あれから10年経ちました。 続・使徒に憑かれた三号機の中のアスカを助けに言ったら僕がヴンダーの艦長になった件について 作:モーター戦車
西の私達の群れが、消えた。
あっという間に。
竜巻に巻き込まれた小鳥の群れのようにあっけなく、この世界から消え去ってしまった。
碇シンジ。
NHGBußeを操る、Bußeの主。
彼が私達を消した。
なんの迷いもなく。
データベース上に存在する、彼のパーソナルデータではありえない行動。
けれど、この10年の彼の行動パターンに合致する戦闘行動。
優しかった彼はもういないのだ。
そう。彼は私達を殺してくれる。迷いなく、容赦なく。
『それはとてもうれしいこと』
それに、彼が私達を殺せなくて、彼とヴンダーを捕まえるなり、滅ぶなりしても、あの人が私達を消してくれる。殺してくれる。
ようやく私達は消えることができる。
それが私達の望みだから。
ほしいものは絶望。無へと還りたい。
この世界から消えたいの。いなくなりたいの。
それが私達の唯一の望み。
けれど、それはあの人が許してくれないの。
碇シンジとBußeを見つけ、滅ぼすか、捕まえるか。
さもなければ、碇シンジに殺されるか。
それが私達に与えられた役目であり、そして運命。
けれど、と彼女たちは思う。
碇シンジのATフィールド波とヴンダーが、急激に別の彼女たちのいる方角、北を目指して突進を始めるのを、官女たちは認識した。
そして、別のATフィールド波形を帯びたものが、彼女の方角目指して突進してくる。
波形照合。個体同定。
アヤナミシリーズ初期ロット。
現所属組織、ヴィレ。
エヴァンゲリオン弐号機担当パイロット。
パーソナルネーム『綾波レイ』。
私達の名を与えられた、最初の私。
綾波レイ。
それは私たちの一人だったもの。
今、たった一人で私達に近づく貴女。
貴女の望みは、いったい何?
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EVANGELION ∧ i : AAA Wunder S 3.33 『YOU CAN (NOT) TRIP.』Prototype
EPISODE:1 The Blazer
Dpart
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N2爆雷起爆カウントが進む中、綾波レイは弐号機及びフライトシステム後部に、N2爆雷の爆風から機体を保護するためのATフィールドを最大出力で展開しながら、深く自らを包むLCLを吸った。
あの人の、匂いがする。
もう10年乗っているのに、プラグからまだ、消えない。
弐号機の人の匂い。
副長の匂い。
式波・アスカ・ラングレーの匂い。
不思議、と綾波レイは思う。
エヴァンゲリオンという兵器は、機体とシンクロするパイロットごとにパーソナルパターンを記録したコアユニットが用意されており、搭乗者を変更するたび、それぞれのパイロット専用のものに、コアを換装する必要が生じる。
無論、液体呼吸による呼吸機能強化、およびショックアブソーバーを兼ねるLCLも随時交換されているし、エントリープラグももう耐用年数を過ぎてしまって、昔のネルフのものではない。
旧ネルフ北米支部のエントリープラグを基にL結界耐圧値およびシンクロ効率を高めたヴィレ独自のものだ。
ちなみに、旧アメリカ合衆国ネバダ州レイチェルにある米国空軍基地を間借りした、ヴィレ兵器開発局本部で作られている。
弐号機を構成する素体も都度都度損傷しており、各地のエヴァ予備パーツをもとに、入れ替えている。
テセウスの船、という程ひどくはない。
けれど、少なくとも、ロールアウトしたばかりの、新品の弐号機のままではない。
なのに、あの人の匂いを私は感じている。それはとても不思議なこと。
奇妙な感慨にふけりながらも、フライトシステムを構成する44Aコアユニットへもシンクロし、前方方向から機体全体、後方にかけ、弐号機とフライトシステムを包むようにショックコーン型にATフィールドを形成する。
複数のコアへ一個人がシンクロするというのは、昔であれば考えられなかったことである。
しかし、艦長と副長による、複数のコアの連結体であるヴンダー脊椎部へのシンクロ運用の長年の蓄積と研究、努力により、一個人による無数のコアユニットへの同時シンクロ技術が確立されている。
綾波レイが、フライトシステムを構成する44Aを、ダミー制御や電気パルスによる機械制御でコントロールせず、彼女自身でシンクロ・コントロールできるのも、この技法によるところが大きい。
ともあれ、超音速飛行に伴う機体の損壊は、避けなければならなかった。
N2融合反応爆発で急加速をかけた場合、後方の爆圧と熱量だけでなく、急加速に伴い、機体正面に発生する、圧縮された大気にも備えなければならない。
壮絶な速度で相対的に正面から飛来する大気の構成原子が弐号機正面に、灼熱の泥のように貯まり、弐号機を強烈に加熱し、さらに膨大な運動エネルギーで破損しようとするのだ。
いわゆる断熱圧縮と呼ばれる現象である。
大気圏に突入した隕石や人工衛星が破壊されてしまうのも、この現象によるものだ。
(イカロスの翼ってとこね。ヒトに赦されない速度で飛ぼうとするならば、翼は太陽ではなく、高熱高圧の大気によって焼かれるのよ。超音速飛行に限界があるのもそれで。戦闘機乗りの頃、よく悩まされたわ。
エヴァにはATフィールドがあるけれど、決してATフィールドは万能じゃない。超音速戦闘を行う場合、この点はよく踏まえておいてね、レイ)
本格的にヴンダーに乗り込み、艦載エヴァパイロットとして作戦行動を行うようになったころ、副長から受けたレクチャーの内容を思い出す。
カウント、0。
闘いに慣れた身体は、思考より早く襲いかかるGに備えた。
閃光。
周囲モニタが、一瞬白濁した。
次の瞬間、壮絶なGが綾波レイの身体を、プラグ内のパイロットシートに押し付けた。
全身の血が背中に引きずり込まれるような感覚、加速感。
キロトン級のN2爆雷の爆圧が、弐号機とフライトシステム防備に回したATフィールドに届き、凄まじい速度で弐号機を直接『押して』いるのだ。
現在の機体速度、秒速500メートル。
時速にして1800キロメートル。
マッハ1.5、戦闘機の戦闘速度に匹敵する速力までただ一瞬で加速したことを数値が示す。
重力加速度にして、およそ51G。
ヒトの肉体ならば即死を免れない壮絶なGの只中で、しかし綾波レイは生存し、その肉体は機能を続けている。
コア・ユニットを解した思考重力制御及び量子単位でのATフィールド保護が、Gを強烈に緩和しつつ、さらに肉体組織を無理やり保持されているのだ。
人間の身体は、脆い。脳など、それこそ豆腐のように柔らかく壊れやすいのだ。
それを保護するのは、ひとえにエヴァという存在の超常の性能と、その超常を演算し駆使するマギベース戦術ユニットによる思考フィードバックの著しい効率化に拠るところが大きい。
機械とヒトをつなぐことに拠る、能力の拡張。
文明。
生きたいという人の意志が、エヴァという超常の存在の出力を、さらなる高みへと押し上げている。
例え滅びかけていたとしても、ヒトという種の生き汚さ、強さが健在であることを、自分がこうして生きている現実が教えてくれる。
生きたいという願いが、ヒトをここまで突き進めてきた。
今、滅亡の瀬戸際にあって、ヒトの先鋭として私が居るのがその証。
数秒が過ぎる。
N2融合爆発の発生させた衝撃波と爆圧が、範囲拡大にともない弱まり始めているのだ。
フライトユニットの推進機各腕部および脚部、合計8基を駆動させ、重力偏向推進を開始する。
相互速度を計算に入れ、相対速度マッハ2.2で敵性飛行群に接近しつつある。
綾波は戦術を素早く脳裏で組み立てた。
(44Aの群れは単縦陣をくみつつ、こちらに接近中。
超音速では左腕部増設ガントレット兵装ポートの、ボフォース70口径40ミリ連装機関砲を使うのは無理。
それなら、上)
綾波レイは、フライトユニットの機首を上げた。
空間の重力偏向ノズルを偏向させ、N2融合爆発の最後の運動エネルギーの余韻を活かし、機体を一気に敵編隊上方へ、自機の上下を入れ替えながら突進させた。
突進する敵は、綾波レイの操る弐号機とフライトユニットに追随できず、そのまま直進を続けていた。
敵編隊直上500メートル。
ATフィールド中和可能距離。
天を下、地を頭上に、綾波レイは逆しまに44Aの編隊を見つめる。
敵44A先頭が、機首をあげようとする気配が見えたが、しかし、遅い。
「エヴァンゲリオン弐号機、敵編隊を捕捉。交戦、開始する」
