あれから10年経ちました。 続・使徒に憑かれた三号機の中のアスカを助けに言ったら僕がヴンダーの艦長になった件について 作:モーター戦車
Īnterlude:START
『綾波レイ。エヴァンゲリオン弐号機、フライトシステムで出る』
北上ミドリは、サイドコンソールの画面に映った綾波レイを目視した。
表情の無い顔をモニタに見、表情の亡い声を聞く。
自然、自分の顔が引き攣る。
似ているを通り越して、本当に瓜二つだった。
だから、否応なしに重ね合わせてしまう私が居る。
けれど、根本が全く違うことも、声音と表情だけでわかる。
ほんと、いやんなるほどに似てる。
姉と慕ったあのひとに。
けれど全然似ていない。
似ているのは顔立ちだけ。がらんどうの表情、がらんどうの心無い声音。
全部、なにもかも、違うのに。
重ね合わせてしまう、自分が嫌になる。
N2爆雷炸裂までのカウントの刹那、記憶が、遡行した。
・
・
・
【北上ミドリの記憶】
──いつから一緒にいたか、覚えていない。
私達は、ずっと一緒に育ってきた。
姉さんは7歳年上で、いつも一緒に遊んでくれた。
血の繋がりはないけれど、その人は私にとって、姉さん以外の何者でもなかった。
白い、どこか青みを帯びた髪。
紅い目。
アルビノ、というらしい。先天性で、染めたり不良になったりしたわけではなかったと言っていた。
着飾るのが大好きで、いろんな服を着ていたけれど、子供なのでどれがどうというのは思い出せない。だから、通っていた学校の制服姿ばかり、専ら思い出してしまう。
しなやかな手足によく似合う、シャープなカッターシャツ。
クリーム色の柔らかなニットのスクールベスト。
目の色と同じ、赤いネクタイ。
グレーの、丈の短い(多分おしゃれな姉さんのことだから、自分で短くしてたのだと思う)プリーツスカート。
それがおしゃれで、眩しく見えて、いつかそれを私も着たいと、幼心に思っていた。
お互い一人っ子、家はもちろん隣同士。
姉妹がいないし、姉さんも私も両親がネルフ関係者で、家にいないことも多かった。
まだ幼かった頃の私が、夜、両親が不在で、寂しくて夜泣きしていたときに、いつの間にか私の部屋に入ってきて、こんばんわなんて言いながら、泣いている私を一晩中慰めてくれたこともあった。
今思えば、私の父と母が、それとなく姉さんに様子見をお願いしていたのだと思う。
実際、私を妹のように思ってくれていたのだろうし、両親が私を外食に連れて行ってくれるとき、姉さんもいつも一緒に来てくれた。
よく考えてみれば、よその家の人間を、頻繁に家族の外食に誘うなんて、妙な話なのだけれど、その頃の私は幼かったし、疑問になんて思いもしなかった。
ずっと一緒に居るのが当たり前だと、思って育ってきた。
血がつながっているとか、いないとか、どうだってよかった。
それくらい、私と姉さんは、互いを姉妹だと思って育ってきたのだ。
大井レイ。
それが、姉さんの名前。
いつも、レーコ姉さんと私は呼んでた。
レイ、という響きが、どうも気に入らないらしいのだ。レーコ、と呼ばれる方が、なんだかしっくりくるといつも言っていた。
自分だけの大切なあだ名なのだとも。
だから、姉は、父にも母にもレーコさんと言われていた。
大人からもあだ名で呼ばれるというのも変な話だけれど、父母は姉のポリシーを大切にしてくれた。いつも忙しそうにしていたけれど、時間が有るときは、私とレーコ姉さんの面倒をよく見てくれていた、とても仲のいい両親だった。おしどり夫婦、という言葉が、多分しっくり来るんだと思う。その言葉を知った頃には、父母はとっくに死んでいたけれど。
レーコ姉さんの両親は、父さんや母さん以上に忙しいらしくて、だからレーコ姉さんにとっても、ある意味私の父さんや母さんは、両親みたいなもののようだった。
距離感が、とても近かった。
おじさん、おばさんと呼ぶ、風船が弾むようなその軽い響きには、空気のような当たり前の親愛さが溢れていたように思う。
だから、私の7歳までの記憶には、いつもレーコ姉さんと父さんと母さんが居るのが当たり前だった。
私が初めて小学校に行くとき、自転車の後ろのチャイルドシートに乗せて、校門前で不安そうにしてる私に、行ってらっしゃいと見送ってくれたのは、レーコ姉さんだった。
もちろん、その日、学校が終わったときは、レーコ姉さんが迎えに来てくれた。
姉さんだって学校があるはずなのに、わざわざ来てくれたのは、私が気がかりだからサボったのかもしれない。そのあたりの理由はわからない。ともかく、私の初めての小学校の一日を終えたその時、レーコ姉さんが迎えに来てくれたのは間違いない。
幼稚園時代の友達や、初めて逢う子や、先生たち、はじめての勉強らしい勉強を体験して、興奮気味に拙い言葉でそのことを話す私の話を、『いいクラスで良かったね』って、本当に嬉しそうだった姉さんの笑顔を、よく覚えている。
とても澄んだ、いい笑顔。なんの曇りも、邪気もない顔。
今日という日を楽しんで、明日も楽しい一日であることを信じて疑わない顔。
悪い日だったとしても、明日は良くなるから、と普通に思っているそんな、楽観的な、セカンドインパクトから復興したとは言え、相応に厳しいあの時代にあの性格は、今の私に言わせるなら、かなり度の強い楽天家だったように思う。
けれど、そんな視点は、まだ幼くて、現実をしらなかったあの頃の私にはまったくなかった。
両親が夜勤のとき、レーコ姉さんはオムライスをよく作ってくれた。
筋っぽくてあまり美味しくない合成肉を巧く刻んで、脂で炒め、玉ねぎやグリーンピースの缶詰を加えて更に炒めて、とても美味しいチキンライスに仕立てた後、ふわっと半熟の、黄身の甘さがとても活きた、黄金色の卵焼きを纏う、レーコ姉さんのオムライス。
お店のオムライスより、レーコ姉さんのオムライスのほうが好きだった。
他にも色々作ってくれたけれど、記憶に残ってるのは、あのオムライス。
食事が終わったら、一緒に勉強もしていた。
レーコ姉さんは優等生で、携帯でよく友達から勉強のことや、友人関係の悩みをよく聞いているようだった。私が宿題で悩んでいるときも、優しく、上手に教えてくれた。
人の気持ちに寄り添うのが、巧い人だったんだと思う。
たまに、学校のクラスメイトから携帯に電話がかかってきたときは、10分くらい、見たことのない顔で笑っていた。
いつも見せたことのないタイプの、転がるような、おかしそうな笑顔。
いつもとちょっとだけちがう、いつもよりさらに砕けた口調。
