あれから10年経ちました。 続・使徒に憑かれた三号機の中のアスカを助けに言ったら僕がヴンダーの艦長になった件について   作:モーター戦車

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第1話「ヴンダー、新たなる旅立ち」エピローグ Aパート

 四方を影が覆うネルフ本部司令室は、さながら無辺であるかの如く、広い。

 

 光源となるものは、彼方の壁の一つに設けられた大窓、その向う側にあるエヴァンゲリオン第13号機建造施設が放つコアの赤黒い輝きのみだ。 

 建造施設の中で流動し、ときに固体となり、ときに液体となるコアが、エヴァンゲリオンとして塑形されていく響きのみが、司令室のなかに、なにか巨大な獣の心音のように響いている。

 

 司令席に座する男の左後方に佇み、苦い笑みを浮かべながら、冬月コウゾウネルフ副司令は、先程彼女から受けた報告を思い出していた。

 

「航空特化型エヴァ44A300機以上が全滅、特別攻撃仕様エヴァ44K全喪失にもかかわらず、何一つず戦果なしだ。さらにゼーレの贋造使徒までもが喪失とは。

 北海道の時といい、つくづくやってくれる。流石にお前とユイ君の息子だけのことはある、というべきか」

 

 彼らの遥か頭上、音もなく沈黙する7枚の黒き石版は、再び完全に沈黙している。

 

「そして老人たちの反応も相も変わらず、だな。時折目覚めては理由も説明せず命令を下す。

 今回のNHG Buße攻撃についても然りだ。子供に使いでも命じているつもりか知らんが、あまり気分が良いものではないな」

 

「対応する裏死海文書外典の因果係数、それを導き出すフラクタル次元値を、未だ算出できずに居るのだろう」

 

 机の上に両肘をつき、己の口元を隠すように白手袋で包まれた両手を鼻の下で組みながら、赤いバイザーで眼差しすら隠した男──現ネルフ司令、碇ゲンドウはつぶやいた。

 

「あらゆる鍵穴を解錠しうる鍵であろうと、鍵穴の性質がわからねば、それを開くことはかなわん。高次元の存在は下位次元への干渉が可能だが、下位次元には下位次元の理がある。その理を暴かねばシナリオの運用はできんよ。

 

 これほどまでに選定に手間取るのは類例がない。過去にない変数が生じたのだ。故に老人たちは未だに使用すべき裏死海文書を選定できずにいる。今回の命令も、文書選定に必要となる定数と数式を導き出すための観測行為だろう」

 

 その時、不意に軽やかな、およそこの部屋の薄暗い空気と似つかわしくない、軽やかで重みに欠けた少女の声が、室内にこもる空気を軽やかに揺らした。

 

「で、ゼーレの少年も10年前に姿をくらましたままと来てる。彼も老人たちに劣らないゲームプレイヤーでしょうに、布石を打つ気配が見えないのよね。今の今まで。

 ヴィレに肩入れしているのなら、向こうの動きにもう少し様子が見えてもよさそうなものだけれど、貴方の『鍵』でもまだ観測できていないのでしょう?」

 

 暗赤色のネルフ高官制服に身を包んだ、薄い栗色の神を腰まで伸ばした細身の少女が、司令席のデスク、その右端に腰掛けながら、ゲンドウへ振り返りつつ楽しげに微笑んだ。

 

 青い瞳に、無表情なゲンドウの顔が映る。弾む鞠のようなリズムで、軽やかな響きの言葉が、その小さな唇から躍り出た。

 

「どれほど彼、渚カヲルという人物がこの実験場で円環を繰り返したかは知らないけれど、どんな雑菌がシャーレの上でコンタミネーションを引き起こしたやら。

 かといって終わるまでは踊り続けなければならないし、生命の書に彼の名を連ねてしまった以上、彼がどれほど期待はずれの行動を取ろうが、結末までは実験を続けないといけない」

 

「君自身もその因子の一つだろう。式波・A・ラングレー博士」

 

 ゲンドウは、彼女の戯れるような言葉に即答した。

 

「君が40年前に検知した粒子。存在したならばこの世界の不安定性を示す、いわば破滅の指標となる、ヒトにとってはイマジナリーでしかなかった、時を遡る虚数の粒子。

 君と北米政府は、それが何を起こしうるかも考えず、実に無邪気に運用した。ヒトとはそういうものだ。トリニティ実験において、あるいは核反応が地球全土を焼き尽くしうると忠告する科学者がいてもなお、核爆発実験が断行されたのに近似する。それが禁じられた果実であればあるほど、手を伸ばす。

 知恵の実を喰らい知恵を得たがゆえの宿業、原罪だよ。

 その後、君は密かに諫言を受けて沈黙を保ち、ゼーレは君が知らずに手掛けた計画をセカンドインパクトを機に中断させることに成功し、その指し示す事実の隠蔽に躍起となったが……それでも気づく者は円環の存在に気づいた」

 

 感情を示さず、微動だにせず、赤いバイザーの男は言葉を連ねる。

 

「三号機をきっかけとした過早な初号機覚醒、結果ゼーレは第10の使徒排除のためNHG Bußeを投入することとなった。ニア・サードインパクト時のヴィレの動きの早さは、不完全ながらも彼らも文書に相当する知識を得たという根拠たりうる。ゼーレは彼らにとり、不都合なシナリオを引いたと見てよいだろう」

 

「貴方の目にはどう映るのかしらね、このシナリオ。『鍵』を使ったのであれば、貴方にもある程度は見えてはいるんでしょ?」

 

 挑発するような少女の姿をしたものの声音に、しかしゲンドウは表情を微動だにさせていない。

 

「私は全てのシナリオで失敗する定めにある。それは私自身の弱さに由来することもあれば、他人を計りそこねた結果であることもあり、あるいは自ら諦め、喪失を受け入れることすらありうるだろう。何れにせよ私は失敗してきた。どのシナリオでもだ。たとえゼーレを出し抜くことはできても、自分自身は出し抜けない」

 

「つまり、貴方にとっては賭ける価値のあるシナリオってことね?」

 

「否定はしない。君にとってはどうなのだ、式波・A・ラングレー博士」

 

「私にとって?」

 

 式波と呼ばれた彼女は、彼が唐突に発した問いに、一瞬だけ意外そうな表情を浮かべたが、やがて蒼い瞳に、慈愛のような潤みと、深い笑みを口角に湛えて答えた。

 

「私はいいのよ。この狭い実験場から出られるのなら、どこだって構わない。

 目指すのはガフの扉の向こう側、ヒトの身では入ることを赦されぬ、マイナス宇宙のその彼方へ。

 

【私たちは足を踏み入れる、炎に酔い痴れつつ。天なるものよ、そなたの聖所へと】。

 

 つまりはYES。私は貴方を手伝うだけで、貴方は貴方の願いへ手を伸ばす。私はそれについていくだけのことよ。

 win-winの関係性よね。お互い組んだ理由はメリットがあるから。貴方は貴方の計画を続けなさい、碇ゲンドウ」

 

「ヒトが本来歩み入れぬ彼方への到達という盟約は果たそう。君はよく働いてくれている。

 第9の使徒の過早使用および、第二の少女および第三の少年への同時汚染はゼーレにシナリオの再選定を強いたが、シキナミシリーズの再生産および今回の再投入で得られたデータは、それら悪条件を埋め合わせるに足るようだ」

 

「どのみちフォースインパクトのための使徒の贄と、その器となる存在は不可欠なのよね。

 第9の使徒は第三の少年の想定外の行動で扱いづらくなったけれど、シキナミシリーズの選定に伴う魂の原罪因子濃縮化、それによる贄としての性能向上は、今回の実験で再度証明できた。

 再生産したシキナミシリーズは、全開よりより少ない人数での選定が行われたにもかかわらず、使徒の器として運用するのに問題ないスペックが出ていたわ。貴方の提案に基づいた、育成術式の変更が功を奏した形ね」

 

 少女の姿をしたものの言葉に、ゲンドウはようやく頷いた。

 

「ゼーレが贋造した使徒、エヴァンゲリオンの群体の疑似使徒体も、ニアサードで消費されたリリスの再構成へ至るに充分なデータを提供してくれた。

 シナリオへの起用と運用は、ゼーレが見出すシナリオ次第だが、算出に至る数値は整い、乱数は集約されつつある。シナリオの基となる外典の解錠まで、そう間もあるまい。君の尽力に感謝すると同時に、今後の貢献に期待する」

 

「ええ。私も期待しているわ、碇ゲンドウ」

 

 応えると、式波の名を持つ少女は軽くゲンドウに会釈し、立ち上がるとそのまま司令室を歩み去った。

 

 コアの脈動が放つ赤い光に照らされた司令室に、しばしの沈黙の帳が降りる。

 そして、冬月コウゾウは口を開いた。

 

「式波・A・ラングレー博士。旧北米航空宇宙局所属。その後ユーロネルフにおいてシキナミ計画責任者として第二の少女選定を実施、ゼーレと結びついたのはユーロネルフにおいてか、あるいはそれ以前からか。

 お前は彼女を信頼しているのか、碇」

 

「彼女は我々と同じ、サトゥルヌスの類だ。己の願望を叶えるため、我が子を喰らい糧とすることを厭わない。

 人の善意は気まぐれに変わるものだが、悪意はそうは揺らがない。故にこそ彼女は信頼できる」

 