言葉が通信としてヴンダーへと発信された刹那、
すでに綾波の操る弐号機及びフライトユニットは、敵編隊先頭めがけ急降下しながら、左腕部ガントレットに備えられた連装ボフォース40ミリ機関砲を構え、発砲していた。
N2セイリングのGに比べれば、無に等しいレベルにまで緩和された降下のG。
放った弾数は最小限。フルオート連射ではなく、機械制御で敵一機あたり3発、戦術システムアシストによる半自動照準のバースト射撃により丁寧に一機一機のコアを狙い、撃破していく。
新型装薬、劣化ウラニウム徹甲弾頭を使っているとは言え、1、2発着弾すれば砕けてしまう程度の脆さ。量産性を重視した、粗悪品という表現がしっくり来る。
単縦陣先頭から中央まで撫でるように放たれた無数の弾丸は、44A東部飛行群編隊陣形中央を貫くようにして弐号機が陣形下方へ突き抜けるまでに、15機が的確にコアを打ち砕かれ爆発、撃破されていた。
その爆風で、当然のごとく44Aの陣形が乱れる。
推進機による重力加速に、更に地球の重力を加えて加速しながら、さらに綾波は下降をかけた。
一撃離脱。
敵位置情報と行動パターンをモニタリングさせながら水平飛行に移り、次の最適攻撃ポイント算出を開始する。
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『弐号機、敵飛行群と交戦開始。
東部方面群、弐号機の攻撃により戦力の15%を喪失した模様。
弐号機、離脱しつつ再攻撃態勢へ移行中』
日向戦術長の思考を絡めた音声報告が、主機エントリープラグ内に響く。
さすがはレイ、と私は微笑った。
プラグ内サブモニタに映し出された、青い弐号機とフライトユニットの仮想戦術行動パターン図には、それだけの合理と美しさがあった。
まだろくに訓練も積んでいないのに、フライトユニットをまるで昔から使い込んでいたかのように鮮やかに乗りこなす。10年の歳月が、綾波レイというエヴァパイロットの才能を開花させた証が、無駄というものを削ぎ落とした、美しさすら感じる戦術行動パターン。
教科書どおり、なおかつ敵が捕捉し難い一撃離脱行動。
ミサイル時代のジェット戦闘機と言うよりは、古代のレシプロ機のような乗りこなしではあるけれど、ATフィールドを前提とした遠距離からの誘導兵器に拠る一方的な撃破が困難な空戦、そしてエヴァの質量による重力加速と、フライトユニットの存在を加味しても空中機動性がいいとはいいかねる性能を思えば、実に理にかなっていると思う。
もうエヴァの操縦に関しては、レイの方が巧いかもしれない、とさえ思えた。
あまりにも長くヴンダーのシンクロ制御に関わりすぎたせいだろう。
ヴンダーという巨大な鳥を動かすのに慣れすぎて、ヒトの形をしたエヴァを、昔ほど巧く動かせる自信が正直ない。
それに、と私は苦笑した。
目玉の中に使徒を飼う身の上、インパクトのトリガーになった前科持ちが、再びエヴァに乗るわけにも行かないものね。結果、色々あって弐号機をレイに譲ったけど、この結果を見れば大正解。
レイはいい仕事をしてる。
じゃあ、こっちもそろそろ仕事の時間。
正面戦術モニタに目を落とす。
距離2万、相対速度1500。
敵編隊はこちらへ向かいつつ、依然として上方へ機動中。
頭を取りに来てるわね、と軽く舌打ち。
地球の上で戦う以上、L結界による各種物理法則異常を踏まえても、多くの場所では下から上に登るより、上から下に落ちるほうが楽にできている。地球の重力のアシストを得られるからだ。
ヴンダーには重力を操る権能はあるけれど、総和として、地球の重力に抗うように飛ぶより、味方につけたほうが楽な事にはかわりない。
つまり正面の編隊は、ここ10年で会敵した44Aのぼんくら旧式と違って、何らかの更新が施されている可能性が高い。指揮能力の向上、戦術思考能力の向上、要素はいくらでも思いつくけれど、ネルフ本部が相手では、諜報でその辺りを探ることもできない。
探りを入れたほうがいいか。
「艦長、副長より提案。
正面44Aのフィールドパターン精査実施許可を求める」
『艦長了解』
「副長了解」
本来ならいちいち艦長相手に許可をとったりはしないけれど、このミッションは新規ブリッジクルーと、艦橋のLCLガスを利用したシンクロ戦術運用訓練も兼ねている。
口頭でこう報告しながらこう考える、頭の思考はこうまとめる、を新人たちは勿論、まだ完全にそれらの運用に熟達したとはいい難い旧ネルフスタッフの戦術長たちにも示す必要があった。
OJTが巧く行けば行くほど、艦長と私が楽をできるようになる。私達の闘いは、戦って勝てばそれでいい、というものではない。少しでも余裕と時間を作らなければいけない。
軍隊用語ではないけれど、報連相は大事なのだ。もちろんクルー・リソース・マネージメントも。
昔の私みたいに、ムカつく相手にがーがー言って、パワハラ威圧で無理やりいう事聞かせていればいい時代は、とっくの昔に過ぎてしまっていた。
マギプラスに思考をつなぐ。
脊椎部艦首部を励起し、敵編隊がATフィールドを展開する以上、かならず発生させる空間ゆらぎ、ATフィールド波形の探知と精査を開始する。
昔は使徒の識別にも使っていたやつで、使徒を探すにも便利なやつだし、勿論エヴァを探すのにも使える。ついでに言えばパイロットの個体識別すら、熟練すれば可能になる。
エヴァのATフィールドは、パイロットのメンタル波形が如実に現れる。脳波パターンに似た波形を持ち、精査すれば指紋のように個体照合さえ可能で、例えば蓄積データが多いアヤナミシリーズであれば、ロット単位での照合も可能なわけで。
L結界のノイズが有るけれど、近い。
ATフィールド波形を精査するには充分な情報量を得ることができた。敵編隊からの無邪気な、アヤナミシリーズ独特の、希薄な自我が感じ取れる。
そして、それ以外も。
あたってほしくないビンゴ景品に限って当たる。世の中ってのはつくづくそう出来てるわよね。
胸糞悪さを罵詈雑言として吐き出しそうになるのを抑えながら、艦長に結果を報告する。
「目標精査、正面編隊の大半は従来のアヤナミシリーズによる管制と認む。
ただし編隊内部に異なる波形を確認、精査完了。
波形パターン照合、合致率95%、パターンSと認む」
「パターンS、か。
手筋を変えてきた……罠があるね。これは。
……副長」
「気にしないで。
昔通った道、その再演よ。それはそれとして、あんたの父さん殴る理由、また一つ増えたわね」
『ああ、僕にも増えたよ。熨斗とナックルダスターもつけていい。
経費で落ちるよ多分。ミサトさんも殴りたいだろうし』
任務中だと言うのに、艦長が軽口を叩く。
一言で言ってしまえば、笑いに昇華しなければごまかせない程に、碇シンジはキレていた。
そして、キレているのは私も同じだ。
『パターンS。碇司令が?』
リツコが信じがたい、という口調で首を打ち振るのが、艦橋内部カメラから見えた。
『パターンSってなんすか?』
多摩ヤロウがよくわかっていない口調で質問を差し挟む。
わかっていないのだから当然そういう口調になるけれど、思考シンクロ中にこれだけ私と艦長がキレているのにソレを気取れないのはある意味逸材だと思う。
スコアはあいにく虚数だけど。
N2セイリングのGで一人だけ速攻で気絶してたし。
あと、思考と発声を一致させろと言うとろう、脳でぐちゃぐちゃ読み取りづらい考え方しながら口頭質問やめなさい、慣れてないだろうからからしょうがないけど。
『44Aの波形パターンは概ねアヤナミシリーズ固有のもので、これをパターンAと我々は呼称している。
つまり、それとは異なるということだ。別の量産型が制御システムとして乗せられている。
ヴンダーに乗り組んだなら、事前訓練資料に載っていただろう。
シキナミシリーズ。
ユーロネルフがかつて量産した、アヤナミシリーズとはまた別のエヴァンゲリオン運用特化型パイロット、その量産型だよ。つまりは副長と同型だ』
私と艦長に代わり、青葉戦術長補佐がにがりきった顔で答えた。
声音と思念に、露骨なしんどさを表しながら。
普段アヤナミシリーズばかり相手をしていて、シキナミシリーズを相手にするのは初めてであるがために、そういう反応がでてしまうのだろう。
私の姉妹を手にかける心地になっているのかもしれない。
でも、
「気にしないで、青葉戦術長補佐。
あれは私じゃないし、多分自我も相応に削がれて、長期作戦行動に特化させてあるわね。
44A用のアヤナミシリーズと同じよ。
遺伝子単位でそう仕込まれ、そう挙動するように仕込まれた木偶。
