しかし、エージェントは大人なので、こういう風になります。
だってエージェントですから。
「……あの童も異能者とは」
「甘く見るんじゃないわよ」
微力ながらも超能力が使える有栖に、叉鬼はある意味で圧倒された。
陽は西に傾き、黒雲の広がった空は、沈んだ赤茶色に染まっている。
北西の空に時折上がる花火は、だんだんと間隔が長くなっている。
エージェントが現れたのは、それから数分後。
織美亜は叉鬼にケルベロスを倒した事を報告した。
相手はかなり強く、実際はギリギリだったが。
「ケルはやられたか……。異能者どもめ。規則に従わぬものめ。今すぐに排除してくれる」
「でも、任務だから」
「もう、道案内はできぬ。それでもよいか?」
「転移があるからな」
相変わらずのエージェントである。
そして、有栖は叉鬼の前に立って言った。
「弟はどこ?」
有栖は双子の弟を追ってきた。
彼女は一切の迷いを見せていない。
「そうか、家族のためか。ふぇふぇっ……ふぇっふぇっふぇっ!」
「何がおかしいの?」
「愚かなものよと思うてのう。そんなもののために、命を粗末にしようとするとは。
くだらぬ。実にくだらぬ」
「あなたには家族がいないのね」
有栖が溜息をつくと、その首に、ピタリと箸の先端が突きつけられた。
「その絆を、黒鬼に利用されている事が分からんか」
「どういう意味よ」
「黒鬼は、鬼になりつつあるぬしらの仲間に、絆を失わせようとしているのだ。
しかも、より、そやつの絶望が深くなるようなやり方で、だ」
「……どういう事?」
「意味が分からない」
大翔と葵が眉をひそめる。
叉鬼はくるりと箸を回し、有栖の腕の上に置いた。
「ヒトを完全な鬼とするには、その心をヒトに繋ぎ止める楔を断ち切らねばならぬのだ。
そして、その楔となるのが、家族や友達……大切な人の存在よ。
そうした者がいる限り、ヒトが完全に鬼となる事はできぬ」
だから黒鬼はぬしらを消したいのだ、と叉鬼は言った。
要するに、絆が鬼化を拒んでいるという。
「そして、鬼の力とは、絶望を糧にして湧きいづるというのが、黒鬼の考え方なのだ。
より強い鬼を育てるためにはより強い絶望が必要だ、とな。このまま進めば、ぬしら……」
叉鬼は笑った。
「その友達に、喰われる事になるぞ」
弟に食べられる、そんな事実を聞いた有栖の顔が少し青くなる。
「残った絆は、私だけ……」
「章吾が俺達を喰ったりするもんか!」
大翔は身を乗り出したが、叉鬼は首を振った。
「喰うさ。鬼の力に屈してな。体が鬼となれば、心もまた鬼となるのだ」
「あいつは、鬼の力に屈するような奴じゃねえ!」
「絆がなくなれば、章吾は……」
「ぬしらはどうだ? こやつより頭はよかろう?」
悠と葵、琉球エージェントに顔を向けた。
「僕はヒロトと同じ考えだよ」
「大翔より頭はいいと思うけど、この件に関しての考えは同じね」
「同意はしない」
「きっと、あいつの絆を断とうとしてるから」
「あの黒鬼が何もしないわけがない」
「だから、アタシ達は急ぐの」
悠と葵が澄まして答えた。
