Bourder the Rainbow: あるいは不偏のトリックスター 作:fuki
*
電話を耳に当てる前に、真墨のお母さんが話し始めた。
「落ち着いて下さい、おばさん。真墨さんは?」
『戻ってきたんだけど、いなくて。友紀ちゃんは知らない?』
「連絡ないですよ」
バスの走行音に紛れるよう、口を覆って小声で応対する。
「一度戻ってきたんですか?」
『でも警報は鳴ってないし、ゲートも開いてないし!』
「ならウチにいるんじゃ?」
『いないのよ! あの脚で!』
あの脚?
「おばさん、真墨さんの脚はどうでした? 普通に歩いてました?」
『そうなのよ! 病院も麻酔は打ってないって! 今警察にも連絡してて!』
動転してる。
どうしよう。
土曜日で外出だったら、間違いなく踊りに行ったんだと思う。
真墨の家に向かってたあたしは、すれ違ったかっこうか。
引き返す?
でもおばさんも気になるし。
……そうだ。
「あの、ちょっと心当たりがあるんで、知り合いに行ってもらいます」
『知り合い? もしかしてお見舞いに来てくれた人?』
「はい、頼りになる人です」
『分かったけど、心当たりってどこ? 私行くわよ?』
「いえ、その――」
真墨は普通の状態じゃないかもしれない、なんて言えない。
「――おばさんはウチにいてあげて下さい。戻ってくるかもしれませんし。私もそっちに行きますから」
『そうね……うん、分かったわ。待ってるわね』
切れた電話を耳から離し、あたしは千明さんに連絡すべく操作する。
その時、クラスメイトから届いたテキストに気付いた。
*
友紀さんから届いたURLで、なにかの動画に飛ばされた。
「おいおい、突然だね」
電車の走行音に負けないようイヤフォンの音量を調整する。
『あれ! あれ! 見れた!? ヤバいヤバい! 上! あれヤバい!』
もう誰のことか予想ができた。
でも、映っている風景が予想外だ。
七割方が空、残りが屋根で構成された映像で――別になにも異常はない。
もう終わってる?
巻き戻して、一時停止。
「ああ……」
屋根の上を走る黒い影、いや黒い物質が、動画開始の一瞬に映ってる。
次いで、友紀さんから公園の名前と情報が飛んできた。
朝の公園とは違う、イベントにも使える野外ステージも併設された広いところだ。
ストリートダンサーの練習場所としても有名みたいで、つまり真墨さんも馴染みってことか。
「定期じゃ無理か……脇役も楽じゃないね」
更に着信、SNSの動画だ。
今度はマンションからのカメラか、撮影位置が高い。
建物をジャンプで乗り継ぎ、屋根の棟に沿って走る人影が映っている。
歩けるようになっただけじゃないのか?
いや、というか――
「――犯罪だよね、これ」
屋根も不法侵入の範疇だって聞いたことがあるような。
だとすると、刑事事件?
「どうしたもんかな……」
私が悩むところじゃないか。
*
俺のムーブが終わり、次のBボーイにステージを明け渡した時、ギャラリーの何人かが肩を叩いて褒めてきた。
今のフロアトラックスは自分でも正確にできたと思ってたから、素直に応えた。
下半身の安定感が先週までと段違いで、だから上半身に集中を割けてたのかも。
脚が治った嬉しさでパワームーブの連携を繰り返してたけど、ベーシックな技の精度も上がってそうだ。
と、サイファーの輪から離れ、ペットボトルの水を口に付けた時、
「真墨!」
「お、義乃。広巳も」
バトルでよくチームを組む連中が近付いてきた。
「来てたのか」
「うん、今一ムーブしたところ。敏音は?」
「あいつ部活。いや、それよりさ」
義乃が俺の脚を顎で示す。
「真墨、お前、絶対ダメって言われたんじゃないの?」
「誰から聞いた?」
「広巳から」
「俺は友紀から。事故った日に」
舌打ち。
「大丈夫だって。さっきの見てなかった? 今までにない出来だったわ」
でも、二人は顔を見合わせた。
「脚見せてみ」
「なんで」
「なんでも。別にいいだろ?」
「ちょっと!」
「広巳、どっちだっけ」
「右。左じゃない」
「お、おい、やめろ……って!」
振り払おうと脚に力をこめた時――
「お?」
――義乃が吹っ飛んだ。
広巳は義乃を振り向き、その姿が五メートルは離れた人垣に支えられているのを見て、また俺を見た。
「なにすんだよ」
「ご、ごめん。大丈夫?」
「お、おお……?」
広巳も、俺も、吹っ飛ばされた義乃も、ただ驚いてる。
俺がやったのか?
いや、右脚が?
