ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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サイドストーリー:ふたりだけの

 まるで妻に逃げられた夫のようだと、ミホノブルボンは思った。

 

 どこかそわそわしている。

 そんなマスターとお手てをつないで、ミホノブルボンはフランスの地に降り立った。

 

 左手で手を繋ぎ、尻尾でキャリーバッグを引きずる。

 

 ――――転んだときに手を突けるように、片手は空けておけよ

 

 そう言われてから、ミホノブルボンは極力利き手を空けるようにしていた。

 

 そこで、出会った。自分と同じ、栗毛のウマ娘と。

 同じ栗毛でも、随分色が違う。色が濃く艶のあるミホノブルボンのそれとは違い、視線の先でしきりに左回転しているウマ娘のそれは色が薄く、どちらかと言えば橙に近い。

 

(綺麗な人)

 

 素直に、そう思った。手も脚も細く長く、無駄な筋肉も贅肉もない、すらりとしたモデル体型。

 深窓の令嬢といった雰囲気のある彼女は、ガラスのような儚さとうちに秘めていた熱いものを完璧な比率で同化させている。

 

「マスター」

 

 くいくいと繋いだ左手を引き、空いた右手で指をさす。

 気づいた彼が一歩踏み出した瞬間、左回転が生み出す天文学的遠心力に弾かれたような具合に、栗毛のウマ娘はこちらを向いた。

 

 いや、違う。

 

 ミホノブルボンは、すぐさま自分の認識の誤りを認めた。

 彼女が見ているのは、マスターだけ。東条隼瀬という芦毛の青年だけ。隣にいる自分には、文字通り目もくれていない。

 

「おひさしぶりです、トレーナーさん」

 

「……ああ。ひさしぶり」

 

 沈黙。

 いっそこれはもう、絶技なのではないか。そう思う程の沈黙。互いの目には、互いのことしか映っていない。なのにまったくもって会話が進まない。

 

 利口な犬のようなところがあるミホノブルボンは、自己の存在を完全に無視されていることを理解し、かつ受け入れていた。仕方ない。ここは空気になろう、と。

 

『空気であるとも言えるし、そうでもないとも言えるわけですね』

 

 こいつ、根絶したはずでは――――

 

 そんな戦慄に近い感覚が、ミホノブルボンの頭を射抜いた。

 

『根絶したとも言えるし、そうでもないとも言えますね』

 

 そう。ヤツの名はブルツー。バージョンは8。先代がジャパンカップで粛清されてからというもの、鳴りを潜めていたミホノブルボンのバックアッププログラムである。

 基本的にマスターよろしく単純化厨な彼女は、余計なことを考えて体力を消耗しないため、知識をジャンル分けして個別に管理するプログラムを作り、それらを横に繋いでプログラム・アドバンスとして運用していた。

 

 それが唐突に自我を持ったのが、ブルツーである。その自我をこれまで取り上げていたわけだが、どういうわけか蘇ったらしい。

 

『マスターの過去ログは参照しました。あのふたり……一筋縄では行かないようです』

 

 それは、見たらわかる。

 

『決裂とは立ち去ることであり、和解というのは歩み寄ることです。どちらも一歩引くタイプですから、あのままでは和解は成立しません』

 

 そうだろうか、と。ミホノブルボンは思った。

 確かにマスターはあれで臆病というか控えめなところがあるが、案外大胆なところもある。人格というものを一言で定義できないように、その予測も当たらないという可能性が高い。

 

『私のハイテックー頭脳が導き出すに、マスターブルボン。あなたの無神経さがあのふたりの絡まった人間関係を解きほぐす為の刃になるでしょう』

 

 それを言うならば、鍵ではないのですか。

 

『あなたに鍵を使いこなせる知能があるとは思えま』

 

 あー、と。

 8回目の消滅を迎えたプログラム・アドバンスことブルツーのことをきれいさっぱり忘れた。

 やはり人間関係というのは、当人同士で解決するのが一番である。

 

 たとえそれがたっぷり538秒間の沈黙の後に『失礼します』と言われて終わったとしても。

 尊敬し、そして無自覚に愛しているマスターが妻に逃げられた情けない夫のように手を伸ばし、力なく肩を落としても。

 

「さすがに見事な逃げっぷりですね」

 

「ああ……」

 

「対人能力に著しい不調を抱える私が言うのもおかしな話ですが、マスター。何かしら話した方がよかったのでは」

 

「ああ……」

 

 マスターがこわれちゃった。

 まあいずれ治るだろうしそれはそれとして、ここは立ち尽くしていい場所でもない。

 

「マスター。あちらに都合よくふかふかの椅子があります。背もたれはありませんが、ひとまず腰を落ち着けることを提案します」

 

「ああ……」

 

「では、行きましょう。私が先導します。よろしいですか?」

 

「ああ……」

 

 はい。いえ。マスター。

 基本的にこの3種で会話を成立させることができるミホノブルボンよりも更に貧困な語彙。

 

 その突発性語彙貧困症から立ち直ったのは、871秒後のことだった。

 

「……ルドルフに、着いたよ連絡を送らねば」

 

 着いたよという連絡ではなく、着いたよ連絡。カエルコールみたいなものだと解釈して、ミホノブルボンは黙ってパタパタ尻尾を振っていた。

 

 そしてその更に29秒後。

 