反対にエージェントは最悪の状況を想定しており、章吾が完全な黒鬼になる可能性を抱いた。
「ならば仕方あるまい。……実力で決着をつけるしかないの」
叉鬼はコテージの壁に立てかけられていた、弓と矢筒を手に取った。
子供達は緊張して、腰を浮かせた。
エージェントは、叉鬼を睨んでいる。
「一つ、ゲームで決着をつけんか?」
叉鬼は、ニマッと笑って言った。
「その昔、ワシが人だった頃、よくやっていたゲームだ。
交互に弓を射て、より多くマトを撃ち抜いた方の勝ちというゲームだ。要は、射的だな」
叉鬼は弓を手に、八人の顔を見渡した。
「ぬしらが勝ったら、森を通してやろう。黒鬼も知らぬ、秘密の抜け道を教えてやろう。
その抜け道を使う以外、ぬしらが生きて友の下へ辿り着く術はあるまい」
叉鬼は続けた。
「ぬしらが負けるか、勝負を諦めるなら、大人しく家に帰ってもらう。恨みっこなし。
正々堂々と戦い、勝った方の意見に従う勝負だ。
脅しや言い合いを続けるよりも、よほど建設的であろう。どうだ、やるか?」
子供達とエージェントは、顔を見合わせ、頷き合った。
「やる」
「よろしい。ルールはこうだ」
射的ゲームのルール
①射手は、鬼一匹と人一人。
②それぞれ二射して、マトを撃ち抜いた数の多い方が勝ち。
③マトとの距離は、鬼と人の話し合いで決める。
④「マトとなるもの」と「マトの置き場所」は、鬼と人が片方ずつ決める。
⑤不正を行った場合は、即負けとする。
⑥この「不正」に、能力は含まれない。
「二つ意見があるわ」
ルールを聞き終えると葵がそう言って手を挙げた。
「その1。使い慣れた武器を使わせてほしいわね。
本職の狩人と弓で勝負だなんて、フェアじゃないもの」
「構わぬ。弓でも銃でも貸し出すし、そのスリングショットを使っても構わぬ。
ただし、その場合には石を使ってもらう。ビー玉では、マトを撃ち抜けん」
「分かったわ」
葵は頷いた。
その2、と言って続けた。
「同数だった場合は、どうするの?」
「同数とは?」
「マトを撃ち抜いた数が、同じだった場合」
「……ぬしらの勝ちでもよい」
「ありがとう、おじいちゃん」
葵は、ニコッと微笑んだ。
ぼそりと大翔、悠、有栖に囁きかける。
「……こういうのは、ルール決めからが勝負よ。少しでもいい条件を引き出さないとね」
「なかなかやるわね」
続いて子供達はマトにするものを決める事にした。
叉鬼に選ばせて、あまり小さなものをマトにされたら不利だ。
デザート用にバスケットに盛られていたリンゴに決めた。
「後は、距離ね」
「これもハンデをやろう。ワシは100m、ぬしらは10m、いや、8mでよいぞ」
随分たくさんハンデをくれる。
それだけ腕に自信があるのか、それとも、大翔達を舐めているのか。
射手は当然、大翔だ。
武器は使い慣れたスリングショット。
叉鬼と子供達は、ベランダを降りた。
「試し撃ちしていいか?」
「構わぬ」
大翔はリンゴを二つ、ベランダの手すりの上に並べた。
地面に転がっていた石を拾うと8m歩いて向き直る。
スリングショットに石を番え、構えた。
息を吸ち、止め、ベルトを引き絞る。
―バシュッ!
