アンダーライン×アンダーライン   作:氷の泥

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13 悪夢

 げほっ、ごほっ、と咳き込む夢子が、命乞いでもするみたいに必死の形相で俺の腰にしがみつく。

「ず……ずみまぜっ……続けますから……ぉ゛ぇ゛っ」

 その姿を見て自分の分身が萎えてくれるのなら、俺はきっと胸を張って、夢子のことを愛していると言えたはずなのに。

 夢子も閲覧したパソコンの中には、たしかこんな台詞を伴う画像があるはずだった。それはちょうど、今俺が彼女にしているのと同じプレイを描いた物だったように思う。

 

「こんな便器みたいな扱いされるくらいなら……嫌いってはっきり言ってくれた方がマシよ……」

 

 年端もいかない少女が、唾液と涙と精液で顔をぐしゃぐしゃにしながらそう言っているイラストだった。そのイラストをなぜ保存したのだったか、俺は少しの間思い出すことが出来なかったけれど、その記憶は数秒のロードで復元された。

 その少女を泣かせている男が、これ以上ないほど勃起しながら、「そんなつもりじゃないのに……」と困り果てていたからだ。だから保存したのだ。

「ごちそうさまでしたぁ……」

 あの絵と同じようにぐしゃぐしゃになった顔で、精液を嚥下した夢子が俺を見上げる。相変わらずの媚びへつらった笑みと、はたして本当に正気なのかと疑いたくなってしまうような、明確な好意がそこにあった。

 今度は俺の上に跨って、騎乗位の姿勢で腰を振る夢子に、俺は聞いてみる。

「なあ、夢子」

「あっ、はっ、はぁい、なんですかぁ……?」

「夢子は、寝込みを襲われるのは嫌か?」

「へ?」

 きょとんとした声と共に腰の動きが止まる。「誰が止めていいと言ったんだ」と言ってやればすぐに謝りながらピストンが再開されることを俺は知っているけれど、今回はそうはしなかった。

「なんで百回の願いなんだろうって考えたんだよ。「結婚すること」と「百回の願いを聞くこと」は、なんというか、噛み合ってないじゃないか。不思議に思ったんだ」

「それは……」

 悪さをした子どもが叱られるのを待つ時のような表情を、その時の夢子は浮かべていたように思う。いつかの日だったか、どこかで、俺は同じような表情を見たことがある気がする。

「俺は、夢子が「何かを急にされること」を嫌っているんじゃないかと思った。お願いを聞くっていうことは、必ず「今から○○をする」と宣言されるってことだからな」

「……あぁ」

「合ってるか? この考え」

「えーと……」

 夢子が、ここではないどこかを見ている。暗さに慣れた目でそれを観察する俺は、しかしそこから何を読み取ることもできなかった。

 そのうち待つのがじれったくなって、気まぐれに彼女の腰を引き寄せてしまう。「あぁっ」と、蕩けた声が部屋に響いた。

「ユウジさん……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 自分からぐりぐりと腰を押し付けつつ、そんな風に夢子の謝罪の言葉が繰り返される。淫紋にはわずかにピンク色の光が灯っていた。鈍く、暗澹とした、彼女の境遇を表すかのような光が。

「サキュバスなのに……私は……サキュバスなのに……」

「サキュバスなのに……? なんだ……?」

「本当は、全部、受け入れないといけないのにぃ……。急でも……寝てる時でも……ぜんぶ……」

「……夢子は、生真面目なんだな」

 より正しいことを言うなら、そもそもサキュバスに「性行為は全て受け入れなければならない」なんて決まりも風潮もないのだけれど。

 彼女らには、嫌なことを嫌と言い、嫌いなものを嫌いと伝えて拒否する権利がある。その自由がある。しかもそれは人間の計らいで存在している物ではなく、正真正銘、彼女たちサキュバス自身が持つ物だ。

 けれど、夢子の職場の話を聞いた時から、段々と分かってきたことがある。きっと彼女は過去にも、心無い人間から差別的な価値観を押し付けられてきたのだろう。それが夢子の認識を歪めているのだ。