 冬月に視線を向けることなく、碇ゲンドウは答えた。

 冬月は顔を顰める。

 

「善意よりも悪意を信じるか。お前らしいがな。

 善意が信頼に足りないのではなく、善意が恐ろしい、の間違いではないのかね、碇?」

 

「何がおっしゃりたいのです。冬月先生」

 

「昔のことを思い出していただけのことだ、碇。

 まだユイくんと、彼女が居た頃のことをな。そしてユイくんを喪ったときのことを」

 

 ゲンドウは答えない。彼の心象を表すように、司令室には影が蟠ったままだ。

 冬月は、構わず言葉を続けた。

 

「ユイくんの葬儀が終わったあとのお前たちは、見られたものではなかったな。

 お前も、母の死を悟ったお前の息子も、荒れ果てていた。

 あれは、生活と呼べるものではなかった。お前たち親子はユイくんの死を受け入れられなかった。

 見かねた彼女が世話をしたが、お前たち親子は、そうすればユイくんが戻ってくるかと信じているかのように、食事を拒み、何もしようとしなかった。生きる行為の全てを放棄していた。息をし、鼓動するだけの人形のようだった。 

 碇。あの時お前が彼女を拒絶せず、受け容れていたならば、お前もお前の息子も、世界も、こうはならなかったのではないか?」

 

「彼女が見かねたのは私ではない。彼女が愛していたのはユイであり、ユイの息子であるシンジですよ。

 私はシンジのついでに過ぎない。なにより私は、彼女の好意に値する人間ではない。そのような価値は私にはない」

 

「その頑なな思い込みが彼女を傷つけた結果、彼女は我々の元を去った。そうは思えんか」

 

「仮に先生の言ったことが正しかったとして、私に何ができたというのです。

 その頃の私にも、そして息子にも、何一つ望みもなく、願いもなかった。

 あるいは飢えて病んだ心のまま、二人とも懈怠のうちに死ぬべきであったのかも知れない。

 そうすれば私も、息子も、今日の生の苦しみを味わうこともないまま、おそらく終わっていたことでしょう」

 

『鍵』の作用によるものか。冬月には、彼の言葉から感情を感じ取る事はできなかった。

 だが、その言葉の内容からは、どこか復讐にも似た響きがあった。

 

「それに、先生。お忘れですか。餓死しかけていた私に、セカンドインパクトの真実と、人類補完計画という希望を与えたのは彼女です。そして補完計画を知った私が、母の死を受け入れられないままにいた息子のため、ユイと、ユイにまつわる記憶の消去を依頼した時、彼女は応じた。

 そして施術後、息子が再び食事をできるまで介護を終えた後、彼女は姿を消した。ええ。私からも、息子からも、そしてユイからも、彼女は逃げ出したのです。

 いずれにせよ、定命の私に、永劫に近い時を生身として生きた彼女の心を測る術などありません。私に彼女を縛る権利もない。過ぎた話です。喪った機会は戻らない。我々はもはや我々の計画を遂行する以外に道はない。──違うか、冬月」

 

「歳を取ると、昔語りが増えるものだ。選ばなかった道、選べなかった道を振り返り、その可能性に思いを馳せる。

 希望や絶望とはまた違った、憧憬という名の病だよ」

 

「その病も、計画遂行の暁には癒える。問題はない」

 

 そうかね、と内心でのみ冬月は答える。

 

 司令室には、それきり沈黙が満ちた。ケモノの心音に似た、建造施設の脈動音のみがただ響く。

 碇ゲンドウもまた、彫像のごとく、同じ姿勢のまま動かない。頭上、円形に浮遊する、老人たちの墓標じみたモノリスのように静謐だった。

 

 それでも、冬月は内心で続ける。

 

 だがな、碇。仮にユイくんの魂が二度と還り得ず、それが死と同義であるならば、それは侵すべからざる安らぎではないのかね。無論、私にも彼女への再会への欲があり、その希望故にお前の計画に乗った。

 

 だが、それは彼女を傷つけてまで行うべきものだったのか。

 ユイくんがこの世界から消えた後の、彼女の辛さと苦しみと、その努力を観ていた。その努力が実らなかったことも、それがどれほど彼女にとって悲しいことであったかも。

 

 なあ、碇。お前は忘れてしまったかも知れないが、お前を見出したのはユイくんではなく、彼女だった。

 お前とユイくんが結びついたことを誰より喜んだのも、お前の息子が生まれた時、誰よりそのことを喜んだのも、彼女だった。

 ユイくんの葬儀の時、誰よりも悲しみ、泣いていたのも彼女だった。

 

 碇。私は女性には疎いが──女というものは、嫌いな人間の胸では泣かないものだ。

 あの葬儀の日、悲しみに耐えられず、お前の胸に顔を預け、お前を抱きしめ、泣きじゃくる彼女の背にお前が伸ばしかけた両手を私は観ていた。

 お前はあの日、彼女を抱きしめるべきだったのではないか。生活が壊れ、食事すら取れぬように成り果てる前に、お前もまた、彼女の胸にその悲しみを吐き出すべきではなかったのか。

 

 いや、これに関しては碇の言うとおりかもしれんな。お前はともかく、お前の息子がそれを受け容れられたかどうか。

 過ぎたことだ。もはやどうにもならない。これは、未練という染みで穢れ、古びた悲しみでしかない。

 

 だが、それを言うならば──なぜ、君は再び現れたのだ。

 

 冬月コウゾウは、かつて彼の教え子であった女性のことを思う。

 

 君が、碇やユイくんたちと老いてゆく道を選んだことを──加齢し、ただの人間として終わっても構わないとすら考えていたことに、私はあのとき、気づいていた。

 本来は不老の身のはず。成長しないはずの身体が、碇やユイくん達同様に成長し、変化していくということは、君がその道を選んだ、ということにほかならない。

 

 だが、あの日──ユイくんの息子が再び食事を取れるようになるのを確かめ、我々のもとから去ったあの日、病院から去る君の背中は、いつかの幼さを取り戻していた。時を巻き戻したかのように。

 

 それを、私は君の碇への、ヒトへの諦めの顕れと考えた。

 

 だが、その幼い姿のまま、10年前、君は再び現れた。

 そして、未だに我々に抗いつづけている。

 世界の終わりを座して観ていられなくなったのか。

 あるいは、ユイくんの息子が理由か。

 

 真希波マリくん。あるいは、イスカリオテのマリアと呼ぶべきか。

 我々は何を誤ったのだろうな。果たしてどうすべきだったのか。

 

 ユイくん。

 なぜ君は、皆に黙って、コアへ消える道を選んだのだ。

 何故。何故──

 

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 EVANGELION ∧ i : AAA Wunder S 3.33 『YOU CAN (NOT) TRIP.』Prototype

 

 EPISODE:1 The Blazer

 

 Epilogue Apart

 

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 オアフ島沖防空戦より一週間後。

 

 泊地たる蒼い海へ投錨したAAAヴンダーの周囲には、地球では最早貴重となった30万トン超級、全長300メートルを優に超える超大型タンカーが、何隻も群らがっていた。

 全長2キロをゆうに超えるヴンダーからみると、それらの船ですら小舟に見えるが、この星に残された動力存在では、ヴンダーを除けば、人類に残された最大クラスの輸送能力を誇る存在である。

 

 それだけの輸送力を誇る船舶複数隻が臨時に動員され、先日人員受け入れ及び物資搬入を終えたばかりのヴンダーに再補給が行われるということは、それ相応の被害がヴンダーに生じていたことを意味していた。

 

 それらのタンカーの甲板上に、重力操演の荷役浮遊船や、あるいは民間輸送艦「おおすみ」所属の輸送特化型エヴァ44Aの群れが取り付いては、複数のコンテナを増設クレーンアームで引きずりあげ、胴体下部マウントに接合したラックに納、ヴンダー左右胴体のハンガーへ運び込んでゆく。

 重要区画への装甲防御、超硬アダムス組織、ATフィールドによる三重の護りを施したヴンダーは、先の防空戦において、敵の攻撃による直接的な被害をほぼ受けていない。にもかかわらず、内部には修理を必要とする箇所が、大量に発生していた。

 

 損害がでたのは、主に動力伝達系及び、居住区画たる耐圧コンテナ区画および通路施設である。人口減の結果、有人化のための耐圧プレハブ増設工事の際の人員不足による、工事の施工内容の質の劣化露呈した状態となっている。

 また、工業生産を担う生存圏の生産するプレハブ構造物用の合金鈑等も、その品質が劣悪なものとなっており、ヴンダーの戦術機動に追随できず、各所で配管やパイプ、隔壁に破断・亀裂が発生しており、それらの修復が急務となっているのが現状である。 

 

 またN2オーバーロード運転により、補機N2リアクターにも、高雄コウジ機関長の必死の努力にも関わらず、無視し難いダメージが発生していた。ATフィールドに保護された炉心を始めとする主要区画はともかく、修復・交換が必要な部分があまりにも多い。

 

(ま、ちょっと艦長と副長が本気で動かしたらそれだけでボロボロになっちゃったってことだにゃー)

 

 などと思いながら、ライトハンガー前縁開口部、カタパルト延伸部脇の整備通路のフェンスに背を預けつつ、腕を組みながら頭上の青空を見上げた。

 しかも今回の戦闘で、離艦希望者が100人近くでたとも聞いている。

 

