今回は日常回となっていますので、安心してください。
「……ん?」
ふと、誰かに呼びかけられたような気がして、大場大翔は睨みつけていた海面から顔を上げた。
一面の海の青が、目に飛び込んだ。
打ち寄せる波が岩に当たって、ザブンと水しぶきを上げている。
誰もいない。
大翔は釣り糸を垂らしたまま海の向こうを眺めた。
沖の方、藻の茂った岩の塊のさらに向こうに……島があるのが見えた。
緑に囲まれた、小さな島だった。
声はその島の方から聞こえてきたような気がした。
大翔と同じくらい……小学生の女の子の声だったと思う。
泣いているみたいだった。
助けを求めて、泣いている。
大翔の名前を呼んで。
(……気のせい、だよな?)
大翔は島の方を見つめたまま、ぱちぱちと目を瞬いた。
島は、ここからかなり離れている。
声が聞こえるわけがない。
何より、ここは旅行先。
大翔の自宅のマンションや小学校から、何百kmも遠く離れた土地なのだ。
大翔の事を知っている子が、いるわけがない。
テレパシーじゃ、あるまいし。
(……気を散らしてる場合じゃないぞ。大物、釣り上げなくちゃ)
大翔は気を取り直して、また海面を睨みつけた。
防波堤に座り込んだまま、釣り竿を構え直し、波に浮かんだウキに集中する。
太陽の光が照りつけてくる。
濡れそぼっていた髪も水着も、あっという間に乾いてしまった。
釣りをしてるのに、自分が焼き魚になった気分だ。
「ねえ、ヒロトー、金谷くんー、いい加減勝負は終わりにして、こっちで一緒に遊ぼうよぉー!」
「張り合ってて嬉しいわー」
浜辺の向こうから桜井悠と金谷有栖が呼びかけた。
波打ち際で直立に立ったまま、ぶんぶんと手を振っている。
悠はさっきからずっと、泳ぎもせずに、あそこに棒立ちになっているのだ。
「一緒に遊ぶって、悠、有栖、さっきから全然遊んでないじゃない」
悠と有栖の脇に座っていた宮原葵が、砂をかき集めながらボソリと言った。
「いや、僕、ずっと遊んでるよ?」
「何して?」
「打ち寄せる波に、いつまで一歩も揺らがずに、その場に立っていられるかゲーム!」
「私は大声ゲーム!」
悠と有栖は直立に立ったまま、えへん! と自慢げに胸を張ってみせた。
「僕、もう30分も、ここから一歩も動いてないんだよ! 凄いでしょ。ふっふっふ!」
「……よく分からないけど、人生の価値ある30分をムダに過ごしたって言ってる?」
葵はしらーっとしている。
桜井悠と宮原葵は、大翔の幼馴染で、友達だ。
葵は、さっきから浜辺に砂の城とか塔とかを作っては壊し、
作っては壊し……何だかつまらなそうにしている。
せっかく、海に来たのに。
「ねえ、ヒロトー、金谷くん!! 勝負とか、もう、いいじゃんかぁー。こっち来てよぉ!」
「……ほんと、もうすぐ中学生だっていうのに、子供っぽいのよね。あたしの周りは」
「あるある。でも、私達はまだまだ子供よ?」
悠が呼びかける脇で、葵はぶつぶつ言いつつ、建てた城に海水を流し込んで崩壊させる。
有栖は、弟と大翔を見ながら笑っている。
「……二人とも。なんか葵がさっきから機嫌悪いわ」
「べっつにー。機嫌悪くありませんー。
まさか、なんの反応もなくクロール対決! とか釣り対決!