私は気になって、聞いてみた。
「中学校って、楽しいの? 小学校より?」
「楽しいよ? 凄い楽しい。
小学校より勉強大変だけどねー。でも、やり込んでみるとね、勉強も深みが小学校の頃よりあって面白いしさ、それに、友達もいろんな奴がいて、楽しいよ」
多動性、とでもいうのか。
身振り手振りを交えて、言葉だけじゃ足りないみたいに、中学生活の楽しさを伝えてくれた。
ほんとうに楽しそうだったのだ。
その楽しさを知ることは、私にはついに叶わなかったけど、それでもレーコ姉さんは楽しそうだった。
土日の休みは、レーコ姉さんは友達と遊びに行ったりして、いないこともあった。
けれどそういう日は必ずお土産をなにかしら買ってきてくれたし、その日何があったか、レーコ姉さんの友達がどんな面白いことをしでかしたかを、これも身振り手振りと顔真似をして、いい塩梅に話してくれた。
色々と買い込んだ服を詰めた袋を脇において、ミドリにリップとかはまだ早いよね、なんていいながら、赤いきれいな髪飾りをお土産にくれた。姉さんはおしゃれが好きで、私の服も似合ってるとか、こここうするといいよとか、子供の私には理解できないおしゃれの工夫をしていた。
今の17才の自分から見ると、猫可愛がりもいいところだと思ってしまう。つまり、あの人が私を本当に大切にしてくれていたという証拠だ。
両親が忙しいから、多分私以外に、友達の良さを語れる相手がいなかったんだと思う。
人の魅力を見つけるのが、巧い人だった。
だから、話を聞いていて、姉さんが話したその人に会ってみたい、話をしてみたいとつい思ってしまう。
けれど私はまだ子供だから、もう少し年をとってから、なんて思っていた。
小学校最初の夏休み、といっても年がら年中夏みたいな時代だったけれど、ともかく夏休みに入ったとき、クラスの先生から、宿題として、朝顔栽培と観察をするよう言われた。
ラジオ体操、体操が終わってからの買い食い、朝顔への水やり。
日々伸びていく朝顔のつるをみながら、朝顔って強いよねえ、なんて変なことを言っていた。結構雑に育ててもちゃんと葉っぱ茂らせて、きれいな花を咲かせて、種つけて、ほんと強いって、すごく褒めていたように思う。
レーコ姉さんは、草花がとても好きだったのだ。
アジサイ、ナツツバキ、クチナシ、ムクゲ、ヒルガオ、ブーゲンビリア。
私の植物好きは多分姉さんのせいだと思う。
いつも私に付き合ってくれる姉さんが、私を引きずり回すのは、だいたい山野の散策だった。
一週間、二週間前に私の都合を聞いてくるときは、体から行きたくてたまらない、という気配が出ていたように思う。姉さん姉さんと呼んでいたし、頼りになる人だったけど、今の私が振り返るに、やはり好きなことを好きなだけしたい幼さが、レーコ姉さんには確かにあった。
丁寧に私と自分に虫除けを塗った後、林の合間の、あんまり人がとおらない獣道みたいなところを通って、あれこれ植物や虫のことを教えてくれた。
アスファルトと建物ばかりの風景を見慣れていたから、姉さんについて山を歩くのは、なんだか冒険してるみたいで、ちょっと私も興奮気味だったように思う。
桑の実やアケビ、グミの実、はてはイチイの実も姉さんと食べた。
コンビニのお菓子とはちがう、素朴な味わいは、あれはあれで美味しかった。
山の只中で、直接木から取って食べる、というシチュエーションも、子供心には楽しかった。
なにより、レーコ姉さんが一緒にいて、一緒に楽しく遊んでくれた。
そういえば、農家の人に、作っている野菜のことを聞いたり、出来がいいですねなんていいながら、きゅうりを農家の人に分けてもらって、かじったこともあったと思う。
畑で採れたての青いきゅうり。
子供の舌に嬉しいものじゃないけれど、レーコ姉さんは美味しそうに食べてたし、そんなレーコ姉さんの褒めを聞いて、農家の人も嬉しそうにしていて、すると不思議と、私の舌にも、あの青臭いきゅうりが美味しく感じられた。
他の友達も連れてきていい? と聞くと、レーコ姉さんはいいよ、と快諾してくれたし、一緒に行った友達も、やっぱり楽しそうにしていたように思う。
家で一緒にゲームをするのも楽しいけれど、山遊びも楽しかった。
潤いと楽しさ。人生の幸せの種類にアラカルトさの有る、贅沢な時代だった。
そういえば、レーコ姉さんが同級生を連れてきて会う機会が稀にあったけれど、紹介してくれるときの場所は、概ね山だったように思う。
よろしくね、と手を差し伸べてくる姉さんと同級生の女の子は、当時の私達よりずっと大人で、素敵だなと思ってしまった。
──10代の中学生に、大人を感じてしまう程度には、子供だったのだ。
その頃の私には、本当になにもわかっていなかった。
でも、楽しかったし、あの日々が何事もなく続いても、そのうち成長してしまって、見なくていいもの、汚いものも見えるようになっていったのかもしれない。
けれど、その頃の私はそんな日々が終わるなんて、考えもしなかった。
転んでいたいとき、クラスの男の子と喧嘩して泣いたとき、人が嫌になりそうだったとき、いつもレーコ姉さんがちゃんと話を聞いてくれた。
父さんにも母さんにも聞いてもらったけれど、でも一番、そういう辛さを話したのは、レーコ姉さんだった。それが私には自然だったし、レーコ姉さんはちゃんと話を聞いて、ただかわいそうだねとか、辛かったねと言うだけじゃなくて、ちゃんと自分なりに考えて、この子はミドリのこれで怒ったんだよ、と、喧嘩した男の子の気持ちまで、話の中から汲み取って話してくれた。
私が悪いでもなく、その子が悪いでもなく、多分こういう感じで喧嘩になったんだね、をちゃんと聞いて、いい悪いじゃなくて、ボタンの掛け違いだったということを、ちゃんと私にわからせてくれるひとだった。
だから、その男の子には、お互いにちゃんと謝れて、また仲良しに戻れたのだ。
レーコ姉さんは、そういう人だった。
人間にとっての空気や酸素みたいに、私にとってあって当たり前、居て当たり前だった。
7才の夏。
あの日の夕暮れ時が、そんな日々の終わりの始まりだった。
今でも思い出す。
突然黒くなった空。
満天を覆う、東方の方向から波紋のように幾重にも、円状に走る紅く輝く波紋の列。
ニア・サードインパクトという言葉を知ったのは、その日から隨分後だったことのように思うし、そんな名前なんて、どうでも良かった。
