<響子さんを巡って、三鷹さんと五代君の戦いは終わりを迎えようとしていた>
響子さんが三鷹さんに3日以内に結論を出すと告げた日。
一刻館へと戻ってきた二人の少し固い表情と態度に、五代君は何か有ったと事は間違いないだろうと推測した。
しかしその””何か””を直接本人に聞く勇気を五代君は残念ながら歯痒い事に持ち合わせていなかった。
~明けて翌日~
響子さんの返答期限はあと二日。
[すいません、少し出掛けててきます]
響子さんは一人で午前中から出掛けて行った。
[一人でかね?]
音無の義父の弟は一人で出掛ける響子さんを、首をひねりながら見送った。
一方の五代君は。
[あ~大変だなあ、しっかし]
[時計坂・・・・]
[帰ったら部屋探しもしないといけないなぁ]
考え事をしながらも、露天風呂の清掃を一生懸命にやっていた。
五代君には響子さんの事以外に、気になる事がもう一つあった。
それはもちろん、自分が住む一刻館の事。
音無の義父は11月中にも取り壊しを決意している。
という事は、早いうちにでも新しい部屋を探さなければならない。
でもまだ五代君は部屋探しをしていない。
それはまだ響子さんがほんのわずかな可能性でも、一刻館へ戻ってくると信じていたから。
五代君にとって一刻館は響子さんがいないと何の意味もなさない。
あんなにぼろくてトイレも共同で風呂も無いアパートに敢えて住んでいるのは、響子さんがいるから。
響子さんがいるから、個性の強い住人たちにも耐えられるし、楽しく過ごせてきた。
しかし、その響子さんはもう管理人として戻って来そうも無い。
それどころか自分の目の前から姿を消してしまうかも知れない。
それも。
ライバルの三鷹さんと結婚をして。
だけれども、
事故後現実とのギャップに苦しむ響子さんの姿を見聞きしている五代君は、
””このまま三鷹さんと結婚して幸せな生活を送ってもらうのもいい事かも知れない””
そう思えるようにもなってきた。
何分にも、今の響子さんと五代君の距離は限りなく他人に近いもの。
そう、響子さんには五代君との思い出が、ものの見事に欠けてしまっているのだから。
だから五代君としても諦めが着き易いし、胸の奥も傷付く事は無い。
[よお、五代君!]
と、清掃中の五代君のもとへ三鷹さんが現れた。
[あれ?三鷹さん、響子さんと出掛けたんじゃなかったんですか?]
一人で旅館内をふらふらしている三鷹さんに驚く五代君。
[ははは、音無さんなら一人で出掛けたよ]
[あと二日・・・だからね]
五代君は三鷹さんの“あと二日”という言葉にピーンと来た。
[もしかして・・・三鷹さん・・・]
ギラリと強烈に三鷹さんを睨む五代君。
[その“もしかして”だよ、五代君]
[昨日・・・響子さんにプロポーズした]
三鷹さんの口から五代君に直接プロポーズの事実が告げられた。
[そうですか・・・]
””五代君はこの事実を告げれば食ってかかってくるだろう””
そう思っていた三鷹さんは、サバサバとした表情の五代君の態度に逆に拍子抜けした。
[ふ~ん、五代君何かあったのかい?]
いつもと何となく違う反応の五代君に、少し戸惑いを感じる三鷹さん。
[いえ、別に]
[ただ僕は・・・響子さんにとって一番幸せに近い選択をして欲しい]
[それだけです]
[もしも、響子さんが三鷹さんとの結婚を望むのなら・・・]
[仕方ないですね]
[悔しいですけれど・・・]
[じゃ、僕はまだ仕事がありますんで]
響子さんにとって、一番ベストな選択をして欲しい。
それが五代君の偽らざる思い。
別に三鷹さんとの結婚を勧める訳では決して無い。
それだけ三鷹さんに言い残すと、五代君は館内へと戻って行った。
何事も無いようにその日は淡々と時間は流れ、気付くともう夜遅くなろうとしていた。
廊下で五代君の姿を見つけた響子さん。
[五代さん、ちょっと。]
五代君に小さく声を掛けた。
[何ですか?]
呼ばれるまま響子さんにに近付いていく五代君。
[ちょっとお話したい事があるんですが、宜しいですか?]