 間宮っち、主計科の人づてに総司令宛の報告書と、追加補給依頼の書類を渡してきただけで、あの戦闘以来、全然顔みせないけど、何しろ主計科、人員再配分から部屋の割り当て直し、修復作業に伴う人員労働時間管理やらなんやらで、今もてんやわんやなんだろうけど、間宮っちのが身体壊さないか心配だよねー。ほんとうちの艦長と奥さんは容赦ってもんがないにゃ。人類減ってるのに無理な施工して、それで無理な飛ばし方したらそれは壊れるよね。

 

 とはいえ相手はゲンドウ君、下手に手を抜ける相手じゃなし、武人の蛮用がきかなきゃ意味がないのも確か。

 うーん、痛し痒しだにゃー。さーてーさてさて。

 

 などと考えながら、視線をハンガー側に投げると、今の彼女の同居人が、白のプラグスーツに実験用の白衣を羽織った姿で、右手に大きめの金属トランクを下げたまま、わずかに距離を置いて、赤い瞳で無表情にマリを見つめているのが見えた。

 綾波レイ。AAAヴンダー所属。エヴァンゲリオン弐号機パイロット。

 真希波マリ同様、カタパルト前着艦エリアに到着する予定の、同じ待ち人を待ち待機中、といったところだ。

 

「ナミナミ、そんなに私が空見てるのが珍しい?」

 

 なんとはなしに声をかける。

 

「いえ。貴女が本を手にしていないのが珍しいと思っただけ」

 

「それ人のこと言えなくない?」

 

 真希波マリの問いに綾波レイは首を振ると、左手で白衣の腰のポケットから、掌に収まる程度の、白いプラスチックと液晶画面で構成された小さな端末を取り出した。顔が引き締まっている。

 

「大丈夫。艦内用のスマホがある。これがあればいつでもマギプラス内データベースの電書が読めるから」

 

「えー」

 

 真希波マリは思わず渋面を浮かべてしまう。

 

「ナミナミほんとスマホできてからそればっかだよねー。

 そのちっさい画面で文章読むの、目が疲れない?」

 

「何事も慣れ。ちょっと検索をかけるだけで、読みたいときに読みたい資料が読めるのはとても気持ちがいいこと。快適なの」

 

 無表情かつ無感情な応答。しかし語彙の選び方、顔の引き締まりかたからして、明らかな熱意。

 綾波レイはともかく現存する本の電子データ化に熱心で、手持ちの本を読んだ端から裁断してスキャンし、電子データにしてマギプラスに保存、誰でも見れる電子図書館を艦内サービスとして展開している。艦長と副長の承認つき、一次改装の頃から乗り込んでいる旧ネルフのブリッジクルーにも頗る付きで評判がいい。

 

 字が読めるのがヴンダークルーの条件なので、離艦者が100人程度ですんだのも、ナミナミがひっそりこういう福利厚生サービスをがんばったおかげかもにゃー、などと真希波マリは思ったりもする。

 

 人の蔵書まで裁断してデータベース化して艦内クルーにシェアしちゃったもんにゃー……裁断してバラされた時は3日ぐらい泣いたかも。でもその後、裁断前よりきれいになって復元されて戻ってきたからなんかよくわからない事言いながら抱きついて褒めたらドン引きされた記憶があるけど。何言ったんだっけ? まあいいか。

 にしても、である。

 

「わっかんないなあ。紙のにおい、重みがあってこその本だし、ページをめくらないと読んだ気しなくない?

 面白いけど今日はここまで! 続きが楽しみ! って栞を挟んで続きを楽しみにする興奮感とか、残りページが少なくなっていくのが目でわかる寂しさとか、読み終えて『読了』の箱に仕舞うときの達成感とかが無いじゃん電子書籍ー。

 なんかスクロールしたり、ぽちぽちしてめくったり……読んでる感と達成感がほらさー、そのさー」

 

「わかる。それはわかるけれど、人類世界は日々進化中。人類が減っても変わらないの。

 業務が忙しくてスキャンにしか手が回っていないけれど、人員が増えれば私にも余裕ができる。そうしたら、文字列ごとに即座に検索を入れたり、マギプラスの翻訳精度を上げて知らない言語の本でも容易に読めるようにしたり、わからない用語を軽く叩くだけで関連書を呼び出して調べられるようにしたい。現状艦内限定だけれど、時代はインターネットなの。変化を受け入れるしか無いわ」

 

「それはわかるけどさー……竹簡が紙に駆逐されたときみたいなパラダイムシフトなんだろうけど、こうねー、ロマンがさ……」

 

「わかるけれどロマンで知識は膨れないの。わかるけれど。変換期に生まれたことを喜んだり悲しんだりするといいと思う」

 

「ナミナミ、それ感情の方向逆じゃない?」

 

「悲喜こもごもを楽しむまたとない機会」

 

「それ用法正しいのかにゃー。いや混じってるって意味じゃ正しいけど」

 

 などとぼんやりとした日常会話を交わしている間に、待ち人が来たようだった。

 

 太陽を背に、丸く黒い影。

 ばらばら、と巨大なプロペラが空気を叩く派手な音を立て、何かが上空から舞い降りてくる。

 全長全幅4~50メートルほどの、どことなくパンケーキを思わせる円形の、深緑色に黄色のラインのモノコック構造機。

 機体後方に左右1セットずつの垂直・水平尾翼、胴体左右に可動式ティルトローターおよび、回転する大型プロペラが増設されている。

 しかし更に胴体左右および後方に突き出している重力制御ユニットは、そのモノコック構造内部にあるのがエヴァ44Aであることを雄弁に物語っている。

 胴体下部外皮が開き、衝撃緩衝用屈曲構造を備えた着陸脚部が4脚、機体下方へせりだした。

 そして、その機体は目前の着艦エリアに、緩やかに舞い降りる。

 

 待機所から甲板作業員が出てきて、速やかにフックワイヤーで機体を固定する。

 機体下方中央ハッチが展開し、44A用球形エントリープラグがせりだし、プラグ前方の搭乗用ハッチが開いた。

 内側から、ストレートの茶色のセミロングヘアを背中まで伸ばした、機体色同様、深緑色に黄色のラインの、やや厚手のプラグスーツを纏う14才程度の風貌の、顔立ちの整った緑色の瞳の少女が顔を出し、機体の係留作業中の作業員を物珍しげに見つめている。

 

「へー、ヴンダー、人員増やすとは聞いてたけどほんとに増やしたんだー。

 うれっしー、つまりあっしんとこも仕事が増えて商売繁盛じゃんねー!」

 

 叫び声を上げるなり、喜色も顕に笑顔を浮かべると、軽やかに展開したハッチから少女は飛び降りる。プラグスーツ腿に追加された開閉ポケットを開くと、ケースを取り出して開き、係留作業中の甲板作業員一人ひとりに何事か挨拶しつつ、なにかの紙片を渡して回っている。甲板作業員はひたすら困惑している気配だったが、少女はお構いなしである。

 

 クロちゃん、ホント元気になったにゃー。

 うーん教育の賜物か、あるいはそういう資質だったのか、ホント運命ってわかんない。

 

 その様子を見定めた綾波レイが、艦内用スマートホンの通話機能をオンにし、顔の横に当てた。

 

「鈴原少尉。『おおすみ』艦長、クロスレイ・SS・大隅中佐相当官到着を確認。

 待機中の皆の誘導をお願い」

 

『はい、了解です!』

 

 返答を確認してスマートホンを切り、白衣のポケットに戻す。

 

「えー、あの子達もう『おおすみ』行き!?」

 

 真希波マリは驚く。44A用に量産されたアヤナミシリーズは、自我が希薄であったり、肉体構造が人からややかけ離れており、非L結界地域だと容易に形象崩壊してしまうので、再調整に相応の時間がかかったはずだ。

 先々週までは最低でも一ヶ月程度の調整が医療科で必要、と記憶していたけれど。これ、なんかブレイクスルーでもあったかにゃ?

 

「人類世界は日々進化中。人類が減っても変わらないの」

 

 綾波レイの声音にはいつもどおり表情がなく、しかしマリの方へ左手を上げ、サムズ・アップしてみせた。

 つまりはナミナミが待ってたのはクロちゃんに会いたかったからとかじゃなくて、渡しものがあったからってことかな?

 

 などと真希波マリが物思いをしている間に、ようやく深緑色のプラグスーツの少女──空中輸送艦『おおすみ』艦長にして、民間物流企業『くろねこ運送』現社長、クロスレイ・SS・大隅中佐相当官がようやく真希波マリと綾波レイの存在に気づき、大仰に手を振りながら満面の笑顔で走り寄ってきた。

 

「おーっす、マリ姉さん、綾波姉さん、久しぶりーっす!

 いやーお二人ともお元気そうでなにより! あ、名刺新調したんですけれど要ります?

 いえ特に内容かわってないですけど」

 

「そう、名刺はいい。それより元気で良かった。不調はない?」

 

 綾波レイが、珍しく微笑みを浮かべながら言う。目つきも普段の表情なき自然体と異なり、柔らかい。

 母親が娘を見る目、とでもいうか、すくすく成長した妹を見る姉の目というか、ともかく家族を見るたぐいの優しい目だ。

 

「あっし? 綾波姉さんのおかげで絶好調っす! いやー施術でかわるもんですねー体調って。

 ご飯もなんか気のせいか美味しいですし! ペースト食ですけどこう香り? 風味?

