ちなみに、私は今年も1歳年を取りましたよ。
「……」
大翔は頭が真っ白になった。
今のは、結衣の声だった。
聞き慣れた、妹の泣き声。
何故、結衣が……。
「考えるのは後よ」
「ああ……何か来る」
葵と阿藍が強張った声を出し、エレベーターのランプを睨みつけた。
見ると、エレベーターの一基のランプが点いて、B1からぐんぐんと上へ昇ってきている。
「鬼が出るか蛇が出るか、ね。碌な予感しないけど」
開き直ったように、葵が言った。
さっきまで放心していたのが、嘘のように落ち着いている。
エージェントはもちろんだが、流石は、葵だ。
「オ、オニとヘビしかいないのかな? もっとこう、可愛いの出て来ないかな……」
悠も、怖がってはいるが、いつも通りだ。
大翔はふうっと息を吐いた。
(そうだ。今はまず、このフロアから抜け出す事を考えなくちゃ。
今の放送だって、敵のトラップかもしれない。
録音しておいた結衣の声を流しただけかもしれない。
それに、エージェントだって、自分から入って来たんだし……)
―ピンポン
音と共にエレベーターのドアがのろのろと開いた。
中にたっていたのは、警備員だった。
紺色の制服に、臙脂色のネクタイ。
制服はアイロンがかかってピシッとしていて、胸と肩にはワッペンがついている。
ただし頭は……どう見ても、人間ではなかった。
「オ、オニでもヘビでもなかったね……」
馬だった。
ふさふさとした鬣に、ちょこんと乗っかった制帽。
赤いガラス球みたいな瞳が、顔の両側に離れてついている。
「いいえ、れっきとした鬼よ」
額から生えた一本角を見ながら、葵が言った。
「馬頭の鬼……馬頭鬼は、地獄の獄卒の一つよ。
亡者達を責め苛んで、残酷な拷問にかけると言われてるわ」
後ろへ一歩後ずさりながら、解説する。
織美亜、狼王、阿藍は既に身構えている。
「そ、そんな事言って。じ、実はいい鬼の可能性も、あったりしない……?」
後ろへ二歩下がりながら、悠が言う。
織美亜、狼王、阿藍は、今にも馬頭鬼を迎え撃とうとしている。
「ゲームだと、大抵、悪いヤツらの中にも一匹くらい、いいヤツがいるもんなんだ。
ほら、残酷な鬼が、楽しくショッピングなんて、しないでしょ?」
「鬼は鬼だ」
狼王は冷徹に言い、悠は馬頭鬼の足下を指差した。
「どんなものでも揃う!」がキャッチフレーズの桜ヶ島ショッピングモールでは、
モールのロゴの入った、店舗共通の買い物袋がある。
馬頭鬼の足下には、下のフロアでショッピングでもしてきたように、その紙袋が置かれている。
詰め込まれているようでパンパンになっているが、何が入っているのかは見えない。
(中には、斧、鉈、鋸、草刈り鎌、出刃包丁が入っている。鬼に金棒とはよく言ったわね)
織美亜は袋の中を超能力で透視した。
武具が見えたため、織美亜はこの鬼がこちらを攻撃しようとする、と見破った。
「ああ見えてきっと、いい鬼なんだと思うな、僕は」
うんうん、と一人頷く。
「ショッピングが趣味の陽気な鬼なんだ。
きっと、買い物中に僕らのピンチを知って、颯爽と助けに……」
―バタン
紙袋が床に倒れた。
―ゴロゴロゴロ……
中に入っていた品物が、床に転がった。
(よしっ、武器を……しまった!)
