アンダーライン×アンダーライン   作:氷の泥

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07 理解

 次の日、週明けの月曜日。大学へ行くと、朝っぱらからいつになく押し殺した声で、二都が俺の肩を叩いた。俺は彼に促されるがまま講義室の隅の方へと向かう。

「なあ、これ、あいつだよな」

 イヤホンと共にスマホを渡された。二都の表情や声音から「何かタダ事ではない」と察し、心して再生ボタンを押す。

 

「ごめっ♡ ごめんなしゃいっ♡ ちょーしにのっ♡ のってましたぁ♡ もうっ♡いっ♡言いませんっ♡ なまいき言いませんっ♡ 許ひてっ♡ 許ひてくらさいっ♡ ごめんなしゃいっ♡」

 

 そこに映っていたのは、巨漢の男に犯される女……リリアの姿だった。

 どこかのラブホの一室と思わしき場所で、駅弁と呼ばれる体位であの時の大男に犯されているリリア。モザイク処理等は一切なく、はっきりと顔が映っている。声も彼女と同じだ。間違いない。

「…………」

「これ、いいのか……?」

「…………」

「おい、なんか言えよ」

 俺は、ただ一つの疑問で頭の中がパンクしていた。

 リリアの語尾は、意図的な物なのだろうか? 本気で嫌な時は、本気で嫌そうに出来る物なのだろうか? もし違うのだとしたら……。

「なに見てるの♡」

「うわぁ!?!?」

 自分たちの目線よりずっと下の方から、イヤホンを経由して聞こえるそれと同じ声質が飛んできた。状況が状況なこともあり二都も猛烈に驚いていたが、俺に至っては危うく尻餅をつくところだった。実際には背中を壁に強打するだけで済んだが。

「なにそんな驚いてんの♡ びびり♡ どうせエロ動画見てたんでしょ♡ サキュバスに隠さなくていいよ♡」

「いや、でもお前、これはさ……」

 言葉とは裏腹に、おずおずと二都がスマホを手渡してしまう。なんで渡すんだよ! と俺が叫ぶ頃には、リリアはもうイヤホンを装着して画面をタップしていた。

 あっ、と一音だけ、彼女が声を漏らす。そしてそれから、ひどくつまらなさそうな顔をした。

「なんだ、私じゃん」

「いや、私じゃんって、いいのか? もしかして許可済み?」

「ううん、ていうか撮られてるの初めて知った」

「お前……」

 二都は唖然としていたが、俺は声すら出すことができなかった。開いた口から魂が少しずつ漏れ出ていくかのようだ。この場から、逃げ出したいとばかりに。

「仮に広まったとして、サキュバスがセックスしてるってだけでしょ、べつに。大丈夫大丈夫」

「マジで?」

「うん。行為自体は同意の上だし」

「あ、そうなんだ。って、えっ!? ユウジ!?」

 行為自体は、同意の上。

 その言葉を聞いて、俺は安堵から腰が抜けてしまった。その場に崩れ落ちる。視界の中のリリアが、自分のハメ撮り動画が無断で上げられていると知った時よりも激しく驚いた。

 ごめん、ちょっと昨日いろいろあって~♡、と言いながらリリアが俺の腕を引いて、講義室を出てもっと人気のない場所へと連れていく。魔力を使えば昨日の夢子のようなパワーを出すことが出来るはずなのに、俺を連れ去ろうとするその腕力は見た目相応に貧弱だった。今の俺では、その力にも負けかねなかったけれど。

