Bourder the Rainbow: あるいは不偏のトリックスター 作:fuki
*
でも、そこまでだった。
朝の公園のダンスと昼の屋根上の疾走は、不鮮明だったり遠い映像だったり、着ぐるみや全身タイツだと思われていたし、公園での悶着はそもそも動画の量が少なかった。
だからあれが、≪トリックスター≫と結び付く前に対処できた。。
それよりも。
もう少し大きな懸念が解決したことを、今は祝いたい。
この物語に、主役は要らないのだ。
*
「――だから、気にしないで」
『でも真墨がまさか、でも、そっか……』
「納得なの?」
『はい、たぶん』
アパートの自室でベッドに腰掛け、私はスピーカーフォンの電話に声を投げる。
「私は正直、真墨さんのことよく分かってないんだけどさ」
『お見舞いに行ったの、昨日ですもんね』
「友紀さんと初めて会ったのも、火曜日だし」
『事故から一週間も経ってないんだ』
急展開過ぎる。
「あのね、友紀さん。知ってたら教えて欲しいの。もしかしたらセンシティブな話題かもしれないけど」
『なんです?』
私はデスクの上でPCに照らされた、≪ドット≫文様の≪トリックスター息子≫を見る。
割れたドットくんを。
「真墨さんの進路って、どうなってるの?」
『進路?』
友紀さんの声が裏返った。
「二人とも高二でしょ? それで『一年は邪魔するな』だから、卒業後になにかあるのかな、って」
『う……ん』
「ごめん、いいよ。勝手に言っちゃいけないよね」
ベッドから立ち上がり、ドットくんを手に取る。
二つの不規則な断面を合わせ、回収できなかった欠片が作る間隙を見る。
今日は友達みたいな顔で二人と会ってた私だけど、実際は“事故の被害者”ってキーワードだけで繋がった脇役に過ぎない。
事故直後に私が助け起こそうとした中年と、同レベルの比重しかなかったはずなんだ。
だから、今日の真墨さんが正常か異常か、私が納得できるはずもない。
ないんだけど。
『できなくなるんです、ブレイキン』
「え?」
意識を電話に戻す。
『真墨のウチ、お金持ちなんです。田舎に豪邸があって、会社も持ってて、それで、家督っていうんですかね、色々継がなきゃいけないらしくて』
友紀さんは続ける。
『あの高校に通ってるのも、小学校の時に散々揉めたんですよ。けっきょく中高一貫を蹴って部活始めて、その代わりに、高校を卒業したら言うこと聞くって約束して、それであたしと一緒に……』
「だから、あんなに落ち着いてたんだ」
『あんな?』
「お見舞いの時。友紀さんの表現が大袈裟なのかな、ってくらい冷静だったからさ、真墨さん」
卒業と同時に、脚を失うのを分かってたから。
「でも、治るかもしれないんでしょ? あの時は安定してたじゃない」
『あれは痛み止めが効いてただけだと思います。先生もおばさんも、このままだと何回手術しても治らないって』
「じゃあ、切るしかないの?」
『いちおう、背中とかから使える部分を集めれば、脚の形にはなるかもしれないけど、どっちにしても歩ける可能性は低いって――』
使える部分?
「――待って待って、どゆこと? イメージできてないんだけど。形? 脚の? それ“治る”って言う?」
『言わないですよ……言うわけないじゃないですか!』
友紀さんの声が割れた。
『身体中切り刻んで、もっともっと痛い思いしたって、形しか戻らないんです!』
汗で手が湿る。
『実質一択なんですよ! なのにみんな、真墨が言わなきゃ動けないんです!』
割れた彫刻が冷たい。
『もう失ってるのに、失うって分かってるのに……!』
ガラスの板の向こうで、一回り以上も年下の高校生が泣いてる。
やっと、自分がなにをしたか理解した。
「なのに、取り戻しちゃったんだ。私があの子を買ったから」
黒い彫刻を。
『ボルちゃんなら……治せるんですか?』
鼻をすする音に乗せて、友紀さんが言う。
『あのまま、脚は無事なままなんですか?』
「そう……かもね」
真墨さんは、自分の異形をコントロールしてた。
≪トリックスター≫が何らかの形で、真墨の脚を動くようにしたことは間違いない。
「なら――」
「――ご家族や病院は、納得するかな。友紀さんは説明できる?」
『……無理だと思います』
真墨さんは、私にその役割を期待してただろうな。
自分の物語に脈絡なく現れた人物が、石を一つ置いて去り、その夜に脚が治ったんだから。
私は神様か聖者で、最後まで面倒を見てくれる存在だって思ったかもね。
だから今日だって、あんなに慕ってくれただろうに。
「梯子、外しちゃったな」
『え?』
「ううん、あのね。友紀さん」
『はい』
息を吸う。
「言わなきゃいけないことがあるの」
デスクに近寄り、電話を見る。
表示されてるのは、つい数日前に知り合った高校生の名前。
『なんです?』
唾を飲む。
言っちゃうの?
「ほんとは私ね、言ってたの。『あなたがやったの?』って」
ガラス板の向こうから、息を呑む気配。
私は手にした二つの欠片を持ち上げる。
「事故の時、人型になったドットくんを見たと思ったんだ。前の日にギャラリーで見かけて、それがついてきたのかもって。その後、そんなわけないって、煙と光の錯覚だって、思い直したんだけどさ」
思い直した?
目を逸らしただけ?
「お見舞いの時、正直に話しておけばよかった。そしたら真墨さんも、あんな風にはならなかったかも。だから……」
私のせい?
私だけのせい?
ぐちゃぐちゃだ。
あの事故と、真墨さんの事情と、友紀さんの悲憤。
結ばれるべき芯があるはずなのに。
割ってみても、その中心は空虚で。
糸はとっくに、私に絡み付いてる。
私の欺瞞に。
「ごめんなさい」
沈黙。
耳鳴り。
歪曲する声。
思考の渦に飲まれる。
割れた欠片の穴に。
穴という穴に。
暗闇。
通話が切れた。
*
俺は野外ステージにいる。
正確には、スピーカーのような多層の半円形で構成された、白い屋根の上に。
背中の一面を異形化し、バランスの悪い屋上に寝転がっている。
「ふふふ」
さっきまでやってたフェスイベントは、中々よかった。
みんながステージに集中する中、俺は舞台の真上という特等席で、音響的には全然美味しくない場所で聞いてた。
どちらかといえば、観客の歓声ばっかり聞いてたかも。
盛り上がってたな。
そんなイベントにも、ちゃんと終わりは来て。
出演者も、観客も、イベンターも。
一人帰り。
二人帰り。
今はもう、誰もいない。
ステージも闇の中で、次のイベントに向けて眠りについた。
俺だけが残された。
帰る場所はない。
頼れる人も、説明できる人もいない。
巻き込みたくない人しかいない。
遠くから届く大通りの音に、木々の向こうに見えるビルの光。完全な無音より、完全な暗闇より、むしろ心細い。
溜め息。
着替えはどうしようかな。
自宅には戻りたくない。
コインランドリーで洗ってる間、ずっと異形化してる?
「無理無理」
自嘲。
と、誰かの声がした。
悲鳴か?
近い。
屋上を転がり、
ステージに飛び降りる。
変身。
着地。
「よし!」
直角と直線と≪ボロノイ≫の異形と化した俺は、薄闇の公園を走る。
また聞こえた。
間違いない。
拳を屈伸。
母は俺のことをなにも分かってなかったけど、正しいことを言っていた。
大変なのはこれからだ。
なにを選んだとしても。
状況は整いました。
第四話『ノーサイド』で、決着するのみです。