琉球エージェントの死遊戯紀行   作:アヤ・ノア

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7巻編はこれで終了です。
ここがある意味ターニングポイントとなりますネ。


72 影鬼

 暗闇の中に『手術中』のランプが、ぼんやりと赤く光っている。

 長い廊下の一番奥に、手術室はあった。

 金谷章吾と金谷有栖は、手術室の前に立っていた。

 リノリウムの床を踏みしめ、ランプを見上げたまま、じっと動かずにいる。

(……治ると私は信じているわ)

 有栖が祈る中、廊下の入り口の方から、死神達がやってきたのだ。

 獲物を逃がさないようにだろう、廊下の横幅いっぱいに広がり、ゆっくりと距離を詰めてくる。

 章吾はコートのポケットに両手を突っ込んだまま、床へ向かって話しかけた。

「思ったより数が少ない。大翔達が結構持っていってくれたみたいだな」

『肩鳴らしってところだね、章吾。あの赤い奴にだけ注意して。リーダーだ』

 死神の一匹が進み出た。

 他の死神より二回り大きく、ワインレッドのローブを纏っている。

 大声を張り上げた。

 有栖は弟の影を見て、こう言った。

「何を言ってるのかしら」

『人として許されない行為。生命への冒涜。鬼の言う事なんて聞くな。早まるな、よせ』

「やめて、章吾!」

 有栖は気づき、章吾の腕を掴もうとするが、章吾は片手で腕を振り払う。

 章吾はポケットから手を抜くと振り向いて笑った。

「もうおせえよ、タコ」

「章吾! 私の声が聞こえないの!? 章吾!!」

 有栖の必死の叫びも空しく、死神の悲鳴が聞こえてきた。

 まるで、断末魔の絶叫のようだった。

 

 大翔は胸騒ぎが止まらない。

 廊下を走りながら、燭台を持つ左手が震えた。

 阿藍もまた、依頼主の有栖を心配していた。

「ヒロト!」

「お兄さん!」

 三階に上がると、十字に伸びた廊下の左右から、悠と葵が走ってきた。

 後ろに死神を二体ずつ引き連れ、ロウソクを落とさないよう小走りにやってくる。

「こっちだ!」

 合流すると、四人はそのまま廊下を直進した。

 死神達も合流してついてくる。

 全部で六体、大翔達は階段を駆け上がった。

 四階へ上がり、廊下を抜けて、屋上へのドアを押し開けた。

 月明かりに照らされた屋上に、四人は駆け込んだ。

 打ちっぱなしのコンクリートに、ベンチが数脚置かれている。

 頭上には給水塔、背の高いフェンスの向こうには、桜ヶ島の街並みが見下ろせる。

 風は止んでいた。

 

