桜ヶ島神社の裏山で、二人の少年と一人の少女が向かい合っていた。
陽は落ち、辺りは闇に包まれている。
雨が降り、葉っぱをぽつぽつと叩く音がする。
大場大翔、金谷章吾、金谷有栖。
二人は友達で、ライバルで、双子で、きっと親友のはずだった。
ついこの前までは、確かにそうだったのだ。
「お前らのこと、友達とか、姉だって、思ってたはずなんだ」
章吾は、低い声で呟いた。
「でも、今ではその気持ち、分からなくなっちまった。
友達ってなんだ? 家族ってなんだ? ククッ……」
「章吾……」
くつくつと、忍び笑いを漏らす。
以前とは違う、嫌な笑い方だ。
その左手には、鋭い鉤爪が生えている。
人間のものでは、あり得ない。
左手だけでなく、章吾の左半身は、首元から足まで黒く染まって、禍々しい気を放っていた。
有栖は、呆然と、目の前の変わり果てた弟を見つめている。
「俺はもう半分、鬼になったんだ」
「なんで……」
口の端からニュイッと牙を覗かせ、章吾は笑った。
「今ならお前らを八つ裂きにするのだって、何の抵抗もなくやれそうだ。
試してみるか? 大翔、有栖」
ニタリと笑って、すごんでみせる。
それでも、大翔と有栖は動かない。
「……章吾。今まで、どうしてたんだよ?」
「お兄さんの言う事、聞けなかったの?」
じっと章吾の目を見つめて、口を開いた。
落ち着いた口調だった。
見つめる章吾の左目は、もう感情を映していない。
冷たい光を放つ、鬼の目玉だ。
普通の人なら、気味悪がって目を逸らす。
大翔と有栖は逸らさず、章吾を睨みつけた。
「あなたがいなくなって、みんな、心配してたのよ。クラスのみんな、学校のみんな。
当然、私もお母さんも心配してたのよ」
有栖は姉として、弟を叱りつける。
「さっさと帰ってきなさい。鬼になんてなってんじゃないわよ」
「……どうやら自分の立場が分かっていないらしい」
章吾はにやっと笑うと、有栖の目の前で、ひらひらと右手を振った。
「……!」
有栖は、腹にパンチを叩き込まれる寸前、超能力でバリアを張ったのだ。
バリアは砕け散ったが、おかげで二人とも、怪我をせずに済んだ。
「有栖!」
「これ、何なの? あり得ない!」
慌てて駆け寄ってこようとするのは、大翔の幼馴染の桜井悠と宮原葵だ。
大翔はそれを手で制した。
「勘違いしてんじゃねえ。俺はもう、以前の金谷章吾じゃねえ。黒鬼の後継者なんだ。
人間風情が、俺に命令をするな」
「……」
有栖は、章吾の鬼になっていない腕を握っていた。
「ここに来たのだって、助けに来たわけじゃねえ。
目障りなんだよ、お前らがちょろちょろやってんのが」
大翔達はこの一ヶ月、鬼祓いの秘技の修業をしていたのだ。
鬼になった章吾を追って、人間に戻すために。
ちなみに琉球エージェントは、自身の超能力の理由である桃鬼と和解している。
「姉であっても、もう俺に関わんな。分かったか?」
章吾は屈んで、有栖の腕を振り払い、有栖の顔を覗き込んだ。
だが有栖は、首を横に振る。
「嫌よ。さっさと帰ってきなさい!」
有栖は章吾を取り押さえるべく、念力を使った。
章吾はひらりと身をかわし、有栖の襟首を掴み上げた。
「分かりやすく言ってやる」
有栖の首筋に、ぴたりと鉤爪を突きつける。
「金輪際、俺に関わるな。YESと答えれば命は助けてやる。NOと答えればこの場で殺す」
ぐいっと襟首を持ち上げられ有栖の爪先が浮いた。
有栖はきっと、弟を睨みつける。
「なんで? なんであなたは鬼になったの?」
