自来也先生が私たちの元を去ってからというもの、私たちは自分たちの夢へ向けてその第一歩を踏み出した。
私たち四人の力だけでは高が知れている。だが十人、百人と集まればそれは大きな力となり、夢へと近づけるだろう。
そう思った私たちは、平和のための組織を作ることにした。
すぐに大きな組織を立ち上げたいところだったが、そうはいかない。何事も準備というものが必要だ。
自来也先生の教えを受けた私たちは少しばかりの力を手にしたものの、まだ世の中というものを知らない小娘のようなものだった。
そんな私たちがすぐに大きなことをなそうとしても土台無理なことは容易に想像がついた。
だからまずはもっと力を伸ばすことにした。忍者としての技能を伸ばすと同時、勉強して知識を蓄え、組織を作るための資金を貯めることにした。
将来大きく飛躍するため、今は我慢して雌伏の時を過ごすことにしたのだ。
資金集めでは色々な仕事を経験することになった。
力のない孤児の身分では雇ってくれるところなどなかったが、それなりの年齢に成長した上に忍者としての力を手にした私たちを雇ってくれるところは数多くあった。
農作業の手伝いから、建築作業、市場での売り子の仕事――第一次産業から第三次産業まで、幅広い仕事をこなすことになった。
色んな仕事を経験することで、私たちは社会の仕組みというものを学んでいった。
ただそんなまともな商売の下っ端仕事ばかりをしていたのでは何年かかっても資金が貯まらないと思ったので、危険のある傭兵的な仕事もやることにした。
金持ちの護衛をして多額の報酬を貰い、賞金首を討伐したりしてお金を貯めた。そうやって忍者としての技能を高めつつ、効率よく資金を貯めていった。
大きな夢があるものの、ストイックに励むだけでは張り合いがない。
お金を稼げるようになって少し余裕ができたので、私たちは自分たちに少しばかりご褒美を与えたりもした。
弥彦は趣味の魚釣り関係、長門は忍術の道具で贅沢な品を買ったりしていた。
私とランは女の子らしく、さらにお洒落に気を使うことにした。
髪飾りを豪華にしたり、装飾品だけでなく化粧品にまで手を伸ばしてみたりした。顔に塗る美容液やマニキュアに拘ったりもした。
それらご褒美の品々はランとよく買いに行った。お揃いの化粧品を買って遊んで、その帰り道中、肉まんを買って分け合って食べたりした。とても楽しい時間だった。
今から考えれば、あれが私にとっての青春時代というものだったのだろう。
「長門、今暇?」
「ランか。暇というわけではないが、これから修行しようと思ってたところだよ」
「だったら一緒に修行しよ!」
「ああいいよ。ランとの修行は俺も学ぶことが多いからな」
「私も長門との修行好き!」
その頃のランは、長門によく声をかけていた。一緒に修行をして、時には危険な仕事に共に出かけていったりしていた。
二人は死線を潜りあうことで急速に仲を深めていた。
おそらく当時危険な仕事を一番こなしていたのはその二人だったので、組織旗揚げ資金の稼ぎ頭は長門とランだったことだろう。
(ランは長門のことが好きなのかしら? よかった)
ランが長門に夢中な様子を見て、私は密かに安堵していた。
その頃の私は、自分の気持ちについてよく理解するようになっていた。
(弥彦……貴方は私の太陽なのね)
弥彦は私に生きる希望の光を齎してくれた太陽であると同時、私の心を焦がして止まない太陽でもあった。
彼の光をもっと浴びたい。彼の光を自分だけで独占したい。もっともっと私という花を照らして欲しい。
そう、私は弥彦のことが好きなのだ。弥彦のことが好きでたまらないのだ。
弥彦のことを考えていると、いつも胸が張り裂けそうなくらい切なくなる。弥彦の前では、自分をよく見せようとつい張り切ってしまう。変なところを見せてないか少し緊張してしまう。弥彦のことを思うと夜も眠れなくなる。弥彦のことを――――。
その自分の気持ちに気づいてからというもの、私はいつも以上に気合の入れた化粧をしたりして、ランと長門がいない間を狙って、勇気を出して積極的に弥彦に声をかけにいったりした。
「弥彦、大丈夫?」
「ああ大丈夫だよ。このくらいかすり傷だよ」
「ダメよ。ちゃんと手当てしないと。私がやったげるから」
「あっ、おい待てぃ、勝手に……」
その頃の弥彦はだんだんと無茶を重ねることが多くなっていて、生傷の絶えない生活を送っていた。
客観的に見て、特殊な力を持っていない弥彦は、忍びの能力としては私たちの中で一番下だった。
だというのに、身の丈に合わない無理な仕事も多く引き受けるようになっていたのだ。
「なんでこんな無茶ばかりするの?」
