Bourder the Rainbow: あるいは不偏のトリックスター 作:fuki
闇を食う≪トリックスター≫と、闇を遠ざけたい宿主は、その違いゆえに引かれ合うのかもしれません。
だからといって、素直に明け渡してしまうのは、どうなんでしょうね。
≪トリックスター≫はあくまで、
*
「おはようございま――徹夜ですか? 片淵さん」
「ん、まあね」
出社した荒川さんが、自席に向かう途中で足をとめた。
「
「そういうんじゃないんです。よく分かったね」
「最悪の顔してますから」
「ごめんね、大丈夫だから」
明らかに納得してない顔で、荒川さんは離れていく。
細く溜め息。
一昨日昨日、ほとんど眠れなかっただけだ。
「……顔?」
顔色って言われなかったよね?
どんな顔してたんだろ。
「おはよう、週末考えたんだけど――どうした?」
またか。
「おはようございます。私の顔がどうしました?」
オフィスに入ってきた岸井さんに、私から先制する。
「いや……昨日出てないよね?」
「もちろんです」
「ならいいんだけど。あれ、ドットくんは?」
岸井さんは、ダブルディスプレイの間を見て言った。名前教えてたっけ?
「今日はちょっと。それで、なんですか?」
「あ、うん。やっぱり
「先週のアレです?」
「そう」
私が事故に遭った日にあった、打ち合わせの件のことだ。
「先週は私、ああ言ったけどさ。週末ちょっと考えてたら、どうかなって思っちゃって」
「この段階で
「でも、もう
「管理の手間より、巻き戻しに失敗して対応するリスクの方が重いと思いますよ。そうじゃなくても、あのエンドユーザー、前の案件でも色々ひっくり返してきたんですし」
「そうだよなあ……。ありがと、ちょっと考えてみる。お待たせ、荒川ちゃん」
と、岸井さんは私の背後を顎で示した。
「すみません、宜しいですか?」
振り返ると、荒川さんが自分の電話を手に立っていた。
「業務とは関係ない話なんですが」
「うん、なに?」
軽く応えて、見せられた電話に絶句した。
「片淵さんですよね? これ」
薄いガラスに映っているのは、三肢の異形と腰を抜かしてる私。
「よりによってここ?」
「一番、顔が判別できるのがここだったんで」
といっても髪で半分以上隠れてる。だから顔バレしないだろうって安心してたのに。
「まだ始業時間前ですよね」
「いいよ、適当で」
私は言いながら髪をかきあげ、
「それもやってましたね。動画で」
手櫛を差したままとまる。
「いいんですよ、やって」
「腹立つわ」
荒川さんは電話を受け取ると、唇を薄くして笑った。珍しい。
「で、それだけ?」
「割れた彫刻は、まだ持ってらっしゃいます?」
「まあ……」
私はデスク下のキャビネットに目を向ける。
「不要であれば、譲って頂けませんか?」
「なんで?」
「知人が欲しがっていまして」
「割れてるのに?」
「直せるそうです」
「マジ!?」
椅子から立ち上がりかけ、周りの島からの視線に腰を下ろす。
「どうやって?」
「作者なら直せるらしいですよ」
「なんで知ってるの? この前興味なさそうだったじゃん」
「僕の交際相手が、この公園にいたんですよ」
「……あ、ごめん、今その情報いらないわ」
「なんでですか。智保は今高一でして」
「は!? 犯罪じゃん!」
「手は出していませんから」
「そういう問題じゃない!」
「いえ、問題はコウイの有無ですよ」
「行為? 好意? いやいや聞きたくない!」
ダメだ、突っ込みが問いになっちゃう。
「とにかく、あの子はあげません」
「いいじゃないですか、智保へのプレゼントで」
「誰! ほら、岸井さんからテキスト来た! 仕事仕事! ブランチ切ってもらうよ!」
「分かりました、現在の
「逆だよ! バージョン分岐だよ! 分かってるだろ!」
*
「保科さん、
「知らないです」
「友紀、真墨って今日部活来るの?」
「分かんない」
