなのだろうか。

 

 だとしたら、本当にこの世の縁と運命は奇妙な作りをしている、と私は思う。

 

 そんなわけで、どう反応したものか困ってしまった私は、レイからひっそり視線をそらしつつ、首を巡らせて私以外のブリッジクルーの反応はどうかと様子を見る。

 

 日向戦術長と青葉戦術長補佐は、目をみはりつつも、その表情には、どこか懐かしそうな気配があった。

 

 私より年嵩の、セカンドインパクト世代の人たちだ。恐らく子供時代に、マグロを始めとした海産物の刺し身を食べたことがあるのだろう。彼らが満足しているのが容易に伺えた。

 

 リツコもひどく上機嫌な様子で重箱の中身を頬張っている。

 

 真希波マリ大尉に至っては、この艱難辛苦の時代において、なおも回復しさらに伸びようと先を目指す人類文明の偉大さについて、何事かよくわからない強い強い感動を覚えているようだった。目の潤みと輝きが、もはや少女漫画のヒロインのそれと成り果てている。そういえばセカンドインパクト前の食事について、多分この艦で一番知悉しているのは彼女だ。

 

 よほどお気に召したのだろう。猫に鰹節、真希波マリに海鮮丼。二度と食べられない味が帰ってきた。私の失われた黄金が帰ってきた。そういうことなのかもしれない。

 

 ともかく年長組には大好評、と見ていいか。真希波大尉は年長ジャッジに加えていいのかよくわからないけれど。相当長生きしている気配なのに、いまいちその年季を感じさせないのが真希波大尉のユニークなところだと思う。

 

 反面、逆に今死ぬすぐ死ぬもう死ぬ地獄みたいな苦悶の表情を浮かべている人物が二人ほど居た。多摩ヒデキ少尉と長良スミレ中尉の二人だ。口の中で地雷だか爆弾だかが炸裂したかのような凄まじい形相と成り果てている。

 

 原因は……あれか。わさびだ。この子たち、世代的にきっとわさび知らないんだ。

 

「多摩少尉、長良中尉、その緑のやつ、死ぬほど辛いから、一気に食べない方いいわよ」

 

 私の多分遅すぎる助言に、多摩少尉と長良中尉が涙目で私を振り返る。

 

 まだ言葉も出ない状態のようだけど、二人共顔をしかめて私を睨んでいた。もっと速くいってほしかった、といった様子である。いやま、食べた後の忠告だから、そら遅すぎるし恨まれるわよね。うん。知らない身の上にしてみれば、知ってるなら言えって話よ。常識とジェネレーションのギャップの悲劇はやはり時代を問わないのだ。

 

 まあ、ニアサー世代が知るわけ無いわよね……美味しい丼の中に巧みにしかけられた殺人トラップでも踏んだような気分なのだろう。

 

 その様子に気づいたのか、まず多摩少尉の方にカートを押して向かいながら、鈴原サクラ少尉が二人に困ったような同情の笑みを浮かべつつ語りかけた。

 

「多摩さん、長良中尉、辛い成分は揮発性ですから、鼻から息吸うて口から吐くと、気持ち辛さが和らぎますよ。

 

 舌が落ち着いたら、お吸い物で口を直すとええです。お吸い物とわさび、相性抜群ですから」

 

 涙目状態の多摩少尉と長良中尉が教わった通りに呼吸しつつ吸い物を啜ったのをみて、二人のお吸い物のお椀におかわりをレードルで注ぐのを見ながら、私は少し感心した。

 

「鈴原少尉、詳しいわね。私も昔、知らない時、一度それでやらかしたのに」

 

「第三村の川沿いの上流で、水わさび育てとるんですよ。

 

 イワナもそこで取れますから、燻製気味に焼き干しまして、味噌汁なり吸い物にして、わさびの葉の刻んだんや、茎のおろしたんを入れるとええ味になるんです。

 

 毎日雑炊ばかり食っとっても飽きますし、うちがそうやって工夫するとお兄ちゃんえらい喜んでくれて、子供ながらに作りがいもあって、誇らしゅうなっとったもんです。

 

 ちゃんとしたわさびって、うちら……私たちにはちょっとした贅沢だったんですよ」

 

 私の言葉に、鈴原少尉が振り返り、どこか懐かしそうな表情を浮かべながら私を見た。

 

「そっか。せっかくだから聞いておくけど、トウジ、元気してた?

 

 レイからはある程度聞いているし、結婚の挨拶の手紙ももらったけど、もう十年会ってないから」

 

「お兄ちゃん、色々大変でしたけれど、ずっと頑張っとりましたよ。

 

 いうて、私もここ数年は訓練生活で会うとりませんから、もっぱら手紙のやり取りですけれど、今は医者見習いとして、色々やっとるそうです。

 

 うちは正直、お二人には色々思うところありましたけれど、お兄ちゃんは、ずっと艦長さんのことも副長のことも信じとりましたし、感謝しとりました。お兄ちゃんは、大人になりましたけど、うちから見ると、なんも変わっとりません。

 

 それに、おふたりとも、艦長と副長なら、もうエヴァに乗らんのでしょう。

 

 この一ヶ月、ずっと様子見て、うちは安心しとります。

 

 前の防空戦でも、インパクトも起こさず、オアフ島も無事で、頑張っておられました。だから、お兄ちゃんが言う通り、お二人は仇でもありますけれど、それ以上に人類の恩人と思ってます」

 

「恩人、ね」

 

 鈴原少尉の言葉に、思わず私は苦笑いを浮かべた。

 

 最初に会った時の、真摯で強い、どこか反抗の色合いがあった彼女の眼光は、今は優しさを帯びている。土台がそのように優しく出来た女性なのだろう。医療班から報告された現状の彼女の人事評価は、その懸命さと努力、協調性の高さを示す人材である、という内容になっていた。

 

 もっとも、僅かに複雑な心地も私は覚えている。もうエヴァには乗らない、か。

 

 彼女は確か、第一次ニアサードインパクト……三号機事件、私達が引き金を引いたあの事件で両親を喪っていた。だから、彼女の言う『仇』という言葉の意義は字義通りなのだ。そのうえで、二度と私達がインパクトを起こさない、と彼女は思いたいのだろうし、この一ヶ月の戦いでその確信を深めたのだろう。

 

 あるいは、そう思わないと、精神的に耐えられないのかもしれない。

 

 何れにせよ、彼女が彼女なりのやり方で、両親の仇である私達と向き合おうとしていることに間違いはない。だから私は、彼女に対し、微笑みを返した。

 

 けれど、そういう温かい空気が気に入らない人間もいるようだった。

 

 一瞬だけれど、尖った視線を私は感じる。

 

 瞳の焦点を向けないようにしながら、視界の中の、視線を投げてきた位置に居る人間を見る。

 

 北上ミドリ少尉。彼女が正面に向き直る前に、僅かに見えた横顔は、敵意に似た厳しさを帯びていた。今ブリッジに流れている温い、馴れ合いめいた空気が、どうやら彼女には気に入らないようだ。

 

 どうしたものか、と一瞬私が考えた瞬間、いつの間にか海鮮丼を食べ終えていたクロスレイ中佐相当官が席を立ち上がり、北上少尉のもとに向かっていた。

 

 そして、カラーコンタクトの入った緑色の瞳で彼女を見つめ、語りかける。

 

「ガミちゃん機嫌悪いねー。もしかして口に合わなかった?」

 

 いつもどおりの気さくな口調。北上少尉が、不精不精という様子でクロスレイ中佐相当官に振り返る。

 

「美味しかったから機嫌悪いんじゃん。

 

 第三村じゃ、昔から、ずっとみんなろくなもん食べてなくて、私達がヴィレに行くときだって、たまの川魚とか、雑炊とか、梅干しとかばっかりなのに、ここじゃこんなもの食べてるのって、何様って」

 

 そう来たか。彼女の訓練期間は2年だっただろうか。

 

 配給が整ってきた頃とは言え、食事の質の面では、到底満足できない時期に、彼女はヴィレを志願したはずだ。実際のところ、食事にありつくためだけにヴィレに志願する人間は、食に事欠く生存圏においてかなり多くの割合を占める。

 

 飢えがもたらすものとは、文字通りの苦痛なのだ。

 

 私も昔、『選定』の個体選別の際に、そういう訓練の一環として飢餓状態を味わった。

 

 とにかく、つらい。

 

 栄養が足りず、意識も思考も朦朧とするのに、どういうわけか感覚だけは鈍らない。

 

 栄養不足で筋肉が萎縮し、体を動かすと、身体を支える力がないものだから、骨と骨が擦れ合うのか、スカスカになった筋肉組織が悲鳴を上げるのか、それだけで全身が痛くなる。

 

 勿論空腹も渇きも日々耐え難くなる一方で、それらは一向に楽になってくれない。

 

 歴史上、飢餓状態になった村落や都市で、しばしば人肉食が横行したというのもわかる。

 

 あの苦痛から逃れるために、人間は、いや生物というものは、なんでもできてしまうのだ。

 

 そんなささくれた北上少尉の思いを嗅ぎつけたのかもしれない。クロスレイ中佐相当官が小さく微笑んだ。

 

「ガミちゃんガミちゃん、昔の第三村はそうだったけど、ちょっと情報古くさいね。

 

 第三村の飯ってさ、もうだいぶマシになってんだよ? こういうと悪いけどサ、ここの普段のペースト食のが遥かに不味いんだよね」

 

 北上少尉が憤懣をブリッジ中にぶちまけだす前に、クロスレイ中佐相当官が軽く頭を振りながら言う。流石に長年いろいろな人々相手に商売してきた商売人と言うべきか、北上少尉が艦橋の空気を悪くしかねない、けれど彼女にとっては正当な過去の苦しみの告白を始めるのを、それとなく押し止めたかたちとなった。

 

 そして、北上少尉の目に走った疑問の色に応えるように、中佐は言葉を続けた。

 

「ガミちゃんがヴィレに入ったあと、第三村西側に封印柱が増設されてね。

 

 東側、ガミちゃんたちが住んでた旧村落エリアを自然・生態保護区として、西側に保護区での各種研究成果や、生態系の特色を生かした大型垂直農場ビルの建築が始まったわけ。

 

 あっしの会社も、建材やら封印柱やら運んで、そりゃ忙しかったけどがっぽり儲けさせて貰って……ま、商売の話は置いとくか。

 

 ともかく着工1年で、地下3階分と地上2階ぶんの垂直農場は稼働可能になったから、一気に食糧生産量が増大してね。肉から野菜からいろんなもんが流れ込んで、だいぶ第三村も食生活からなにから、暮らし向きがすっかり良くなったわけさネ」

 

「一年で?! そんな早く工事が進むわけないっしょ!? どうやって!?」

 

 信じられない、という表情を浮かべた北上少尉に、クロスレイ中佐相当官が意味ありげな笑みを浮かべた。

 

「ヒント。

 重力・斥力操演を最大限に活用した、馬鹿げた規模の大規模工事。

 

 工事用の建材から、工業製品用マテリアルまで馬鹿みたいな量を一気に作っちゃうインチキができるフネ。最後に、それを含めてメチャクチャな量を航空輸送できる、地球最大級の飛行艦艇ってのが、どっかにござんしてね?」

 

「……」

 

 北上少尉も気づいたようだった。恐ろしく不満そうな、けれどそれを言い出せない、という表情になっている。

 

「そう。AAAヴンダー。重力・斥力操演で封印柱運搬から設置とL結界除染、地盤整備、掘削、資材運搬から一気にやっちゃったかんねー。

 

 その頃はまだ艦長さんと副長さんと、赤木さんたちか、それくらいしか居ない状態での運用と工事施工だったけど、それでも基礎工事はあっという間さね。

 

 地盤改良も岩盤到達まで地べたひっくり返して改良剤と混ぜ合わせてこれまたあっという間、ついでに持ち込みの基礎柱打設もあっという間で岩盤までしっかり固定して捨てコン。 

 

 そこから炭素ワイヤーやらPPメッシュやら地下まわりから地上フロアまでの炭素繊維系代替鉄筋までガーッと張り巡らせて、プラモ感覚で空中で汲み上げた型枠を設置で。

 

 あとはクレーディトの復興・再開発部門の建築家が群れできて配管から電装系まで一通りやったところで一度撤収、ヴンダーが特殊ジオポリマーを端から型枠に流し込んで気泡をミクロン単位で追い出しつつウォームプレスで熱と圧力かけて一気に硬化。固まるまで3時間ちょい。

 

 ほんと、いろいろこのフネおかしいよねえ?」

 

 そう言って、クロスレイ中佐相当官が苦笑しながら話を続ける。

 

「まあヴンダーも建築ばかりやってるわけにいかないし、残りの材料と仕事はクレーディトとあっしらに丸投げして、結果あっしらもいっちょ噛みできたから大儲けできたけど、まあ平和になったらこのフネヤバイ商売敵なわけ……っといけない、話脱線したネ。

 

 ま、そんなこんなであっという間に超巨大垂直農場が第三村西側地区に建立と相成ったわけでー、当然第三村もその余録で食事と仕事にだいぶ困らなくなったわけさ!

 

 最近は旧第3新東京市跡を都市鉱山と見なして、携帯封印柱と起動用バッテリーとノーパソ抱えて色々ぶんどりにいく、冒険者気取りの連中相手の、安宿商売、ドヤだったかな、そういうのも村の東の外れでやったりして、この二年で随分第三村も変わっちゃってねー。ま、景気よくなったわけよ、色々と。

 

 そんで、いいかげん村じゃなくて町に変えようか、なんて話もでてるくらい。

 

 ただ、ガミちゃんが住んでたあたりは環境保護区として残されてる状態だから、あんま変わってないけどね。

 

 昔ながらの水田と建物。ただ最近はエアコンも普及して、どの家もだいぶ快適になったかな?