「嫌われたくないんです……」

 ひどく切実な声で、夢子は吐露する。

「好きになってほしいんです……」

「好きだよ、夢子」

「ああっ、嬉しい……! 嬉しいです……!」

 夢子がそう言う時は、本当に本当に嬉しそうにしてくれるものだった。結局は今のように、控えめながら「嫌なことは嫌だ」とも言ってくれるのだし、彼女は俺に嘘をつかないでいてくれている。それが好意なのか、性格なのかは分からないけれど。どちらだったとしても、それで十分だ。

 痛めつけた相手を抱きしめることが恐ろしくて、いつまでもそれが出来ない男から「好きだ」と言われても、心の底から喜んでくれる。それだけで夢子は俺の神様みたいだった。

 でも神様だって、さっきまで自分に嗜虐の限りを尽くしてきた男から白々しく抱きしめられても、それは怖くなるだけだと思うから。俺は夢子を抱きしめられない。

「あと……20回……あと20回ですよ……」

 淫紋を輝かせながら、俺の隣に寝転がった夢子が目を閉じたままカウントする。息を切らして、半分は上の空といった様子だ。

 寝込みを襲われるのは嫌だと言われたから。その隙を狙って抱きしめてみるということも、俺には出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 俺はその日の夜、夢を見た。ウキウキと楽しそうな様子で、ぴょんぴょん飛び跳ねるように歩くリリアが、エレベーターから降りてくる。彼女はマンションの三階、俺の部屋にやってくるのだ。彼女を自宅に招き入れるのはそれが初めてだった。

 俺は飲み物と菓子を出して、ご機嫌なリリアといろいろなことをして遊んだ。二人でテレビゲームをしたり、リリアが見逃したことを悔いていた番組の録画が残っていたから一緒に見たり、窓から外を眺めて「いつもあそこに買い物へ行くの?」とお喋りしたりして。

 そして何かの拍子に、彼女がサキュバスだということもあり、なんだかそういう雰囲気になって、彼女の小さな体をベッドに押し倒すことになる。丁重に扱わなければすぐに壊れてしまいそうなその幼い肉体は、しかし独自の魔法によって守られ、絶対に怪我をしないようになっているらしい。

 では、怪我をしない彼女は、……痛みは感じるのだろうか?

「ミカミカ、わたしね、本当はミカミカのことが大好きなんだ……。だから……ミカミカのしたいことなんでもしていいよ……?」

 子どもじみた高い声でそんなことをささやかれて、俺の脳みそはオーバーヒートしてしまった。それで夢の中の俺は、自分の中の混濁した欲望の全てを、醜悪な欲求の全てを、凄惨な暴力を、全て彼女に押し付けようとする。

 けれど、いかにも魔性の女として妖艶だったリリアの表情は、みるみるうちに見た目相応の純粋さで怯えの色に染まっていって……。

「え……無理……。無理……ムリだって……! やだっ! やめて!! いやだぁっ!」

 彼女の全身全霊の拒否を、片手で押し返せてしまいそうな必死の抵抗を受けて、俺の体は魂が抜けるみたいに脱力した。失望と、後悔と、罪悪感が、瞬時に心臓の中にはびこることを感じた。ただ一時的に離れていただけのそれらが、あるべき場所へ戻ってきたようにも感じた。

「……ミカミカのこと、そんな人だと思わなかった」

 リリアは自らが数分前に脱ぎ捨てた衣服を、怯えて震える手で、餌を盗られまいとする小動物のように迅速に回収する。そして一刻を争うような仕草でそれを着て、玄関から逃げ帰っていく。

「ごめん……出来ればもう話しかけないで」

 なぜか外からひとりでに、ガチャンと鍵の閉まる音がした。

 気が付くと俺は、見知らぬマンションの廊下にいた。反射的にインターホンを押して、喉から勝手に出る声に身を任せる。

「リューナ?」

「…………」

 返事はなかったが、扉はすぐに開いた。丸いメガネが鼻の上を少しズレた、倦怠感のただよう美女がそこにいて、俺のことを目で部屋に誘ったきり引っ込んで行ってしまう。俺はそれを追いかける。