「友紀ちゃん、真墨から連絡あった?」
「ありません」
未読テキストの数字だけが、電話上のバッチに増えていく。
読めちゃう程度の数字からこそ、見たくない。
「はあ……」
コンクリートの上に寝転がり、その石の質感にドキッとする。
あたしは屋上いた。
真墨が編み出した階段室の内側から鍵を開けるテクニックで、ここは高一の頃からあたしたちの隠れ家だった。
学校でも外でもない。
地上でも空でもない。
ブレイキング部の、秘密の隙間。
いつもの昼休みなら、真墨を始め部員たちの
あの事故から一週間、なんとなく、誰も来なくなっちゃった。
「真墨」
「なに?」
跳ね起きる。
人の形をした黒い彫刻が、階段室の上に立っていた。
それは頭と手の先から、思い出したように人間の姿を取り戻していき――
「よっ」
――あたしの傍に着地した時には、両脚に石のブーツをはいた状態になっていた。
「どこにいってたの?」
「みんな心配してた?」
「心配ってニュアンスじゃ……ないかな」
「だよね」
真墨はあたしの隣に腰を下ろした。五角形を敷き詰めた文様が、がん、と音を立てた。
「痛くないの?」
「脛は全然」
「てか、どうやってここまで?」
「ジャンプで。渡り廊下から」
「二階分?」
「まだまだいける」
「ウソ、スーパーヒーローじゃん!」
あたしの表現に、真墨は得意気な顔をした。
「太古の遺跡から出土した石像が、新たな力を現代にもたらす! 新番組、『仮面ライダートリックスター』!」
「長いね」
「『仮面ライダートリック』?」
「ミステリーものみたい」
「『仮面ライダースター』?」
「シンプルすぎ。いるんじゃない?」
「もっとひねるか」
真墨が真顔で悩み出して、私は吹き出してしまう。
「なに」
「ううん」
「意味からいこう、『仮面ライダージェスター』」
「ジェスターって?」
「“宮廷道化師”のこと」
「って?」
「王様を笑わせる人で、かつ王様の馬鹿馬鹿しさを笑っていい人。まあジョーカーだよね」
「トランプの?」
「そ。ジョーカーはキングに勝てるでしょ」
「じゃあ、『仮面ライダージョーカー』?」
「それはいる。映画行ったじゃん」
「そうだっけ……ん? ジョーカーとかジェスターが、トリックスターなの?」
「いや、“トリックスター”はキャラクターの型っていうか……二面性のあるキャラって言えばいいのかな。相反する領域の境界を行き来するっていうか」
「んんん……?」
「一番分かりやすいのは、やっぱ最近じゃMCUのロキになるかな。味方になったり敵になったり、男になったり女になったり、人間になったり動物になったり――あ、そうそう、だから三本足なんだぜ」
「だから、って?」
「人間が二本足で、動物が四本足で、その中間だから――」
「――三本足なの!? マジ!?」
あたしはポケットからグリちゃんを取り出す。
「
「そういえば……」
SNSでは“サンボンアシ”なんて呼ばれたりするけど、足の数って重要だったんだ。
「足の数……か」
口の中で呟いた時、予鈴が鳴った。
「戻んなきゃ」
あたしは立ち上がり、お尻をはたく。
真墨の足がコンクリートを叩く音がした。
「五限から出る?」
「俺? 無理無理、なんて言えばいいんだよ」
「説明すればいいじゃん」
「俺だってできないよ。気付いた時にはあいつがいなくなって、脚が石になって、≪ボロノイ≫が描いてあったんだから」
「じゃあ、ちゃんと調べよ?」
一瞬。
真墨の顔が陰った。
「なんでこうなったんだろうな」
真墨が笑った。
「真墨が四限をサボるって言ったからだよ。ギャラリーの初日に行くって」
「土壇場で並びたくないって言ったの、友紀だろ?」
「それで俺が、学校の近くの、めっちゃ入りにくい担々麺食べようって言い出して」
「どこでもいいって言われて、あたしが窓際の席に座って」
「それで……」
歯車が狂っちゃった。
なにが歯に噛んだ?
