CEFALÓPODOS -セファロポドス- 作:夜泣かし村
全方位からのワイヤーソー。当然避けることのできないソレを、余すことなく全身で受ける。相手──冷泉藍子は今後それなりの良識を持つキャラクターといえど、現時点では敵対者の殺害に躊躇のない殺人者だ。このまま僕はお陀仏、この鋭い糸に切り刻まれて死ぬのだろう。
僕が幸運でなければ、だ。
ギャリギャリというタイヤの音は聞こえていた。ガガガとボディのこすれる音も聞こえていた。
それでもギリギリ間に合わなかっただろう僕にできることがあるとしたら、そんなものは一つに決まっている。
ただ、待てば良い。さすれば幸運が与えられん。
響いたのは硬質な音だ。何かが折れる音。
それでも、そのたった一本が僕の命を救った。それは間違いないだろう。
折られたソレの先端の方を掴み、背後にいる冷泉藍子へ投げつける。
「何事──」
「金枝さん、また後でね~」
「うん、行けたら行くよ」
爆速。
ブレーキの一切を踏まずに地下鉄の階段を、そして冷泉藍子と僕の上を通り過ぎ、そのまま線路内に入っていく車。No.はオリャーィ。
唐突な事態に糸は緩んでいる。だからスライディングで包囲網からするりと抜けて、降り立つ。
彼女の横に。
「助けてくれてありがとう、凛子ちゃん」
「いえ……私も、お礼をしに来たので」
ああ、なるほど。
あの時のお礼──これで帳尻が合わせられるワケだ。
さぁ共闘と行こうか、と言いたいところだけど。
「凛子ちゃん──」
「はい」
「──任せてもいいかな」
「わかりました」
活躍なんてカの字もしていない。勝手についてきてなんか矢面に立たされて、そしてそのままダウンしただけだ。
だからまぁ、一応。
「強度はダイヤのワイヤーソー。出所は両手首だから、何本もあるように見えて実は二本だけだよ」
「ありがとうございます」
「それと……あと五分くらいしたら」
アレが起こるから。
ちゃんと敵の位置を把握しておくように。
こっそりそれを告げて、線路へと降りる。
「行かせると思って?」
「残念、生き延びるための僕は──」
飛来するワイヤーソー。そのすべてを一切避けずに突っ走る。
道中線路のでこぼこに足を取られ、あるいは失血でふらりふらふらとよろめきながら、けれど無傷で通り抜けることに成功した。あはは、戦うためじゃなければ最大限に幸運なんだ、僕は。
錆浦蘭は追ってこない。凛子ちゃんの戦いを見守るつもりなんだろう。どの道僕があそこに残っていたら二対一になっていたからね、選手交代を引き留めることはないだろう。
もっとも、それなりに満身創痍の僕が走ったって車で爆走していった屠桜ひな子達に追いつけるわけもない。緋垣刀吉郎との戦いに間に合うとは到底思えない。
それじゃあなんで走っているのかって、まぁ。
「……な、なんだ? 女?」
「誰か走ってくるぞ! 第一陣の生き残りか?」
一縷の望み……あるかもしれない可能性を捨てきれないというだけの話。
「みんな! 無理だから、逃げよう!」
人が撃ちたくてこのテロに参加した、とかいう未来のない若者たちに、少しでもの選択肢を──。
「……何をしている」
なんだかなぁ。
悪意の温床にあってこそ輝く僕の幸運体質だけど、その悪意が弱いと、相手がただ不幸に終わるだけなんだよね。
僕が幸運ってことは、周りが不運ってことだ。
下手な技術で僕に銃を撃てば、誤射が起こる。使ったこともないだろうロケット弾なんて使用しようものなら惨事も大きくなる。
これが達人クラスなら話は別なんだけどね。僕に当たって僕が爆発四散する。けどまぁ、この程度じゃあ。
「んー、人助け?」
「そうは見えないが」
死屍累々だった。
血みどろだった。あるいは錆浦蘭が暴れたときよりも。
僕自身はずっと撤退を叫び続けていたけれど──それはまぁ、通らなかったってだけで。
最後の一人は記憶のない桃山照美が殴り倒した。
「小高井、だったか」
「ああ、中国マフィアぶりだね」
「ここで何をしている?」
「だから、人助けだって。っとと、それより早く行かないと」