レーコ姉さんは、今までに見たことのない、自分の気持ちを必死に噛み殺す、つらそうな、とてもつらそうな顔をして、自分の両親と、私の父さんと母さんが、『事故』で死んだと話してきた。 幼い私には意味がわからなかった。どういうこと、と聞いたように思う。
そこで、姉さんは、耐えられなくなったのだろう。
突然、私を強く抱きしめてきた。
少し苦しかった。
けれど、それ以上に覚えているのは、姉さんの匂いだった。
とても優しい、いい匂い。そんな匂いが、いつもよりも強くて。
そして、とても震えていた
何度も声を震わせて、声にならない声で何かを言っていた。
姉さんの、たぶん泣き声を聞いたのは、それが生まれてはじめてで、そしてそれが最後だった。
姉さんはずっと私を抱きしめていたから、泣き顔は見えなかったけれど、きっと、くしゃくしゃの顔をしていたんだと思う。
そんなくしゃくしゃの悲しい顔を、私に見せたくなかったんだと思う。
どれだけ姉さんが私を抱きしめて、どれだけ泣いていたかは覚えていない。
けれど、ようやく私を離したときの姉さんは、穏やかに笑っていた。
作り笑いだというのが、7歳だった子供にだってわかった。
目尻が赤くて、まだ顔がひくついていて、けれど、それでも一生懸命に、私のために作った笑顔で。
おじさんもおばさんももう帰ってこないけど、私は一緒にいるから。ミドリと一緒にいるから。だから、安心してと、まるで自分に言い聞かせるかのように、何度も何度も言ってくれた。
その日から、何もかも、変わってしまった。
まず、学校が休みになり、クラスメートや友達と会えなくなった。
お金が役に立たなくなって、食事は配給制になってしまった。
ご近所の人が一人、また一人と疎開して、私が住んでた街はがらっとして、まるでレーコ姉さんや私しか、居なくなってしまったようだった。
玄関に誰かが来たとき、応対したレーコ姉さんが、怒声を張り上げるのを、聞いた記憶も有る。
施設がどうとか、わたしがどうとか大人が言うのを、姉さんは必死に拒絶しているようだった。
最後は喧嘩別れにでもなったのか、叩きつけるように玄関のドアを閉める音がした。
私は驚いて、怖くて、少し泣いてしまった。
姉さんは戸惑って、気まずそうにして、ごめんね、と謝ってきた。
多分、私を怖がらせたことを後悔したから、謝って来たんだと思う。
相手の事情を聞いて、物事をちゃんと理解できていた姉さんから、余裕が失われつつあったことに、私はその時気づくべきだったのかもしれない。
気づいたところで、何ができるかもわからないけれど、わかることで、すこしでも姉さんを楽にできたかも知れないという、意味のない後悔が、今も胸に満ちている。
私の知らない、家の外側の汚い世界、汚い人間、汚い運命から、姉さんは一人で、必死に私を守っていたんだと思う。
TVもラジオも繋がらなくなった。
携帯も使えなくなった。
ついには電話も使えなくなってしまった。
昔より美味しくなくなったご飯。
けれど、それは配給だから、仕方なかったのだ。それに、多分他所より、私はいいものを食べていたと思う。姉さんは植物に詳しいから、美味しい野草を使って、とても足りないだろう配給のご飯を、うまくかさ増ししてくれていたと、今の私なら理解できる。
ただ、その頃の私は、文句ばかり言っていた。
育ち盛りで、突然ご飯が美味しくなくなって、しかも足りなくて、いつもお腹をすかせていて、姉さんに我儘ばかり言っていたのだ。7才の子供の自分の愚かさを恨みたくなる。
それでも笑っていた姉さん。
私の、生活苦が理由の八つ当たりを受けても、怒らなかった姉さん。
私がそばにいて、私が生きていてくれるだけで、きっと姉さんは嬉しかったんだ。
あの人は、そういう人だった。
レーコ姉さんの父親と母親の記憶はほぼないけれど、きっとレーコ姉さんは、両親が大好きで、私の父さんと母さんも大好きで、あの日からもう会えなくなった、中学校のクラスメートも大好きだったから、私が居るだけで嬉しかったのだ。
だから、私も、レーコ姉さんが未来もずっと私と一緒に居ることが当たり前だなんて、思うべきじゃなかった。
焼けるような後悔と自分への呪詛が今もある。
なぜ、あの日、止めなかったのか。
なぜ、あの日、行かせてしまったのか。
その日。
姉さんは、一週間ぐらい出かけないといけないの、と私に、つらそうに話してきた。
色々と大人の世界で揉め事が起きている気配は、幼い私も感じ取っていたけれど、とうとう姉さんに、それが降り掛かってきて、逃げられなくなってしまったらしい。
一週間したら、戻ってくる。
ご飯はネルフの職員の人が配給してくれるから安心して、一週間したら、絶対帰ってくるからと、姉さんはその日私に言った。
外は危なくて何が有るかわからないから、私が帰ってくるまで気をつけて、鍵をかけて、外に出ないようにしてと、普段言わない注意や警告を、何度も念入りに私に言い聞かせた。
そして少し待って、私が理解したかどうかを見て、私が頷くと、姉さんは私を安心させるように、あの優しい笑顔を浮かべてくれた。
「一週間したら、帰るから。お土産、持ってくるから」
わかった、と私は答えたと思う。姉さんは安心したように頷いた。
そうして姉さんは玄関を出て、黒いスーツを着たネルフの職員の人に案内され、車に乗り込んだ。
「留守番、お願いね」
車の窓を開け、玄関にたつ私に姉さんが投げかけた、そんなたわいもない言葉。
それが、私の聞いた、姉さんの、最後の言葉になった。
──それから何日か過ぎた夜。突然、地獄の釜が開いた。
バカみたいに煩い、飛行機が飛び回る音が突然、深夜2時ぐらいだったろうか、ともかくとんでもない真夜中に響き渡り、私は驚いて目を覚ましてしまった。
そして、何かが遠くで、花火みたいに爆発する音が始まって、それが一向に鳴り止まなかった。
所々で、爆竹が破裂するような音もはじまり、その全てが、全く収まろうとしなくて。
うるさくて、うるさくて、うるさくて、窓からよくわからないたくさんの光が入ってきて。
そして、窓の向こうに見える遠い海。
ヒトの姿をした、なにかとんでもなく大きなものが、何人も、海をかき分けるようにして、東北をめざして歩いていくのが見えた。
汎用人型決戦兵器、人造人間エヴァンゲリオン。
ひどい名前。つけたやつの神経が信じられない。
何が福音だ。
兵器に福音なんて名前、普通はつけない。
そして、17才の私は、その悪魔の馬鹿騒ぎ、醜い大人共のやらかした汚い最悪のゲームの名前を知っている。
第3新東京市戦役。
各国のネルフ支部が、それぞれの提唱する『人類補完計画』とかいうやつをやるためにしでかした、人類の大半を巻き添えにした、ホントにくそったれの戦争。