「千明さん」
絞り出すような声。
「違うよ、真墨。あたしから突撃してって、あたしたちの問題に巻き込んだんだよ。千明さんは悪くないよ」
答えない。
さっきまでと違う顔。
雲の影が屋上に落ちたからだ。
二面性じゃない。
“トリックスター”じゃ。
「昨日の夜、あの公園で人が襲われた、ってニュースがあったけど――」
本鈴が鳴った。
「――急げよ」
黒い石のブーツの丈が伸び、脚を飲み込み、胴体が彫刻の存在感に塗り潰されていく。
「俺、もう帰らないから」
「なんでよ! 卒業まで一緒なのに!」
「卒業しなかったら?」
「屁理屈だよ!」
真墨は手すりを飛び越え――
「真墨!」
――視界から消えた。
*
「あ、この前はどうも!」
接客をしていたオーナーは、ガラスドアをくぐった私にすぐに気付いた。
私は会釈して、店内に滑り込む。
会社の裏通りにあるギャラリーは、月曜日の夕方も当然のように混んでいた。
さすがにオープン初日のお昼のような行列はなかったし、彫刻を持った若者がレジに並んでることもない。
それでも、お目当ての子との一目惚れを求めてるであろう人たちが、展示台で隣り合った人と水面下で火花を飛ばし合ってるくらいには、大盛況だった。
だけど私は、今日はお迎えにきたわけじゃない。
邪魔にならない場所で、オーナーが接客を終えるのを――
「――マジ?」
オーナーが包んでいるのは、先週の私の解像度では“漬物石大のヤツ”としか認識できなかった、≪ヘソックスター≫だ。
展示されてるものの中でも、サイズとお値段が桁違いのヤツだ。
「いるんだなあ」
「ですねえ」
私の独り言に、傍にいた人が反応してくれて、ちょっぴり笑い合う。
私と同種の視線を店中から浴びたその人は、アタッシェケースに彫刻を収めると、誇らしげにギャラリーを出ていった。
さて。
私はバッグを手に、オーナーに近付く。
「すみません、ちょっと見てもらいたいんですけど」
そして丁寧に包んだ緩衝シートを広げた。
「ああ、あらー!」
「この子、割れちゃって」
≪ドット≫の≪トリックスター息子≫は、先日の土曜日に割れたまま、ピクリとも動かなかった。
彫刻は本来動かないものなんだけど、なんとなくね。
「割れたら欠片を集めて送ってくれって、ネットで見て」
「そうですね、私もそういう話は聞いてます。でも――」
「――できないんですか?」
「いえ、その、たぶんこの一週間も、こちらの展示品の制作で忙しいと思いますので」
そっか、そんなこと言ってたね。
「それに、ウチは展示販売の受託でして、修理の受付はしてないんです。たぶんSNS経由になると思いますよ」
「そうだったんですね、すみません」
「いえ――あ、お買い上げですね!」
そしてオーナーは、別のお客さんの方に呼ばれて去っていった。
「……担々麺でも食べてこ」
ギャラリーを出た私は、夏を感じさせる夕暮れの裏通りを、会社に向かって歩きだした。
「どうしたもんかな」
電話を取り出すも、表面を何度か撫でて手がとまる。
SNSで連絡か。
あんまり使ってないんだよね。
岸井さんのアカウントも教わっておいて、けっきょくフォローしてないし。
割れちゃったこと、どう説明しよう。
荒川さん、言ってないよね?
会社のビルまで戻ってきた。
一階部分は、まだ青いシートで覆われている。
「あ」
なにやってるんだ。
あの担々麺が食べれるわけないじゃん。
近付いてみる。本店名義の張り紙があって、同じチェーンのお店が近所に入り直すと宣伝されてる。
でも、あの人たちはもういない。
バッグの膨らみを撫でる。
丸々とした塊ではなく、半分ずつの慎ましい膨らみ。
「どうしたもんかな」
直さなくてもいい?
この子を直して、自宅や職場に置いておいても、あの二人を思い出すだけだし。
二人にならって「ドットくん」なんて名付けたけど、そんな思い入れはないし。
もしまた周囲でよからぬことが起こったら、次は捕まっちゃうかもしれないし。
ビニール袋に入れて。
燃えるゴミに出して。
一週間の不思議体験ともお別れ。
二九歳の、出来の悪いサラリーマンに戻る。
高校生の真似事なんて、私にはできなかったってこと。
そうでしょ?
髪をかき上げ、ビルに背を向け――
「え?」
――怖気。
数瞬ののち、振動。
裏通り?
いや、川の向こうだ。
「真墨さん」
私は無意識のまま、そちらに向かって走り出す。