孤児の生活とは厳しいものだ。幼年期に誰の庇護にもないというのは想像を絶する過酷さである。
自分たちの力だけで大人たちの世界に交じって生きていかねばならない。
非力な子供の立場では、普通の手段をとっていては無理だ。搾取されるだけである。
だから悪いことだとはわかっていても、盗みに手を染めざるを得なかった。
それをしなければ生きてはいけなかったから、心苦しくとも茨の道を歩むしかなかった。
盗みなんて嫌だったはずだけど、気づけば自然と盗みを働くようになっていた。
他人の感じる痛みを忘れて、息をするように盗みを働く。自分と仲間のことだけを考えて、他の人の痛みには気づかないフリをし続けてきた。ずっとずっと――。
そんな忘れていた痛みをふと思い出させてくれたのは、あの子だった。
「私……泥棒なんてしたくないよ。だって盗まれた人が可哀想だよ……」
ランも私と同じ痛みを抱えていた。
私たちの仲間に入った当初は盗みを働くことに反対していた。盗まれる人のことを考えると心が痛いと言っていつも泣いていた。少し前までの私だった。
「しょうがねえだろ。そうしなきゃ俺たちは生きていけねえんだからよ」
「うん……」
けれど私たちに諭され、また自身の空腹に耐えかね、渋々その手を汚していった。天使の美しきその手を俗世の汚れで染めていった。
私たち孤児は、汚れなければ生きてはいけなかった。
一度手を汚してからというもの、ランは誰よりも積極的に盗みを働くようになった。昼も夜も、暇さえあれば一人で盗みに出かけていった。
「見て見てー! いっぱいとった!」
私たちの中で一番抜けているところのある子なのに、何故か盗みの成果はいつも一番だった。
あの子はふらふらと何かに導かれるように飛び出していっては、隠された品物を見つけ出してきた。
まるで幸運の神様がついているかのように、高級な品物もいとも簡単に盗み出していた。計画性なんて何もないのに、何故か高級品がある場所をいつも把握していた。
ランは今日も大漁だったよと、盗んだ品を誇らしげに見せてくれる無邪気で純粋な子だった。
私たちは表面上は「でかした!」と素直に喜んでいたけど、みんな複雑な胸中だったと思う。
愛らしい天使の手が汚れていくようで見ていられなかった。居た堪れない気持ちになった。
妹分に負けたくなくて、ランの手を汚させたくなくて、私たちも必死に盗みを働いた。盗んで盗んで盗み続けた。
リーダーとしてみんなに負けてられないと思ったのか、弥彦は次第に無理な盗みも働くようになっていった。
捕まるのは時間の問題だったのだろう。
「放せよ!」
「放せとはなんだ! 泥棒したくせになんてふてぶてしい態度だ! もう許せんぞ!」
ある時、弥彦が捕まってしまった。
欲を出して店主の目があるというのに盗みを働こうとしてしまったのだ。
「くそっ、こんな不味そうなリンゴ一個くらいいいじゃねえか! どうせ売れなくて廃棄するんだろ!」
「不味そうなリンゴとは何だ! ウチの大事な商品だぞ!」
相手は素直に謝れば許してくれそうな優しそうなおじさんだったのに、弥彦は何故かふてぶてしい態度を保っていた。
長い孤児生活で色々とストレスを抱えていて、捌け口を探していたのだろう。だからわざと挑発じみた言動をしたのだと思う。
私たちと同じくらいの歳の他の子はこんな苦労をせずに生きている。犯罪なんかには手を染めずに綺麗に真っ当に生きている。
なのに何で自分たちはこんなことをしなければいけないのか。
どうして、何故、何故なのか――。
その不満が爆発したようだった。いつもの弥彦らしくない態度だった。
いつまで続くかわからない孤児の生活に、自暴自棄気味になっていたんだと思う。命知らずな行動だった。
「だから返すっつんてんだろ! いらねーよ、そんなの!」
「何だその態度は! 君、おじさんのこと怒らせちゃったねえ! 本気で怒らせちゃったねえ!」
売り言葉に買い言葉でおじさんはヒートアップしていった。
「こっち来いよオラァッ!」
優しそうなおじさんだったというのに、何かのスイッチが入ってしまったかのように急に豹変した。
おじさんは近くにあった護身用の竹刀に手をかけて、弥彦を激しく叩き始めたのだった。
