迂闊だった。
暁の幹部の一人として死線を潜り抜けてきただけに、危機対処能力に関しては問題ないという驕りがあった。また私たちの影響下にある場所だからと、完全に油断していた。
まさか、信頼していた行きつけの店の店主が脅されていて、飲み物に睡眠薬を混ぜられるとは思わなかった。
気づけば、私は敵のアジトへと連れ去られていた。
「ここは……?」
「目覚めたかよぉ。姉ちゃん」
目覚めると、そこにはいかにも頭の悪そうな三人組みの男がいた。
見張りの人員らしいことはすぐにわかったが、それにしては下品な男たちだった。金と暴力と女にしか興味のなさそうな、そんな顔をしていた。
「なあ、よく見ればこいつめっちゃ可愛いじゃん。花の髪飾りなんかつけててよう。小娘みたいで可愛いぜ」
「しばらく誰も来ないし、やっちゃいますか!?」
「やっちゃいましょうよ!」
男たちはお互い顔を見合わせると、下品な表情を浮かべて私の拘束されている牢屋へと入ってきた。
「うっ」
奴らの下品な視線ですぐに気づいた。この男たちは私の身体を弄ぼうとしていると。
「や、やめなさい!」
「おほっ、抵抗してくれた方が燃えるぜ」
「気の強い姉ちゃんを犯すとか最高だぜ」
「これだから看守の仕事はやめられねえ」
拘束されていた私は身動きがとれなかった。ただ奴らのいいなりになるしかなかった。
「おほっ、こいつ! めっちゃイイ身体してんじゃん!」
「小娘みたいなアクセつけてるくせに、身体は全然違うじゃねえか!」
「いいねセクシー! エロい!」
「くっ……」
このままわけもわからぬ下衆な輩に身を汚されるくらいなら、いっそ死んだ方がマシ。
そう思って舌を噛もうとしたのだが、牢屋には自決を防ぐ特殊な術でも仕込まれているようで、どうすることもできなかった。
(い、いや……誰か……助けてよ……弥彦……長門……ラン……)
衣服を解かれ、奴らの薄汚い手が私の肌を這おうとしてくる。
もうダメだ。そう思って諦めて、私は目を瞑り歯を強く食いしばって耐えようとしていた――そんな時のことだった。
救いの手は意外なところから差し伸べられることとなった。
「――何をしている?」
「へぇあ!?」
「あ、半蔵様……」
「何をしていると聞いているのだ」
「えと、じ、尋問の練習ゥ――ふごっ!」
現れたのは、雨隠れの長、山椒魚の半蔵だった。
脱がされかけていた私の衣服を見て全てを察したのだろう。彼は部下の不始末の清算をするように、三人の男を次々に処断していった。
「大切な人質だ。指一本とて触れさせるな。人質の価値がなくなり交渉が意味をなさなくなるだろうが。まったく、部下の教育がなっとらん」
「すみませんでした。次はもっとマシな部下を看守につけることにします」
「最近の若い忍びは質が悪くて困る。そのようだから、暁などというわけのわからぬ若造共にしてやられるのだ!」
「ごもっともで」
半蔵は不満を隠すこともなく部下に当り散らしていた。
「おい、見苦しい。早く整えてやれ」
「はっ」
半蔵の命令で部下のくのいちたちがすぐにやってきて、私の乱れた衣服を整えてくれた。
そればかりか、無駄な恐怖を与えてしまった謝罪とばかりに、半蔵は不必要な拘束などを解いてくれた。
不正義を許さない――半蔵のその姿は、雨隠れの英雄の名に相応しい高潔なものだった。
だが、だからこそ違和感があった。
高潔な一面を見せた半蔵が人質をとるなどという卑劣な手段に出ているのは解せなかった。
「私を捕らえてどうするつもり?」
「お前自身に用はない。だがお前のところのリーダーの弥彦という男には大きな借りがあるのでな。奴との交渉に使わせてもらう」
「私を人質にしたところで、弥彦は言うことを聞かないわよ。私如きで彼が動くとは思わないわ」
「それはどうかな? 暁の最高幹部四人が血よりも濃い絆で結ばれているというのは調べがついている。お前を人質にとれば、必ずや交渉の場に出てくるだろう。雨隠れの諜報網を舐めるなよ小娘」
「くっ」
半蔵は私を弥彦との交渉に使おうとしているようだった。
雨隠れの英雄と謳われた山椒魚の半蔵が、他里の敵相手に卑劣な手段を使うならまだしも、自国を拠点としている組織を相手にそんな手段に出るなんて俄かには信じがたかった。
しかし、現状こうして私が捕えられ、半蔵本人の口から暁との交渉に使うと言われれば、信じざるを得なかった。
(志は違えど、私たち暁は里のために頑張っているというのに。弥彦も長門も、半蔵のことを尊敬して一目置いているというのにっ!)
