あれから10年経ちました。 続・使徒に憑かれた三号機の中のアスカを助けに言ったら僕がヴンダーの艦長になった件について 作:モーター戦車
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EPISODE:1 The Blazer
Bpart
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「ハードなのは明日からって話じゃなかったのかよ!」
「もー! メイクし直し大変だったんですけどー!」
「長良スミレ、入ります!」
けたたましく流れるアラートとともに、艦長自らの総員第一種戦闘配置の号令を聞いた新人ブリッジクルーたち、多摩ヒデキ、北上ミドリ、長良スミレの3人が、慌ただしく艦橋に駆け込んできた。
放送開始から5分といったところか。艦の広さと、初日ということを考えれば、早い方かもしれないわねと、内心で私は思う。
とはいえ多摩ヒデキ少尉は初めての実戦ということもあってか、明らかに取り乱していた。
北上ミドリ少尉など、明らかに化粧のノリが先程より良くなっている。多分一度メイクを落としてすっぴんになった後、第一種戦闘配置の号令を聞いてから慌ててメイクし直してから来たのだろう。
いや何分でメイクすませたのあなた。
このタイムなのをどう評価したものか。女性として、女を止めたくないのはわからないでもないけれど、あの、実戦である以上生命かかってるの理解してるのだろうかこの子は。
長良スミレ中尉はというと、航海科員として、運用法を把握する必要のある、補機にしてヴンダーの生命線の一つであるN2リアクターを見学にいっていたはずだった。補機の位置はかなり後方であり、その距離を考えれば、5分はかなり早い。
副長挨拶とそれに伴う騒動の際、私や艦長に向けた視線には感情がまるでなかったが、すくなくとも職務の面で手を抜くつもりがまったくない、実直真面目を絵に書いたような女性であることは間違いないようだ。この子は出物かもしれない。
「ブリッジクルー全員到着、と」
新人が全員揃ったとなれば、私が艦橋でやることはない。
これで新人が疲れて眠ってしまっているようなら、部屋にアラートかけて叩き起こしつつ、新人代わりに戦術科を手つだって、ヴンダーの主砲たる20インチレールガンや、左右複胴の艦首部ランチャーの火入れをやらなければならなかったかもいれないが、ともかくも人員が増えた以上、それは戦術科にまかせられるし、任せて業務に慣れてもらわないと困る。
通常時であれば、艦橋だろうがどこだろうが、接触シンクロでヴンダー艦体の管制はある程度は可能となっている。けれど、それではどうしても精度を欠いてしまうわけで、通信速度の良い回線、主機に近い位置でエントリープラグを介してヴンダーとシンクロし、高速かつ高精度のオペレーションを行う必要がある。
「艦長、私、主機の面倒みてくる。後よろしく!」
「了解。副長、悪いけど時間がない。急いでくれると、助かる」
「言われなくてもわかってるってば!」
艦長たる碇シンジの願うような視線に私は答礼して魅せつつ、艦長席の右隣にある副長席に座った。副長席、となってはいるが、ほかの座席と異なり、それこそエヴァのエントリープラグから引っ剥がしてきたようなエヴァの操縦座席そのもののシートが場違いに設置されたような見た目となっている。
というか、見た目も何も、エヴァの操縦席そのものなのだ。
私は素早くシートに体を滑り込ませると、ジャケットを脇に脱ぎ捨て、プラグスーツのみとなった。誤差では有るが、効率のいいシンクロを図るなら、余計な衣類は無いほうがいい。
電源を押し、シートのOSを待機モードから通常モードに移行した。
正面モニタパネルの「Entry」の部分を指で押す。
背後から機械音。
艦橋各座席を支持するアームとは別の、高張力チタン合金製のアームが副長席の背後に伸び、私の座るシートの背後をグリップする。
同時に艦橋構造物と連結されたロックが解除され、私は自分が座ったシートごと後ろに引っ張られた。
艦橋の後ろの専用ドアが開き、また底から別のアームが掴む。
座席が左方向に180度回転し、今までとは反対の向き、アームの方向を見ることになる。
そのまま垂直に下方向へ降下。
目の前に巨大なトンネル状構造──ヴンダーの背骨にして生命線たる、脊椎部が姿を顕す。
次の瞬間、シートが艦橋とは反対方向、主機の方向めがけて加速した。
脊椎部上部に増設された、主機運転担当者専用の電磁レール移動システム。
6年前のヴンダーの大規模改装で、いちいち歩いて主機まで行ってられるかという私の不満やら、主機のエントリープラグに浸かりっぱなしは地味にしんどいという私の不満やらを受けて、ヴンダー上部艦橋から、主機エントリープラグまでを瞬時……とは言わないまでも高速で行えるよう、組み込まれたシステムである。
地味に、2年前の改装でタッチパネル操作一つで、プラグまでの移動モードを起動できるようになったのがありがたい。
それまでは保守だの電子部品不足だので、いちいちレバーだのボタンだのをアナログな形でいじくり回してようやくレールが起動したことを思えば、隔世の念がある。
脊椎部は過度のL結界充満を防ぐため、要所要所が透かし窓構造となっており、ヴンダー中央を通る背骨だけに、それらの窓から艦内の人員が、第一種戦闘配置に備えて慌ただしく動き回る様が見て取れた。
うん、本当に慌ただしい。
つまり統率が取れていない。
初日に充当された人員が5割6割いる状況で、統率が取れていたらむしろ気持ち悪いのだけれど、昔の自分が『こんなんだから私とシンジだけでやってればよかったのよ』と内心で顔を出す。
とはいえそういう子供の我儘じみた不満が通る状況でもないという理性は流石に働くので、そのまま内心で不満を押し殺した。人類存亡の戦争、デートや旅行感覚でやっていいものではない。
メリット・デメリット踏まえた上で、『大量のヒトを使って運用する』と決めたのだ。この不満は、将来こう実るだろうと思って植えたばかりの苗に、巨大な果実の実りを秒で求めるような愚かさだろう。
とはいえ、遅い。
艦内が広すぎて道に迷ってます、という風情のクルーもいれば、何故か殴り合いを始めているクルーまでちらりと見えた。都合500人以上だったろうか。その人数ならこういうこともあるのかもしれない。
「え当分、あてにできるのって私とシンジ、元司令部のみんなと高雄さんしかいないわね……」
新人のいきなりの実戦投入に対し、改めて不安が湧いてしまう。
とくに北上ミドリ少尉とは角突き合わせただけに、しばらくは距離を保ってお互い落ち着いてから再面談したほうがいいかな、後腐れはなくしたほうがいいと考えていたばかりだけに、『あなた化粧する余裕あったの……みたいなお気持ちになり、かなり気持ちのやり場に困りもした。
自分を飾りたい気持ちもわかるけど、その、戦争よ? 何考えてんの? となる。今の子ってわかんないを24才にして味わうとは。
などと考えている間にも、シートは艦中央部、主機直上に差し掛かり、緩やかに加速が停止し止まった。