 ていうかご飯! 最初口の中がヘンでおしまいだったのに、味がねー! 味! こう、身体が喜んでるのが味覚の変化で分かるのがねー、人生ですごいディスカバリーでしたよディスカバリー! 発見!」

 

「わかった。落ち着いて」

 

 流石の綾波レイも困惑気味になっている。うわー、いっつも以上にテンション高いなぁと思いつつ、理由を真希波マリは考えて、ふと彼女の髪を見る。それで、気づいた。

 

「あれ? もしかしてクロちゃん、それストパ?」

 

 真希波マリの言葉に、クロスレイ・SS・大隅中佐相当官が目をキラキラさせながら振り返る。

 

「さーっすがマリ姉さん! そうなんすよストパいれたんすよー、あっしほっとくと髪質がアレだからもさーってなっちゃうじゃないですかー、ここの副長さんやマリ姉さんがすっげー羨ましくてー、ウチ配線絶縁用の塩化ビニール製造工場とも取引あるんでー、そこ調べたらストパ液用の原材料扱ってたんですよー、そんでそこの社長にどうすかって持ちかけて商談成立! ただまあストパっても要領いるじゃないすかー、でー、誰かストパできる美容師さんいないかなって探したらなんと第三村に経験ある美容師さんがいたんですよー、んで社員ともどもノウハウ教えてもらってやーっとくせっ毛モサモサとおさらばってわけです! いえ失敗するとヤバいらしいすけどね、年単位でダメージ残るとかマジかうわこっわ」

 

「おちついて」

 

 流石のナミナミも困惑気味になるレベルのエネルギッシュさ、今や四捨五入して十年、物流の鉄火場最前線で働いてるバリキャリ女社長さんだもん、ほんと人の運命ってわかんないから面白いよねー、などと真希波マリは思う。

 

 などと言っている間に、黒ベレー帽に医療科所属を意味するヴィレ制服、白エプロン、膝下までのレギンスにスニーカーといった出で立ちの鈴原サクラ少尉が、彼女同様に医療科の制服を身につけた8人のアヤナミシリーズを連れ、3人のところへたどり着いた。

 

 アヤナミレイたちは、不安半分興味半分、という様子で身にまとっている医療科制服をしげしげと眺めたり、ところどころをつまんだり、手でこすったりしている。

 

 この一週間、LCL層でのリビドー輻射や、体内各所への幹細胞投与による身体安定オペや施術の間は、裸体か検診衣だっただけに、構造が複雑かつ頑丈で、身体をどこかしら締め付けるタイトなヴンダーの医療科制服やレギンス、靴下やスニーカーの感覚に慣れていないのだろう。

 

 ただ、心底不快そうな表情をしている個体が一人もいないあたり、不快さよりも興味のほうが勝っているのは、傍目にも明らかだった。 

 

「クロさ……いえ、クロスレイ中佐相当官、鈴原サクラ少尉です! アヤナミシリーズ8名引き渡しに……」

 

 ほんの一瞬、家族親戚に向けるような親愛の表情を表しかけた鈴原サクラ少尉が、慌てて真面目な表情を作り直し、クロスレイ中佐相当官に敬礼する。

 そんな真面目な様子の鈴原サクラ少尉をみて、クロスレイ中佐相当官は歯を見せて顔全部で笑顔と親愛を表現してみせた。

 

「クロさんでいーってばさっちん、第三村はお得意さんだし、あっしら昔ながらの仲じゃない。っつかさっちんにんな真面目られるとあっしが落ち着かないっつか」

 

「いえ、私もいい加減軍属ですし、こう、一応習慣づけておかないとよくない気がするんです。

 ほんまは私もそうしたいですけど、堪忍してください」

 

 そんなサクラの困り気味の笑みに、クロスレイ中佐相当官も苦笑で返す。

 

「さっちんはほんと真面目でいい子だねー、あっしが嫁さんにほしいくらいだよー。っていうかさーさっちんがヴィレ言ってからトージのやつ落ち着かねーったらなくて、ほら前線じゃん? いや今どこもヤバいけど危なくないかみたいでさー、こないだ仕事で医療器具届けたらめっちゃ言われてホント困ったっつーか」

 

「兄には本当に反対されましたからね、危ないし、人手も足りん言われましたし。

 けれど本当の医療学ぶの、今はえらいお金かかりますから、多分ヴィレで医官やったほうが安く技術身について、将来兄の役に立つと思うんです。それに兄は結婚したばかりですし、奥さんと二人の時間をなるべく」

 

「待って」

 

 二人の会話に綾波レイが割って入る。

 

「鈴原君、結婚したの?」

 

 綾波レイの言葉に、鈴原サクラが思い切り同様の表情を浮かべた。

 

「すみません。艦長たちには着任前日に行嚢郵便で送りましたけれど、綾波さんは稀に村に来られますから、直接お渡ししよう思ってたんですが、防空戦のどさくさで渡しそびれてしまいまして、すみません、ほんとすみません」

 

 鈴原サクラは慌ててエプロンのポケットから『綾波レイ様』と記された挨拶状を綾波レイに手渡した。

 

「そう。委員長と結婚したのね。良かった。あの二人、苦労してたけれど、好き合ってたのは知ってたから。

 ありがとう、手紙を届けてくれて。あなたが手紙を届けてくれたことが、私は嬉しい」

 

 綾波レイが、鈴原サクラに対してわずかに微笑んだ。

 鈴原サクラが目を見開き、驚いたように両手を振る。

 

「いえ、とんでもないです。

 うちの兄も、綾波さんにはえろう世話になったってずっと言っとりまして」

 

「私の力なんて微力。お礼は葛城総司令にお願い」

 

「でも、世話になったのは本当ですし。兄に代わってお礼を言います。ありがとうございました。

 第三村では私はあまりお話しできませんでしたけれど、これからよろしうお願いします」

 

「そう、ありがとう。これからもアヤナミシリーズの調整では医療科に頼ることになると思う。

 その時はお願い」

 

 深く頭を下げた鈴原サクラに、綾波レイは僅かな会釈で返した。

 そんな二人の様子を、クロスレイ中佐相当官が意外そうに見る。

 

「へー、綾波姉さん、さっちんとあんま話してなかったんだー、意外。

 ヴィレだと第三村との連絡員みたいなもんじゃん姉さん」

 

「私は専ら相田さんの家のお世話になっていたから、あまり村とは関わらなかったの。

  相補性L結界浄化無効阻止装置の状態を見て回ったり、第三村の発展状況や必要物資のレポートを纏めるのに忙しかったし。

 それに、私を見たら混乱する子もいる」

 

「あー、ガミちゃんか……私も最初会ったはねー……っていうかあの子、このフネで大丈夫? いやまじ」

 

「ミドリにはミドリの考えがあります。私もついてますから」

 

 綾波レイの言葉を聞いて困惑の表情を浮かべたクロスレイ中佐相当官に、鈴原サクラがきっぱりと言い切る。

 その真剣な目を見て、クロスレイ中佐相当官は目を細めた。

 

「んー、いい目するようになったねーさっちん。ヴィレの訓練の賜物かなー。

 でもさっちんも真面目で思い詰めるとこあるからさー、あんま気合入れ過ぎちゃだめよん?

 トージといいさっちんといい、君等なんつか情が深いからねー、『あ、入れ込み過ぎてる』って思ったらブレーキ踏まなきゃダメよいやマジマジ」

 

「気をつけます。そう言えばクロさん、髪型変えたんですね。前は伸ばしたらもさもさやったのに、癖がなくなって。

 シュッとしてすごい似合ってますよ」

 

「あー、さっちんは知らないかー、ストレートパーマって言ってねー、薬使って癖取る方法あるのよ。

 こないだネゴってようやく量産市販まで来たから、そのうちヴンダーでもサービス始まるんじゃない?

 500人? だっけ。入れたし理容師も入れてたし、多分そのうちさっちんも使えるようになるんじゃないかなー」

 

「ホンマですか?! 私も癖っ毛ちょっと気になってましたから、髪に癖ない人いいなーってずっと思ってたんですよー!」

 

「おーさっちんも気づいた気づいた。うーんネゴ大成功、あっし大勝利って感じ? ケアそこそこ手間いるけど、もさーっとして意のままになってくんない髪とグッバイできるの快感よマジで」

 

「二人とも昔からの付き合いだったし、二人の仲が良くて、うれしい。

 クロスレイさんがそうなれたのが嬉しい。それはそれとして、そろそろあの子達にも挨拶してあげて」

 

 そんな二人の様子を微笑ましげに見守りつつ、綾波レイが釘を刺す。

 

「まだ群体としての『アヤナミレイ』としての自覚しかなくて、自分が一人の人間であるという自覚がない子達だもの。内心で不安が渦巻いていると思うの。未だに『アヤナミレイ』以外を知らない子たちだもの」

 

「っといけねッ! 後輩引き取りに来たんだったーッ!」

 

 綾波レイの言葉に、慌ててクロスレイ中佐相当官がアヤナミシリーズたち8人の方を向く。

 不安そうに震えるアヤナミレイたち8人、16の瞳に、優しげな光を宿した緑の瞳を向けながら、クロスレイ中佐相当官はさきほど同様、目を細め、歯を出しながらにこやかに笑うなり、突然腰を落として左手を膝に載せ、右掌を前に突き出して真顔になった。

 