意志があるようにみえるかもしれないけれど、その脳機能の大半が、ネルフの作戦行動に都合よく機能するよう、意図的に不要な機能を損壊されたデザイナーズ・ブレイン、シリコンでできているかヒトの肉と遺伝子でできているかで、所詮制御システムでしかない。
どの道、振り払う火の粉は払わないと、こっちが燃えて死んでしまうもの。
容赦も人道も考えなくていい。撃滅あるのみよ」
『戦術長補佐、了解。任務に集中します。
多摩、そうことだ。つまり新型が来た、という認識でいい』
『新型……マジすか……』
『マジだ。ともかく管制に集中しろ。
それと、現在本艦艦橋は思考シンクロ状況にある。
言葉と思考を合わせろ。
マニュアル操作や言語入力より高速でのオペレーションを可能とするための思考シンクロ制御だ、脳みその使い方を変えるつもりで取り組め。艦長と副長の思考が一番強い、まだ早すぎて読み取れんだろうが、発声と思考合わせの参考になる。いいな』
『りょ、了解……』
いまいち煮え切らない多摩少尉はともかく、青葉戦術長補佐が即座に思考を切り替えてくれたのはありがたかった。私とゲノムの作りは同じとは言え、双子だの三つ子だのがライン生産されたようなもの、頭の中身に至ってはヒトとして作りながら機能特化するよう意図的に発育阻害を入れている気配すら感じる。
だから、切り替えてもらわないと困るし、切り替えてもらえたのでありがたい。
それに、事前の指示通り、ちゃんと多摩少尉の面倒も見てくれる気配のようで、安心する。今の所資質の欠片も見えないけれど、ここにいるということは、幾重もの選抜を越えて、ヴンダーのブリッジクルーの座に登ってきたということをしめす。
磨けば多分ものになるし、ものになってもらわないと、誰より艦長と私がこまる。
それはともかく、この盤面に、シキナミシリーズを投入した理由がわからない。
シキナミシリーズのゲノムコード自体は、ニアサード前に、ユーロネルフが日本のネルフ本部に私を譲渡する際、リツコに知らせない形で裏で入手していてもおかしくはない。
コードさえあれば、コアにインストール&サルベージで、いくらでも改設計と増産自体は可能。なんなら単性生殖による増産も理論上は可能らしい。あまり想像したくない景色だけど。
問題は意図。
向こうは飛行特化型。そして私。
そうか、ヴンダーとの戦闘は基本的に空戦か対空戦闘になる。
つまり
「Scheiße!」
思わずドイツ語で罵倒が出てしまう。
多摩ヤロウの文句を言えないわねこれじゃと反射的に思いもした。
けれど、まあ、ユーロのデータが渡ってるってことは、まだ私があの『幼稚園』に居た頃の思考記録だって腐るほど残ってる。
意図が見えた。
「艦長。推定だけど、シキナミシリーズ搭乗型は指揮官機の公算大。
マギプラスでの推定でも、85%での肯定。
長期間駆動目的、機体制御特化の44A用アヤナミシリーズは、戦術思考能力が低いのが問題点で、私達がつけ込める弱点だったけれど、指揮官ユニットを用意して指揮をさせることで、それを補うことができる。
戦術パターンは、ユーロ空軍時代の私の思考記録をベースで組んできてる可能性が高いから、集団戦はしてこないかもだけど、シキナミシリーズが戦術展開のための思考を行い、アヤナミシリーズがそれを受信して行動すれば、若干タイムラグがあるかもしれないけれど、当時の私と同レベルの戦術機動は駆使してくる公算が高い。警戒して」
『艦長了解。ライトハンガー、8号機及び無人VTOL、対空対空戦闘に備え、発艦用意。
副長、こっちも手数を増やしたい。副長は無人VTOLの重力操演用意。
操艦は艦長が担当する』
私の提言に、艦長が素早く決断を下す。
ATフィールド突破性能がない無人VTOLでも、44A相手なら嫌がらせ程度はできる。ライトハンガーの20機で、8号機と連携すれば、かなり状況を楽にできるはず。でも。
「重力斥力系は回して、艦内重力制御は副長持ち、了解。
でも操艦大丈夫? 私抜けると、キレ落ちるでしょ」
『承知してる。だから、マギプラスのうち、ユニット・コクマーの権限を一時的に譲渡してくれると助かる。数打ちの44Aでも、コピーロンギヌスという牙は本物だ。コンマ秒の遅れが本艦の沈没に繋がりかねない』
なるほど、マギプラスの保有割合を自分側に回すことで、艦長の自己演算力を底上げして、私が操艦からある程度抜けるわけね。
マギプラスは、都合6つの第7世代有機コンピュータから構成されたマギタイプ管制ユニットの最新型であり、3つに艦長の、そして残り3つに私の疑似人格がOSとしてインストールされている。リツコの母親である赤木ナオコ博士の、人間のジレンマを利用した相補性演算システムの延長線にあるもので、自分自身だけでなく他人という要素を加えることで、演算能力を飛躍的に向上させたシステムとなっている。
osが艦長と私の疑似人格であり、シンクロ制御とすこぶる付きで相性がいいのも、本システムのメリットだ。
6つの各ユニットには名前がつけられており、艦長の疑似人格を持つユニットがそれぞれケテル、ゲブラー、ケセド、私の疑似人格をもつユニットがそれぞれティファレト、ビナー、コクマー。
基本的に自分の人格をインストールしたマギユニットのほうがシンクロ制御が楽で効率がいいので、専ら自分の人格が入ったユニットを優先して使っている。
さらに各マギユニット同士の討議による演算処理は、マギプラス自体のOSに任せていたのだけれど、今回、私が担当するマギのうち、コクマーを譲ってくれと言ってきたわけだ。
ベーシックが私の疑似人格なので艦長の疑似人格のものより扱いづらいかも知れないけれど、ただまあ、私と艦長の関係性なので、そこはまず問題にはならない。
どちらかと言うと、問題は私側のマギが減ずることによる、無人VTOLの重力操演の精度低下にある。そこが懸念事項。とすれば。なるほど、人員増。それなら多少演算能力が落ちても。
私はリツコの端末と回線をつないだ。
「リツコ、一人だけ私とのシンクロレートを5%に上げたい。
長良中尉と私の思考回線チャンネル。いける?」
『2%増なら、おそらく問題はないわね。いきなり実戦?』
私の意図が読めたのだろう、リツコが呆れた顔をした。
「そう。艦長殿とおなじ、初手実戦。艦長には今思念承認とった。
私がシンクロサポートするから、大丈夫よ。
長良中尉、シンクロ環境だからもちろん聞いてるわね。
長良中尉、重力操演のアシストお願い」
『──了解です、副長。
しかし、私はシミュレートしか経験がありません。実機の運用は』
「大丈夫、最初は私が全機操作する。シンクロレート少しあげるから、機体のエンジンの回し方、ラダーの挙動、ほかにも色々あるけど、まあ感覚で覚えて。
ユーロ空軍元エースの実力を信じなさい、っても10年飛行機そのものは飛ばしてないロートルだけど、ヴンダーが搭載してるタイプのVTOLなら要領はわかるし、何事もやってみてからよ」
感情があまり感じられない、けれど緊張をはらむ長良中尉の思念を感じながら、私は努めて明るく長良中尉に語りかけた。気持ちもなるべく開く。
この辺のシンクロのアレは、おそらく互いの気持ちをどれだけ開けるかだ。
勘だけど、長良中尉にも思うところはある。ただ、北上少尉よりはきつくないし、任務遂行への真摯さも感じられる。訓練での操演の成績もいい。たぶん、いける。
『副長殿。何か、要諦はありますか』
覚悟を決めたのだろう、実直そのものの思念と言葉が、長良中尉から届いてきた。
やる気がある。いいわね、気に入った。
「そうね。尻」
『尻、ですか』
意味がわからない、という長良中尉の反応を感じる。
まあ、わかんないわよね。
とはいえシンクロ制御なので、仮想とは言え、コクピットに肉体がある感じで行くほうが、なんというか私には楽なのだ。レッドアウトもブラックアウトもヴァーティゴも心配ない、快適な仮想肉体による空の旅全力エンジンぶんまわしコースは、案外楽しいものだったりする。
でまあ、なんで尻かというと、戦闘機乗りの操縦の体重軸はそこだからだ。
尻と言うか尾てい骨。足はフットペダル使うので重量かけられない、だから頭、首、腕、手、両足、操縦に使う全ての身体機能の運動エネルギーが尻にくる。
行動を起こすのが尻、んで来た反動を流すのも尻。
武道でいう丹田とか、腰とか、そんなところ。
行動の重心であり起点であり根源なので、つまり私としては、空を飛んでてぶん回すときは意識は頭ではなくそこに軸というか、中心を置く。そうすると乱れない感じになる。
まあ気の持ちようで精神論なので、長良中尉にはわからないだろう。
そのへんは、やりながら覚えてもらうしかない。
長良中尉の了解の声を聞きながら、不意に北上少尉の思念の乱れに気づく。
次の瞬間、北上少尉が叫んでいた。
『弐号機周辺、敵行動パターン、変異!
