アンダーライン×アンダーライン   作:氷の泥

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03 ルノアール・チル・リリア・マゾリエール

「おーい! ミカミカー!」

 大学の棟を移動していると、背後からキンキンと高い声に呼び止められた。振り向くと、身長わずか135センチの金髪幼女がそこにいる。

 幼女と言っても、実年齢は150近いらしいけれど。

三神賀(みかみが)です」

「細かいこと言わないの♡ だからモテないんだぞ、童貞♡」

「童貞じゃない」

「また見栄っ張りだ~♡」

 語尾にハートマークが付いている彼女の名前はリリア。フルネームは「ルノアール・チル・リリア・マゾリエール」。見ての通り、いわゆるメスガキ属性のサキュバスである。

 サキュバスの寿命は500歳近く、30歳を超えたあたりから見た目が一切変化しなくなるらしい。昔のままの人間社会が現存しているとは言ったけれど、サキュバスの社会的な扱いについては、人間社会の基準が適用されない場合もある。有名なところだと「年齢制限」がその一つだ。

 リリアは合法ロリとして一部の男の間で狂気的な人気を博しているらしいが、サキュバスであるという属性一つでお腹いっぱいになってしまう俺にとっては、属性の渋滞をかなり感じてしまう相手……という印象がある。まあ、どうせ友達以上の関係になることなんかないからどうでもいいんだけど。

「ミカミカさぁ~、今度飲みに行かない?♡」

「いや、未成年なんだけど」

「あっ、そうじゃ~ん♡ 人間って面倒♡ ミカミカお子様じゃん♡ 幼稚園児♡ 赤ちゃん♡」

「エルフかよ……」

「でもまぁ、ちょっと話したいことあるから、本当に行かない? 別にわたしもジュースでいいからさ」

「はなし?」

 リリアが改まって話をしたいだなんて、珍しいどころの騒ぎじゃない。たかだか一か月程度の付き合いだけれど、明日は雪が降るんじゃないかと思った。

 リリアは初対面の頃から今の調子だった。まだ一度も話したことがなかったのに、携帯ゲーム機を片手に迫ってきては「一狩り行こう?♡」とモンハンに誘ってきて、買ってはいるけどゲーム機は家に置いてきたと答えると、「役立たず♡ オタクのくせに♡ 明日持ってきて♡」と食い下がってきたことが印象深い。そして実際に俺とリリアと、それから二都の三人は、モンハンを通じて友達になっていったのだった。

 後から聞いた話、なぜあの時ほかの誰でもなく俺に声をかけたのかというと「人畜無害っぽいから♡」だそうだ。案外笹間のやつなんかは、そういうきっかけから巨乳美女をものにしたのかもしれない。

「課題のことなんだけど、ちょっと童貞についての情報が足りなくて♡」

「なんて課題だ……」

 しょうもなさすぎる響きに呆れの気持ちが押し寄せるが、それに流されてしまう前に思うことがあった。サキュバスから見れば、人間がやっていることもそういう風に見えているのかもしれないと。

 異界学を受講しようとしたらその現場にサキュバスが「生徒」として何人も座っていた時には驚いたものだけれど、元々高校までの間にだってクラスに普通にサキュバスはいたのだから、それにももう慣れた。実際のところ異界学という分野には、「サキュバスから見た人間界」という要素も含まれていたのだ。それを事前に知ることのできない体制からかつての混乱の名残を感じないでもないけれど……、とにかくこの大学の中には人間界のことを学びに来ているサキュバスも大勢いるということになる。たぶん感覚としては、留学に近いのだろう。現地で学んだ方が早いというような意味で。

 しかし、だからといって、人間の童貞について研究したところで何の役に立つのかは定かではない。いや、役に立つ立たないで学問を見てはいけないとはいうけれど……そんなこと言ったらあらゆるセクハラが学問になってしまう……。……もしかしてすでになっているのだろうか? もはや、現代においては。俺が知らないだけで。