民間人を巻き添えにした砲爆撃。戦車も戦艦も空母も航空機も惜しみなく投入され、はてはあちこちにN2爆雷が投下され、そこに避難した人たちもろとも地形を蒸発させ、クレーターに変えてしまった。
そこにはもしかしたら、レーコ姉さんの同級生や友達、私の同級生や友達もいたのかもしれない。
わからない。
姉さんが待っていてと、留守番していてと言った、私が守らなきゃいけなかった家は、どこかから飛んできた砲弾だか焼夷弾だかのせいで屋根から燃え上がり、私は体一つで逃げなければならなくなった。
家の前で、何もできずに、レーコ姉さんと私の居場所が燃えて、灰になっているのを見ているしかなかった。レーコ姉さんに、待ってると約束したのに。
なのに、家が灰になってしまった。なくなってしまった。
一週間程度続いたそれは、ネルフ本部地下のリリスという餌に、世界中の軍隊という軍隊、ネルフというネルフ、存在しなきゃよかった蛆虫どもの群れを巻き添えに、ついに第二次ニア・サードインパクトを引き起こしてしまった。
そして、ついに赤い地獄が、ネルフ本部を中心に、全世界へと広がり始めた。
L結界。
人間を溶かしてLCLに還元してしまうか、あるいはコア化させ、まるで塩にでもなったみたいに崩れさせるかしてしまう、この地球を赤く染め上げた得体のしれないモノ。
どこかのバカが、口が開いた地獄の釜の中身を、世界にぶちまけてしまったのだ。
私は、灰になった家の前でひたすらレーコ姉さんを待っていたけれど、レーコ姉さんは来なかったし、よくわからない大人の人たちが、周囲の家々の生き残りを必死で探して回るついでに、私をそこから連れ去ってしまった。
レーコ姉さんがくるの、レーコ姉さんがくるの、そういったのに、大人は私の話なんて聞かなかった。
私をそこからつれさってしまって、赤く光る得体のしれない黒い柱が立ち並ぶ場所、空気が赤くない場所へ、私を引きずり込んでしまった。
死んだってかまわなかったのかもしれない。抗うべきだったのかも知れない。
私はあの日、燃え尽きた家の前で死んでいたほうが幸せだったんだとさえ思う。
レーコ姉さんが帰って来れなくなったことぐらい、わかる。
私の学校の友達も、先生も、レーコ姉さんの友達も、全部、全部全部全部、あの赤い地獄が飲み込んで、とかして、コアにしてしまったから、死んだほうがきっと楽だった。
だって、避難した場所も地獄だったから。
足りなかった食べ物はさらにたりなくなり、普通に奪い合いになって、毎日誰かしら死んで、病気になっても医者も来なくて、ヴィレの治安組織をなのる連中は、銃をいつももって、後で第三村って言われる地域に居る全員を、まるで強盗予備軍みたいに威圧して、場合によっては暴徒化した人々を射殺さえしていたのを覚えている。必要だったのは理解できるけれど、目の前で人が射殺される景色は、私の網膜に、凄まじい恐怖と嫌悪感を伴って、どうしようもなく焼き付いてしまった。
毎日人が死んで、埋める場所もなくなり、死んだ人たちの死体が山積みになって野ざらしになり、仕舞いには全部L結界が満ちた『外側』に放り出してしまうようになった。
死体を放置すると結界内部で病原菌が蔓延しかねないから、というのは今の私にはわかるが、荒んだ私の心には、それがあまりにも憎らしくてならなかった。
あまりにも憎くて、辛くて、ヴィレの治安部隊がなぜそうするのかが全くわからなくて、ひどいやつらだ、ご飯もくれない、死ねばいい、私も死にたい、でももしかしたらレーコ姉さんが生きてて、なんて儚い望みを抱くことさえあった。
気が、狂っていたと思う。
無人駅の建物の中で雨露をしのぎ、ガサガサしたパラシュートのキャンバス生地で朝の寒さをしのぎ、硬いコンクリートの上でごろ寝、クソみたいな味の非常食が一日一食あればいいほう。
でも一番つらいのは、水がないことだ。
水が、足りないのが、わかる。のどが渇いてしょうがなかった。
配給の水がまるで足りないのだ。
避難地域には川が流れていたけれど、「どの川が安全か、検査技術が確立されていない」と言われ、決して飲まないよう、ヴィレの人たちに言われていた。
もちろん、我慢できずに、少し赤く染まった川に踏み出して、飲んでしまう人もいた。
そして、飲んだ人たちは、例外なくLCLになって、地面に吸われて消えてしまった。
ぐしゃぐしゃに濡れた服だけが、かれらの墓標がわりとなった。
だから、怖くて川の水も飲めない。
本当に憎くて、辛くて、苦しくて、空腹で、何を恨んでいいか分からない日々が、続いた。
そうして、何人も死んで、何人も死んで、そうするあいだに少しずつバラックや、いろいろな廃物利用の建物が立ち始めた。
生き残りの人々は避難所だった無人駅を出て、それらの建物をそれぞれ割り当てられ、少しずつだけど食事の量も増え、古着だけど着替えも届くようになった。
私は、何人かの大人と、私と同じ年の女の子と、レーコ姉さんと同じ年の、少しがさつな男の人と暮らすようになった。その女の子が、鈴原サクラだ。
世界がこうなった原因、諸悪の根源の正体を語ったのは、サクラだった。
第一次ニア・サードインパクト、その爆心たる人間のことを。
エヴァンゲリオン初号機パイロット、碇シンジ。
エヴァンゲリオン弐号機パイロット、式波・アスカ・ラングレー大尉。
式波なる女性は、その日、エヴァンゲリオン三号機のテストパイロットを務めていたのだそうだ。
けれど、それには『使徒』と呼ばれる、人類と敵対する危険な存在が取り付いており、彼女はそれに取り込まれてしまった。
使徒にとりつかれた三号機はネルフ本部のリリスを目指して進撃したが、それを迎撃したのが、初号機およびそのパイロットの碇シンジだったのだという。
彼は、その時、三号機を攻撃することができず、代わりに彼女を救助するため、取り付いて、助け出そうとして、逆に使徒に取り込まれてしまったのだという。
その後、初号機はダミープラグという、自動操縦システムを用いて再起動され、三号機ごと『使徒』を殲滅したのだというけれど、それがニア・サードインパクトを巻き起こしたのだそうだ。
サクラは、生き残りのネルフ職員が、第三村で同僚と話したのを聞いたのだという。
よくわからないが、碇シンジと式波・アスカ・ラングレーが使徒に憑かれ、諸共『ニエ』となることで、初号機が『カクセー』し、それが原因でニア・サードインパクトが起こったのだという。
だとしたら、ふざけた話だと思う。