 中庭の、いつでも日陰になっているような端の方までやって来る。そこで齢150近い幼女が、俺のことを見上げながら言った。

「ミカミカ、もしかして私のこと心配してくれてた……?」

「するだろそりゃ……」

「ごめん~! 万が一ミカミカが巻き込まれたらやばいと思ってああしたんだけど、そんな心配かけてるとは思わなかった。ごめんね……?」

「こっちこそごめん、あんな、囮みたいにして……」

「いいのいいの。私はサキュバスで、ミカミカは人間なんだから。それより本当に昨日は、その、酔っぱらっちゃって……」

「……あの、いい機会だから確認しておきたいんだけど」

「なに?」

 この時点で、半ば判明しているような物だったけれど、それでも確認せずにはいられなかった。念には念を入れて。

「リリアの、語尾にハートマークが付いてるみたいな喋り方って、あれは、わざとなんだよな……?」

「えっ」

 俺の期待を裏切る、面食らった表情がリリアに現れた。

 分かりきっていることを確認したつもりだった。なのに「えっ」という顔をされた。俺は、信じていた神が死んだような気持ちに襲われた。

 心臓が絞めつけられる。「そんな風に思ってたの……?」と悲しそうな顔をして言うリリアの姿が、数秒先の未来のことなのに、走馬灯のような速度で脳裏を駆け抜けた。

 しかしその後、その感情は百八十度反転することになる。

「当たり前でしょ……?」

「はぁ!? おっ、おまっ、びびったぁ」

「え、なにが……?」

 俺は、良い報せがある時に深刻そうな顔をする人のことが苦手だ。心臓に悪いから。

 ともかく、気を取り直して。俺は彼女に問う。ではなぜああいう喋り方をするのかと。するともう一度「えっ」という顔をされた。

「いや、いつもの喋り方はなんていうか、誰とセックスすることになるか分かんないから、とりあえず手当たり次第に前フリのつもりでやってるんだけど……。……えっ? ミカミカ、マジで……?」

 リリアは見た目相応の、叱られることを予期した子どもが雷の落ちる時をただ待つような顔をして、俺の顔色をうかがった。

「……その、…………本気で不愉快だった?」

「いや、全然。素でやってるならバカっぽいなーと思ってただけ」

「ちょっ、もう♡ あせった♡ ふざけんな♡ 馬鹿ミカ♡」

 照れ隠しなのか、小さな手のひらが俺のことを嬉しそうにバシバシ叩いてくる。身長差の関係で全てが背中ではなくケツに当たっていたがまぁいいだろう。

 大学生活が始まってもうすぐ二ヶ月。梅雨の時期が来る前に、俺は友人の特性を無事把握することが出来た。ルノアール・チル・リリア・マゾリエール……彼女が語尾にハートマークを付けている時、それは彼女に精神的な余裕がある時だ。サキュバスに無茶をさせるなという話を講義で何度も聞いたけれど、なるほどこれは確かに、この上なく分かりやすいサインだと言える。

「ほらっ、帰ろう? ニトフワー待ってるよ」

 リリアが俺の手を引く。相変わらず見た目相応の、ちょっと心配になるくらい非力な力で。

 彼女は初対面の頃からそんな風なコミュニケーションをするから、初めの頃は焦ったものだ。女子の手を握ったことがないというわけではないものの、彼女に触れると伝わる「小さい」という感覚に、少し前まではわけもなく焦りを感じていた。

 リリアはすぐ手を繋いだり、ベタベタ絡みついてきたりする。けれど同じくらい「スキンシップの距離感」が特殊なサキュバスたちが、社会にもこの大学内にもそこかしこに居る。だからリリアと俺が(あるいは誰しもが)どんなスキンシップを取ったところで、傍から見たそれはさほど珍しい物ではないことになる。珍しくはない……のだが……。

 スマホ画面から目を離して、仲良く手を繋いで戻ってきた俺たちを視認した二都は、ぽかんと口を開けた。

「お前ら……そういえば昨日飲んだって……」

「あぁ、まぁ、主にリリアが」

「えっ、ヤったの?」

 呆然と、手を繋いだ男女二人に向けて視線を右往左往させる二都。それを受けてリリアがパッと手を離した。

「あり得ないから♡ ニトフワー発想が童貞♡ きっも♡」

「言うなよ~! お前それは、気にしてるんだからさ~!」

 そう言って、わざとらしく顔を歪ませうなだれる二都。リリアは楽しそうにけらけらと笑うけれど、俺は苦笑を浮かべるのがせいぜいだった。

 あぁ、白々しい。

 

 

 

 

 

 

 大学までは電車で通っている。自転車は最寄り駅までの乗り物だ。

 運よく座れた車両の中で、俺は今日のリリアが言っていたことの「意味」を考察していた。リアルタイムでは気が動転していてそれどころじゃなかったけれど、よく考えれば、彼女はとても興味深いことを言っていたのではないかと。

 

「誰とセックスすることになるか分かんないから、とりあえず手当たり次第に前フリのつもりでやってるんだけど……。」

 

 と、彼女はそのようなことを言っていた。

 異界学の講義は回りくどいことが多く、確かにこれは、本当に重要なことの全てにたどり着くまで数年を要しそうだと思っていたところに、これだ。天啓が降ってきたのではないかと思う。