 

 トージくん、まあクッソ忙しいのは商売柄しょうがないけど、今年は熱中症の人が減ったってちっとは喜んでたねェ。全く文明様様ってやつ。あっしんとこも配達・施工で儲かるし」

 

 その言葉に、妙に得心した表情で鈴原サクラ少尉が頷く。

 

「あー、もしかして手紙でお兄ちゃんが最近もししんどくなったら帰って来い帰って来いて、ようけ書いてくるようになったん」

 

「そ。もともとトージくん、さっちん猫っかわいがりしてたけどさー、もともと人手不足だったとこに、第3新東京市外部市街地の都市鉱山目当てで、除染可能な電気製品だのなんだのを廃墟から漁る連中が湧いたもんだから、そういう連中がやらかして怪我して担ぎ込まれるようになっちゃって、そんで忙しくなっちゃってねー。

 

 携帯封印柱だって安くないってーのに、コア化して停止状態の不発弾を、なに考えたんだかうっかり除染してドカンで重症なんてのまで担ぎ込まれて来るんだから、そりゃトージくんも忙しくなって、あっしが顔出すと、いーっつも疲れた顔してるわけよ。

 

 ま、そのかわり医療所に新しいマシン何台も入れて建屋も拡張したし、垂直農場ビルが栽培し始めた薬用植物とその製剤が搬入されるようになって、医薬品不足もマシになったし、住人の栄養状態も良くなったかんね。

 

 昔みたいに栄養失調でバタバタ、なんてこともなくなってきたし。ま、疲れちゃいるけどトージくんとしては悪くなさそーだし、そこは安心していいよさっちん。

 

 多分、手紙の文面がいろいろ口うるさいんだろーけど、妹思いの顕れだと思って勘弁したげて」

 

「お兄ちゃんなー……もう奥さんおるんやからいい加減妹離れしてほしいわー。ヒカリさんに変な迷惑かけとらんか心配なってもうてかなわん」

 

 呆れたような表情を表情を浮かべつつも、鈴原少尉がくすりと笑う。

 

 兄の現状を聞き、忙しいながらも元気にしていると知って、喜んでいるのだろう。口ほどには多分兄離れできてないわよね鈴原少尉。その嬉しそうな顔でわかるわよ。

 

 一方、北上少尉はと言うと、唇を不満そうに尖らせている。

 

「そんな事言われても、実際見ないと大本営発表じゃん。1年2年で良くなったって言われても、私らそんなの見てないし」

 

「ガミちゃんはまだ垂直農場ビルって見たことないもんね。

 

 それはこれからこのフネが行く先のビル……ってか、アレをビルにカテゴライズしていいものかわかんないけどね、ま、ともかくアレみれば疑問ふっ飛ぶんじゃないかな。第三村のはあそこまで大きくないけど、機能としては似たようなもんだから、設計と運用はあの街の施設運用データを元にしてるし。

 

 何しろ人類に残された生存圏でも有数の大都市にして、人類が築き上げた最大級のメガストラクチャ。ヴィレ幹部曰く『緑のジッグラト』。『バーブ・イリ』。『カ・ディンギル』なんてあだ名もあったかなー?

 

 ま、この辺は生存圏ごととか、あの街と取引する会社ごとで色々勝手に呼んでるやつだから気にしなくていいかな。メソポタミア系のあだ名で呼ばれるの、あの街の名前考えるとどうなんよ、とかは思うけど、艦長たちが参照した元設計の名前が名前だし、そういう変な名前で呼ばれんのもしゃーない。

 

 まあね、ともかく、でっかい。

 

 ガミちゃん、見たら絶対びっくりすんよ? 

 

 L結界の赤い洪水の只中、アンチLシステムの堤防でかろうじて波を食い止めてその穴の底で生活してますみたいな状態になってるのが、今の生存圏の共通した現状なわけだけど、堤防で作った細い穴のどん底で、どうやって人類が数億も生き延びるだけの生産力を維持してきたか、文明を維持しているか、その回答の一つがズバリあの街」

 

「ええ、クロスレイ中佐相当官の言う通り」

 

 クロスレイ中佐相当官の言葉の後を継ぐように、レイが言葉を続けた。

 

「人類生存圏、最大の食料生産拠点にして、生命研究機関たる巨大都市。この間の衝角据え付けが極秘裏に行えたのも、あの都市の施設のおかげ。

 

 実のところを言えば、第三村で行われている農業用の種子の多くも、あの都市からもたらされたもの。日本列島は爆心地地域だから、作物の種子の多くがその被害を被り、多くの種が失われてしまった。それを補ったのが、あの都市の遺伝子コレクション。

 

 その歴史は古く、旧世紀時代、とある植物学者が世界中から集めた作物種子を由来とするの。

 それは第二次世界大戦という地獄、そしてセカンドインパクトという新たな地獄を越え、貴重な遺伝子バンクとして現代まで受け継がれていた。

 

 通称、バビロフ・コレクション。

 

 種子を集めた植物学者の名を冠した遺伝子バンクよ。

 

 彼は政争に破れ、時の権力者の増悪を買って獄死。

 

 彼の部下だった研究員は、戦争の只中、飢えた独ソ兵と民衆に包囲され、自らも餓死の苦しみに苛まれながら、それでも種子と種芋を守り続けた。その惨劇はセカンドインパクトでもなお繰り返されたけれど、やはり研究員たちは同じく身命を賭してそれを守ったのよ。

 

 それを食べれば生き延びられるということは彼らにもわかっていた。けれど、彼らは自らが生き延びることよりも、遺した種子がより多くの人々を生かすことをこそ想い、そして望んだ。生命を賭けたのよ。

 

 そして、サードインパクトにあたって、ヴィレはこれを防衛・保守することを最優先目標の一つとして掲げ、これの護持に成功した。結果人類は、彼らの想いが守った作物の種子を増やし、今を生きるための糧として、生存圏を維持し続ける事ができている。

 

 人類に遺された大いなる穀倉地域としての巨塔、この艦に次ぐ生命の秘跡を探る工房都市、それがペトラ。

 

 ええ。

 

 そうであるからこそ、私達ヴンダークルーにとって、最大の商売相手たりうる。

 

 人類史上類例を見ないメガストラクチャ、数多の人類人口を宿す巨大構造物だからこそ、あらゆる物資の需要が圧倒的にある。つまりビッグビズ機会。それはとても大切なこと」

 

 北上少尉が、目をしばたたかせる。突然『ビッグビズ』とか言われた意味が、分かっていないようだった。意味がわからない、という様子で口を開く。

 

「ビッグビズって……この艦は軍艦ですよね? ビジネスとか関係なくないですか? っていうかそれヴンダーのクルーによる私用じゃないんですか?」

 

 私用、という言葉をややいいづらそうに言う辺り、明らかにこの子はレイには好意を向けている気配だった。

 

 ただ、彼女には分かっていない。というか私と多摩少尉の会話聞いてなかったのかしらねこの子。いや私の声を可能な限り耳にしたくないのかもしれない。任務以外で。

 

「私用じゃないよ」

 

 不意に、艦長が口を挟んだ。北上少尉が、一瞬顔を険しくする。

 

 しかし、構わず艦長は言葉を続けた。

 

「現在、第三村やオアフ島、ペトラといった各生存圏はL結界によって分断されており、L結界による物理法則異常を原因とした電波擾乱により、電離層反射波を利用した大遠距離無線通信は不可能な状況となっている。

 

 ケーブル敷設による通信回線設営も、コア化のため、現在設営の目処がたっていない。

 

 さらに制宙権をネーメズィス・シリーズ各機に奪われている状況のため、生存圏同士の相互連絡は、現状民間流通企業や本艦を始めとしたL結界航行可能艦艇によって直接行わなければならない状況となっている。

 

 結果、各生存圏は現状、生存圏毎にその運営体制に最適化した経済体制を確立せざるをえなかった。つまりは協調したくとも、運送会社を介した伝書鳩レベルでの手紙のやり取りが限度である以上、それぞれが生きやすいよう、なるべく独自に採算が取れるよう体制を立ててしまった、ということだよ。

 

 何しろ無線通信はおろか、衛星通信もインターネットもない状況だ。だから食料や物資の配分も、現状はヴィレ及びクレーディトに拠る計画経済を主管とせざるを得ない。

 

 ある意味で、18世紀の帆船時代より酷いかもしれないね。各種業務の民間委託が物流関係に限定され、その権限も限定的で、加入するには軍属になることが条件となっているあたりに、今の人類社会の難しさがある。

 

 このため、現状では信頼できる強い国際通貨が存在しない状態だ。ヴィレが徴用の際に用いる軍票があることはあるけれど……まあ、現地経済、つまりは闇市のたぐいだけれど、そういった場所では現地の地域貨幣が重んじられ、ヴィレの軍票はそうした場所では使い物にならない。

 

 必然的に、各生存圏に本艦が修繕や補給を依頼する場合には、軍票ではなく物々交換での取引に頼むこととなる。となると、本艦の権能と研究成果を全力で用いて資本とし、価値のある物資や成果物を取引材料として準備する必要があるわけだ。

 

 クロスレイ中佐相当官にわざわざ足労を願ったのも、先方、つまりはペトラが『欲しい物』を確認するため、伝書鳩役をやってもらうためなんだ。これこれこれだけの物が欲しいという依頼を受け、分かりましたとこちらでサンプルを用意し、クロスレイ中佐相当官にサンプルと輸出予定数を届けてもらう。

 

 そして満足した先方から、本艦は代償としてサービスをいただくわけだ。 今回の場合、本艦が受け取るサービスは、AAAヴンダーの損傷箇所の修復、および本格戦闘運用を可能とする補強工事が主体となる。

 

 あの街にはそれを可能とする巨大港湾設備と技術があり、本艦はそれを必要としている。オアフ島でも時間をかければ不可能ではないけれど、ペトラのほうが早く終る。このあたりは先程多摩少尉に副長が説明していたね」

 

「修理を行うために向こうに支払う報酬として、物々交換で向こうにとって価値があるものを渡す必要があるってやつならさっき聞こえてます。

 

 ただ、人を使うために金や報酬で釣るやり口が気に食わないだけです。そういうの、軍艦の艦長が好き勝手差配していいことじゃないっしょ」

 

 北上少尉、聞こえてたの。ってか、そういう余録みたいのをせしめよう、ってのが気に食わないのね。潔癖か。

 

 ただ、そんな北上少尉の言葉に、あくまで艦長は柔らかい口調で答える。

 

「そうだね。けれど概ねの都市で闇市は機能しており、それはヴィレの配給制のみでは成り立たない現地経済を補うものとなっている。

 

 当然そうした商業行為にあたっては、現地通貨はヴィレ軍票より効果を発揮する。綾波大尉が研究した幹細胞系の各種技術のペトラへの先行供与や、各種建材やマテリアルを始めとした交易行為は、当然人類圏全体の生存性を高めるための投資だ。

 

 無論君の言う通り、余録を願わず、善意だけで無償でこれを行うことに対し、僕自身は異存はないけれど、先方としては相応の代償を支払いたいと考えているそうだ。少なくともそういう事になっている。これをないがしろにすることはいわば彼らの善意を踏みにじることだ。

 

 そして、なにより本艦の修繕・構造強化工事中、本艦は作戦行動を取ることが出来ない。当然だが工事中の軍艦は動けない。

 

 それに、工事が各所に入る以上、クルーを本艦内部には配置できない。居住用耐圧プレハブに手を入れる以上、工事区画には大なり小なり脊椎区画由来のL結界が生じる。危険なんだよね。

 

 故に、僕と副長を除いたクルー全員には、ペトラ到着後、半舷上陸してもらうこととなる。

 

 工事期間は、そうだね、少なく見積もっても2週間程度となるだろう。

 

 その際の宿舎への人員配置及び、ペトラ市街における行動範囲、行動規則については、間宮主計長からの支持に従ってもらう。

 

 なお、その際現地での各種行動に必要となる現地通貨も各員に配給される。先日、副長が言っていた給料だね。

 

 現地通貨配給に当たっては、ペトラ自治政府発行の指紋・血管認証式の電子カードを配給することとなる。むろんカードに登録された金額以上の現地サービスは受けられないため、管理には厳に注意するように」

 

 北上少尉が、敵意を通り越し、とうとう汚い大人を見る目つきで艦長を見はじめた。

 

「現地政府発行の闇取引に使える現地通貨を艦長権限で勝手にやりくりって、いいんですかそれ。艦艇の私的運用、ここに極まれりって感じなんですけど?」

 

 しかし、その言葉に対し、軍帽を目深にかぶった碇シンジ艦長はむしろ笑みを以て答えた。

 

「非常時においてヴンダーが咄嗟に行動を行わなければならない場合、AAAヴンダーは、ヴィレ総司令の名代として本艦に乗艦している赤木リツコ博士の代理承認により、独断での行動を取ることが可能となっている。これは葛城ミサト総司令及び、加持リョウジクレーディト長官がヴンダー艦長に認めた正式の権限だ。

 

 本艦の損傷状況は応急修復こそ成ったものの、速やかな修復工事施工が必要であることには変わりなく、そして本艦が人類最大最強の戦力である以上、この修理が焦眉の急であることは言論の余地のないことだ。これを達成するために、本艦は全力を以て当たらねばならない。

 

 また、現地経済状況の把握及び、現地通貨の流通状態、およびヴィレ軍票の取り扱い状態についての調査も重要と成るだろう。諸君らの各種経済行動はこの調査行動に該当すると僕は思っている。 

 

 つまり本艦のこの行動は完全に合法であり、一切問題がないと思ってほしい。

 

 ああ、もちろんどうしてもというなら、その現地通貨を使って、半舷上陸中も延長訓練を受けられるよう手はずを整えてもいる。この一ヶ月の訓練に飽き足らず、さらなる熱意を以て自らを理想に捧げる決意があるならば、僕としてはその決意を喜ばしく思うし、拒みはしない。

 

 旧ソ連時代からロシア連邦、セカンドインパクトを経てヴィレ決起にいたるまで活躍し続けたスペツナズの末裔たるペトラ軍警は、恐らく希望者に非常に熱心に訓練を施してくれるだろう。

 

 この一ヶ月で疲弊した肉体の限界を、ロシア式という異なる方式で更に確かめてみるというのは、人生において、きっと得難い体験になるだろうね」

 