「痛ぅっ!」
「痛いのはわかってんだよぉ!」
「痛いんだよぉ!」
「掴んだらかける2だぞ! かける2だぞ! いいのかぁ! 謝るんだ!」
「嫌だ!」
素直に泣いて謝れば、おじさんは許してくれたのだろう。
けれど弥彦は涙目になりながらもおじさんに反抗的な態度を保っていた。
睨みつけたり、悪びれる様子もなく強がってヘラヘラとしたり。それはまるで見えない敵と戦うかのようだった。
弥彦なりに何かの意地があったのだろう。それは私には量り知れないものだった。
その弥彦のふてぶてしい態度がおじさんの怒りをますます増長させたらしい。
おじさんはさらにヒートアップしていき、恐ろしい暴力の制裁を弥彦に加えていった。
「なんだその態度は! ちょっと来いよオラァ!」
体格差のある大人から下される暴力の数々。弥彦は背中に痕が残るくらいに竹刀で叩かれていた。
挙句の果てには、バケツに入った水をかけられ、水桶に沈められそうになっていた。
「溺れる! 溺れる!」
「一言謝ればいいんだ! さっさと謝れ!」
「いやだ!」
優しそうなおじさんが豹変して、当時私たちの中では一番強かった弥彦をボコボコにしている。
大人の容赦ない暴力を前にして、私たちは縮こまって震えていた。弥彦を助けたいのに、どうすることもできなかった。
「謝れって言ってんだろ!」
「やだ、絶対やだ!」
おじさんにボコボコにされ、弥彦は明らかに弱っていた。なのに弥彦は謝るということをしないので、ずっと殴られていた。
意地と意地のぶつかり合いで、不毛な争いが続いた。
このままじゃ本当に殺されてしまう。そう思えるほど、弥彦はボコボコにされていた。
「おじさん、もうやめてよぉ!」
そんな時、一番頼りにならないと思っていたあの子が勇敢にも飛び出していったのだった。
「うぅ、うわぁあああ! もう許してあげてよぉおお!」
怖かったのだろう。恐怖を堪えながら泣きながらもおじさんの前に出ていったのだった。
「弥彦をもう叩かないであげてよぉ!」
ランはその端整な顔をくしゃくしゃに歪めながら、おじさんに縋りつきながら許しを乞うていた。
「……わかったよお嬢ちゃん」
天使の涙を見て、おじさんの熱くなった心は急速に冷やされていったらしい。
いくら生意気な子供相手とはいえ流石にやり過ぎたと思ったらしく、落ち着いた声色で事情を聞き始めた。
「どうしてこんなことをしたんだい?」
「えと、えと、どうしてって、弥彦が叩かれて可哀想だから……」
「いや謝ることじゃなくて、盗んだことだよ」
「盗んだことっ、本当っ、ごめんなさい!」
「いや、それはわかったんだけど、俺が言いたいのはそういうことじゃなくてだな……」
興奮していたせいもあるのか、ランはおじさんと満足に意思疎通ができていなかった。
「実は……」
クールダウンしたおじさんに何かされる心配もないと思ったので、隠れていた私たちも姿を現し、私と長門が代わりに事情を説明することになった。
「……そうか。その歳で親を失くしたか。すまねえな。俺もついカッとなっちまって。正直やりすぎたよ」
店主は弥彦に過剰な制裁を加えたことを謝ってくれた。傷を診てくれた上、謝罪の意味を込めてリンゴを沢山手渡してくれた。
「……ほらよ。でも二度と悪いことなんてやめるんだぞ。苦しくても真っ当に生きるんだぞ」
「ありがとうおじさん!」
「おうよ」
ランが満面の笑みで感謝を伝えたので、店主のおじさんは照れくさそうに鼻を掻いていた。
まさか泥棒を働いたのにプレゼントを貰えるとは思わなかった。初めて他の人に優しくされた気がした。
弥彦は痛い目を見たけれど、そのおかげで私たちは他人がくれる優しさを少しだけ知ったのだった。
「弥彦、これに懲りてもう無茶なことはやめて」
「わかってるよ小南。今日は調子が悪かったんだ」
「どこか具合でも悪いの?」
「そうじゃねえよ。ちょっとムシャクシャしてただけだ」
「何かあったの?」
「小南には関係ないだろ」
「……」
帰り道、私はどうしてあんなことをしたのか弥彦に尋ねてみた。
いくら尋ねても、弥彦は誤魔化すばかりだった。
