きっかけは「前フリ」の意味に興味を持ったことだった。あるいは、彼女に教えを乞ったことだった。メスガキから学ぶよくわかるサキュバス講座の教室が、そのメスガキ本人の自宅だとは思っていなかったのだ。
ルノアール・チル・リリア・マゾリエールは一人暮らしだった。
「そんなに気になるなら、試してみてもいいよ……? たぶん、ミカミカが期待してるようなことは何もないと思うけど……」
その言葉を聞く時、俺の手のひらは、今まで何度も触れてきた小さな手に引かれて、リリアの胸に触れていた。
俺には、上目遣いでこちらの返事をうかがう彼女のことを、またまた御冗談をと笑い飛ばすことが出来なかった。彼女の語尾に、冗談であることを示すいつものハートマークがついていなかったから。
「……いいのか?」
「……うんっ」
どれだけアピールをしても、俺が一人住む部屋にサキュバスが舞い降りることはなかったけれど。俺の求める物は、ずっとすぐ傍にあったのかもしれない。
彼女の魔法の力は本当だった。その幼い体に特別な気を遣うことをしないで、いわゆる普通のセックスをしてしまっても、何ら問題はなかったのだ。けれど一つ難点があるとすれば、それは彼女が避妊を拒んだことだった。
「中に出して!♡ どうせ、妊娠なんかしないんだから!♡」
それが魔法の効力の範疇の話だったのか、それとも彼女の体は本当に「少女」そのものであるのか、それは今でも分からない。けれど結局その時の俺は、過去に聞いたある話を振り返って不安になりつつも、言葉に流されるがまま彼女の要望を聞き入れてしまったのだった。
精液を体内に受け入れた途端、リリアの肌に浮かぶ淫紋はいっそう強く輝いた。彼女が人を超えた膂力を手に入れた証である。俺の頭の中には、その時になって初めてある仮説が降り立った。
もしかして、リリアは俺を試したんじゃないか。わざとハートマークを付けて話しているというのなら、心持ち一つでそれを取り除くことだって出来るということになる。友達が自分のことを性的な目で見ていないかどうか、彼女は俺を試したんじゃないか……?
俺がそんなことを考えているうちに、リリアはにこりと微笑んだ。幼い少女の、あまりにも頼りない腕が俺の背中に回って、普段通りのか弱い力でそのまま抱きしめる。
「ミカミカ、大好き……♡」
「……俺もリリアのことが」
それは疑いようもなく、自分の全てが受け入れてもらえた瞬間だった。……彼女に見せている部分の内の、全てが。
自分の性癖は隠さなければならない。それは女性と付き合っている時もそうでない時も、俺がずっと掲げてきた戒めだ。高校時代に出来た初めての恋人から言われた「なんでもしていいよ」を鵜呑みにして、痛い目をみたのだから、もう二度と同じ過ちはおかさない。
……と、思っていたのに。リリアはその戒めを、まるで内心見破っているかのように揺さぶった。
「本当はミカミカだって、こういうことしたいんじゃないの?♡」
そんな風に言って、自分の魔法の性質をいいことに、彼女は無茶なプレイばかりを自分から買って出た。それは単純に本人の趣味だったのかもしれないし、過去に関係を持った男たちにされた行為の集から逆算された、純粋な善意だったのかもしれない。けれどとにかくそれは、俺の理性を試すものとして残酷なまでの威力を発揮していた。
そしてついに、理性の闘争の終わる日が来てしまった。
「一回だけ、一回だけ!」
「一回だけ?♡」
「絶対に、今後一切同じことをしないって誓うから、一回だけ俺のしたいことをさせてくれ……!」
「いいよ♡」
二つ返事で了承するリリア。しかし俺は彼女のことも、ほかのあらゆる女性のことも、誰のことも信用していなかった。だからいつかこういう日が来てしまうのなら、そうしようと決めていたことがある。
俺のスマホを持って、タップとスクロールを繰り返すリリア。時折イヤホンを耳に入れて、しばらく画面を見つめていることもあった。……俺の性癖のほとんど全てが、その小さな板に保存されていた。だから軽々しく「なんでもしていいよ」なんて言う相手には、お前は今からこれと同じ目に遭わされるんだぞ……と、その画像や動画の山を見せつけてやることに決めていたのだ。
そうすれば誰一人実際に傷つくことはなく、「ごめん、これはちょっと……」と、認識を改めてもらえるはずだから。そうやって拒否されれば、俺だって極悪人ではないのだから、無理に欲求を押し付けるようなことはしない。絶対にしない。それをしてしまったら、人としてダメになってしまうから。
「なるほど……」