 そして、碇シンジ艦長は満面の笑みを浮かべた。

 

 まだあどけなさの残る整った顔立ちにおよそ似つかわしくない、腹黒タヌキの笑みってやつだ。実質脅迫じゃない。

 

 艦長の言うことを要約すると、2週間給料つけて休みをやるから異国での休暇を3食宿つきで満喫してこい、さもなきゃ泣く子も鬼も等しく黙るロシアの最精鋭特殊部隊スペツナズの伝統式訓練2週間コースで泣いたり笑ったりできなくするぞってこと。

 

 米海兵隊とかだとたまたま飛び込んだヤブに蜂の巣があって刺されまくっても悲鳴上げるな頭上げるなと叱るそうだけれど、それがかのスペツナズとなればさらなる苛烈も想像できるわけで、多分陸軍訓練受けていてもきついやつだ。ましてヴンダーのクルーはヴンダーで戦うために訓練されており、使う筋肉とかノウハウが全部違うので、普通の歩兵訓練でも一週間ぐらいできつくなる。使う筋肉が違うから、覿面に疲れるのだ。まあ一言でいうと休むか拷問かってこと。シャレにならないわよねつくづく。

 

「あんた、マジで言ってんの……?」

 

 流石の北上ミドリ少尉も、これには思わず言葉を飲んだ。

 

 何しろ戦後の応急修理も大変だったろうけれど、その後の訓練も、多分彼女にとってはきつかったろうなーと思う。なにしろ艦長は訓練に手を抜かなかった。

 

 結果、新人からベテランまで、このバカでかいヴンダーの中を、ひたっすらに走り詰めオペレーションしづめダメコン訓練しづめだった。誰でも疲れる。人間なら疲れる。というか半分人間辞めてる私も疲れたのだから相当だろう。

 

 緊急訓練と称し、艦長の思いつきで『二番主砲への艦橋からの命令系統切断、直ちに二番砲塔へ向かい手動制御で砲戦を継続せよ、なお被弾によりトラム使用不能のため、通常通路で移動せよ』とかやりはじめ、狭く曲がりくねった通路を1キロ全力ダッシュなどがあり、これはただの一例に過ぎないわけで。

 

 もちろん、被弾や緊急事態を考えた場合、絶対に必要な訓練ではあるのだけれど、当然肉体の酷使を伴う。最初一週間は、乗員のほぼ全員が呪われたかぐらいの筋肉痛に襲われていた。

 

 文句を言おうにも艦長は当然自分も訓練対象としていて、訓練に必要であれば自分でも走るし、私ももちろん走らさされたし、およそ部下であれば万人に容赦がないプログラムなので、乗員としては従うほかない。

 

 もっとも、このあたりの、可能な限り平等に訓練でしごきあげる、というのには、相応に意味があったりもする。軍艦という閉鎖環境においては、しばしばストレス発散のための、地位を笠にきた私的制裁が、しばしば発生する。軍隊の宿痾のようなものだが、艦長はその生い立ちの都合上、この種のアレが死ぬほど嫌いときているのだ。

 

 よって、その兆候を見出した場合、容赦なく保安科に報告、要員を派遣していろいろ容赦なく問題を解決するため、疲労とストレスでいじめに走るぐらいならまだ訓練で発散したほうがまし、という状況に持ち込むのが目的という側面もあった。

 

 あと、多分恨むなら僕を恨んどけ、みたいなのも多分ある。くっそキツイ訓練させやがってこの野郎と共通して恨む相手がいれば、その敵意と怨念で人間案外結束して、恨みのベクトルが定まるために喧嘩が減る、みたいなものはあるし、碇シンジ艦長という男は、三号機事件以来、色々あって赤の他人に恨まれるのにすっかり慣れてしまっており、むしろそれが仕事とさえ思っているふしがある(私にはそこのところが少し気に食わないのだけれど、言っても思っても聞くやつではない)。

 

 ともかく、そういう男が提供する『追加訓練』が拷問と同じ意味を持つことは、ヴンダー乗員全員が思い知っていることである。私に言わせると多分その想像の倍でも甘いと思うけれど。

 

 ともかく、二週間の追加拷問か、二週間給料付きで三食宿付きで休むかだ。

 それこそ、選ぶまでもない。

 

 純朴でナイーブだった14才の少年が、10年がかりで戦場とポストアポカリプスの現実にしばきあげられ続けた結果がこれである。戦闘のみならず、上層部や、各生存圏との容赦ないタフネゴシエートなど、まだ私と艦長だけで運用していたころから、ほんとうに色々苦労してきたので、本当にいろいろ容赦が無くなってしまった。

 

 逆に言えば、14才の頃から色々味わいつつ、それでも全力を尽くしてきたという証拠でもあるわけで、だからこそ昔から碇シンジを知る旧ネルフスタッフの信頼が厚いものとなっているわけだけど。

 

 特に高雄機関長は戦自時代からの叩き上げの人なので、艦長のこういうやり口は、むしろ好ましく感じられるもののようだった。私もその口で、『選別』のアレはともかく、空軍に配属されてからも、やたらめったら走らされたり鍛錬させられたりしたので、その延長線上、と思っている。

 

 どれほど訓練がしんどくとも、それで生存確率があがるなら、それこそ望むところなわけで。

 

 今回、乗員に色々段取りして休暇と給与を与えたのも、修理で暇になるというのもあるけれど、「相応に働けば相応に報酬を与えるし、福利厚生もしっかりしますよ」という乗員への明示の意味合いもある。

 

 あのクソ艦長、と愚痴混じりに恨まれる程度ならいいけれど、本気で暗殺を考え出したり、さもなくば精神がアレして弾薬庫で楽しい火遊びを始め、乗艦乗員諸共まとめて一緒に心中したい、という病んだ願望を抱かれ始めたら本当に困る。適切に報酬と休みを与え、適切にストレスを発散してもらうのも、大事な仕事の一つだったりする。

 

 何しろ長い戦いなのだ。

 

 人類救済と勝利の条件が現状は実質不明な以上、この戦いがいつまで続くかわからない。

 

 他に懸絶した英雄なら、自らの望む正義遂行、理想の達成とかだけを動機に動き続けられるのかもしれないけれど、あいにく大抵の人類は、そういう方法で一年もめちゃくちゃに使った場合、精神なり肉体なりに深刻な影響が出かねない。軍隊においても、クルーリソースマネージメントは大事なのだ。

 

 ただ、それでもまだ北上少尉は思うところがあるのか、モゴモゴと口を動かして言葉を選んでいる気配だったけれど、そんな彼女に、真希波マリ大尉が、突然後ろから抱きついてきた。

 

「ほっほーう。ガミっちとしては素直に艦長の命令を聞くのは死んでもいや、とはいえスペツナズで二週間地獄の訓練も嫌なわけだー、なるほどなるほど~♪」

 

 半目で目を笑わせながら、猫のように意味ありげに口元に笑みを浮かべている。

 

「えっちょっ何!? いやそうですけど急に抱きつかれても困るんだけど~!? 

 

 っていうかこの背中の感覚何!? デカ!?」

 

 北上ミドリが先程までの敵意はどこへ言ったのか、突然の真希波マリ大尉の接触ボディランゲージに困惑している。主に外見年齢の割に豊満に育ちすぎたおっぱいの感触に。

 

 まあ、あれ、プラグスーツ越しでも大きいのわかるし、実際抱きつかれるとびっくりする。

 

 というかあんだけ育ってからの肉体年齢固定がうらやましい。おっぱい魔人め。おっぱいの魔女め。

 

 こちとらなにしろサイズがサイズだ。栄養が行くのは専ら髪とか爪ばっかりで一向に膨らんでくれないのだ。

 

 まあ、私的かつ一方的でどうでもいい類の、お遊び怨念行為はともかくとして。

 

 それはともかく、明らかに獲物を見つけたぞな気配の真希波大尉が、レイの方に視線を投げた。

 

 それに気づいたレイが、頷く。その頷きに、真希波マリが笑みを深めて応え、バタバタ暴れる北上少尉をハグしたまま、視線を艦長に投げかけつつ叫んだ。

 

「艦長わんこくん、進言進言!

 

 私とナミナミ、クロちゃんと一緒に先発でペトラに行く予定だったよね? 人員一名追加したいんだけどいいかにゃ~? 追加人員はガミちゃん少尉、名目は現地調査要員!

 

 クロちゃんは多分ペトラについたら取引きとネゴで一旦お別れだしさ、現地調査、人手多い方絶対いいって!」

 

 私は呆れ気味に片眉をしかめた。

 

 エヴァパイ2人抜けるのは、不意のネルフによる襲撃のリスクを考えれば、たしかに穴なのだけれど、そこのところはペトラ防空艦隊から護衛を受けられることになっていたので問題ない。

 

 空中戦艦ソユーズ、アルハンゲリスク、ガングートを主力とした防空艦隊所属の艦艇は、いずれもフローターユニット化された44Aを複数装備しており、それらのユニットを利用して、限定的ながらATフィールドを駆使した防御および中和攻撃が可能となっていた。フローター化にあたり、コアがマルチコア仕様となっているため、フィールド出力は44Aよりも高く、その出力はオペレーターに左右されるものの、かなりの防御性能を誇る。

 

 また、ペトラの防衛戦力としては、無人防空空軍が存在し、無人化された空軍機は、重力波リレー通信方式により、ペトラ都市区画および、ペトラ防衛軍空中艦隊所属艦艇から、一定距離までは遠隔操作が可能となっていた。

 

 そして、全ての機体にではないが、L結界排除用の懸架型小型封印柱を装備した機体も存在し、これによってL結界を退去させ、物理法則異常による機体喪失リスクを低減しつつ、部隊の邀撃能力の向上が図られている。

 

 低圧L結界地域では充分な戦力であり、44A相手であればヴンダーや他の空中戦艦が、主砲で仕留めきるまでの時間稼ぎと牽制等の支援の役割は望めるだろう。

 

 それに、先日の防空戦でかなりの数の44Aを叩くことが出来た。当分はネルフもおとなしくしている……といいけれど。

 

 楽観的要素、悲観的要素を色々脳裏で並べて色々考え、最終的に、まあいいかという気持ちになった。

 

 あの二人にも、なんだかんだと色々働いてもらっている。

 

 エヴァパイロットとしてのみならず、研究に、艦内の娯楽提供に、各地L結界域探索にと、大活躍なのだ。

 

 たまには休みも必要だろうし。

 

 それに、チェックやメンテを入念に入れたいのはヴンダーだけではないというのもあったりする。

 

 艦内で相応にメンテナンスや改修、修復は行っているとは言え、航空機で言えばオーバーホールに相当するような、全体的なダメージ状況確認と修復の機会は、このところ全く取れていない。艦内だけでは把握しきれない損傷が、色々と各所に積もっている可能性は否定できない。特に拘束具兼装甲周りは、可能であれば修繕・交換を済ませておきたい。

 

 相手が相手だけに、油断は大敵だけれど、ヴンダーを修繕するこの機会に、エヴァも修復し、保有戦力を万全にして、有事に備えておきたくもあるわけで。

 

 それに、北上ミドリ少尉のこともある。

 

 彼女の精神状態を見る限り、乗艦当初よりマシになったとはいえ、それでも条件と理由が揃えば艦長や私に銃口を向けかねない。防空戦中、激昂気味の彼女が、殺意にかられて拳銃に意識を飛ばしたのは、まだ記憶に生々しく残っている。

 

 仕事自体はできる女性であり、またヴィレの理想を本気で実現したいと思っているのも多分間違いない。

 

 喪った家族のことを思うと激情にかられる傾向があるとはいえ、少なくともこの一ヶ月、他の乗員から得られた証言を集める限り、むしろ彼女は、ぎりぎりのところでよく自らを律しているとすら思える。普通ならもう艦長なり私なりに一発二発撃って軍法会議沙汰でもおかしくないのだ。

 

 二回のニアサードで荒廃した人心を思えば、彼女はよく自らの激情に耐えている。

 

 その点を踏まえるなら、一度レイや真希波大尉に預け、様子を見るのも手かもしれない。私と艦長のツラを水に済む場所での、休息と気分転換が必要だと思える。疲弊は理性を腐らせる毒なのだ。

 

 私は艦長の方を振り返る。

 

 艦長は頷いた。

 

「艦長了解。北上少尉の調査要員としての同行を許可する」

 

「ちょっと、なんで勝手に決めんのよ!」

 

 北上少尉が反射的に反論するけれど、真希波大尉が北上少尉に抱きついたまま一向に離そうとしない。

 そして、真希波大尉は止めとばかりに言葉を放った。

 

「残念ながらヴィレは軍隊の端くれ、上官命令なんだにゃー」

 

 実に残念だという顔をしながら首をふるけれど口が笑っている真希波マリがそこに居た。

 

 助けを求めるように北上少尉がレイに視線を向ける。

 

 レイは北上少尉に頷くと、プラグスーツの上から羽織っている白衣のポケットから何かをとりだし、指先で吊り下げてみせた。

 

「大丈夫。問題ないわ。移動手段はある。私の車がある以上、あなたは自分の足で歩く必要はない」

 

 レイの指先には、銀色に輝く彼女の愛車の鍵がつままれ、ぶら下がっていた。

 

 うん。そうよね。お気に入りの愛車持ってかないわけ無いわよね。半舷上陸の友だものね。

 

「そういうことじゃなくて……」

 

 増援なしと気づいた北上少尉の眉がハの字に曲がる。

 

 せめて道連れ、と北上少尉は鈴原少尉の方を見るけれど、鈴原少尉は申し訳無さそうな笑顔を浮かべながら首を振った。

 

「ごめんミドリ、うち無理やわ。

 

 ヴンダーの医療科は予定あってな、現地医学界と、綾波大尉の幹細胞治療含めた研究成果の共有やら、過去研究成果を使った治療で得られたエビデンスやら、現状の問題点やらのカンファレンスで、3日くらい忙しいねん。先行って、楽しんできてな。カンファ終わったら、うちも合流するさかい。 

 

 真希波大尉、綾波大尉、ミドリのことをよろしくお願いします」

 

 そう言って、真希波大尉とレイにぺこりと頭を下げる鈴原少尉。基本敬語だけど、心理的距離感が近くなるとトウジと同じ口調になるのねこの子。

 

 むー、と北上少尉が唇を尖らせる。

 

「合流ってサクラ、連絡どうすんのよ」

 

 その問いかけに、クロスレイ中佐相当官がにこにこ顔で応える。

 

「ガミちゃんガミちゃん、乗艦時に渡されたスマホあるっしょ?