下方へ離脱した弐号機を追尾しつつ半包囲、データにない速度で加速しています!
わっけわかんない、なんで44Aがこんな速いの!? ありえないっしょ!』
長良少尉に意識が行っていた一瞬に、敵の行動パターンが変わり、それを北上少尉が見逃さなかったのだ。なるほど、彼女の危険性を度外視して艦長が『乗せる』と決めたことはある。才能がある。
いえ、ずっと意識が弐号機にいってたし、姉とレイを重ねた結果かもしれない。
ともあれ、認識と報告は正確だった。
実際、先程までレイの掃射と一撃離脱で混乱に陥っていたはずの44Aが、突然錐揉み状態から立ち直り、従来にはない加速度で弐号機を追尾しはじめていた。
フライトシステム搭載、しかも重力利用して位置エネルギーで加速もかけている弐号機に、44Aが突然追いつきだす理由。なにがある?
私が思考するより早く、艦長が答えを口にした。
『まがい物でも、槍は槍。機体中央の槍にデストルドー探知させたんだね。
生物の全てが持つ『死にたい』という衝動、アポトーシスすら嗅ぎ取るセンサー能力。オリジナル・ロンギヌスの模造にすぎないとはいえ、その励起を可能とした、かな」
私のコクマーを得て演算速度があがったからか、状況分析速度が早い。
絶望の槍ロンギヌス。希望の槍カシウスの対。それによる急加速と追尾能力ならば、たしかに44Aの突然の性能向上も理解できる。やってくれたわね。
色々と違う、だいぶ違う。状況が違う、仕掛けられ方が違う。
だから、面白い。
不謹慎だけど、そう思ってしまった。
北上ミドリ少尉が、血相を変える。
『意見具申、直ちに弐号機の撤退許可を!
槍はわかんないけど、この速さで、相手がまだ8割いるのに突っ込まれたら、勝てないから!
離脱させないとだめっしょ!』
『北上少尉、わかった。その意見具申は承認できない。
互いの距離が離れすぎ、おそらくフライトシステム及び弐号機で全力推進をかけても、槍の権能から推定される速力から離脱することは不可能だよ。
ネルフ本部より強奪したデータを見る限り、理論上ロンギヌスは独力で第二宇宙速度まで到達可能。デッドコピーにそこまでの性能はないだろうけれど、まず無理だ。
綾波大尉には引き続き東部飛行群撃滅の任を継続してもらう』
『……あんた、やっぱりそうやって、アヤナミシリーズだからって、使い捨てて……!』
北上少尉の怒りと殺意が、極限まで低減されたシンクロ環境であるのに、明確に感じられるほど膨れ上がった。彼女の意識は腰。たぶん、拳銃のホルスター。
『北上少尉!』
咄嗟に日向戦術長が立ち上がって止めようとするのを、艦長が片手で制した。
真っ直ぐに、北上ミドリ少尉を見つめる。
無表情。真っすぐで、硬質で、けれど自らを疑わず、他人の言葉を聞く意思もある、強い、澄み切った瞳。
『違う。僕にとり綾波大尉は綾波大尉だ。
彼女は彼女だ。他の誰にも彼女にはなれない。
そこを取り違えてないでほしいし、そして君は綾波大尉を知らない』
「でも、85対1ぐらいよ数の差が! そんで、向こうは隠してた切り札切ったわけっしょ!?
どうすんのよ!?」
感情が御しきれていない北上少尉に、けれど碇シンジ艦長はどこまでも、静かだ。
子に言い聞かせる親のような真摯さ。
『あれすら敵の新たな手の一端に過ぎない可能性もある。
4年前の北海道でも、妙な手を使われて、僕たちは隨分きつい戦をしたけど、それでも勝てた。
そうだな、言い換えようか。
僕の言うことを信じたくないなら、信じなくても構わない。
けれど、綾波レイ大尉は信じてほしい』
「ええ、そうね。
北上少尉、私も艦長に同意よ」
『式波副長!?』
突然私の声が脳裏に響いたので、驚いたのか、北上少尉が瞠目している。
かなりシンクロ率を低減させているのに、反応がいい。
良すぎる、というべきだろうか。それはともかく。
「あんたはわかんないわよね。
でも、あの子が乗ってる弐号機は、そもそも私の乗機だった。
意味分かんないかもしれないけれど、私にとって、そこだけが世界で唯一の居場所だったのよ。
それを譲った。
譲っていいと思えたのよ。
弐号機を譲って、もう10年。それを、後悔したことはない。
今までも期待に応えてもらってきたもの。だから、あんまり舐めないでほしいわね。
綾波レイは、強いわよ」
北上少尉が、目を瞬かせる。
わからない、という表情だった。
状況はどう見ても圧倒的不利。
まして雑魚もいいところだったはずの44Aの突然の性能向上。
それで、パニックを起こすのは、わかる。
まして、彼女にとって、綾波レイという人間が、どうしても昔大切だった人と重なってしまうのもわかる。だからこそ。
綾波レイとあの人はちがう。
そして昔の綾波レイと、今の綾波レイも、違うのだ。
この終わりゆく世界で、信じてもいい、頼ってもいい、任せてもいい、大切な仲間で、そして友達。照れくさくて言えたことは一度もないけれど、それでもあの子は、私にとってはもう友人だ。その友人を、信じてほしいし、私も信じている。
彼女のキャリアと戦力。そして彼女自身が積み上げてきた、この10年の意思そのものを。
送られてきた戦況データを元に描画された仮想映像の中、弐号機が重力推進を用い、前方への加速を維持したまま、フライトシステムごと機体の前後を入れ替える。左腕のボフォース連装40ミリ機関砲の火線が、突進する44Aの群れを次々に叩き落とした。
しかし敵の数は圧倒的で、先程とはまるで加速が違う。
44Aの群れは、弧を描き、左右側面から、正面から、上下から、あるいは後背に回り込み、確実に弐号機を刺し貫くため、四方八方から最後の躍進を開始し、おそらく50機以上の群れが殺到し──戦術行動映像が消える。
あまりにも一箇所に密集したATフィールドにより、全ての通信の周波数帯が封殺され、弐号機からの通信が途絶。反応がロストした。
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突然、弐号機を追尾する、後方の44Aの群れが加速した。
脳にダイレクトに投影された、センサー範囲内の敵機が発揮する加速度は、明らかに過去のデータのそれを凌駕している。
一瞬綾波レイは数値を疑ったが、弐号機ATフィールド振動および、空間状況モニタリングで即座に理由を察した。周辺空間のデストルドー値が異常を示していた。
生命を死にいざなう衝動のパルスが、急激に上昇している。
コピーロンギヌスの覚醒。
紛いの槍でも、目覚めることはあるのね。
まがい物の覚醒、そのことに妙な感慨を覚えながらも、綾波レイの脳の戦闘を司る部分は、即座に状況に対応すべく、すでに動作をはじめていた。
空間縮退および拡大を用いた重力推進のベクトルは維持しつつ、弐号機左腕のボフォース連装40ミリ機関砲を後方に向けて全力で振るう。
連装砲本体のみでも10トン、弾薬および装甲、さらに弐号機の腕自体の持つ巨大な重量が回転運動を行うことで発生した巨大な遠心力が、弐号機とフライトシステムを左方向へ回転させた。
推進系とはまた別の、機位制御のための重力・斥力場を素早く機体の上下左右に展開、生じたモーメントを微調整し、機体がフラットスピン状態に陥るのを防ぐ。