下方向にシートが降下を始め、下方からハッチが開いた音が聞こえてくる。
主機エントリープラグ上部ハッチが開いた音だ。
降下感覚とともに、視界が円筒の金属で覆われ、一瞬闇で閉ざされるが、次の瞬間内部の照明が点灯する。
同時に、座席下側からロック音が響き、座席がエントリープラグに固定されたことを私に知らせた。
座席背部を掴んでいたアームが上に消えていき、同時に上部からエントリープラグハッチ閉鎖音が響く。
「エントリープラグ、LCL注水開始」
音声入力で注水指示。下方から音もなくLCLの水面が足から足首、腹、胸、首、顔を包む。
慣れるまでは地味に怖かった記憶があるが、もうかれこれ気体呼吸から液体呼吸への切り替えにも慣れた。口から肺の空気を出しながら、鼻でLCLを吸い込む。要領さえつかめば1秒とかからず肺がLCLで満たされ、むしろ空気を吸うよりも楽に身体が酸素を取り込みだす。
LCLは有機物だけに、変な細菌が湧きでもしないかと昔はこわかったものだけれど、実際のところ、エントリープラグはコアユニットに近い。
L結界密度の関係上、ATフィールドの弱い雑菌のたぐいは概ね分解されてしまうので、感染病の心配はない。むしろ皮膚常在菌が死滅する関係上、皮膚のケアのほうが大事だったりする。
プラグスーツで守られている身体はともかく、顔の皮膚は結構荒れるのだ。
とはいえ、肌荒れもなにも、負けて死んでしまえばおしまいなのだし、一度ヴンダーとシンクロしてしまえば、当分それも心配にはならない。
「シンクロ、スタート」
言語セットアップ等も設定済みのため、速やかにシンクロを開始する。
次の瞬間、気持ち悪いほどに視界が広がった。
こればかりは10年経ってもなかなか慣れない。
継ぎ目のない360度上面視界、さらに下面部も360度視界。
死角というものが全く存在しない、人類の視野角を考えれば認識不能な範囲を、今の私は見ることができる。この広大な視界は、ヴンダーに取り付けられた各部カメラやセンサーより齎された情報を統合して作り上げられたものだ。
各センサーの配置位置は、当然、取付箇所が違う以上、微妙に位置がずれているのだが、その映像情報のずれは、マギプラスが迅速に補正をかけることで、映像に歪みや破断は発生しないようにできている。
ただ、どれほど『自然』な映像が出力されたとしても、このヒトでは本来ありえない巨大過ぎる視界には、やはり未だに慣れることができずにいる。
ほら、何かの切欠で眼球の後ろ側がいきなり見えたら、嫌じゃない?
まあ、それは実際のところ、些末な問題の一つにすぎないわけで。
ヴンダーとのシンクロというのは、他にも面倒が多々存在する。
ヴンダーを形成するアダムス由来の組織で構築された艦体主材は、カヲル野郎言うところの「アダムスの器」であり、人類補完計画における祭具、ガフの扉と呼称される、高次元空間へつながる位相平面次元を固定するための祭具の一種として建造された艦艇なのだそうだ。
このため、人と言うよりは、むしろ使徒のような見た目をしている。
カンブリア時代に湧いて滅んだような奇怪な巨大生物とでもいうか。
地味に、ヒトとはあまりにもことなる、この形状が厄介なのだ。
人間の脳は、人の形を操るのに特化した作りとなっている。
なので意識も、自然そういう人体の作りを前提としたものとなっており、ダイレクトにヴンダーに完全シンクロしようとすると、意識がてきめんに拒絶反応を起こすのだ。
艦内の警備カメラや、各所聴音マイクといった、こまかい艦内装備を思考制御する分には、それこそリモコンや携帯電話を扱うような気軽さで操作ができる。それこそスイッチのオンオフ感覚の気楽さだ。
けれど、『自らの身体としてヴンダーを認識する』となると、『魂の形とからだの形が別だから、魂の動きをからだがうまくうけとめられず、動きがちぐはぐになってしまう』。ふわっとした言い方になってしまったけれど、例えば、ある人間がいきなり意識を馬の体に植え付けられたとしたら、走るどころか歩くことも難しくなるだろう。筋肉の使い方、体重の支え方、地面の蹴り方、全部人間とノウハウが違うのだ。
まして、ヴンダーは人間以上の異形なのだ。組織こそアダムス由来であるものの、艦体形状は人間どころかあらゆる動物とかけ離れている。強いて言うなら鳥に近いが、私の知る限り、胴体が3つある、トリマラン構造を持った鳥は存在しない。
この難点を解決するため、ヴンダー制御にあたっては、まずヴンダーではなく、ヴンダーの主機たる、エヴァの素体とアダムスを寄せ集めた、模擬的に製造したエヴァンゲリオン(のような安普請のなにか)へ、エントリープラグを通じてシンクロをおこなう必要がある。
シンクロしたエヴァンゲリオン利用主機は、エヴァであるためにATフィールドを発生させる。
このATフィールドは、慣れれば自由自在にヴンダー艦体に伝導させることができる。そうして伝導したフィールドは私の位置をヴンダー各所に伝え、またヴンダー各所のアダムス構造体からの情報を私にフィードバックする。これによって、私はヴンダーの艦体を自由自在に制御することが可能となるのだ。
構造としては、私という核がまずエヴァという殻を纏い、その殻が発生させる信号でヴンダーという更に外側の肉をあやつる形になる。この方式を、疑似オーバーラッピング制御という。
さらに細かく触れるとアダムス構造体の性質やエヴァのATフィールドの性質を説明する必要があり、これらを研究する学問や資料としては、形而上生物学やゼーレの裏死海文書などがあるのだが、これらは科学論文というよりどうみても魔術書の類で、神がうんたらた運命がうんたらた人がうんたらたケモノがうんたらたで、読んでいて頭が痛くなる。
もう21世紀なのにと悲鳴をあげたくなるところだけれど、よりにも寄ってこの私自身が式波シリーズという、そういうオカルト魔術儀式に科学を組み合わせた、よくわからない儀礼によって生産されたしろものなので、非常に複雑な心地になる。クローンと言うよりは、いわゆるホムンクルスというやつの同類になるのかもしれない。
このあたりのことを考えると三号機事件でああなったのは、運がいいのか悪いのかわからなくなる。
ともかく科学的思考を止めてオカルトをオカルトのまま「なんか動くからいいでしょ」と雑に儀礼だけ研ぎ上げてここまでわけのわからないものに仕立て上げた連中の首は、勝ってから全員しめあげたい。
私はひとまず現実に戻ることにした。PCがフリーズしたけれど、理由わからないから再起動して巧くやる、みたいな手口を積み重ねて死ぬほど複雑にした挙げ句、世界の運命を分けのわからないどん詰まりにもってかれたケジメはつけないと気がすまない。
とはいえ実のところ、ここまでセッティングしてしまえば、自然マギプラスとも意識のリンクが確立され、主機も動かしたので、後はアクセルを踏むだけなのだ。当分私がやることはない。
『副長より艦長、主機とのシンクロ確立終了。そっち、大丈夫?』
艦長たるシンジの脳波インターフェイスを通じて、表層意識にダイレクトで通信を送る。
『了解。僕の方は少し問題が起きてる。
戦闘艦橋への移行のことでちょっとリツコさんと揉めててさ』
は?