 

 あれ、ペトラでも使えるから大丈夫だよー、帯域ヴィレで確保してあるやつだから。

 

 メールもヴィレ隊員同士なら使えるし、艦内クルー同士限定だけど、連絡アプリも使えるよー。連絡はどうとでもなるからから大丈夫大丈夫」

 

 そう言って、今度は鈴原少尉の方を向く。

 

「さっちん、向こうの仕事終わったらメールくんない? あっしもそんぐらいには多分頼まれごと終わってんだろうし、あっしが迎え行くよ。そしたらガミちゃんたちと合流しよ。こことも取引ながいし、色々いい店知ってんだー」

 

 早く連れてきたくてたまらないが表情にまで出ている中佐、というかもうこれはクロさんだけど、クロさんの様子に目を輝かせる鈴原少尉。

 

「ほんまですか! クロさんおすすめの店って絶対いいとこですよね!

 

 第三村のみんなにお土産送れへんかな……ともかくふつつかものですが、よろしゅうお願いします!」

 

 鈴原少尉の表情が純真な子供のそれに戻っている。

 

 白砂糖が黄金より貴重みたいな子供時代を過ごせばそうもなるか。んでクロさんは鈴原少尉にはどうもベタ甘にしてた気配なので、村では決して手に入らない素敵なものを持ってきてくれるし、しかも若いのに女社長一代のバリキャリできっぷもよく、なんというか憧れのお姉さん、みたいのはあったのかもしれない。

 

 そういう人とお出かけは、まあ、それは嬉しいのかもしれないわね。第三村以外の場所へ行けるのも楽しい、みたいな気配を感じなくもない。何しろ年頃の女の子だし、こういう時代だからこそそういう機会は逃したくない、みたいのは有るのだろう。多分。

 

 それはそれとして、ふつつかものって何。クロさんの女房志望か。

 

 いやこれノリがいいだけね多分。なんだかんだでトウジの妹、血統かもしれない。

 

 そんな様子で両手を胸の前に組んで目をキラキラさせている鈴原少尉の前で、任せとけと言わんばかりにきれいな歯をだしながらにこやかに男前風笑みを浮かべつつ親指を立てて見せるクロスレイ中佐相当官。髪の色が茶色で、瞳の色が緑なのを除けば見た目はレイと変わらないはずなんだけど、表情がコロコロしゃきしゃき気持ちよく変わるあたり、どうみても同一人物に見えないのが面白い。人に人生あり、といったところだろう。

 

 一方、完全に外堀も内堀も埋められて包囲状態逃げ場なしの北上少尉は、相変わらずうーうーきまり悪そうに唸っていたが、やがて諦めたように頭を垂れた。

 

「あーもー……大尉……っても二人共大尉だし。北上ミドリ少尉、しゃーないのでお二人に同行しまーす。ネルフがぴんしゃんしてるのに遊びに行くのもどうかって話だけど、命令だからしょうがないし」

 

 不精不精の様子の北上少尉を見て、真希波大尉が意味ありげな色を、眼鏡の奥の瞳に浮かべた。

 

「ミドリっちー、息抜きするのも仕事のうちだにゃ♪」

 

 チェシャ猫めいて口角を吊り上げ、真希波マリが北上少尉に笑みを向ける。

 

「後少しで勝てる、なら全力出したり我慢したりもいいけど、まだまだ先見えないしー、そういう時は息抜きも大事だよ? 楽しむ時は楽しむ、戦う時は戦う、怒る時は怒る。中途半端にどのスタンスも取ろうとすると、身体も心もガチガチになっちゃって疲れるしねー。

 

 ミドリっち、マイペースなようで頑固で真面目な時真面目だし、気を抜ける時は抜いたほういーよー。

 

 それに多分、君の知らない世界の人間も見たほうがいい」

 

「どういう意味ですか?」

 

 北上少尉が不審そうに眉をひそめる。

 

 けれど、目の色に僅かに虚を突かれたような驚きの感情が、僅かにのぞいていた。

 

 真希波大尉の青空の青のような色の瞳が、眼鏡のレンズ越しに、北上少尉の瞳をまっすぐに見る。

 

「この世界は昔より狭くなってしまったけど、それでも君を驚かせるには充分なほど広い。

 

 違う街、違う歴史、違うメンタリティ。

 

 ミドリっちが思うよりこの世界にはいろいろな考えの人達がいるんだニャ」

 

 そう言いながら、ふと真希波大尉は、北上少尉から視線をそらした。

 

「君がヴィレのミドリを貫きたいのは知ってる。

 

 だからこそ、君に最初にあの街を、あの街の今を見てもらいたい。さっきのナミナミの話、聞いてたでしょ? 知り得ない未来のために、当時誰も価値を認めない種子や種芋の遺伝子コレクションのために、命をかけ、死んでいった研究者たちの話。

 

 その人達の願いと想い。ミドリっちの願いと想い。似てるんじゃないかニャ、なんてね」

 

「そこまで真面目になる必要もないと思うけれど」

 

 そんな真希波マリの様子をみながら、綾波レイが声を彼女たちに投げた。

 

「守りたい理由は人それぞれ、守りたいものも人それぞれ。

 

 ただ生命だけを守れればいいは、ぽかぽかしないのよ。ムダも不完全も好きだから。

 

 よければ、今日のお昼の感想、教えてほしい」

 

 そう言って、レイが北上少尉をじっと見つめた。

 

「どうって」

 

 北上少尉は、やや戸惑いながら、いつの間にか空になっていた重箱を見た。

 

「そりゃ、美味しかったですよ。第三村じゃこんなの、食べられないし」

 

「そう。嬉しい。おいしいは、ぽかぽかする。美味しいから、幸せになれる。

 

 けれど、『おいしい』は生きていくだけなら、無駄なのよ。生存だけを目的にするなら、旧式のおおざっぱなセンサーはいらない。

 

 栄養だけがあればいいの。いえ、それすらも不要とできるかもしれない。

 

 けれど、それはぽかぽかしない。人の体は、そういうものを喜び、欲しがるように出来ているから。そういうムダと余分が人の生活に余裕を与える。

 

 文化、ということ。人の魂の余裕の証、楽しいという気持ちへの欣求。から真希波大尉は貴女を誘った。私も、貴女に来てほしい。あの街には、貴女が見るに値する無駄が、とてもたくさんある。

 

 人類補完計画が定義する新時代においては旧生命と共に駆逐されるさだめの、あなたの知らない多くの無駄が。

 

 それは私が守るべきものであり、私が碇司令と戦う動機なの。切り捨てない。虚無へは還らない。無ではなく有を望む。それがネルフの綾波レイではない、ヴィレの綾波レイの望み。

 

 貴女は、どう?」

 

「ーー」

 

 空になった重箱に、北上少尉は視線を落としていた。

 

 やがて、半目でレイを見返す。

 

「こういうのエゴで無駄じゃん、贅沢じゃんって思ったけど、美味しいは美味しかったし。

 

 で、さっきのクロさんの話と、綾波大尉の話合わせると、そのうち第三村の皆も、これ食べられるってことっしょ?」

 

「そうよ。一連のサードで廃棄物扱いされたものを奪い返す、これも一つのレジスタンスなの。本当にささやかでつまらない抵抗。でも千里の道も一歩からという言葉もある。

 ヴンダーで技術を確立し、ペトラで大量生産方式を施行し、第三村の垂直農場に導入する。そうすれば第三村のみんなも食べられるようになる。半年か一年かはわからないけれど。

 

 ただ、イカは待って。イカが意外と難しいの。見た目が」

 

「イカ? イカって海の生き物ですか?」

 

 北上少尉がまた目を瞬かせる。また話が飛んだ。レイの悪い癖だ。

 

 真希波大尉が顔をすこしひきつらせながら説明に入る。

 

「海の生き物で、足がいっぱいあるんだけど、生でも焼いても刺し身にして美味しい生き物ってとこだニャ。

 

 ナミナミ、組織生成に手間取ってるみたいだけど」

 

「厚みを出しすぎると栄養が行き届かないし、丁度いい厚みでも、栄養の与え方一つで過剰運動して筋組織が壊れて白濁して、鮮度落ちや見栄えが悪くなる原因になるの。繊維構造も食感を踏まえると無視できない。もう少し待って」

 

「待ってって言われても、食べたことないんだけど……」

 

「タコも養殖は環境負荷を考えると……培養……でもまずはイカ。多分苦手だと思うけれどイカ徳利に日本酒。日本酒は戻ってきたからイカを何とか……」

 

 なにか大切なことに気づきかけたっぽいけどイカに気づきを破壊されひたすら困惑する北上少尉と、どうもイカ筋組織培養問題に意識が吹っ飛んでしまった気配のレイ。

 

 真希波マリはというと、こうなると手の出しようがないとわかっているのか、スマホの電源を入れて誰かに連絡を入れ始めていた。多分間宮さんに北上少尉同行の件を連絡しているのだろう。10年レイのバディをやっているだけ会って対応が柔軟(?)だ。

 

「まあ、護るものは大事な方が護りがいがあるってことなんスよねえ」

 

 苦笑しながら、誰に言うでもなくクロスレイ中佐相当官が言う。

 

 一ヶ月の猛訓練の疲労からか、久々の本物のごちそうのおかげか、艦橋にそこはかとなく穏やかな空気が漂う。多摩少尉は満足そうな表情を浮かべながら、食べ終えたクルーの空の重箱を回収し、キャリーカートに戻していた。

 自発的? 意外と気が利くのね。話は通じるやつだったけど、案外気も効くのかしらね。最初のときやってくれたのは、体が冷えてて余裕がなかったのかも。余裕ないとやらかすのよね、人間って。

 

 リツコなど、いつの間にか世はなべてこともなし、という済ました笑みを浮かべながら、鈴原少尉が注いだお茶を入れていた。

 

……いつの間に湯呑だの急須だのを仕入れたのか。うちの農園、茶葉そだててたっけ。まあいいか。

 

 私も最後のアマエビと酢飯を口に放り込んで咀嚼し、エビの甘さと美味しさの名残を暫く楽しんだ後、艦長を振り返った。艦長も満足げな様子で、多摩少尉に重箱を渡していた。

 

 お互いの視線が合う。

 

 ま、クルーの空気は問題なし。いい感じに平和、レイの食事もいい方に作用してる。

 

 リビア砂漠からペトラまで、この艦にとっては決して遠い距離ではない。だから道中の問題はない。北上少尉ですら長期半舷上陸に納得したのだから、乗員全員、艦長の指示通りに下船してくれるだろう。

 

 上陸後の宿舎や人員の面倒は、リツコや間宮さんに見てもらえばいいとして。

 

 一ヶ月の訓練を耐えたみんなには、嬉しい初任給と、二週間の休暇。医療科は一週間ほど仕事があるけれど、その分手当積み増ししているから我慢してもらうとして。

 

 問題は、居残り組よね。

 

 修繕工事期間中の残存人員は、私と、艦長。

 

 久々の二人きり、か。

 

 私は一度、高雄機関長に視線を投げる。 

 

 視線に気づいた高雄機関長が、先程まで浮かべていた笑顔を消し、真顔になって頷いた。

 

 私も頷きを返す。

 

 気配に気づいたリツコが、私を見てきた。

 

 私はリツコに言う。

 

「リツコー、悪いけど、しばらく私らに変わって艦橋の仕切りをお願いできる?

 

 物資生産中で、別段私達が艦橋に詰める必要もないし、私と艦長、今のうちに24時間休憩を取ろうと思うのよ。

 

 多分ペトラに入ってから修繕関連のネゴと、あと修繕中、この間みたいに手抜き施工されないか交代で監視する必要があるし、それ考えると、正直、工事中はまともな休みが取れないのよね。

 

 各種物資の生産の細かい制御についてはマギプラスに移管するし、支障はないと思う。

 

 正直一ヶ月の訓練で私達もヘトヘトだしね。

 

 防空戦からこっち休んでる暇なかったし、久々に美味しいもの食べたし、たまにはゆっくりしたいわよ」

 

 私の言葉を聞いたリツコが、湯呑から口を離し、うなずいた。

 

「そうね、あなた達、先日の防空戦で二人揃って昏倒するなんて事になっていたし、本来なら検査入院が必要なのにそのまま応急修理と猛訓練だもの。

 

 本来なら、あなた達にも一週間以上の休息が必要とも思うけれど、現状それは難しいわね。各種製造工程の概要は受け取っているし、作業の進捗管理は私とマヤ、それにマギプラスで見るから安心なさい」

 

「師匠格にモノを頼むの、気がひけるけれど、私達もいい加減クタクタだし。艦長も、それでいいわよね?」

 

 私はリツコに答えると、艦長に視線を投げた。勿論、艦長は日向戦術長や青葉戦術長補佐ではなく、ヴィレ総司令の名代でこそあるものの、本来ヴンダーへの指揮権限を有さないリツコへ艦橋と作業工程の仕切りを任せたことの意味を理解している。

 

 艦長は、軍帽を目深に被り直すと、私とリツコへ向かって頷いた。

 

「そうだね、僕も少しは休憩を取ったほうがいいかもしれない。それと日向戦術長と青葉戦術長補佐、それに高雄機関長も、訓練中ほぼ休みなく勤務しておられましたね。リビア砂漠を出発したら、さほど長い時間ではありませんが、44Aによる空襲を警戒する必要がある空域を通過する必要があります。皆、少し休んだほうがいいかもしれません」

 

 艦長の言葉に、日向戦術長が敬礼を返す。

 

「了解しました。日向戦術長および青葉戦術長補佐、これより24時間の待機に移ります。いいな、青葉」

 