「有栖には分からないだろうな。恐怖と苦痛ってのが、最高のスパイスだってことがな」
そう言ってニタリと牙を剥く章吾の表情は……鬼そのものだった。
「いい加減にしなさい、章吾。私は絶対に諦めないんだから」
「有栖はどんな時でも強いなあ」
章吾は、ぐいいっ、と、有栖を眼前に引き寄せて……。
「そのまま聞け。俺の後方に、黒鬼がいる」
ぼそりと囁いた。
大翔と有栖は目を見開いた。
「見るな。気づかれたらまずい。そのまま話を聞くんだ」
章吾は小声で、ぼそぼそと囁いた。
「10時の方向だ。見張ってやがんだ。俺が鬼として振る舞えるかどうか、さ」
「……それが理由なのね」
向こうの木の陰に、杉下先生が立って、こちらを伺っている。
有栖は、それを理解した。
杉下先生……その正体は、桜ヶ島小に潜り込んでいた地獄の黒鬼だ。
自分の後継者を欲しがっていて、鬼として育てるために、章吾をさらっていった。
まるで授業参観にやってきたように、ニコニコ笑って章吾を見つめている。
「無理矢理連れてこられたんだ。課外授業だとか言ってよ」
「相変わらず最低な奴ね」
「家族を殺せないようじゃ、立派な鬼になれないんだとさ。なりたくねえっての」
章吾は、文句を言うように唇を尖らせた。
杉下先生は、嬉しそうにスマホのカメラを章吾に向けた。
カシャカシャとシャッターを切っていて、おまけに写真魔である。
先生として、教え子が育っていく思い出の一ページを写真に残したい、だそうだ。
有栖は杉下先生を倒したいと思ったが、まともに戦えるのはエージェントだけだ。
「連れていかれてからずっと、あの調子なんだ。滅茶苦茶うぜえぞ」
心底、鬱陶しそうに喋る。
その口調は以前の章吾と何も変わっていなかった。
先程までの冷酷な気配は消え失せている。
「ああ。鬼になんてなっちゃいねえよ。中身は俺のままだ。有栖の弟のままだよ」
章吾は頷いてみせた。
少し頬が赤い。
「あんな鬼の後継者になんかならねえさ。
元から、鬼の力だけいただいて、ずらかるつもりだったしな。
黒鬼といったって、なんて事ねえ」
そう言って、ニヤリと笑ってみせるが、姉の有栖は首を振った。
(そんな事……あるわけないわ。
だって……あの人達はともかく、私達みたいな子供には……耐えられないもの)
「だから、有栖が心配する必要なんてねえんだ。お前らの方が心配だ。
これ以上首を突っ込んで、黒鬼に本気で邪魔だと思われたら、殺されるぞ。
これは俺自身の問題だ。お前らも有栖も関係ねえ。手を引くんだ」
「ダメ!!」
有栖は、章吾をいきなり平手打ちした。
大翔は彼女を見て、目を見開く。
「……痛い」
「私、章吾が鬼になるほど、章吾を理解していなかった。
いや、杉下先生が悪いかもしれないけど、それ以上に私が悪かった。
だから、私が代わりに鬼になるわ。章吾、帰ってきて!!」
有栖は弟の苦しみを引き受けるつもりらしい。
相手が鬼であっても章吾は章吾、自分の弟である。
鬼としてではなく、弟として見ている……それが、彼女を奮い立たせているのだ。
「そこね!」
二人が顔を向けると、杉下先生が笑っていた。
ひいひいと苦しげに息を切らし、腹を抱えてげらげら笑っている。
「それが
笑いすぎて涙目になっている。
ようやく笑い声を引っ込めるとニコニコと言った。
「……ふう。やっぱり課外授業は面白いね。
久しぶりに大翔君達の元気な姿が見られて、先生、満足です。
それじゃ、そろそろ帰ろうか、章吾君」
「ふ、ふざけんな。人の話、聞いてたのかよ。鬼め」