戦闘艦橋? それまだテストも訓練もしてないやつよね?
うん。本気シンジはこれだからアレなのだ。
訓練無しで使徒と殴り合って勝ったりするやつだけに、少し待てお前ちょっと考えなさいよを、本当にしょっちゅうやらかしてくれる。
『まって、今ちょっとそっち行くから』
マギプラス、思考連動。
艦橋内ホログラム機能及びスピーカー、それと聴音機能と監視カメラを作動させると同時に、私は意識を艦橋に『飛ばした』。
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艦橋に『戻る』と、案の定赤木リツコ技術班長が、呆れたような、面白くないような視線をシンジに向けていた。
「乗員のLCLガスを用いた戦闘艦橋とのシンクロ・リンケージテストは、あくまでも訓練施設で行われたものよ。精神と艦橋構造体との親和性を確認するための、性能テストに過ぎないの。
技術班のトップとしては、新人がいる状況だと言うのに、テストスコア以外に担保するものが何もない、しかも訓練は愚か、クルー同士の相互シンクロテストもしていない状態での、本格的なシンクロ併用による作戦行動は肯定できないわね。
クルーの精神に不可逆的な変化が加わりかねない上、最悪本艦の喪失にも繋がりうる。危険過ぎる賭けよ、碇シンジ艦長」
リツコの言うことももっともだ。
いくらテストスコアが高かったとは言え、それが実戦性能の高さにつながるとは限らない。
だが、あくまでもシンジの視線は冷めて、なおかつ冴えていた。
無表情で無感情、それでも本気で、どこか面白がっているところがある。
「けれど、僕も一発勝負でしたよ。エヴァに乗るときは」
リツコが眉をひそめる。
実際、ろくに訓練もなしに何度も一発勝負で実戦に放り込まれたのが碇シンジというパイロットである。
そして、状況がそれ以外の選択を許さなかったにせよ、一発勝負で彼を送り出さざるを得なかった大人の一人に赤木リツコが居る。それはリツコにとって、実は今でも結構な負い目のようだった。
しかし、シンジには嫌味のつもりはなかったらしい。
軽く首を横にふる。
「僕と副長でサポート入れます。
ブレイン・マシン・インターフェイスによるオペレーションには独特の要領が要ります。
こればかりは身体で覚えてもらうしかありませんよ。脳も身体のうちですから」
『しれっと私が当たり前に手伝ってくれるみたいに考えてないあんた』
シンジの隣、リツコの反対側にホログラム投影し、スピーカーを通じて音声でツッコミを入れた。
しかし、シンジはあくまで飄々としたものだ。
やらなきゃわからないし、やればわかるぐらいの気持ちなのだろうか。昔は『僕にはできないよ』ばかり連呼してたやつが、随分えらくなったものだと思う。
それとも、むしろ自分がそう言い倒していたからこそ、やってみたら案外できたという成功体験ができてしまい、他人もできるはずぐらいには多分こいつは思っている。
そして、シンジが言うことにも一理あるのは事実だ。
頭の中で、明らかに自分の脳細胞由来でない声がするという体験は、楽なものではない。
ともかく脳に妙な負荷がかかる。感覚としては、寝付きが悪い日に、熟眠できず悪夢を見て目覚めたときのような疲労感がべっとりと脳にへばりつき、何もかも不快で一日休みたくなる類のアレだ。
実際にはマギプラスで、脳同士を『繋ぐ』ときには、脳波情報内容の最適化と、整流が入る。
更に言えば、思考シンクロを行うと、少なくとも私と艦長の場合、びっくりするほどに思考が冴え出す。
2ギガしかメモリの無い古代のPCがあったとして、そのメモリが2テラバイトになったら、アプリの挙動は当然早くなる。それに近い。
ついでにいえば演算も、マギプラスにアシストしてもらえる。人類には絶対に不可能な暗算、複雑に公式を組み合わせた高次方程式すら暗算できて、スパスパ演算結果をだせるのは、実のところ、すごい快感だったりする。12で戦闘機を乗りこなし、14で大学を卒業した身の上なので、自慢だけれど余人よりはるかに頭がいいという自負はある。
そんな自分の頭が、マギプラスにアクセスしている最中は、さらに良くなるのだ。逆に言うとシンクロを解除すると、思考速度がとたんに遅くなった気分になり、一時的にけっこうしんどい気分になる。
ただ、ろくに訓練もつんでいない人間にとっては、ただの脳への負荷実験としかおもえないのではなかろうか。人間の脳は、ニューロンを利用したデジタルな部分もあるけれど、条件に応じて各部が励起する、タンパク質を利用した、機械式演算を行うアナログコンピュータとしての部分もある。
脳は本来それ自体が完成し、完結したものなのだから、本来外部機器との、直接的デジタルインプットやアウトプットができるようには作られていない。
ただ、脳波が電磁的なものであるために、脳波インターフェイスで脳波を拾うことは可能で、基本的にあらゆるBMIは脳波検知で動作している。ただ、使い方については体、というか、実際に脳を使って覚えてもらうしかない。大抵のスポーツと同じで、動かしてみないとわからないのだ。
問題は、マギプラスを介して、脳へ他人の意識がインプットとアウトプットがされる点にあり、言葉にすると、頭の中で自分では制御できない声がガンガン喚き立てている状態となるだろうか。
「自分の中に他人が入り込む感覚。耐えられるかしらね、あの子達」
リツコも同様の懸念を覚えたようだった。
実際、三号機事件の犠牲者たる私達はその点否応なしに慣れるはめになった。
けれど、このシステムの先行テストをした旧司令部組は、運用に慣れるのに相当苦労しており、まだ整備長になるまえだった伊吹マヤさんは、初日普通に嘔吐して訓練拒否、なだめすかすのに旧司令部とエヴァパイロット全員で説得して、一週間かかったのを覚えている。
ともかく、大変なのだ。
だが、其れを踏まえて、碇艦長はやるつもりらしい。
「シンクロ同期率を極限まで下げます。
以前のテストでは10%でしたが、今回のシンクロ率上限は3%程度、脳の中をよぎる雑念程度の規模で、むしろ他人の意識を『捉える』ために努力が必要になるレベルでしょう。エヴァなら指一本動かないシンクロ率ですからね。
まちがっても自我損失による形象崩壊はありませんよ」
あー。逆転の発想ね。
他人の思念が頭の中に勝手に入ってきて、気持ち悪い具合悪い煩いとなるよりは、他人の思念の声をなるべく小さく、静かで負荷がかからなようにして、他人の声を『聴く』ことに専念させ、まず脳に受容体を作ろうという考えなわけね。
脳細胞は可塑性が高い。一度生成されたら分裂増殖したりはしないものの、学習能力があり、また、損傷などで一部機能を失った場合でも、機能によっては、別の部分にその機能を代行させることもできる。