 ポケットの中で何かが震えた。スマホだ。リューナからメッセージが入っている。

『したいことがあるなら、なんでも全部していいから』

 器用にも服を脱ぎながらタイピングする彼女に、俺はさっそく襲いかかった。

 ……数分後、俺はリューナから首を絞められていて、必死にその腕をタップして助けを乞うていた。意識がトぶギリギリのところで彼女は俺を解放する。

「出ていって!!」

 俺は、リューナがそんな大きな声を出せるのだということを、その時初めて知った。いつかの誰かがそうしていたように、あわてて服を着てその場を立ち去る。逃げる。マンションの廊下に出てからは、エレベーターを待つ時間もわずらわしく感じて階段を駆け下りた。

 一階に着いた時、スマホにメッセージが入っていることに気が付く。

『される側の苦しみが少しは分かった?』

 目の前が、真っ暗になった。

「どうぞー。一名様ごあんなーい」

 星のきらめく瞳が、人の心の奥底にある何かを誘うような淫らさで細められる。ミーモルの緑色の波打つ髪からは、得も言えぬ良い匂いがした。

「へぇー、こんな風になってるんだな。高いホテルみたいだなぁ、行ったことないけど。……でも本当にこんなプライベートのことで職場を使って、怒られないのか?」

「大丈夫大丈夫! 偉い人たちにもサービスしといたもん」

「なるほどなぁ」

「ふふっ、みんな結構な変態だったんだよ? だから……あたしならきっとどんなプレイにも対応できますよ? お客様?」

「十割引きでお客様ねぇ。……じゃあ頼みたいことがあるんだけど、いいかな?」

「どうぞどうぞ。お気の召すままに」

 そして俺はものの数分で、その部屋を追い出された。

「ごめんね三神賀君。無責任なこと言ってごめん。何でも出来るなんて、あたし思い上がってた。本当にごめん。……でも本当に無理なの」

 謝罪の言葉を重ねるミーモル。……けれど俺は確かに見た。彼女の人の心を吸い込むような瞳が、明らかにこちらを軽蔑していたことを。

 ……そこで、下半身にぬるぬるとした感触があって、ようやく俺は目を覚ました。

「……夢子?」

 布団をめくると、俺の股間に顔をうずめている夢子の頭が見えた。何をしているのかは……感触で分かる。頼んだ覚えはない。

 頼まれたことは絶対にする、でも頼んでもいないことを急にするのはやめてほしい。それが夢子の主張だと思っていたけれど、まさか向こうから頼んでもいないことを急に実行してくるとは……。

「あ、ユウジさん、おはようございまぁす。どうですか……? 頼まれた通りにしてみたんですけど」

「いや、頼んでないんだけど」

「へ……? でも……」

 気の抜けた顔をした夢子の視線がわずかに上を向き、どうやら記憶を順々に辿っているようだった。

 ポクポクポクポク……とロード中を表す木魚の音が聞こえてきそうな間が続いて、そしてある時を境に、記憶旅行を終えた夢子の顔から血の気が引いていった。

「もしかして、ゆ、夢……?」

「だと思うけど」

「ひっ、ひえぇぇ! ご、ごっおおっごっごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

「いや別にそんな謝らなくても……」

 こっちには得しかないわけだけども……。それに、夢子のおかげで悪夢から逃れられたように思う。

 しかしパニックになった夢子の暴走はなかなか止まらなかった。

「ごめんなさいごめんなさい、はしたない女でごめんなさい、クソビッチでごめんなさい、夢子はメスブタですアバズレです汚らしい売女です……! 生まれてきてごめんなさい……!」

「いや言い過ぎだろ! いくらなんでも! 気をしっかり持て!」

 俺の大学も夢子の仕事も休みの日曜日。俺たち二人は嘘みたいな内容で朝からドタバタしたけれど、おかげで俺もその日の夕方くらいまでは、せっかくの休日に見てしまった悪夢を忘れることが出来た。

 ……忘れられたのは、本当にその日の夕方までだけだったけれど。

 

 

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