もちろん今の私は、それが初号機の疑似シン化であり、もとよりネルフ本部の碇ゲンドウ司令は自らの望む形での『人類補完計画』遂行のためにそれを引き起こしたのだと知っている。
けれど、その二人は、『ニエ』とか言うものになったのに、死ななかったのだ。
生き残った理由は、よくわからない。
今の私にとってもなお、それは開示されない機密情報。
けど、あの二人が爆心地となったという事実は、変わらない。
そして、私はその二人の顔を知っていた。
姉さんと同じ14歳。
特に、女の方は、たしかニュース番組でも偉そうに自らの乗るエヴァを自慢していたと思う。
7才の自分にとってそんなニュースはどうでもよかったけれど、それでもぼんやりとはTVは見ていたから、その話を聞いて、急激にニュースの記憶が蘇り、名前が具体的な像を結んだ。
その二人が、ネルフ本部という陰謀の渦中にいながら、止めることもできず、むざむざ世界をこんな赤い地獄にかえてしまったっていうだと理解した。
サクラに言わせれば、碇シンジたちはあくまで利用されただけに過ぎず、彼がエヴァで『使徒』と戦わなければ、そもそも人類は滅んでいた、兄も自分も死んでいた、ということらしいけれど、私には納得できなかった。
結局みんな死んじゃったじゃん、という憎悪だけが胸に膨らんだ。
そして、私の憎悪の歯止めを破壊してしまったのが、ある日届いた、一通の手紙だった。
1、2年前だっただろうか。生活が苦しすぎて、覚えていない。
私宛の、手紙。
村の外から届いた手紙に、一瞬姉さんからのものかと期待したけれど、記された名前は、別人のものだった。
『綾波レイ』。
知らない、女。
手紙には、バカみたいに簡潔で、愛想も何もない文章で、私の姉が、第二次ニア・サードインパクトの惨劇をギリギリのところで防いだこと、それによってみな救われたことが、簡潔に、けれど全く経緯がないまま記されていた。
内容に関しては、おそらく『軍機』というやつなのだろう。書いても検閲され、墨塗りにされたことは、想像に難くない。少なくとも、レーコ姉さんがあの第二次ニア・サードインパクトを防いだ、ということを、私みたいな部外者に伝えることが許可されたことすら、奇跡だと、ヴィレに所属した今なら理解できる。
そして、姉さんを守れなかったことを、簡潔に謝罪して、手紙は終わった。
『あなたのお姉さんのこと、守れなかった。
ごめんなさい』
その手紙を読んだあとのことは、よく覚えていない。
たしか、気が狂ったみたいに叫んで、泣いて、泣いて、泣いて、泣いたと思う。
手紙はグシャグシャに握りつぶして、多分、破ろうとしたのは覚えているけれど、結局破れず、ずっと持参している。
その綾波レイという女の謝罪を受け入れたからなわけがない。
その手紙だけが、『レーコ姉さんが世界を守った』『レーコ姉さんが私を守った』『レーコ姉さんのおかげで私は生きていられる』『苦しくて辛くても、それでも私が生きていられるのは、最後の最後で、レーコ姉さんが頑張ったから』を担保してくれるものだったからだ。
そんなことを記した唯一のもの、レーコ姉さんとの最後の絆を、破り捨てることも、焼くことも、とても私にはできなかった。だから、代わりに、何度も泣いた。悔しくて、何度も地面を殴りつけた。
えらそうな、連中。
軍人だかパイロットだかしらない。『使徒』相手に命がけで戦ってたとか、知らない。
訓練だって受けたんだろう。ニュースでそう言ってた。
なのに、私を、世界を、ギリギリのところで助けたのは、そういう偉い、人を守るべき連中じゃなかった。
あの、みんなに優しくて、いつも楽しそうに生きてて、幸せそうで、いつも私に笑ってくれてた、私のレーコ姉さんだったんだ。
ごく普通の、ファッション好きで、植物が好きな、本当に普通の中学生の女の子にやらせていいことのわけがない。それをやるべきは大人なんだ。
あのレーコ姉さんが、こんなクソみたいな世界のために、あんなクソみたいな連中のために、命をかける必要なんてない。可能なら私のほうが死にたかった、私なんかじゃなくてレーコ姉さんの方が生きるべきだったんだ、あんなに優しい姉さんが死んで、我儘な子供だった私が生きる世界なんて間違ってる。
死にたいとさえ思った。
不味い食事も厭だ、まともにねれない生活もいやだ、蚊よけもない、痒くてたまらない、L結界測定技術が確立してからは、無事な川が分かって水も飲めて、田んぼもできたけれど、それでも飲める水の量は限られる、世界はこんなにも暑くて喉が乾いて、汗が止まらないのに。
だから何度も死のうとおもったのに、その度思い出してしまう。
レーコ姉さんのあの笑顔。
優しいオムライスの味。
姉さんが連れて行ってくれた、あの空の青と雲の白、草木の緑に満ちた、素敵な世界。
何もかも赤い地獄に染まる前の、レーコ姉さんがいる幸せな世界。
あまりにも遠くなった世界のその優しさの理由の真ん中で、私の心の真ん中で、レーコ姉さんが笑っている。
何があったか知らない。
何があったか、わからない。
けれど、きっとレーコ姉さんがどうしたか知らないけれど、守りたかった生命の一つが、私であるのは間違いないから。
だって、あの手紙を書いた人は、私のことを知っていた。
私宛に手紙を書いた。
私に謝った。
つまり、レーコ姉さんを知っている。
レーコ姉さんの望みのかたちも。
私に手紙が届くということ、そして私に謝るということは、レーコ姉さんと話をして、私のことを知っていたということ。
レーコ姉さんは私や、友達のために、あの優しかった日々を取り戻すために死んだのか。
本当に死んだのか。
まだ生きていてくれないのか。
手紙が担保する姉さんの死の事実。
手紙が担保する姉さんの優しさ。
それを、軍機だろうに、わざわざ私に教えてくれた人。
何も、わからない。
けれど、知らないといけないと思った。
それまでは、死ねない。
絶対に。
レーコ姉さんの願いは何。
何故レーコ姉さんが死なないといけなかったの。
なぜレーコ姉さんは世界を『守れた』の。
それら全てを知るまで、レーコ姉さんの遺志を知るまで、レーコ姉さんが命をかけて伝えたかったこと、やりたかったことを知るまで、絶対に私は死んでやらないって思えた。
やがて年月が経ち、どこからか飛んでくる無人貨物船の物資で村がうるおい始めた頃、私はサクラと話した。
ヴィレに志願しようと思う、と。
ヴィレは人員不足らしく、14歳以上の男女を対象に志願者を募っていた。
