アンダーライン×アンダーライン   作:氷の泥

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12 青い空の下で君を想うということ

 大気圏外から飛来した矢によって脳天から一直線に貫かれたかのように、驚愕から来る微振動の体感を伴って金縛りに遭うことがある。それは例えば大学構内の人気がない場所で、違法行為を見た時に起こることだ。

「あっ……あっ……んっ……まーくんっ……気持ちいい……? んっ……」

「うんっ……あっ……い……イきそう……」

「あぁっ……いいよぉ……出してぇ……」

 まーくん。苗字にも名前にも、最後に「ま」が付く男。笹間琢磨が、大学の敷地内で、グラビアモデルみたいな美サキュバスと青姦しているところを、俺と二都の二人は目撃してしまった。

 俺たちは二人とも硬直したまま、時の進むことを忘れる。見とれていたわけではない。こういう時どうするべきなのか、全身全霊で脳内を検索していたがために、息をすることも忘れていただけだ。そしてその結論を導き出すのは、さすが二都の方が早かった。

「…………」

 無言で、何の前触れもなく、しかし颯爽と彼はその場を立ち去った。彼の足音を殺す技術は見事だった。俺も全力で気配を殺してそれを追う。そして屋内の、安全圏と思わしき人通りの多い場所に出てきたなら、二人してドッと深いため息を吐いた。

「びびった……」

「いやマジで……」

 別に俺たちは正義を重んじているわけではない。誰がどこで恋人とよろしくヤっていたところで知ったことではないが、しかし大学の敷地内で、目の前でというのは困る。喫煙する高校生と同席していた生徒は、たとえ本人が喫煙していなくとも一緒にしょっぴかれるというじゃないか。それと同じことが大学でも、いや社会でも起こらないとは言い切れない。勘弁してほしいのだ。サキュバスが社会の一員であるからといって、法律がなんでもかんでも許してくれるわけではないのだから。

 俺たち二人は意図してか無意識か、とにかく現場から離れようと歩き続けた。そのうち、修羅場を無事にくぐり抜けたことで、二渡の減らず口が少しだけ復活した。

「俺、初めてかもしんない。サキュバスのセックスを見て「羨ましい」以外の感情が湧いてきたの」

「お前が言うと説得力あるわ……」

 それきり、再び会話はなくなった。

 俺たちはただ気分転換にいつもと違う道を、あるいは日に日に殺意を増すばかりの日差しを避けるためにいつもと違う道を通っただけだった。それでまさかあんな物を見ることになろうとは。退散するのがもう少し遅れていれば、突然背後から殴られて、今頃二人そろってショタ化しているところだった。……緊張感の比喩だ。

 ともかく、次の講義まではまだしばらく時間がある。適当に落ち着ける場所……ベンチと自販機がある休憩所のような場所を選んで、俺たちは缶コーヒーを買った。二都はブラックを、俺はそうではない物を。

 二人並んで座る。俺たちの正面には大きな窓が壁代わりに何枚も貼られており、外の炎天下を見た目だけで十分なほど伝えていた。なんとなく、駅のホームにいるのと似たような感覚があった。

 いい音を立てながら缶を開封して、一口だけ飲んだ二都が久しぶりに口を利く。

「夢子とはどんなセックスしてんの?」

「っぶねぇ!」

 その質問があと一秒遅ければ、コーヒーを口から噴射するところだった。

「なんだよ急に」

「いや、なんかさっきの見たら気になって。そういえば聞いてなかっただろ?」

「話すほどのことじゃないからな。お前は笹間が嬉々としてさっきみたいなことしてるって話をしてきたらどう思うんだよ」

「いや、聞く分には羨ましい~ってなるよ」

「……まあそれもそうか」

 わざとらしく悔しがって見せる二都の姿を容易に想像することが出来た。

 並んで椅子に座った俺たちの前を、何人もの通行人が通り過ぎていく。時折、空中を浮遊している女性の姿も目に入った。サキュバスだ。彼女らはほぼ全員、魔力があれば空も飛べる。普通に歩くことと浮いて移動すること、どちらが楽なのかはそういえば知らないけれど。

「で、どんなプレイしてるの?」

「そんなに聞きたいのか?」

「いや別に? 答えないってことは、こりゃ相当やばいことしてんなって思うだけ」

「なっ」

 あまりにも片手間のノリで突き刺された図星に、言葉を失う。こいつは本当は、俺の本性に勘付いているんじゃないかと思った。

 あの運命の分かれ目のような夜から、しばらく経ったある日。俺は遅ればせながら夢子の写真を用意することが出来て、それを二都とリリアに見せたのだった。その時の二人の反応は平坦で、しかし俺に対してだけ辛辣な物だった。「かわいいじゃん」「ミカミカにはもったいないね」「だな」と。