とか遊び始めるなんて事はないよなーって思ってただけで……別に機嫌悪くありませんー」
「へー」
有栖は、白い目で葵を見ていた。
「……確かに、そろそろ終わりにしようぜ。釣り対決。有栖も心配してるしな」
と、防波堤の向こう側に座り込んでいた金谷章吾が、振り向いて声をかけた。
「何だよ、章吾。諦めんのか?」
勝負を開始して三分。
章吾の脇のバケツは、まだ空っぽだ。
「釣り、初めてだって言ってたもんな」
「ああ、思ったより難しい」
「いくらお前が天才だからって、そう簡単にはいかねーって事。
運動神経だけじゃない、カンや運も必要だからな。
俺は、ちょくちょく川釣りとか行くから、慣れてるけどさ」
大翔は、へへんと胸を張ってみせた。
釣りは得意なのだ。
いくら相手が章吾だからと、初心者相手に負けやしない。
大翔の見下ろしていたウキが、すうっと海中へ引っ込んだ。
大翔はゆっくりと糸を巻きながら、釣り竿を引き上げた。
小さなシーバスが一匹、エサに食いついてぴちぴちと跳ねている。
タモで掬い、丁寧に針を取ってバケツに入れる。
「へへっ。俺の戦果は二匹だぜ!」
大翔は得意顔で、バケツを章吾に突き出した。
中では小さな魚が二匹くるくると泳ぎ回っている。
章吾はバケツを覗き込み、やれやれ、と肩を落とした。
「負けたぜ、ちくしょう」
「これで一勝、返したぜ」
大翔はガッツポーズを取った。
岩礁へのクロール対決も、どれだけ長く潜っていられるかの潜水対決も大翔の完敗だったのだ。
金谷章吾は、大翔の宿命のライバルにして、有栖の双子の弟なのだ。
運動も勉強も(弾幕シューティング以外の)ゲームもなんでもこなし、
涼しい顔して勝ちを持っていく。
日頃からいろいろ勝負しているが、ほとんど大翔の負けだった。
(ふっふっふ! ついに章吾に勝てる分野を見つけたぜ! 勝利っていいなぁ……!)
ようやく勝ち取った勝利を、大翔はじーんと噛み締める。
有栖にすら、負け続きだったのだから。
「完敗だぜ。ちくしょう」
喜びを噛み締める大翔の脇で、章吾は悔しげに頭を掻いている。
「……二匹も釣るとはな。俺は、一匹しか、釣れなかったからな……」
「お、なんだ、一匹は釣れたの?」
「……ああ、俺がトイレ入ってる時か」
「ああ。何とか釣り上げた。でも、一匹だけだ」
「いや、初めてにしては、すげーんじゃないかな? よくやったよ。流石。うんうん」
大翔は頷きながら、ぽんぽんと章吾の肩を叩いた。
勝者のヨユー、章吾のバケツを、ひょいと覗き込んだ。
「……なんも入ってねえじゃん」
「バケツには、入らなかったんだよ」
「え、入らなかったって?」
大翔は首を傾げた。
「どういう意味……?」
「仕方ねーから、あそこに入れといたんだが」
と、章吾は防波堤の先の方を指差した。
ビニールボートが置かれている。
さっき、悠が乗って海へ漕ぎ出し、見事に転覆して溺れていたもの。
子供なら、二~三人は乗れるサイズだ。
大翔は覗き込んだ。
海水を入れられたビニールボートの中で、魚が一匹、窮屈そうに泳いでいた。
一抱えもあるほど、大きかった。
大人の熟練の釣り人も、釣り上げたら大喜びで魚拓を取るレベル。
大翔の釣り上げた魚なんて、これと比べたら、完全に米粒だ。
「おまえは二匹で、俺は一匹」
章吾は、呆然とする大翔の肩をぽんぽんと叩いて、にやりと笑った。
「お前の勝ちだ。流石。うんうん」
(こ、こいつ~~……!)
姉の弟は、口笛を吹きながら、涼しい顔で片付けを始めた。
恨めしげに見やり大翔はがっくりと肩を落とした。
(くっそぉー! いつか絶対、勝つからな! バカヤロぉー!)
日本列島の太平洋に浮かぶ、七里島。
その浜辺、どこまでも広がった海を見やりながら、大翔は固く決心した。
次回はこの回のメインとなる、謎の少女が登場します。
そしてエージェントも活躍しますので、楽しみに待っていてください。