ハートマーク無しで呟いて、リリアは俺にスマホを返す。そして彼女は耳元にまで這い寄ってきて、嬉しそうにささやいたのだった。
「ミカミカの変態♡ ドS♡ ムッツリスケベ♡ ず~っとこんなことしたくてしたくて我慢してたんだ♡」
その性癖を見せられて、そんな笑顔を浮かべられる女性のことを俺は初めて見た。まあ、性癖を明かした相手はリリアでわずか二人目なのだけれど。
「いいよ♡ ミカミカの我慢してたこと、ぜーんぶわたしにぶつけて♡」
ずっと、彼女のことをメスガキみたいなサキュバスだと思っていた。でもその時、ようやく俺の認識は変わった。彼女はガキなんかじゃない。俺よりもずっと大人で、人の欠点を受け入れることが出来るような、女神のような存在なのだと。
そして女神は女神らしく、どんなことをされても、息一つ切らさずに微笑んでいるものだった。俺が欲望のままにどれだけ嗜虐の限りを尽くしても、事が終わればリリアは必ず「気持ちよかった?♡」と微笑みかけてくれた。
比喩ではなく、本当に涙が出た。
「えっ、ど、どうしたの。大丈夫……?」
「ごめん……ごめんリリア……」
「なにがよ……?」
「こんな性癖でごめん……ごめん……」
「……もう、びっくりした。わたしが傷ついてるように見える? 無理してるように見える? ……泣かなくていいんだよ、ミカミカは、何も悪いことしてないよ。明日からもずーっと、何度でも、したいこと全部してくれていいからね……」
「うぅ~……」
小さな手に頭をなでられて、リリアなしではもう生きられないと感じた。
そして彼女に甘え続けた俺は、段々と罪悪感を失っていった。けれどそれは悪いことではないはずだ。俺とリリアの二人だけがいる空間で、俺がしたいと言って、リリアがいいよと言う。そうしたらその空間の中にあるルールはそれが全てで、それ以外の全ては、ナンセンスな物になる。
こちらが慣れてくるにつれて、リリアのリアクションも変化していった。思えば彼女は初めから、乱暴に扱われながらそうしたかったのかもしれない。
「あんっ♡ ごめっんっ♡ なさっ♡ もっやめっ♡ 無理っ♡ 限界っ♡ やだぁ♡ ゆるしてっ♡ ミカミカぁ♡」
「なんでもしていいって言ったのはリリアだろ?」
「ひぃっ♡」
嫌よ嫌よも好きのうち……なんて言葉があるけれど、それが真実であることが約束されている相手に、全てをぶつけられること。それ以上の幸福は存在しないと、俺は毎日確信することが出来た。リリアが俺に楽園をくれたのだ。
大学が終わったあとの時間は、リリアと会うたびにエッチをするようになった。そしてその舞台は、いつの間にか彼女の家から、俺の自宅へと移っていた。少しずつ少しずつ、彼女の私物が部屋に増えていくたびに嬉しくなる。
しかしその夜は、余計な物が発見されてしまった。
「み……ミカミカ……あれ……」
これからキスをしてベッドに潜り込もうという時に、見たこともないくらい怯えた瞳で、リリアが部屋の一角を指さした。
何かと思ってそちらを向くと、壁に一つ、黒い点を見つけた。……そしてそれが何であるのかを理解した時、俺は飛び上がりそうになった。悲鳴を上げそうになる。リリアの小さな体にしがみつきそうになる。
その黒点は、動いた。擬音を付けるのなら、カサカサといった具合に。
「み、ミカミカぁ♡」
リリアの引きつった笑みを、その時初めて見た。
「虫を倒せる男の人って、かっこいいなぁ♡ 憧れちゃうなぁ♡」
「お、俺も~……」
「あそこにいるアレを退治してくれたら、た~くさんご褒美あげたくなっちゃうんだけどな~?♡」
「お、俺も~……」
「……もしかしてミカミカって虫が」
「苦手です!!」
リリアの怒りが、あるいは恐怖が、烈火のごとく爆発した。
「じゃあどうすんのよ! 無理! 無理無理無理無理!! あれがいる部屋でエッチとか無理だから!! さっさとなんとかして!!」
「俺もだよ! 俺も嫌だし俺も無理! なんで!? ここ三階だぞ!? どこから!?」
「知らない!! どうでもいい!! なんとかして!!」
「無理!!!!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ始めるサディストの男と、メスガキ。しかし二人とも「奴」からは目を離さなかった。本当なら視界に収めること自体嫌だけれど、目を離した隙に万が一懐へもぐりこまれたりすれば、泡を吹いて卒倒しかねないから。逃げる準備は万全にしておかなければならない、だから見ていた。