「そちらにいらっしゃるアヤナミさん方、お控えなすって。あっし、生まれは不明、育ちはヴィレ、ヤサは輸送艦『おおすみ』にござんす。

 姓は大隅、名はクロスレイ、人呼んで黒猫のクロと発する、ケチな物流屋でござんす。隅から隅までズズいとお見知りおきいただくよう存じやす!」

 

 全員があっけにとられ、クロスレイ中佐相当官を見た。流石の鈴原サクラもよく理解できていない顔をしている。綾波レイですら似たようなものであり、アヤナミレイたちにいたっては目の前に冒涜的タコ型宇宙人が出現したら多分人類は等しくこういう顔をするのではないかという恐怖に近い表情を浮かべていた。

 

 しかし、皮肉なことに、真希波マリにだけは概ね見当がついていた。

 

「クロさんさー、まーた変な映画みたでしょ。任侠もの? よく見つかったねこの時勢に」

 

「あー、やっぱマリ姉さんにしかわかんないかー。ほら、低圧L結界内部を探索してる冒険家気取りの古物商連中いるっしょ、んでそいつらがこないだレンタルビデオ店からがっつりビデオ300本ぐらい売りつけてきて思わず衝動買しちゃってー、たまたま見たヤクザ映画の名乗り? なんかツボに嵌っちゃってー、一回演ってみたかったんだけど、やっぱわっかんないわよねー……うーん使い所考えないと。第三村のじーちゃんばーちゃん相手か、日本以外の生存圏だとウケるかなーどーすっかなー」

 

 腕を組んで悩むクロスレイ中佐相当官に、綾波レイが冷ややかな視線を投げる。

 

「まだヒトへの理解が少ない人たちだから、多分言葉だとおもえてないの。真面目に挨拶してあげて」

 

「あっすみませんすみません。綾波姉さんのその目マジ怖いから許して」

 

 怯え半分笑い半分の笑顔をクロスレイ中佐相当官を綾波レイに返すと、再び怯えるアヤナミレイたちに向き直った。

 

「ではでは改めて挨拶するねー。あっしの今の名前はクロスレイ・SS・大隅。

 昔から今まで、ずーっと世界中を飛び回ってたんだー、そのへんは君たちとおんなじさ。

 元々の名前は、『アヤナミレイ』。

 つまり、君たちと同じ、アヤナミシリーズとして創られた存在の一人ってこと」

 

 その言葉に、さらに8人のアヤナミレイたちに動揺が走る。

 先程まで言葉を発せずにいたが、とうとう一人が言葉を発した。

 

「でも、あなた。髪の色が、ちがう。あなたはアヤナミレイじゃない」

 

 つづいて、回りのアヤナミレイ達も、続々と言葉を発していく。

 

「目の色も違う。あなたはアヤナミレイじゃない」

 

「アヤナミレイと考え方が違う」

 

「魂の波も違う。全部ちがう。アヤナミレイじゃない」

 

 そんな彼女たちの様子を見て、クロスレイ中佐相当官は、ひどく懐かしそうな表情を浮かべた。

 

「うんうん。あっしも最初はそんな感じ。っていうかアヤナミレイであることへのこだわりはあっしよりつよいかなー? 調整がかわったかねー。

 綾波姉さんの話だと、群体として一つの自我を形成して行動することを目的としたタイプらしいし、そうなると、群れが自分で自分は群れを構成する細胞にすぎないから、違いが気になってしょうがないわけだ。異物が混入すると反応する抗体反応みたいなもん? ほー、なるほどねーなるほどなるほど。じゃ、違いを一つ消してみよっか」

 

 意味ありげに笑うと、クロスレイは自分の瞳に指を軽く当て、引いた。

 緑色の、カラーコンタクトが乗っていた。

 カラーコンタクトに隠れていた瞳の色は、アヤナミシリーズ特有の、アルビノの赤だ。

 

「目の色が変わった。でも髪の色が違う。あなたはアヤナミレイじゃない」

 

「ほうほう。髪かー」

 

 その言葉を聞き、クロスレイはまた微笑んで、今度は髪をかきあげた。

 髪の付け根の色素が薄い部分が、毛根から5ミリほど伸びていた。

 その部分だけ、アヤナミシリーズ同様の、青みを帯びた白髪となっている。

 そして、カラーコンタクトをつけ直すと、改めてアヤナミレイたちに向き直って告げた。

 

「髪は染めたし、目の色はたっかいお金だしてカラコン作ってもらって変えたわけよ。

 で、心の波が違うって話だけどー、それは多分10年『生きた』からじゃないかなー?

 そんだけ生きるとねー、記憶から経験から、色々アタマん中、シナプスだっけ? に書き重ねられてくから、別モンになっちゃうわけさー。君たちはずーっとぼんやり44Aに乗ってただけだから、変化する機会に恵まれなかっただけでね。で、恵まれるとこんなもんってわけ」

 

「わたしたち、アヤナミレイじゃなくなるの」

 

 一人が、呆然とつぶやいた。

 

「そだよ?」

 

「怖い」

 

 もう一人が、震えながら身体を抱いた。

 

「私が私でなくなるのは、怖い」

 

「アヤナミレイじゃなくなるのは、怖い」

 

 その反応に、またしてもクロスレイが苦笑する。

 

「あまそうなんだけど、君たちは君たちのまんまでいいの。そうするとね、なんか勝手に変わっちゃうわけ。

 君たちは今は同じアヤナミレイって名乗ってるけど、脳みそから身体まで別なんだから、別人じゃん。 

 双子みたいなもんよ。一卵性双生児だって見た目そっくりDNA同じでも別人じゃん」

 

「じゃあ、あなたになるの?」

 

 一人のアヤナミレイの言葉に、クロスレイは首を振る。

 

「君とあっしは別人でしょ? なんないなんない、君は君のままだから安心しちゃって。

 でも名前はねー、ホント悪いんだけど、名前だけは変えちゃうんで、それは許して」

 

「どうして名前を変えないといけないの。私はアヤナミレイなのに」

 

「んー、綾波レイのオリジナルが居るわけよ。いや正確に言うとオリジナルのコピー。

 そのオリジナルコピー? が、こちらの綾波レイ姉さんってわけ。

 だから、アヤナミレイのまんまだと、姉さんと区別がつかなくて困るわけよ。君たちは姉さんじゃないじゃんね? ま、こっちのエゴっちゃエゴなんだけど、不便だしね」

 

 といいつつ、掌を広げ、綾波レイの方向を指し示して見える。

 その言葉に答えて、綾波レイが軽く頷く。

 

「そう。私が最初の綾波レイ。あなたたちの名前は、私の名前が製品の名前となっただけ。

 工業製品、道具としての名前。生きていくというのなら、ヒトとしての名前があったほうがいい」

 

 綾波レイは、アヤナミレイたちを静かに眺めた。

 

「それに、名前は呪い。アヤナミレイを名乗り続けるなら、名前の響きが、あなた達の魂の形をアヤナミレイに戻してしまう。名前にはそういう力があるのよ。その名前は、呪いなのよ。

 だから、別の名で祝うの。

 別の名前を与える。そして、あなたたちがひとりひとり、別々の人生を生き、別々の記憶を重ね、別々の出会いを果たしたとき、その経験と絆、記憶と、あなた達に与えられた名前が重なって、他の誰でもない、あなた自身になる」

 

 しかし、綾波レイの言葉に、アヤナミレイたちは首を振る。

 

「わからない。わたしたちはアヤナミレイとして生まれた。わたしたちには、わたしたちの区別がつかない。わたしたちは、アヤナミレイ。わたしは、アヤナミレイ。だから、同じもの。違うということがわからないの」

 

「そっかー。じゃ、ちょっとあっしが魔法を使ってあげよう」

 

 わからない、という表情を浮かべるアヤナミレイたちに、クロスレイ中佐相当官はいたずらっぽい笑みを浮かべた。困惑しているアヤナミレイの一人の前に歩み出る。そして、ポケットから何かの袋を出し、そこから一つの球形のものを取り出した。

 飴?

