CEFALÓPODOS -セファロポドス- 作:夜泣かし村
凛子ちゃんによってパックリいかれた肩の傷は、ユリアさんの素晴らしい手腕によって縫合痕の一つも見えない程キレイに治療された。痛みも完全にない。こうなってくると最早不死の薬でも使ってんじゃないかって疑っちゃうよね。
とかく、そんな感じでようやく完全復帰できた僕は、今日も今日とて病院受付の仕事。
養う家族もいない、別に大金を使う趣味も持っていないとなれば、働けない日々が続いても特に問題はなく。
強いて言えば自身の入院費だけでも稼ぎ返さないとなー、とか思ってたら、またも「振り込まれてるから」とかなんとかで。
こーれ絶対あしながおじさんいます。
そんな柳岡総合病院受付事務の昼休み。
同僚……といってもほとんどが先輩な女性たちと、職員用の控室、あるいは階層で食事を摂る……はずだったんだけど。
「いやー、お使い。お使いかぁ。こういうことしてると、必ずと言っていいほど不運に見舞われると思うのは漫画の読みすぎかなぁ」
まさに漫画の世界だからこそ、なおさら。
事務員長の人に、「買い出し行くついでに何か外で食べてきていいわ」とか言われて、お金も渡されてしまったのだ。それを「不幸なことありそうだから嫌です」とかいって断るの無理な話で。
今こうして買い出しを終え、適当な……あんまり大通りに面していないファミレスを探して歩いている最中。なんで大通りを避けるのかって、また暴走トラックとかに追われたら一たまりもないから。
だからこーして住宅街に近いところをちょろちょろしてたら。
「……うせやん」
まぁ、近づいた僕も馬鹿だとは思うんだけどさ。
住宅街……からは少しばかり離れたところにある、巨大な教会のような場所。
門にはVirginal Roseの文字。
こんなところにあったんだー。
「あら……お客様?」
「あ、いえ。ちょっと買い出しのついでにすごくきれいな建物があるなってたまたま見に来ただけで」
「そうですか……。ええ、ここには薔薇しかありませんが、皆さん大切に育ててくれているので、とても綺麗だと思いますわ」
「もーちょっと眺めててたい気持ちはあるんですけど、お昼休み終わっちゃうので、失礼します」
「ええ……もし、少しでも興味があったら、見学にいらしてくださいね」
「はぁい」
行かないでしょうさすがに。
卒業したら薔薇の肥料にされる新興宗教はさすがに怖すぎる。
そのまま逃げるようにその場を後にして、さっさか昼食を済ませ、病院に戻った。
うん。
寄り道はしない方が得、ということを学んだね僕は。
それから数日後のこと。
「やぁ千代ちゃん。そんな鬼のような形相してどうしたのかな。気のせいでなければ後ろに背負ってるの刀だよねーって、痛い痛い、なんでどうして耳を抓んで」
詳しく事情を聴けば、原作通り。
紅守黒湖がVarginal Roseに潜入捜査に行ったきり帰ってこない。その新興宗教は女性しかいないひみつの花園で、どうせ紅守黒湖のことだからレズりまくってて楽しみつくしているに違いない、というもの。
彼女の帰ってきていない時間は一週間。ま、知人に連絡をしない期間としては長すぎる。
だからぶった切ってでも連れ戻してやるぞ、ってお話らしい。かっこよすぎる。
……僕にだって、人には言えない……ちっぽけなエゴというものがありまして。
ポリナこと寺坂志穂ちゃんはもう救えない。というかもう死んでしまったことだろうし、そこを捻じ曲げるとアリアンナ……野上さやかちゃんの運命が大きく変わってしまう。だからそこに干渉するのはよくない。
その上で、僕は原作における特に何でもない、理由もない偶然で殺されたような人々を助けたいと……まぁまぁ御大層なエゴを抱いている。
ゆえに。
「……ごめん、千代ちゃん。僕は協力できそうにないや」
「理由は聞いても?」