「……青葉了解。おとなしく待機しますよ」

 

 日向戦術長の言葉に促され、青葉戦術長補佐が艦長へ不精不精の響きを帯びた返答と敬礼を返す。

 

 高雄機関長の返答はなかった。もう艦橋に彼の姿はなかった。私の目配せの直後、トイレにでも行くかの呈で、それとなく艦橋を抜け出していたからだ。

 

 状況を全てわきまえた上で、艦長は頷いた。

 

「では、艦長および副長、これより24時間の休憩に入ります。リツコさん、すみませんが後を頼みます」

 

 艦長の言葉に、リツコがうなずく。口元だけに笑みを浮かべていたものの、リツコの眼光は硬質な物だった。その眼光同様、彼女の言葉の響きも、また硬さを帯びていた。

 

「艦長。くれぐれも気負い過ぎないようになさい。あなたは我を通すために無理を己に強いすぎ、その過負荷で判断を誤る。あなたの経験よ」

 

「きついですね、リツコさん。了解です。気をつけますよ」

 

 苦い笑みを浮かべながら、艦長が頷く。皮肉な笑みほどに気分に余裕がないのは、思考を見なくても、彼が食事前まであみだに被っていたのに、いつの間にやら目深に軍帽をなおしているあたりで、わかる人間にはわかる事だった。

 

 なにか胸の内で噛み殺したいことがあるとき、あるいは気分が単に悪い時、彼は軍帽を目深にかぶる癖がある。現実に目を向けたくないという無意識の願望の現れなのかもしれないけれど、癖の類なのでこればかりは心が繋がっている私にも正確な理由はわからなかった。

 

「それじゃ、副長。行こうか」

 

「了解。あとお願いね、リツコ」

 

 リツコが無言で頷く。

 艦長が席を立ち、トラム・ポートであるハッチへと向かう。私も席を立ち、彼の後へと続いた。

 

 彼がハッチの前へたどり着くと同時、トラム・リフトが到着する。

 

 彼は振り返ることなく、トラムへと乗り込んだ。私も彼に続いて乗り込む。

 

「艦長・副長退室!」

 

 日向戦術長の声を背に聞きながら、私はトラムのハッチを閉じた。脳波で行き先を艦長室に指示する。

 

 艦長と私は向い合せで、それぞれトラムの壁に背を預けながら、僅かな間、お互いを見つめた。

 

 艦長の顔が、暗い。艦橋を出て、二人きりになったから、もう演技をする必要がなくなったからだろう。艦橋にいる間、食事前までわりと明るかったのに、急に暗くなったあたり、食事中にマギプラス記憶領域に届いた機密情報が要因だろう。

 

 私はその様子を見て少し考え、そして口を開いた。

 

「湿気たツラ。余裕ないわね。加持さんから来た情報が理由?」

 

「そうだね。加持さん以外からも、だけど」

 

 私の問いかけに、艦長が頷く。

 

「ってことは、クロさんが持ってきた補給物資の中に混ざってた、別ルートの諜報情報ね。

 

 ペトラ防衛軍参謀本部情報総局。あの生存圏、あくまでヴィレとの関係は同盟、協力の範疇というスタンスを崩してないものね。

 

 ユーロロシア支部と軍が揃ってネルフ本部と、ゼーレに操られた各国軍へ叛旗を翻し、サードインパクト阻止を主眼とした蜂起・邀撃作戦『クロマニヨン』の主力を担ってた。

 

 結果セントラルドグマじゃ国連軍から離反したロシア軍の主力戦車T-90Mと、国連軍のT-80UNが殴り合う、なんて景色まで現出しもしたし」

 

 ふと、私はあの日のセントラルドグマに広がっていた景色を思い出す。

 

 活動を再開したリリス。

 

 降下を終えリリスへの接近を図るMark6と、その進撃を一秒でも遅らせるため砲撃を続ける戦略自衛隊の10式改と在日米軍のM1A3エイブラムス。

 

 その背を守るように、戦力で上回る国連軍を迎撃するロシアのT-90M。

 

 勿論戦略自衛隊や在日米軍の全てが叛旗を翻したわけではないし、国連軍を形成する各国軍とその糸の操り手であるネルフ支部の群れは、各個に想定する補完計画遂行という意味合いでは最終的に対立する間柄ではあったけれど、サードインパクト発動という意味合いでは共闘関係にもあるため、まずは邪魔な叛乱軍を殲滅するという意味で、意思統一が取れていた。

 

 戦自と在日米軍反乱組、そしてユーロロシアが展開した機甲戦力は絶望的抵抗を強いられていて、ついでに言えば、ヴンダーが到着した時点で制空権は完全に国連軍が掌握していた。

 

 あの狭い空間を雲霞のごとく飛び回る国連軍のYAGR-3B相手に、叛乱戦力側は車載の対空自動銃座や、展開する随伴歩兵のスティンガーや91式携帯地対空誘導弾を以て絶望的な対空戦闘を繰り広げていたわけで、有り体に言って地獄のような景色だったように思う。

 

 超常の存在たるリリスと、覚醒ないしは使徒との一体化を意味する光輪を背負ったエヴァンゲリオンMARK6が相互に歩み、蠢く神話じみた景色の中、インパクトを防ぐため、あるいは己が望むインパクトをまだ起こせると信じるがために殺し合う現代兵器とそれを操る人間の群れの姿。

 

 仮にロシア軍が国連側についていたなら、Mark6相手には蟷螂の斧に過ぎないとしても、その後の混乱状況におけるネルフ本部の叛乱に与した職員の脱出やネルフ本部設備の略奪およびヴンダーへの移送、住民避難後で無秩序状態にあった各生存圏の治安維持人員確保も困難であったろうし、あまりそのIFは想像したくない。

 

 そういう意味では彼らとは轡を並べた中でもあるし、だから残存人類の内紛の再来にあたり、加持さんからの情報のみを当てにせず、ヴィレとは別個に活動する現ペトラ生存圏自治政府の助力を仰ぐシンジの判断は、私には正しいように思われた。片目では物事の立体感が掴めない。両目で捉えてはじめて立体感と距離感を得られる。勿論、諜報という場面において、目玉の数は多いに越したことはないけれど。

 

 私の言葉に、艦長が少しだけ目を伏せ、そして言葉を返してきた。

 

「彼らの状況判断のおかげで、『アスクレピオスの杖』が間に合った事を思えば、感謝してもしきれないよ。潰し合いの果てにゼーレの補完のダシにされるのを見きっての行動だから、彼らの影の長さと腕の長さはソ連時代から変わらないんだろうね。意思統一のために相応に血を流したとも聞いてるし。

 

 それと、今回の件に関してはロンドンの伝手も頼ったよ。彼らが集めた情報も同様。

 

 加持さんは僕らに回した情報以上の動きをしている。あの人の部下が、クレーディトによる各生存圏への食料供出活動に乗じて、分散したイズモ派閥諸勢力と接触を図った形跡が認められる」

 

 艦長の言葉に、私は頷く。

 

「GRUとMI6のお墨付き。つまり加持さんがあんたに開示した手札の他に、まだ伏せたままの開示されていない手札がある。何らかの目論見と仕込みが有るのは間違いないと見ていいわね」

 

 冷戦以来暗躍し続けた諜報組織の古豪二組織が同一の結論を出した以上、加持さんおよびクレーディトは、黒とは断言出来ないにせよ、限りなくグレーな存在と見なさざるを得ない。私もシンジもそう結論せざるを得なかった。

 

 ヴィレのバックアップ組織であり、各生存圏の維持のため浮遊船舶を以て各地域を独自に渡り歩く権限を持つクレーディトの長である加持さんであれば、その種の暗躍も可能だろうし。

 

 艦長のツラが暗くなるわけだ。

 

 ちなみに、私達が二人きりの状況で、脳波による意思疎通で済ませられるところを、わざわざ音声を使って会話しているのには実はそれなりに理由がある。

 

 本来言葉はいらない間柄ではあるけれど、それに頼ってばかり居ると、言葉の発し方を忘れてしまいそうな心地にお互いなってしまう。それに、無言での思考対話はお互いの心が仔細に見えすぎて、よくない。

 

 心と心が通じあう、というといいことのように聞こえるけれど、本当にお互いの心が繋がってしまっている私達にとって、それは必ずしも良いことだけを齎しはしない。

 

 これは相手の気に障るだろうな、と黙っておきたいことでも、思っただけで伝わってしまう。結果てひどい喧嘩になったことが、この10年でどれだけあったか。だから、あえて思考を使わず、言葉に頼り、言葉に思念を添わせて語り、それに相手の真情をみる、というルールが、私と艦長──碇シンジとの間にはあった。

 

 心に浮かぶ想いというのは、往々にして条件反射的なもので、いわば生の感情の現れでしかない。それが相手の真であると思いこむと、ろくなことにならない。さらに喧嘩をして顔を合わせたくない、少し気持ちを整理したい、という状態でも、私達は離れることができない。頭のどこかに相手がいて、必ずその意思は見える。最初の数年は手ひどい暴力を伴う喧嘩をよくしていたように思う。

 

 そんな過程を経て、まず相手が条件反射的に発生させた感情は、お互いひとまず流す、という事に決めていた。瞬間瞬間の感情は、たしかにその瞬間の本音ではあるかもしれない。けれど人間の心は、感情だけで出来ているものではなくて、理性といった後天的な知性によって塑形され、初めて形作られるものだと、最近の私達は理解している。

 

 どれだけ感情が納得できず、怒りを叫んでいようと、理性が相手にも理がある、むしろこの怒りは間違っている、とブレーキをかけ、自分を説得するということは、だれでもある。

 

 そうやって感情と理性の間に現れる出力こそが心なのだろう、ということが、私と彼の学びつつあることだ。気持ちが見えていなければ見えていないで感情を荒れ狂わせ、感情が見えたら見えたでそれに条件反射で反応して、感情を荒れ狂わせた私自身の悔恨でもある。感情という言う炎に任せれば、自分の心が焼き尽くされる。理性と知性で制御して、初めて本当の「心」が出力され、人生を生きる動力炉となるのだ。

 

 そういう意味で言えば、艦長──碇シンジは、今ちょうど感情と理性が全く逆の結論を出力し、その摩擦に耐えかねている、という状態になっていた。

 

「気に食わない、か。そりゃそうよね。セカンドインパクトで激減した人口が、さらに十分の一まで減って、フォースインパクトをこのまま迎えた場合、旧生命は新生命のマテリアルとされてしまって、実質滅滅するって状況。

 

 そういう状況だってのに、やれフォースインパクト阻止だ、むしろ外惑星移民だと争い合い、人間と人間が殺し合う。

 

 人類史あるあるとはいえ、バカバカしい話よ。くだらない。けれど、今更な話でもある。

 第二次ニアサード……あるいはもうサードか、どっちでもいいけど、あの日あんたは諦めない道を選んだ。他人に引き金を引き、殺してでもたどり着きたい未来を求めて」

 

「うん」

 

 彼は帽子を目深にかぶり、俯いたまま頷いた。

 

「まあ、あんた、相変わらず自分が殺した、で済ますとこあるけど……あんた一人で引いた引き金じゃない。誰かがどこかで、あの絶望の中、もう来ないかもしれない明日を掴むために必死であがいたし、その過程で誰かを殺さざるを得ない。戦争だったもの。そしてそれは続いている。あんたは救世主でもなければ、奇跡の担い手でもない」

 

 言いながら、私は一歩彼に近づいた。

 

「どこにでも居る、つまんないごく普通の、ちょっと意地っ張りが過ぎる男。本当は誰一人殺したくないって感情を、理性で捻じ曲げて引き金を引いている男。そういうやつだもの、あんたって。

 

 未来への布石を毎日必死に考えながら考えながら、その過程で過去に囚われ、本当はもっといい、冴えた方法があったんじゃないか、そうやって自分を追い詰め続ける困ったやつよ」

 

 彼は答えない。私はもう一歩彼に近づきながら、ため息をつき、頭を振る。

 

「もういい加減言い飽きたけど、あの日の引き金、あんた一人で引いたわけじゃないわよ。私もあの時ヴンダーに乗っていたもの。

 

 それに、誰かを殺したのはあんたと私だけじゃない。ネルフ司令部のみんあ皆も、あの戦役の只中、生き延びるため、誰かを殺すしかなかった。戦争だからしょうがない、で納得する性格じゃないのは知ってる。

 

けれど、そういう自己卑下は、あの日生きるために殺さざるを得なかった皆への侮辱でもある。わかってると思うけど……来るんでしょ、イズモの連中。狙い通りに。だからそんな辛気臭い面になってるのよね」

 

「……うん」

 

 私は歩を止め、自分の腰に両手を当て、目を閉じた。彼の脳裏にイメージされた顔でわかる。それは帽子も目深になる。

 

「イズモにとっては最大で、なおかつ最後になるかもしれない好機。だからこそ今回は本気で奪取に来る。いえ、奪取できなくともいいのよね。この一ヶ月の訓練で、ヴンダーの操艦に私達は必須ではない、というのが立証されつつ有るし、それは第二次改装の目的でもあったわけだけど、彼らにとっても好都合。

 

 現状、私とあんたを欠いた状態の場合、ヴンダーの戦闘力は8割減ずる。つまりネルフへの武力対抗は実質困難、これはフォースインパクトの阻止を目的としたヤマト作戦を遂行不能にするに事足りる。少なくとも連中はそう考えたし、そういう情報があんたにも入ってきている。確定したのよね?」

 

「そうだね。複数の伝手からの、諜報に基づいた情報だ。まず間違いないと思っていい。手段までは不明だし、プレイヤーの数さえ不明だけれど、間違いなく来る」

 

 彼はようやくのことで『うん』以外の言葉を発した。罠を張る以上、当然彼なりの計画があり、その過程で何が発生し、どういう要素が絡んでくるかまで、当然彼は踏まえている。

 

 ただ、感情が納得できていないだけなのだ。ましてその情報発信者もまたゲームプレイヤーである可能性を踏まえれば、なおさら彼なら納得できないだろう。

 

 私は目を開き、彼を見つめると腕を組み、再び口を開いた。

 