BMIに関しても然りで、例えばサルの実験では、頭に電極を埋め込むことで脳波を探知し、その電極を介して原始的なビデオゲームを遊ばせたり、脳波に連動して動く給餌器を動かすこともできる。
つまり、多少最初は苦労するけれど、脳という器官は、この手の入出力方法に対し、適合性が皆無というわけではないのだ。だからこそ、私達がエヴァやヴンダーとシンクロできているわけで。
リツコも感心したのだろう、少し興味深そうな顔をした。
「乗艦希望した時点で、モチベーション自体はある。
苛烈な訓練で萎えさせてやる気を無くさせるより、楽だけれど自助努力が必要な程度にはタスクを課するというわけね。それに、貴方とアスカの戦い方を、脳波の形で感じさせて、擬似的にBMIを用いた闘い方を、脳で体験してもらう。
あなたたちの思考を感じることで、あなた達の自我がどのように成り立っているか感じ取ってもらい、あなた達の闘いへの真摯さを識ってもらえれば、不信を取り除く材料にもなりえるわね。
面白いアプローチね。それなら賛成できるわ」
「はい。ブリッジクルーには、将来的にマギプラスともBMIでコミットしてもらうことになります。
僕ら同様、マシーンによる脳機能の拡張に慣れてもらいます。
勝率を僅かでも上げるために。この艦を志願した彼らが無駄死にしないための、いわば通過儀礼ですよ」
なるほどね。
ヒト相手に心を開けないのなら、ヒトに似てヒトならざるマギプラスに心を開くなんて夢のまた夢。
言ってみれば、魂にUSBポートを作るに等しい行為。
ただ、一度ポートを増設してしまえば、様々なタスクを他人の経験を『引き出して』行うこともできれば、マギプラスにバックアップすることも可能になるわけで、非常に便利、というのは私とシンジが今までの闘いで嫌になるほど学んできたことだ。
私がどうでもいいなあと思いながら学んでほったらかしにしていた大学時代の科学知識を、シンジが思わぬ形で生かしたことも過去にあるのだ。
それにしても、とリツコがため息を付きながら微笑する。
「ヴンダーとエヴァ二機を勘定に入れて、彼我戦力差100対1。
それを通過儀礼と言うのね貴方は」
「いつもそうでしたよ、僕とアスカの戦いは。
楽な戦いなんて一度もない。物事は何だって都合よく運びはしない。
戦いに限ってくれるなら、どれほど楽な人生だったか。ぼくにはわかりませんよ」
「意のままにならないのが人生だからこそ?」
リツコの言葉に、シンジが艦長として頷く。
「僕にとって、人生は戦争とイコールになりかけています。
アスカにとっても。そして、彼らもいずれそうなるかもしれない」
「そうしたくないからこそ、手段を選ばない。そういうこと?」
「苦痛は一時に過ぎません。
苦痛に怯えて何もできなかった疵は、一生残りますよ。
人にとって一番痛む疵は、後悔に他なりませんから」
私は一度、北上ミドリの席に視線を投げた。
そしてあの日のことを思い出す。
世界が絶望の赤に包まれた日。
忘れたくても忘れられないあの日。
碇シンジが決断し、けれどその決断が実らなかった日。
誰もが傷つき、そして誰よりも碇シンジが傷ついたあの日。
「10年前。ニア・サードインパクトの後悔?」
「まさか。後悔はしていません。
その選択は楽でしょうが──それは僕にとっての敗北を意味します。
だから、絶対に後悔はしません」
そう。碇シンジはそうなのだ。
渚カヲルという男に言わせれば、必ずしもそうではないらしい。
けれど、他の碇シンジなんて私は知らない。
目の前の男は、使徒にまみれたエントリープラグを見て、怯みもせずに飛び込んできた、どうしようもない馬鹿なのだから。
一度、私とシンジの自他境界が限りなく薄れたから、シンジの見た景色はよく覚えている。
青い粘液に包まれ、コア状の物体すら出現していたエントリープラグ。
辛うじて初号機を動かし、組み付いたあいつは、ダミープラグが起動する直前。
自らの意思で初号機のエントリープラグから、出て。
プラグスーツしかまとわない身体で。
あいつは、この馬鹿は、その時「助ける」しか考えていなかった。
結果が、このざま。
あいつの右目、私の左目。
黒い眼帯、白い眼帯。
光子の量子実験のごとく、あれはどちらにいるのかが分からないモノになってしまった。
平等に封印柱で封じた結果、捕捉すら困難な量子的存在に第9の使徒は成り果てた。
いいことなのか、悪いことなのか。
私一人が死んでいればよかったのか。何が良かったのか。
本当にわからない。
ただ、これだけは断言できる。
こいつは、疲れ、へし折れ、なにもかももう嫌になって、投げ出そうとしたようにみえたとしても。
「諦めていないのね。結論は出たに等しいのに」
リツコの言葉に、碇シンジは頷いた。
結局こいつは、こうなのだ。
追い詰められて、辛くて、泣き言を言って、でもそれでも動いて、必死にあがいて。
そして、少なくとも──私が、式波・アスカ・ラングレーが、今こうしてこいつを見つめられるのは、碇シンジがあの日諦めなかったからなのだと。
だから、私は何も言わないことで、彼の意思を肯定した。
「観測しない限り、猫は死んでいない可能性がある。
それだけのことです。
通常艦橋、戦闘艦橋へ移行開始。移行後、直ちに隔壁閉鎖。
LCLガス注入開始してください。エントリースタート」
呆れるほどの頑固さと、強い意志を左目に眼光として宿し、
碇シンジは命令を発した。
数多の生命を預かる艦長として、立つのだという決意とともに。
新規クルーたちが、信じがたいという顔で碇シンジを見つめている。
多摩ヒデキは、純粋に驚いているようだった。
長良スミレは、無表情なようでいて、目に僅かな狼狽があった。
二人共、技術概念は知り、適性テストは受けていても、全く訓練なしのまま、実戦でいきなり艦艇の集団シンクロ運用を行うなど、想像もしていなかったのだろう。
無理もない。できるわけがない、という気持ちでいるのかもしれない。
北上ミドリはもっと分かりやすい。
碇シンジの意識そのものが、自らの脳に潜り込んでくる。
多分クソでも塗りたくられた方がまだマシであるに違いない。
彼女はそう思うだろうし、ひょっとしたら世間は、そう思う権利が彼女にあると認めすらするかもしれない。
少なくとも、碇シンジはそう認めるだろう。
けれど、それでも北上ミドリは来た。
ヴンダーに乗るという選択肢を、彼女は選んだのだ。
ヴィレは致命的な人手不足で、下部組織のクレーディトも致命的な人手不足。
そして態度はともかく、成績を見る限り、疑いなく北上ミドリの資質は本物だ。
なのに、彼女はヴンダーを選んだ。