僕が関わることでさらに死人が増えそうな場合に関しては、身を引く必要があると──そう思っている。
特にこの純潔の薔薇の事件は、ほかの事件に比べても死人が少ない。上記のポリナちゃんくらいだ。肥料をこぼし、ダメにしてしまったから、その補填のために肥料にされたポリナちゃん。けれどそれはやっぱりアリアンナちゃんにとって必要な死であり、その他の死者は黒幕のゴールドマリー……いろんな意味でここで死ぬべき人物しかいない。
そこを捻じ曲げたら、今度は死が2人をを分かつまで、にまで影響してくるし、さらには屠桜計画やら夢中遊行のうんぬんかんぬんにまで、となってきて、僕じゃ把握しきれない事態に及ぶだろう。
以上の観点から──僕が関わるのはナシ。
……というのを千代ちゃんに言うわけにもいかず。
「幸運の気配が一切しないんだよね」
「またそれか。……それは、よくないことが起きると……そういう風に捉えていいの?」
「うん。僕たちが行っても悪い結果しか持って帰ってこれない。あるいは──僕らも帰ってこられない」
息を吞む音。
そう、原作において紅守黒湖は結局洗脳なんかされてなかったわけだけど、その情報がない状態で見れば、一週間も連絡しない、というのは異常なのだ。千代ちゃんと紅守黒湖の関係性を考えればなおさらに。あとそもそも紅守黒湖は政府に雇われた国選処刑人。
私用で一週間、もしくはそれ以上の時間を行方不明になっていいわけがない。偶然、この一週間は紅守黒湖が必要になるような凶悪事件が起きなかったから呼び出されていないだけだ。
もしこの間に何かそういう事件があって、呼び出したのに来ない、なんてことになれば……
千代ちゃんがどれほど知っているかはわからないし、僕だってそのすべてを知り尽くしているわけではないけれど──紅守黒湖は、0から100まで完全なる殺人者だ。異常者だ。真っ黒で真っ暗な死神だ。
「僕が言うのもなんだけどさ、もう少し信用してあげたら? 確か調査で入ったんでしょ? それが難航してて、ずっと様子を窺ってて……今千代ちゃんが突入して、証拠とか諸々台無しにしちゃったらコトじゃん?」
「だとしても連絡くらいはするでしょ普通」
「それは……そうなんだけど」
そうなんだよな。
連絡しないのがおかしい、というところを論破できる材料を僕は持ち合わせていない。
「ごめん、金枝」
「あー……うん。そうだね、これ以上は止められなさそうだ」
「一応、金枝が言ってくれたことは気に留めておくから。でも、大丈夫よ。幸運だとか不運だとか、そんなの踏み倒してアイツを引っ張り出してやるんだから」
「うん。絶対帰ってきてね。僕、千代ちゃん以外の友達いないからさ。普通にぼっちになるし、柳岡病院でなんかやらかした時に弁護してくれる人も必要だし」
「友達に対して求めてることが打算しかないの、金枝らしいわ」
とまぁ、そんな感じで。
僕は彼女を送り出した。
送り出して──気付く。
「……あれ、ひな子ちゃんは?」
ドッと背筋が凍えた。
原作において千代ちゃんが助かったのは、屠桜ひな子のおかげである。
彼女がちょうど変なところにいて、だから人間の心臓を一突きにするフックがはじかれて、それによってコースを外れたフックによりゴールドマリーが貫かれて。
アレがなければ……いや、洗脳なんかされていなかった紅守黒湖が助けるはず、ではあるのだけど。
同時にちょっと怖いんだよね。
何って、紅守黒湖が千代ちゃんと面会したとき、彼女は千代ちゃんの手を傷つけている。あの紅守黒湖が、だ。洗脳されているふりをするためにしてはやりすぎなんだ。だってその場にはその二人しかいなかったからね。
果たしてどこまで本当か、本心か、なんて。
ムルシエラゴファンからして、たぶん誰もわからないと答えるのが大正解だ。紅守黒湖が何を考えているのか、なんて誰にもわからない。