「加持リョウジ現クレーディト長官。ネルフとゼーレの狭間で独自の諜報活動を行いつつ、密かにサードインパクト発生に備えていたヴィレ設立の立役者の一人。

 

 人類をL結界発生時の赤い大海嘯から守る盾の計画『アスクレピオスの杖』及び、ネルフないしはゼーレによるサードインパクト遂行の予兆があった場合、これに叛逆、サードインパクト阻止を図る剣の計画『クロマニヨン』両作戦の立案者でもある。

 

 そして、サードインパクト発生時、彼は確かにその両作戦を発動させた。私達がこれから向かうペトラは、彼が密約を結び彼の要請に応じ、各国ネルフに反旗を翻した人々が護り抜いた街でもある。

 ともかく、あの人の目論んだ『アスクレピオスの杖』と、『クロマニヨン』の両作戦なくして、今日の人類の生残はなかった。けれど──」

 

 彼が頷いた。

 

「そうだね。加持さんの本当の狙いはそのどちらでもなかった。

 

 ゼーレのシナリオを知る加持さんの結論は、人類によるゼーレのシナリオ阻止は不可能という諦観の結論であり、だからあの人にとって、あの日の最大の狙いはこのヴンダーだった。

 

 インパクトによって失われるさだめの旧き生命を運ぶための方舟として建造されたこの船の強奪こそが加持さんの計画の本命だった。この艦の巨体ではネルフ本部に常駐できなかったし、重力・斥力併用操艦の影響を踏まえて、本部からやや離れた、大島沖に停泊せざるを得なかった。ヴンダーの発する重力・斥力の影響はあの段階ではまだまだ未知数だったからね。

 

 だから、第三新東京市戦役発生時、各国ネルフ支部が投入してきたナンバーレス・エヴァンゲリオンおよび44A初期ロットに僕らは気を取られ、その邀撃に忙殺され、知らず本部から離れる形になっていた。

 

 そのタイミングで、加持さんは仕掛けてきた。

 

 ヴンダーへの強襲揚陸及び奪取、インパクト影響範囲外への旧生命の脱出、播種の船としてヴンダーを星系外へ脱出させることが加持さんの本当の望みだったからね」

 

 電磁レールに沿って、静かにトラムが下降していく。何度かレールを切り替えながら、ヴンダー下部最奥、N2爆雷保管庫へと向かっているのだ。

 

 艦長室はその只中にある。第九の使徒は第一次ニアサードインパクトによって消失したと考えられるものの、私達というイレギュラーな生存者二名の脳がリンク状態にあり、さらに虚号機を経たヴンダーへのシンクロ、その他諸々の現人類には不可能な域の現象を引き起こした以上、第九使徒の再現となりうる可能性は否定できないと多くの人々が考えていた。

 

 だから、そうした疑念を抱く人々のためにいくつかの対策が講じられた。たとえ使徒であっても即座に燻蒸可能な量のN2爆雷格納庫に艦長および副長である私達の居室を設ける、というのもその施策の一つだった。効果があろうがなかろうが、ともかく脅威がある場合、それに対してなんであれ対策を欲するのは、人間のサガというものかもしれない。

 

 私は小さくため息を付き、彼の言葉に自分の言葉を続けた。

 

「ゼーレの多世界観測及び、無限に等しい多世界観測によって生じる膨大な情報量を演算しうる超チューリング計算力を以て、自らを擬似的上位次元者としてこの世界に再臨させる『ネブカドネザルの鍵』の権能、その権能を以て遂行されるインパクトの阻止は不可能と考えていたものね、加持さん。

 

 けれど、地球で生まれた多くの生命が、地球以外の環境に適合できる可能性が限りなく低いこともわかってたっての、今ならわかる。

 

 あの時はあの人なりの信念で行ったと思っていたヴンダー強奪計画も、実のところは自暴自棄な、億が一の可能性にかけた、不可能に等しい生命脱出計画だった。なによりヴンダーは本来の主機を未だ欠いている状態で、全力発揮とは程遠い。

 

 星の海を押し渡ろうにも、虚号機はともかく補機N2リアクターが持たない。生命保管機能も主機を欠いては十全に遠いもの。耐圧プレハブも劣化するし、N2リアクターが故障すれば宮殿も止まり、ATフィールドを喪失する。そうなれば、アダムス組織はともかく、保管された生命種は、強力な宇宙線に耐えられない。

 

 所詮デスパレートで自己満足、多分かなわないけれど、もしかしたら叶うかもしれない、という甘ったれた自棄でしかなかった。それが絶望だとわかるから、責める気にはなれないけれど。それに、あの人の剣と盾の計画がなければやっぱり私達はゲームオーバーを迎えていた。あの人の計画があったからこそ、旧生命はこのL結界の只中で、かろうじて持ちこたえ、文明を継続できている。

 

 あの人の中に絶望があり、結果として一か八かのエクソダスへ賭けたのだとしても、両計画を立案・実行するにあたって手抜きは決してしなかったし、その結果数億という人命が救われたのは厳然たる事実よ」

 

「そうだね。だからこそ、面倒でもある。加持さんは第三次改装には反対の立場を取っていた。あの人も『轟天』と新冷線砲の危険性を無視できなかった。光速で拡大する世界の破滅は、インパクトの齎す補完よりもなお最悪のシナリオと言っていいからね。

 

 一応、新冷線砲はオアフ島を守った。それは事実だ。けれど、冷線砲が生み出したタキオン場の凝縮は真空崩壊を限定的にせよ引き起こし、本来ならば世界は安定な真空へと相転移を遂げ、不安定な今の世界は全て崩壊するはずだった。

 

 真空崩壊は僕らの想定通り、余剰次元より開放されたATフィールド干渉・修復作用により防がれたけれど、それが発生したことには代わりはない。それを加持さんがどう受け取ったかで悩んでるんだ」

 

 彼の言葉に、私は一時沈黙した。やがて、トラム・リフトが停止する。N2爆雷保管庫へ到着したのだ。

 

 けれど、彼も、私も、動かなかった。

 

「つまり、あんたはあの人がまたゲームプレイヤーとして振る舞うリスクを考えてるのよね。葛城ミサトの夫で、葛城ツカサの父親。あんたにとって身内に等しい存在、守りたい人間だからこそ心が苦しい。心が痛い。14才のあんたなら、多分決断出来なかったかもしれない。

 

 でも、あんたはゲームを始めてしまったし、あんたのシナリオ通りに日向さんや青葉さん、高雄機関長と保安科も動き始めた。それをあんたは止めなかったし、止める理由もない。宇宙軌道を奪いに行くこの機に、未だ地球脱出を諦めないイズモとの有形無形の抗争を片付ける好機だもの。

 

 14才のあんたならともかく、24才のあんたはヴンダーの艦長としてそう判断した。あとは感情の問題。他人の犠牲を許容でき、そこそこ術策と言えるモノを巡らせる様になった自分が、あの父親とどう違うのか、っていう自己嫌悪と葛藤。理性がどれだけブレーキをかけても、感情の火は消せないもの。だから苦しむ。あんたらしいわよ」

 

 私の言葉に、彼はまた俯いて沈黙した。とはいえ答えは丸見えで、彼の葛藤も丸見えだった。

 

 あの日使徒に乗っ取られた三号機をパイロットごと殺せと命じたも同然の父親に、いよいよ僕は近づいているんじゃないか、仮に加持さんがこの一件を機に、僕を坐視できない危険と見なしたなら、僕はその時どうすれば。

 

 あの人なら、やりかねない。そういう危うさがあの人には有る。そしてそう判断する理由を与えてしまったのも僕だ。

 

 いやわかっている。わかっているんだ。

 

 とうの昔に僕の手は血まみれだ、身内殺しも他人殺しも変わらない、人殺しの光帯は永遠に心から拭えない。わかってる。この箱庭に外はない、その時点でイズモ計画は有る意味で破綻してしまっている。納得しろと言われて納得させられる手札も今はない。

 

 妙な事を目論まずUS作戦を決行すべきだったのか、いや、仕組まずとも現状を思えば絶対にボロは出た、配線一つとってもあの劣化具合だ、一度粗出しをする必要は絶対にあった。そして粗がでればどのみち修繕は必須で、プレハブの設計面での破綻の見直しと、作戦行動に伴って生じた細々とした不具合の再調整を行えるのは、ペトラ地下の、僕らが築いたあのジオフロント2、その地下港しかない。

 

 つまり僕が仕組まずとも彼らは仕掛けてきただろうし、そしてその情報を伝えてきたのも加持さんだ。仕掛けてくるのはおそらく間違いない。問題は加持さんがそれを踏まえてゲームに乗るかどうかだ。

 

 僕はそれが怖い。それが何を引き起こし、何を齎すか。それが怖くて怖くて仕方ないんだ。 

 もしあの人が、またあの日のように襲ってくるとしたら。僕は。

 

 多分、対処はできる。でも。あの日のように引き金を引いてしまったなら。

 

 もちろん、憎悪の群れに取り巻かれるのはもう慣れてる、誰かを憎まないとやりきれない気持ちは誰にだって有る、僕だって父さんを憎んで恨んで立っている。その意味では僕も、僕を憎む人たちと同じなんだ。

 

 でも、そういう僕を憎む人々の群れに、僕の行動が原因でミサトさんが加わったなら。彼女の子供が加わったなら。僕は、一体どうすれば。

 

 無言で顔を伏せ、何度も心のなかで繰り返す。五月蝿いからやめなさい、と私が言ったところでどうなるものでもないのは、私自身がよくわかっている。

 

 それは彼の感情。彼の魂の心臓が送り出す、気持ちという血液の本流にほかならない。それを止めるのがどれほど難しいかなんて、無自覚な孤独に苛まれ、他者を嫌いながら他者を誰よりも希求した、そんな自己矛盾に苦しみ続けた私が、きっと誰よりも知っている。

 

 無言で俯く彼の顔、軍帽のつばで隠れて見えない彼の目のあたりを私は見つめた。

 

「ほんと、バカシンジのバカは変わらないわよね。昔からそう。自分のあり方、他人とのあり方にいつだって苦しみ続けてる。

 

 ホントあんたらしいわよ。もう答えを出して行動までしてる、命令も出して他人も動かしてるのに、それでも苦しがってるんだもの。ほんとバカよね」

 

 る表情は努めて無表情に。声音の感情も殺して平板に冷たく。昔本気で喧嘩をしていた頃、彼から私がそう見えていたように、私は振る舞う。

 

 そう思った時点でバレバレかもしれないけれど、構わない。束の間でもあの日々を彼が思い出してくれるならそれでいい。

 

 私の言葉に、彼が僅かに顔を上げた。瞳が僅かに凍てつく。

 

 魂が繋がっていても、条件反射というのはなかなか消えない。本当に殺意を宿した怒りを表した私の記憶が、彼の中に束の間蘇ったのだろう。あのころは、でもこいつもしっかり反発してきたっけ。気持ちが繋がってるからこそ本気であいつも怒って、衝動的に私の首絞めだして。第九使徒に狂わされた私が初号機にこいつを重ねて首を締めずにいられなかったような。

 

 それは多分、子供同士の理屈も何もないただの逆上のぶつけ合いだったんだと思う。嫌いもすれば憎悪まで行ったかもしれない。けれど、なんだかんだでお互いまだこの船に乗っている。

 

 本当に憎んでいて、繋がっている心が本当に鬱陶しくて、居なくなって欲しいなら、最後の解決手段がお互いに有るのだから。けれど、それをお互い最後まで出来なかったし、望まなかった。だから、こうして今、同じトラムに乗っている。 

 

 だから、今は違うのよね。自分の気持ちを殺し切る事もできず、かといって気持ちのままに我儘を振り回すことも出来ず、逆上という形でしかほんとうの意味で他人に心を委ねることが出来なかった14才の碇シンジはもう居ないのだ。多分もう少しだけ成長して、だからこそ結論を出しながら、それでも苦しむ彼が居る。

 

 踏ん切りがついてないわけじゃない。そんなものは、きっとこいつのなかでついている。万が一の時、想定した最悪が訪れた時、それでもなお最善のため力を尽くすため、理性と理論に飲み込まれ、ただ合理のままに人を殺せる機械と成り果てないために、自らを苛む道を選んだのだ。一度引き金を引いてしまったなら、割り切ってしまったほうが楽なのに。なんて馬鹿げた自己矛盾。本当にこいつらしいと思う。

 

「そういうとこが、あんたらしいわよ。一度手を血で染めたなら、二回も三回も同じことなんてならずに、その苦しみの意味を踏まえて苦しみ続ける。

 

 あんたの父親ぐらい割り切れればいいのに、それが出来ないとこ。ヴィレとしてここで膿を出し切り、US作戦とその先に向け、対立勢力をここで叩き潰す必要がある合理もわかってるくせに。

 

 そのくせ、だからこそ、あんたは苦しんでいるんでしょ? 