狙い通り、リンゴを撃ち抜いた。
もう一度撃つ、また狙い通りだ。
二つのリンゴがパックリと砕け、ポタポタと果汁をしたたらせている。
大翔はガッツポーズを取った。
悠、葵、有栖が拍手している。
「やるの、童。思っていたより、ずっといい腕ではないか。驚いたぞ」
「へへっ。今更、距離を変更とかは、なしだぜ? じーさん」
大翔は、にやっと笑った。
「さあ、勝負だ」
「うむ」
叉鬼は頷き、100mきっかり離れ、8m地点も書いた。
「何をしようっての?」
「……これだ。気をつけしてくれるかの?」
「……」
「そうだ。もう少し顎を引いてくれるかの?」
二人はそうした。
「……よし。そのまま、動かずにいてくれるかの?」
叉鬼は、二人の頭の上にリンゴを乗せた。
「これで双方、準備完了」
大翔の横に並んで立つと、叉鬼は頷いた。
「さあ、童よ。勝負だ」
「……な、なんのつもりだよ?」
大翔は言葉を失って、悠と葵を見やった。
有栖とエージェントは、三人の様子を見ている。
葵は気をつけしたまま、青ざめた顔をして立ち尽くしている。
悠も並んで気をつけしたまま、まだよく分からなさそうに目を瞬かせている。
二人の頭に乗せられた、小さなリンゴ。
「なんのつもりとは?」
「なんで、あんなところに置くんだよ……?」
「何か問題か? マトとの距離はわしは100m、ぬしは8m。距離の変更とかはしとらんだろう」
叉鬼は、ニヤニヤと笑い続けている。
「あ、頭の上に、置く事ないだろ……?」
「これは射的。手すりの上に置いたとて、頭の上に置いたとて、狙うマトは何一つ変わらぬ。
何故不満かの?」
「そ、それは……」
「外したら、二人に当たってしまうかもしれない……と、言いたいのかの?」
「……」
「言ってよいぞ? 思い切り、言ってよい」
黙り込んだ大翔に、叉鬼はニマッと笑って顔を向けた。
するすると、目隠しを外す。
血のように真っ赤な鬼の目玉が、爛々と光って大翔を見つめた。
「『外したら、二人に当たってしまうかもしれない』、
『外したら、目に当たって失明するかもしれない』、
『額に当たって、友達の頭が、あの砕けたリンゴみたいに、パックリ!
……割れてしまうかもしれない』……そう言いたいのだろ?」
「……」
「かもしれない、かもしれない……不思議な事に、そう言うごとに、
ぬしの弾は真っ直ぐに飛ばなくなっていく。狙いが定まらなくなっていく。
言ってよいぞ! さあ、思い切り、言え!」
「ぐっ……!」
大翔は、ぎりっと奥歯を噛み締めた。
叉鬼は高らかに笑っている。
「も、もう一度、試し撃ちしていいか……?」
「構わぬ」
大翔はリンゴを二つ、ベランダの手すりの上に並べた。
地面に転がっていた石を拾い、8m歩いて向き直る。
スリングショットに石を番え、構えた。
息を吸い、止め、ベルトを引き絞り、撃った。
―バキッ!
石は勢いよく手すりに当たった。
手すりが鈍い音を立てて、へし折れる。
もう一度撃った。
―ガシャンッ!
向こうのテーブルの上で、椀が粉々に吹っ飛んだ。
破片が散らばり、鍋の汁がベランダを流れていく。
「あ……」
大翔は立ち竦んだが、エージェントは平然としていた。
「練習は済んだか? では、位置につけ」
叉鬼に背を押され、大翔は地面の線についた。
足元がふわふわして、地面を踏んでいる感触がなくなった。
まるで綿菓子の上を歩いているようだ。
「弾を拾えぇ」
地面に落ちている石は皆、ゴツゴツと尖っていた。
もっと小さい石を……大翔は必死に探した。
「ワシから射ろうかの」
叉鬼は弓に矢を番えた。
リンゴに矢を向け、弦を引き絞り、射た。
―スコンッ
リンゴを、矢が射抜いた。
「1点先取。次は、ぬしの番だ」
「……」
「どうした? 顔色が悪い。さあ、撃てい」
大翔は踏んばり、スリングショットを構えた。
腕が鉛のように重い。
悠と葵が、気をつけをして立っている。
二人の目が、拝むように必死に、大翔を見つめている。
何百回も、何千回も目を合わせてきたはずなのに、