あるいは彼女の回想通りホントのホントに洗脳されてなかったけれど、力加減を誤ってしまっただけなのかもしれないが──紅守黒湖の技量からして、その可能性は低そうだよなぁ、と。
何より、僕は今でも幸運の気配を感じていない。
それが一層怖さを引き立てていて……だから。
「ひな忍ならぬかな忍……うわさすがに恥ずかしい」
in純潔の薔薇now。
別に忍者の恰好はしていない。屠桜ひな子のように俊敏な動きができるわけでもない以上、コスプレにしかならないから。修道服も無理。あれじゃ動きづらい。着物も同じ。
なのでまーまーラフな……その辺にいる主婦スタイルできた。主婦だし。夫と娘死んじゃったけど。
さて、表の方ではすでに騒ぎが起きている。千代ちゃんが暴れまわっているからだ。
そのおかげで色々な場所が手薄になっているけれど、だからと言って誰もいないわけじゃない。殺しは普通にNGだけど、傷つけずに昏倒させる、なんて技術があるわけでもない。
だから、迅速さが必要だ。
行くべき場所に一瞬で行って、やるべきことをを一瞬でやって、一瞬で帰る。
行くべき場所は、処刑室……ローズマリアのいる場所。
やるべき場所は装置の破壊。あそこの処刑ギミックをぶっ壊すなりなんなりしてしまえば、千代ちゃんが死ぬことはない。多分。それによってゴールドマリーも死ななくなるけど、そこは仕方のないものとする。
それを終えたらすぐに帰る。現時点のローズマリアに怪物性は無いので、出くわしてもまぁ大丈夫だろう。
おっけー、考え至ったが吉時だ。
行動開始──。
「あ? なんだオマエ──誰だ。ここで何してやがる」
「──脱兎!」
「あ、コラ待て!!」
行動開始しようと草むらから立ち上がった瞬間、窓の中、廊下にいた少女と目が合った。
合っちゃった。
だから、逃げる。とりあえず逃げる。
彼女は一般人枠ではあるけれど、千代ちゃんと多少は渡り合えるほどには実力者だ。特に薙刀使いというのが僕と相性が悪い。僕の攻撃手段は爪による斬撃くらいで、だから超超至近距離戦しか対応できない。
対して薙刀は中距離武器だ。近づく前にやられる未来しか見えない。
あ、彼女ってテレサね。桃山照美の妹ちゃん。
「待てって! つか、侵入者ってオマエのことか!」
「それは人違い!!」
「人違わねーだろ、侵入者だろオマエ!」
「それはそうなんだけどね!」
横に逸れる。
振り下ろされるは薙刀の刃。峰ではなくちゃんと刃の方で振り下ろされているから、地面がざっくりと抉れる。おいおい、それ当たったら僕なんかパックリだぜ?
「へぇ、避けるか。後ろに目でもついてんのか?」
「そんな化け物に見えるかな」
「ああ、見えるね。ここは俺達みてーな心底つらい目にあったやつらが集まって、その心の傷を癒す場所だ。そこに侵入して何する気なのかは知らねーが、幸福に水差すような奴が化け物以外の何かであってたまるかよ」
うーん、彼女から見えてる情報だけで言えば正論。
だけどナー。この教団ヤバオブヤバだからナー。
ワンチャン僕が僕じゃなかったら……ただの小高井金枝だったら、それこそこの宗教にハマってた可能性もある。それくらいには心の弱っている少女を見つけるのが上手い。あ、僕少女じゃないから全然だったわ。
「お、なんだよ立ち止まって。やるのか?」
「どっちがいいかな、って」
「何がだ」
「カラダの傷と、ココロの傷。選んでいいよ、桃山鳴海ちゃん」
見開く目。強く握りしめられる薙刀の柄。
今日初めて会った侵入者はもちろん、教団関係者のほとんどでさえ知らない名。警戒しない方がおかしい。
「どっちもお断りだ、っつったら?」
「選択しなかったものとして、どっちもヤっちゃおうかな」
「強気だなぁアンタ。見たところフツーのおばさんって感じだが」
「18歳の君からしたら、大人は誰だっておばさんでしょ」