「目標のためだよ。皆で夢を実現するって決めただろ。リーダーの俺が頑張らなくてどうすんだよ」
「でもこんな焦らなくたって。長門とランのおかげで資金集めは順調にいってるんだし、弥彦がこんなに無茶して頑張らなくてもいいじゃない」
「……」
弥彦がこれ以上傷ついて欲しくなくて、私は縋るように言った。
すると弥彦は悔しそうに唇を噛みながら下を向くばかりだった。
「それとも、他に何か理由があるの? 無茶してでも頑張らなくちゃいけない何かが?」
私は意を決して尋ねてみた。
弥彦の心の内にある本音を聞きたかった。私に全てを曝け出して欲しかった。
「……小南には関係ないだろ」
けれども弥彦は答えてくれなかった。
だけど私は察してた。弥彦が無理をする理由が薄々わかっていた。
弥彦の目には私が映っていなかった。あの子と並びあう長門の姿ばかりが映っていた。
「ねえ弥彦」
このままだと弥彦の心は完全にあの子の所に行ってしまう。
そう危機感を覚えた私は、大胆な行動に出てしまった。大胆な行動は年頃の女の子の特権だ。
「私のことも……もっと見てよ。私はいつも弥彦のことを……」
「小南……お前……」
弥彦と見つめあう。高鳴る心臓。近づいていく目線。緊張と感激で震える唇。
弥彦の瞳に私の姿が映る。その瞳に自分の姿をもっと映し出したい。もっと大きく、もっともっと大きく、映し出したい。
そのまま私たちの距離がだんだんと近づいていく――――かに思えた。
「あれ長門、こんなところで何してんの?」
「っ!?」
家の外からランの大きな声が聞こえてきて、私たちの肩はビクリと跳ね上がった。そして私たちの距離は急速に離れてしまうこととなった。
弥彦はすぐに立ち上がると、玄関の方へと向かった。
「お前らいたのかよ。帰ってきたなら早く声かけろよな」
「私は今帰ってきたばかりだけど……。長門、家の前で腕組んでずっと突っ立ってたんだよ。変な長門~」
「長門、お前何してたんだよ。びしょ濡れじゃねえか」
「か、蛙の面に水の練習ゥ……」
「家の前でか?」
「……ああそうだ。家に帰って来たが急に修行がしたくなってな」
「ふーん」
「……」
長門は私たちのことに気づき、配慮してくれていたらしかった。
結局その気遣いは空気を読まずに近づいてきたランによって台無しにされてしまったのだけれど。
こうして私の初めてのアプローチは、失敗に終わってしまったのだった。
「長門、このままじゃ風邪引いちゃうよ。拭いてあげるね」
「す、すまないなラン」
ランは親切心からか長門の濡れた身体をタオルで拭ってやっていた。
甲斐甲斐しく世話を焼くその姿は、当然ながら弥彦の目にも映る。
「っ!」
弥彦は下唇を噛むと、外へと駆け出していった。
「あれ、弥彦どこ行くの?」
「修行」
「こんな時間に?」
「ああ。夕飯までには戻る」
弥彦は怪我しているにも関わらず、修行に出て行ってしまった。
好きな女の子が他の男と仲良くしている姿を見たくなかったのだろう。
「弥彦、怪我してるのに頑張るねー。私も負けてられないなぁ」
ランは弥彦の気持ちなどまったく気づかずに能天気に振舞っていた。いつものように天真爛漫な無邪気な姿だった。
それを見た私の心はざわついた。少しだけ苛立ってしまった。
弥彦はランのせいで傷ついて、それで無茶をしているというのに。
そんな気も知らずにのほほんとしているなんて酷い――そう思ってしまった。
でもそれを直接指摘するのは憚られた。もし指摘してランが弥彦の恋心に気づいたら、もしかしたら二人が結ばれてしまうかもしれない。
ランは幼く未だ恋愛感情というものに目覚めてはいないようだが、弥彦に対して好ましい感情を抱いていることは間違いない。何をきっかけにして恋愛感情に目覚めるかはわかったものではない。
そう思ったら、私はランに声をかけるなんてできなかった。
おそらく、私がランに対して苛立ちを感じたのは、その時が人生で初めてだったかもしれない。
天真爛漫に思うがまま振舞って弥彦の心を掴んで放さない――そんなランに、私は強い嫉妬心を感じてしまったのだった。
今まではランの欠点も何もかもが全て可愛らしく思えていた。けれど、成長した今となってはだんだんと腹立たしく思えてきてしまった。
ランの嫌なところが強く意識されるようになってしまった。恋敵として憎いとすら思ってしまうようになってしまった。
ランのせいではない。ランは昔から変わってはいなかった。変わってしまったのは私の心だった。
無垢で透明だったはずの心。澄み切った水のようだった心が、思春期を迎えて徐々に薄汚れていってしまったのだ。
(ランになんて負けないから! 弥彦のことなんて何も思ってないランになんて!)