何故か、二人の目を初めて見るような気がする。
かけがえのない、友達――有栖もそう思っていた。
「ふぇふぇっ。手が震え始めたの。
自分の命が危うくなっても懲りぬが、友達を危険に晒すのは耐えられぬと見える。
弱い。弱すぎるわ」
「そう、お前は弱い」
叉鬼は、目をぎらつかせて笑い、阿藍は冷たく大翔に言った。
「だったら、私が代わりに……」
「……手出しは禁物だ」
「……」
有栖は自分がやろうと手を出そうとするが、叉鬼に言われ、何も出来なかった。
「さあ、よく見ておけ。友達の潰れてない顔を見るのは、これで最後なのだからな。
ぬしが撃った弾で、友達は大ケガよ」
「……くっ」
「さあ、弾を番えろ」
大翔は、スリングショットに石を番えた。
「引け」
ベルトを引いた。
「こうするのだ」
叉鬼が背中から、大翔の両手を取った。
ぐいいっ、と力いっぱい、ベルトを引き絞らせる。
「さあ、撃て」
「……」
手が震えて、狙いが定まらない。
ぶるぶる、ぶるぶる、自分の手ではないようだ。
「……ワシはこのゲームに負けた事がない」
叉鬼が呟いた。
「その昔、ワシがまだ人だった頃、ワシにも友達がおったのよ。友情を信じている者達がよ。
ワシらは互いに力を競った。誰が一番か、このゲームで決める事にした」
叉鬼は高笑いした。
「だが、誰も射つ事はできなかった。射つ事ができたのは、ワシだけだ。
十年来の友の頭の上にも、育ててくれた親の頭の上にも、
ワシだけは迷いなく矢を向け射る事ができた。
そうしてワシは悟ったのだ。これこそが、強さなのだとな」
「ああ……時に情を捨てなければならない時もある」
かつて恋人を討った阿藍は、痛いほど思い知った。
「ワシは国一番の弓手となり、
ワシの周りに人はいなくなり……いつしかワシは、鬼となっていたのだ」
鬼は、大翔の耳元で囁いた。
「最後の忠告よ。家に帰れぇ。ぬしには撃てぬよ。ぬしは優しすぎる。
それでは鬼に喰われに行くようなものだ。
帰れ。まだ間に合う。友達を傷つけたくはあるまい?」
「う、ううっ……」
大翔の、スリングショットを持つ手が震える。
その時……。
「もういい」
そう言って前に出たのは、阿藍だった。
阿藍は大翔からスリングショットを奪うと、悠に向けて構えた。
「乱入は、不正行為……」
「黙れ」
叉鬼の言う事を無視し、阿藍は撃った。
―バシュッ!
悠の頭に乗ったリンゴが、弾け飛んだ。
大翔は目を見開き、悠が首を竦めて息をついた。
頭には、傷一つついていない。
「……君は、光使いなのに……まるで、闇だ……」
「これで一対一。ではワシの番じゃの」
鬼は大翔の代わりに出た阿藍の横に並ぶと、弓に矢を番えた。
鬼が外せば、自動的に人間側の勝ちだ。
引き絞って射た。
―スコンッ!
リンゴを、矢が貫いた。
「これで2点。さあ、ぬしの番だ。撃ち抜けばぬしの勝ち、外せばワシの勝ち」
阿藍は黙ったまま、石を番え、撃った。
その動作には、一切の迷いがなかった。
―バシュッ!
葵の頭に乗ったリンゴが、粉々に砕け散った。
「……やるのう。まさか、両方撃ち抜くとは」
あっさり決着し、叉鬼が拍手した。
悠と葵は、顔をリンゴの果汁で濡らしながら、突っ立っている。
当然、ケガはしていなかった。
二人は、ずるずると地面にへたり込み、放心したように抱き合っている。
「……時には、情を捨てなければならない時がある。お前達のような子供には、できない事だ」
織美亜達エージェントは10代後半で、阿藍にいたってはもうすぐ成人を迎える。
いつまでも、子供のままではいられないのだ。
「ぬしなら当然だと思った。ワシの負けだ。約束通り、抜け道を案内してやろう。
……だが、ケルがいない」
「俺が案内する」
阿藍は、どこか黒いオーラが湧き出ていた。
しかし、その目には温かい光がまだ宿っていた。
次回で小学校編は最終章です。
大翔達は章吾を救う事ができるのでしょうか?
そして、エージェントは任務を遂行できるのでしょうか?