阿藍はその中で使えそうなものがないか、光の速さで盗みに入ろうとしたが、
馬頭鬼に気づかれてしまい盗むのを諦めた。
「……日曜大工が趣味……とかじゃないよね、やっぱり……」
「ああ……」
織美亜、狼王、阿藍はエージェントの誇りからか下がっていない。
悠は半泣きでもう一歩下がった。
葵はさらにそれより一歩下がる。
悠はさらに一歩下がる。
どんどん後ろへ下がっていく二人を背に、大翔はぐっと腰を落とした。
馬頭鬼は、ひょいと紙袋を持ち上げると、ごそごそと中を探った。
取り出したのは、細長い木の棒だった。
レシートのような紙片がくくりつけられていて、
『地獄ショッピングモール・ハンティング用品店』と書かれている。
【商品No.10 木の棒。軽くて壊れやすいただの木の棒。ハンティング初心者はまずこちらから。
威力・極低】
右手に木の棒、左手に紙袋。
馬頭鬼はぐいっと頭を逸らすと、高らかに一つ、嘶きを上げた。
「ヒイィィィッッッン!」
ブルルッと顔を戻し、六人を見た。
歪んだ馬面の口元から、大粒のよだれがぼたぼたと床に垂れ落ちていく。
『ぴんぽんぱんぽん。ご来店のお客様にお知らせいたします。
当ショッピングモールの警備員は、大変食欲旺盛となっており、
保護したお客様を食べてしまう事がございます。
ご了承のほど、お願いいたします。ぴんぽんぱんぽーん』
「そんな警備員は今すぐクビにしてよううううっ!」
「逃げろ! 隠れるんだ!」
「分かったわよ!」
「!」
大翔が叫ぶと同時に、阿藍が超能力を使って身体能力を上げ、悠達が駆け出した。
大翔も全速力で走り出し一直線にフロアを横切る。
馬頭鬼は、背を向けて逃げていく三人と、迎え撃とうとする三人を、ただ眺めていた。
やがて、ゆっくりと腰を落とした。
木の棒と紙袋を持ったまま、床に両手両膝をつく。
そして、陸上のクラウチングスタートのように、片膝を持ち上げた。
用意、どん。
―ビュウウッ
大翔の耳元で、風が唸った。
走る大翔の斜め後ろを、馬頭鬼が追いかけてくるのだ。
綺麗なフォームで、サラブレッドだ。
だが、超能力のおかげで、大翔と阿藍はギリギリで追い抜かれない。
「悠! 後ろっ!」
馬頭鬼は先を走っていた悠を追い越し、ブレーキをかけて、さらに数mかけて止まった。
悠へ向けて、木の棒を振りかざす。
「わ、わああぁぁぁぁっっ!」
慌てた悠が、足をもつれさせてコケた。
悠は学年一の運動音痴なのだ。
「光の盾!」
木の棒は阿藍の超能力で防がれ、馬頭鬼の後ろに吹き飛んだ。
「あわわわわ……。さ、流石馬だね。足、速すぎだよ……。競馬とか出なよ……」
床に手をついたまま、悠は涙目で馬頭鬼を見上げている。
腰が抜けたのか、立てずにいる。
馬頭鬼は悠を見下ろすと、紙袋にがさごそと手を突っ込んだ。
取り出したのは、今度は弓と矢筒だった。
また紙片がくくりつけられている。
【商品No.9 弓矢。原始時代からある、由緒正しい飛び道具。
離れた獲物を狩りたくなったらこちら。威力・低】
馬頭鬼は矢筒から矢を一本抜き取ると、弓に番え、悠の胸に狙いを定めた。
「やめてようぅっ……!」
「ふざけんな!」
狼王は超能力で斧を取り出す。
一直線に飛びかかり、馬頭鬼に力いっぱい斧を打ちつける。
放たれた矢は、ばきっと折れた。
「悠、逃げろ!」
「ありがとぉっっ!」
悠が這うように逃げていく。
織美亜、狼王、阿藍は、なおも身構えている。
大翔は手近なクレーンゲームの陰に転がり込んだ。
―ガスガスガスッ
頭上で矢がゲーム機に突き刺さる。
ガラスの破片が飛び散って、大翔は頭を抱えて床に伏せた。
ゲーム機が揺れ、ころころとぬいぐるみが落ちてくる。
しばらくすると、馬頭鬼は弓を放り捨てた。
矢が切れたらしい。
大翔は様子を伺った。
葵は映画館ロビーのソファの陰に、悠はお菓子を落とし、
ゲームの陰に隠れて、不安そうにこちらを見ている。
エージェントは、狼王、阿藍、織美亜の順に、前に出て身構えている。
(ど、どうする……?)