「だからミカミカの話を参考にしたいなって♡ おねがい♡」

「いや、俺童貞じゃないんですけど」

「もう♡ 分かったから♡ スマホ出して♡ 出して♡」

 幼女が俺の袖を引きながら、自分のスマホでスケジュール帳を開き始める。全然分かってないじゃん。

 ……いや、それともこれは単純に、彼女流の食事の誘い方なんだろうか? 友達とはいえ異性、友達とはいえ異種族、どうやって誘えばいいのか勝手が分からない部分があったとしてもおかしくないし、むしろ共感できるくらいだ。

 そう考えれば、あれこれ言うことは野暮でしかないように思えた。モンハンを持って来いと言われたら持って行ったように、飲みに行こうと言われれば行けばいいだけ。種族が違えど、友達と仲良くすることは簡単なことなんだ。

「じゃあ来週の日曜ね♡」

「了解。じゃあ講義始まるから」

「私も~♡ 一緒に行こっ♡」

 リリアが腕に組みついてくる。周囲の人間がそれを見てもほとんど気にしていないことを思えば、いい時代になったものだなぁと思わずにはいられない。

 いや、別に幼女と公衆の面前でベタベタしたいわけではなくて。なんというか、こういう「距離感が近すぎる人」は、異界の扉が開かれなくても人間界に元々いた気がするから。

 

 

 

 

 

 

 家に帰ると、部屋の隅で抜け殻のようになっていた夢子が起動した。主人の帰りを待ちくたびれた犬に似ている。

「おかえりなさい!」

「ただいま」

「お待ちしてました……!」

 えっ、家にサキュバスがいるって幸せすぎじゃね? と、この時思ったのは、昨夜ベッドの上であったあれやこれやを前提にした感情なんだろうか。

 簡潔に言って、サキュバスとのセックスは最高だった! 俺はもうサキュバスのことが大好きです。

「ずっとそうしてたの?」

「え?」

「部屋の隅でぼーっと」

「あ、はい。特にすることもないので」

「テレビくらい好きに見なよ。録画しとけば夜にサキュバスの番組とかやってるでしょ」

「わかりました!」

「うん……」

 ついため息が出そうになって、なんとか思いとどまる。夢子はたぶん、そういうところに対して感受性が鋭いから。

 サキュバスは大好きだ。友好的だし、献身的だし、性欲に寛大だから。でも夢子のこの何というか……スリープモード癖には、ちょっと気疲れしてしまうところがある。

 とりあえず電気は自己判断で点けてくれるようになった。でもそれだけだ。テレビは好きに見ていいよだとか、お腹が減ったら冷蔵庫の中にある物食べてもいいよだとか、そういうことをどうやらいちいち明言する必要があるようだと思うと、ため息が出そうになる。きっとサキュバスたちも、人間に対して同じようにため息を吐きたくなる時があるのだろうけど。

 いや、でも夢子のことに関しては、もはや種族とか関係ないような……。私生活その物が指示待ちのサキュバスだなんて、聞いたことがない。

「ユウジさんユウジさん、何か命令したいことってないですか?」

「命令? ……ああ」

 なんでも百回言うことを聞く、というやつか。

 なんでもと言われると……こう……良からぬことばかり思いついてしまうので、口に出せることがあまりなかったりする。だから現状、言うことを聞く回数は残り100で止まったままだ。贅沢な話である、普通にセックスをするだけならお願いをするまでもないだなんて。

「特には思いつかないかなぁ」

「そうなんですか……?」

 夢子に動物のような尻尾や耳が生えていればしゅん……と垂れていただろうと思えるような、分かりやすすぎるリアクションが返される。そんなに男の願いを聞くことが好きなのだろうか。それとも、そんなに結婚したいのだろうか。