薙刀がチャキりと構えられる。また個人情報だからね、警戒心はMAXだ。
特に──彼女は身内に痣がある。もし僕が、桃山照美を調べてここに辿り着いたのだとすれば、彼女にとっての負い目である"彼に関するすべて"はトラウマを直接まさぐられるようなもの。手に力が入るのも致し方がない。
そして窺うだろう。こちらの出方を。
一挙手一投足、腱の動きに至るまでを見て。
だから、引っかかる。
突然上空からぼとっと落ちてきたのは、銀色の直方体。
一見して何かわからないそれは、けれど火がついていることがわかるだろう。
僕と相対するテレサちゃんの視線が一気にそちらへ集まる。僕へ向けていた集中力のすべてがソレに。
薔薇の荘園。当然、火気厳禁だ。
「それに気を取られてる隙に──ってか? 甘すぎだろ」
「まさか。踏み込んだのは、僕がアレより前に出るためだよ」
強く踏み込む、テレサちゃんの懐へ入ろうとした僕に、けれど彼女は反応した。薙刀の柄を非常に短く持って、刃でない方を膝で蹴って。
そうすれば当然、柄を握る手を支点に、それが強く弾かれる。
僕めがけて、弾かれる。
直後、極光。
柄をぎりぎりで避ける……までもなく、彼女は薙刀をカランと落としてしまった。
なぜって、両手で目を覆ったがためだ。「目が、目がぁ~」状態。極光の持ち主は先ほどの直方体……正体は結構安価で手にはいるアルミニウム粉末である。
保護フィルムに覆われたそれは、常ならば特になんでもない軽い金属。それがひとたび空気に触れたら、すさまじく酸化しやすい状態になる。中学生理科だよね、この内容。
あとは保護フィルムに火をつけてやれば、酸化反応ですさまじい光を発してくれるっていう、超超簡易
直視しちゃいけない光が、最後の最後まで火のついたそれを直視していたテレサちゃんの目を灼いたってスンポー。
「ぐ、この……」
「僕もね、前準備なしで来るつもりはなかったんだよ。そもそも行くつもりもなかったし。だからこんな携帯護身道具しかないんだけど、君はそれで十分だったわけさ。君のお兄さんより君は弱い──当然だよね」
「ッ!? やっぱりオマエ、兄貴のこと」
薙刀を蹴り飛ばして。
「アデュー、桃山鳴海ちゃん。もうすぐで君に悲しい真実が襲い掛かるけれど、それまでに覚悟を決めておいて」
「ま──待て! 待ってくれ!」
待たない。
うん、わかってる。やりすぎです。いや僕やっぱ大学デビュー失敗したのまだ引き摺ってるんだな~~~! コミュニケーション能力~~~!!
彼女が開いて出てきた窓から教団内に侵入する。
さて──じゃあ、探すべきはゴールドマリーの部屋か。あそこから地下の処刑室に入るのは知っている。
誰にも見つからないように行けたら最高。
見つかっちゃったら、悪いけど口にガムテ、全身縛っての誘拐犯スタイルで行こう。
「いやネームプレートありがたいね」
ゴールドマリーの部屋は一瞬で見つかった。Gold marieのネームプレートもそうだけど、薔薇の香りが強い方に行けばいいだけだったから。
本当はこれも嗅ぎたくないんだけど、ガスマスクはさすがに視界が悪すぎるから仕方ない。
適当にピッキングして部屋に入る。
原作と違い荒らされていないのは、屠桜ひな子が何もしていないから。
扉の対面、暖炉の横にある大きな薔薇の絵を外す。
そこに現れるはボタン。そりゃ押すでしょ、って形のソレをポチィと押せば、ガ……ガコォンとなってズ、ズズズズ、ズズズズとなって、──ズン、と現れる地下への階段。凄い、擬音まで原作通りだとは思わなかった。
とかく、あとは一本道だ。
スタタタと階段を下っていけば、薔薇の匂いに交じって血臭と腐臭が立ち込めてくる。正直一刻も早くこの場を去りたくなるほどの異臭だけど、千代ちゃんを失うのは僕的にNGということで我慢。
