彼らも逃げてばかりじゃないのですよ。
「テスト、テスト。ヒロト、聞こえる? どうぞ」
「聞こえるけど……普通に話した方が早いぜ、悠」
大翔、悠、葵、章吾、有栖とエージェント達は、
校門脇の植え込みの陰に身を隠して、白井先生が出てくるのを待っていた。
左右に分かれた植え込みの向こう側から、悠は首を振ってトランシーバーを揚げる。
「駄目だよ、ヒロト。発言の終わりには、どうぞ、ってつけるんだ。
トランシーバーでの会話はそうするのがルールなんだよ。分かった? どうぞ」
「分かったよ、悠。ところで、これ、わざわざ買ったのか? どうぞ」
「お父さんの持ち物だよ。ちょっと借りてきたんだ。どうぞ」
「悠のおじさん、トランシーバー使う仕事でもしてんだっけ? ……どうぞ」
「ううん。お母さんとケンカした時に、トランシーバー越しに謝るのに使ってるんだ。
顔を合わせると凄く怖いからって。どうぞ」
(なんかもう、どうぞって気分じゃないな)
しばらくすると、昇降口から先生が出てきた。
優雅な足取りで校門を出ていく。
「……よし、尾行開始だ。気をつけろよ」
大翔と章吾はバットを掴んで立ち上がった。
万が一の時のために体育倉庫から持ち出してきた。
悠と葵と有栖と頷き合うと、植え込みの陰からエージェントと共に飛び出した。
校門を出て、電柱の陰へ滑り込む。
尾行の鉄則は、相手と適切な距離を保つ事だ。
身を乗り出して、様子を伺う。
白井先生は、通学路を優雅と歩いていく。
低学年の子達が遊びながら歩いている脇を、しなやかに進んでいく。
先生に気づくと、子供達は元気よく挨拶した。
「せんせい、さよーなら!」
「せんせー、さよーならぁー!」
挨拶を受けた白井先生は「どういたしまして」と言った。
「……女ほど恐ろしいものはない」
「何か言った?」
「いや、別に」
金谷姉弟が言う。
「もし先生を見失っても、私が超能力を使うからね」
麻麻が言う。
商店街へ差し掛かると、白井先生はラーメン屋へ入っていった。
大翔達は首を傾げてガラス越しに先生を見張った。
白井先生はねぎラーメンを注文すると、
出されたラーメンをあっという間に完食して店を出てきた。
さらに続いてファストフード店に入った。
パンパンに膨らんだ紙袋を持って出てくると、
フィッシュバーガーにかじりつきながら歩き始める。
「ちょっと食べすぎじゃない……?」
呆れたように葵が言う。
「フードファイトにでも挑戦するつもりなのかな」
本気か冗談か分からない口調で悠が言う。
大翔と章吾はだんだん、違和感を感じ始めていた。
あの時、大翔と麻麻を追ってきた鬼の気配と、
今、見ている先生の印象が、何だか、噛み合わない気がしたのだ。
「家に帰るんじゃなさそうだな。どこへ向かっているのか……」
先生は家のある方向から、どんどん遠ざかって歩いていく。
古い民家や空き地、田んぼが広がる一帯。
人通りのない畦道に入っていく。
しばらく歩いていくと……子供の泣き声がした。
ガードレールの脇で、野球のグローブを嵌めた小さな男の子がわんわんと泣きじゃくっている。
どうやら、ボールを下に落としてしまったらしい。
白井先生は、無視して脇を通り過ぎた。
大翔達は電柱の陰から飛び出した。
数歩行ったところで先生はピタリと立ち止まった。
くるりと振り返る。
「な、何……?」
「しっ」
大翔達はあわてて電柱の陰に戻った。
白井先生はゆっくりと、泣いている男の子の方に近寄っていく。
伺うように、周りを見回した。
男の子の肩に、ぐっ、と両手をかける。
「……やばい。あの子、喰われちまうぞ……」
「あの女は、鬼かもしれない……」
「え、え……?」
大翔と章吾はバットを握り締めた。
悠はおろおろして、葵と有栖はじっと先生を見ている。
エージェントは既に、身構えていた。
「俺が助けに行く。もしも俺がやられたら、みんなは全力で逃げてくれ」
「ヒロト……」
「まあ、大丈夫だろう」
「……あと、母さんと妹に、よろしく伝えておいて。今まで、ありがと、って」
大翔は、ぐっ、と親指を立てて頷いて見せた。
エージェントと共に、颯爽と電柱の陰から飛び出した。
「だから、どの辺に落としたのよ」
急ブレーキ。
「……ひっ、ひっく……ひっく……」
「ボールをどの辺に落としたの?」
「えぐっ……ひっく……」
「どこなのよ」
白井先生は、泣きじゃくる男の子に、
怒っているのか質問しているのか、ボールの行方を問いただしている。
大翔達は電柱の陰に戻った。
「『やばい。俺が助けに行く』」
「……なんてかっこいいムードじゃなさそうね」
「『もしも俺がやられたら、全力で逃げてくれ』なんてかっこいいムードではなさそうね」
悠と葵、有栖が言う。
怒ったように問いかける先生に、
男の子はひっくひっくとしゃくり上げながら、ガードレールの下を指差した。
白井先生はひらりとガードレールを飛び越えた。
ぼうぼうと草の伸びた地面に着地すると、掻き分けて進み、ボールを探し出す。
見つけたボールを掲げて振りかぶって投げた。
ボールはぽーんと高く飛んで……男の子の構えたグローブに収まった。
「……」
大翔と章吾は構えていたバットを降ろした。
やっぱり、違う。
あの足音の主と白井先生が、同一人物だとは思えない。
白井先生は、笑顔で上ってきた。
「あ、あの……。あ、ありが……と……」
彼女は、お礼を言う男の子に微笑んだ。
あの先生はエージェントの行動のために、この物語には登場しません。
なので、代わりに白井先生を出したのです。