Bourder the Rainbow: あるいは不偏のトリックスター   作:fuki

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第二話、最初のメインエピソードの始まりです。
数話かけて当エピソードが終わる頃に、本作の骨格が分かるかもしれません。
必須タグ「残酷な描写」が発揮されてくるので、NG連絡はお気軽に……。


第二話:ペインキラー - 1/3

   *

 

 遠く。

 ビートが聞こえる。

 脚を揺らすビート。

 BPMは一〇〇前後か。

 上物はない。

 リズムキープは正確。

 よし。

 軽く踵を上げる。

 跳躍、右脚を前方に踏み出す。

 同時に左脚を後ろに一歩スライド。

 前後に開いた左右の脚を入れ替え、繰り返す。

 歩く動作、でも前進しない。

 両肘を胸の高さへ、脚にも左右の動きを加え。

 前、後ろ、左右の三方向のムーブ。

 アレンジ自在の基本のムーブ。

 スリーステップ。

 悪くない。

 四肢の状態を確認。

 両脚を開いて四つん這いに。

 左手を離し、両脚を時計回りに前へ。

 右手を離し、両脚を時計回りに後ろへ。

 二つの三拍子でフロアを叩く。

 シックスステップ。

 問題なし。

 なら。

 四つん這いから身体を起こし、逆立ち。

 右手と左手を交互に離し。

 次いで両手で跳躍。

 着地。

 いける。

 脚を伸ばし開脚。

 バランスが崩れる。

 その勢いで脚を振り回し。

 捻れた両手でフロアを掴み。

 パワームーブ。

 両脚を開き、漏斗状に。

 回転。

 頭を押付け、回転軸に。

 ヘッドスピン。

 両手で漕いで速度を上げる。

 崩れるバランスを速度に。

 まだ血が上らない。

 回り続けられる。

 大丈夫。

 いや。

 ビートが強くなってきた。

 あの曲はもっと速い。

 もう少しBPM上げられない?

 上がらない。

 代わりに、更にビートが強くなる。

 いや、近付いてくる。

 振動が。

 強すぎて、脚が揺れる。

 俺の脛が。

 逆立ちしてるのに?

 ダメだ。

 回転が崩れる。

 背中からフロアに倒れ。

 そのフロアがない。

 半回転。

 落ちる。

 脚から落ちる。

 もう一回転。

 頭から落ちる。

 どこまで?

 光が見える。

 二つ並んだ光。

 広がりながら接近する光が。

 いや。

 闇に開いた無数の光が。

 四肢、いや三肢の影が。

 異形。

 逃げなきゃ。

 ダメだ。

 脚に力が入らない。

 瞼を閉じる。

 skrrt。

 …………。

 無音。

 瞼を開く。

「なんだ」

 そこには天井があった。

 規則的な穴の空いた天井板が。

 俺の身体は、一ミリも動いていない。

 頭上で計測される心拍数(ビート)は、BPM一四三。

 早すぎる。

 いや、もういい。

 唾液を飲み、息を吐く。

 吐き気がする。

 掛け布団から腕を出し、顔を覆う。

「いて」

 こめかみに貼られたガーゼが手に触れた。

 鎮痛剤はまだ効いてる。

 寝る前よりは弱くなってるけど、痛みはまだ遠い。

 腕をマットレスにつき、上半身を持ち上げる。

 そこは四メートル四方の立方体。

 夜の紺碧に沈んだ、一人きりの個室。

 俺の自室よりずっと狭い空間には、スマホも、スピーカーも、ラジオもテレビもない。

 本棚も、ダンベルも、冷蔵庫も、ヘルメットも。

 でも。

 たとえなにがあっても、俺は辿り着けない。

 この脚じゃ。

 ベッドに横たわる。

 瞼を閉じる。

 ビートを感じる。

 脚を叩くビート。

 すぐ傍で。

 

   *

 

 ノックの返事を聞いて、友紀さんが真っ白なドアをスライドさせた。

「お待たせ、真墨」

「一七分の遅刻だぞ」

「いやあ、本日のコーディネートに迷っちゃってさ」

「はいはい」

 友紀さんは、ゼリー詰め合わせのバスケットをアピールしながら病室に入る。

 私はその後ろからそっと、存在感を消して――

「友紀、その人は?」

 ――バレた。

「あ、えっと私は、保科(ほしな)さんの、えっと……」

 なんだろう。

 友達じゃないとは思うけど。知り合い?

「お見舞いに来てくれたんだよ、真墨が先に名乗りなさい」

「そうか……? えっと、大條(おおえだ)真墨です」

 ベッドのリクライニングに身体を預け、こちらに訝しげな視線を向けているのは、緑色の入院着を着た高校生。サイドを刈り上げた短髪にシャープな顔立ちで、どちらかといえばイケメンに分類されるか。

「真墨さんね、よろしく」

「で、この人は片淵千明さん。昨日電話したじゃん」

「片淵千明と言います」

 友紀さんの紹介にラベルはなし。当たり前か。

「ふうん……」

 上から下まで、やっぱり訝しそうに見られる。

 黒いスーツは縁起が悪いと思い、でも派手な服装もどうかと思って、グレーのスーツにしたんだけど、変かな。

 これはこれで、墓石みたい?