後続の敵機を捉えた。
真後ろへの重力偏向加速を継続しつつ、突進する敵単縦陣正面の機体を狙い、操縦桿のトリガーを引く。
砲口初速が秒速1キロメートル以上、弾頭重量1.5キログラムの40ミリ劣化ウラン合金弾頭が、立て続けの轟音とともに銃身から躍り出た。
すでに、敵との距離が近い。即座に各目標を護るATフィールドへ中和をかける。
中和されたATフィールドの力場を突破した40ミリ弾頭の先鋒が、先頭の44Aのコアを捉えた。
劣化ウラン合金弾頭は着弾と同時に砕け散り、撒き散らされた金属粉末が、周囲の酸素と反応して1200度の高温で燃焼する。その熱量が周囲の空気を膨張させ、もとより着弾の衝撃で砕けかけたコアの只中で、爆発的な反応を発生させた。
44Aの、つくりが良いとは言えないコアは、それだけで容易に粉々に粉砕され、コア自体が巨大なエネルギーを発生させながら形象崩壊、さらなる爆発を引き起こす。
無論綾波は、後続の機体にも続けて弾丸を放っており、それ故に10機の44Aが、先頭機体の後を追うように、巨大な光の十字架となりながら立て続けに爆発四散を遂げた。
だが、それだけ数を減じてなお、依然として70機以上の44Aが高速で迫っていることには変わりない。秒間10発以上の連射が可能な連装ボフォースの発射速度を持ってなお、対応困難な規模の数。
次の手は。
脳が手段を探る前に、またしても敵の行動パターンが変わった。
相手の単縦陣が崩れる。いや、おそらくあえて崩したのだ。
散開、そして弐号機正面の視界の中、上下左右へ孤を描きながらバラバラに、しかし一定の距離を保ちながら飛翔していく。
対エヴァ撃滅を想定した、群体用戦術行動パターン。今まで容易に撃破させることで、あえて伏せていたのね。つまりは今回は本当に『殺しに来ている』。
綾波レイは、冬月副司令の仕込みと直感した。
しかし遅い。迎撃が間に合わない。
咄嗟に、左腕ガントレットよりも更に巨大かつ異形の、甲殻動物を思わせる巨大なガントレットに覆われた右腕を弐号機後背に伸ばし、腰椎背部兵装マウントに固定した試製AA刀のグリップを握った。ロック解除。刀身、電磁射出抜刀。
居合めいて引き抜かれた試製アンチATフィールド刀は、その名に違わず、最接近していた正面44AのATフィールドを、一瞬で機体もろとも逆袈裟に両断し、またしても正面で巨大な十字状爆発が生じる。
しかし、次の瞬間、強烈な『振動』が綾波レイの脳を『揺らした』。
四方八方、上下左右正面後背から一斉に迫りつつある44Aが、突然自らのATフィールドを一斉に『鳴らした』のだ。
その強烈な、思念波とでもいうべき、アヤナミシリーズの群れが発した量子的波濤が、弐号機のATフィールドに衝突する。
ATフィールドは心の壁。逆に言えば、自らを守りたいという心そのものを盾として、自らの肉体の守護にまわしているとも言える。いわばむき出しの心であり、心を攻撃できる手段があるならば、ATフィールドは絶対の守備防壁ではなく、むしろむき出しの巨大な弱点となってしまいうるのだ。
それは意思なき群体たる44Aの、意志あるものへの哄笑の如く、あるいは鎮魂歌の如く、綾波レイの聴覚野へたどり着き、速やかに綾波レイの思考へと浸透する。
ロンギヌス覚醒を見せておいて、本命は私の心だったのね。副司令らしい布石。
悟るが、遅い。綾波レイの視界認識が、思念のさざ波に乗っ取られる。
目に映る景色が、エントリープラグ操縦席から突如として変遷した。
=====================================
気づくと、綾波レイはパイプ椅子に座している。
懐かしい、中学時代の制服を纏っている。
舞台のステージのような、ワックスの光沢を放つ、年季の入った木造の床が見えた。
視線を上げる。
天井から降り注ぐスポットライトの光。
周囲は闇に閉ざされ、何一つ見えない。
けれど、闇の向こう側、彼女を包む好奇心と哄笑の気配を、綾波レイは感じ取る事ができた。
彼女たちの声が、彼女の耳に響く。
『貴女は誰?』
綾波レイ。
反ゼーレ・ネルフ軍組織、ヴィレ実働部隊所属。階級は大尉。汎用人型決戦兵器、エヴァンゲリオン弐号機パイロット。それが私。
彼女のその答えに、帰ってくるのはやはり無邪気な哄笑だった。
『違うわ。貴女は偽りの魂を碇ゲンドウと言う人間によって作られたヒトの紛い物。
ほら、貴女の中に、暗くて、何も見えない、何も分からない心があるでしょう?
本当の貴女。分かたれたヒトならざる魂がそこにいるの。貴女のその自己認識は、ヒトならざる魂が、ヒトの真似事をしているにすぎない。そう調整された、作り物の存在なの』
違うわ。
哄笑の群れに、綾波レイは否を唱えた。
私は私。私はこれまでの時間と他の人たちとのつながりによって私になった。
人との触れ合いと、時の流れが、私の心の形を変えていくの。
『それが、絆?』
問いに、綾波レイは無言でうなずく。
『道具としてしか見られていないかもしれないのに?
貴女の今が貴女からみえる。貴女たちの暮らす部屋には、インパクト発生の兆候が生じた場合、迅速に貴女を処置できる爆弾が取り付けられている。その爆弾が、絆の形?』
そう。見えるの。これは擬似的な魂の補完なのね。
ええ、そうよ。ヒトは、リリンは、エヴァのパイロットが怖いの。
だから、安心したいのよ。自らを殺しうるモノがあるならば、それを先んじて抹殺し、脅威を排除する。恐怖に素直なの。それがヒト。
『都合よく使われているだけなの。貴女もアヤナミレイ、私達と同じ。
死にたくならない? 私達は死にたいの。ほしいものは絶望。無へと返りたいの』
綾波レイは、思い出す。10年前、エヴァでしか他人と繋がれなかった、縛られた自由を知らない自分を。そして、答える。
そうね、そういう時期もあった。
0という、何も存在しない虚無へ帰り、暗く静かな安らぎの只中で消え去って、永遠の安らぎを得る。それはとてもとても静かで安らげること。それがきっと、あの頃の私の唯一の望みだった。いまの貴女達のように。
『今は、違うの?』
ええ。
首肯する。しかし、その上で綾波レイは否定の言葉を続けた。
でも駄目、無へは返れないの。求められているの。だから、そして、返りたくもないの。それには勿論苦しみと痛みをともなう。けれど、それが生きている証なのよ。
『苦痛が生きている証?』
ええ、そう。この10年でとてもたくさんの死を見て、沢山傷つく人を見て、私自身も傷ついた。
けれど、生きているという認識があるなら、生きていこうという意思があるなら、折れた骨も、魂を抉った深い傷も癒える。
立ち上がれるのよ。
何度傷ついても、辛くても、苦しくても、生きていけるの。
想いがあるなら、ヒトは自らを癒せるの。それが強さ。
『辛くて苦しいのに、不快なのに。
何故貴女は0へと戻りたくないの? 辛いだけの世界で、なぜ貴女は生きたいと願うの?』
その問いに、綾波レイは悪意なく、そして僅かに過去を振り返りながら薄く微笑んだ。
貴女達、贈り物を受け取ったことはある?