 あれから一切、二人に夢子の話はしていないように思う。俺の本性が、所業が、バレる原因はどこにもないはずだ。

「あれ、図星か?」

「……まあ、多少はな」

「へー! 無害そうな顔して、意外と女の顔とか殴ってるのかね」

「さすがにそこまではしてねぇよ」

「じゃあ、どんなことまでならしてるんだ?」

「それはその、……こう、あれだよ、だから……後ろの方をだな」

「ほ~!? こいつ中々だなぁ」

 二都は、芸能界の美男美女の密会を捉えてシャッターを切る記者のような顔をして喜んだ。俺はそれを見て安心する。

 昔からよく言う「嘘のつき方」がある。いわく嘘という物は、本当のことを混じらせた方がバレにくいらしい。

「お前はどうなんだよ」

「俺? 俺は別に、相手がいないからな。悲しいことに」

「嘘つけ。今はいなくても、ずっといなかったわけじゃないだろ」

「鋭いな」

「誰でもわかる。お前は顔に出すぎるんだ」

 そして「誰でも分かる」というところまで含めて、二都は己の性質を正しく認識しているのだろう。彼は隠すつもりもないのだ。たぶん、それが一番有益だと思っているのだろう。

 何が起こっているのかを知りながら、それを改善しようともしない。そういう意味では、彼は俺と同族だった。誰も傷つけていない者と俺とでは、天地の差があるけれど。

「じゃあちょっと耳貸せよ」

 ちょいちょいと人差し指で招かれて、俺は通行人たちの方を向いたまま隣に耳を近づける。普段の態度からは想像もつかないとても小さな声で、二都の口からある一つの単語がささやかれた。

「……人妻」

 耳元から離れて、彼はニヤニヤと笑みを浮かべる。子どもが照れ隠しをするみたいに。

 俺の視界には依然として、何人もの行き交う人々が映っている。男、女、同年代、大人……様々な人たち。二都のささやきを、聞いていない人たち。

 俺は一瞬のうちに、自分がスパイか何かになってしまったような感覚に陥った。勘弁してくれとしか言いようがなかった。異種共存社会の法律が、なんでもかんでも許してくれると思ったら大間違いだ。俺たちがいる場所はどう言い繕ったところで、結局は人間の社会なんだから、人間の法がある。不倫は、れっきとした罪だ。

「お前さぁ……」

 辟易する俺を見て、二都はけらけらと笑った。

 こいつ、やっぱり本当は俺の本性に気付いているんじゃないかと思う。それが具体的に何かということまでは分かっていなくとも、どちらかといえば同種の存在、「あまり口に出せない趣味」の持ち主だということを察知して、俺に声をかけてきたんじゃないか?

 彼のプリン頭を見ながらそんなことを思う。そうでなければこいつは、俺になんか見向きもしなかったんじゃないかと。

「さて、そろそろ時間なんじゃないか」

 勢いよく立ち上がった二都が残りのコーヒーを一気に飲み干し、空き缶をゴミ箱に投げこむ。筒のような口をした瓶と缶とペットボトル専用のゴミ箱に、なんとそれは見事に吸い込まれていった。

 俺は普通に手で空き缶をゴミ箱に押し込んで、二都と並んで次の講義へと向かう。するとその道中、また笹間とサキュバスの姿を見た。思わず息が詰まる。被害妄想も甚だしいことに、一瞬本気で「追ってきた」のかと思った。

「じゃあまたね!」

「うん! また!」

 言っては悪いが、見るからに不釣り合いなカップル。二人はとても堂々と、大勢の人が行き交う通路で熱烈なハグを交わしてから別れ、それぞれの行くべき場所へと去っていった。

「いいよなぁ、ああいうの」

 二都がいつもの調子で羨ましがって見せる。しかし今となってはその台詞の意味が違って聞こえ、空恐ろしかった。

 けれど、それ以上に、俺はあることに気が付いてしまった。その気付きは俺を脳天から貫き、あまりの衝撃に思わず足が止まってしまう。

「ん? どうした?」

「……いや、別に」

 訝しげな顔をしながらも、二都はそれ以上食い下がることをしなかった。口に出すことのできない趣味を持った二人の男は、再び歩き出す。

 俺は、ああやって夢子を抱きしめたことが一度もなかった。

 

 

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