大翔と有栖は杉下先生を睨みつけ、ぐっ、と腰を落とした。
「帰るなら、一人で帰れよ」
「章吾は、連れて行かせな……」
「今度開くパーティの招待状なんだ。章吾君をお祝いする会を、盛大に開こうと思ってるんだ。
君達にも大切な友達として、是非、来てほしいな。待ってるよ」
言うと、大翔の頭をポンポンと叩き、章吾を追って歩き去っていく。
その気配が消えるまで、大翔はその場から一歩も動けなかった。
有栖は、ただ章吾を睨みつけていた。
踵を返し、木々の向こうに消えていく。
歩き去った章吾の背中を見送ると、杉下先生は満足そうに頷いた。
「うふふ。いつもは反抗的だけど、お母さんとお姉さんの事になると、
途端に素直になるんだよね、章吾君」
「……」
「言う事を聞くからあいつらに手を出さないでくれってお願いしてくるんだ。
あのプライドの高い章吾君が。ククッ。いいよねえ、大切な人がいるって。
素晴らしいよねえ……」
「……」
大翔と有栖は、握った拳をぶるぶると震わせた。
「うふふ。怒ってる、怒ってる。自分ではなく、他人のために怒りを感じる子供達は面白いね。
――これ、あげるよ」
杉下先生は、ハガキサイズのカードを一枚取り出すと、立ち尽くした大翔の手に握らせた。
「ここまで酷い奴だと、逆にすっきりするわ」
しばらくすると、杉下先生も、章吾の姿も消えていた。
「……何が何でも、あいつを倒さないと……」
有栖は、杉下先生に対する敵意が最大になった。
翌日。
「……おにーちゃんたち、なにやってるの?」
リビングのドアを開けた結衣が、きょとんと首を傾げた。
お気に入りの熊のぬいぐるみを抱えて、とことこと部屋に入ってくる。
「なんのあそびしてるの? ゆいもまぜて」
「しっしっ。結衣は向こうに行ってろよ」
大翔はボルトクリッパーを握り締めたまま、五月蠅げに手を振った。
悠はカーペットの上に正座し、背筋を伸ばして集中している。
葵はテーブルについて、睨むようにノートに向かっている。
有栖はというと……精神をじっと集中していた。
「ゆいもあそびたいなあ……」
ばらばらに集中している四人を見て、結衣が唇を尖らせる。
大翔は、母と、妹の結衣との三人暮らしだ。
母は仕事で忙しく、家を開けている事が多い。
昔から悠と葵と集まる時は、大翔の家に行く事が多かった。
特に、大人の前でしにくい事をする時は。
悠は目を閉じ、額に紙切れを当てがって、ぶつぶつと何か呟いている。
暗唱しているのは、国語の時間に習った竹取物語。
知らない人が見たら何やってるんだと思うだろう。
葵は筆ペンを握り締め、流れるようにノートに文字を綴り続けている。
有栖は何も考えず、ただ只管に瞑想をしている。
大翔も作業を再開した。
百円ショップで買ってきた、金属製のドリンクホルダー。
これをボルトクリッパーで切断し、握りやすいY字型にして、ヤスリで削る。
使い古しの革ベルトにハサミを入れる。
クローゼットの奥から持ち出してきたものだ。
「あー、それおかーさんのでしょ。いっけないんだよー」
じっと見つめていた結衣が、唇を尖らせる。
無視して大翔はベルトに錐で穴を開け、ゴムチューブでV字と結びつける。
用意しておいたビー玉をベルト部にセットし、ゴムチューブをぐいっと伸ばし……手を放す。
―バシュッ
勢いよく放たれたビー玉が、クッションに叩きつけられた。
スリングショット、簡易的なものはパチンコ、大型のものはカタパルトともいう。
「あー! あぶないやつだ! おにーちゃんたち、またわるいことしようとしてるんだー!