 

 その苦しみを捨て、合理の機械に成り果てたら、助けられたかもしれないものを、合理の示すシナリオに従って、唯々諾々と殺してしまうかもしれないから。ゼーレやネルフがシナリオを遂行するときのように」

 

 また、彼が顔を伏せる。感情を理性で隠そうとして、巧く行かないカオス。繋がっているのだから見えてしまう。そんなところは見せたくない、というのが丸わかり。懊悩をあなすけに言われた憤懣からか、僅かに下唇を噛みしめている。僅かな痛みが私の唇にも走った。

 

 だから、私は言葉を続ける。

 

「それをやらないために、自らが仕組んだ策謀に自らが絡め取られず、最後の瞬間まで自らが策謀から自由であるために、シナリオ遂行の装置となりはてないために苦しんでいる。多分、そこがあんたにとってのデッドラインなのよね。

 

 ヒトならざるBM-03と、人間たる碇シンジを分かつ一線。

 

 でも、それって一人で抱えなくてもいいやつじゃない。だからあんたはバカシンジなのよ」

 

 碇シンジへ近づくための最後の一歩。心が繋がってるだけに、こういうのは仕掛けのタイミングが難しい。年々こいつは小賢しくなっていくから。

 

 けれど、こいつが自分の憂いに硬直している今だったら、不意の一つもつけるだろう。私は彼の両頬へ、包むように手を伸ばす。

 

 そして。

 

「あんたがしんどいのはわかってる。うんざりするほど。ってか、うんざりしてんのよ」

 

 彼が噛み締めた唇の両端を、両手の人差し指と親指で無理やりつまんだ。

 

「だから、笑え。嘘でもいいから。こういうふうに。さっきクルーに演じてたように、体で自分の心を騙せ。心って奴、体の形に従うのよね。作り笑いでもそれが自分に向けたものなら、案外心に効いたりするのよ」

 

 無理やり上に引っ張り、家族の葬式の最中ですみたいな面をしたこいつのツラをいじくって、無理やり笑顔を形作らせる。

 

「辛いのはわかってる。しんどいのも分かる。でもあんたの中ではすることは決まってる。

 

 だいたい、ことが起こるのは当分先じゃない。。あんたは打てる手は打った、釣りで言えばルアーもおもりも仕掛けて釣り糸垂らしてる状況じゃない。

 

 魚がかかるまで動きようがない。違う?」

 

 言いながら、シンジのさっきまで湿気ていたツラを見る。私の手で歪められた唇の端と頬はともかく、目は何が起こったのかわからないという色を浮かべていた。

 奇襲成功ね。少しだけ気分がすっとする。こいつなりになんやかんや言いたい気持ちが心の中に浮かぶのが見えるけれど、自主的に言葉にしないまま霧散させているのが見える。私は彼の唇の端から指を外さずに続けた。

 

「そういうセルフ拷問、そういうタイミングでは必要なのはわかる。けど、今やる必要なんて全然ない。そういうとこがバカなのよ。

 

 なんかあるとあんたはすぐ『僕は辛いです』『しんどいです』って顔をして、それでホントに心がしんどくなるから始末に負えないわよね。

 

 性分とは言え、あんたのそういうとこ、よくないとこよ。

 

 だから、笑いなさいよ。

 

 長野や第三新東京市に来た時みたいな、他人を騙すための作り笑いじゃなくて、自分をそういう気分に持ってくための作り笑い。自分の心を笑わせるための作り笑い。誰よりも、自分のためにまず笑いなさい。

 

 その瞬間がいずれ来るにせよ、いま浸る必要のない感情ならとっとと切り替えたほうがいい。私もそうやってドツボハマりがちだから、私自身気をつけてるし。少なくとも、今のあんたに必要なのは内罰じゃないわよ。これは断言」

 

 

 言いながら無意識に唇をなめる。僅かな血の味を舌が覚えていた。私は口の中なんて怪我してないので、これはこいつの血の味だろう。

 

 出血するほど強く噛んでたのか。感情の自家中毒にも程があるわよ、バカをやりたがるバカシンジ。

 

「エヴァパイロットやってた頃と違うのよ。あんたは艦長で、私は副長。主機付きならわからないけれど、今のヴンダーはどっちが欠けても巧く飛ばない。まして、武装から何から準備するのは間宮さんだし、艦載機やらエヴァやらを整備するのは伊吹整備長、エヴァを操るのはレイと真希波大尉。

 

 今回の件では日向さんや青葉さん、高雄さんも動いてくれてる。青葉さんはこういうヨゴレ嫌いだから不精不精だけど。

 

 他人をヴンダーに乗せる、それも数百人、と決めた。だから艦長として責任を果たしたい。それはまっとうよ。でも、艦長だけで艦は動かない。あんたも承知のハズじゃない。一人で背負うんじゃないわよ。加持さんがなんかやらかす可能性が否定できないっての、私だってあの時一緒に襲撃受けたから気持ちはわかる。あと、多分あのときは仕掛けて来た側の高雄さんもわかってる」

 

 シンジの表情から驚きが失せた。

 

 代わりに現れたのは苦笑いだった。苦笑したくなるのもわかる。

 

 本来ならこういう説教はあいつの仕事だ。でもそれをあいつ自身がサボったのだから、この艦の副長がその役目を代行してあげないといけないわけで。

 

 ただこのバカは頑固の塊だから、口で言っても心で言ってもわかりゃしない時がある。だから不意打ちのアドバイス。心や口で言ってわからないなら体でわからせるだけよね。ついでにきっちり説教はしておかないと。私は言葉を続けた。

 

「作戦も艦と同じ。あんた一人じゃ何も出来ない。あんたのそういう苦しみは人間の証。けれど、あんた一人で専有されても困る奴よねそれ。

 

 百も承知で私達はあんたのプランに乗った。

 

 だから罪があるとすれば私達全員だし、こっちは任務真面目に果たして修理してるだけ、イズモが仕掛けて来るとすれば向こうが悪い。何事もなければ空振りで、無事修理してUS作戦よね?

 それでいいじゃない。それでもまあだ罪悪がどうだなんだ悩むなら、晒し物にしてある艦名の銘板の残骸に八つ当たりに行ってもいいし。あんたの脳みそにあの贖罪のクソ言霊がまだ残ってるようなら、綺麗に除霊しないと私が鬱陶しい思いをするもの。

 

 やっぱ10年前、12.7ミリ跳弾無視して乱射して銘板の文字潰した程度じゃ足りなかったかしらね。間宮さんとこからc4ガメてくる? あれぐらいなら綺麗に銘板だけぶっとぶし、強度的にプレハブ隔壁は保つでしょ」

 

「いやいいよ、艦長と副長がつるんで突然艦内で爆破テロ起こしましたとか、始末書でも済みそうにないしね」

 

「そお? リツコあたりは事前に言えば許可くれるわよ。リツコも私と同じで『ネルフに騙されたー!』ってキレ散らかしてた口だし、まあ私とあんた含めて謀反組全員そうじゃない? 休暇前の花火大会よ。艦内花火大会」

 

「アスカ、絶対C4盛りすぎるじゃないか」

 

「そんなことないわよ。現状の恨み込めてドラム缶1本分ぐらい」

 

「さすがに通路吹っ飛ぶ量だからねそれ」

 

「つまんない男ー」

 

「面白いつまんないで修理代増やされたら流石に間宮さんもキレるからね? いや切れる前に真顔で除隊願出されるかもだけど」

 

「ヴィレにそんな制度ないでしょ、ヴンダー下船許可出したのも、あれフネが特殊すぎるからの特例だし。間宮さんは当てはまらないでしょ。というか逃げられたらこのフネの終わりきった地獄の経理状況誰が片付けるのよ」

 

「だから間宮さんにやめられたら困るから花火大会は工事後まで我慢してよアスカ。整備の時銘板切り取って、改めてN2爆雷を適切な場所で爆破するから。ミサトさんの許可もとって録画。名目は……US作戦勝利祈願でどうかな」

 

「N2爆雷はやりすぎじゃない?」

 

「いやどうせUS作戦だと使えないし。N2爆雷。ケスラーシンドロームが危ないから。ぼちぼち製造年月的に怪しいのあるしそれでこう。2発贅沢に同時起爆で」

 

「……あんたのほうが怨念深くない?」

 

「怨念? そんなの、あるに決まってるじゃないか。父さんだのゼーレだのがああだこうだで人類の運命がどうだから補完だかしらないけど、まんまとトリガーに使われるし、BM-03扱いで人権なしで軟禁生活だし、恐る恐る上陸チャレンジしてみたら情報漏れてインパクトトリガー野郎死ねで対物ライフル複数からの集中狙撃だ。 恨むなっていうほうが無理じゃないか、こんなのって」

 

「あったわねーそんなの……ぎりぎりヴンダーのATフィールド圏内で良かったわ。対物ライフル集中射は流石に人としての人生終了しそうだもの。肉体がジャムになりかねないし、運良かったわよあんた」

 

「最悪の中の最善の類だよねその幸運」

 

「ないよりはマシよないよりは。幸運っていうか悪運だけれど、運はあったほういいわよね」

 

「ちがいない」

 

 14才の頃に戻ったような、たわいない会話を交わし合う。シンジの心が緩んで、辛さが薄れて来たのを感じる。ほら、作り笑いでも案外効くもんでしょ、バカシンジ。

 

 思いの外シンジは強く唇を噛んでいたようで、気持ちが落ち着いたせいか、さっきよりこちらに伝わる痛みがひどくなってきた。

 

 

 人間やめかけの筋力で人間やめかけた体組織を噛み締めた結果として人並みに唇に傷ができてしまったのだろう。艦長室にワセリンがあったと思ったから、軽く手当したほうがいいかもしれない。

 

 ともかく、シンジの眼に、すこし愉快さのようなものがまじりだした気配で、私は密かに安心する。ドツボにハマるときはドツボにハマるので、危ないときは危ないのだ。

 

 まあ、シンジに言わせると「アスカにだけは言われたくない」だろうし、困ったことにそのあたりの壮絶な認知歪みと思い込みの深さについてはとても自覚がある。あえて例えるなら勘違いヤマアラシスタンピート。ほんとまいっちんぐよね。

 

 よくもまあシンジもヒカリも、あの頃の私相手に友達を続けてくれたものだと思う。あとトウジとケンスケ。それにあの頃はこっちの心の中しれっと見えてたっぽいレイも。

 

 あの頃のレイ、私とロクに会話したこともないのにいきなり「貴女にはエヴァに乗らない幸せも有る」とか言い出すあたり、多分本当にそういうのはあったのだろう。

 

 割とあの頃のわたしは、シンジ相手に心理的に色々とざわざわしていて、神経が尖って、アンバランスになってたのよね。

 

 まあ、余裕で言ったらレイの方が、もっと直接的な意味で余裕がなかったようなんだけど、その頃の私は自分の中で様々な方向に荒れ狂う感情への対処でいっぱいいっぱいで、気づく余裕なんてなかったし。

 

 ともかく生まれ方が変で育ちがバトルロワイヤル生存ゲームだから、14才の頃は色々大変な性格だったのだ。まあ今がマシになったかと言うとそれはよくわからない。

 

 ずっと娑婆に出てないヴンダー監禁ぐらしなので、娑婆の基準がわからない。昔よりは柔らかくなったみたいなことは言われる。それなら案外娑婆でも生きていけるのかもしれない。

 

 と。

 

 突然、トラムの天井からびー、という警告音がなった。

 

 お前ら乗りすぎだとっとと降りろの警告音だ。ヴンダーは巨大な船なので、各区画に移動するトラムリフトは乗員にとって重要な足であり、タクシー兼鉄道のような機能を果たしている。

 

 なので、こうやって専有していると容赦なくトラムリフトの交通管理システムによって警報を鳴らされるわけだ。 

 

 シンジと二人、一瞬天井を見上げる。

 

「降りようか」

 

 シンジが苦笑を続けながら言う。ただ、頬に緊張はない。心も先程よりは明らかに安らいでいた。

 

「そうね」

 

 私も頷く。

 

 シンジが身を翻してトラムを出、私も続いた。

 

 私達が出た瞬間、ハッチが苛立ったように締まり、慌ただしくトラムがレール沿いに上昇していく。なにしろ400人からいる艦だ。昔の戦艦ほど人員がいないのにサイズは未曾有の巨艦の上に三胴構造。いちいち歩いて移動していられないし、変形して資材・弾薬運搬にも使われたりする。

 

 というか、トラムリフトは元はと言えば各砲塔や各設備に弾薬や必要物資を移送する無人輸送システムで、その無人輸送システム自体、この艦が種を保管する方舟であった頃に装備されていたコンテナ移送機能の拡張・魔改造の結果として整備されたものだったりする。

 

 基礎設計と部品製造と組み立てがニアサー前、まだ沢山の人類が働いていた頃に製造・施工されたものなので、他の拡張区画と異なり基礎設計がしっかりしている。なのでトラムリフトだけは防空戦を経ても損傷や故障が発生せず、防空戦の後も艦内移動や物資運搬に大いに力を尽くしてくれている。マンパワーとか需要とか量産効果を踏まえると、やっぱり人口って大事よねを痛感せざるを得ない。

 

 まあ、それはそれとして、実に一ヶ月ぶりの休息になる。8時間ぐらいはマギプラス利用の強制睡眠で脳を休めるのに費やすとして、残り16時間。さてどうやって楽しむか。

 

 ずらずらと威圧的に並ぶN2爆雷カーゴの狭間の廊下を艦長室に向かって歩きつつ、顎に指を当てて考え込んでいると、不意に先を行くシンジが立ち止まり、振り向いた。

 

 笑っている。心にはまだモヤが残っているようだけれど、ともかく休んでる間は棚上げにして忘れる事に決めたようだった。

 

 なんだかんだで24才、艦長の重責にひっそり潰れかけていたとはいえ、助言を受ければセルフコントロールの一つもできる。

 

 こいつもちっとは精神的に成長してるのよね。と思いつつシンジを見つめ、言葉の続きを待った。

 

「今思い出したけど、そう言えばペトラへの納入品に、第三村からの物資もあってね。例によって『一本』多いようなんだ。久々の休暇だし、どうかな。久々に一杯」

 

 そう言って、どの映画から拾ってきたのか、昔臭く右手の指で輪を作って、軽く傾ける仕草をしてみせる。

 

「おっさんくさい誘い方ね。でも提案は悪くない。

 

 乗員受け入れから防空戦、応急修理、訓練でほんっと暇なかったもの。ほんっと寛ぎたかったし」

 

 見てくれが14歳であることを思えば、艦内規律的によくないのかもしれないけれど、私もシンジももう年齢的には成人済み。もどきを通り越した体とは言え、増幅をかければ、酒の味も、酔いも楽しめる。第三村で一本多いってことは、いつものあいつのあれよね多分。

 

「ケンスケも律儀なんだかどうなんだか。手紙なり、クロさん介して謝罪の一言も言伝で伝えるなりすればいいのに、あんたへの詫び代わりと言わんばかりに酒だけ送ってくるんだものね。娯楽に限度があるフネだから、ありがたくはあるけれど」

 

「ニアサーのあと、まだ携帯が生きてた頃、留守電に恨みつらみを全力で吹き込んでたからね、ケンスケ。

 