「どこへだ」
「まだまだいるんだよ、参加者。第三陣ってやつ。うららさんや君に殴られたら、彼らは簡単に死んじゃうからさ。せめて撤退を促してあげないと。踏み出す勇気がないから人の言葉に従っているんだろうし」
言って走り出す。
桜駅のある方へ。
「……俺もついていく」
「え、なんで? 何か目的があって来たんじゃないの?」
「アンタは幸運体質だろう。俺は人を探している。アンタと共にいれば、見つけられるかもしれない」
ちょっと困る。
彼は人間兵器に近い。撤退勧告も降伏勧告も、こっちが無手だから通じるものだ。
「殺しはしないと誓う」
「ん……わかった。迷ってる時間ないし、じゃあ行こうか」
「ああ」
微かな爆発音。奥の方でだ。
ここまで聞こえてくるってことは、Bの爆弾を使ったと見た。もう終幕が近いってことだ。
薙ぐ。
鉄製のネイルに薙がれた弾丸は軌道を逸らし、壁に突き刺さる。背後、発砲した女性に忍び寄る影。何度撃ってもどれだけ撃っても僕に当たらないから随分と業を煮やしているらしく、影に気づく素振りはない。
無いまま、ガツンと殴られ、意識を落とした。
「これで最後か」
「……うん」
「不満そうだな」
「うん……誰一人逃げなかったな、って」
あと少しで桜駅に辿り着く。
ということは、これが最後の陣だったのだろう。だけど。
だけど、誰一人として「逃げよう」という言葉に頷いてくれなかった。
結果、全員に少なくない怪我をさせてしまう結果に。
「……大義に酔った人間を言葉で変えることは至難だ」
「というより、僕が弱いからじゃないかな、って」
「否定はしない」
あるいは錆浦蘭のような。あるいは紅守黒湖のような。
大柄であったり、異質であったり、相手を威嚇するような……怯えさせるような何かが僕にもあれば、平和的解決を望めたんじゃないか、って。
無論、ムルシエラゴにおいてそんな可能性は薬にもしたくない。
「行こうか、最奥に」
「ああ」
行く。
錆浦蘭がいないんだ、屠桜ひな子に向かう釘くらいは防がないとね。
「……何?」
「下がれ」
いた。そこにいた。
緋垣刀吉郎──けど、緋垣刀吉郎だけだ。
紅守黒湖と屠桜ひな子がいない。
負けた……という可能性はゼロにしても、爆発ではぐれた真っ最中にブッキングした?
「お前たちは……」
「緋垣刀吉郎か」
「……如何にも」
ちょっとマズいかも。
今の桃山照美には痛覚が存在しない。痛覚というのは人間の動きを鈍らせる枷でありながら、危険域に達したことを報せる大切なシグナルでもある。
緋垣刀吉郎の攻撃はそのほとんどが暗殺系……特に口から発射される含み針は、そこそこの貫通力を持つ。痛みに気づけない桃山照美では、いつの間にか致命傷を、ということも十分にあり得る。
ここは僕が出るべきか──?
「成程……そちらの女性が、警察で私と対話した者か」
「……そうだね。僕はあなたの目的も知っているし、あなたの戦闘スタイルも知っている」
「ク……ハハ。君のような……裏社会の一切を知らなそうな人間に、私を理解されているというのは、些かつまらないものがあるな」
一歩、前に出る。
水。足元に張っているそれが少しばかり足を取る。
「意識を逸らすなよ」
「逸らしてないよ」
投げられた釘の一本目を避けて、その他は見ずに躱す。別に躱しているわけじゃない、動いたところに丁度釘が来なかったってだけだけどね。
「なんだ、釘?」
「緋垣刀吉郎。その体は老人とは思えない程俊敏だよ。武器は千本。加えて、頭蓋骨くらい簡単に貫けるくらいの威力を持った釘を放ってくる。手から足から、そして口から」
「成程」
僕に紅守黒湖のような攻撃力はない。
たとえ彼女と同じように──原理は違うとはいえ──敵の攻撃を避けられたとしても、緋垣刀吉郎を殺すには至らない。超至近距離にまで接近して首を掻っ切る、なんて隙をこのご老体が見せるとは思えないからだ。
逡巡。
逡巡は、している暇がない。
「殺すな、という誓いは守ろう」
