Bourder the Rainbow: あるいは不偏のトリックスター   作:fuki

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第一話の1/3、まだまだオープニングです。
話が動き出すまで、気長に見守ってください。


第一話:Born To Lose - 1/3

 刀鍛冶は単なる職人ではなく、霊感を受けた芸術家であり、その仕事場は聖なる場所であった。

 彼らは毎日、神仏に祈り、身を清めてから仕事にかかった。いわゆる「その心魂気迫を打って錬鉄錬冶した」のである。

 槌を振るい、水につけ、砥石で研く、その一つ一つの動作が厳粛な宗教的な行為であった。

 日本の刀剣が鬼気迫る魔力をおびるのは、この刀鍛冶たちの霊魂が吹き込まれたのか、それとも彼が祈った神仏の霊気が宿ったからであるのか。

 

 新渡戸稲造『武士道』岬龍一郎訳、PHP文庫、2005年

 

   *

 

 特別な理由はなかった。

 夕暮れの会社帰り、時々選ぶ裏通りを歩き、なんとなく住宅地を眺めていた時、その建物に目がとまったのだ。

 築十数年の民家に挟まれた、不自然に真っ白い建物。

 ギャラリーだ。

 道路と敷地をギリギリで隔てる外壁の中央にガラスドアがあり、薄暗がりの屋内が見えた。

 絵じゃない。

 なにか並んでいる。

 小さな、黒いものが。

「ご覧になっていきます?」

 自分が言われたと思わなかった。

 私はいつの間にか、ガラスドアを押し開けて、店内に顔を突っ込んでいた。

 そんな闖入者に、カウンターの人物が声をかけたのだ。

「ごめんなさい、不躾でした」

「いえいえ、今なら貸し切りですよ」

 使い込まれているが清潔なエプロンをかけた人物は、片手でギャラリーを示した。

 その通り、一部屋を大きく使った展示室には誰もいない。

 ただ、ガラスドアから差し込む夕日が薄暗いフローリングに滲み、そこに私の影が長く横たわっているだけだ。

 影だけが、先に入ってしまったように見える。

「さ、どうぞ」

 胸元のバッジに書かれた、“オーナー”の肩書きが目に入る。

 作者じゃないなら、立ち去っても気は引けないけど。

(どうしたもんかな)

 寄っていく理由はない。

 でも、断る理由もない。

 私はオーナーに会釈をすると、肩にかけていたバッグを手に、ギャラリーへと足を踏み入れ――

「ああ」

 ――そこで分かった。

 展示されていたものは、彫刻だった。

 指先ほどの大きさから、握り拳大、漬物石と見まがうものまで。

 サイズも形も多様なそれらが、白い展示台や床に転々と置かれている。

 共通点は、黒いこと。

 白い床に落ちた、持ち主のない影のように。

 “穴”のように?

 私は壁際の展示台に近付くと、小指サイズのそれを眺めながら歩を進める。人工物よりも下流の川に沈んだ小石に近いそれは、一つ一つ微妙にねじれ方が違い、さらに線が書いてあったり小さな穴が空いていたりと模様も違う。

 しゃがみ込み、足元に置かれた漬物石も見てみる。こちらは形こそ同じなのに、全体を覆う模様がよりデザイン的で、表面積の差もあってか、それぞれまったく違う印象に見えた。

「手に取ってご覧下さい」

「え、触っていいんです?」

 驚いて見上げると、いつの間にか傍にいたオーナーは、

「はい、そういう美術品ですので」

 とにっこり頷いた。

 私は立ち上がると、言われるがままに手を伸ばし、一つを取り上げた。

 握り拳大の彫刻。

 思ったより灰色に見えるそれは、真上から見ると四つの角を持つ緩やかな円形なのに、脚にあたる部分は三つしかない。だから上面と下面を繋ぐ平面はねじれている。

 ギャラリーの照明の下で、ためつすがめつするが、見るほどに分からなくなる。

 人工物というには不安定だけど、自然物というには幾何学的。

 夜のキャンプ場で拾った、誰かが竈に使った石のような。

 認識する言葉が思い付かない。

 異形?

 それだけでも十分おかしいのに。

 陶器のように冷ややかな触り心地の表面に開いている、沢山の穴はなんだ。

 表面をえぐったものと、中空まで貫通するほどに深いものが、集合恐怖が発生しない程度に、しかし奇妙な落ち着きのなさを覚える程度の密度で並んでいる。

 不規則に、だが整然と。

 黒い彫刻の、黒い穴。

「いかがですか?」

 指先が白くなっていた。

 力を緩め、顔をあげる。

 息を吸い、吐く。

 声を出さないと。

「これって、なんですか?」

「≪トリックスター≫、という作品群ですね」

 群――これが全部?

「それって、北欧神話のロキとかのアレです?」

「すみません、私も陶彫という以外の設定はよく分かっていないんです。SNSでは何度かやりとりしているんですが」

 トウチョウ?

「来週の土日は作家在廊日ですので、いらしては如何でしょう」

 ザイロウビ?

「だいぶ間が空いてしまうのですが、『来週までは窯入れに集中したい』とのことでしたので」

 カマイレ?

 よく分からないけど、オーナーが作者じゃないことは分かった。

 でも作者の説明があるとして、なにか分かるだろうか。ピラピラの服を着たロン毛の人がきて、抽象的な芸術論や創作論を語っても、私には愛想笑いしかできそうにない。

「えっと、申し訳ないですけど――」

 と、彫刻を展示台に置こうとして、その切片に気付いた。

「――値札です? これ」

 部屋と同じく白い展示台の端に、数字が書かれた小さな白いラベルが貼ってあるのだ。

「はい、そちらの≪トリックスター息子≫の金額となります」

「売り物なんですか?」

「ええ。当ギャラリーでは基本、お買い求めできるものだけを展示しております。前の会期では、そちらのサイズのものがよく売れたそうですね」

 オーナーは指先サイズの彫刻を手で示した。そちらは桁が一つ違う。

「こっちも?」

 と白いフローリングに置かれた漬物石大のものを指差す。こちらは逆方向に桁が変わりそうだ。

「そちらはどうでしょう、包み方は指示されていますがね」

 オーナーは苦笑したが、私は口を開いた。売れる想定はしてるのか。

 そして、まだ持ったままの、握り拳サイズの彫刻を見る。

 穴だらけの黒い彫刻を。

「そっか、美術品か」

 こんなよく分からないものでも、売り物なのだ。

 冷たい表面を撫で、展示台に戻す。

「また来ます」

「こちら、お取り置きしておきますか?」

「いえ、大丈夫です」

 手持ちが足りないと思われたかな。

 展示台から離れてからバッグを肩にかけ、出口に向かう。

 ガラスドアを開けた先は、もう夜だった。

「ありがとうございました、またどうぞ」

 会釈し、ドアを閉める。

 ガラスの向こうには、穴の点在する彫刻と、彫刻の点在するギャラリーのフラクタル。

 私も穴の一つだったか。

 まばたき。

 すっかり様相の変わった裏通りに、足を踏み出す。

 街灯が転々と光を落とす、真っ暗な道に。

「どうしたもんかな」

 あの穴がまだ、私を見ているような気がする。

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