Bourder the Rainbow: あるいは不偏のトリックスター 作:fuki
*
「石山さん来た?」
「はい、会議室に入ってもらってます」
「よし。紙出しした要件定義は?」
「五部、そこに」
「え? 六部でしょ」
「五部って言われましたよ、僕」
ん? 六部?
「片淵さん!」
私が顔を向けたのと同時に、岸井さんが私に言った。
「荒川ちゃんになんて指示した?」
「五部じゃなかったです?」
私は椅子から立ち上がり、
「石山さん、桜田さん、吉村さん、吉岡さんで、岸井さんですよね?」
と指折り数えながら二人の元に向かう。
「いやいや、今日はエンドユーザーさんが来るって言ったじゃん!」
「あー……」
昨日の退社前の、岸井さんとの会話が思い出されてきた。
「……『朝一に六部』、でしたっけ」
「どれくらいかかる?」
「一〇分はかからないと思いますけど」
岸井さんの問いに答えたのは荒川さん。
「出しておいて。私は始めてるわ」
「プロジェクターでも使います?」
「いい、だいたい頭に入ってるから」
岸井さんは自席に走る荒川さんを見送った後、私を見た。
「珍しいミスだね。なにかあった?」
「ただの不注意です、すみません」
怒っているトーンではなかったけど、思わず謝ってしまう。
「じゃあ私が会議の間、荒川ちゃんはよろしくね」
「分かりました」
岸井さんは片手を軽く持ち上げると、会議室へ早歩きで去っていった。
「ああ」
やっちゃった。
同僚の目を気にしながら、自席に戻る。
岸井さんは「珍しいミス」と言ったが、そんなことはない。
不注意ミスなら、昨日もサーバー上の資料を上書きしたり、冷蔵庫に裏に落とした箸を拾った時にプラグを抜いたのを忘れてたりしている。
前者は同僚がたまたま直前のファイルを持っていて、後者はアイスがダメになる前に社長が気付いて事無きを得たけど、そうじゃなければ昨日の時点で「珍しいミス」と言われていたはずだ。
全然珍しくないわ。
「片淵さん、今よろしいですか?」
自分の名前を呼ばれ、私はディスプレイを映していた目をまばたき、声の主を見る。
「僕の担当分、タスクリストの項番七までは終わりました。次はどうします?」
傍に立っていたのは、ついさっき私のミスをカバーしてくれた荒川さんだった。
「要件定義は? もう持っていったの?」
「はい」
「なら、項番八は――」
「――今は入れないです。岸井さんがミーティング中ですので」
「だったら……IT環境ってもう見られるんだっけ?」
「見れます」
「じゃあ、いったん矢野さんの手伝いをしてもらえる? 隣の島の右から――」
「――あ、分かります、承知しました」
荒川さんは私の発言を遮ると、会釈して立ち去った。
「そっか」
呟き、ディスプレイに向き直る。
書き途中のグラフをマウスで撫で回し、どこまで作業をしていたか思い出そうとする。
だか頭の中には、さっきのミスについての会話が駆け巡っている。
その後の、荒川さんとの会話も。
六歳も年下なのに、今の時点でもう、荒川さんの方が優秀なような。
六年前……私、なにしてたっけ。
「そうだ、レンダリングの状況みようとしてたんだ」
マグカップの温くなったコーヒーを口に含みながら、ブラウザを立ち上げた。
*
「ああ、私ってヤツは……」
自分の端末を再起動しようとして、間違えてサーバーを落としてしまうとは。
凡ミスとしか言いようのないミスだ。
今思い出しても、オフィス全員の冷たい視線に冷や汗が出る。
さいわい作業の手戻りはなかったので、実質的な遅延はサーバー停止中のレンダリングだけだったが。
私自身は「どこか悪いんじゃないの?」と岸井さんに本気で心配されてしまい、午前で早退せざるを得なくなってしまった。
「どうしたもんかな」
いつからか、歯車が噛み合っていない感じがする。
自分が主役のような気がしない、というか。
本題を動かすためだけに登場し、役割を果たした後には舞台から消えてしまう脇役のような。
自分の物語が続いていく感触がしない気分。
時刻は一一時四五分過ぎ。
お昼前から帰れるのだから、と大通りに並ぶお店を覗いてみる。
「お腹すいてないな……」
身体的にも精神的にも食べられそうにない。
やがてお天道様の下を歩く自信がなくなり、足は昨日と同じ裏通りに向かい、
「……あれ?」
すぐに雰囲気の違いに気付いた。
人が大勢いるのだ。
それも、お洒落な――というかおかしな風貌の人が。
奇天烈な髪型だったり、奇怪な服装だったり、奇矯なバッグだったり。
定時直後の夕方は、人っ子一人いなくなる住宅街なのに。
無秩序だった彼らは、駅に近付くにつれて整っていき、徐々に列となっていき――
「――まさか」
まさかだった。
あのギャラリーの入口に接続していたのだ。
「え? え?」
「あ、また来てくださったんですね」
表に出ていたオーナーが、私に笑いかけてきた。
「どうなってるんです? これ」
「申し訳ありませんが、列に並んでお待ち下さい。オープンは一二時ですので」
「昨日は?」
「プレオープンだったんです」
「昨日来られたんですか? すごいですね!」
列に並んでいた人に声をかけられ、
「いえ、あの、はい」
私は髪をかき上げながら曖昧に頷く。
マニアだと思われた?