いつも一緒にいる長門は何かを知っているようだったけど、話してはくれなかった。
「今日もリンゴいっぱいとれたよー!」
「「「えぇ……」」」
余談だがその翌日には、ランはおじさんの所にリンゴを盗みに出かけていった。
私たちもそれは人としてどうかと思ったのだが、ランは何かに憑かれたかのようにふらふらと一人でリンゴを盗みに行っていた。
どうやらみんなで食べたリンゴが美味しかったということだけを覚えていて、おじさんにリンゴを貰ったことはまったく覚えていなかったようだった。
いつものように自分で盗んだ品だと思っていたらしい。だからまた盗みに行こうと思ったらしい。
ランは物凄く馬鹿だったのだ。当時は、の話であるが。
「この先で半蔵様が木の葉の忍びと戦ってるらしいぜ。見に行かないか?」
いつだったか、弥彦がそんなことを口に出した。
第二次忍界大戦の戦況がより激しくなり、雨隠れが主戦場になっていた頃だったと思う。
戦場に子供が顔を出すなんて言語道断だ。
一般人であるリンゴ屋の店主一人の暴力に怯えているだけの私たちが忍びに目をつけられてしまったら、確実に殺されてしまうに決まっている。
だから私は反対した。長門は態度をはっきりと示すことはしなかった。
「ランはどうしたいんだ?」
「私行くよ! 忍者見たい!」
勇敢にも弥彦を助けにリンゴ屋の店主の前に飛び出たランであるが、彼女は基本的には私よりも臆病だ。
何の変哲もない安全そうな道を歩いている時でさえ、急に豹変したように縋りつき「この先は絶対に行っちゃダメ! ダメなの!」と必死に訴えてくることがよくあった。
私たちはその度にランのわがままに付き合い、仕方なく道を変えたりしたものだった。それくらい、ランは臆病だった。
だからきっと弥彦の考えに反対すると思っていたのだけど、彼女は迷わず行くと即答していた。戦場の危険など頭を過ぎらず、純粋に忍者に興味があったらしい。
「よっしゃ、じゃあ行こうぜ。長門も行くだろ?」
「弥彦もランも行くなら僕も行こうかな」
「小南はどうするんだ? 留守番するか?」
「ううん……私も行くよ」
弥彦とランに流されるように長門も行くことになった。
私一人取り残されるのは戦場に行くことよりも苦痛だったので、渋々私も戦場へと向かうことにした。
「この人、いっぱいお金持ってたー! わーい、私、お金持ちだ!」
最初は戦場のそこかしこに転がっている死体に怯えたものだが、そのうち慣れてくる。
意外にも一番順応が早かったのはランだった。怯えることもなく死体の衣服を弄り、有用なものを探し出していた。無邪気であるがゆえ、死体への抵抗も少なかったらしい。
妹分であるランにだけそんなことをさせるわけにはいかない。
ランに習って私たちもそうしていく。食べ物、衣服、何でも調達していく。そうして何日か戦場を彷徨った。
――ドォオオン。
「あっちだ。あっちで戦闘があるみたいだ。きっと半蔵様だぜ」
ようやく目当ての半蔵らしき人物を見つけることができた。
怖かったものの、ここまで来て引き返すわけにはいかない。
私たちは戦場の中心地へと向かっていった。
「す、凄い……」
そこで見た光景は圧巻だった。同じ人間とは思えないほどに人間離れした人たちがいた。
無数の蛇のようなものを即座に召喚したり、口から火を噴いたり、女性だというのに大岩を持ち上げてそれを投げつけたり。また水面を走ったり、空中を飛び跳ねていたり、高速で殴りあったりしていた。
あの力があれば。あの術が使えれば。
もうこんな死体から物を剥ぐような惨めな生活をしなくて済むかもしれないと思った。
「……決めた」
「弥彦?」
弥彦は私たちの中で一番真剣に食い入るように戦場を見つめていた。
忍びたちは高速で移動を重ねている上、煙幕などのせいで余計に姿形がわかりにくくなっていたのだが、弥彦はその姿を必死に追って脳裏に刻み込んでいるようだった。
「危ない!」
「うわ!」
だいぶ遠くから離れて見ていたのだが、戦闘の影響は徐々にこちらまで及んできた。弾かれた手裏剣が飛んできたり、衝撃波が飛んできたりした。
私たちは命の危険をまざまざと感じ始めた――そんな時のことだった。