【商品No.8 石斧。威力が気になってきたあなたにはこちら。パワーで獲物も一撃必殺だ。
威力・中】
大きな石のついた斧を袋から取り出し、馬頭鬼がカツカツと歩き始める。
大翔は考えを巡らせた。
脱出ルートは、馬頭鬼が乗ってきたエレベーターだけだ。
三基あるうちの中央の箱だけ、電源が生き返っている。
今飛び出したところで、すぐに追いつかれる。
それに、エレベーターまで逃げ切れたとしても、ドアが閉まりきるのに何秒かかかる。
その間に追いつかれればアウトだ。
何とか、馬頭鬼を遠くへ引き離す必要がある。
できれば、エージェントに倒してもらうのが理想だが、牛頭鬼は倒せなかったのだ。
(……みんな、エレベーターに乗って準備してて。俺が引き離してくる)
目で作戦を伝えると、悠と葵はごくりと唾を呑んで頷いた。
織美亜、狼王、阿藍も自信たっぷりに頷く。
大翔はふうっと一つ深呼吸すると、床に転がったぬいぐるみを拾い上げた。
転がすように、投げる。
―トンッ、トンッ、トン……
物音に馬頭鬼が振り返った。
のしのしとメダルゲーム機の方へ歩いていくと、石斧を叩きつけた。
ガラスが粉々に砕け散った。
機械が壊れ、メダルが滝のように溢れ出す。
―トンッ、トンッ……トンッ、トンッ、トン……
あちこちから響くぬいぐるみの転がる音に、馬頭鬼は迷うように首を巡らしている。
(今だ)
大翔はぬいぐるみを投げるのをやめると、一目散に走り出した。
馬頭鬼をエレベーターから引き離す。
映画館の入場口のなかへ駆け込んでいった。
馬頭鬼は、にっ、と歯を剥いて笑った。
慌てず、ゆっくり歩いて、大翔の後を追っていく。
映画館内の廊下の左右には、一番シアターから七番シアターまでずらりと入り口が並んでいる。
どれかの部屋の中に隠れたのか、大翔の姿は見当たらない。
馬頭鬼は、紙袋に手を突っ込んだ。
【商品No.7 タブレット。情報化社会の必需品。狩りをするなら、地図アプリが便利。
情報収集力・大】
馬頭鬼はタブレットの画面を見降ろしながら、歩き始めた。
一番シアターを通り過ぎ、二番シアターも素通りする。
三番、四番、五番……六番シアターの前で立ち止まった。
迷いのない足取りで中へ入った。
シアター後方、左隅の座席へ向けて、一直線に歩いていく。
「ううっ。なんで分かるんだよ……っ?」
大翔はたまらず、隠れていた座席の陰から飛び出した。
タブレットの画面には、アミューズメントエリアの見取り図が表示され、
六番シアターの中に子供のアイコンがくっきりと表示されている。
エージェントのアイコンは、ない。
認識を阻害する超能力で、防いでいるからだ。
【商品No.6 日本刀。由緒正しき、サムライの武器。和の心を持つ方におすすめでござる。
威力・中】
馬頭鬼は紙袋から、長い刀をするすると取り出し、バサッと振り下ろそうとした。
阿藍はその刀を盗もうとしたが、馬頭鬼にギリギリで気づかれ、盗むのを諦めた。
座席のシートが三つまとめて斬れた。
体を投げ出した大翔の脇に、ゴトリと転がる。
さらに一閃、大翔は弾き飛ばされた。
段差に躓き、シアターの床にうつぶせに倒れる。
立ち上がろうとすると、左足首に、電流のような痛みが走った。