耐え難い怒りを感じた私は、人質という立場も忘れ、半蔵に食って掛かっていた。
「卑怯者っ、女を人質にとるなんて、それでも貴方はあの雨隠れの英雄である山椒魚の半蔵なの!?」
私の罵倒に対し、半蔵は自嘲するかのような笑みを浮かべながらこう言った。
「ワシは守らねばならぬのだ。雨隠れの里を。山椒魚の同胞を。どんな手段を使ってもな」
なんとも悲しげな笑みであった。堕ちた英雄という言葉が似合うような、そんな笑みであった。
下衆な看守を処断して私を守ってくれた時の彼の目は英雄そのものの真っ直ぐな目であったが、たった今、里のことを語るその目は酷く淀んでいた。
老いかあるいは他の要因があるのかは知れない。理由はわからないが、英雄だった彼の晴れた心には、大きな暗雲が垂れ込めているように感じられた。
こうして、私は自害することも許されず、交渉の道具として使われることになった。
最初にあんなことがあったからか、捕虜生活は捕虜にしては恵まれたものであったが、私の心は決して穏やかではなかった。迷惑をかけているであろう仲間たちに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
やがて幾日か過ぎ、あの日がやって来る。一生忘れることのない忌まわしきあの日が。私たちの人生を変えたあの日が、やって来ることになった。
「――来たか」
待ち合わせ場所の崖上で待機していると、遠くから歩いてくる人影が見えた。
遠目に見ただけでもすぐにわかった。ずっと一緒に暮らしてきたからわかるに決まっている。
弥彦、長門、ランの三人だった。私を除く、暁の最高幹部たちがやって来たのだった。
(ドジを踏んだ私のことなんて放ってくれていいのに……)
明らかに罠だとわかっていても、三人は命の危険など顧みず私を助けに来てくれた。
その心意気に触れ、涙が出そうになった。
「小南、無事か!?」
「小南!」
「小南ちゃん!」
弥彦たちは縄で縛られた私を見て怒りを感じたようで、すぐに半蔵たちに飛びかからんばかりの勢いだった。
だがそこで、半蔵がクナイを私の首筋に突きつけて牽制する。
「小娘は無事だ。大事な人質だから丁重に扱っておる。もっとも、この先も無事だとは限らないがな」
「何が望みだ! こんなことをして何になる!」
やがて交渉が始まった。
半蔵は自分たちの同胞を殺したケジメをつけろと脅してきた。
濡れ衣であった。私は暁の幹部だからこそ知っていた。
弥彦は雨隠れの半蔵とは共存策をとっていた。雨隠れの忍びに手を出すような真似は決してしていない。
半蔵たちの邪魔をするどころか、むしろ逆だ。我々暁は里が見捨てるような僻地の村々を賊から守ったりして、半蔵たち里の者の手助けになるようなことをしていた。
だというのに、半蔵は一方的に自分たちの主張を押し通してきた。完全に私たちのことを敵だと思い込んでいるようだった。
暁のメンバーの中には確かに半蔵の統治に反発を覚えている者もいる。だが本格的な対立まで望んでいる者は誰もいなかった。志は違えど同じく里を思う、広い意味での仲間だと思っている者ばかりだというのに。
「もう我慢できん。ならこちらも言わせてもらおう。最近、俺たち暁のメンバーにこそこそと手を出しているのは半蔵、お前たちだな。今回の小南の誘拐で確信した」
「何を戯けたことを」
「とぼけるな!」
半蔵の一方的な主張を聞き、弥彦もヒートアップしていく。
降りしきる冷たい雨にも負けず、二人は激しく言い争った。
主張は平行線を辿り、やがて交渉は決裂。最悪の局面を迎えることとなる。
「話にならん。もういい。弥彦、お前の死をもってケジメをつけてもらう。赤い髪の男、それで弥彦を殺せ。さもなくばこの場で全員討ち取ることにする」
半蔵はやがて一本のクナイを長門の前に投げて寄こし、選択を迫った。
このまま戦って全員仲良く殺されるか、弥彦の命だけで済ませるかという選択を。
(このままじゃ……全滅……そんな!?)