「来たぜ、章吾!」

「無事か、有栖!」

 大翔と阿藍は叫んだ。

 入り口のドアを死神達が、次々に通り抜けてくる。

 ふわふわと滑るように近づいてくると、大翔達を取り囲んだ。

「章吾っ!」

「有栖!」

 声は響いて消えていき、有栖と章吾は出てこない。

 暗く沈んだ病院の窓が並んでいる。

 死神達は大翔達を取り囲んだまま、何かを待つように動かない。

「章吾っ!」

「有栖!」

『……あの双子は来ないよ』

 声が響いた。

 同時に、大翔の足は、ガクン、と動かなくなった。

「どうした、大翔……!」

 大翔が彼の影を見ると、そこから鬼が現れていた。

 屋上の床面に針と糸で縫いつけられたようにびくともしない。

「くっ……。ま、また……っ!」

「ちょっと、何、これっ……!」

「足が動かないよう……!」

 葵と悠も、慌てたように足を見下ろしている。

 阿藍だけは、超能力者なので無事だった。

『捕まえた。濃い影ができるのを待ってたんだ』

「だ、誰だっ!」

 大翔は辺りを見回した。

 声は明らかに死神のものではなく、別の誰かがいるのだ。

「どこにいるっ! 隠れてないで、出てこいっ!」

『……まったく、みんな、同じ事を言うんだよなぁ。隠れちゃいないよ。ここだよ、ここ』

 声は……足の下から聞こえた。

 打ちっぱなしのコンクリート。

 その上に、月明かりがたくさんの影を描き出している。

 フェンスの影、給水塔の影、大翔、悠、葵、阿藍の影。

 死神達には影がない。

「くそ、影鬼か!」

『……お兄さんは気がついたみたいだね』

 光に照らされると影ができる。

 阿藍に気づかれた影鬼は、姿を現した。

『確かにおいらは、体を持って生まれてくる事ができなかった、できそこないだよ。

 でも、影の世界ではおいらが王様なんだ。無視するな。話をする時は、こっちを向けよ』

 大翔、悠、葵が真っ青になっている。

「あなたは……影鬼、よね? お兄さんの言う通りなら」

 床面に映った影をじっと見詰めて葵が問いかけた。

『そう。影の癖に鬼なんて、って顔だね? まあ、そういう反応は慣れっこだよ。

 無視されたり、踏みつけられるのは慣れてる。でもおいらは鬼なんだ』

 コンクリートの上で胸を張った。

『キミらは死神の仕業と思ってたみたいだけど、死神がそんな事をするわけないんだ。

 そいつら、筋金入りの運命主義者だから』

 と、影鬼は死神達を指差した。

 死神達は何の反応も示さない。

『機械みたいに頭が固いんだ。

 運命に死ぬと決められた人の火は消すけど、決められていない人の火は決して消さない。

 ま、ジャマな奴には脅しくらいはかけるみたいだけど』

 影鬼は、大翔達の持ったロウソクを指差した。

『あの日、おいらはこっそり地面の上から、お前らの命を狙ってたんだ。

 死神はそれに気づいて、おいらを牽制してたのさ。

 運命で死なない予定のお前らが、おいらにやられることが内容にね。困っちゃったよ』

「じゃあ、あの時、死神は……」

『そう。お前達を狙ってたんじゃない。守ろうとしてたんだよ。

 なのに、お前達、死神から逃げちゃうから。お前に至っては、死神を倒そうとしてたから。

 おいらにチャンスが巡ってきたってわけ。ま、失敗しちゃったんだけど』

 キミのせいだよ、と影鬼が、動けない悠の足をツンツンとつつく。

 悠はびくびくと震えている。

 あの時、死神が大翔に向かって声を張り上げていたのは、警告していたからなのだ。

(ああ、司令官はそれすらも……)

 司令官・糸村一は、それすらも読んでいたらしい。

 伊達にIQ600ではない、という事が、阿藍には分かった。

「でも、どうして大翔達を襲ったりしたの?

 あなたは体を持ってない……人を食べたりはしないんでしょう?」

 落ち着いた声で、葵が問いかけた。

 人質にナイフを突きつける犯人を、冷静に説得する刑事のように。

 ともかくこの場を切り抜けましょう……大翔、悠、阿藍に目で合図する。

『……だって、お前ら、特に有栖が章吾の前で、うろちょろするからさ』

 影鬼は不満そうに言った。

『おいらだって、そんな事、したくはなかったんだよ?

 お前らをやっつけたら、絶対、章吾に絶交されちゃうもの。有栖だって怒るに決まってる。

 でも、お前らが、ちょろちょろちょろちょろ……章吾の決意を鈍らせるから』

 影鬼が唇を尖らせるのが分かった。

『……だんだん、ジャマになってきちゃった。

 それで、事故に見せかけてやっちゃえば、章吾も気づかないかな、って思って、

 ちょいっと、ね。お前らがいなくなっても章吾にはおいらがいるし』

 影鬼は無邪気に笑った。

『章吾の本当の友達になれるのは、おいらだけなんだよ』

「……なんなんだ、てめえは……」

「……有栖を傷つけるような真似をして……」

 大翔と阿藍は声を絞り出した。

 我知らず、怒気が滲んだ。

 悠と葵が、ダメ、と首を振る。

(今は刺激しないで)

 だが、大翔は、我慢できなかった。

 阿藍は自分の依頼主、有栖の気持ちを踏みにじっていると思っていた。

 恋人だった鬼を倒したのだから、なおさら我慢できない。

 