それは碇シンジの指揮下に入るということであり、計画上、遅かれ早かれそのような計画で彼と向き合うことになるということでも有る。
わからない。
動機として思いつくのは、今はもういない彼女だけだ。
あの子はもういない。そのことを恨むのはわかる。憎むのもわかる。
でもなんで、シンジのところにわざわざ来たの? 殺すためならまだわかるけど……。
私は軽く首を振り、かかえた思考を手放した。
今は彼女にかまけているわけではない。
オアフ島の存亡、この一戦にありという状況で、さらに艦長はこの一戦の先を踏まえて布石を打とうとしている。彼が艦長として振る舞おうとしている時に、私だけ人間としての思考を弄ぶ贅沢をしているわけには行かない。
そして、物思いに耽っている間にも、艦橋は通常艦橋位置から、上方の戦闘艦橋位置へと移行し、『隔壁』が閉じようとしていた。
黒い球形の隔壁。ヒトならざるものがつくりだした素材によって練られた、人造の黒き月。
ヒトとヒトならざるアダムスをつなぐ叡智、その具象としての結実。
戦闘艦橋への移行プロセスの進捗状況を、日向マコト戦術長が報告し続けていた。
「戦闘艦橋に移行完了、隔壁閉鎖、LCLガス注入終了、正常圧。酸素濃度問題なし。
マギプラス、現在艦橋乗員の脳波パターン捕捉、調律中。
終了まで1分」
碇シンジ艦長がうなずき、下令した。
「総員、思考接続備え。
日向戦術長は北上少尉、青葉戦術長補佐は多摩少尉をアシスト願います。
シンクロ同期率が低いとは言え、本物の思考併用式でのオペレーションは彼らにとり初めての経験です。
精神錯乱の可能性は否定できません。注意願います」
「了解」
戦術長の言葉に日向戦術長が、青葉戦術長補佐が頷く。
二人共、まだ訓練レベルではあるけれど、他の旧司令部メンバー同様、LCLガスを用いた集団シンクロ実験は何度も経験している。
経験がある以上、どうすれば新人にそれをアシストできるかまでを、彼らは考えることができる。
伊達に長年、戦術オペレーターとして前線を支えてきたわけではないのだ。
つまり、ある程度、彼らに新人教育は投げることができるわけだ。
ついで艦長は、医務室に通信をつないだ。
「医務科長及び医務科各要員は、交戦に伴う負傷者発生に備え、所定箇所で待機。
鈴原少尉は医務室所定席に移動、艦橋要員脳波モニタリングをお願いします。
マギプラスに記録されている要員の通常時脳波と戦闘時波パターンを比較。
各員の同調拒絶による脳波異常発生に注意してください」
相手が航空特化の44Aの群体である以上、場合によってはハイG環境での救出作業や、治療・救命・トリアージを強いられるかも知れない。
そして、軍艦においては、人の命は、残念ながらそれぞれ値段が違う。
とりわけブリッジクルーは、艦の人員の中でも高値の部類になる。
艦において貴重な医療スタッフの一人を引き抜いて、脳波状態を監視させ保安を図る程度には。
ヴンダーは空中戦艦だ。ブリッジがやられれば、あるいは私とシンジが二人共死ねば、制御を失い、落ちる。
つまりは全滅。故に、ブリッジクルーには価値がある。
将来的に万一私やシンジが死んでも、戦いを続けられる人々を育てることに価値があると、碇シンジは定めたのだろう。
死ぬつもりなんて欠片もない、絶対に負けられない闘い。まして彼は諦めを知らない。
だからこそ、自らが死んでもなお誰かが戦える投資を、行おうとしていることが、私には理解できた。
つまりは死んでも諦めたくないのだと思う。
もうそのあだ名で呼ぶこともなくなったけれど、こいつの根っこは掘り返せば、どこまでいっても諦めを知らないバカシンジなのだ。
命を差別するなんて、誰より嫌いな男なのに、そういうことができるようになってしまった。
10年の歳月か。闘いすぎたせいなのか。
やはり諦めたくないバカシンジなだけなのか。
どれもそうなのだろうし、どれも違うのだろう。
彼の考えをどう思ったのかはわからないが、鈴原サクラの返答は、思いの外、素直なものだった。
「了解。艦長、脳波異常確認時の対応についてご指示願います」
「赤木技術班長が、予備オペレーター席より発作発生に応じ、脳波調律オペを行います。
最悪でも全身痙攣と意識喪失で済みますから、闘いが終わったら搬送してください」
至極冷静にきつい可能性を口にしながら、艦長はリツコを招いた。
「……赤木技術班長、通信士席へ。本来予定された運用ではありませんが、OSは共通です」
リツコは苦笑しながらシンジを見た。
子供をみる母親のような顔つきだった。あるいは母親代わりをやろうとしているのか。
いや、ミサトの代わりとみるのが妥当なのだろうけれど。
冷徹であろうと努力し、冷徹を自認しながら、究極のところで、どこか冷徹を演じきれないところがあるのが赤木リツコという女性だと、私にもなんとなくわかってきたところだ。
「無理を言うのね。技術班長了解、発作者発生に備え待機します」
リツコが頷き、空いたままの通信士席に腰掛けた。
手元の端末を操作し、医務室の鈴原少尉に通信をつなぐ。
モニタに、緊張した面持ちの鈴原少尉の顔が浮かんだ。
まだあどけない、ベレー帽に青いスカーフの少女。
世が世なら、まだ学校に通っていたはずなのに、彼女が居るのは戦闘艦艇だ。
モニタの鈴原少尉の瞳を見つめつつ、リツコが語りかける。
「鈴原少尉、戦闘時の艦橋要員の脳波記録はマギプラスが記録します。
しかし、貴女自身も観察を忘れず、各要員の傾向を観察して。
人の心の動きは機械では完全には読みきれないの。人が観察する必要があるのよ」
「了解です、技術班長。自信ないですけれど、やります」
鈴原少尉の言葉に、リツコは励ますように微笑んだ。
「誰だって最初はそんなものよ。私もアシストするから心配しないで」
「鈴原、了解。艦橋要員脳波監視の任に付きます」
緊張した面持ちの鈴原少尉の顔を写したウィンドウが、端末から消える。
言う通り、任務に専念し始めたのだろう。
直後、青葉戦術長補佐の報告が入った。
「L結界外の各無人観測ドローンより入電、敵飛行群、方位及び距離推定完了。
敵3個飛行群、北方、南東、南西、距離7万2千。
各個に単縦陣隊形を取りつつあり、本艦への到達時間、400秒後と推定されます」
脳裏にマギプラスのデータをよぎらせる。
渡り鳥というよりは、三次元で動く蟻の群れと表現したくなるような、うねるような単縦陣を、四方八方から集いながら、44Aらしき飛行体の群れが形成しつつ有る。
それが、3つ。
東洋の龍を思わせる、うねるような、長い曲線として、三次元的に私には認識された。
行動パターンは単純だが、数が数である。
厄介なことには、変わりないか。
一度、意識を主機エントリープラグに戻した。
副長として、私は状況を報告する。