 だって、「誰とセックスすることになるか分かんないから」なんて、そんなことがあるか? サキュバスはその気になればいつでも「拒否」が出来るはずだ。昨夜の夢子のように、魔力が扱えるのだから。

 一方で、二都はこんなことを言っていた。そちらに関しては俺の既存の理解とも一致する意見だ。

 

「あのなユウジ、サキュバスにだって好みがあるんだぞ。誰でもいいってわけじゃないんだ。」

 

 そう、俺が知っているサキュバスは、誰にでも体を許すわけじゃない。だから歴史の中でも、サキュバスを狙った強姦魔が返り討ちにあっていたりする。リリアがあの巨漢の男と寝たことだって、俺を助けるためにやってくれたことだ。どちらかといえば、いやどちらかというまでもなく、それは不本意なことだったはず。

 ……と思っていた。けれど、それなら「誰とセックスすることになるか分かんない」とはどういう意味なのだろうか? 魔力による膂力でもって、嫌な相手は拒否すればいいだけの話なのに、分かんないってことはないだろう。

 それはもちろん昨日のような特例はあるかもしれない。が、すると彼女はその特例のために「前フリ」を行っているのか? 俺や、二都に対しても? 大体、それでは「前フリ」の意味がよくわからない。

 考えて、考えて……。電車の中で、俺は一つの結論にたどり着いた。俺が今まで思い描いていたサキュバス像のどこが間違っていたのか、その答えに。

 俺は二都から「サキュバスにだって好みがあるんだぞ」と言われた時に、こんな風な例え話を連想していた。「人間だって味が同じなら見た目がいい方の料理を選ぶように、サキュバスにも好みや選ぶ基準がある。」と。……その考え方が、間違っていたのだと思う。

 結論はこうだ。サキュバスにも好みがある、誰でもいいわけじゃない。……ただし、「好み」とは「見た目」の話に限らない。

 リリアが「前フリ」と呼ぶ普段の態度は、正直言って「メスガキ」と呼ばれるジャンルの体現である。そしてあの動画の中で、余裕のハートマークを付けながら男の相手をしていた彼女の姿は、客観的に見て「「理解(わか)らされ」ているメスガキ」だったと言えるだろう。

 ならば「前フリ」の意味は明白だ。彼女はずっと、理解らされるための前フリをしていたのだ。より正確に言えば、「理解らされるメスガキ」というプレイをするための前フリをしていたのだ。

 前フリというのがプレイ本番時の雰囲気のための物なのか、それともプレイの素質がある人間を引き寄せて釣るための物なのか、それは分からない。しかし何にしても、彼女の「前フリ」の向かう先が「理解らされるメスガキ」であることだけは間違いない。そうでなければ説明がつかないからだ。彼女の普段の前フリと、彼女が「好み」と判断したあのハメ撮り映像の中のプレイが、そうでなければ結びつかない。

 つまり、リリアというサキュバスが持つ「好み」とは、「そのプレイに付き合ってくれる人間」のことを指しているんじゃないかと考えることができる。

 「好み」が見た目ではなく、性格や性癖を指すなら、たしかに「とりあえず種をまく」ということも必要になってくるだろう。何せそれらは、容易には表に出てこないのだから。俺も二都も、そういう意味では値踏みされていることになる。こいつらはどうかな~、という風に。

 ……え? 俺、天才か?

 辻褄が完全に合った。完璧だ。後日また本人に確認する必要はあるが、真実にたどり着いたと見て間違いないだろう。そのまま自宅の最寄り駅に降り立った時、俺は凱旋するようなすがすがしい気持ちに包まれていた。

 けれど、自転車を漕いでいる間に、また新たな疑問が浮かび上がってきてしまった。

 あれ? そういえば、小学生の体を模したサキュバスがそのまま性行為に及んで、大怪我をしてしまったんじゃなかったのか? リリアの体はかなり小さいけれど、あんな巨漢を相手にして平気だったんだろうか? 語尾にハートマークが付いていたからには平気だったのだろうけど、じゃあ巨漢はよほどの粗チンだったのか……?

