Bourder the Rainbow: あるいは不偏のトリックスター   作:fuki

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第二話:ペインキラー - 2/3

   *

 

「片淵さん、今宜しいでしょうか」

 荒川さんが近付いてきたのは分かっていたけど、私は敢えて話しかけられるまで黙っていた。

「はい、なんでしょう」

 そして、落ち着き払ってそちらに向く。

「午前中のレビューで、僕が指摘された件で二点確認がありまして」

「うん」

 荒川さんの質問に、記憶や資料を参照しながら回答する。

 その間も私の視線は頻繁に、デスクの上、二枚の液晶ディスプレイの間に向けられてる。

「ありがとうございました。それで――つかぬ事をお伺いするのですが」

 話が終わった時、荒川さんが声をかすかにひそめて言った。

「それ、なんです?」

 お、聞いてくれたね。

 私は“それ”を手に取ると、

「≪トリックスター≫。知ってる?」

 と、黒い表面を撫でて見せた。

 三本の脚で立つ、異形の彫刻を。

「石……ですか?」

「そう、焼き物の彫刻。すぐそこのギャラリーでやってる個展で“お迎え”したんだ」

「はあ」

「文様は≪ドット≫で、形状は≪トリックスター息子≫って言うんだって。私命名ドットくん」

「なるほど」

「私も初心者だから、まだそのくらいしか分からないんだけどさ」

「そうなんですね」

 反応が鈍いな。

 ネットで若者に大人気じゃないの?

「では、指摘の対応が終わったらテキストを送ります」

「あ、うん、お願い」

 荒川さんは、そそくさと去っていってしまった。

 この形にフェチを感じる人が多い、ってわけじゃないのか?

 ん、この黒い塊を撫で回す手付き、セクハラっぽいかな。

 私は彫刻をディスプレイの隙間に戻すと、指先でちょんちょんと頭(?)を叩いた。

「どうしたもんかな」

 ビルの一階にクルマが突っ込む事故を経験した会社にて、私はここ三日間で大幅に遅延したスケジュールを組直しつつ、自分の作業を進めていた。

 事故被害者なのは取引先にも伝わっているので、私関連のスケジュールは緩くしてもらってるし、会社的にも警察や病院には調整抜きで行っていいことになっている。リモートワークや休職も打診されたけど、無傷でそこまで甘えるのも、と拒否したくらいだった。

「L0301だけ岸井さんに投げちゃったら、荒川さんのレビュー指摘対応待ちで……終わりか」

 時刻は一六時(午後四時)前。検査で中抜けしたのに、もうやることはない。

 岸井さんへのメールを準備しつつ、ディスプレイの間を一瞥。

「前倒しで先に進んじゃう?」

 沢山の目が、じっと私を見てくる。

 落ち着かない。

「もう一回チェックしておくか」

 メーラーを閉じて、自分の作業を見直す。

 焦らなくていい、確実に。

 真墨さんへのプレゼントだって、それでうまくいったんだし。

「君もそう思うよね」

 僅かに傾斜した上面をこちらに向けた彫刻――ドットくんは、頷いているように見える。

 でも。

 やっぱり、まだ痛そうだったな。

 たまたま検査の日が友紀さんと一緒だったから、お見舞いにお邪魔させてもらったけど。

 不躾だったのは否めない。

 実際のところ、どんな状態なんだろう。

 本当に脚をなくす?

 あんなに若いのに。

 高校二年生って、六歳下の荒川さんより遥か下の……一三歳下?

 一手でもあれば即逮捕だぞ。

 いやいや、そんなことじゃなくて。

 一四年前……私、なにしてたっけな。

「片淵さん」

「うわあ!!」

 突然声をかけられ、椅子からお尻が浮いた。

「ごめん、普通にしたつもりだったんだけど」

「は、ああ、岸井さん。あははは」

 驚きすぎて、口角が上がってきた。

「ああ、まだ、えっと、その……キツい?」

「いえいえ、全然。ごめんなさい、ちょっと考えごとしてて」

「ほんと? ほんとに?」

 PTSDを疑われてるな?

 私はどう取り繕うか考えて――岸井さんの見開いた目に気付いた。

 その視線は、デスクの上、ダブルディスプレイの隙間に向いているような……。

「岸井さん?」

「あ――うん。L0301の状況、確認に来たんだけど、どうです?」

「いったん形にはしましたけど、もう一度確認しようと思って」

「そっか。あんまり無理しないで、いつでも上がっていいからさ」

 と言って、岸井さんはそそくさと去っていった。

 その後ろ姿を目で追いながら、私はにんまり笑った。

 そうかそうか、そっちだったか。

 不発だった後輩からの、同期の思わぬ反応に、気をよくする。

「久々に飲みに誘ってみようかな、同期のみんなも呼んでさ。君も来る?」

 私は≪トリックスター≫に語りかける。

 入社した頃は暇を見付けて昼食や飲みに行ってた同期だけど、プレイングリーダーとして頭角を現した岸井さんとは、一技術者の私たちはなんとなく距離を感じていた。

 その距離を、もう一度詰めるのもいいかもしれない。

 でも。

「どうしたもんかな」

 友紀さんから届いたテキストに目を落とし、眉を寄せる。

『クルマの持ち主逮捕! でもアリバイあり!』

 真墨さんにも、もう一度会わなきゃいけない気がする。

 脇役の登場が一回だけじゃ、うまい物語じゃないもんね。

 

   *

 