『副長より艦長、艦体調整完了。重力・ATF機能、現状最大出力発揮可能。
高雄機関長、補機の状況どう?』
私の意識はマギプラスにつなげてある。
無論補機の状態は認識しているが、それでも私は高雄機関長に問うた。
彼の言葉から彼の見識を聞きたいというのもあるし、目線合わせもしておきたかったのだ。
「高雄機関長より副長、補機N2リアクター稼働正常。
エンジン圧力80%、N2反応推進準備良し」
短くもスマートな解答。
短い間に、難儀なN2リアクターをあっという間に戦闘出力まで持っていくのは、機関長の腕の良さをものがたる。私は彼の言葉に対して覚えた感情をそのまま笑みに変え、エントリープラグ内モニタの機関長に答えた。
『副長了解。昔みたいにATオーバーロード運転するかもしれないから、その時は冷却アシストお願いね』
ATオーバーロード、という言葉を聞いて機関長が苦笑した。
「機関長了解、修理がきかんほど壊さんように頼む」
なるべくなら勘弁してくれ、という素直な感情が彼の顔に浮かんでいた。
それはそうだと私はおもう。
ATオーバーロード。
N2リアクターは爆弾にも使われるN2融合反応を利用した強力な動力炉であり、莫大な電力と推進力を生み出す代わり、非常に繊細な制御が必要な動力機関である。
人類が開発した、有史以来最高の推進機であり発電システムであるのだけれど、それほどの代物でも、本来ヴンダーが設計上、主機として想定している疑似シン化エヴァに比べ、出力面では比べ物にならない。
実際、出力不足のために、危機に陥ったことが何度も有る。
ATオーバーロード運転とは、そのN2リアクターの限界を限定的に越える方法だ。
方法は簡単。
ATフィールドで炉内を保護し、N2融合反応を補機の設計が想定する、限界以上のN2融合反応を起こし、瞬間的に莫大な出力と推力を生むというものだ。
当然、ATフィールド制御を失敗すれば補機喪失にそのままつながり、またATフィールド保護を続けるにもにも限度がある。
また、炉心は保護できても、炉心が発電した膨大な電力は、配線やコンデンサに負荷を与え、また推進ユニットにも過剰な負荷がかかり、目に見えない形で金属疲労等のダメージを蓄積させることとなる。
機関長としては、なるべく切ってほしくない最後の切り札なのだろう。
とはいえ、他に選択肢がない状況では切るしか無い。
『そこは艦長の運用次第。私だって替えが効かないことくらい承知してるわよ。
いい加減、まがい物のポンコツ主機じゃない、本物の主機をいれたいとこよね』
「違いないが……副長、若い連中がいい顔すると思うか」
今度は露骨に高雄機関長が顔をしかめた。
疑似シン化エヴァ。それがインパクトを起こしうるトリガーであることを、ヴィレの隊員で知らないものはいない。
とはいえ、勝ち目のない手札のまま、負けて皆が絶滅するよりは、皆が絶滅するかも知れない危険な手札を使って勝負に挑んだほうが遥かにマシだ。なぜなら。
『絶滅よりはマシでしょう。
今のままのヴンダーでは、ゼーレにもネルフにも、勝てない』
今のヴンダーに、主機──すなわち三号機事件を切欠として覚醒し、今は太平洋海底深く、ポイント・ネモと称される座標に厳重に封印されたエヴァンゲリオン初号機を入れるということは、エヴァパイロットと、覚醒エヴァと、私と艦長の目玉に潜む、使徒という贄の全てが揃うということになる。
あとは『槍』さえあれば、最後のインパクト、そしてそれを利用した人類補完計画を発動させることができる。つまりは初号機という無限にも等しい動力を手に入れた結果として、それほどのリスクを負うべきか、否か。ニア・サードインパクトで多くを失った人々からすれば、否定的になるのも無理はない。
けれど、実際のところを言えば、ゼーレとネルフは、私達のことをろくに敵視していない気配がある。なにしろ、相手にはとてつもない量のエヴァがあるのだ。叩き潰す気になれば、地球上のあらゆるヒトの生存圏を破壊し尽くすことも可能だっただろう。
そのわりに、手筋が、甘い。
甘いと言うか、44Aや44Gといった自律行動型のエヴァを大量に世界中にばら撒いて、管理するでもなく、組織された軍隊というより、群体生命のように、好きに振る舞わせている気配すら感じる。
時間が来れば勝ちは確定しているとすれば、ただその決着のときを待っているのかもしれない。
だが、現状のヴンダーでは、おそらく勝てないのだ。
10年前、渚カヲルが告げたように、終わりが定まってしまうのかも知れない。
けれど、あがきたい。だからこそ。
高雄機関長も、それは分かっているようだった。
「違いない。……機関長より艦長、ヴンダー主機及び補機準備完了」
「艦長了解」
艦長は頷き、次の命令を発しようとしたようだった。
けれど、割り込むように艦長の端末に別の通信が入る。
『艦長、レフトハンガー、伊吹です』
「整備長?」
艦長が首を傾げた。
私も首を傾げた。
現状、整備班は重力制御を行ってすら逃れられないハイG機動に備えて待避所にこもる段階のはずなのに。
『はい。グッドニュースです。鹵獲44A二機を利用したエヴァ弐号機専用フライトシステム、完成しました。
エヴァ弐号機、空戦運用可能です』
……驚いた。そう言えばクレーディトが無人艦艇を輸送艦として用いるのに使うフローターとして、よく44Aを乗っ取ってカバーを被せたやつを使っていたけれど、どうもそれを2つほどせしめ、エヴァンゲリオン用の空戦用キャリアーとして魔改造していたらしい。こんなこともあろうかと、というやつ。
それで弐号機。
たしかに今の弐号機パイロットなら、と妙に納得がいってしまった。
「艦長了解。試験運転は」
『そんな暇ありません!』
……シミュレーションンもなし、試運転もなしか。
昔の、まだどこか大人しくてナイーヴだった伊吹マヤさんを思いだす。
それが今や、鬼より怖い整備長。
変わればかわるというけれど、多分一番変わった人ではなかろうか。リツコの前では猫をかぶるのだけれど、なんというか、うん。変わるところは変わるし変わらないところは変わらないわよね、人間。うん。
「了解。綾波は?」
艦長は普通にそれを受け入れたようだった。昔から無茶な代物を無茶に使わされ続けたせいか、こういう整備長のむちゃを割と普通に艦長は受け入れる。信頼関係なのか諦めなのか、今ひとつ判別が付きづらいやつだ。
そして、その言葉に応じるように、今の弐号機パイロットが艦長の問いに答える。
『弐号機より艦長。私は大丈夫。
それより、進言。試製AA刀の使用許可をお願い』
そして、答えついでにレイのほうも無茶なおねだりを艦長に始めた。
案の定伊吹整備長が眉をひそめる。
『レイ、AA刀の対ATフィールド性能はまだ未知数なのよ?