『……どうして、そんな嫌な目でおいらを睨むんだ』

 影鬼が、ひゅうっと息を吐いた。

『自分の立場が分かってないの? 言ったじゃないか。影の世界ではおいらが王様だって』

 大翔の足の影につま先を乗せ、クスクスと笑った。

『ま、しないけどね。章吾に嫌われたくないもの。

 あのね、おいらがわざわざ来たのは、キミらと話し合おうと思ったからなんだ。

 章吾の元友達だもの。おいらだって、傷つけたくはないんだ』

 影鬼はぺらぺらと続けた。

『キミらも有栖も、もう章吾に付きまとわないって約束してくれればおいらはそれで満足なんだ。

 無事に帰してあげるし、これから先も何もしない。

 何なら、何かプレゼントだってあげる。欲しいものはある?』

「だが断る」

 阿藍の言葉に、影鬼は、ひゅっ、と息を呑んだ。

「有栖は、弟を助けろと俺に言った。俺はその気持ちに応えるために頑張った。

 だが、お前にはそんな気持ちなど、全くなかった。所詮、光に照らされた影だな。中身がない」

『……』

「俺は有栖の依頼を必ず果たす。有栖の弟を助ける。

 これ以上、有栖の弟に変な事を吹き込むなら殺す」

『……よく、分かった。忠告ありがとう』

 影鬼は、消え入りそうな声で呟いた。

『そうだね。キミの言う通りだ。おいら、反省したよ。

 有栖は、彼のたった一人のきょうだいだもんね。……でも、もう我慢できない。死んじゃえ』

「ぐっ!」

 阿藍は光の力を使おうとしたが、影ができるために使えなかった。

『死神達も、もうキミらを助けるつもりはないみたいだ。きっと運命が書き変わったんだね?

 キミらがここで死ぬ運命に』

 死神達は、何かに見入ったように病棟の方を見つめたまま、動かない。

『さあ、消えるよ。命の火が』

「やめろ!」

「やめてっ! お願いっ!」

「もう落ちちゃうよぉっ!」

 大翔、葵、悠の叫びに、影鬼はピュイッと口笛を吹いた。

 

『終わりだ』

 その時、どこかでまた死神の断末魔が聞こえた。

 同時に、全員のロウソクが消えた。

 燭台ごと、霧のように宙にかき消えたのだ。

『向こうは終わったか。章吾に感謝するんだね。有栖? あいつは……』

 影鬼が手を放した。

 混乱した死神達が、一斉に言葉を交わし始めた。

 甲高い声を上げて、しきりに何か喋っている。

『死神さん達。残念だけど、キミらのリーダーは倒されちゃったんだ。

 まさか死神が死ぬだなんて、キミらも思ってなかったかなぁ?

 運命には、キミらの末路、書かれてなかった?』

 ざわめく死神達に、影鬼は冷たく言う。

『運命に従って、ずっと働いてきてご苦労さん。でもキミ達はもうお払い箱だ。

 これからの運命は天が作るんじゃない。……彼が作るんだから』

どういう意味だ!

 阿藍が声を張り上げる。

 

 その時、屋上のドアが開いた。

 立っていたのは、章吾と、落胆する有栖だった。

 章吾は入り口に立って屋上の全員を見渡していた。

 コートのポケットに左手を突っ込んで、いつも通り涼しげな顔をしている。

 有栖は、そんな章吾を悲しそうな目で見ていた。

『あっちの始末は全部終わった?』

 影が章吾に訊いた。

 気安い、友達に対するような口調だ。

「ああ、全員始末した。リーダーだけちょっと手間取ったが……まあ、なんてことはなかったな」

『流石章吾だ』

「こいつらで最後か」

 ポケットに左手を突っ込んだまま、章吾はゆっくりと死神達の方へ歩いていく。

「やめて!」

 有栖は章吾を止めようとするが、章吾は意に介さない。

 死神達は、一斉に体を逆立てた。

 威嚇のような唸り声を上げ、近づいてくる章吾を睨む。

 一体がローブから骨の手を出して章吾を指差した。

 何かブツブツ呟くと、章吾の胸の前にロウソクが浮かび上がった。

「……バカの一つ覚えかっつうの。うぜえ」

―ザンッ

 次の瞬間、赤い閃光が走った。

 指を差した死神の体に、斜め一直線に。

 死神が悲鳴を上げた。

 斬りつけられたところから、ぶくぶくと泡になり始め、そのまま宙に溶けて消えた。

 