いっけないんだよー!」
結衣がソファに乗って騒いだ。
「だめなんだよ!! おかーさんに、いいつけちゃうからね!!」
「そんな事したら、結衣のぬいぐるみをマトに使っちまおっかな~」
「あ、やめて! おにーちゃんのいじわる! ひとでなし!」
「けっけっけ。ひとでなしのおにーちゃんでーす」
「さぁ結衣ちゃん、人でなしヒロトはほっといて、あっちで遊ぼ~」
悠がニコニコと言って、結衣を向こうへ連れていった。
のんびり屋の悠は、小さい女の子の扱いが上手い。
「まったくもう、結衣ちゃんに意地悪しないの。ほんと、ガキなんだから」
ペンを走らせながら、葵が言った。
ずっと書き取りしているのかと思っていたら、いつの間にか計算ドリルをやっている。
「バレたら面倒だろ。すぐ母さんに言いつけるんだもん、あいつ」
大翔は、ソファの陰に隠しておいた荷物を引っ張り出した。
バンソウコウ、傷薬、包帯……各種救急キット。
膝当て、肘当て、グローブなどの防具類。
スポーツショップで買ってきた。
短めの木刀、スリングショットに弾丸用のビー玉。
大翔は服の下に膝当てと肘当てを仕込むと、腰のベルトに木刀を挟んだ。
ぎゅっとハチマキを結ぶ。
「準備完了!」
ぐるっとバク宙して着地すると、拳を突き上げる。
「……下の階から苦情が来るわよ?」
葵が肩を竦めた。
悠、葵、有栖が帰ると、その後はいつも通り過ごした。
夕食を食べて、テレビを見て、お風呂に入って、一応宿題も済ませて、ベッドに入る。
夜明けと共に起き出した。
母には、朝から悠達と出かける、帰りは遅くなる、と言ってある。
顔を洗って歯を磨き、着替えて荷物をまとめ、玄関に向かう。
「……おにーちゃん。でかけるの?」
背中から声がかかって、大翔は驚いた。
「……何だよ、結衣。脅かすなよ」
大翔はしっしっと妹を手で追い払う。
「悠、葵、それから有栖と、遊びに行くんだよ。連れてかねーぞ? 遠出するんだから」
「おかーさんに、ちゃんといった?」
「もちろん、いったよ」
「鬼のところいってくるって、ちゃんといった?」
「流石にそこまでは……って、お前、なんでそのこと――」
大翔は、ハッと口を押さえた。
「有栖おねえちゃんにきいたもん。いなくなった金谷のおにいちゃん、おむかえにいくんだって」
「……有栖の奴」
「いっけないんだよー、おかーさんにいいつけちゃう……とおもったけど、いいよ。いわないよ」
「ほんとか?」
「そのかわり、ちゃんとつれてかえってきてね、金谷のおにいちゃん」
結衣は有栖や章吾とも会った事がある。
彼女は二人を有栖おねえちゃん、金谷のおにいちゃん、と呼んで慕っているのだ。
「金谷のおにいちゃん、いえ、かえらないって、いってるんでしょ? いっけないんだよー。
いくらイケメンだからって、ワガママはだめなんだよー。
イケメンは、みんなのお手本にならなくちゃいけないんだから。
だから、ちゃんとつれてかえってきてくれるなら、おかーさんにいわない。約束できる?」
結衣は言って、小指を差し出した。
「分かった。約束する。必ず章吾を連れて帰る。だって、有栖もそう望んでるもんな」
大翔は指きりげんまんすると、腕を叩いた。
「お兄ちゃんに任せとけ」
マンションの入り口で、悠、葵、有栖、そしてエージェントと合流した。
悠はリュックを背負い、葵は肩掛けのバッグを持っている。
敷地を出ると、道路に車が一台、停まっていた。
オンボロのセダンだ。
あちこちベコベコに凹んでいる上に、砂埃が厚く積もっていて、
元の色が何色だったかすら分からない。
ウィンドウがのろのろと降りると、荒木先生の顔が覗いた。
「本当に行くんだな?」
「ええ」
荒木先生は、八人の顔を見回す。
「この招待……言うまでもないが、100%、ワナだ。生きて帰れるか分からない。
それでも行くんだな?」
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、っていうしね」
葵が澄まし顔で言った。
「虎の子は別に欲しくないけど、金谷くんは友達だし、何より」
「私の家族だもの」
悠と有栖がニコニコと笑った。
「アタシ達も任務で来てるしね~」
「まだ、殴り返せてないしな」
織美亜は笑みを浮かべ、大翔はパシンと掌を拳で叩いた。
荒木先生は豪快に笑うと、車のドアを開けた。
「それじゃ、行くぞ!」
絶望鬼ごっこの鬼って、基本的に人間と和解しないんですよね。
イレギュラーの桃鬼は例外ですが、だからこそエージェントは冷徹です。
鬼は彼らにとっては、倒すべき対象でしかないのですから。