 真希波マリは少し訝しんだ。クロスレイは構わず続ける。

 

「はい、ちょっと口を開けてみて。これを口に含んで、舐める。飲み込んじゃだめよ?」

 

「それは、命令?」

 

「そだねー、最初は命令でいいや」

 

「わかった」

 

 飴玉を差し出されたアヤナミレイは、素直にクロスレイの差し出した飴玉を含み、舐めた。

 そのアヤナミレイの瞳孔が、広がる。驚きの表情を浮かべた。

 

「なにこれ。口の中が、変」

 

「どう感じる?」

 

「わからない。ぴりぴりする」

 

「それは、強いて言うなら『辛い』だねー。今のは生姜飴。風邪引いたときとかにいいよ。どう? 不快かな?」

 

「不快じゃない。わからない。でも、もう一つ、ほしい」

 

「そうかそうか。じゃあ、もう一つあげようか」

 

 そして、また一つ飴玉を差し出す。今度は命令という言葉を、クロスレイはつけなかった。

 しかし、そのアヤナミレイは目を幼児のように輝かせながら、その飴玉を素直に含んだ。

 そして、また目を見開く。

 

「違う。さっきのと、違う。さっきのぴりぴりがない。でも同じ味。同じ味なのに違う。

 わからない」

 

「そりゃちがうさねー。だって今の、はちみつ飴だもん。生姜入ってないから、辛くはないよね?」

 

「辛く、ない。じゃあ、この口の中の感じは、なに」

 

「『甘い』だよ。飴玉って、全部『甘い』んだ。甘いもので出来てるから。でも、同じ飴玉でも味は違うんだよ。『辛さ』がある生姜飴。『酸っぱい』がある梅飴、檸檬飴。しかも同じ『酸っぱい』でも、また違うわけさ。ちょっと、わかった?」

 

 他のアヤナミレイたちが、ざわつく。何かよくわからないことが起きている。

 目の前で、アヤナミレイが、アヤナミレイなのに、わたしたちとは違うものになっていく。

 

 目を大きく開き、無心に飴を舐め終えたアヤナミレイが、静かにクロスレイ中佐相当官を見つめた。

 そして、言う。

 

「アヤナミレイは『甘い』。でも、アヤナミレイにも『辛い』アヤナミレイ、『辛くない』アヤナミレイが居る。同じなのに違う。不思議。違うの? わたしたち。違っていいの?わたしたち」

 

「そうだよ。というか、もう違ってしまっているんだねぇコレが。

 気づいたかな? 君はもう、『飴玉を舐めたアヤナミレイ』。他の子は、『飴玉を舐めてないアヤナミレイ』。これだけで、変わっちゃうんだよ。もう、別人なんだねー、君たちは」

 

 飴を舐めたアヤナミレイは、何かを悟ったように、呟く。

 

「これが、『経験』? これが、『変わる』ってこと? こんなにかんたんに変わってしまうものなの?」

 

「そうだよ。それが経験。それが変化。人間って、これだけで変わっちゃうんだ」

 

 クロスレイは、どこか懐かしそうな表情で、そのアヤナミレイの言葉を受け止めた。

 

「じゃ、最後に。君には4つ選択肢がある。1つ、生姜飴をおかわり。2つ、はちみつ飴をおかわり。3つ、別の味の飴を試してみる。4つ、飴は好きじゃなかったから舐めたくない。ちなみにコレは、命令じゃないよー? 君の好きにしていい。あっしは命令しないからね」

 

「命令じゃないのに、決めていいの。私が、決めていいの」

 

「そう。君が決めていい」

 

 そのアヤナミレイは、少しだけ、考えた。そして、ほかのアヤナミレイたちを見た。

 

 どのアヤナミレイたちも、不思議そうに、彼女のことを眺めていた。

 彼女たちの目は、先程より大きく開かれ、その瞳は、奇妙な輝きに満ちていた。

 そして、飴玉を舐めたアヤナミレイは、静かに呟く。

 

「あの子達にも、食べさせてあげて。わからないけれど、これは、口に入れると、嬉しい。

 ……嬉しいの、私?」

 

「それは『美味しい』っていうんだよ。それが君の望みなんだね。

 あっしの示したどれでもない選択肢を選んだ。

 それが、君の決断で、君が決めたこと。おめでとう。それが君だけの決断。君が考え、君が決めたこと。命令じゃない。君の、君だけのオリジナリティなんだよ」

 

 そう告げて、クロスレイ中佐相当官は他のアヤナミレイに、飴を配り始めた。

 

「そういうわけだから、君たちも舐めてもいいし、舐めなくてもいい。

 もちろん、全部違う味だよ」

 

 アヤナミレイたちは、皆、飴玉を一瞬見つめ、そして飴玉を次々に含んだ。

 そして、目を見開く。生まれてはじめての感覚に。

 

「これが『甘い』なの?」

 

「これが『美味しい』なの?」

 

「わからない。ぴりぴりでもない。でも、なにか、ひりひりする。いやなひりひりじゃない」

 

「鼻がなにかを感じてる。これはなに? LCLのにおいじゃない」

 

「そうね。LCLのにおいじゃない。なにかいいにおいがする。嫌な匂いじゃない」

 

「……? 私のはLCLに近い味がする。何故? 何故みんなはLCLの味を感じていないの?」

 

 一人のアヤナミレイが、不思議そうな表情を浮かべた。

 その不思議そうな表情が、波紋のように周囲のアヤナミレイに広がっていく。

 

「LCLの味なんてしない」

 

「どういうこと?」 

 

「LCLの味がする飴があるの?」

 

「ああ、彼女が舐めたのは塩飴だね。含まれた塩分を、彼女はLCLの味だと思ったんだ。

 そう。塩味は、普段君たちが浸っているLCLに一番近い味がするのさ。浸透圧の関係上、プラグに使うLCLにはある程度は塩化ナトリウムが入るからね。だから、LCLの味だと思うわけだ。でも、LCL以外の味もするだろう? それが『甘い』だよ。みんな違った味を、今君たちは味わった。でも、同じ味も味わった。飴玉は『甘い』んだ」

 

 クロスレイ中佐相当官は笑みを浮かべた。

 

「それがわたしたち、アヤナミシリーズ。同じ『甘い』で作られたもの。

 けれど、実は一つ一つ、全部違うんだ。塩飴、生姜飴、梅飴、りんご飴、パインアメ、世の中には沢山の飴があるんだよ。今の君たちが別々の飴を舐めて、別々のアヤナミレイになったように」

 

 アヤナミレイたちは、何かを理解したようだった。

 やがて、一人のアヤナミレイが口を開いた。それは、先程皆に飴を舐めさせてあげてほしい、と言ったアヤナミレイだった。

 

「それで、あなたは……髪の色も、目の色も、名前も変えたの」

 

「うん、そうだよ。それは、気持ちのいいことだから。髪も目も、アヤナミレイのままでも良かったけどね。でも、なんか、変えられるって知っちゃうと、変えたくならない? もっと綺麗な自分になりたいとか、気分で。それにあの髪と目の色は、綾波姉さんのほうが似合うし、だったらあっしは自分の色が欲しいなーっておもってさ。いや姉さんはこんなことは考えやしないだろうから、これはあっし自身の欲なわけだ!」

 

 アヤナミレイの問いに頷きながら、かつてアヤナミレイであった女は笑顔で答えた。

 

「あっしのため、あっしが望む、あっしが可愛い、カッコいいと思えるあっしになる。今日は同じでも、明日は変わるかもしんない。で、明後日はまた変わってるかもしんない。ま、しんどいこともいろいろあっけどさ、楽しいこともいっぱいあるよ?

 だってきみたち、飴玉、美味しそうに食べてたじゃないか! 美味しいって、一度も味わったことなかったんじゃないかな? あっしはそうだった。で、君たちはこれから、どんどんそういう経験を積んで変わっていくわけ! 変わったその果てに、『やっぱりアヤナミレイの名前がいい』って思ったらそれでもいい。好きにしたらいい。それが、『自由』。命令がなくても、君たちは望んでアメを食べた。その程度のつまらない、ありふれた……でも、今まで君たちに赦されなかったもの。とても貴重で、とても大切なもの。

 それが、あっしたち……んにゃ、綾波姉さんが、自分の妹である君たちに与えたものの名前だよ」

 

「そう、あなたもそれを……『自由』をもらって、あなたになったのね。アヤナミレイではないあなたに。わたしにも、なれるの。アヤナミレイではないわたしに」

 

 かつてアヤナミレイであった女は、会心の笑みを浮かべながら、別のポケットから名刺ケースを取り出し、一枚の紙片を、先程から言葉を発し続けている、飴玉を他のアヤナミレイに配ることを望んだアヤナミレイに渡した。

 そのアヤナミレイは、紙片の文字を読み、目を見開いた。

 

「これは、なに。なにか、書いてある。『株式会社くろねこ運送 社長 兼 輸送艦おおすみ 艦長 クロスレイ・SS・大隅』。あなたの名前以外のことも、沢山書いてある。これは、なに」

 

「それは『名刺』さ。まあ、今じゃ廃れたシロモノだけど、あっしは趣味で作ってるし、案外商売がら役に立つ。人には名前以外にも沢山の情報があるんだ。立場とか、職業とか、色々ね。だから、その紙は、私がこういう人生を生きていますよ、っていうのを記した、あっしの人生の断片なんだよ。

 ま、ともかくクロスレイ・SS・大隅が今の私。間違ってもアヤナミレイじゃないよねー、すくなくとも、最初君たちが言ったように、アヤナミレイはこんな髪じゃないし、自分のことをあっしなんて言わないんだねェ。それが人生、それが自由。あっしのことをあっしって言えるあっしは、この世にきっとあっし一人なんだ。それが、嬉しいことなんだよね」

 

「あなたについて行ってと言われた。命令だと思った」

 

 最初に飴を舐めたアヤナミレイが、つぶやいた。

 

「けれど、ちがうのね。命令じゃないのね。ついていってもいい。いかなくてもいい」

 

「そうだよ。あっしについてきてもいいし、ついてこなくてもいい。それだけで、君は君になる。

 君が君で決めたから」

 

 最初にアメを舐めたアヤナミレイは、クロスレイ中佐相当官の目を、真っ向から見た。

 

「いいえ。ついていく。私は、私になりたい。

 いえ、もう、私は私なのね。

 今はアヤナミレイかもしれない。けれど、いつかは変わるし、もう変わっている。この積み重ねが、私を重ねていくのね。この甘さと認識が、私がアヤナミレイでありながら、アヤナミレイの枠を越えていく、最初の一歩になっていくのね」

 

「わかった。じゃ、君は決まりだ。君たちはどうする?」

 