「昼休みですか?」

「会社? うん、お昼サクッと食べてね、待ち合わせしたの。この後は二人とも検査だから」

「そうなんですね」

 真墨さんはやっと視線を逸らした。無職か値踏みされてたのかな。

「熱は? ちょっとある?」

 友紀さんが真墨さんの額に手を当て、自分の額と比べる。

「今は平気。解熱剤も鎮痛剤も飲んでるし」

「気持ち悪い?」

「んー、ちょっと」

 友紀さんは真墨さんから離れると、バスケットを手に病室を見回す。

「これ、どこ置いておく?」

「適当でいいよ」

「オッケー」

 バスケットは窓際の戸棚に、簡単に落ちないように、でもベッドから見えるように置かれた。

「椅子は?」

「クローゼットかな?」

「ほいほーい」

 クローゼットを覗き込んだ友紀さんが首を傾げ、「ないぞ」と小さく口を尖らせる。

「どうしたもんかな」

 私はドアのすぐ前で所在なく立っているしかない。立場的にはお客さんなんだけど、悪い気もする。

「はい、千明さん」

「あ、ありがとう」

 どこにあったか折り畳みのパイプ椅子を差し出され、私はベッドの傍に腰を下ろした。

 でもやっぱり、所在はない。

 それは友紀さんの友人――真墨さんも同じに見えた。

 真墨さんは、事前の友紀さんの心配からすると拍子抜けするくらい、平気そうに見えた。

 事故の時、入口近くの席で倒れてた高校生が真墨さんなら、怪我はテーブルに挟まれた脚のはず。

 でも、掛け布団の膨らみは両脚分ある。

 あの日から三日が経って、お見舞いにもOKが出るくらいだから、容態は安定してるんだろうけど……。

「千明さん、でしたっけ?」

 お、あなたもそっちで呼ぶ?

 私は隣に座った友紀さんから紙コップを受け取ると、

「運転手のこと、だよね」

 表情を引き締めた。

「友紀さんからもう聞いたかもしれないけど、私もあのクルマのことは知らないんです。ニュースで流れてくる以上のことは、全然。運転手がいなかったのも、友紀さんから言われて知ったくらいだし。だからあの時も――」

 一拍、唾を飲み込む。

「――私、混乱してて、よく分からないことを口走っちゃっただけなの。それで期待させちゃって、ごめんなさい」

 私は頭を下げた。

 いちおう、ウソはついてないはず。

 私が信じられてないだけで。

 でも顔を上げた時、真墨さんは驚いた顔をしていた。

「あの、話がいまいち見えてないんですけど。友紀、あんたどういう説明したの?」

「え、先生に聞いた通りだけど」

 友紀さんが、廊下の方を指差す。

「てか、千明さんだって俺たちと同じ被害者なんですから。そんな気を遣う必要ないですよ」

「いや、それはそうだけど」

 想定してないリアクションだ。

「友紀、俺イチゴがいい」

 イチゴ?

「食べていいの?」

「脚の怪我なんだよ。いいに決まってるわ」

 あ、ああ、お見舞いのゼリーか。

 友紀さんは立ち上がって、ついさっき持ってきたバスケットを漁る。

「じゃあ……はい。あたしミカンかな。千明さんは?」

「いいの? 私、脇役だよ?」

「なんの話です?」

 失敬、つい口走っちゃった。

「えっと、キウイってあったよね」

「ありまーす」

 なにしに来たんだっけ、と思いつつゼリーを受け取り、フィルムを開ける。

 そして、三人で食べ始めた。

「だから、友紀が先走って突撃したのが元凶なの」

「だってあの口ぶりで、知らないなんて思わないじゃん」

「だったら警察に言ってるし、言ってないってことは知らないってことじゃない?」

「そりゃ、そう言われればそうだけどさ……面目ない」

 友紀さんはプラスティックのスプーンを口に、肩をすぼめてしまった。

「気にしないで、友紀さんの気持ちも分かるから」

 だからこそ、だ。

 友紀さんがあれだけ慌ててたんだから、怪我を負った真墨さんはそれ以上のショックを受けると身構えてたのに。

 こうして口を開くと、とても理性的に見える。

 盲腸で入院と説明されても信じそうなくらい。

 でも、脚を失うかもしれない?