すると奴が、飛翔した。正確には、滑空のようなことを行った。俺たちは二人とも鳥肌を立て、お互いの苦悩を慰めあうかのように抱き合った。リリアの足が浮いている。
「……一つだけ、一つだけ方法がある」
「なに……?」
「勇気を出すことだ」
「それが出来たら苦労は……! …………できるの?」
「……たぶん。でも、それには儀式が必要なんだ。その儀式を見たら、リリアは俺のことを嫌いになるかもしれない」
「な、なるわけないでしょそんなことで。儀式ってなに? 裸踊りでもアナニーでもなんでもいいからさっさとやってよ! いや、やってください! それでアレを倒せるなら♡ おねがぁい♡ ミカミカぁ♡」
「わかった……。後悔するなよ……」
俺はリリアと抱き合うことをやめて、玄関付近で物置代わりにしているクローゼットを開いた。そしてその中から、埃かぶったそれを取り出す。いつか趣味の合う男友達が家に来たりすれば、自慢したり遊んだりしようと思っていたそれを。
俺はそのベルトを腰に巻き付けて、力強い足取りで戦場へ舞い戻った。その姿を見たリリアが「なにそれ?」という風に眉をひそめる。
「なにそのベルト……バイク?」
そう、そのベルトにはバックルの部分に、バイクのハンドルのような造形が付いている。そして左右のハンドルの間には、虫の複眼のようなデザインも。
俺は並々ならぬ気持ちで、そのハンドルの片方を握る。思うに覚悟という物は、一つ一つ段階を経て、より大きな物を引き出していくことが出来るはずなのだ。恥ずかしいことを一つ遂げればもっと恥ずかしいことが出来るようになるように、その段階と連鎖の果てにはやがて、自分の苦手な物に立ち向かう覚悟と勇気が眠っているはずなのだ。
大きく息を吸い込み…………覚悟を決める。俺は、ハンドルを捻った。ギュイーンという音が鳴り、エネルギーが充填されるかのように複眼部分のデザインが光る。
「う゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛」
オメガァ……。
「 ア゛マ゛ゾン゛ッ」
Evolu……E・Evolution……!
ベルトからはいい感じにかっこいい音声が鳴った。それは俺が仮面ライダーアマゾンズにはまっていた時に勢いで買った変身ベルトだった。無論、実際に変身することはできない。
しかし、奴に立ち向かうためにはそれくらいの勢いが、気の狂いが必要だったのだ。俺は台所にあったサランラップを武器に黒点を殺しにかかる。
「うおおおおおおおお!! 死ね!! 死ね!! 死ね!! 死ね!! ちくしょおおおおおおおおお!!!!」
気付いた時には、リリアが俺の腰にしがみついていた。
「ミカミカ! もういいよ! もう十分だよ!! それ以上やったら……後始末どうするの!!」
かつて生き物だったそれは俺の足元で、よくわからない、焦げて飛び散った臓物のようになっていた。
「や、やった……」
「うん!♡ ミカミカすごい♡」
「……で、リリアさん」
「うん♡ ご褒美ね♡ なにがいい?♡」
「いや、そうじゃなくて。……これを片付けることって出来たりしませんか?」
「……………………ミカミカも、がんばってくれたんだもんね。…………うん」
ベルト無しで覚悟を決めようとしてくれていたリリアだけれど、その時の彼女の顔つきは、舌を噛み切る寸前の人のそれにしか見えなかった。
そして後処理まで含めた全ての聖戦が終わった時。当然ながら、エッチをしようと思える雰囲気というものは跡形もなく消え失せていた。
「エッチとかそういうのは、また今度にしようか……」
「うん……」
俺たちは二人とも血の気の失せた顔で、お互いの健闘を称えあう。仲間って素晴らしい。
と、その時。ピンポーン、ピンポーン、とインターホンが二度鳴った。壁にかかった時計を見ると、もうすぐ日付が変わりそうな時間になっている。客人とは思えない。宅配とも思えない。
「ど、どちらさまですかー」
「隣の部屋のもんだけどぉ! お前いま何時だと思ってんだよ!!」
ドアスコープから声の主の顔を確認してみると、顔に数えきれないほどのピアスを開けたパンクな男が、いかにもイラだちを隠せないという様子でその身をゆすっていた。
本能的に振り返ると、リリアが「わたしが行こうか?」と自身を指さしていた。……しかし、俺は首を横に振った。今こそいつかの失態を取り返すのだと、今日再びの覚悟を決める。これはむしろ二度とないチャンスなのだと、自分を奮い立たせた。
……変身ベルトを装着しっぱなしだったことに気付いたのは、玄関の扉を開けたあとのことだった。