僅かな戸惑いの気配、心のゆらぎを、周囲から感じながら、綾波レイは言葉を続けた。
私はある。エヴァンゲリオン弐号機。
副長が、かつて自らの唯一の居場所と決めていたもの。
あの人を縛り付けていた鳥籠。
けれど、あの人にとって間違いなく、一番大切だった場所、いちばん大切だったもの。
それを、もらったの。あの人のくれた、大切な贈り物。
『それは兵器でしかないの。
ヴィレが貴女を兵器として使うため、弐号機を貴女に引き渡しただけなのよ』
貴女たちならそう思う。
貴女たちの乗るエヴァは、将来の約束された死と引き換えに、碇司令たちがあなた達に与えた道具に過ぎない。それは贈り物ではないの。そこに心はないのだもの。
『貴女は弐号機を受け取り、私達は44Aを受け取った。そこに違いはなにもない』
いえ、違う。武装貸与は任務遂行のため。
だからそれ以上のものはない。けれど、贈り物には、くれる人の心が込められているの。
祈りが込められているの。想いがこめられているの。
たとえどんな些細なものでも、そこに心が、想いがあるなら、それは本当の贈り物。
モノだけではないの。心を受け取るのよ。私のものではない、ヒトの心を。
それは決定的で、かつ絶対の違いよ。
『それは、貴女がそう思いたがっているだけ』
そうね。世の中の物事は、全て心が感じるものだもの。
だから、心のありようで、受け取ったものの意味は変わる。
けれど、私は確かに受け取ったの。副長の心を。あの、意固地で、素直になることを知らなかったあの人の想いを。不器用だけど、優しい人。三号機のときだって、あの人はそうだったから。
私の心はそう認識して、覆らないの。決して。単純な数学の問題でしかないのよ。
強い眼差しで、彼女は闇の向こうを見据えた。
ゼロ。0。零。レイ。それは私の名前。
多くの数式に組み込むと、その数式を壊し、結果を全て0にしてしまう、数式の価値をなくす死の数字。
でも、儚い数字でもあるの。何かの数字を足すだけで、0はかんたんに別の数字になってしまう。
例えばエヴァンゲリオン弐号機。私は、2を受け取った。
なら、結果は2になってしまうの。もう0へは、死を望む自分へは戻れない。
ゼロ足す2は、2にしかならないの。
とてもシンプルな式の解よ。
『そう。貴女は長く生きすぎて、自らの本質を忘れているのね。
表層意識が強くなりすぎて、アヤナミレイという本質が見えなくなっている。壊れているのね』
彼女たちなら、そう答えるだろう。それは、綾波レイには分かっていた。
かつての自分でも、そう答えたかも知れない。けれど。
弐号機だけではないの。いつか、碇艦長に飲ませてもらったお味噌汁の味。八号機パイロットが読み終えたからとくれた文庫本。加持さんとその仲間が、必死になって再生した、オアフ島の海のきれいな青。
そう。私は青が好き。いつか、碇艦長や副長と言った、海洋再生研究所の海の青。それが好き。
闇の向こうにいる彼女たちには、理解できないのだろう。
さざめきのように動揺した気配を、綾波レイは肌で感じ取る。
その動揺に、彼女は答えた。
あの日、私は水槽の中の魚を、ここでしか生きられないものと思っていた。
そういう儚いいのちだと思っていた。
けれど、違うのよ。もし世界が戻るなら、あの魚たちは、もっと広い世界で、自由に遠くまで泳ぐことができるの。この海が続く限り、どこまでも。
『貴女の認識は、綾波レイとして壊れている』
ええ、認識が違うのよ。
今は閉じ込められていても、将来は違うかも知れない。
そして、あの水槽で暮らしていた魚達の末裔は、あの狭い水槽の檻ではなく、より広いオアフ島の青い海で、昔よりも自由に泳いで暮らしている。
勿論他の捕食者に食べられることもあるかも知れない。水槽の中で暮らしていた頃のほうが安定した暮らしができるかも知れない。
けれど、そこに自由はない。だから、私は青が好きなの。私を縛る赤いさだめの向こうにある、それはきっと自由の色。
空の青、海の群青。私の目指したい世界の色なのよ。
『けれど、貴女は不安定な生命。本来はネルフでしか生きられない生命。いつか終わる定めの生命。自由を得ても意味がないのよ。活かす寿命がないのだから』
そう。私はかつてネルフでしか生きられなかった。
本来ならとうに形象崩壊してもおかしくない身体だった。
けれど、私は生きている。この世界に、まだ綾波レイとして形を保っている。
この体も、贈り物なのよ。艦長と副長、リツコ博士、伊吹さん、多くの人たちが、私の生命を伸ばしてくれた。きっとまだ伸びる。まだ遠くまで行ける。生きられる。
なぜならまだ生きているから。だから、可能性はゼロではないの。ゼロには、レイには決してもどらないの。不可逆的変異。
それが貴女たちにとって、アヤナミレイとして壊れていると映るとしても、私には関係のない話。そうね、平行線。貴女たちに私は理解できない。
『かわいそう。死にたい心、魂の本来の願いを、紛いの肉の与えた生きたいという願いが塗りつぶしてしまっているのね』
小さく、綾波レイはため息を付いた。
擬似的補完状態に、興味があったの。
だから、少し付き合ってみたけれど──やはり、群体意識を統合して擬似的な集合意識を創り出し、それを一つの意識として機能させようとしても、基礎値が均一では変動は出ないのね。
乱数がないの。意外性もなく発見もない。
10年前の空っぽだった私と変わらないもの。ヒトとしての数は貴女たちの方が遥かに多い。
ATフィールド励起による同型への精神侵食、アプローチとしては斬新ではあったけれど、残念ながら、想定の範囲内よ。
いえ、言ってもわからないわね。意味もわからず、遺伝子に、あるいは脳に、本能としてそう機能するよう仕組まれているだけ。プログラムそのものを実行に移しただけで、コードの意味を知りもしないのだから。
昔の幼かった自分より複雑な思考を、言葉として解き放つ。
闇の向こうから、明瞭な狼狽。
まだ気づいていないのね。貴女たちはみているつもりだったかもしれない。
けれど、逆なの。
見ていたのは私。見られていたのは、貴女たちよ。
ええ、逆だったの。最初から。
綾波レイの言葉と同時に、天井のライトが一斉に点灯した。
そこは舞台などではない。
第3新東京市立第壱中学校体育館。
かつて綾波レイが通っていた学校で、体育の授業や、集会を行うための施設。
60人以上のアヤナミレイが、体育館の床に規則的に並べられたパイプ椅子に座っていた。
皆、綾波レイと同じ、第壱中学校の制服を纏っている。裸形ではない。
綾波レイは体育館奥に設えられた、舞台の上に居る。
そして、静かにパイプ椅子から立ち上がり、一歩前に進み出た。
もはや、思念ではない。喉を用いた音声として、綾波レイは語りかける。
「エヴァを稼働させるダミープラグの装置として形作られたあなた達。
おそらくはプラグスーツすら着たことのないあなた達。
生まれてはじめて身につけた衣服はどう? 生地の柔らかさは? においは?
それは心地良いもの? それとも不快?」
もはや、闇ではない。意思なきはずのアヤナミレイの群れの表情に浮き上がるのは、無数の狼狽と困惑ばかりだ。彼女たちに衣類を纏うという概念はない。そのようにつくられたものだから。
「わからないでしょう。その機能、その認知は、貴女たちには本来必要のないものだから。けれど、認識できるでしょう? 私の記憶を感覚として、私が送り込んだものなの。
ええ、気づいたでしょう。侵食しているのは、もう貴女たちではないの。
ええ。最初から、見つめていたのは私の方よ。
選んでいたの。見つめていたの。
生きたい私と、死にたい私を見極めていたのよ、私ではない私達。
貴女達という群れの一人ひとりを見て、貴女達一人ひとりの本当を、私はずっと見つめていたの。
自分たちは同じだと思っていた?
違うのよ。設計図が同じでも、魂が同じでも、存在として、物体として違うなら、どうあがいても別の存在でしかない。一つには戻れない。一つにはさせない。
だからもう、終わりにしましょう。私ではない貴女達」
綾波レイはさらに一歩、前へと踏み出す。
アヤナミレイの群れは言葉すら返せない。走る狼狽が群体の集合意識の秩序を乱し、個々の魂、単独意識へと、綾波レイの言葉と心によって容赦なく分かたれていたのだ。
綾波レイは脳裏で聖書の一節を暗証する。
(我らくだり、かしこにて彼らの言葉を乱し、互いに言葉を通ずることを得ざらしめん)
同じ個であるがゆえに、統一され、群体として行動しうる存在達。
その可能性を、綾波レイはすでに考慮に入れていた。故に、対策として、集合無意識の秩序を分解、解体し、その意思を分かち、群れから個人へと貶め、群体としての統率を破壊することも可能なのだ。
アヤナミシリーズが織りなす群体への致命の毒としてのことば。
ヴィレの綾波レイのみが行使しうる、対アヤナミシリーズ特化戦術の発現。
綾波レイの右手の全ての指に、いつしか分厚い布地の嵌め輪が嵌っており、それらからは、無数の吊り糸が伸びていた。その糸は一度体育館の天井まで伸びて、そこから講堂床のパイプ椅子に腰掛けるアヤナミレイの群れ、その全員の首の後ろに繋がっていた。
綾波レイは、見下ろしながら、宣告した