 そのギャップが埋まらない。

「千明さん、検査の時間、まだ平気です?」

 友紀さんに言われ、私は現実に引き戻された。

 時刻は一二時四〇分。

 一三時からで予約してるから、全然平気だと思うけど。

 友紀さんにゼリーのケースを持っていかれ、また所在がなくなった私は、

「……そうだね、そろそろお暇しようかな。なにかあったらイヤだし」

 と立ち上がった。

「ありがとうございました、楽しかったです。入院中、ほんとに退屈でしたから」

 真墨さんは、出来る限り背筋を伸ばして言った。

「友紀、今度、音楽持ってきてよ。適当なトラック詰めてさ」

「ダメ。絶対踊るもん」

「踊らないって」

「ダメです」

 友紀さんは笑いながら、小さなバッグに手を突っ込み、

「あたしもそろそろ行くし――そろそろ、真のお見舞いを贈呈してしんぜよう」

 と、握り拳大の発泡シートの包みを取り出した。

「日本語おかしくね?」

 吹き出した真墨さんは、しかし受け取った紙包みを開けた時――

「ボ――」

 ――絶叫した。

「バカ、そんな動かすから!」

 真墨さんは脚に触りたそうに右手を振り回すも、視線だけは左手の物体に固定されてる。

「ボロノイ息子じゃん! でもあんた、お金ないって!」

「まあ、うん、色々あってね」

「息子って? 種類? この子たちの?」

「≪ボロノイ≫ですよ! ついにお迎えできたー!」

 真墨さんが私に突き付けてきた彫刻は、私が買った≪トリックスター≫とは違い、中心に小さな穴を持つ五角形の連続で全体を覆われていた。

「あ、そっか。ボロノイって、“Voronoi diagram”のボロノイだったんだ。ふうん、模様で識別するんだね」

 私の独り言に、真墨さんの首がこちらに向く。

「文様です」

「え?」

「模様じゃないです、文様です。“ふみのさま”です」

「同――ごめんなさい」

 真墨さんだけじゃなく、友紀さんも目が据わってる。ここは二人の文法に則った方がいいな。

「でねでね、あたしもお迎えしたんだよ。ほら、≪首飾りックスター≫のグリちゃん!」

「≪ぐるぐる≫! かーわーえーえー!」

 なにを言ってるんだ、君たちは。

 でも、ちょっと分かってきたかも。

 テクニカルタームを使いこなし、そのちょっとした違いにも機敏に反応するファンが、それこそこんな高校生にもいるんだ。

 だけどあくまで一品ものの美術品だから、機会や金額で手に入れられない人も大勢いて、その飢餓感があれだけの行列をギャラリーに作って、友紀さんたちみたいな難民をも産み出してたってこと。

 てか、“お迎え”って言うんだね。

「カドックスターかあ、やっぱ友紀、分かってるわ!」

「でしょお。≪ボロノイ≫が際立つのは、角だからね!」

 遅刻の理由、「思ったより列が長かった」って言えばいいのに。

 その必要もないのかな。

 私は二人がちょっぴり羨ましくなり、

「あのね、私も持ってるんだ」

 と、不規則に穴の空いた子を取り出した。

 友達の振りをしてみたかったのだ。

 

   *

 

 二人が検査に向かい、個室はまた俺一人になった。

 いや、一人じゃない。

 戸棚のバスケットの隣にちょこんと置かれた、黒い彫刻を見る。

 脚を動かせないから、手は届かない。

 でも、あいつはそこにいてくれる。

 ≪トリックスター≫。

 ≪ボロノイ≫の≪カドックスター息子≫。

 命名、ボルちゃん。

「ふふふ」

 含み笑いが漏れる。

 吐き気じゃないムズムズが胸をくすぐっている。

 まさか手に入るなんて。

 友紀が言ったとおり、五角形の集合である≪ボロノイ≫文様は、角を立てた形状に映える。

 なぜって、五角形だけで面を敷き詰めることは、絶対にできないから。

 システマティックに解決できない局面を、どう折り合いをつけてまとめたか。そこに作家の心が現れる。

 ネット上の画像からそれを読み解くだけでも何時間も楽しめたのに、実物だとどうなってしまうのか。

 単純計算で二倍だ。

 いや、各線分も含めれば、三倍か?

 ……反対側も見たいな。

 ナースコールしようかな。

 でも「そいつをちょっと動かしてください」とは言いにくい。

 トイレの交換の時までは、この角度を楽しもう。

「でもな……」

 喜んでばかりもいられない。

 枕に頭を沈め、天井を見る。

 疼痛が首をもたげる。

 トリックスターの正確な値段は、お迎えに上がらないと分からない。お品書きは公開されてないし、先人たちも「○○円で買いました!」などと野暮なことは書かないから。

 でも≪トリックスター息子≫と呼ばれる握り拳サイズの個体は、数千円単位で迎えられるオーダーじゃないと予測してた。

 友紀は貯金がなくて、親も出してくれないって言ってたのに。

 だから俺も我慢して、今回の個展は見るだけにしようと決めたのに。

 あいつ、どうやって不足分を工面した?

 この数日で、俺のボルちゃんと自分のグリちゃんをお迎えできるようなお金を――

「――あれ?」

 戸棚に目を戻した時、違和感を覚えた。

 彫刻の向きが……ああだった?

 友紀が置いた時は、右手前に脚二本、左奥に脚一本じゃなかったような。

 でも今は、脚二本の面がまっすぐこちらを向いてる。

「……喋りすぎて疲れたかな」

 ベッドに身体を預け、強く瞼を閉じる。

 次にあいつを見た時、向きが変わっていたらどうしよう。

 嬉しいかな?

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