霧を抜けると、錆びついた門の向こうに、古びた屋敷が聳え立っていた。
血のように真っ赤に染まった空を、黒雲がゴウゴウと流れ去っていく。
大場大翔達は足を止めると、ごくりと息を飲んで屋敷を見上げた。
エージェントの目は、相変わらず鋭い。
「言うまでもないと思うんだけど一応言っておくね」
隣で桜井悠が呟いた。
「あの建物、すっご~く、嫌な予感がするよ。
嫌な予感がしすぎて、逆にもう、いい予感なんじゃないかと思うくらいだよ……」
「攻略すればいいじゃない」
「ゲームじゃないんだよ、金谷さん」
悠は青い顔をして、呻いている。
彼はのんびり屋で、ドジなところもあるが、直感がとても鋭く、嫌な予感がよく当たるのだ。
大翔は注意深く、屋敷を観察した。
朽ちかけた、背の高い洋館だ。
壁はあちこち剥がれ落ち、窓もほとんどひび割れている。
庭園には、ぼうぼうと生い茂った草。
煙のように漂う瘴気。
庭の中に並んだもの達に気がつき、ハッとした。
鬼だった。
大きさも姿形も様々な鬼達が、ずらりと二列に並んで立っている。
まるで祈りでも捧げるように、胸に手を当て、屋敷の方に頭を垂れているのだ。
「桜ヶ島小学校6年、大場大翔、桜井悠、宮原葵、金谷有栖、来たぞ!」
大翔は叫んだ。
「ま、待ちなさい!」
「誕生会の誘いに答えて、やってきた! 今、行くからな! 待ってろ!」
声は敷地に、朗々と響いていく。
悠、葵、有栖が口元を引きつらせる。
それでも鬼達は、反応しなかった。
まるで彫刻のように、ピクリとも動かない。
いつもなら、人間と見ればヨダレを垂らして襲い掛かってくるのに。
「……まったくもう。わざわざ啖呵切って、どうするのよ?」
宮原葵が、溜息をついた。
頭が良くていつも冷静な、頼れる仲間だ。
「でも、よく分かったわ。屋敷の中に、何かがいるのよ。
食欲の権化みたいな鬼達が、あたし達に興味をなくすくらいの、凄い何かが」
「行くぞ、みんな」
大翔は足を踏み出し、エージェントは、身構える。
大翔達は、庭園を進んだ。
脇を通り抜けても、鬼達はやはり動かない。
開け放たれた玄関扉から中に踏み込むと、床板が、ギシッ……と音を立てて軋んだ。
だだっ広い玄関ホールだった。
真っ赤な絨毯に、シャンデリア。
窓から射し込む赤銅色の光に、宙に漂う埃。
左右と奥に、長い廊下が伸びている。
ホール正面には階段があり、踊り場のところで左右に分かれている。
「上だよ。気配が漂ってくる」
四人と四人は寄り集まるようにして、階段を登っていった。
(無事でいてくれ、章吾)
大翔は、心の中で祈った。
鬼に連れ去られた友達を、有栖の双子の弟の、
金谷章吾を連れ戻すために、大翔達はここまでやってきたのだ。
早朝、マンションを出発してから、既にかなりの時間が過ぎている。
その間、章吾をさらったあの鬼が、ただ手をこまねいていたとは思えない。
(今、助けに行くからな。待ってろよ)
「この奥よ」
ずっと向こうまで伸びた、二階の廊下。
軋む床板の上を四人と四人は奥へと進んでいった。
並んだドアの一番奥で、織美亜は立ち止まった。
「……気をつけて。誰かがいるわ」
七人は顔を見合わせ、頷き合った。
(章吾、どうか無事でいて……)
有栖はドアノブに手をかけると一気に引き開けた。
祈りは……届かなかった。
「何よ……これ」
部屋の中は、まるで巨大な怪獣が踏み荒らしていったように、荒れ果てていた。
壁にはあちこち穴が開き、瓦礫が散らばっている。
砕けたシャンデリア、引き裂かれた絨毯、
バラバラになった写真立て、原形を留めない残骸の数々。
エージェントは、明らかに人為的だと思った。
大翔達は思わず、ビクッと震えて後ずさった。
その部屋の中にも、鬼達がいたからだ。
十以上の鬼達が、ぐるりと輪になり、片膝をついて頭を垂れている。
その輪の真ん中に、彼はいた。
豪華なソファに腰かけて、目を閉じ、眠っているようだ。
窓越しに赤い光が、彼の顔を照らし出す。
黒色に染まった全身。
顔に浮いた、ヘビのような赤い模様。
左手から生えたカギ爪、右手から立ち昇る黒いオーラ、額から生えたツノ。
「……章吾?」
大翔達は、呆気に取られた。
鬼に囲まれて座っている彼は、章吾だった。
大翔達が知っている姿とは、だいぶ違っているが。
「今、私が助けるわ!」
有栖は慌てて、章吾のところに行こうとした。
「はーい。遠いところ、よく来てくれたね」
突然、陽気な声が響いて、大翔達はビクッとして辺りを見回した。
「こっちだよ、こっち」
声は、彼の足下から聞こえた。
「う、うわあっ!」
「きゃああっ!」
悠と葵が、両脇から大翔に抱きつく。
大翔も口元を引きつらせ、有栖は歩みを止める。
彼の足下に……丸い目玉が転がって、八人を見上げていたのだ。
「ようこそ。章吾くん……新・黒鬼君のお誕生会へ」
ニコニコと言うその声は、間違いなく杉下先生のものだった。
自分の後継者にするために、章吾を連れ去った黒鬼だ。
「一足先に鬼達だけで、お誕生会、始めちゃってたんだ。
新しい黒鬼君の誕生を、歌とか歌ってお祝いしてたんだよ」
目玉は声に合わせて、コロコロと転がった。
「そしたらボク……黒鬼君に、八つ裂きにされちゃってさ。
こんな、あられもない姿になっちゃった。恥ずかしい~」
「……アナタ……」
織美亜は、目玉を蔑む目で見ていた。
「さあ、キミ達も黒鬼君の誕生をお祝いしてってよ。ハッピーバースデーとか歌って」
「嫌よ」
大翔達は顔を見合わせ、頷き合った。
目玉は無視する事にした。
「章吾。帰るぞ」
「私が待ってるわよ」
大翔はズボンのポケットから、一枚の紙切れを取り出した。
筆ペンで『浄』の字が書かれ、うっすらと光を発している呪符だ。
「この札を貼れば、大丈夫だ。体が鬼になってても、人間に戻れるからよ」
大翔の言葉にも、彼は反応しない。
大翔と有栖は一歩一歩、彼の方へ近づいていった。
「帰りましょう。みんな、心配してるわ。クラスメイトも、先生も。……家族も」
ようやく、彼が目を開いた。
ぱちぱち、と瞬きをした。
大翔と有栖は息を呑んだ。
他の鬼達と同じ、ガラス玉のように赤い目玉だったのだ。
彼はヘビのように目を細め、頭から爪先まで、しげしげと大翔を見つめている。
「……金谷さん、ヒロト。逃げよう」
悠がごくりと息を呑んだ。
大翔は構わず、彼の頭に手を伸ばした。
額から生えた鬼の角に、『浄』の符を貼りつけた。
―カッ!