 クロスレイ中佐相当官は、別のアヤナミレイ達を見た。

 彼女たちも、皆、心は定まったようだった。自分がもう、昔とは違っていること。口の中の甘さが、何かを決定的に変質させて、けれど自分は相変わらず自分のままであること。

 そして、そういう知らないことがたくさんあり、それを目の前のアヤナミレイであった人、クロスレイ・SS・大隅となった人が、今、答えとして立っている。

 私の知らない私になりたい。

 アヤナミレイたちは、皆、緩やかに頷いた。

 

 真希波・マリ・イラストリアスは、その有様を、どこか眩しげに見つめていた。

 彼女は、途中から状況の観劇に専念していた。

 

 違う味が詰まった飴玉のアソートセット。きっとこの世界ですらさほど高い値がしない、きっと安物の一袋。その程度のもので、ネルフによって群体として存在を定義されたアヤナミレイたちの自我を、クロスレイ・SS・大隅は解体し、今はアヤナミレイを名乗る、別々の別人にしてしまった。

 

「これだから、人間はわからない」

 

 兵器として生み出され、自滅して終わるはずだった生きた信管が、人生を生き始めようとしている。

 彼女たちの困惑を、思考を、そして兵器として運用するために抑制されていたヒトとしての機能を汲み取り、群体を孤へと分かつ術式。費用、飴玉一袋。

 コード・バベルにより『生きたい個体』を選別した結果とは言え──ん、もしかしてこの最後の『分割』まで含めての命名なのかにゃ?

 

「ナミナミは、ほんとすごいね」

 

 真希波マリは、静かにつぶやいた。

 

「生きたい子の、生きたいを見つけてあげられる。それって、すごい事なんだよ、ナミナミ」

 

──あの日。妻を、母を失い、絶望し、生きたいを見失っていた、一人の父と子を思い出す。

 

 私は、それを見つけてあげられなかった。

 だから、ゲンドウくんを、人類補完計画という形で、もう居ないユイさんに委ねてしまったし、そして、彼からは母親の記憶を奪い、悲しみの理由を消すことで、悲しみこそなくなり、食事は取れるようになったものの──彼の、碇シンジの人生は、台無しになってしまった。

 

 彼を最初に見つけたのは私で、彼のことが好きだった。

 彼は孤独が好きな人だった。けれど、寂しそうにもしているのが、なんとなくだけれど分かってしまった。

 だから、冬月先生を紹介し、冬月先生のゼミで、ゲンドウくんはユイさんと出会った。

 

 彼がユイさんのことを好きになった時、私はそれもいいとおもって、彼とユイさんのことを応援した。

 彼とユイさんが結ばれ、結婚した時、私は心からお祝いした。

 シンジくんが生まれた時、私は本当に嬉しかった。

 

 でも、ユイさんがいなくなってしまって、何もかもが壊れてしまった。

 私はユイさんが居なくなって、悲しくて、ひたすらに、彼の胸で泣いた。

 

 けれど、彼は泣けなかった。きっと、彼も泣きたかったろうに、彼は泣けなかった。

 そして、ゲンドウくんは、壊れてしまった。生きようとすることを、やめてしまった。

 

 シンジくんは、何も理解できなかった。母が居なくなったことが、理解できなかった。

 そして、もう二度と母が帰ってこないとシンジくんが、私とゲンドウ君の態度から理解した時。

 

 シンジくんも壊れてしまった。

 食べてくれなかった。生きようとしてくれなかった。

 

 私は、彼らの生きる理由を見つけてあげられなかった。

 妻にも母にも、なる覚悟が、なかったなのか。

 あるいはユイさんへの裏切りではないか、という後ろめたさだからなのか。

 わからなかった。でも、二人に死んでほしくなかった。

 どうすればいいのか、わからなかった。

 

 ゲンドウくんに人類補完計画のことを伝えるべきではなかった。

 シンジくんの記憶を削ぎ落とすべきではなかった。

 もし私が、今日の景色を知っていたなら。

 彼らの喪失の痛みの本質を、汲み取ることを諦めなかったなら。

 もしかして──

 

「いいえ、私の術式じゃない」

 

 綾波レイは、不意に真希波マリへ言った。

 

「あの『飴玉の魔法』は、クロスレイ中佐相当官の考えたもの。

 いえ、考えてすらいないのかもしれない。ああいう人だから、多分勘で分かってしまう。

 

 私にできるのはまだ生きたい個体の選定と、身体の存続・維持措置が限度よ。

 

 クロスレイさんは、凄いの。まだ、精神が発達していない頃から、世界中の生存圏を巡って、いろいろな人と出会った。まだあの人が、アヤナミレイであることを捨てきれなかった頃から。

 いろいろな人を助け、いろいろなものを運んだ。助けられた人もいれば、助けられなかった人もいる。

 運べるものもあれば、運べなかったものもある。

 

 あの人を助けたのは私。けれど助けただけ。

 あの人の仕事は運び屋。だから、とても沢山の人と出会い、とても沢山の世界を見た。

 私よりも、もっと多くの。だから、ああいうこともできる」

 

 綾波レイは、真希波・マリ・イラストリアスを見た。

 

「悲しい目。貴女らしくない目。

 何を悩んでいるかはわからないけれど……取り返しがつかないこと、埋め合わせがつかないことはいくらでも出てくる。それが人生。私にも、その後悔と傷があるの。10年前の傷。救えなかった。助けられなかった。だから、謝罪の手紙を書いた。たぶん、その手紙に意味はあまりなかった。

 現れた北上ミドリさんの目は、とても冷えていたから。むしろ、つらい思いをさせてしまったのかもしれない。生きたいを見つけてあげられなかったの。私も」

 

 静かに、真希波・マリ・イラストリアスを見つめながら、綾波レイは後悔をつぶやいた。

 

「ただ、取り返しがつかなくとも、埋め合わせがつかなくとも、それでも──生きているなら、その傷や、過去と、向き合うこともある。

 あなたも生きているのなら、いつか、そういう機会がくるかも知れない。

 私には巡ってきた。彼女はこの艦に乗った。

 だから、あの子たちとトランクの引き渡しが終わったら、大井さんが──レーコさんが、あの子へ──北上ミドリさんへ渡したかったものを、渡そうと思う。

 運び屋の仕事は渡すこと。クロスレイ中佐相当官が、今日あの子達に自由を渡したように。少なくとも、大井さんが渡したかった想いだけは、渡すことが、できるから。できることはそれが最後。私はそこで割り切ろうと思う。後は、彼女自身と、艦長で決めるしかないから。

 もし、貴女の胸の億に悔いに由来した傷があっても、それがもう取り返しがつかないことなら、どこかで、割り切るしか無いし、進むしか無い。決めるのは、貴女だけれど」

 

 真希波マリは答えない。

 ナミナミはたまに、他人の考えに、滑り込んで言葉を発することがある。無意識に心を読んでいるかのように。誰に対してもそういうところがある。彼女の設計がそのようにできているのか、あるいは彼女のオリジンであるユイさんの血統のなさしめることなのかもしれない。

 とはいえ、たしかにそうで、ナミナミの言う通り。

 たしかに、取り返しのつかないことを悩んでも、辛いだけだ。私らしく無い。

 ゲンドウくんやユイさん、シンジくんのことを考えると、知らず重くなる。

 過去が過去だから、仕方ない。いつか過去が精算を迫り収穫にくるとしても、それは私と彼らの問題だ。

 うん。いい景色をみて、不意に胸の傷がうずく日だってある。

 そういうことに、しておこう。

 

「??? 綾波姉さんとマリ姉さん、顔がシリアスしてましたけどなんかありました?」

 

 二人が会話している間に、自分のエヴァ44A改『フライングパンケーキ』の換装式後部顧客乗用ブロックへ8人のアヤナミレイを案内し終えたクロスレイ中佐相当官が戻ってきた。

 

「なんでもにゃーい。あの子達がちゃんとやってけそうで安心した、いっつもありがとねー」

 

「やー。綾波姉さんたちに助けてもらった生命ですからー。

 生きてて楽しいスから、あっし以外の子にも楽しく生きてほしいだけなんです、あっしは。

 運び屋、しんどいこともいっぱいあるけど、楽しいことも多いスし。

 いや運ぶだけなら肉体労働で疲れるだけのブラックっちゃブラックっスけどー、こういう時代すからね。生命そのものを運んでたすけるようなこともありますし。

 やりがいありますし、楽しいスよ。

 生きてますから。

 綾波姉さんたちが生かしてくれなかったら、今頃どう使い捨てられていたやら……わかんないっス。だからマリ姉さんと綾波姉さん、尊敬してんスよ。あっしは。ところでなんか、他にもなんか渡すもんあるっつってませんでした? 綾波姉さん」

 

「ええ、これ」

 

 綾波レイは、トランクをクロスレイ中佐相当官に渡した。

 

「アヤナミシリーズ用の身体安定剤。L結界に対する抵抗帯域を、プラス域からマイナス域まで、その上限・下限値を大幅に改善するものよ。服用式から注射式まで色々あるわ。詳しくはトランクの中の説明書を読んで。

 自分で実験したけれど、投与後1年安定している。人間の生存圏内から、封印柱外の低圧レベルL結界環境の長期間滞在でも、形象崩壊リスクをかなり軽減できるはずよ」

 

「1年? マすか?」

 

「マよ」

 