曰く、ネルフ本部は未だ健在であり、最後のインパクト、『フォースインパクト』の発動を虎視眈々と狙っているのだという。
そのためには、たとえ子供のような年齢であろうと、戦闘員として雇用したいということらしい。
なりふりかまっていられないのだろう。
ヴィレ上層部には、元ネルフ本部の人員まで居た。
そもそもがネルフ本部の『人類補完計画』に気づき、反旗を翻したのがヴィレの成り立ちであるという。
だから、それは、我慢できる。
気づけなかったから、贖罪する。そういうことなのだと思える。
問題は。
そのメンバーの中に、あの『碇シンジ』と『式波・アスカ・ラングレー』の二人が名を連ねている、という事実だった。
この二人の名前は、赫奕たる戦果だの、なんだのかんだので飾りたてられプロパガンダされ、彼らのあやつるヴンダーとかいう戦艦は、世界最後の希望とすらいえるとか宣伝されていた。
じゃあ、そんな強くて偉そうな連中が、第二次ニア・サードインパクトを防げなかったのは何故なのか。
なんで当たり前の女の子が、そんなすごい武器を操る連中の代わりに死ななきゃいけなかったのか。
お前らが起こしたことなんだから、レーコ姉さんの代わりにお前らが死ねばよかったのに。
それなら許せた。私とレーコ姉さんを守って死んだなら、そっか、偉いね、も言えたかも知れない。
でもこいつらは自分がやらかしたことにレーコ姉さんを巻き込んで、尻拭いさせて、レーコ姉さんは死んで、のうのうと生きてて。それが、絶対に、絶対に許せないから。
だから、決めた。
ヴィレに行く。
そして、やらかした連中全員の首根っこ、いつかふんづかまえて、なぜああなったのか、なぜ世界がこうなってしまったのか、くびをしぼりあげる。
殺すとか殺さないとか、どうでもいい。
大切なのはレーコ姉さんだ。
あのひとの、最後を。
あのひとの名残を。
何一つ余さず、知りたい。こぼしたくない。
きっと何かをねがったから、こんなに残酷な世界で、けれど私は生きている。
そこにあの人の意志があるなら、まずそれを知らないといけない。
きっと軍機だ。だから、下っ端のうちは教えてもらえない。
でも、絶対にたどり着く。そして識る。
もしも、ヴィレの連中の言うことが本当で、『この世界に緑を取り戻す』というのが叶うなら、まずそれは絶対にやり遂げなければならないことなんだ。
レーコ姉さんが大好きだった植物の緑。
それは私の名前の色であり、心に残ったレーコ姉さんとの絆だ。
あの人が、赤い世界で何もかも植物が枯れ果てた、なんて知ったら、どれだけ嘆くだろう。
そんなのを強いる世界が絶対に許せない。だから抗う。
L結界とかいう地獄の赤を、この地上から絶対に追い出してやる。
私はL結界の赤が本当に嫌いだ。赤はレーコ姉さんの瞳の色だ。
あの優しいまなざしの色だ。それを穢したあの結界は、絶対に滅ぼしてやる。
世界にあの人の大好きだった緑を絶対に取り戻す。
もしもあの世があるなら、そこからこの世界を見下ろして、きれいな緑色であることを確かめて、レーコ姉さんは笑ってくれるに違いないから。
私はあの人の死に場所さえ知らない。だから葬式もしていない。
もしあの人の遺骸が、形見が残っているのなら、それは、緑になった森に埋めたい。
そうして初めて、きっとあの人は安らげるんだ。
始末の付け方は、それから決める。
碇シンジ。
式波・アスカ・ラングレー。
裁判無しで罪状は決められない。
まずは識る。
殺し方はそれから決める。
二人への殺意だけを隠して自らの決意を告げると、鈴原サクラも志願すると言ってくれた。
サクラなりに、あの二人には、なにか思うことがあるのは、薄々察しがついていた。
鈴原トウジに言わせれば、碇シンジは、故なく人の死を願う男ではないらしい。
そんなの関係ない。結果が全部。
あいつ、守れなかったじゃんね。それで充分。
でも全部の事情をまだ知らない。知りたくもないけど、きっとその事情の中に姉さんの過ごした過去がある。それを知らなければいけない。知るすべは、多分ある。
なぜなら、碇シンジ及び、式波・アスカ・ラングレーの名の下に、もう一つ名前が記されていたからだ。
綾波レイ。
私に手紙をくれた人。
私に唯一、謝ってくれた人。
碇シンジと式波・アスカ・ラングレーは、詫び一つよこしてこなかった。
姉さんのことについて知ってるくせに。絶対に知ってるくせに、
お前らが起こしたことなのに。
綾波レイという女性は関係なくて、なのにあいつらが謝らないで、その人が謝罪の手紙を送ってきた。
間違ってる。絶対違う。
そんなの、許さない。だから。
識る。まず、識る。全部、そこからだ。
小学校の頃、男の子と喧嘩したとき、レーコ姉さんが、そうとは言わずとも教えてくれた。
まず正しく知らないと、物事は解決しないって。
だから、二人を見た瞬間撃ち殺す、というのは、残念だけど、なしにする。
それは、レーコ姉さんのやり方じゃないし、レーコ姉さんも望まない。
世界に、緑を取り戻す。
全てを識るために、志願する。
全てを識るために、いずれヴンダーに乗る。
そして、絶対に、けじめをつける。
それが、私の、北上ミドリの、今を生きるための道標だ。
そして私はヴィレ入隊を志願し、訓練を受け、今に至った。
記憶遡行。脳裏に焼き付いた様々の記憶は、けれど一瞬の走馬灯。
弐号機プラグ内モニタに写った、綾波レイの名と姿が引き起こした記憶の惹起は一炊の夢。
現実へと、急激に私の思考が戻る。
・
・
・
「3,2,1。N2爆雷、起爆します。総員、対ショック、対閃光防御」
規定ポイントに到達したN2爆雷弾頭を搭載した大型ミサイルが、艦長のカウントダウンがゼロになると同時、予定通りに起爆した。
とてつもない閃光と衝撃が、重力制御とモニタ光量制御を受けているだろうに、艦橋を薄く包む。
同時に、凄まじいGが私の全身を襲い、シートに身体を押し付けるのを感じた。
核融合弾頭を凌駕する威力を秘めたN2爆雷が炸裂し、その爆圧をATフィールドで防御しつつ、生み出された膨大なエネルギーを帆船の帆のように受け止めて前方への推進力へ変換し、とてつもない速度でヴンダーは突進を開始していた。
ヴンダーが目指すのは北方。贅沢に8号機の護衛付き。
そして、姉さんとそっくりなあの人が乗った弐号機は、護衛すらなしで東方方面の敵集団に単騎行。
しかも、使う手段はN2爆雷。
人類が保有する武装の中でも最強最大最悪の威力を持つ破壊兵器を、雑に推進力に利用して、あの人を一人で放り出す。
護衛もなしで。
各個撃破とかじゃだめなんですか?