 ……なんだか、まだ俺の理解しきれていないことがある気がする。モヤモヤしてきた。

「おかえりなさい!」

「ただいま」

 夢子の顔を見ると、帰路で浮かんだモヤモヤはすぐになりを潜めていった。夢子の存在に押し出されるように、燻る疑問が脳みその中から消えていく。

 ……それは必ずしも良い意味ではない。

 人間が元々あった社会を維持しながら、今も人間らしい暮らしを維持し続けられていることは、サキュバスに良心があるおかげなのだと昨晩身をもって知った。向こうが本気を出せば俺たちは家畜扱いだったかもしれない……と。

 つまり、夢子の中にもその良心があることになる。彼女のことを忠犬のような性格だと思っていたけれど、あながちそれも間違っていなかったのだ。犬と人間が生身で争ったら、絶対に犬が勝つ。しかし俺たち人間はペットや家畜を支配している一方で、サキュバスのことを支配してはいない。出来ないというのが正しいのだろう。そのおかげでサキュバスと対等な関係を築くことも可能になっているわけだが……。

 とどのつまり何が言いたいのかというと、

「夢子、お願いがある」

「はい! なんでしょう?」

「……教えてくれ、なんで俺だったんだ?」

「へ?」

「一緒に住むとか、その、結婚とか」

 仮に猛烈な結婚願望があったとして。そのためならどんな命令でも百回耐えられると思ったとして。……なんで三上賀雄二なんだ?

 ある時そう考えて、俺は今さら、本当に今さら、根本的な疑問に思い当たったのだ。夢子の顔を見れば、その疑問が何よりも勝って頭の中を支配する。少なくとも、リリアの謎について考える余裕がなくなるくらいには。

「ユウジさんが、私のことを必要としてくれる気がしたからです」

「それはご明察……だけども、じゃあなおさら不思議だ」

「何がですか?」

「夢子みたいなサキュバスを必要としている男なんて、世の中いくらでもいるよ」

 献身的で従順なサキュバスが向こうからやって来てくれるなんて、男なら誰にとっても至上の幸運だろう。選ぶ側と選ばれる側、どちらが優位な立場にあるのかなんてことは、考えるまでもない。

 そして俺は自分の中に、見た目だけではなく性格の面でも、夢子に気に入られて然るべきであろう良点を見つけることが出来ないのである。……むしろ性格なんか、見れば見るほど最悪だ。

 ……けれど夢子は、そうやって卑屈になる俺よりも、ずっとつらそうな顔をした。

「本当に、そうだったらよかったんですけどね」

 ハッとする。珍しく、俺にもそれが見えた。これ以上踏み込んではならないというような、言わば危険ラインが。手遅れになる前に見えた。

「まあいいや! 夢子が来てくれたおかげで、俺幸せだし!」

「本当ですか……!」

「そりゃ本当に決まってるだろ」

「嬉しいです!」

 引く手数多なはずのサキュバスが、俺みたいな人間に褒められたくらいで飛び跳ねんばかりに喜んでくれる。満面の笑みで、自分が生まれてきた意味を知るみたいに。

 薄々思ってはいたけれど、夢子の心は何かに飢えているのだろう。それが好意なのか愛なのか、それ以外の何かなのか、俺には分からない。しかし何であったとしても、それは俺だけが持っている物ではないはずである。それを持っている膨大な数の人間が、夢子のような相手にならそれをくれてやってもいいと、今もどこかで思っているに違いない。

 ……であるならば、俺だってそれを夢子に与えられるはずだ。

「じゃあ夢子、風呂とご飯の準備頼める?」

「はい! 任せてください! どっちからにしましょう?」

「うーん、じゃあ風呂」

「了解です!」

 上機嫌な夢子は、ウインクしながら敬礼のポーズを取ってから作業にとりかかり始めた。

 テレビをつける。初めに映ったチャンネルでは、ひな壇で芸人がトークするタイプのバラエティ番組がやっていた。そこに女性ゲストとして出演しているのは、なんと、これはサキュバスだ。深夜番組の方で顔を見たことがある。

 最近、食事時に見るテレビ番組は深夜枠が多くなった。夢子が録画したサキュバスがメインの番組群を二人で見ているからだ。わざわざ大学へ異界学を学びに行きながら、すぐ傍にいるサキュバスから何も学び取れないというのではもったいないというか、何がしたいのだか分からない。俺は出来るだけ彼女が好むものに付き合って、何かを感じ取りたいと考えていた。