 軍事マニアだから、子供でもパイロットをやれるエヴァに憧れてたし、僕に憧れてたなんてことも言ってた。でも、二アサーが起こって、アスカも僕も戻ってこなくて、色々調べて、マスコミに三号機事件の情報が流れる前に、真実を掴んで、我慢できなくなったんだと思う。

 

 どうやったか知らないけど、多分ネルフ本部に勤めていた親御さんから情報を仕入れて居たんだと思う。今思うと、三号機の事も、機密事項なのに何故かケンスケは知ってた。

 

 だから真実にたどり着けたし、アスカのことを満足に助けられなかった事を、随分恨んでいたようだったよ。誰かを恨まなきゃやってられなかったんだろうし、恨める相手が、助けられなかった僕しか居なかった」

 

「助けられなかった、ね。あいつ視点ではそうなるか。つか私のことでそんな怒ってたんだ、ケンスケ。ちょっと意外」

 

 私の言葉を聞いたシンジが、一瞬ひどく懐かしそうな目つきをしたあと、困ったような苦笑を浮かべた。

 

「アスカ、気づいてなかったんだ。

 

 ケンスケは多分、アスカが好きだったんだよ。憧れとないまぜで、ケンスケ自身も気づいてなかっただろうけどね。

 

 今更こういうのもなんだけど、僕らとアスカの初対面って、お互いに印象最悪だったし、トウジなんて電車の中でもずっと愚痴ってた。

 

 なのにケンスケだけは君の経歴をずっと言ってて、凄いすごすぎるとか一人だけはしゃいでて。サバゲのときも、君とやり合いながら楽しそうにしてただろ? キャンプまがいの野戦食づくりも、ケンスケ、楽しそうにやってた。

 

 もしかしたら、アスカが初恋だったのかもしれない。今思い出してみると、ケンスケは他の女子に声をかけるなんてしなかった」

 

「今更言われても困るやつよ、それ」

 

 言われて心から困惑する。中学生活が強制終了、それから10年会ってない。

 

 そういえばレイが第三村に行くときはケンスケの家(無人駅を改造したセルフビルドハウスだそうで、あいつらしいマニアックさだと思う)に泊まっているそうだけれど、レイの報告や語り口、印象の範囲では、レイの知る限り、村の誰とも男女のそれに発展した気配はないようなのよね。

 

 女に興味ないのかな、と思っていたけれど。そういえばあいつ、20過ぎてから結構いい男になってたわよね。幼さが抜けて、いい感じに精悍さが入って。あいつなりに味わった苦労が、20代のあいつの風貌に顕れているように思えた。

 

 話では、あいつのサバゲオタクなところが、人々の生存に随分役立ちもしたらしい。ニアサー直後もサバイバル知識を生かした飲料水確保なんて真似をして、アンチLシステム内に避難した村人の渇死の予防に随分貢献したというし。

 

 でも女性の気配が全然ないということは、まさか私にまだ未練……はないわよね。自意識過剰。

 

 などと考え込んでいると、僅かに嫉妬の気配を感じた。言うまでもなくシンジの感情で、当然シンジにも混ぜモノになった結果として、成長できなくなったことへのコンプレックスはある。

 

 そこに成長したケンスケの顔写真を思い起こしながら恋愛話を添えていい男になったわね、などと女としての率直な感想を言われれば、コンプレックスを刺激されたりするのも分かる。

 

 でも初恋話持ち出したのはあんたの方よ、と思念を放り投げてやると、ぐうのネも出ないのか、流石にあいつの嫉妬が黙った。

 

 それにしても嫉妬ね。うん。まあ、そういうのを思ってもらえる程度には、想ってもらえてるってことなのかもしれない。その割に……まあいい。これも今ぶつぶつ言ってもしょうがないことだし。

 

 そんなことより、大切なのはケンスケが届けてきたっていう気持ちを込めた一瓶よね。

 

「ともかく、ケンスケなりにあんたに詫びの気持ちを込めた一品なら、有り難くいただかないといけないわよね。合成じゃないちゃんと米と米麹から仕込んだサケ、今日日は本当に貴重だし」

 

 嫉妬の鉾を収めたシンジが笑いながら頷く。

 

「麹周りでは綾波も随分協力したそうだからね。第三村は自然の菌が自然の形で生態系を形成している貴重な生存圏の一つだから、自分の研究の進捗にもつながるし随分本気を出したらしい。味は良いそうだよ」

 

「そのせいか知らないけど、レイもすっかり酒飲みになっちゃったわよね。将来肝臓が心配よ。まあ今日のマグロの技術の延長で、いざとなったらまるっと幹細胞培養でこさえて取り替えるなんて言い出しそうだけど。

 

 それはともかく、飲むならつまみは期待していいのよね?」

 

「それは心配しなくていいよ。綾波が『試験』してほしい試作品リストから見繕ってある。被検体になるのはBMシリーズの役目であり、いの一に各種結果と成果を味わえるのは特権だ。

 

 培養でムラが出ちゃったから、綾波が今日出すのを諦めた培養スルメイカ、味自体は悪くないって話だし、せっかくだから刺し身にしたりして色々試そうと思うんだ。

 

 イカそうめんは薬味とつけダレを工夫して、刺し身はオーソドックスに醤油と山葵。

 

 焼きはガスじゃないからこんがりとはいかないけど、話だと肉に厚みがないから、IHヒーターでも火を通せる。

 

 味付けは……醤油もいいけれどマヨネーズに七味でも美味しいらしいね。あとは菜園のキュウリ。突き出しにシンプルにもろきゅうがいいよね。味噌は綾波から融通してもらって、ほかには……」

 

 そういえば自前で味噌仕込んでたわよねレイ。

 

 手前味噌という言葉があったけれど、大豆がなんとかなるようになりだしてから、まず最初に『研究の一環』と称して味噌を仕込み出したのは何年前のことだったろう。

 

 海洋再生施設の時の思い出の味とは言え、執念と執着にも程がある。長らく薬だけが食べ物ですみたいな生活から、僅かの間人間らしい食事ができる時期を過ごして、その直後に第三新東京市戦役からの第二次ニアサー、そしてペースト食ばっかの日々がつづいたので、持ち上げられてまた突き落とされたみたいな気分だったのかもしれない。

 

 食事の美味しさを教えておいてペースト地獄の仕打ちに落とすのね、運命はみたいな怨念すら感じる執着と神への叛逆。その成果としての海鮮丼。海鮮丼といえば今日の吸い物。あれ美味しかったわね。

 

「シンジ、そういえば今日の吸い物に使ってたっていうまぐろ節、あれで何か一品どう?

 適当な葉物を茹でて代用鰹節代わりにまぶしたら多分絶対美味しいわよ、いえもったいない使い方の気もするけど、使ったことない食材だから変な使い方して事故を起こしたくないし」

 

「そうだね、鰹節代わりにあれを使うの、贅沢だけど間違いないし、日本酒にも合う。悪くない考えだ。そうなると……」

 

 私の提言に真顔で考え込むシンジ。いいわよその調子。将来何が待ち受けているにせよ、この24時間は休んで構わないし、だからリツコが艦橋に詰めてくれているし、日向さんたちもシンジに代わって準備を進めてくれている。 

 

 のんびり休める貴重な24時間。将来悪いことがあるにしても、それへの対応は決めたのだから、今を楽しんで悪い道理はないわけで。

 

 そう言えばトウジとヒカリの結婚挨拶の手紙、定型文の手書きのトウジの真面目くさった挨拶の他に、ヒカリの私信も添えてあったっけ。別に日本語で構わないのに、わざわざドイツ語で書いてあったのよね。

 

 10年ぶりに届いた友達からの手紙の文面が、脳裏をよぎった。

 

『親愛なる式波・アスカ・ラングレー様

 

 人生は良いことと悪いことの繰り返しだと、改めて思いました。

 

 ニアサー以後は大変で、嫌な思いもしたけれど、それでも、良いことも沢山あったと思います。

 

 アスカには打ち明けてたけれど、ずっと鈴原くんのことが好きだったし、こうして結婚できたことは幸せだし、そのことを貴女にこうして伝えられることを、とても幸せに思っています。

 

 これからずっと楽しいことも辛いことも、彼と一緒に味わっていけるのが嬉しいし、たとえ話すことが叶わなくても、貴女にこうして私の今を伝えられることも嬉しいの。

 

 だから、私も鈴原くんと同じ気持ちです。

 

 アスカや碇くんたちが頑張ってくれたから、こうして今までの人生で一番幸せな瞬間を生きて迎えられたから、本当に感謝しています。

 

 アスカが今どういう人生を生きているのかわからないけれど、あなたは大変だった分、幸せになる権利があるんじゃないのかなって思っています。

 

 中学校時代のアスカは、いつもどこか辛そうなところがあったから。けれど、あれこれ文句をいいながら、少しだけ楽しそうにしていたのを、今もよく覚えています。

 

 ひょっとしたら、もうアスカは、あなたなりの幸せを見つけているのかもしれません。それならこの手紙は余計なお世話になってしまうけれど、そうであるのなら、本当に嬉しく思います。

 

 けれど、まだ見つけていないのなら、貴女がいつか一瞬でも、幸せだと思えるときが来るように、いつも心から祈っています。貴女が私達の今のために、どれだけ頑張っているか、夫も私も断片的とは言え聞き知っているから。

 

 いつか、労苦が報いられるよう祈って、筆を置きます。

 

 

 貴女に沢山の幸せが訪れますように

 

 一番の親友より

 

 洞木ヒカリ』

 

 幸せ、ねえ。思わず私は苦笑を浮かべた。

 

 ミサトといい、結婚して旦那ができると、そういうのを実感したり、逆に失敗して求めちゃったりするのかしらね。

 

 幸せも不幸も、なんだか私の中では曖昧で、正直感じ取れないというか、実感が沸かないのだ。神様ぐらい意味が判然としない概念だと思う。

 

 ただ、一つ言えるのは。

 

 その時、彼の声が、不意に聞こえた。

 

「概ね方針は決まったし、配送の段取りもマギプラスに入力が終わったよ。

 

 ただ、睡眠時間以外の16時間を食事や酒に費やするのはもったいない。

 

 一ヶ月ぶりの休みだし、アスカと二人きりで過ごすのも本当に久しぶりだからね。楽しい時間にしたいんだ」

 

 もの思いから現実に視線を戻せば、あいつがN2爆雷ラックの狭間の通路の真ん中、帽子をあみだにかぶり直しながら、笑っている。

 

 確かに私には幸せはわからない。けれど、『楽しい』は昔より遥かに鮮やかで、誰かと食べる食事の美味しさも取り戻せた。

 

 今はとりあえずこの程度。こいつとの付き合いも色々思うところはあるけれど、それはそれとして、不快なら一緒の部屋に住んだりしない。

 

 まあ、それはそれとして。

 

 微笑むシンジに近づきながら、軽く踏み込んで、さっと素早く右手を伸ばし、つばをつまんで軍帽を奪う。またも驚くシンジの脇をすり抜けて、私はわざとらしく大股に歩きながら私達の部屋に向かいつつ、後ろのシンジへ振り返りながら言ってやる。

 

「休暇のときは艦長も副長も階級もなし。かたっ苦しいし疲れるもの。あとヴィレのジャケットもプラグスーツもとっとと着替える。勤務中はずっとこの格好だし、お互いこんな格好じゃ仕事中みたいで休んでる気がまるでしないわよ。

 

 この間、私がぶつくさ言ってたら、真希波大尉が気を利かせてあんたと私にっていい感じの部屋着を何着か見繕ってくれたわよね、ペアルックはちょっとだけど、お互い適当に寛げそうなのに着替えましょ。僕は艦長です、みたいな感じでどでんと座られてたんじゃたまったもんじゃないし」

 

「了解だよ、副長」

 

「だから艦長副長ぬき、命令じゃないっつうの!」

 

 艦長どのの皮肉めいた返事に強めに文句を言いながら、我知らず笑みがこぼれてしまう。

 

 セントヘレナ島より狭いヴンダーぐらしとは言え、実のところ案外悪くない。少なくとも、私自身はそう思っている。

 

 N2爆雷保管庫のど真ん中、一応艦長・副長の部屋だけに、他のクルーよりも広くて、昔のワンルーム程度の狭さ簡素さとは言え調理設備まである贅沢さ。バスつきのシャワーだってあるし。

 

 シンジはレイの試作品をどう美味しく作るかで、今はプランニングに全力投球モードだけど、それも概ね片付きそうだし。

 

 映画を見たければ、部屋からでもシンクロでマギプラスのデータベースに登録した映画を視覚に投影して見ることもできる。

 

 なんならもうひと手間かけて、部屋の大型モニタにわざわざリンクを繋いでお互いの目でのんびりながめるなんて贅沢をしてもいいし。得意分野は違うけれど、あれこれ保管したゲームで遊んでも良い。得意ジャンルが違うから、対戦型より協力プレイできるやつのほうがいいかもしれない。HOIだとシンジが圧勝するし、スマブラだと私が圧倒だし。接待されると体質上丸わかりでお互い腹が立つので、そういうの抜きでやれるのがたぶんいい。

 

 ともかく、なにをするにせよ。

 

「とっとと帰るわよ、シンジ。せっかくの休み、一分一秒惜しいしね。

 

 コンマ秒まで余さず残さずきっちり楽しみきらないともったいないもの!」

 

 ともかくも、このさきに陰謀の闇がどれほど待ち受けているにせよ、今という時間にまでその刃を届かせることはできないようだし。

 

 だとすれば。

 

 映画にゲーム、料理に酒。タイミングがあうならレイや真希波大尉を誘ってもいいかもしれない。あの二人も、出立準備までは間があるだろうし、スケジュールが噛み合うなら、2人でなくまずは四人で試食会ってのもいいかもしれない。

 

 まあ、四人で飲みをするのなら、そのあと二人で飲み直して二人でのんびりの時間は入れるけれど、それはそれとして。

 

 これから迎える24時間が、私にとって、ほんとうにひさびさの楽しい時間になるのは、もう約束されたようなものだった。

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