ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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アナザーストーリー:ガルフストリームの怪物

 サイレンススズカが走る前に緊張したのは、日本ダービー以来だった。

 自分より速いウマ娘に会ったことがなくて、身体を雁字搦めにするような何かが怖くて。

 

 彼女は、サニーブライアンから逃げた。正確に言えば、逃げることすら許されなかった。

 自分の長所を封じられて、鉛のように固められたのである。

 

 それからは自分の走り方がわからなくなった。実況から『悩める天才』などという不名誉な――――彼女自身はそう呼ばれていることを知りもしなかったが――――呼ばれ方をするほどに低迷した。

 

 そのスランプから救い出してくれたひとは、もう隣にいない。

 異国の地、異国の風。異国の土。二人で踏むはずだったこの地にひとりで降り立ったのは、自分のせいだ。

 

 叶えられて砕け散った自分の夢のカケラで心を傷つけてしまった彼を見て、自分が側にいてもその傷を抉るだけだと気づいて、そう思って、逃げた。 

 彼女には、その自覚がある。

 しかし、それ以外に現状を打破する方法を思いつかないというのもまた確かなことだった。

 

 アメリカ。全コース左回りという、サイレンススズカにとっては有利な土地。しかし、これまでに経験のないダートのコースを走ることになる。

 アメリカのダートは、日本のそれとは大きく異なる。土は乾燥して硬く、ともすれば芝よりもスピードが出るという。

 ダートは、芝より速度が出ない。だからこそ、サイレンススズカは日本では主に芝を走っていた。

 

 だが単純に速度を求めるにあたっては、全コースが得意の左回りで、芝よりも速度が出やすいアメリカのダートで走る方がいい。

 だから、アメリカへの遠征計画が組まれていたのだ。怪我してその計画はやや遅れはしたものの、すっかり治って今に至る。

 

 そう。これは復帰戦なのだ。

 ここで情けない走りをするようなら、あのひとが更に罪悪感を深めてしまう。

 

 自分のせいで、才能に傷をつけてしまったと。二度と治らない傷をつけてしまったと。

 

 トントンと、爪先で乾いた土を叩く。

 脚に不安はない。すっかり、前と同じような具合に戻っている。

 怪我前と同じように走れるはずだ、と。サイレンススズカは思っていた。

 

 ――――走れなければならないと、サイレンススズカは思っていた。

 

 次負けてもいい。次の次に負けてもいい。だが、今負けてはならない。

 やや遅れながらスタートし、乾いた土を踏みしめる。かろうじて影を踏まれることなく、先頭に躍り出る。

 

 そのままなんとか、サイレンススズカは逃げ切った。

 外国のレース場になれていないという経験不足を、勝利への執念で補った形になる。

 

(なんとか、勝てた)

 

 勝ちたい。そう思ったレースは、そう多くはない。彼女は勝つというより、先頭の景色を、速さを求めていた。その結果として勝利があった。

 

 人の為に走るのは、なんと苦しいことか。期待を、夢を、罪を背負って走る。足が重くなり、吸う空気にも粘りがある。

 彼女は考えることを、トレーナーに任せていた。目的も手段も、すべてをトレーナーさんが考えてくれた。ただどう走るかを考えていれば良くて、走ることについて考える必要なんてない。

 

 ひとりで走るということがどういうことであるかを、サイレンススズカはこの時に知った。

 

 何回も、何回も、何回も。

 何回も走って、一年経つ頃にやっと慣れた。

 

 孤独に。そして、何かを背負いながら走る、ということに。

 

 自分の夢を追った結果。追って、砕け散った夢のカケラを隣に立つ人、立ってくれていた人の胸に刺してしまった結果。

 走って、勝つ。走って、勝つ。自分をここまで育ててくれたひとの実力を、才能を、努力を、正しさを証明する。

 