聞きたくなるが、どうせまともに取り合っちゃもらえないのは、最初の副長挨拶で理解している。
そう言えば、今、ブリッジは思考シンクロ状態だった、ということを、Gの只中で思い出す。
碇シンジという男の心の声も、もしかしたら、『拾える』かもしれない。
訓練施設でのLCLガス使用での思考シンクロテストは、機械音声合成を脳できかされるやつだったけど、それを私はそれなりに優秀な成績でクリアしている。
つまりは『聞ける』。
なにか、つかめるかと思う。
後背、やや離れた位置にある気配を『聴く』ように耳をそばだてる。
多分、これが艦長の思考だろう、というものが、聴こえた。
凪いでいる。
冷たい。
そして、硬い。
断固たる意思、という印象。
この瞬間、艦長が北での作戦のことしか考えていない、ということが、分かった。
他の思考は、一切合切、していない。
凄まじい速度でマギプラスと思考交換しながら、想定される敵の行動と、従来と異なる行動パターンについての類推ばかり。
つまり、東方に放り出した綾波レイのことは、全く気にも止めていない。
あんた、そういうやつなわけ。
平然と他人を使い捨てられるわけ。
私ももうヴンダークルーだ。
綾波レイの素性ぐらい、ある程度は知っている。
アヤナミシリーズ。
ゼーレが『人類補完計画』遂行のために作り出した、人工の人間。
エヴァに乗るために生み出された戦闘装置。
ヒトめいた挙動をするのは、あくまでもその能力をヒトの域内に留めるためにすぎない。
そこで、一つ矛盾が出る。
他ならぬレーコ姉さんだ。
レーコ姉さんは普通に育った。
文字通り『普通に』だ。
アルバムを見せてもらった。
へその緒の話もしたことがある。
そう。レーコ姉さんには『へその緒があった』。
レーコ姉さんの家で、珍しくいたレーコ姉さんの母親に、何かの切欠で見せてもらったことがあるのだ。
アヤナミシリーズはサルベージの産物だ。
生産方法にもよるけれど、基本的には普通の人の腹からは生まれない。
けれどレーコ姉さんは、ちゃんとレーコ姉さんのお母さんから生まれたのは、多分間違いない。
私が識る限り、普通に生まれ普通に育ち、艦長や副長の二人のように、24才なのに体は14才のままなんて胡散臭いことにはなってなかった。
なにかあるんだ。秘密が。
レーコ姉さんが『犠牲』になった理由が、そこにある。
艦長。
ねえ艦長。
聞いてるんでしょ?
あんたが乗せるメンバーとか選抜したのはお見通しなんですけど。
んで私がキレてるのも知ってるわよね?
だから副長がボロ出しそうになったら即座に出てきたんだ。
わかんないバカだと思ってるわけ?
ねえ。何があったのよ。
3%がどうだかしんないけどさ、あんたの気配を私がこれだけ感じるなら、あんたのセンスなら聴こえてるってわかってんの。
聞けよ。おい。聞けよ、艦長。
聞いてんだろ! 聞けよおい!!
──北上ミドリ少尉。
もちろん、聴こえてるよ。君の過去の想起も含め、悪いけど概ね見せてもらった。
この艦に乗る動機も、僕らへの怒りも。
そっか、盗み聞きかよ。
あんたみたいの、ほんと嫌なんですけど。人の思い出盗み見盗み聞き、最悪っしょ。
クソ野郎って言っていいですか?
──好きに呼べばいい。
他にはもれないよう、思念接続コントロールはしてある。
副長は制御で手一杯だから、聞く余裕はないよ。
無駄話はやめよう。結論から言う。
彼女はまだ、死んでない。
は?