そうして辿り着いた地下室に、黒があった。
「まー、さすがに鋼鉄か」
処刑用のフック。斬れるかどうかを試すまでもなく無理だとわかる硬さ。
なので、ここで仕込みますは天蚕糸。屠桜ひな子が行ったことと同じになるよう、フックの根元にそれをひっかけて、固定は……固定はどうするか。ペグとかあればよかったんだけど、ないし。
──咄嗟に糸の両端を持って隠れる。
荘厳な方の扉を開けて入ってきたのは、ぐったりした裸の千代ちゃん、髪形を変えた紅守黒湖。
そして静謐な表情のゴールドマリーだ。
ゴールドマリーの方は完全にこちらをスルー。
が──薔薇と肉の中に隠れているというのに、紅守黒湖とは完全に目が合った。目が合って、超にんまりされた。あー、アレは洗脳とかされてないッスわ。無駄足ィ。
さて、ここでおとなしく千代ちゃんが縛られていくのを見ているかどうかと問われたら……ま、そんなことはない。
紅守黒湖が洗脳されていないとわかった以上、僕が動けば彼女も動くだろう。
ただし常に目を瞑っているゴールドマリーに先ほどの簡易閃光弾は効かない。
このフックも僕が無理に動かせるような代物じゃないので、フックによる殺害は最終手段とみていいだろう。
すべてが上手くいかず、ゴールドマリーが処刑をせんとフックを動かした時用の仕掛けだ。
まずは──。
「ああ、いいよ金枝さん。無理しなくて」
「ハルフェティさ──?」
一瞬のことだった。
千代ちゃんを抱いていたはずの紅守黒湖。その左手が見えなくなったと思ったら、ゴールドマリーの首が斬れていた。
……うわ、アレ大丈夫かな。
ちゃんとくっつくかな。
「アッハ……まぁ、潮時ってヤツさ」
ガクンと崩れ落ちそうになったゴールドマリーの体。
それを、黒い池にトン、と押す紅守黒湖。首のないその体はどちゃっと血溜まりに落ちて──ザバザバと近寄ってきたローズマリアに……。
「……心配させないでくれるかな。千代ちゃんも僕も、一週間も音信不通だった黒湖さんをすごく心配したんだから。もしかしたら本当に洗脳されていて、僕らのこと思い出せなくなってるんじゃないか、って」
「へぇ、金枝さんはこの教団が洗脳を行ってること知ってたんだ?」
「前にこの教会の前を通りがかったことがあってね。ここまで幸運の気配がしない場所も珍しいから、大体の事情は察したよ」
「ナルホドナルホド……それじゃ、千代ちゃんが起きる前にお暇しようか。あ……あとできればなんだけど」
「うん、千代ちゃんへの言い訳でしょ? 便宜を図るよ、できる限りはね」
「ありがた~~!」
なんにせよ。
これにて一件落着。
……とするのもいいんだけど。
「あれ、金枝さん。どうしたの?」
「有史以来、家族の絆が、復讐を生まなかったことってあるっけ?」
地下水道の化け物事件。
アレで死ぬ人々は、それこそ死ななくていい人たちだ。ここでこの二人を殺し切ってさえいれば起きなかった事件。わからない。その後蘇生されたうえで化け物にされたのかもしれないけれど、少なくともここでローズマリアの方も殺しておけば、アレには至らなかったんじゃないかと思っている。
悟白亜の実験が果たして何を目指しているものだとしても。
「できるの?」
「……必要なら」
「アッハ、手、震えてるよん?」
「そうかな」
もし本当にそうなら、僕に人の心が残っているようで嬉しくあるんだけど。
どう見ても震えてないからなぁ。ダメっぽい。
さて。
ただ、確かに殺人など初めてである。ただこいつを人間と思えるかどうかは別として、かな。多分ここまで積極的に殺そうと思えるのは、これからこいつが化け物になることを知っているからだろう。現時点で化け物に近いこのローズマリアに対し、人間生物を前にして湧くはずの同情心が欠片も沸いてこない。
よってこの殺人は駆除であり──。
「いいからいいから、任せて任せて」