 というのは建前で、夢子がどんな物を見てどんな時に笑うのか、純粋に知りたいだけなのかもしれないけれど。

「すぐご飯も作りますねー」

 風呂場から帰ってきた夢子がエプロンを身に着け始める。裸ではない。あれは、三日も続けていると申し訳なさの方が勝るようになった。

 風呂が沸けるまでの間、台所に立つ夢子の後ろ姿を見守る。あるいは、その視線を感じる側の感想に寄り添った言い方をするのなら、俺は夢子を「観察」する。彼女は最近慣れてきたのか、料理中に鼻歌を歌うことが多くなった。体でリズムも刻んでもいる。火や水の音を耳にし続け、視界の中に人間やサキュバスが一人もいなくなると、自分一人の世界に入り込みやすくなるのかもしれない。

 ふと、もしも今、彼女の首を絞めたらと想像した。俺が背後を取ったところで、きっと夢子は「なんですか~?」なんてのんきな反応をするだろう。そして首を絞められて、意識を失う前に解放された時には、きっと怯えた目をするのだ。同じ目に遭った誰しもがそうするように。

 ……俺は、毎晩のように彼女の首を絞めている。もはやこの手ではなく、紐の類を使って絞めたこともあった。けれどその痕は彼女の体からすぐに消えてなくなる。喉元を切り裂いた傷も最終的には消えてなくなるように。それよりもずっと簡単に。痕跡は消える。

 別に、彼女の体に「痕」を残したいわけじゃない。でも、消えていくそれを見るたびに思うのだ。これでは誰も、彼女がどんな目に遭っているのか気付いてくれないのではないか……と。

「あぁ、そうか……」

 スピーカーを通した芸人たちの笑い声をよそに、俺は理解した。

 危険ラインを見たことで一時的にかき消されていた疑問が、再び舞い戻ってきていたのだ。……夢子はどうして、結婚の条件として「百回言うことを聞く」なんて言ったのだろうと。そんなことをしても、彼女にはこれっぽっちも得がないじゃないかと。

 リリアの意図に気付いた俺は、それに続いて、夢子のそれも「前フリ」なのではないかと考えた。しかしそれにしては夢子の狙いが見えない。俺が実際に彼女に向けてしまっている醜悪な趣味も鑑みれば、何でも言うことを聞くなんて、それではまるで……奴隷のようになってしまう。では彼女は奴隷になることを、あるいはそういったプレイを望んでいるのだろうか? ……俺にはそうは見えない。彼女の心が飢え、求めている物は、「支配」ではないだろう。

 けれど「もしも今、突然首を絞めたなら」なんて物騒なことを考えた瞬間に、俺は彼女の狙いを理解することが出来た。

 夢子は、「今から○○をしますよ」という宣言をしてほしいのだ。急に何かをされることだけは御免だと、そう考えているに違いない。許可もなく何かをされかねないことと天秤にかけて、何でも許可する方を選んだのだろう。

 冗談でも地雷を踏んでしまう前に、そのことに気が付けて本当によかったと思う。何かの拍子に気が緩み、出来心が湧いて、彼女の琴線に触れてしまう前に気が付けてよかった。

「できましたよ~」

 未だ上機嫌な夢子が食器を運んで来る。というか彼女は基本的にいつも上機嫌なのだけれど、今日は輪をかけてそうである気がする。

 今日のメニューは酢豚だった。夢子は酢豚にパイナップルを入れる。俺も入れる派なので良いことだ。

「旨い」

「よかった!」

 そろそろ俺の語彙からは「旨い」以外の感想が出てこないことにも気付いているだろうに、夢子はいつもその一言に満面の笑みを浮かべてくれる。こちらとしてももっと具体的な感想が言えればいいのだけれど……。どうにもそういったことが苦手なので、夢子が夢子でよかったと思う。

 セックスさえ出来れば別に食べなくても死なない夢子が、俺が食っているのと同じ物を旨そうに口に運んでいる。俺はテレビのリモコンに手を伸ばして、録画していた深夜番組の再生を始めた。今週はどうやら、街角のサキュバス百人に取ったアンケートを元にクイズ企画をやっているようだ。

 百、か……。

 

 

 

「関係を持った男性から、他のサキュバスとのレズセックスを所望されたサキュバスは、百人中何人だ!?」

「うーん……。なんか実は結構ありそうだよなぁそういうの……。…………よしっ、じゃあ真ん中よりちょっと少ないくらいで、45人!」

「さぁ、誤差10人以内ならこの関門を突破することが出来ます! 正解は…………」

「頼む……頼むぞ……」

「正解は55人ー! 見事、突破!!」

「うおおおおー!? ギリじゃん!? あっぶねぇ! ていうかマジで結構多いな!?」

「えー、アンケートに答えてくれた方からのコメントです。「「百合の間に切り込み隊長したい」と言われたので、よく分からなかったけど仕方なくしました。わりとよかったです」」