「ううん、いいよ、破って。死ぬまで戦う人だから、殺さないと殺される」
「そうか」
踏み込み。水音の方が遅れてやってくるのはどういう了見か。
気付けば桃山照美の隣にいた緋垣刀吉郎が、その拳を横に振る。握られた釘は桃山照美の側頭部を捉え──。
「痛みがないのは知ってるけど、こればっかりは避けてほしいかな!」
「!」
最後の一本だ。
さっき凛子ちゃんからくすねてきた折れた包丁、その先端。見える。いや、見えるはずのない速度だけど、ありえないことに緋垣の釘が刺さるのが見えた。桃山照美を庇った形であるとはいえ、空中にあるはずの包丁に。
いや、そのまま貫いて。
「おっと」
「……」
バックステップ。緋垣が、だ。
数瞬前に彼がいた場所には桃山照美の拳が。
あと一瞬遅ければ、その拳が緋垣の腹をぶち抜いていたことだろう。
「成程、それなりにやるようだ」
「心配するな。殺される前に殺せばいい。それだけだ」
頭を傾ける。
しゃがむ。
「一点集中型の攻撃と回避特化の頭脳か。中々どうして、良いコンビじゃないか」
「だってさ。僕のとこに来る?」
「いや、うちのボスも……頭脳として優秀だ」
「なんと、即席だったか」
即席って程即席じゃないけど、コンビなんて言われるほどの仲じゃあないのも確かだ。
付き合いはそれなりに長い方だけどね。
それより。
「僕を抱えて限界までバックステップ」
「!」
突然の指示に、けれど桃山照美は従ってくれた。
何事かと釘を投げる緋垣。それを拳で弾いた桃山照美は、だから見るだろう。
A、C、Eとラベリングされた手榴弾──三つのそれが緋垣を取り囲んでいることを。
爆発する──。
「様子見などさせるつもりはないぞ」
「っ、なんで僕!?」
水をもまき上げる爆風から飛び出してきた緋垣。彼が真っ先に狙ったのは、なぜか僕だった。
バックステップの距離が足りなかったために大波に浚われた桃山照美は近くにいない。爆発を起こしたのだろう紅守黒湖も近づけてはいない。屠桜ひな子は──最初からアテにしていない。
つまり、このフツーにラスボスクラスの相手とやりあわなきゃいけないってことだ。
「敵の最も厄介な部分を叩く──兵法の基本だろう」
釘による刺突。
対し斬撃で返す。狙いは腱だ。致命傷足る首じゃなくても、手首の腱を断ち切ってしまえば釘は投げられなくなる。
「ッ」
「ほう、回避特化ではないのか。だが、実力が遥かに足りないな」
「僕はただの一般未亡人だから、ね!」
攻撃に移る隙がない。避けるのに手一杯だ。
幸運がどこに行けばいいのかを教えてくれているからとりあえずの安心はあるけれど、だからと言って安心はできない。冷泉藍子の時も凛子ちゃんが来なかったら死んでたからね、僕。
いや、いや。
ホント。
「何故一般未亡人がこんなところにいるのか──そんな顔をしているね!」
「敵を殺すことのできない非戦闘員が来るべき場所ではないのは事実だろうな」
僕が敵に致命傷を与えるには首を狙う必要がある。
それができないから手首を狙っている。けれどそれもできないとなれば、もう避け続けるしかない。ああもう、緋垣とて本意じゃないだろう。これじゃあ戦って死ぬが果たせない。だったら紅守黒湖や桃山照美を狙えばいいのに、なんだって僕を。
……いや。
だから、勘違いするなってことか。
僕は戦闘者じゃないんだ。こんな達人に戦って勝つなんてできるはずがない。
致命傷を与えようなんて思うな。腱を斬ろうなんて思うな。
僕は一般人。一般未亡人。
ただ幸運なだけの、非戦闘員。
「ふむ、戦いの最中に戦意を失うのは悪手だな──諦めたようには見えないが」
「だから僕は、しゃがむだけでいい」
何の技術もない。
何の攻撃でもない。
ただ勢いよくしゃがんで。
そこに、すべてを"抜く"拳と、刀による斬撃が突き刺さった。
つきましては、病院である。
「テロに巻き込まれて全身裂傷、一部は骨にまで達してる。掠っただけとはいえ銃創も無数にあるし、その他小さい傷は数えきれないほど」
「あはは……その目はなにかな、千代ちゃん」