半蔵は三忍を相手に一人で戦って勝ったという伝説を持っている。全盛期から多少は衰えているとはいえ、その力は今も健在だ。半蔵を護衛する者たちも手練揃いである。
手足を拘束された私は助けにはならず、弥彦、長門、ランの三人だけでは勝てるわけがない状況だった。
(不味い……このままじゃ弥彦は……)
私は嫌な予感を感じていた。
弥彦は常々、暁の最高幹部四人の中では本来自分が一番格下だと言っていた。純粋な忍びとしての能力だけを見てそうだと思ったのだろう。
もし究極の選択を迫られる状況になったら俺を見捨てろなどと、ことあるごとに冗談めかしながら言っていた。
だから不安だった。
今日がその究極の選択の日ではないかと。優しい弥彦は自分だけが犠牲になる道を選ぶのではないかと、心配で不安だった。
その嫌な予感は、残念ながら的中することになる。
「半蔵、本当に俺が死ねば三人は助けてくれるのか? お前は信じられる男なのか?」
しばらくの静寂の後、弥彦は半蔵の目を見ながら言った。
覚悟を決めた弥彦の真っ直ぐな瞳を、半蔵も負けじと見返す。
「二言はない。お前が死んでケジメをつければ、そいつらの命は助けてやる」
「……そうか」
弥彦は半蔵の目を見て、何かを悟ったらしい。両手を前に広げて降参の意思を示すと、長門の前に立った。
そして――。
「長門、俺を殺してくれ。頼む」
「っ!? そんなことできるわけない!」
「このままだと俺たちは全員死ぬ。この選択が一番正しい道だと俺は思う。俺たちの夢をここで途絶えさせるわけにはいかない。俺が犠牲になる。先に抜けて悪いが、お前たちで俺たちの夢を完成させてくれ」
「半蔵が約束を守ると思うのか!? 小南を人質にとった卑劣な奴だぞ!?」
「……俺は雨隠れの英雄である半蔵を信じる。なあそうだろ、半蔵」
弥彦は覚悟を決め、渋る長門の説得にかかった。
弥彦の言葉を後押しするように、半蔵が言葉を重ねる。
「雨隠れの半蔵の名において約束しよう。弥彦が死ねば、他の者には手を出さないと。男に二言はない」
そう宣言する半蔵の目は濁った目ではなく、英雄らしい真っ直ぐな目であった。
「さあやってくれ長門。今の半蔵なら信じられる」
「できるわけない……できるわけない……」
長門は震える手でクナイを手にし、その切っ先を弥彦の方へと向けた。そして震える唇を動かし、ブツブツと何かを呟いていた。
「ダメよぉお! 逃げて!」
自ら死に向かおうとする弥彦を見て、私は堪らず大声を上げた。半狂乱になって叫んだ。
「三人とも逃げて! 私はどうなってもいい! だから早く逃げて! お願いよぉお!」
私の声につられるようにして、クナイを持つ長門の手がいっそう震える。弥彦を殺すか私を見捨てるかで迷っているようであった。
優秀な忍びなら誰もがわかっている。全員死ぬこと、犬死することだけは避けねばならない。それは最悪の選択だ。
だから選ばなければいけない。誰が犠牲になって誰が生き残るかということを、選ばなければいけないのだ。
私は自分が犠牲になるべく、みんなが逃げてくれるように必死に叫んだ。
ランは泣き叫びながら「私が代わりに死ぬから皆を助けて」と哀願するように半蔵に訴えたが、半蔵に「お前が死んでも意味がない。弥彦が死なねば意味がないのだ」と一蹴されていた。
一蹴されるものの、ランは泣きながら同じことを何度も頼み込んでいた。
「小娘共が少し五月蝿いぞ。一人の男が死ぬと覚悟を決めたのだ。黙ってそれを見届けよ。貴様らの小汚い悲鳴で男の死に様を汚すな!」
そう宣言する半蔵は英雄然とした威厳を放っていた。不思議と約束を守ってくれると思わせるような説得力を放っていた。
だがそんなことはどうでもよかった。
私は弥彦に死んで欲しくなかった。私のせいで弥彦が死ぬくらいなら私が死ぬ。私のせいでみんなが死ぬくらいなら私が死ぬ。
そんな思いだった。
「みんな逃げてぇええ! お願いよぉおお!」
「ええい、小娘が静かにしろ。男が一世一代の覚悟を決めたというに!」
「逃げてぇええ! お願いぃいい!」
「小娘が黙れと言うに!」
私は半蔵の言葉を無視して叫び続けた。叫んで叫んで、泣き叫んでさらに叫んだ。
弥彦が翻意して一か八かみんなで逃げるという選択肢を選んでくれることを願って叫んだ。
だが――弥彦はその選択を選ばなかった。
自らの命を砕き、私たちを助けるという選択をしたのだった。
――ドスンッ。