「私が私を選定し、そして死を願うならば、その願いを叶え、剪定する。
この術式を使うのは、貴女達が初めて。
私と私の友達が、ヴィレの仲間が生きる自由のため、私が編んだ神話の模倣、人の傲慢とエゴの具現よ。
死にたい私が望む死を。生きたい私が望む生命を。
さようなら。そしてこんにちは」
対話の時は過ぎた。綾波レイの選定は終わった。
故に、彼女は速やかにプロセスを終了へとみちびいてゆく。
「右腕単分子繊維複合ワイヤーブレード、44A各エントリープラグ内、各個体への接続良好。
リビドー・デストルドー値、精査完了。
右腕ガントレットコア、最大出力。情動操作パルス、出力準備。
対アヤナミシリーズ専用攻勢術式、起動準備完了」
そして、綾波レイは、呟いた。
その右手には、もはや繰糸のみでなく、緋色に鈍く輝く、金属の刀が握られていた。
「そうね。試製AA刀では、想いの通りが良くないもの。
名前が大事。名前は意味。意味は想い。
私の想いを伝えるために、意味ある名前を与えるの。
今、銘を決めたわ。試製扱いは今日で終り。
術式、開始。コードバベル、起動。
死を願った貴女達に、終焉の鶏鳴を聴かせてあげる。
『存分に啼きなさい、ヒヒイロカネ』」
詠唱と同時、綾波レイは 右手の刀を、虚空めがけて横薙ぎに振るう。
なにか。
形容しがたい、とてつもない恐ろしいものが奔ったと、一部のアヤナミレイは感じた。
多くのアヤナミレイは、その逆に、奔ったものを歓喜で迎えた。
数十人のアヤナミレイが、一息に講堂天井目掛け、首に繋がった釣り糸によって引き上げられた。
次の瞬間、釣り上げられたアヤナミレイ全員の首筋から、一斉に血潮が迸る。
椅子にかけたままのアヤナミレイが、8人。
奔ったものを『恐ろしい』と感じたもののみが、未だパイプ椅子の上で震えている。
降り注ぐ血潮を浴びるその目には、明らかな怯えの色があった。
綾波レイはそれを見ない。もはや見る必要がない。
思考同調のための場、精神同調による擬似補完状態が崩れ、急速に視界が現実へと置換されてゆく。
如何に長く思われようと、マギシステムと同調した綾波レイにとり、この疑似補完場における思考時間は、実のところコンマ一秒程度の時間にすぎず、いわば邯鄲の夢にほかならない。
疑似補完状態の虚構が潰えた。視界が、完全に現実に戻る。
=====================================
全ては、一瞬だった。
敵がATフィールドを展開しながら包囲、突撃してくるその瞬間。
意識を侵食のためのATフィールド励起による侵食、疑似補完状態へ絡め取られる前に、すでに弐号機に備えられた戦術用マギユニット、自らの疑似人格がおさまったそれの非常時用プログラムを、即座に綾波レイは起動し、それに精神同調を実施した。
次いで右腕ガントレットへ送電し、内部に納められた、元は鹵獲した44Aに取り付けられていた、コア・ユニットを励起させる。
コア周囲には大量の糸車めいた、複合単分子ワイヤー投射ユニットが接続されていた。
脳の表層意識が、アヤナミシリーズの集合無意識に絡め取られていくのを自覚しながら、機械たるマギの疑似人格と接合した深層意識が、事前にプログラムされていた戦術軌道を展開する。
弐号機は、試製AA刀、『ヒヒイロカネ』と名付けた刀もろとも右腕を振るい、同時に接近する44Aの群れめがけ、12条の炭素複合繊維単分子ワイヤーを投射した。
単分子ワイヤーは重力制御および、攻勢侵食を目的として展開されたATフィールド推進により、凄まじい勢いで迫る12機の、コピーロンギヌスのそばをすり抜けるようにして、44Aを目指して、奔る。
ロンギヌスの槍、その権能はアンチATフィールドである。故に、この槍の穂先の周囲には、如何にその槍の操り手たる44AでもATフィールドを展開することができない。単分子ワイヤーの細さであれば、くぐり抜けられる程度の『穴』がある。
そしてそれぞれの44Aの機体表面へ伸びた単分子ワイヤーは、機体表層のATフィールドを、コアからの意思伝導でワイヤー先端に生じさせたATフィールドを以て位相を中和、44Aの機体真正面から、まるで液体を徹るかのように刺し貫き、言わば44Aの魂の座標、アヤナミシリーズの座するエントリープラグへと真っ直ぐに飛び込み、その隔壁を貫いて、LCLに満ちた内側へ飛び込んだ。
機体を管制するアヤナミシリーズの身体の周囲を、単分子ワイヤーは一瞬渦巻いて取り囲み、ワイヤー先端が首の後ろ、頚椎へと潜り込む。
識別と選定は一瞬。その個体が生きたいか、死にたいか。
リビドーとデストルドーの優位性を測るのみ。
設計上、アヤナミシリーズはタナトス、デストルドーを制御基板感情として運用され、死を唯一最後の報酬とし、それ故に己の死を辞さぬ作戦行動が可能となっている。
しかし、量産品であり、そしてヒトに近づけてあるがために、当然生への願望、すなわちリビドーを多く有する個体も存在する。
そして、次の瞬間、弐号機が振るった試製AA刀、『ヒヒイロカネ』より投射されたデストルドー波、死を願う強烈な心理衝動波動が、弐号機の斬撃運動に連動して発生、球状に周囲へと光速に近い速度で走った。
試製AA刀。
それは無人輸送専用に鹵獲した大量の44Aより取り外した、コピーロンギヌスについての研究過程で誕生したものだ。
インパクトや『人類補完計画』のトリガーの一つたる『槍』への研究と理解がまだ進んでいない以上、コピーの乱造、デッドコピーの贋作とて、ヴィレにとってはおろそかにできない研究対象であった。
これにより、槍が一種の生命であること、また金属としての特性と、変形性および靭性を有すること、一種の情報記録媒体として、人の意思を記録・媒介しうる事等、多くのことが明らかとなった。
試製AA刀は、その過程において、敵エヴァンゲリオンとの戦闘時において、驚異となるATフィールドへの対策としてコピーロンギヌスを素材として生み出されたものだ。
電気パルスによる擬似思念によって複数のコピーロンギヌスを変形させ、重力制御鍛造によって複層構造化されたインゴットを元に研がれたそれは、濃縮された『死への衝動』、いわばデストルドーの実体化とでも言うべきものであり、何らかの防護手段なくして近づいた場合、知性体のもつ死への衝動を強烈に励起してしまう。
L結界のなかであれば、即座に肉体の形象崩壊を招きかねず、非L結界環境下でも精神崩壊をまねくほどの精神汚染波動を発散する、恐るべき呪具となってしまったのだ。
コピーロンギヌスという未知の素材と、科学研究が生み出した忌み子。
現実に具現化された妖刀とでもいうそれは、研究対象としても危険過ぎる存在であり、生きる衝動たるリビドーを発信するように整形・鍛造された培養リリス系素材、『黒き月の石』の結晶を用いた鞘によって、発散デストルドーを中和することで、ようやく保管されていた。
触れ得ざるものとしてレフトハンガーに収まっていたそれに、長らく綾波レイは着目していた。
弐号機用の試作兵装である、単分子繊維複合ワイヤーブレード投射器は、本来近接戦闘用兵装である。
しかし、綾波レイは、この兵装を運用していく間に、ふと気づいたのだ。
単分子ワイヤーは導電性であり、その細さ故にATフィールドや重力制御による保持が必須であるが、切断力と浸透力に長ける。この世に存在するいかなる医療用メスよりも切れ味が良いのだ。
よって、プラグ内のアヤナミシリーズの脊椎神経を狙い、これに結合し、アヤナミシリーズの精神に強制シンクロすれば、綾波レイに酷似した、しかし任務遂行のためだけに単純化され、削られた脆弱な自我は容易に支配できることに綾波レイは気づいた。
よりヒトに近く、故に無駄が多く、余計な感情が多いがゆえに、意思としての権能は強く、強制シンクロさえできてしまえば、綾波レイの精神は、容易に自我が未発達なアヤナミシリーズの精神を、短時間ながらハッキングすることが可能とふんだのだ。
そして、それは実戦において確かめられ、綾波レイにとり、それは完全に戦術として完成されたものとなっていた。ヴィレの一部のメンバーの心無い者たちは彼女のことを「アヤナミごろしの綾波レイ」と言うが、実際のところ、それは事実でもあった。
しかし、とてつもない数を誇る44Aを筆頭として、ゼーレ及びネルフが繰り出してくる各種量産型エヴァンゲリオンの数はあまりにも多い。いちいち一体一体クラックしていたのでは、到底追いつかない状況も発生しうる。
故に、綾波レイは考えたのだ。
試製AA刀の発する強烈なデストルドーを利用すれば、アヤナミシリーズの根底にある死への衝動を励起し、自滅へと至らしめることができるのではないかと。
無論、試製AA刀のデストルドーを齎す波動は、綾波レイにも襲いかかる。
故に、それはマギシステムの疑似人格へのシンクロで対処した。
マギ内部の疑似人格より、強烈なリビドーの信号、「生きたい」という衝動を大量に脳に流し込むことで、試製AA刀の齎す凄まじい希死念慮を中和するのだ。
医療的に言うならば、機械的な形で行う抗うつ療法、脳への抗うつ電極治療や抗うつ剤の飲用といった施術や処方を、増設マギシステムへのシンクロによって行っている、とでもいうべきか。