「助けが必要なら言いなさいって言ったわよね、私」
緋垣刀吉郎は死んだ。
臓物をぶちまけられて、体を分断されて。
即死……のはずだったのに、最後に紅守黒湖といくらかの問答をしてから死んだ。本当に元気なお爺さんだ。
その後、真っ先に倒れたのは僕だった。
冷泉藍子との戦い、テロリストもどき達との戦い、緋垣刀吉郎との戦い。
傷自体は冷泉藍子からのものが最も深く最も多かったけれど、その後に激しい動きをしたのがまずかったね。普通に失血死寸前だったとか。いやぁ幸運幸運。寸前で終わってよかったよ。
で、運び込まれた柳岡総合病院。いつも通りなぜかユリアさんの治療を受けることができて、綺麗さっぱり傷口が無くなったことに喜んでいたのも束の間。
お見舞いに千代ちゃんが来たときは少し心臓止まったよね。ものっそい冷たい目してたから。
「……アンタ、何を知ってるのか、何に関わってるのか知らないけど」
「あはは、そんなに隠し事はないよ。今回のはちょっとやり過ぎたってだけだし」
「少しはおとなしくすること。黒湖に言って、監視付けてもらうから」
「え」
「え、じゃないわよ。友達がテロに巻き込まれて血まみれで搬送された、なんて聞かされたこっちの身にもなりなさい」
……いい子だなぁ。
というか、それが普通の反応か。僕ってば一般未亡人だし。
そうだね。
ちょっといろいろ動き過ぎたかもしれない。どの道ここから先で僕にできることってほとんどないし、お言葉に甘えて大人しくしていよう。
傷を治して、医療事務をして、平和な、平和な日々を。
白玉ロボとか僕の対処できる範疇超えてるし。アレ死人は帯刀進だけだし。
そう、平和な、平和な日々を──。
「──お待ちしておりました。午後十一時ジャスト。定刻通りですね、素晴らしい」
ドアが開き、入ってくるのは──朽葉怜子と、桃山照美と、カオリ。
「あれ? あれ?」
「……あなた、結局本業になったの?」
「先日ぶりだな」
うん、勿論ここにいるのは不本意だよ、僕も。
「本当に来るのですね?」
「うん。だから、迎撃はお願いね」
「報酬分の働きはするわ」
アラーニァ十四話、国家公務員(仮)。クトニア共和国の大統領と家族を護衛する、という任務。
よって殺し屋各位……特に実力を重用された殺し屋に依頼が為され、僕らが集められた。
うん、なぜか僕が。
「異常幸運体質による的中率の高い占い……日本警察も重宝しているとか。期待していますよ」
「ああうん」
まぁそういうことだ。
前回の事前説明会で、僕の知り得るこれから起きること──その全てを話してある。
斑蛇を除いた他の殺し屋、つまり内通者は排除済み。
けれど、どこから現れるかわからない襲撃犯に関しては、その都度対処してもらうしかない。
「アレ?」
「はい。この時間に離着陸予定のあるヘリコプターはありませんので」
「そう」
短い言葉。
それだけで朽葉怜子がヘリコプターを打ち落とす。プロペラの連結部を貫かれたヘリコプターは姿勢制御を失い、そのまま墜落。早めに撃ち落したのでこちらに落ちてくることもない。
「うわぁ、間違ってたらやばじゃない?」
「スコープ越しに機関銃が見えた。アタリね」
さらに荒い音。SPの二人が制圧された音だ。
ただ、いくら事前に言っていたとしても、服毒ばかりは防げない。だからそのまま二人は死んでしまう。
「高確率で的中する占い師……まさか本物だったとは」
「あはは、ただ高確率ってだけだから」
「ええ、警戒は怠りません」
まぁ、これで救われる命があるのなら、安いものだろう。
忘却の"桜"でカオリが出張って来なかったのを見るに、アラーニァでは割と好き放題してもよさそうだし……とか、考えてはいないけれど。
「……今しがた、爆弾の発見、解除に成功したと──」
「運転手に成り代わっていたテロリストを制圧しました!」
「麒麟の間に運ばれたワインから毒物を検出しました」
「明日の会見の参加者から身元確認の取れない者が三名!」
うん。
大丈夫、だよね。
「高確率、ね」
まぁ、副業も時には必要だって話。