響子さんは五代君にそう言うと、自分の泊まっている部屋に五代君を招き入れた。
突然の事に緊張しまくる五代君。
[あ、今お茶入れますから]
響子さんは慌ててお茶を入れようとする。
[いいえ、そんな、お構い無く]
恐縮しきりの五代君。
“コト。”
[どうぞ]
響子さんはお茶を入れて五代君の前に湯飲みを置いた。
そしてそのまま話を始めた。
[それでですね、お話というのは・・・]
[その、あの・・・・・・・あたし、そろそろ東京へ帰ろうと思うんです]
[ただ、その、帰ってからどう生きて行ったらいいか]
[幾つか考えがあるんですけど・・・決められないんです]
[・・・なかなか・・・]
響子さんは近日中に東京へ帰ると五代君に告げ、先々の事を決めかねていると、心の中の悩みを打ち明けた。
そして五代君に””幾つか””の中身を話し始めた。
[今3つほど選択肢が自分の中に有るんです]
[1つ目は今までのコトは何もかも忘れて新しい“千草響子”として生きていく]
[もう過去は全て捨ててしまうというコトですね]
[早い話・・少しばかり悲しいですけど]
[そして2つ目が・・・]
[あたしが””今気に掛けている男の方””との結婚]
[最後の3つ目が]
[五代さんの住んでいらっしゃるアパートの管理人に戻るコト]
[あたしはこの3つの中からどれか一つ・・・選ばなければならないのです]
響子さんは自分の中の3つの選択肢を五代君に話し終えると、ただじっと、五代君を見詰めた。
五代君の心の中にチクリと刺さった言葉。
それはやはり響子さんが2つ目に口にした、
”””あたしが“今気にかけている男の方”との結婚”””
逆に嬉しく思ったのが、まだ一刻館管理人への復帰の道を閉ざしていなかった事。
もしも響子さんがまた管理人をやりたいと、音無の義父に申し出れば・・・。
一刻館の取り壊しの話も白紙に戻り、また昔のように毎日響子さんと一緒に居る事が出来る。
当然五代君としては3つ目の選択をして欲しい。
そう響子さんに進言したい所なのだが・・・。
ふと口に出そうとして一瞬五代君は考えた。
””本当にそれでいいのだろうか?””・・・と。
その3つ目の選択肢は、自分や他の一刻館住人のわがままであって、これから先、響子さんが生きていく上で一番いい選択と言えるのかどうか?
そんな風に考えると””響子さん、管理人として帰って来て下さい!””とは、そう易々と口にすることは憚れるのであった。
何よりも五代君は自分の無力さを恨んだ。
三鷹さんのように、””今すぐにでも自分の腕の中に飛び込んで来い””とは言えないもどかしさがある。
就職浪人をしてキャバレーのアルバイトで自分一人生きていくのが精一杯の状況では、響子さんへの””プロポーズ””なんて、
夢のまた夢でしかないのだから・・・・・・・。
しばらく考え込んだ後、
五代君は響子さんにこう話を切り出した。
[僕は、僕は・・・]
[響子さんが、音無さんが、一番納得のいく道を選べばいいと思います]
[例えそれが・・・・]
[””今気にかけている男の方””との結婚だったとしても・・・響子さんが選んだのなら、それでいいと思います]
[ただ・・・・その・・・・]
[僕としては、いえ、僕以外にも、一刻館の住人としては・・・・]
[出来る事なら響子さんに・・・・・・・管理人として帰ってきて欲しい]
[これが偽らざる僕の気持ちです。]
自分の中の素直な願望と、響子さんの先々を考えた切ない想いと、色々な物が心の中で葛藤した末の五代君の熱い言葉だった。
[ありがとうございます、五代さん]
[あたしのためにそんなに親身になって一緒に考えて下さって]
[””わざわざこんな蓼科まで来て下さった””五代さんのお気持ちは確かに受け取りました]
[もう・・・明日中には結論を出そうと思います]
響子さんは五代君が自分を追い駆けて蓼科まで来た事を、薄々感付いていたのだった。
だからこそ、響子さんは自分の胸のうちを五代君に打ち明けたのだろう。
それもほとんど””記憶の無い五代君””に対して。
響子さんがどんな選択をしたとしても、3人が3人とも笑顔で東京へ帰れる選択肢は有り得ない状況となった。
五代君、三鷹さん、響子さんはそれぞれの思いを抱えて、またひとつ、夜を越えて行くのであった。
以下、次回