 章吾は、ポケットからだした左手を軽く振るった。

 刀についた血を振り払うように、泡が散る。

 大翔と有栖は息を呑んだ。

「金谷くん……」

「……有栖、俺は……」

 葵が呻き、悠が青ざめ、阿藍は落胆する。

 死神達が次々に吼え、一斉に章吾に飛びかかった。

 章吾は、左手を薙ぎ払った。

―ザンッ

 死神達が、二体同時に吹っ飛んだ。

 真一文字に体を引き裂かれ、そのまま泡になって宙に溶けていく。

 章吾は平然としている。

 その前後から、別の二体が飛びかかった。

 ローブの下から巨大な鎌を出し章吾の首を狙った。

「うぜえって」

 章吾はその場で体を沈ませた。

 首へ振るわれた鎌が空を切る。

 立ちあがりざま、死神を下から上へ引き裂いた。

 泡になる死神の鎌を奪うと、振り返りもせずに背後へ振るった。

 背から章吾を狙っていた死神が、斬り裂かれて溶けた。

 残った死神は一体。

 章吾に背を向け、入り口へ向かって滑るように走った。

「逃がすと思うかよ?」

 章吾は一息に、死神の前に回り込んだ。

 左手を構えると、死神の胸を貫いた。

 死神は悶え、ぶくぶくと泡になって溶けていった。

 

「終わったぞ。つまんねえ」

「ああ、なんて事をしたのよ! 章吾、私の声が聞こえるの!?」

「……もう、お前は姉じゃねえ」

「そんな……!」

 溶けていく死神達の中心で、章吾は平然と呟いた。

 肩を竦めるとコートのポケットに左手を突っ込む。

 

『お疲れ。流石だよ、章吾。カッコよかった』

 影鬼が嬉しそうに言う。

『こんなに早くその体を使いこなせるようになるなんて、やっぱり章吾は天才だよ。

 おいらも鼻が高いよ』

「……お前の褒め言葉はうんざりだ」

 章吾は溜息を吐き、それから、立ち尽くした大翔達に向き直った。

「その体……?」

 阿藍は影鬼の言葉を聞いて呟く。

「大丈夫だったか? お前ら。死神どもに、何かされなかったか?」

 気づかわしげに、四人の顔を覗く。

「囮に使うような真似して、悪かった。

 俺も、一度に奴らを全員相手にできるかは、自信がなかったんだ。

 お前らが奴らの戦力を分散してくれて、助かった。

 いざとなったら守ってくれるように、影鬼に伝えておいたんだが……あいつ役に立ったか?」

「……よくも、有栖の心配を……!」

 阿藍はぐっと拳を握る。

「……やっぱ、気になるよな。ごめん。話すよ」

 大翔達の視線に気づいて、章吾は観念したように笑った。

 彼の目には、有栖は映っていなかった。

 ポケットに突っ込んでいた左手を、ゆっくりと引き出した。

 章吾の左手は、手首の半ばから……変わり果てていた。

 黒褐色、生え揃った五本の鋭い鉤爪、そして……。

 章吾は額に手をやった。

 その額には、小さなツノが生えていた。

 真っ黒い、一本ヅノが。

 

「……鬼になったんだ、俺」

「何故だ……」

 章吾は俯いて、すまねえ、と言った。

「母さんを守るためだ。死神に対抗するには、人のままではムリだったから」

「……」

 その言葉は阿藍の胸に突き刺さる。

 阿藍は超能力者だが、その出自は望んでいないものだからだ。

 章吾は悲しそうに続け、大翔は首を振った。

 悠も葵も、何も言わない。

 喉の奥で、訊きたい事と、言いたい事が、雁字搦めになって……言葉になったのは、

 一言だけだった。

 

「なんで……」

「――僕から説明しようか?」

 と、別の聞き覚えのある声がした。

 耳にした途端、大翔は総毛立った。

 首だけ振り向けると、月明かりに照らされた給水塔の上に、ニコニコ笑って座っている人影。

 クリーム色のサマーセーターに、チノパン姿。

 

「貴様か、杉下××……!」

 阿藍は彼に殺意を向けた。

 元桜ヶ島小体育教師、杉下先生。

 その正体は、狡猾で残忍な地獄の黒鬼。

 お祭りで、遊園地で、小学校で……大翔達を何度も陥れた鬼が、人間の姿でそこにいた。

「やあ、ご無沙汰だね! みんな!」

 杉下先生は、給水塔の上に膝を組んで座り、大翔達を見下ろしてニコニコと笑った。

「またみんなに会えて、嬉しいです! 先生がいない間も、みんな、元気にやっていたかな?」

「貴様……殺す!!