フライトシステムは『おおすみ』フローターの応用だから問題はないけれど、あれは……』
しかし、エヴァンゲリオン弐号機を駆ること10年、もう私よりずいぶん長く弐号機を扱っている綾波レイ大尉には、押し通したい理由があるようだった。
『材質強度があるなら、アンチATフィールド効果がなくても問題ない。
武装、多いほうがいいもの』
「整備長、試製AA刀の使用許可を出します。持たせてあげてください」
パイロットが『求める』ということは、必要だということが、艦長にはわかったのだろう。彼も元々はエヴァ乗りだ。そして、10年、綾波レイの戦闘データも見ている。彼女の言葉と要望の意味を悟ったからこその許可だろう。
実際、あらゆる戦闘において、「あと一手が足りない」「あと一手ほしい」は非常によくあるやつなのだ。予備戦力はあるにこしたことはない。戦争の鉄則だ。
こちらが無勢ならばなおさらのこと。だからレイが使えそうだから使いたい、となる気持ちは、私にもよく分かる。艦長の言葉で納得したのだろう、伊吹整備長も頷いた。
『伊吹、了解しました。また実戦でデータ取りになりますね』
『戦力が足りない以上、瀬戸際の航海になるのはいつものことです。
綾波、試製AA刀だけど、マテリアルの性質上、精神汚染の危険がつきまとう。
戦術科でモニタリングは可能な限りおこなうけれど、L結界内部では計測精度が担保できない。
過剰デストルドー汚染が発生した場合、即座に試製AA刀を破棄。それが条件だ』
モニタ上の綾波が、素直に頷く。
なにしろ試製AA刀は素材が素材だ。エヴァを殺すために生まれたようなシロモノとすら言える。
それでも使えるなら使うと言わんばかりに、綾波レイは平然と頷いた。
『弐号機了解。伊吹整備長、フライトシステム及び試製AA刀準備お願い。
時間は?』
『サブフライトシステム移動とカタパルト設置に3分頂戴。
悪いけど、試製AA刀は弐号機で直接取りに行って。
あれ、大物すぎるからクレーンで取りに行くには時間がかかりすぎるの』
『伊吹整備長、弐号機了解。試製AA刀受領のため、弐号機起動。
副長、レフトハンガーでの作業、出撃待機状態移行まで5分かかる。
レフトハンガーの重力制御を作業可能域でお願い』
5分よこせ、と来たか。
キャリアと判断力に信頼はおいているけれど、発進・接敵まで数分、という状況で5分レフトハンガーを1Gに保てとは、なかなか無理を言ってくると思う。
戦術運動を打ち消すようにレフトハンガーの慣性と遠心力、重力をまとめてコントロール。
無茶言ってくれる。色々あった挙句の果ての信頼の証とは言え、重すぎる信頼もあったものね。
「5分……重力制御が半端になるじゃないの……了解、なるべく急いで。
整備は作業終了後、速やかに待機所へ退避。
相手は航空特化タイプ、派手に振り回すことになる以上、身体は座席にしっかり固定。
アシストいれても5Gいくかもだから』
『伊吹了解、準備急ぎます。
……そこ、不満をいうな、口より先に手を動かせ! これだから若い男は!』
……また若い衆が伊吹整備長に泣き言を言ったらしい。
伊吹さん、結婚できるんだろうか。
というかする気無いのかな、あれは。
まあ、本人の描く未来予想図と人生計画はいざしらず、人類世界の現状は非常によろしくない。
まずは結婚生活を考えるだけの余裕がある未来をつくる必要がある、かしらね。
生涯独身仕事一筋でもいいけれど、それだって人類世界が復興してなんぼだし?
「機関長より副長。補機推進制御だが、弐号機準備を踏まえる必要はあるか」
高雄機関長が、補機運用担当として当然の質問をしてきた。
私もすかさず答える。
『副長より機関長、構わず手荒く回しちゃって。
反動はこっちで制御いれる、交戦前なら重力制御だけでなく、ATフィールドでアシスト入れられるもの』
もうそろそろ発進まで時間がない。
動きが雑な44Aとはいえ、アレだけ群れられると厄介だ。想定外の挙動を仕込まれていないとも限らない。
必要なら手荒くぶん回したほうが、生き残れる確率が増えるやつ。
「機関長、手荒く了解。補機全力運転準備よし」
高雄機関長も一通り準備が終わったようだった。
ヴンダーが、徐々に戦闘艦としての体制を整え、目を覚ましつつ有る感覚。
ヴンダーとシンクロしている私には、それがまるで自らの体が闘いを前にして昂りを覚えているかのように感じた。単に交戦を前に各部コンデンサへの充電や、補機熱量、脊椎部コア熱量が上昇しているだけなのだけれど、ヒトの体では発熱というより戦いの前の高揚のように思われた。
「日向戦術長、兵装及び火器管制準備いいですか」
「問題ありません。全兵装オールグリーン。いつでも火を入れられます」
艦長の問いかけに、戦術長もまた全て準備を終えたことを答えた。
「わんこくん、ライトハンガー、八号機出撃待機中。
緊急案件のため戦術プランなし。
まさにHow this spring of love resembleth,The uncertain glory of an April dayってとこ?
