あの夜から一週間が過ぎた。
大学が終わってから帰宅すると、元気に尻尾を振るかのような笑顔で、夢子が俺のことを出迎えてくれる。
「おかえりなさい!」
「ただいま」
パソコンにパスワードをかけることは、俺には出来なかった。あの夜以降もそれは出来なかった。昨日までとは違うロックされた画面を見て、拒絶するようなそれを見て、俺がいない間に夢子が悲しそうな顔をすることを想像したら、出来なかった。罪悪感に勝てなかった。
そう、罪悪感。罪悪感といえば……、一つ気が付いたことがある。
笹間の恋人だという巨乳のサキュバス。彼女を指して二都から「羨ましい?」と聞かれた時、なぜ良心が傷んだのか。それは俺が「羨ましい!」と思ったからだ。でもそれは決して、夢子よりもそっちがいいという意味ではない。そんな意味ではないのだけれど、きっと夢子がそれを聞いたら、ひどく落ち込むだろうなと思った。
意図なんて物は伝わらないのだ。パスワードを設定すれば夢子は傷つく。笹間のことが羨ましいと言えば夢子は傷つく。でも、夢子が言う通りにしていれば、俺は彼女を……。
「私、なにか出来ることありますか?」
子犬みたいに傍をうろうろしながら、夢子がそんなことを言ってくる。一週間が経った今でも相変わらずのそれに、なんて卑怯な言い回しだと俺は内心で悪態をついた。だって、事実として夢子が優秀であることとは別に、そもそも「お前に出来ることなんてない」だなんて、言えるわけがないじゃないか。
この一週間で、夢子は料理が出来るのだということを知った。裸エプロンもとっくにやらせた。それで分かったのだけれど、お願いの残り回数は、お願い「一つ」というよりは「一度」ごとに消費されていくらしい。つまり毎日裸エプロンを拝もうとすれば、週に7回のペースで消費することになる。
初めの頃は、そういう使い方をして残り回数をさっさと消費してしまおうと考えていた。……なぜなら夜になると俺は、夢子に夢子の望む通りのことをしなければならないからだ。あの時、頷いてしまった責任として。
けれど、ある時思い当ってしまった。意図という物は伝わらないけれど、意図ではなく「思惑」ならどうなのだろうかと。もしも万が一、夢子にそれが悟られてしまったら、彼女はどう思うだろう? 君を傷つけたいわけではないんだという「意図」だけが、伝わらないのではないか……?
そう考えて、俺はひよった。だから時々考える。俺の行動は、もしも夢子の望みが別の物であったとしても、同じだったのだろうかと。
台所に立つ夢子は、ちゃんと服を着ている。彼女は、デザインは別でも相変わらずTシャツ一枚と、短いスカートしか身に着けていなかった。
飯を食って、風呂に入って、その後は何をしてもしなくても、いずれ夜更けがやってくる。夜更けは必ずやってくる。時として月明りさえ遮った空間の中にも充満する、俺が夢にまで見たはずのサキュバスの時間だ。
「ユウジさん、今日はどんなことしましょうか? やりたいことなんでも言ってくださいね。なんでもですよ。私、どんなことでもしますから。なにされても死にませんから」
「あぁ、分かっているよ」
俺には分からない。俺の趣味を全て知った夢子にならすぐにバレる嘘をついて、彼女の悲しむ顔を見るのは嫌だけれど……。
サキュバスだろうと人間の女性だろうと、出来れば悲しむ顔は見たくないと思う。それは当たり前のことだ。……当たり前のことだと信じたい。でも、俺には分からない。
結局、そんなことを言いながら夢子に苦痛を与えるのなら、俺は体裁のいい言い訳を手に入れただけなのではないか? 悲しませたくないから、首を絞めるのか? それよりもっとひどい暴力を振るうのか? それは本当に良心なのか、そんな物が本当に良心なのかと言われたら、俺には分からない。……分からないのだ。
どうするのが正解なんだ? それとも正解なんて物は、あの日世界のどこからも消えてしまったのか?
「あと……75回……」
鞭に打たれた傷を背中や尻にいくつも残しながら、他の誰でもなく夢子の声で、息も絶え絶えにカウントダウンが告げられる。
必要だと思ったことがないから、この家には鞭がない。代わりに、何のための物だったのかも忘れ去られた太い電源コードなら転がっていた。俺はそれを握りしめながら、ほとんど息を切らすこともなく夢子の背中を見下ろす。痛々しい痕と、無理やり火照らされた体と、彼女の下からぼんやりと光るサキュバスの証の光……。
……あと75回で、俺たちは、結婚するらしい。