「弥彦、危ないから早く逃げようよ」
「もう少しだ。もう少しだけ――っ!」
――ドゴォオオン。
戦況はよりいっそう激しさを増し、半蔵の口寄せ動物が吐き出した毒霧が不運にも風に押し流されてこちらにやってきた。
私たちはなんとかそれを嗅がずに済んだのだが……。
「くぅーん……」
「ああっ、チビが! チビが!」
長門の飼っていた犬のチビがその毒を吸ってしまった。
チビは泡を噴きながら痙攣し、やがて動かなくなってしまった。
「チビが……死んだ……?」
あっけないものだった。死とはあっけないものなのだ。突然として私たちの目の前にやって来る。
チビはさっきまで私たちと楽しく触れ合っていたというのに……。
「うああああ! チビィイイ! チビがぁあああ!」
生きる気力を失っていた長門を救ってくれたのがチビだ。
そのチビを失って、長門は半狂乱になって喚いていた。
「弥彦、もう逃げよう」
「ああ。そうだな」
チビが死に、私たちの命も危なくなった。慌てて撤退を開始した。
「チビが……チビがぁ……」
「長門、しっかりして!」
呆然とチビの死骸を抱える長門の背を押し、必死に逃げた。
「また毒ガスが来る! 皆! 川に飛び込め!」
弥彦の合図でみんなで一斉に川に飛び込んだ。
「ぷはっ!」
川に押し流される形で、私たちは戦場から遠ざかることができたのだった。
「なんとか全員無事みたいだな。小南も無事だな?」
「うん。でもチビが……」
戦場から遠ざかって自分たちの安全が確保できると、急に現実に引き戻された。
チビの亡骸を前に、私たちは呆然となった。
「うええん、チビが死んじゃったー!」
ランは人一倍泣きじゃくっていた。
みんなチビのことを可愛がっていたが、ランは特にチビを可愛がっていた。長門の飼い犬なのに、ランに一番懐いていたほどだ。だから哀しみも人一倍強かったのだろう。
「チビのお墓……作ろっか」
「そうだな小南」
私たちの体力ではチビの亡骸をアジトまで連れ帰ることはできないと思ったので、その場でみんなでお墓を作ることにした。
そうしてチビと最後のお別れを済ませた。ランはいつまでもお墓に縋りつくようにして泣いていた。
「もう泣くなラン。全部俺のせいだ。俺が戦場に行こうなんて言ったから……長門すまん。お前の相棒だったんだよな」
「弥彦のせいじゃないよ。僕も戦場に行くことには賛成したし。チビが死んだのは僕のせいだ……僕にもっと力があれば……僕は強くなりたい!」
ランはいつまでも泣きじゃくっていたけれど、弥彦と長門、特に弥彦の立ち直りは早かった。
男の子として重大な覚悟を決めたらしかった。チビの犠牲を無駄にしない。その屍を踏み越えてでも何かしようと決心したらしかった。
「俺は決めた。忍者に弟子入りする」
弥彦は徐に口を開いて宣言した。そして自分の思いを語った。
忍者になって力をつけて、この里を平和に導く。やがては世界を平和にすると。
それは途方もないことであった。私たちはしばらく呆気にとられていた。
一番真っ先に賛同したのは、意外にも長門だった。
「僕も弥彦に賛成だよ。力が欲しい。大事なものを守れる力が欲しい。もう失うのは御免だ」
「長門まで……」
何かの熱に浮かされるように弥彦も長門も力を求めていた。
また危険なことをしてしまうかもしれない。今回はチビだったけど、次はこの中の誰かが死んでしまうかもしれない。
そんなのは嫌だ。誰か止めて欲しい。
私は縋るようにランの方を向いた。あの子はきっと私のように二人を止めてくれる、そう思った。
けれどあの子は違った。
泣きじゃくっていたものの、強い意志を持って力強く言ったのだ。
「私も忍者なる! 世界平和するよ!」
妹分のランの力強い宣言を前に、弥彦も長門も大いに勇気付けられたようだった。一緒にやってやろうぜと気勢を上げていた。
「決まりだな。小南もそれでいいだろ?」
「三人が言うなら……でも弟子になんてしてくれないよきっと」
「そんなのやってみなきゃわかんねーだろ。小南は心配性すぎんぜ」
こうして私たちは忍者に弟子入りすることを決めたのだった。
その後数奇な運命を経て、私たちは運命の人――自来也先生と出会うことになったのだった。