あんたがやったのか?
「ごめんなさい、ちょっと通して! ごめんね」
その思考は、まだ耳慣れてない声に遮られた。
「いた! 真墨さん!」
義乃のすぐ横のギャラリーを割って現れたのは――
「――千明さん!」
「あ……っと、こんにちは」
肩まで伸ばした髪の毛に、裾の短いTシャツに装飾的なベルトを合わせた六分丈のジーンズと、周囲のBボーイズ/Bガールズからは浮きまくっているものの、休日の大人コーデとしてはシンプルに決まってる。
そんな千明さんが、愛想笑いしつつも俺の方に近付いてくるんだから、嬉しくないわけがない。
「見に来てくれたんですか? 俺のムーブ!」
「え? ああ、そうじゃなくて……大丈夫?」
「俺が? なにがです?」
「なにがって」
千明さんは、近くにいた広巳に首を振られ、人垣の一部と化した義乃に俺を示され、けっきょく視線を戻した。
「私、分かってるから。アレのこと」
アレ。
「あ、そうですよね! ほら!」
俺は母の前でやったように、脚の健在をアピールする。
「なにかやりますよ! こんなことしかできないですけど、俺、地面掘り返すぐらいのムーブ、かましますから!」
だけど千明さんは、愛想笑いを浮かべた。
「その前にさ、見せてくれる? どういう状態か」
「……脚?」
「うん」
ついさっきもした会話に、俺は眉を八の字にする。
「別に、どんなだっていいじゃないですか。治ったんですよ」
「そうだけど。あれだけの事故で入院したんだから、みんな心配なんだよ」
母と同じ顔。
信じていない顔だ。
「ちゃんと安心させて、ね?」
そっか。
眉間のしわが深くなる。
知ってるのは予想がついてた。
俺のあの姿は、朝もさっきも拡散されただろうし。
でも。
だからこそ、あんたは俺の仲間になってくれると思ってたのに。
あんたがくれた≪トリックスター≫なのに。
今度は取り上げる気なのか?
「俺、帰ります」
俺は千明さんに背を向ける。
「待って、真墨さん」
「気を付けて!」
誰かが叫んだ時には、俺の右脚は千明さんの腹に――
*
――刺さらなかった。
真墨さんのミドルキックは空を切った。
ううん。
とめられた。
私に、じゃない。
黒い人型の彫刻の、黒い左手に。
語弊がある?
左半身だけの身体から、半分の右脚が生えたもの。
全身に≪ドット≫文様の穴が空いた、三肢の存在。
形容しがたい形状の異様。
「異形」
水を打ったような沈黙。
私は、コンクリートに尻餅をついてた。
顔にかかった髪をかき上げる。
あの物体は、二メートルは離れたところに。
突き飛ばされた?
「千明さんが?」
呟いたのは、真墨さん。
脚を掴まれたまま、見開いた目で異形を見てる。
日光を穴だらけの身体で受け、地面に点々と光を漏らす物体を。
「千明さんだったんですか?」
「え?」
私が立ち上がろうとした時、周囲にざわめきが戻る。
真墨さんの右脛が。
異形が掴んだ部分から、同じ黒い物体がほとばしり、右脚を覆う。
違うのは、≪カドックスター≫のようなプロテクターに、≪ボロノイ≫文様が刻まれていること。
つまり――
「――ドットくん!」
私が叫ぶより早く、真墨さんが飛んだ。
背面跳びをするように仰け反り、交差した両手で地面を掴み、脚を握られた下半身を回転。
私の異形はそのモーメントに巻き込まれ、振り解かれ、地面に叩き付けられた。
「ほっ」
真墨さんは身体をねじったままバク転して着地。
歓声と拍手があがりかけ、すぐにやんだ。
ブレイキンじゃない。
今のは攻撃だ。
三肢の異形は片腕で起き上がろうとする。
でも遅い、異形に覆われた真墨さんの踵が蹴り下ろされ。
「ダメ!」
石と石がぶつかる音。
俯せに倒れた異形は、霞のように存在感を失い――
「ああ」
――私の≪トリックスター≫は、真っ二つに割れていた。
「別にいいんです」
真墨さんの脚が見える。
「“運転手”がそいつでも」
異形じゃなくなった、タイトなスウェットパンツをはいた脚が。
「千明さんも無意識だったんですよね。だからボルちゃんをくれたんですよね」
転がる二片を、両手で拾う。
「なら」
どうしようもない。
「俺の邪魔はしないでください。せめてあと一年は」
電話の着信。
足音が遠ざかる。
足音が近付いてくる。
電話を耳に当てる。
『千明さん? もう着きました?』
「ごめんね」
『どうしたんです? 真墨は?』
「ごめんね、脇役で」