と。
サクッ、なんて。先ほど薙いだ左手。そこにいつの間にか握られていたバターナイフが、ひょい、なんて軽い感じで投げられて、刺さる。
ローズマリアの胸元。中心。
心臓の位置ではなく、胸骨のど真ん中。
それだけで、彼女……彼は倒れた。
黒い池に沈むゴールドマリーに寄り添うように、顔と顔を突き合わせて。
「……帰ろっか」
「だね」
「ついでに、隠れて見てたそこの子も連れて行かないと」
「え? あ、アンナちゃん」
フツーにトラウマクラスの出来事だと思うんだけどね。
この世界の子供たち、グロテスクに耐性ありすぎ。なんでもうにっこり笑顔を作れるんだろうか。
……日常茶飯事だから、かぁ。
嫌な日常だね、それは。
後日談というか、僕の顛末。
あ、前提として純潔の薔薇のその後についてはまったく知らされていない。僕は千代ちゃんを心配して後を追ってきただけだからね、紅守黒湖の仕事に関しては立ち入っていかない。
ただ、問い詰められてはいた。
千代ちゃんに。
「……だから、えーと。どういうこともなにも……仕事を失っていた僕は、黒湖さんに買ってもらって、しばらくお金を稼いでいたと……その」
「そこはわかった。問題はなんでそれを私に言わず、素知らぬ顔で付き合っていたか、ってとこよ。金枝、アンタ私と黒湖の関係知ってたでしょ」
「いやだって気まずいじゃんそれは。友達の肉体関係相手に援交してもらってる、は言いづらいじゃん流石に」
「……まぁ、そうか」
ほっと胸をなでおろす。
よかった、理解はしてくれたらしい。
「じゃあ、金枝、アンタは黒湖にその……恋愛感情とかはないわけね?」
「それはもちろん。だって僕既婚者だよ。未亡人だよ。ちょっと前に夫を失ったばかりだよ」
「だから危ないんじゃない。そういう弱ってるところに漬け込んで惚れさせるのが黒湖の常套手段なんだから」
「あー、まぁ、そういうことされた覚えはあるけど、それでも大丈夫。そもそも僕ビアンじゃないしね」
「……? じゃないのにできるの?」
「結婚する、となったらその辺の価値観邪魔してくるけどさ、肉体関係持つくらいなら別に性別なんてどうでもよくない? 気持ちいいか気持ちよくないか、要は体の相性の問題だよ」
「アンタよくそんなんで結婚できたわね」
うん、多分僕が大学生のままだったら結婚とかできなかったんじゃないかな。
小高井金枝が結婚しておいてくれたからこそ、だ。まぁ夫との恋愛経験も娘を産んだ痛みも育てた知識もないから、もうちょっと引き継ぎしっかりしてほしかったな、とか思ったりなんだりはしてるんだけど。
「……はぁ。怒る気失せたわ」
「それはよかった」
「……あと、ありがとね」
「え? 何が?」
へなへなと力が抜けたように椅子に座りなおした千代ちゃんが、うつ伏せ気味に訥々なお礼を言ってくる。
お礼言われるようなことしたっけ僕。
「幸運の気配がしない……って言ってたのに、心配して追っかけてきてくれたんでしょ? 結果からみれば、黒湖はホントに洗脳されてて私も死にかけてた。金枝が黒湖を覚醒させてくれなかったらもしかしたらやばかったかも、って黒湖から聞いてるわ。だから、ありがとね」
「あー……。でも、黒湖さんを起こす役目は千代ちゃんに譲った方がよかったんじゃないかな、とか思ったり」
「何よそれ。アイツが白雪姫なんて器に収まると思う?」
「毒リンゴを魔女にぶつけて殺しそう」
なるほど、そういうことになっていたのか。知らなかった。
僕が起こした、ねぇ。
それはまぁ、なんとも。
要らない評価を押し付けてきてくれたことで。
「そ・れ・で」
「あ、はい」
「柳岡での職が見つかったわけだから……もういいわよね?」
「アハイ」
こうして。
紅守黒湖に多大に惜しまれながらも、僕と紅守黒湖の肉体関係は千切られたのでした。
めでたしめでたし……みたいな。