「よせ、今戦っても勝ち目はない!」

「……くっ」

 阿藍は杉下先生に飛びかかろうとしたが、大翔が制止した。

 悠と葵は紙のように顔を白くして震えている。

 影鬼はコンクリートの上で膝を折り、崇めるように平伏している。

 章吾は気がなさそうに肩を竦め、有栖は悲しそうに項垂れている。

「先生がいなくて、みんな、寂しかったろう? ごめんね!

 この姿でいられるくらいに回復するまで、結構時がかかっちゃってさ。

 昔ならすぐ治ったのに……年だよね、先生、もう何百年も生きているからさあ。

 みんなみたいな子供と、不思議な人が羨ましいよ。

 みんな自覚がないだろうけど、みんなは今、生命力に溢れ、活気に満ちている時なんだよ!

 若さって素晴らしい!

 ……キミらにやられた後、そんな事を考えていて……先生、いい事を思いついたんだ」

 大翔の脇の下を、嫌な汗が滑り落ちていく。

「先生はこの通り、全盛期の力はもうないだろ?

 次の世代に、知恵と力を授けなくちゃって思ったんだ。

 いつの時代も、未来っていうのは、先生みたいな古い大人のものじゃない。

 キミ達みたいな、子供に託されなければならないものだから。

 だから先生、黒鬼の後継者を育てる事にしたんだ」

「私の弟に……!?」

 章吾は俯いたまま、黙っている。

 大翔と有栖は、体が震えてくるのを止められなかった。

「若くて優秀な子供に、黒鬼の名を継いでもらおう!

 そう思った時、真っ先に浮かんだのが……そう、章吾くんだったんだ。

 実際に戦って、優秀さは痛いほど分かってたからね。痛いほど!

 だけど、いつもいつも有栖ちゃんが邪魔するから、

 有栖ちゃんを引き離した後、影鬼くんに章吾くんを紹介したんだ」

『その節はありがとうございました、黒鬼様』

 影鬼が平伏したまま言う。

 杉下先生はニコニコと頷いた。

「章吾くんには、ある事を条件に、僕の黒鬼の体を分け与えた。手始めに、左手だけだけどね。

 章吾くんはその条件を呑んだ。条件を知りたいって? それはねぇ……」

 杉下先生は、たんっ、と給水塔から飛び降りた。

 章吾の傍らに立つと、俯いた章吾の頭を優しく撫で、ニコニコ笑って、言った。

 

「『友達』と『お姉さん』を、捨てる事だよ」

 

 大翔と有栖は、喉の奥から声を絞り出した。

「……嘘だ」

「私は……もう姉じゃないの……?」

「鬼には、人の心は不要だからね。

 立派な黒鬼になるためには、友達とか家族とかそういうの、いらないんだよ。

 ……そういう事だから、今日でキミ達と有栖ちゃんと章吾くんは、お別れ、なんだ。

 せっかくだから、お別れ会でもしようか?」

 杉下先生は、『仰げば尊し』を歌い始めた。

 屋上に、虚しく歌声が響いていく。

「嘘よ……」

 有栖は首を振った。

「いいや、嘘じゃないんだよ」

 杉下先生は、聞き分けのない生徒に言い聞かせるように、穏やかに首を振った。

「キミの元弟は、これから鬼の道を行くんだよ。人生の岐路には別れがつきもの。

 有栖ちゃん。キミも元弟なら、笑って送り出してあげようよ」

「嘘よ!」

『受け入れなよ。章吾自身が選んだ事だ』

 影鬼が呆れたように言い、有栖は首を振った。

「……いや」

「……すまねえ、有栖」

 章吾は俯いたまま、力なく言った。

「こんな体になっちまった以上、もう、有栖とは一緒にいられねえや」

 そして、有栖に背中を向けた。

 

「……ここまでだ」

 弟が鬼になったなんて、嘘だ。

 友達と家族を捨てたなんて嘘だ。

 もう会えないなんて嘘だ。

 全部、嘘っぱちだ。

 

「いやああああああああ……!」

 有栖は、ただ悲しむしかなかった。




次回は8巻編……ですが、実際はオリキャラ組のターンです。
あくまで、タイトルは「琉球エージェントの死遊戯紀行」ですから。
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