それは一瞬のことだった。
弥彦は長門の震える手を優しく握り締めてクナイを固定すると、そこに向かって自分から突っ込んでいった。
泣き叫んでいた私もランも、言葉を失った。長門も半蔵たちも、全ての者が言葉を失った。まるで時が止まったかのように、雨音だけがその場に響いていた。
「長門……何としてでも生き延びろ……お前は……この世の救世主……だ」
唯一無二の友で戦友である長門に志の全てを託し、弥彦は崩れ落ちていった。
長門は弥彦の遺した言葉の意味を噛み締めながら、呆然と立ち尽くすのみだった。
「弥彦ォオオ!」
ランがすぐさま倒れ込んだ弥彦に向かっていく。
「すまないなラン……辛くても生きてくれ……長門と小南と三人で……お前は俺の……太陽だった……ありがとうな」
弥彦は最後の力を振り絞ってそう伝えると、ランの腕に抱かれながらゆっくりと目を閉じていった。
弥彦の最後の言葉を聞き、その時私は悟った。
人間誰しも一人では生きていけない。我々は誰しもが一輪の花である。太陽のように一人で燦々と輝き生きていくことなどできない。
私たちは弥彦のことを生きていくのに必要な太陽だと思っていたが、弥彦にとっての太陽もいたのだ。
それは周りにいた人々であり、そして一番の太陽はランだったのだ。
「弥彦! 死なないで弥彦ぉお! うぁああああ!」
弥彦の亡骸に縋りつくラン。ランは弥彦に縋りつきながらずっと泣いていた。
ランにとっての太陽が落ち、満開だった花が急速に萎んでいく。
「あぁ……」
受け入れがたい現実を前にして、頭の中を後悔ばかりが巡った。
私が捕らえられなければこんなことにならなかった。
みんなの愛する弥彦を死に追いやったのはこの私だ。
弥彦とラン。幸せな愛を育んでいた二人を死で別つ残酷な運命に導いたのはこの私だ。
私さえ、私さえいなければこんなことにはならなかったのに――。
「いっ、いやああああああああ!」
私は土砂降りの雨にも負けないくらいの金切り声を上げた。喉が引き千切れるくらいの勢いで叫び続ける。雨の冷たさも何も感じないくらい、ただひたすら叫んでいた。
そうでもしないと頭がどうにかなってしまいそうだった。いや、もう既にどうにかなってしまっていたのかもしれないが。
「間違いなく死んだようだな。では人質の小娘を置いて去るぞ」
「はっ」
弥彦の死を確認した半蔵たちは、私を放置して、その場から立ち去ろうとした。
私とランは泣くばかりだったが、いち早く動き出したのは長門だった。長門はその特徴的な渦巻模様の瞳に憎しみの色を宿らせ、半蔵たちを射殺さんばかりに見つめていた。
「許さない……お前ら……絶対にぃいい! 口寄せの術! 外道魔像!」
長門は口寄せの印を結ぶと、今までに見たこともない謎の生き物を召喚した。
それは、生き物なのかもさえもわからない、とても禍々しい巨像であった。
名づけるならば、外道世界から呼び出された魔の巨像――外道魔像とも呼ぶべきものであった。
外道魔像のあまりの禍々しい姿に、数々の修羅場を潜ってきたであろう半蔵たちも呆気にとられていた。
「これはっ!?」
「半蔵様!? どうします!?」
「捨ておけ! 目的は果たした、撤退する!」
「はっ」
長門の呼び出した魔像から繰り出される激しい攻撃をかわし続け、半蔵たちは辛くも撤退していった。
「はぁはぁ……」
「うぅ……」
「……」
後に残されたのは、チャクラを使い果たし、心身ともに疲れ果てて抜け殻となった長門。
物言わぬ骸となった弥彦と、それにいつまでも縋りついて泣き続けるラン。
そして、その光景を雨に打たれながら呆然と見つめる私。
私たちはしばらく何もする気が起きず、そのままそこで時が止まったかのように過ごしていた。
「帰ろう。弥彦と一緒に。みんなのところへ」
「そうだな……」
「ええ……」
どれだけ時が流れただろうか。
泣くことを一時中断したランの言葉に促され、私たちはようやく活動を再開した。
弥彦の遺体がこれ以上傷まぬように、紙で包み込み移送する。出来るだけ綺麗な状態で弥彦の亡骸をみんなのところに届け、みんなで見送ってやらねばならない。
「……」
「……」
「……」
帰り道中はずっと無言だった。足取りは重い。当然だ。
私たちの太陽が沈んだのだ。世界は闇に包まれてしまった。真っ暗闇の中にいて、どうして明るく振舞えるだろうか。
私たちは土砂降りの雨に打たれながら、無言のままアジトへと帰還していったのだった。