「え?wちょっと待ってwwwww百合の間に切り込み隊長ってなに?wwwwwwwww」

 

 

 

 ……スタジオは爆笑の渦に包まれていたけれど、俺は共感性羞恥を感じていた。インターネットのスラングを中途半端にバラエティ番組に持ち込まないでほしい。でも夢子が笑っていたからOKです。

 それはそうと、俺はそのクイズの回答者がいやにイケメンだったことが気になった。アイドルや俳優といった職種の人たちのほとんどは、イメージの問題で、異種共存の現代においても未だこういった番組には出られないはずなのだ。お笑い芸人ならちょくちょく出ているので、あと十年もすればそういった垣根もなくなっていくのかもしれないけれど。

「夢子、もしかしてあの男の人って」

「インキュバスじゃないですか? 分かんないですけど」

「だよなぁ」

 サキュバスたちが元々いた世界、「魔界」には、サキュバスだけではなくインキュバスもいる。そして彼らもそれなりの人数がこちら側の世界に来ている。ちなみにサキュバスいわく、インキュバスの精力は「不味い」らしい。そしてそれは、インキュバス側から見たサキュバスについても同じなんだとか。

 そういうわけで、サキュバスとインキュバスは基本的に仲が悪いらしい。何せ彼ら彼女らは、目の前の人物が「同族」であるかどうかを、感覚で判別できるわけではないのだ。いい相手を見つけて期待しながら脱いでみたら同族でした、なんてことになりかねないので犬猿の仲らしい。

 しかし人間社会に根付いた様々なコンテンツを彼ら彼女ら……つまり魔族が真似したがった結果、今ではそれがれっきとした一ジャンルとなって社会に根付き、「イメージの問題によって出られる人が限られている」等の諸々の事情の解決を図るために、こうして仕方なく協力関係を取っていることもあるのだとか。

「…………」

 軽い調子でクイズの正解を喜ぶ男を見ていて、なんだか、根拠のない嫌な予感が脳裏をよぎった。二都がインキュバスだったらどうしよう……と。何の根拠もなくそんな予感がよぎったけれど、よく考えたらあいつは明らかにサキュバスのことが大好きだから大丈夫だろう。 

「ごちそうさまでした!」

「ごちそうさまでした」

 今日は夢子と食べ終わるタイミングが同じだった。皿を片付けたら、せっかく沸かしてくれたのだからすぐに風呂に入ろうと思う。

 と、席(と言っても小さく低いテーブルの前に座っているだけだけれど)を立とうとしたところ、にまにまと嬉しさを隠し切れないような笑みを浮かべた夢子と目が合った。

 彼女は、本当に嬉しそうにそれを言う。

「あと56回ですね」

「……ああ、そうだな」

 今晩のうちに、もういくつかカウントダウンは進むだろう。俺は今晩もこの愛らしいサキュバスを苦しめて、泣かせて、叫ばせて、それを見下ろしながら股間のそれを硬くするのだ。二都もリリアも、俺のそんな本性を知ればきっと引いてしまうだろう。

 ……なら、夢子は? 俺が自分の欲望を隠そうとすると、決まって悲しそうな顔をする夢子は、だからって俺の趣味を軽蔑していないと言い切れるのか? 毎晩毎晩、あんなにつらそうにしているのに……?

 趣味を隠すとか隠さないとか以前に、三上賀雄二の趣味が、もっと人の心の慈愛に満ちた物だったらよかったのに……とは、夢子は思わないのだろうか?

 そのことがどうしても怖くて、俺は夢子に本音を教えてくれと「お願い」することが出来ずにいる。もうすぐカウントダウンも折り返し地点に来るだろう。裸エプロンをさせていると申し訳なくなってくるなんて、本当に我ながらおかしな話だ。

 今から○○をしますよと言えば、首を絞めることは申し訳なくないのかよ。……俺は本当に、趣味が悪くて、最悪な性格をしていると思う。根性が腐っているんだ。そして、分かってはいるのに、それが直せない。

 でも、だったらせめて、パソコンにパスワードくらいはかけておくべきだった。

 

 

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