呪符が、青白い光を上げ、彼の全身が光り輝いた。
一瞬だけだった。
すぐに光は砕け散って、部屋は元通りの闇に包まれた。
「……え?」
大翔は、きょとんとした。
『浄』の符は、ボロボロに朽ちてしまっていた。
真っ黒い消し炭のようになり、灰になって散っていく。
彼の体は、鬼のままだ。
何事もなかったように大翔と有栖を見つめている。
「つまり、章吾は、もう……」
「その通り。『浄』の符はあくまで、鬼になりかけの人間を戻すためのものだからなんだ。
完全に鬼になった相手には、効果がないんだよね」
「な……」
「残念だったね。もう少し早く着いていれば、結果は違っていただろうにね。悔しいね。
もう、タイムアップなんだ。金谷章吾君を、ヒトに戻す事はできない。つまり……」
目玉は、人気ゲームの全滅効果音を口ずさんだ。
「ゲームオーバー、なんだよ」
「バ……バカ言うんじゃねえよ!」
大翔はぶるぶると首を振り、有栖は落胆したまま。
「もう一度だ! 『浄』の符を作ってくれ! とびきり強力な奴を!」
「きょ、強力な奴って言ったって……」
「ちゃんと作ったわ!」
「頼むよ! 作ってくれよ! 失敗しただけだ! もう一枚貼れば、ヒトに戻るんだよ!」
大翔は、二人を振り返って怒鳴った。
「うふふ。叶わなくても、最後まで藻掻く。そういう姿勢、ボク、とてもいいと思います」
「貴様……」
「でも、彼の方はそろそろお腹が減ってきたみたい」
大翔と有栖の背後で、動く気配がした。
「ヒロト!」
「有栖!」
「「後ろっ!」」
突然電撃が走り、彼は大翔と有栖から離れる。
それを放ったのは――麻麻だ。
「また、邪魔したな……」
杉下先生だったものは目玉だけで麻麻を睨みつけている。
以前に攻撃を受けたため、彼は麻麻を一際警戒しているのだ。
「ああ、ええと、ちょっと調子が悪かったみたい。
この子供達は、キミへの誕生日プレゼントだよ。
人間の子供のお肉。たんと味わってお食べ」
「何だテメエ。次に俺をキミ呼ばわりしたら潰すぞ」
「失礼いたしました。黒鬼様」
「しょ、章吾……」
有栖は、章吾をじっと見つめている。
「私は、あなたの双子の姉、金谷有栖よ……」
「ショウゴ? アリス? なんだそれは。俺の名は、黒鬼だ」
有栖を興味深そうに見やり、彼……黒鬼は続けた。
「章吾……」
大翔と有栖は、弱り切った目で、章吾を見つめた。
「お前、本当に鬼になっちまったのかよお……」
「信じていたのに……」
「グルル……。言いたい事はそれだけか? では、喰ってやる」
黒鬼は口を開いた。
鋭い牙が生え揃った大口だ。
大翔と有栖へ向かって、近づいてきた。
―パンパンパンッ!
と、炸裂音が響いた。
「むっ?」
部屋にもくもくと煙が広がって、黒鬼の視界を覆い隠していく。
煙が晴れると、八人の姿はなくなっている。
「……逃げた?」
黒鬼が、不思議そうに首を傾げた。
「何故、逃げる? 俺が食べると、言っているのに」
「うふふ。ゲームのつもりなんだよ。せっかくのお誕生会だもの」
目玉が答える。
「遊んでくれてるんだよ。
だって、ただ食べるよりも、逃げるのを捕まえて食べる方が、ずっとオモシロイでしょう?」
「なるほど。確かに、その方がオモシロそうだ」
黒鬼は頷いた。
「遊びは、好きかい?」
「うん。遊びは大好きだ」
「いいね。子供はそうでなくちゃ。そんな黒鬼様に、一つ遊びを教えてあげよう」
「なんだ。教えろ」
「有名な遊びだよ。人間の子供だったら誰でも知ってる、面白い遊びだ」
目玉は黒鬼を見上げると、ニコニコと笑った。
「“鬼ごっこ”って言うんだけどね」
有栖は弟を助けるために頑張ります。