 その繰り返しの果てに、栄光が影のようについてきた。

 彼はどこかで見てくれているのか、どうなのか。見てくれているなら、彼の指導の正しさを証明する証拠の一助にしてほしい。私の栄光を、自己肯定のために使ってほしい。

 見てくれていないなら、それでいい。彼が負ってしまった心の傷は、絶対に治らない。そういう顔を、彼はしていた。ならば忘れてもらう他に痛みを感じなくなるすべがない。

 

 究極の速度、新たな地平に立って、静寂と孤独を得た。静かな世界に至り、速度を極めることとは究極の個になることで、究極の個になるということは孤独になるということ。

 

 ペンダントの中の写真を見て、どうか彼の傷が癒えてくれるように祈る。無理だとわかっていても、そう祈る。

 会いたい。そう思っても、自分が現れることによって、顔を見せることによって、傷からまた血が流れ出すかもしれない。

 

 だから、彼女は日本に帰らなかった。

 初年度は11戦走り11勝、合計27バ身。アメリカ版年度代表ウマ娘――――エクリプス賞を獲て、そのままアメリカで、一年を終えた。

 

 2年目。全陣営が、サイレンススズカへの対策を構じてくる。それらの対策すべてを、サイレンススズカは正面から迎え撃ち噛み砕いた。

 12戦走って12勝。合計着差は39バ身。2年連続2回目のエクリプス賞。

 

 あまりにも、あまりにも強い。最初から先頭、最後も先頭。単純明快に、豪快に。

 しかし豪快という形容をするにはあまりにも儚く、そしてなによりも疾くサイレンススズカは走った。

 

 アメリカのトゥインクルシリーズでは、ドーピングやらサイン盗みやらが横行している。

 

 隣を走っている娘が、実は筋力増強やら何やの薬を使っていたらしい。

 隣で走っていた娘は、他人のトレーナーから伝達されるサインを解析して先読みしていたらしい。

 

 無論そんな中で勝ち続ける彼女も、2年目になると結構な頻度で検査を受けた。

 だが、彼女からそういった類いの物は検出されなかった。そして彼女には、サインを盗むという発想がそもそも存在しなかった。良くも悪くも、彼女は自分が走るときは自分と、遠く日本にいる人のことしか考えていないのである。

 

 これに対してほとんどの人間は快哉を叫んだ。

 

 金銭やら、闘争本能やら、誇りやら。

 そう言ったものをかけて、剣山の上で走るような心理状況でウマ娘たちは走る。

 クリーンであろうとしても、努力で打ち破れない壁を目の前にしたとき。他のウマ娘にあって、自分にはない何かを見つけてしまったとき。

 その壁を越えるためのものがすぐ側にあって、その上で使わないと判断できるほどの心の強さを、誰もが持ち合わせているわけではない。

 

 だが、サイレンススズカはそういった類いのものとは無縁だった。常に走り、練習し、休み、寝て、映像を見て研究し、レースの前では誰かに祈ったり、入念に事前準備をしたりする。

 あまりにも、あまりにも静かでストイックなその姿。レースに出ればまさしく無敵の豪快な勝ちっぷり。

 

 そのギャップに、鮮烈な閃光の如き速さに。異国からの来訪者であることなど忘れて、アメリカのトゥインクルシリーズのファンは夢中になった。

 それは彼女の容姿、性格、性質、実力があってこそのものだったが、なによりも受け答えが卑屈なほどに謙虚で、私生活がクリーンだったことが大きい。

 

 彼女が起こしたスキャンダルといえば、借りた部屋の床を謎の円運動ですり減らしたりとか、突発的に走り出して道の一部を破壊したりとかそういうもので、謂わばそれは子供の――――自分の力を制御できない小さいウマ娘がよくやらかす、そういう可愛げのあるものだった。

 

 彼女がすり減らした部屋は今や半ば観光名所化しつつあり、破壊した道は自分で弁済する。

 天才だから仕方ない。むしろ、あれだけの才能がありながら走ることしか求めないなら、合わせられなかったこちらも悪い。

 

 この上なく偉大なウマ娘に、天才に合わせるべきだ。

 