高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応するから、出番が来たらヨロシク~♪」
どうやら、エヴァンゲリオン8号機、真希波マリの方も準備が終わっているようだった。
どうも何かの本からの引用が混じっている気配だけれど、最後の文句からは『好きにやる』以外の意思が汲み取れない。戦術行動の説明になっていないのだけれど、真希波マリだからしかたがないか。
それら全てに頷き、艦長が放送チャンネルを開き、ヴンダー艦内全てに響く命令を発した。
「ヴンダー総員に告ぐ。
現在まだレフトハンガーにて弐号機整備班が作業中だけど、時間がない。
本艦は直ちに発進、接近中の敵性エヴァ三個飛行群を叩く。
実地訓練無しでの実戦とはいえ、地上での訓練経験を思い出し、各自の奮励努力を期待する」
そして艦長からの通信が、私が座するエントリープラグ内部に響いた。
『副長、ATフィールド・重力複合制御、推進へ移行』
「副長了解。ATフィールド・重力複合制御、推進へ移行する」
艦長の命令に頷く。
N2リアクターが組み上げた大量の電力、それが讃えられたコンデンサの『堰を切る』。
ヴンダーの脊椎に恐るべき規模の電流が一気に注ぎ込まれ、連結された恐るべき数のコア全てに『火を入れた』。
空間と重力、全てを防ぎ全てを刻む、凄まじい権能がヴンダーに蘇ったのを感じる。
今までの船体維持に用いていたそれなど微塵に思えるほどの、世界を歪める禍々しい力。
私と『身体』は整った。
最後は『脳』。
艦長が命令を発した。
「艦橋総員、思考接続開始する」
「戦術長、思考接続了解。接続まで5秒」
日向戦術長がコンソールを手早く操作する。
ヴンダーの脳髄たるメインコンピュータ、マギプラスもまた熱を帯びた。
ブリッジクルー全員の脳と『つながる』ため、電子の触手をLCLガスを通じ伸ばそうとし始めているのだ。
「5秒ですか!?」
多摩少尉がいきなり踏まれた猫のようは悲鳴を上げた。
心の準備がまだできていなかったらしい。覚悟の時間をもっとくれという顔。
殻が尻から取れていないひよこを見る目になる。このくしゃみ男はこの後に及んで。
いやま、他人の思考が脳に入ってくるの、最初は死ぬほど気持ち悪いから怖いのはわかるけど、戦闘前なんだからもうちょっと……男の子でしょあんた……。
青葉戦術長補佐が呆れたような目を多摩少尉に注ぐ。
「諦めろ」
多摩少尉がこの世の終わりみたいな顔をする。
それを無視して艦長が戦術科の上長二人に最後の指示を下した。
「戦術長、戦術長補佐、火器管制権限を艦長席へ。
戦術科員への火器管制情報諸元の脳波入力時の整波をお願いします」
「戦術長、シンクロ整波了解」
「戦術長補佐了解。鈴原少尉、モニタリング、くれぐれもたのんだ。赤木博士も、お願いします」
『鈴原少尉、了解しました』
青葉戦術長補佐と鈴原少尉の会話に、リツコが安心させるように告げる。
「青葉くん、修正通電の準備完了。
多少錯乱を起こしても私が補えるから、安心なさい」
「通電!? なんですか、それ!?」
多摩少尉がおののくのが分かった。
修正通電。要するに重度のうつ病やてんかん発作患者に行って脳波を修正する通電治療を、LCLガスを利用し、疑似カシミール効果によって脳内電位に直接干渉することで行うという施術。
LCLガス環境でシンクロ拒絶パニックを起こした人間には割と効く。
ただ、高確率で失神したり、身体が痙攣したりするのだけど、それを言ったら多摩少尉は余計おののくだろう。いらない説明はしないほうがいいやつ。
「すまんが答えている暇は無い。シンクロスタート!」
カウント0。日向戦術長が容赦なく言葉をぶった切った。もうその暇がない。
敵は体型を整え、こちらに殺到しつつ有る。
封印柱結界を抜けられ、非汚染地域で戦闘するなどという最悪だけは避けなければならなかった。
そして、もちろん艦長はそのことをよく分かっている。
「副長。主機最大出力。空間重力制御推進開始。
艦首方向空間縮退、艦尾方向空間拡大始め」
「副長了解、時空間制御開始!」
私の返答に答えるように、ヴンダーが『唸った』。
艦首前方へ、膨大な電力を得た脊椎コアより錬成した縮退重力子を量子転移させたのだ。
それは巨大な重力場を形成し、空間を周囲を巻き添えにして絞り始める。
ヴンダーの前の海が『窪み』はじめたようなような感覚。
逆に後方へは反重力子、負の質量を持つがゆえに惹きつける場ではなく拡大し弾く場として生成されたものを生成し、空間を『広げ』始める。
ヴンダーは眼前の重力へ落ち、後方の反重力に押し出される。
全長2キロの異形の船が、私の意思によって歪められた空間を、物理法則に乗っ取って『落ちて』行く。それは傍目には水平移動に見えるかもしれないけれど、物理学的には正面に生成された一時的重力井戸に『転落』し続け、そしてさらに後方の斥力場によって『押され続ける』。
前方に小さなビッグクランチ(妙な表現だけれど、実際そのようなものなのだ)を生み出し、後方に小さなビッグバンを生み出す。それを連続的に行い、好きな方向へ『落ちて行ける』。なんなら空にだって『落ちられる』。全長2キロの巨大な船を自由自在に操るには、この程度ですら些末の奇跡でしかないのだ。
そして、その根本を支える電力と、予備の推力を生み出すN2ドライブも、とうとう本気の運転を開始したようだった。高雄機関長から、力強い言葉が走る。
「補機全力運転開始、出力460万トンよろし!」
ヴンダー下部、N2リアクター補機が恐るべき熱量と呼気を吐き始める。
補機と言うが、現在人類が自らの技術でたどり着いた、最強の発電・推進装置であることに変わりはない。
爆弾として用いれば巨大な都市一つをも消滅させうる、人のたどり着いた恐るべき閾値。
効率において核融合の弐倍の効率を叩き出すが故に、N2リアクター。
その恐るべき出力が、通常では稼働し得ぬ数のヴンダーの脊椎コアを励起させるのだ。
前方に重力源。後方に斥力源。下部N2リアクタ推進全力。
マギプラス、推定推力演算、終了。
力強く。
私はヴンダー副長として、ヴンダー艦長に報告する。
「空間重力制御補正および補機推力累計、推力1160万トン!」
飛ぶわよ、シンジ。
進路任せた!
私は、脳裏で語りかける。
そして、気配だけでシンジは頷いた。通じているから、それがわかる。
14歳の頃のシンジとは違う、迷いのない背中を、私は脳裏で見た。
決意は、むしろ冷静な響きとなって、碇シンジ大佐より下令された。
「ヴンダー、発進」
『ヴンダー発進!』
碇シンジと式波・アスカ・ラングレーの言葉が、重なる。
刹那に、ヴンダーの恐るべき巨体は、大海を文字通り引き裂きながら、凄まじい速度で飛翔した。
移動する巨大な重力源にして巨大なる斥力源、運命と空間を捻じ曲げる怪物が、人には視えぬ速度で大空へ駆け上がる。
離陸というより跳躍。
跳躍と言うより、それはむしろ発射であった。
迷いなき弾道は、青く狭きヒトの楽園を抜け、封印柱結界の向こう、赤き結界満ちた辺獄の世界へと征く。
空中戦艦AAAヴンダー。
ヴィレ最強のヒトの牙。
贖罪を捨て、奇跡の名を得た神討つ凶鳥は、原罪を断罪すべく迫る300余の、福音と呼ばれし御使いを討つべく飛んだ。