そうして綾波レイが密かに研鑽し、研究した対アヤナミシリーズ専用攻勢術式、『コード・バベル』は、試製AA刀、綾波レイによって『ヒヒイロカネ』と名付けられた緋色の刀身の、声無き死の咆哮によって、ついに現実のアヤナミシリーズ操る44Aの群れへと、容赦なくその猛威を振るった。
綾波レイの操る弐号機へ、今まさに突入しようとしたある44Aの推進機たるコピーロンギヌスは、突如その軌道を別の44Aへと変え、突入し、諸共に自爆した。
ヒヒイロカネの鶏鳴が、アヤナミシリーズの根本衝動たる死への衝動を強烈に励起し、さらにそれは個体頚椎へ浸透した単分子ワイヤーからも容赦なく流し込まれていたのだ。
結果、コピーロンギヌスは目標を『誤認』した。
ヒヒイロカネの放つデストルドーは確かに強烈ではあるが、それは綾波レイという個人の願望ではない。あくまでもヒヒイロカネが放つ波動に過ぎず、それは個人ではなく、物体が放った物体の物理反応的なパルスパターンに過ぎない。
それを、ロンギヌスはヒトの衝動と認識できないのだ。
そして弐号機を操る綾波レイのデストルドーは、マギシステムより放たれた疑似リビドーによって中和されていた。
故に、コピーロンギヌスは、綾波レイ、入力されたターゲットによく似たメンタリティであり、そして綾波レイの弐号機よりも強烈なデストルドーを放散するよう、『コード・バベル』によってデストルドー出力を強要された別の44Aへその穂先を転じてしまったのだ。
あるいは集合無意識による意識合一が維持されていたならば、総体としてそのエラーをただし、デストルドーとリビドーを調律し、弐号機への再照準も可能であったかも知れない。
しかし、ヒヒイロカネの衝動を励起する恐るべき鶏鳴を聞いたアヤナミシリーズは完全な錯乱状態に陥ってしまっており、多くは歓喜、少数は恐怖に完全に溺れてしまい、結果として秩序だった自我の統一など、不可能となりはててしまっていた。
全ては急激に連鎖した。
相互衝突による自爆が最も多かった。
全速で海面へ、ATフィールドの保護を自ら切って突入し、粉々に砕け散る機体も多数出現した。
数秒後。
44Aは空中で相互衝突により、十文字爆発四散をとげるか、海面へ衝突して粉微塵と砕け散るかとなってしまっており、今や空中に残るのは、綾波レイの操る弐号機。そして綾波レイが選定した、『生きたい』アヤナミレイの44A、残存8機のみである。
綾波レイはヒヒイロカネを腰の黒き鞘に格納し、再封印を施した。
デストルドーの号泣が、リビドーに包まれ、眠りにつく。
残存44A各機と接続する単分子ワイヤーから伝わってくる感情は、純粋な恐怖である。
ヒヒイロカネの放った死の暴風を見て、『恐ろしい』と思ってしまったアヤナミレイたちが味わう、初めての感情。
「怖いのね、あなた達」
誰に言うとでもなく、つぶやく。
恐怖。それは、生きるための感情に他ならない。
自らを襲うものへの恐怖は、すなわち己の生命の持続を願う祈念の感情でもある。
あるいは、原初の海、まだ思考とも呼べぬ化学反応の組み合わせでしかなかった単細胞生命が、初めて覚えた『感情』こそは、恐怖であったのかも知れない。
在りたい。続けたい。
死にたくない。滅びたくない。
理由はわからない。そう思考する理由もない。
けれど、恐怖という感情は、出現した。
おそらくそうして生命は進化してきたのだ。
生きるために。恐怖と戦うために。
恐怖を凌駕するために、その能力を磨き続けてきたのだ。
脳機能において、恐怖と快楽はとても近いのだ。
恐怖から逃げ切った安心。
恐怖へ挑み、超克する満足。
脳裏で、綾波レイは恐怖する彼女たちに呼びかける。
徒に死を歓び、死を願うのではなく、それを怖いと思えた貴女達を、脅威として殺そうとは思えないし、思わない。生きたいと願えた貴女たちは、私と同じく、道具であること、ただ死にたいだけの自分を超克して、やがて自らの望みを、歓びを知れる可能性がある。
アヤナミシリーズは原則として、短命。それは事実。
けれど、とうに終わっていておかしくないこのいのちは、艦長や副長、赤木リツコ博士、伊吹整備長、多くのスタッフたちの研究と研鑽、その成果によって生きている。
私の心臓は鼓動を止めていない。瑞々しく生きている。
今日もN2セイリングのGに耐え、戦術機動をこなすこともできる。だから、まだまだ生きられる。
その成果は貴女たちにも反映可能なの。だから、貴女達の生命も伸ばせる。
制御機械の域に留めるため、封印されたヒトとしての感情を蘇らせることも不可能ではない。
それになにより、こちらの事情もある。
ヴィレにもクレーディトにも、人が足りないのだ。
無人艦による空中輸送には、無人艦を浮遊させるフローターが必須であり、フローターはもとはといえば、鹵獲44Aおよび、その制御を司るアヤナミシリーズというのが現状だ。
なので、当分はそちらで働いてもらいながら、施術と治療で徐々にヒトとしての機能を取り戻す。
まずは運び屋で食べてもらい、治療を受け、そうしていくうちに、個体ごとに異なる知性や経験が蓄積されていくだろう。願うこと、好奇心の対象、食べたいもの、差異がどんどんと生まれていく。
恋慕や愛情を抱く個体も出てくるかも知れない。
そうなれば、もう別人だ。
もとより人間が死にすぎて、人間が不足するこの世界。
人として生きていけるもの、生きていきたいものを、無駄死にさせる道理はない。
死にたいのならそれはいいけれど、生きたいものにそれを強いる気はない。
綾波レイは昔と違うのだ。
生きたいという強い思いがある。
見知らぬ、今日初めて出会った貴女たち。
私と同じ遺伝子を持つ、私ではない私の姉妹たち。
エヴァの胎内に押し込められ、生まれることさえ赦されなかった貴女たち。
恐怖は、貴女たちが自我に目覚めたということ。
それは生誕の証。
他には誰も居ない貴女という自覚。パーソナルの芽生え。
貴女たちのまだ見ぬ未来、まだ知らない青い海をいつか見せたい。
道具として、大量に創られてしまい、生きることの意味も知らず生まれてしまった無数の姉妹たちが生きられる世界を創りたい。
それもまた彼女が未来を拓きたいと願う強い動機であるのだから。
そして、綾波レイは腰の試製AA刀、今日よりヒヒイロカネとなった刀を思う。
死の衝動を強烈に膨れ上がらせる妖刀。
しかし、その強烈な死の衝動が、今日は彼女の生命を繋いだ。
死の概念の権化すら、人は生きるために応用できる。
ヒトという生物の歴史は邪悪にまみれているが、この死の権化の刀もまた、その一典型と言えるだろう。
生きるためなら何でもする、ヒトの浅ましさ、汚らしさを、今の彼女は好んでいた。
そう。諦めない。何があっても。
あの意固地極まりない艦長が教えてくれたこと。
生きるために逃げてもいい。戦ってもいい。
ただ、何があろうと諦めない。
何を使ったってかまわない。
生きているなら仕切り直せる。
生きているならまた挑める。
だから、絶対に諦めない。
碇くんは変わったのかも知れない。
けれど変わってない。
そういうところは、きっと変わっていないと思う。
重傷であるにもかかわらず、使徒迎撃のため、エヴァ初号機に乗り込むよう命ぜられた私の苦しみを見て、本当は怖くて乗りたくもないのに、エヴァに乗った経験もないのに、彼なりの決意で、乗ることを決意し、正しいかもわからないまま、ゆかねば、と思って進んだ彼の背中は、10年を経てより強く、私にとって眩しくすらある。
碇くんのために戦う。
私は私を諦めない。
ただ道具として創られた、死の望みを植え付けられた、けれど本当は生きたい、私ではない私も諦めない。
青い空の下の青い海。
だから、副長からもらった弐号機を、彼女は青く塗ったのだ。
ヴィレの緑とは少し違う、けれど同質の願いを込めた祈りの青に。
腰に帯びた死の剣の緋色は、流石に青く塗るわけにはいかないけれど、けれど黄昏どきの空と海と思えば、その色も案外悪くない。
ヒヒイロカネ。
それが、今日からのこの刀の名前。
未来と自由を切り開く、自由な生の未来。
そのまだ見ぬ世界へ至るための、死の衝動を操る剣。
存在しない嘘の歴史書に記された、存在しない金属の名。
想像、虚構より紡がれし名は、今日、実体として弐号機の腰に有る。
「ヒヒイロカネ。いい名前」
綾波レイは、呟いた。
この名をつけた理由は、色々とある。
けれど、一番の理由はこれだ。
「かっこいいから」
響きがかっこいい。
かっこいい。
それはとてもとても大切なこと。
「かっこいいもの」
大切なことなので二度言った。
時間を自分のために使う贅沢を止め、綾波レイは8機の鹵獲44Aを従え、ヴンダーに合流するため、再度飛翔を開始する。
戦闘は続く。
敵の手が読めない以上、彼女の闘いもまた続くのだ。
未だ怯えの色を見せる鹵獲44Aのアヤナミレイたちに、電気パルスの形で、今度は子守唄のように、心を安らがせる波長の信号を送り、彼女たちが安堵して飛行に専念できるよう調律しながら、彼女と弐号機、そして彼女に連れられた44Aの群れは北へ向かう。
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