思わず、彼の精神を疑った。
思考リンクだ。本音かウソかぐらいはわかる。
こいつは、レーコ姉さんをきっと知ってる。逢ってる。
きっと、なにがあったのかも。
このシンクロ率ではこいつの思考の根っこまでは探れない、記憶を強制的にほじくり返すことはできない。
軍機に関しては逆探できないよう、多分マギプラスを噛ませて、ブロックをかけている。
だから忌々しいことに、こいつのみた領域までは行けない。
そこまでの才能も、多分、私にはない。そこまでの領域に行けるやつは、エヴァに乗り込めるレベルの『仕組まれた』連中だけだ。
常人では無理、そこは諦めるしかない。
けれど、本音かどうか程度は、私にもわかる。
こいつは諦めてない。
心の響きが其れを伝える。絶対に折れないと決めた強い意志。
何がどうすれば、魂がここまでの頑固さを、強度をもてるのかが理解できない。
一つ可能性があるとしたら。
それはこいつが惑わないために、一種の自己欺瞞として狂気を──起こった事実を認めないことで、自らを行動させ続けている可能性。
意図的に自分を破壊して、そのようにしか機能しないよう魂を塑形してしまった、人間でありながら人間を止めた一個の運動機械としての概念。
アヤナミシリーズの戦術行動の動機づけにそういう手段があったと記憶している。
まさか、こいつ。
──違う。
もちろん、綾波は諦めてる。だから、手紙を書いたし、それが届くことを、僕は認めた。
沢山の人に窘められたし、事実機密漏洩でも有る。
けれど、君にはある程度知る権利が有る。
知らされないまま利用される苦しさは、僕もかつて味わった。
だから君が僕らを憎悪するのも、僕は理解しているし、当然だと思う。
ただ、僕は彼女を──大井さんを諦めてない。十年程度では諦めない。
届かないなら、手をのばす。手が届かないなら、他の手段を使う。
絶対に諦めない。絶対にだ。
今、君に伝えられるのはここまででしかない。
けれど、僕は本気だ。それは、わかってほしい。
……はは。
わかるわけないっしょ。
十年よ? どこに居るかしらないけどさ、綾波さんは諦めてるってことは、そういう場所にいるってことじゃん!
L結界の真ん中かしらないけど、死ぬに決まってんじゃん!
気休めいうなよ! ふざけんなよ! 私がどんだけ悲しくて辛かったか盗み見したくせに!
──全ては結果が示す。
それまで、君は絶対に納得しないだろう。
綾波を一人で東方の敵に当たらせたことで、君が僕に殺意を抱いたのも理解している。
その上で、君は一つ、思い違いをしてる。
綾波は、大井さんじゃないよ。
綾波だから、東に行かせられる。
アヤナミシリーズだから?
ニンゲンじゃないから?
使い捨ててもかまわないから?
どうせ変わりが居る、作り直しがきくやつだから?
だったらあんた、ネルフのクソどもと同じよ!
──違うよ。
僕にとって、綾波は綾波だ。
アヤナミシリーズじゃない。
一個人としての綾波だ。
だから、任せた。任せられる。放り出したんじゃない。任せたんだ。
僕は北が本命と見ているけれど、相手には知恵の回る人がいる。
想定外の布石を打ってくる可能性もある。
待って時間を浪費するのは危険と判断した。
だから、綾波に東を任せた。
一つ、断言する。
君が思うより、綾波は、強いよ。
……どうせ、もう東に飛んだあとじゃん。
あんたは本気かもしれないけど、あんたが自分を狂わせた可能性を私、疑ってるから。
いずれにせよ、あんたら親子だけは絶対に許さない。
『人類補完計画』を目論んだあんたの親父、碇ゲンドウ。
ニアサー起こして私達の人生めちゃくちゃにして、私の家族も姉さんの家族もみんな死なせて。
そして、レーコ姉さんを死なせて、自分はのうのうといきてる碇シンジ!
あんたらだけは、絶対に許さない。
納得もクソもない。
自分を壊して、ましてや『諦めない』なんて気休めで丸め込むの、逆鱗じゃん。
全部終わったら、殺す。姉さん殺したあんたを殺す。
あんた言ってたよね。
カタついたら、撃っていい。
それ、艦長許可っしょ? あんた自身の。
──そうだね。全部終わったら、構わない。二言はないよ。
伝えられることは伝えた。
艦長からの交信は以上だ。
北上少尉了解。地獄に落ちろ、クソ艦長。
其れきり、艦長の思念は途切れた。
研がれた冷徹な金属のように、冴え冴えと戦闘への思考を巡らせている。
まるで演算器のような精密さで、十年の闘いの経験を、マギプラスの記録と照合しながら大量の戦術パターンを脳裏に構築しているのだ。
ああ、わかってしまう。
こいつは、半ばもう、人間をやめてしまっている。
止めた理由はわからないけれど、まともな人間は、ここまで自分を機械に委ねられない。
自我が半分、マギプラスに溶けてる。
シンクロ制御の訓練過程で学んだやつだ。普通ここまで自他境界を曖昧にすると、人間は壊れる。
L結界内部で人間が形象崩壊してLCLやコアに成り果てるのも、自分と世界の区別がつかなくなり、個体としての形態を保てなくなるからだ。
L結界外部でも、ここまでやると、精神をやられる。
支部によっては実験過程で発狂者を出しているなんて資料を読んだこともある。
つまり、この艦長は自覚なく、発狂している可能性もあるってこと。
冗談じゃない。ほんと。ほんと冗談じゃない。そんなやつに、命を預けないといけないなんて。
バカにしてる。なにもかも。
腰のホルスターには、全弾装弾ずみの拳銃がある。
他のメンバーはどうか知らないけど、私にはわかった。
碇シンジは、ヤバい。
そういうヤバいやつなら、何もかも善意で、何もかも本気で、信じてしまうことができるかもしれない。
まだ助けられると自己欺瞞しながら、レーコ姉さんを供犠にして世界をすくうとか。
今しがた、綾波大尉を東方に、たった一人で送り込んだように。
わからない。けれど、あんた、私の中ではワンアウトだから。
赤い点滅を意識する。
レーコ姉さんの死の真実を識ること、地球を緑に戻す決意がなかったら、きっと艦長を今撃ってた。
まだ、できない。まだ、やらない。
それは後でもいい。
いまは戦闘を遂行し生き延びる。
そのためには、この狂ってるかもしれない艦長の戦闘キャリアとやらを利用するしかない。
そう、利用する。
私の願う緑の世界と、姉さんを弔うために。
そのために、仇だろうと利用する。
ソレだけの地獄を、私だって7歳から舐めてきた。
父さんと母さん、レーコ姉さんの形見すら、家と一緒に燃えてしまった。
私には、もうコレしか残ってない。
コレしか残ってない。
「ねえ、レーコ姉さん。
教えてよ。なんで世界を守ったの? こんなひどい世界なのに。
なんで私を助けてくれたの?
ううん。
艦長と副長。
なんでこいつらまで助けたの?」
皆、自らの業務に手一杯となっているために、北上ミドリのそのつぶやきを聴くものはない。
彼女の胸の奥、憎悪と疑念、それが導き出す殺意はあまりにも深く。
しかし、今日を死なないため、彼女は全力を尽くすと決めた。
生き延びなければ、目的を果たせない。
だから、今日に集中する。
北上ミドリは感情を切り替えた。
訓練されたオペレーターとしての自分に集中する。
遅いか早いか、ただソレだけっしょ。
碇シンジは、必ず殺す。
Īnterlude:END