 そういう寛容さで、アメリカのトゥインクルシリーズファンたちはサイレンススズカという異才を受け入れた。

 無論排他的な――――国内のウマ娘たちがボコボコにされてレベルが低下するからある程度規制すべきだという意見もあったが、それは『弱いのが悪い』というあまりにも直截的なファンの怒りで蹴散らされた。

 

 3年目。サイレンススズカにとってアメリカでは最後になる年に、彼女は伝説になった。

 2年目までで加速の極みに到達した彼女は、より楽に、より負荷をかけず勝つ方法に気づいたのである。

 

 普段の、普通の彼女であれば到達し得なかった地平に――――自分以外の誰かのために走るという意識を得て、何かを背負うことの重さを知ったからか。あるいは、覚悟が決まったからか。

 サイレンススズカは、彼女らしくなく考えた。万が一にも、怪我をするわけにはいかなかったから。万が一にも、負けるわけにはいかなかったから。

 そして彼女は、最強を得た。

 アメリカでの最後の年、最後のレースで、疑うことのない最強を。

 

 自分は、加速の限界にいる。そしてこの限界を超えると、怪我をしてしまう。

 ならば、世界そのものを加速させればいい。もっと言えば、レース場の時の流れを支配してしまえばいい。そしてその方法は、既に掌中にある。

 年明け初戦を8バ身の圧勝で飾り、14戦走って14勝。合計着差は不明。

 

 

 そして置土産がわりに残したブリーダーズカップ・クラシックでの、9バ身差の衝撃。

 

 

 後ろを突き放す。影すら踏ませない。完膚なきまでに叩きのめす。

 逃げるとは、こういうことだ。勝つための理想型とは、これだ。

 

 ――――あの怪物には日本に帰ってほしい。

 

 それはある種の皮肉と羨望であり、『相手にすれば勝ち目がない』という掛け値なしの称賛だった。

 そう言われた彼女は、ある種の結論をアメリカのトゥインクルシリーズに突きつけてフランスへ移った。

 

 メジロマックイーンの応援する球団のファンが外国人打者にかつての偉大な三冠王の影を見るように、俊足の日本人打者に赤い彗星の幻影を見るように。

 そしてそれらの呪いが30年近く経過した今も続いているように、アメリカのトゥインクルシリーズのファンたちは逃げウマ娘たちにサイレンススズカの幻影を見続けることになる。

 

 そんなことは知らんとばかりに――――現に彼女は知ったこっちゃなかったし、知らなかった――――フランスへ移ったサイレンススズカの目指すものは、凱旋門。

 もう、やれることはやった。3年連続3回目のエクリプス賞。なら、次は。

 

 そんな思考で、サイレンススズカは更に進む。彼が彼自身のことを許すまで。自分のことを忘れるまで。彼の傷が癒えるまで。

 

 それを果たして、どう確認するのか。

 許せましたか、と。忘れましたか、と。癒えましたか、と。そんなことを訊けるはずもないのに、彼女は終わりなき道を進む。

 

 その道の先に、誰が立ちはだかろうとも。

 

 ――――貴女が良ければ、空港に来てほしい

 

 貴女という他人行儀さにちょっと安堵したり傷ついたり左回りにぐるぐるしたりして、空港に着いたり空港から逃げたり、来てからも左回りにぐるぐるしたり。

 

 左回りにぐるぐるしながら空港の出口に向かうところで、聴き慣れた足音がしてサイレンススズカはそちらの方を向いた。

 

「おひさしぶりです、トレーナーさん」

 

「……ああ。ひさしぶり」

 

 懐かしさ、嬉しさ、愛おしさ、そしてなによりも罪悪感。それらが一気にこみ上げてきて泣きそうになる。

 隣に立つウマ娘――――彼の心を救うか、補綴してくれたであろう彼女に軽く頭を下げてから、サイレンススズカは駆け出した。

 

 失礼します、と。

 そんな言葉だけを、虚空に残して。




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