 視界が回る。

 発熱と鎮痛剤で歪められたビートが、吐き気で満ちた頭蓋骨を内側から叩いてくる。

 ひと思いに楽になりたい。

 でもたぶん、今はなにも吐けない。

 幸いなのは、ビートが遠く弱いこと。

 耐えるしかない。

「落ち着いてそうね」

 母は気付かない。

 リクライニングベッドにもたれて腕も脚も動かさない俺は、手術直後の俺と比べれば実際、安定して見えるだろう。

 俺としても、そう思われてた方がありがたい。だから、

「まあね」

 なんでもないように答えた。

 母は俺の着替えをクローゼットに仕舞い、使用済み分をビニール袋に入れた。

「それで、真墨。どうする気? 先生から聞いてるんでしょ?」

「うん、まあ。いちおう考えてるけど」

「ほんと?」

「ぶっちゃけ、ちょっと早まっただけだし」

「やめなさい、そんな言い方。真墨も納得したでしょ」

 納得か。

「いいのよ、しばらく入院してても。大変なのはこれからなんだから」

 母は手をとめて俺を眺めている。

 その程度で俺が、なにを考えてるか分かるか?

 自分の子供が、吐き気を耐えてるのが?

「なにを選んでも、お母さんたちは大丈夫だから。ちゃんと自分で……考えてね」

 “納得できるまで”、だよね。

「分かってるって」

「教科書とか置いておくから」

 手が届かない場所に。

「うん」

 眠気が来ればいいのに。

 体質的に、鎮痛剤の副作用は吐き気しか出ないらしい。

 昼は友紀や千明さんがいたし、なにより≪トリックスター≫が来たことで気が紛れてたけど。

 今は母しかいない。

 目ぐらい閉じさせてくれ。

「それ、お見舞い?」

 と、母が戸棚を指差した。

「ああ、そう。友紀が来て。お見舞い」

「友紀ちゃんが? 大丈夫なの?」

「あいつは無傷だから」

「でも事故に遭ったのに。なにさせてるのよ」

「勝手に来たんだよ、俺に言うなよ」

「ちゃんと断らなきゃダメよ」

「……分かったよ」

 俺たちのやりとりを聞いてれば、そんな心配は出ないだろうに。

「あら、これって……あの彫刻?」

 気付いたか。

「そう」

「これもお見舞い? 高いって言ってたよね?」

「買ってきたって」

「同じ立場なのよ! お返ししなきゃ……いくらくらいなの?」

「分かんない」

「真墨だって買おうとしてたんでしょ!?」

「分かんないんだよ!」

 頭痛が破裂する。

 目眩で視界が回転する。

 瞼を強く閉じ、耳の奥で鳴るビートを沈める。

 説明する言葉を組み立ててみるが、伝わるイメージがしない。

「……俺があいつにお返しするから。母さんはなにもしないでいいから」

「でも――」

「――とにかく、なにもしないで」

 母は不服そうだったが、

「分かったわ。でも普通のお見舞いは持ってくからね」

「そっちはお願い」

 変な空気。

 いや、これがいつもの空気か。

「じゃあ、そろそろ行くけど。持ってきて欲しいものはある?」

 音楽を持ってきてと言ったら、今の俺の好みで選曲できる?

「大丈夫」

「そう。じゃあ……先生とお話してから帰るから。なにかあったら呼んでね」

「分かった」

「遠慮しないでナースさんを呼ぶのよ」

「分かったって」

 そして母はスライドドアの向こうに消え。

 やっと一人になれた。

 リクライニングを倒し、ベッドに横になる。

 斜めになった日の光が窓から差し込み、戸棚のあいつは逆光のシルエットになっていた。

「ほんとお騒がせだよ、あんたは」

 そこにいるだけなのに、こんなに周りを振り回してくれるとはね。

 いや、振り回してるのは俺か。

 溜息。

 でも母の疑問も、もっともだ。

 友紀は最終的に口を割るか?

「……無理させてるよな」

 怪我は肉体的なものだけじゃない。

 本人は言ってなかったけど、友紀はカウンセリングを受けたらしい。たぶん、あの千明さんも。

 間違いなく普通の状態じゃないのに、俺のためにお見舞いに来てくれたんだ。

 しかも、あの事故に遭った場所からさほど離れていない裏通りに、たぶん長時間並んで。

 千明さんなんて、年上の会社員で、なのに友達みたいで、しかも初対面の俺にあんなに責任を感じるような人なのに。

「……千明さん?」

 そっか。

 そういうことか。

 いるじゃないか、俺たちと金銭感覚が違う人が。

「あーあ」

 瞼を閉じる。

 断るべきだったかな。

 やっと諦めがついたと思ったのに。

「なんにもお返しできなくなっちゃうんだぞ」

 これなら腕の方がよかった。

 いや、それじゃパワームーブが封じられるか。

 封じられる?

 治療が終わってまともに動けるようになるまで、何箇月?

 リハビリを始めて、バランスを掴み直して、筋肉が戻るまでは?

 実質、もう終わりだ。

 だったら、ひと思いに。

 笑い、右脛に痛みが走る。

 頭をかき回す酩酊感が遠のき、代わりに、すぐ傍まで来ていたビートが顔を出す。

 痛みを載せた血液を送り出す、BPM一一〇の鼓動(ビート)が。

 鎮痛剤が薄れてきた。

 痛みを殺してくれない。

「クソ」

 もう笑えない。

 ナースコールを。

 瞼を開く。

 ベッドに影が横たわってる。

 深まる夕日に伸びた影。

 ≪トリックスター≫。

 お願い。

 もう踊れないなら。

 ひと思いに。

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