ここにいるのはまずいぞ。
時計を気にするオーナーに会釈をして、しかし人の多い裏通りにいることもできず、私はいったん大通りに戻った。
「なんなの……? ≪トリックスター≫って」
どこかに腰を下ろしたい。
一二時前、会社の入っているビルの一階にある担々麺のお店に駆け込み、注文も早々に電話に触れる。
ウィキペディアの項目がすぐにでてきた。
『トリックスター(trickster)は、彫刻家の浅野暢晴による彫刻作品である』
この人が作者か。
『陶で作られた彫像。多くの作品は三本足で、二本足と四本足の間の存在を表す。表面はゴツゴツしているものもあれば、なめらかなものもいる。体中にあるくぼみは目とも口ともされる』
「うん……」
昨日触った個体の特徴と一致する。もう知っている情報だ。
来歴や種類についても目を通してみたけど、異様に細かい情報が載っているものの、情報以上のものじゃない。
ウィキペディアの文章量からして、人気があるのは確かだけど……。
「あれが?」
「お待たせしました、青山椒担々麺と小ライスです」
いつもの店員さんが、お盆を持ってやってきた。
「ありがとうございます。いただきまーす」
小ぶりの丼から、むせないように麺を一口。
美味しい。
SNSでも検索してみるが、こちらはゲームやアニメのキャラが出てきてしまう。それはそうだ、単語自体は一般名詞なんだから。
「いいや、食べよ」
麺をすすり、レンゲでスープを味わう。
山椒の
麺を食べ終えると、とろみを帯びたスープに小ライスをぶちこみ、口にかっ込む。
もはやこの昼食のために働いているといっても過言ではない。
この上でみんなが働いていなければ、もっと美味しく食べられるのにな。
とにかく。
もう一度ギャラリーに行ってみよう。
来週の土日は作家がいるとも言っているし。
それで分からなかったら、諦めよう。
「よし、ごちそうさま」
私はお冷やを飲みきり、伝票を手に立ち上がり――
*
――意識が戻った時、目の前でタイヤが回転していた。
「なに?」
口を開いたが、音が聞こえない。
耳がおかしい。
明るかった店内はほこりで充満し、それがタイヤの回転で緩やかに流れている。
タイヤ?
どうして?
クルマ?
飛び込んできた?
そこまで思考が回った時、音が戻り。
途端にあちこちから人の呻き声が聞こえてきた。
直近は、足元だった。
「大丈夫ですか!」
口を押さえながら呼びかけ、腰を下ろす。
倒れてたのは、スーツ姿の中年。
「起き上がれますか?」
抱き起こそうとするも、左肩から異様な感触が伝わり、
「痛い痛い痛い痛い!!」
白いワイシャツが、さっと赤く黒ずんだ。
折れてる? 脱臼?
分からない。
じゃあ動かせない。
私と背中合わせで、しかも私より奥の席で食事をしていた人だと思うけど、どうしてこんな酷い怪我を?
別の人は?
店の入口の方のテーブル席に人影。
走る。
クーペの運転手側ドアの手前に、ブレザーの制服の二人組。
「大丈夫?」
「あたしは……」
憔悴した高校生と、割れたテーブルに脚を挟まれてるらしきもう一人。
血が床を流れてる。
テーブルも動きそうにない。
どうしようもない。
店の奥は?
誰もいなかったはず。
キッチンの方は?
いつもの店員さんは?
なにも聞こえない。
「大丈夫……だよね?」
クルマの前に戻り、キッチンの方に目を向け。
そこで……。
人の形を見た。
日光を、巻き上がって店内を覆うほこりを照らす光を裂くように、
人の形をした穴が空いているのを見た。
人?
いや、足りない。
右足の外側と、上半身の右半分がない。
四肢じゃなく、右腕の欠落した三肢。
頭もだ。
左半球しかない。
なんと表現すればいい?
異形?
その頭が、ぐるり、と周り。
その顔が、私に向けられる。
その穴が。
光の筋が開けた、沢山の穴が。
見たことがある。
不規則に、だが整然と並んだ穴を。
見られたことがある?
「あなたがやったの?」
返事はない。
その代わりに、左腕のように見える影が持ち上がる。
その左手にも、やはり穴。
私は無意識に手を伸ばし――
「すぐ救急車が来ます! 怪我人は何人ですか!」
と、外から声がした。
私は咄嗟に、
「最低二人です! お客では!」
と声を向ける。
――そして、伸ばした手を見た。
ひんやりと冷たい物体を掴んだ手を。
握り拳大の、異形の石を。
「あなたがやったの?」
やはり返事はない。
「キッチン側確認しました!」
「店内、奥から入ります!」
私は目をまばたかせると、石を両手で包み込むように隠して、砂ぼこりをかぶっていた自分のバッグに押し込んだ。
「どうしよう」
そして口を押さえた。
「これ、万引きじゃない?」