 あんぐりと口を開けたクロスレイ中佐相当官に、綾波レイは左手でサムズ・アップしてみせる。

 

「いや流石綾波姉さん、アヤナミシリーズの肉体研究じゃ右に出る人居ないってホントなんすねえ。

 ちなみにどういうもんなんすか?」

 

「体内バイオームの調律が主目的の、相補性l結界浄化無効阻止装置と海洋再生技術を組み合わせ、LCLを基礎として作った体質改善剤。」

 

「ばいおーむ?」

 

「体内細菌叢。今までは幹細胞を始めとした体細胞へのアプローチが多かったけれど、発想を変えてみたの。 人体というのは、動く海であり、栄養の塊だから、細菌やウイルスの棲家でもある。その多くが人体と共生状態にあり、どれが日和見菌なのかも完全には解析しきれていない、学術上の未知の沃野なのよ。

 海洋生態系保存研究機構の古いデータも役に立った。

 セカンドインパクト後の海洋生物の形象崩壊パターンを参考に、ネルフ脱出時にヴィレが確保したアヤナミシリーズの研究データを並べ、私の体細胞をサンプルとして実験を行った所、やはり身体維持とバイオーム維持には一種の相関性があった。

 人体は人体由来の細胞だけでは成り立たない。共生関係にある細菌やウイルスを無視しては語れないものであり、アヤナミシリーズもベースが人体である以上、その例外ではない。

 原理的には相補性l結界浄化無効阻止装置による海洋再生技術を組み合わせたもので、LCLの浄化無効処理プロセスを段階的に止めた体液状態の調整剤として機能、バイオームの賦活によりL結界・アンチL結界・体細胞崩壊といった形象崩壊を食い止める作用を果たすわね」

 

 無表情で早口に専門用語を並べ立てる綾波レイの言葉に、流石のクロスレイ中佐相当官も困り果てたという表情で真希波マリに視線を投げた。

 

「すみませんマリ姉さん、ウチでもある程度やってますし、医療関係もわかるすけどバイオーム関係となるとあっしァさっぱりで、綾波姉さんの言ってんの珍紛漢紛なんですがなんなんスかマジで。封印柱回りまで噛んでるあたりホント大丈夫スよね? 効くなら使いたいスけど胡散臭いもの服用や注射は流石に怖いッスよマジで」

 

「アヤナミシリーズに関してはナミナミと赤木博士が専門で私は専門外だにゃー。ま、私とナミナミは同居してるから、ナミナミがそれ使ってる様子は見てるし、身体も最近はすごい安定してる。傍目には効き目ばっちしって感じ?」

 

「マリ姉さんがそう言うなら安心ッス!」

 

「……」

 

 無表情な綾波レイの目がクロスレイ中佐相当官を見る。クロスレイがたじろいだ。

 

「いや綾波姉さんのこと信じてます! 信じてますけど最近使うテクノロジーとか発想が姉さんちょっとマッド入ってませんかですし、ウチの社員の子たちにも使うやつだから、あっし一人で説明できんもん使うの怖いんすッてば! 勘弁してくださいよ!」

 

「せつめいしょを よみなさい ぜんぶ かいたから」

 

 綾波レイのこめかみに気のせいか青筋が浮かんだ。

 

「すみません! 読みますから! 読みますから!」

 

 青ざめながら綾波レイに謝るクロスレイ中佐相当官に、鈴原サクラが苦笑した。

 

「あはは、ややこしいことゆうてますけど、食用酵母とか乳酸菌製剤の延長線上ですから安心してください。

 私も医務科ですからデータは目を通しとりますし、この一週間で使い方も見とります。身体の細胞だけじゃなくて腸内細菌も元気にしてくれる栄養剤みたいなもんですから、そない怖がらんでええですよ」

 

「おー、さっちんがプロっぽいことを。あんなに小さくて可愛い生き物だったさっちんが立派に……うっうっトージとあっしが手塩にかけて育てた成果が今開花……あっしの嫁になって……仕事ばかりで出会いと恋愛の暇がまるでないからもうさっちんに永久就職で……」

 

 わざとらしく号泣するように右腕で両目をこするクロスレイ中佐相当官に、鈴原少尉が冷ややかな視線を向ける。いつもの病気が出た、と言わんばかりの表情だった。

 

「クロスレイさんなんかあると誰にでも結婚して結婚していいますよね本当に。

 流石にヒカリさんおる眼の前でお兄ちゃんに求婚しだした時はドン引きしましたわ」

 

「えートージくん、いい男だしぃ。こう、当たったらいいなの宝くじ一枚買いみたいなー?」

 

「ヒカリさん普通にあの後誤解してお兄ちゃんめっちゃ苦労しましたからね」

 

「えっ。関東の人ネタが通じんで困るわー」

 

「クロスレイさん出生地不明のアヤナミシリーズですやんええかげんにしてください」

 

 流石の鈴原サクラ少尉も右手を開いたまま、クロスレイ側に甲を向けて振った。

 綾波レイが感心したように呟く。

 

「これがツッコミ。私、実物ははじめてみた。

 関西の人は本当にツッコミを入れるのね」

 

 綾波レイが、驚いたような表情で目を瞬く。

 

「仲良きことは美しいねぇ~♪」

 

 転落防止フェンスに背でもたれながら、オアフ島の青空を見上げる。

 先程胸をよぎった過去の痛みが、いつの間にか彼女──クロスレイ・SS・大隅という人間の朗らかさで、薄らぎ、消えてしまっている。

 真希波・マリ・イラストリアスには、その朗らかさが心地よいものとして感じられた。

 この痛みに満ちた時代で、そのように振る舞うには、相応の強さがいる。自分でもそのように振る舞うように心がけてはいるし、そういう生き方が身についてもいる。

 

 ただ、それでも痛みがよぎる過去というものはある。たまたま今日それを思いだし、そういう気分になってしまった。それを忘れさせる程度の朗らかさが嬉しかったのだ。

 なぜなら彼女は本来、ただの兵器の誘導装置、信管として消費される人の形をした部品に過ぎなかったのだ そういう存在が、人類社会に欠かせない物流を担う人物となり、なによりも今を楽しく生きている。その楽しさを更に膨らませようとしている。

 人は、生きている限り可能性がある。過去がどうあれ、私が今ここに立っているのは、間違いじゃない。私とナミナミが、9年前か、それぐらいに彼女をたまたま『助けた』ことが、彼女の今に繋がっている。

 どれほど絶望的な時代でも、人は笑えるのだ。人は人を笑わせられるのだ。

 先程まで痛んでいた胸が、今はもう、温かい。彼女の思いを、胸に覚えた感覚が保証してくれていた。

 

 その真希波マリの感情に応えるように、クロスレイが不意に真希波マリを見て、何か大切なものを友達に渡す子供のような表情を浮かべ、口を開いた。

 

「あ、そういえばですねー、マリ姉さん。いいやつ入ったんで、みんなにも見てほしくて、マギプラのデータベースに入れておきました! いや『ロボットモンスター』って映画なんですけど、やーこれが着包み雑使い回しの上にもうストーリーもダメダメでー、こう観ててふわ~って精神が飛んでく感じのやつなんすよ、観ててうわーッてなるぐらいキクんで、マリ姉さんも是非見てくださいね! あと次会うまでに感想! 綾波姉さんも! あ、商売は抜きっす、あっしからのサービスってことで!」

 

 うわぁ。

 流石の真希波マリも顔が引き攣った。綾波レイですら顔を引き攣らせている。あの綾波レイが。

 

 クロスレイ・SS・大隅という女性には、一つ重大な問題点がある。

 映画マニアなのだ。それも重篤な駄作映画マニア。

 世界中を「おおすみ」と44A改『フライングパンケーキ』で飛び回り、睡眠時間もさほど必要としないために、移動時間暇である彼女は、専らその退屈な時間を、世界各地で集めた映画を見ることで潰しているらしいのだが、その映画の趣味が最悪なのだ。

 気風がよく、気立てもいい。気も利く人だ。

 なのに9年この世界で過ごして、恋愛相手の一人もろくにできないのは、彼女の映画趣味に付き合った交際相手が、みな『無理』となって別れてしまうからであった。駄作映画趣味に関しては妥協のない、なんというかオタク気質なのも、より悪い方角へ拍車をかけている。

 万能の人間はそうそう存在せず、欠陥がない人間もない。とはいえアヤナミシリーズベースの器量よしの性格よし、いまや敏腕女社長という存在に、何故このような趣味がついてしまったのか、世界の運命はこれだからわからないものだと、真希波マリは絶望した。

 とりあえずちゃんと見て次あったときに感想を言わないと、彼女は凹むのである。本当に凹む。しかもヴンダーにとってくろねこ運送はL結界濃厚な地域でも補給に来てくれる稀有な民間の取引先でもあるので、邪険にもできない。

 そして彼女がオススメしてくる以上、内容はお墨付きと言っていい駄作映画だ。

 前回は確か『プラン9・フロム・アウタースペース』だったろうか。この時代にどこから見つけてくるのだろう。何しろ物流会社であり、独特の人脈があるのは察しがあるのだが、駄作映画探しのために、この時代作るのが楽ではない人脈をフル活用するのは、なんというか図太いと言うか、評価に困る。

 

 本当にヒトの世の中は、いろいろな意味で面白い。

 真希波・マリ・イラストリアスは、空から降り注ぐ陽光を浴びながら、深々と一つため息をついた。

 

 

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