 ……だとしたら、なんで俺と? 人畜無害っぽいから? まさかなぁ。

「そんなに何かお願いされたいの?」

「はい!」

「じゃあさ、完全に雑用になってしまって申し訳ないんだけど」

「はい!」

「お風呂洗って沸かしておいてくれない?」

「分かりました!」

 夢子はどてどてと走って風呂場へと消えていった。そういえばあれだ、下の階の人に迷惑だから足音に気を付けろということも伝えておかなければ。

「さてと……」

 夢子が風呂を洗ってくれている間に、俺は俺で夕食の準備を始める。夢子が料理を出来るのかどうかまだ知らないけれど、なんとなく彼女に「いいえ」とか「出来ません」と答えさせてしまうと、こっちの良心がやられそうなので、万が一に備えて風呂場の方を担当してもらった。

 今日の夜は焼き魚と決めていた。しかし網を使って焼くとあと片付けが面倒すぎるので、フライパンで焼く。フライパンでも取って付きの蓋があれば魚くらいちゃんと中まで焼けるものだ。

 ジュウジュウと鳴りながら焼けていくを見ながら、想像する。もしも夢子に料理が出来るなら、この台所に立っている彼女の後ろ姿を、俺は存分に眺めることが出来るようになる。……百回も命令できるなら、裸エプロンとかあってもいいかもしれないな。

「…………」

 よく考えたら焼き魚って料理と呼べるのか? という疑問が浮かんだところで、仕事を終えた夢子が戻ってきた。

「おわりました!」

「ごくろうさま」

 振り返ると、おつかいに行ったことを褒められた子どもみたいな顔をしている夢子がいた。

 嬉しそうに、夢子は言った。

 

「あと99回ですね」

 

 ……彼女の声が、この世の何よりも鮮明に聞こえた。俺はなぜか、その鮮明さに「死」を連想してしまった。まるで身内の訃報を聞かされた時のような……。

「えっ……?」

「え? ユウジさんのお願いを聞くのも、あと99回ですねって」

「あ、あぁ、そうだな」

 そんな、一刻も早く終わってほしいかのように数えるのなら、初めから百回言うことを聞くなんて言わなければいいのに。そう思ったけれど、口には出さなかった。「一刻も早く終わってほしそう」というのは、俺が勝手に感じた印象、気のせいかもしれないから。

「今日はお魚なんですね。お魚、好きです」

「他になにか好物は?」

「うーん、ケーキ?」

「誕生日だな。いつ?」

「あっ、いやそんな、大丈夫です。高いですし」

 サキュバスは人間と同じように飯を食べる。いや、食べることが出来る。人間と友好関係を築くに当たって、食事を共に出来ないことは結構なハンデになってしまうからだ。人間視点で言う「セックス」と「食事」の関係が、サキュバスにとっては「食事」と「サプリメント」の関係に近いらしいので、結局はセックスが必須になるのだけれど。

 昨夜、体を重ねて満足したあとに夕飯を食べようとした時、一人だけ食べるのも心苦しいから一緒に食べてくれと頼んでから、二人で食事を共にすることが俺と夢子の習慣になった。昼はお互い外出していることが多いけれど、朝と夜は一緒に同じ物を食べるようにしている。

「いただきます」

「いただきます」

 夢子は、箸の使い方が下手だった。俺も人のことを言えないけれど。

 一人暮らしを始める前からの習慣で、食事時にはテレビをつけることにしている。それを良くないことだと考える家庭も多いらしいけれど、みんなで一つの番組を見て知識や感想を共有するということは、そんなに悪いことでもないはずだ。

 ロケに出るタイプのバラエティ番組で、芸人が体を張った企画を与えられ奮闘している。それを見て夢子が「あはは」と笑うところを見ると、なんだか安心できた。……なんだか、彼女はテレビを見ても笑わないのではないかという不安が、実際に笑う姿を見るまではずっと心の中にあったのだ。

「ごちそうさまでした」

 俺よりも早く食べ終えた夢子は食器を水につけて、歯を磨くために洗面台へ向かった。

 

 

 

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