日本刀は座席に食い込み、抜けなくなった。
馬頭鬼は慌てず、倒れた大翔を見降ろし、ニヤニヤと口元を歪めた。
「くそぉ……」
紙袋に手を突っ込むと、ごそごそ探って中身を取り出した。
取り出したのは、小指ほどの長さの棒。
【スカ。マッチ棒。補足て折れやすい、ただのマッチ棒。
火はつけられるけど、武器としてはちょっと……。着火力・中】
馬頭鬼は怒ったように、ブルルッ!と鼻息を漏らした。
警備服の胸ポケットに乱暴にマッチ棒を押し込むと、また紙袋に手を突っ込んだ。
【スカ。アイスのハズレ棒。クジつきアイスで、ハズレちゃった棒。
残念。アタリが出たらもう一本だったのに。がっかり度・大】
馬頭鬼は額に青筋を立てて、アイスの棒をへし折り、力任せに放り投げる。
「へっ……。ば、ばーかっ」
その隙に、大翔は立ち上がり、走り始めた。
シアターを飛び出し、廊下を全速力で走って戻る。
五人の援護に賭けるしかない。
「大翔、こっちよ!」
入場口を出ると、フロアのずっと向こう、エレベーターの箱の中から悠と葵が叫んでいた。
織美亜、狼王、阿藍も、大翔を待っている。
―ギュルルルルルルルルル
後ろで、大きな音が響いた。
【商品No.5 チェーンソー。ホラー映画でお馴染み。血みどろなハンティングにおすすめ。
威力・大】
チェーンソーを構え、馬頭鬼が追いかけてくる。
50m、40m、30m、みるみる距離を詰められる。
速すぎる。
「伏せて!」
悠が構えていた弓矢を放った。
馬頭鬼が捨てたのを拾ったものだ。
―ヒュン
矢は姿勢を低くした大翔の頭の上を越えて、馬頭鬼の胸元へ突き立った。
馬頭鬼が苦しげにいななき、チェーンソーを取り落とす。
大翔はエレベーターの中へ転がり込んだ。
タイミングを合わせて、葵が【閉】のボタンを押している。
ピンポン、と音が鳴り、ゆっくりとドアが閉まり始める。
馬頭鬼がチェーンソーを拾い上げ、走ってくる。
五人が乗ったエレベーターの箱へ。
みるみる、近づき……。
その鼻先で、ドアが閉まった。
―ドンッ
ドアに衝撃が走った。
―ガリガリガリガリッ
音と火花が散った。
馬頭鬼がチェーンソーの刃をドアに突き立てているのだ。
大翔達は息を詰めた。
万が一、またドアが開いてしまったら終わりだ。
しかも、この狭さでは、阿藍も武器を盗めない。
―ガリガリ、ガリガリ……
馬頭鬼はしつこくチェーンソーを回し続ける。
気が遠くなるような長い時間の後。
エレベーターは、ゆっくりと下降を始めた。
チェーンソーの音が小さくなっていき……聞こえなくなった。
「……5までで済んで、よかったわね」
座り込んで息を荒らげる大翔の横で、織美亜が呟いた。
「放っておいたら、もっと酷い商品が出てきてたわよ。あれ。
あんなもの、ショッピングモールで売っちゃ駄目よ……」
「世の中が便利になって、欲しい物がすぐ手に入るのは、いい事なんだけど」
壁に寄りかかり、腕を組んで、考え込んだ葵。
大翔が見上げると、真面目な顔で頷きかけた。
「あんまり何でも揃う社会というのも、考えものだと思ったわ」
社会見学の感想文だったら、良い点を貰えたかもしれない。
エージェントは何があっても、任務を遂行するのがケツイです。
次回はエージェント達がクイズをします。