私はその後も懸命に弥彦にアプローチを続けた。
飛び切りの化粧をして、とっておきのアクセサリーを身に着けて、少し女性らしくなってきた身体つきを存分にアピールしたりして、弥彦を誘惑した。
しかしどれも上手くはいかなかった。
途中でランの邪魔が入ったり、邪魔が入らなくても弥彦が遠まわしに拒絶したりした。
「弥彦、お茶淹れたわ」
「ああ、ありがとう」
「今日は家でゆっくりしましょう。長門たちは二人で修行に出かけたし、私たちは私たちでゆっくりと……」
「どこだよそこっ!? 二人が出かけたのって!?」
「え? いつもの森って言ってたけど……」
「俺も行ってくる!」
「え、ちょっ、弥彦!?」
長門とランが二人で出かけたと聞いて、弥彦は血相を変えて立ち上がって二人の後を追ってしまった。
私が淹れたお茶を一口も飲まずして……。せっかく恋にご利益があるという薬草を少し煎じて混ぜたのに……。全部無駄になった。
(またあの子に邪魔された……もうっ)
私は恋路を邪魔するランに苛立ちを感じずにはいられなかった。内心の苛立ちを隠しながら、私もすぐに弥彦の後を追った。
「長門、修行するなら俺にも声かけろよな。何で黙って行く?」
「ああすまない。一人でするつもりだったんだが、出かけ際にランに声をかけられてな」
「そうかよ。まあいい。まずは男同士で組み手しようぜ。たっぷりとな」
二人に追いついた弥彦は、苛立ちを隠さないまま、長門に絡んでいった。
まずはウォーミングアップということで、弥彦と長門、私とランで組み手をすることになった。
「弥彦、今日は最初から激しいな。ウォーミングアップというレベルじゃないぞ」
「こんくらい余裕だろ。だってお前は俺たちの中で一番強ぇんだからよ。俺なんかよりよっぽど」
「そんなことは……」
「謙遜すんなよ。事実だろが」
「ああそうだな……」
長門と激しく組み手を続ける弥彦。
己の内にある色々なモヤモヤをぶつけるように必死に戦っていたように見えた。
「いいだろう。こい弥彦。全力でな」
「ああ、言われなくても!」
長門はそんな弥彦の胸中を知ってか知らずか、弥彦の思いを真正面から受け止めていた。弥彦の欲求不満の捌け口に自ら進んでなっていた。長門は優しい子なのだ。
「弥彦たち頑張るねー! すごーい!」
ランはいつも通りに能天気に振舞っていた。
そんな無邪気なランを見て、私もつい力を込めてしまう。心の中に生まれたドロドロとしたものを発散するかの如く、ランに激しく打ち込んでいった。
「お、小南ちゃんもやる気まんまんだね! だったら私も張り切っちゃお!」
私の心の内のモヤモヤなぞいざ知らずといった感じで、ランは嬉々とした表情で私の攻撃を受け止めていた。
私と思いっきり修行できることが嬉しくてたまらなかったらしい。
ランはいつだってそうだ。無邪気で天然で可愛くて――それが弥彦の心を惹きつける。弥彦の心を掴んで放さない。弥彦の心を、私の太陽である弥彦の――。
(ラン、鼻血くらいは覚悟してね!)
ランのいつもと変わらないその態度がまた腹立たしくて、私はより激しく打ち込んでいった。
そうするとランは「小南ちゃんとこんな激しい修行するの久しぶり! 最高!」とさらに表情を輝かせて喜んだ。
それがまた腹立たしくてたまらなかった。私の苛立ちなど知らないとばかりに、ランは私がより厳しい攻撃を加える度、興奮した面持ちで一人キャッキャと盛り上がっていた。
「はぁはぁ」
「アハハ、みんな泥だらけだね! 自来也先生とやってた時みたい!」
「ああ、そうだな」
「そうね」
弥彦と長門の組み手も、私たちの組み手も、ウォーミングアップというレベルを遥かに超えて疲労困憊するほどの激しいものとなった。
疲労困憊となるまで身体を動かしたおかげで、心の内に生まれたモヤモヤやドロドロはいつの間にか消え去っていた。
嫌な感情は大量の汗と共に流れ出ていったらしい。私たちは泥だらけになりながら、昔のように笑いあっていた。
その後、同じようなモヤモヤが生まれては消えていくということが何度も繰り返された。
私と弥彦はお互いに満たされぬ思いを抱え、それを修行を通じてランと長門にそれぞれぶつけた。そうして満たされぬ思いを解消した。好きな人と繋がれない不満を発散した。
ランと長門は修行馬鹿なので、私たちの鬱憤晴らしを兼ねた激しい修行にも何食わぬ顔で付き合ってくれた。
ランにいたっては嬉々とした表情で私の攻撃を受け止めていた。私と修行できることが楽しくて仕方なかったらしい。
私は腹立たしくもどこか嬉しい気持ちで、いつも激しく修行して欲求不満を解消していた。
願いが通じず思い通りにいかないことばかりで心地よくはない日々だったが、そこまで辛いことばかりでもなかった。
四人で一緒に暮らしていると、心から笑えることが沢山あった。
これも青春時代の甘酸っぱい思い出というやつなのだろう。悪くはない日々だった。
酸いも甘いも経験して、私たちはより大人へと近づいていく。幾つかの季節が巡り、転機を迎えることとなった。
十分な資金が貯まり、実力も身に着けたと思ったので、私たちは自来也先生たちと過ごした思い出の地を離れる決意を固めたのだった。
「ここで俺たちは力をつけた。全てはここから始まった。俺たちは夢の実現のため、ここより出発する」
弥彦が皆の前で力強く訴える。
成長を重ねた弥彦は背丈が大きく伸び、精悍な顔つきとなり、力強い声となり、より頼もしい存在へと変わっていた。
昔の泣き虫弥彦はどこにもいなかった。長門に欲求不満のイライラをぶつけるようなこともなくなっていた。
何もかもが大人な、格好いい弥彦。素敵な弥彦。私の太陽。
私はそんな弥彦にますます惹かれるようになっていた。
彼の夢の一番の応援者でありたい。彼の背中を守れるような女になりたい。支え合えるような関係でいたい。
そして、彼の傍にいつまでもずっと一緒にいたい。ずっとずっと、未来永劫。歳をとって死んだとしてもずっと。
(大好きな弥彦は私が傍で守る。絶対に守る。ランになんて負けないから)
弥彦と一つになるという願いはいまだ叶っていないけれど、いつか必ずその願いを成し遂げる。
私たちの夢とは別に、私は私の夢として、それを密かに誓ったのだった。
「――そして夢が叶った暁には、たとえバラバラになっていたとしても、いつかここに帰ってこよう。それで皆で祝福するんだ」
私たちは思い出のカエル板の前で誓い合った。
カエル板は自来也先生から教えられた初歩的な暗号札の一つだ。
名前の隣にある札がカエルマークになっていれば「これから帰る」という意味、つまりは外出中の証。そうでなければ家にいるという証だ。
簡単すぎるので今や暗号としての意味はないが、私たちの決意を示すイニシエーションとしては、カエル板は今も意味があった。
私たちはカエル板を一緒にひっくり返し、カエルマーク(外出中)へと変えた。そしていつか必ずここに帰ってくると誓い合った。
「その時は自来也先生も一緒にね」
「ああそうだな。みんな、いつものやるぞ」
「うん!」
「っ!?」
弥彦が皆の前に手を出す。
私が一番にその手をとろうとしたけれど、真っ先に手を重ねたのはランだった。
彼の手を真っ先にとり、何食わぬ顔で身体を寄せる彼女が少し憎かった。
「ほら小南も長門も」
ランに真っ先に手を重ね合わされて、それで弥彦が少し頬を緩めているのも気に食わなかった。
精悍な顔をした弥彦の頬がほんの少しだけ緩んでいた。いつも彼の顔を見ている私だから気づく。気づいてしまう。
だから私は――。
「なんだよ小南。お前、変わってんな。下から手を重ねるなんて。普通、順番に上から重ねていくだろ?」
「別にいいでしょ」
「まあそうだけどよ……」
私はランへの対抗心から、素直にランの上に手を重ねることができなかった。
弥彦の手を下から強く握りしめるようにして手を重ねたのであった。私という存在を弥彦に強く示すために。
弥彦は困惑していたが、ランは能天気なのでまったく気にしていないようだった。
「どうした長門? 早くお前もやれよ」
「俺もやった方がいいのか?」
「当たり前だろ。俺たちの中で、お前が一番強いんだ。本当のリーダーはお前みたいなもんだ。なのに、ノリ悪いぞ?」
「……やれやれだな」
長門がワンテンポ遅れてから手を重ねる。四人の手が一つになる。そして声を重ねる。
「絶対に夢を叶えるぞ!」
「「「「おう!」」」」
弥彦の掛け声に大きく答え、私たちは自来也先生と共に育った家を後にしたのであった。