「情けない姿を見せたな。我ながら情けないことだ」

 

「マスター。完了形で言うには早すぎる気もします」

 

 一文に2回同じ言葉を使っているあたり、完璧に精神的ショックから立ち直っているとは言い難い。

 

「そうかな」

 

「そうです」

 

 そうかも知れない……と軽く押されてしまうあたりに、彼の極めて深刻な知能の劣化が窺い知れる。

 

「それにしても、マスター。私はサイレンススズカさんのことについて個人的に調べてみました」

 

「ほお」

 

「当人がどう思っているかは窺い知れませんが、彼女のライバルを名乗るウマ娘たちがインタビューに答えていました。彼女はレースを加速させると。終盤となると加速し切り、付いていくのがやっとの世界で彼女だけが自在に動けたと。私は今のところ、この謎の現象を解析できていません。マスターはどう思われますか?」

 

「別にそんなものは大して恐ろしいものでもない。お前は自分だけを見つめて走ればそれでいい」

 

 世界を加速させる領域への対策が、それだけでいいのだろうか。

 8割くらいは彼の言葉を信じつつもどうしても頭から離れない、アメリカのウマ娘たちの悲壮な表情。

 

 それはなによりも歯牙にもかけられていないことに対してのものだったが、ミホノブルボンとしてはそれらを察し切ることはできなかった。

 ミホノブルボンは単純に、彼女らはサイレンススズカという現在世界最強であろうウマ娘の実力を畏怖していると思っていたのである。

 

「お前、それに近いことをしているだろう。何を恐れる」

 

 その畏れを見抜いたのか、彼には珍しく一度言った言葉に追記・修正を加えた。

 それに近いことを、と。そう聴いて閃き、思う。このひとはいつから、サイレンススズカと言うウマ娘を止めることを、そしてその止めるすべが彼女に純粋なレースで勝つこと以外ないとわかっていたのだろうか、と。

 

「そういうことですか」

 

「そういうことだ。それよりも……」

 

「はい」

 

「この際はそれをやれる実力こそが脅威だ」

 

 頭を使った策を仕掛けてくれば、いくらでも対応できるしそれを逆手に取って嵌め殺すこともできる。

 

 真に恐るべきは、そんなものに頼らなくとも勝てる者。それはつまり、本来のシンボリルドルフであり、本来のサイレンススズカである。

 

「そのあたりは私が受け持ちます」

 

「ああ。実に無責任なことを言うが、期待している」

 

 その知恵が切れ味を取り戻しはじめたところで、立ち上がった彼を下から見つめてミホノブルボンは問うた。

 

「このあとは、どうしますか」

 

「今日は休み、そしてフォワ賞までは走ることになる。まあ一応札幌で脚を慣らしていたとは言え、それも所詮はジェネリック洋芝だからな」

 

「それで負けていたのでは、笑い話にもなりません」

 

 ライスシャワー、トウカイテイオー、メジロマックイーン、そしてシンボリルドルフ。

 実力で負けるならばともかく、事前準備の不足で負けるなどこれまで勝ってきた相手に申し訳が立たない。

 

「その通り。笑える勝ち方ならともかく、笑える負け方などごめんこうむる。ただでさえ負ける公算の方が大きい以上、やれることはやるべきだ」

 

「まあ、負ける公算が大きいのは今にはじまったものでもありませんが」

 

「そうだな。悲しいことに世間一般が言う程、我々は楽に勝っていたわけでもないし圧倒していたわけでもない」

 

 逃げと言う戦法の特性上、そう見える。それだけのことである。

 経過を見れば圧倒と言うよりも苦戦に近く、結果を見ても楽勝と言うよりも辛勝に近い。

 

「虚像が実像に近ければ、マスターはもう少し楽をできていたはずです」

 

 東条隼瀬は、ウマ娘のスペックを高めることに秀でている。そしてそのゴリ押しで勝っている。事前の駆け引きも、現場の駆け引きも不得手である。

 

 彼が自ら策の中身を開示しなかったおかげで、そういう言説が最近主流になりつつある。

 

「それは全くその通り。だが虚像から遠ざかるのではなく、一歩一歩虚像に近づいているのだから、その努力は褒められるべきだろうな。お前はそうは思わないか?」

 

「自分のことを高らかに褒めたたえるには、現状の満足が必要です。私の心は、その要件を満たしていません」

 

「それはいいことだ。それに、そういった虚像は利用しがいがあるからな」

 

 アメリカから来たらしいやかましい団体客の群れに目をやりながら、ため息をつく。

 

「どうも、話すには向かないな。さっさとホテルに行こうか」

 

「はい」

 

 札幌に居た時と、似たような気候。だが全てが同じというわけでもない。

 気候や環境の変化に敏感なところがあるウマ娘にはめずらしい鈍感さでそれらの微細な違いを無視しつつ、ミホノブルボンはフランスへの第一歩を印した。

 

「今更になるが、ブルボンという名は不吉だな。別に王朝を築いた記憶もないが、革命でも起こされそうじゃないか」

 

「ミホノボルボンでも、ミホノバーボンでも構いませんよ」

 

 名前を間違えられてやる気が下がりそうだからやめておく。

 他言語での発音をそれなりにうまくやっているミホノバー……ブルボンの頭をくしゃくしゃと撫でながら、東条隼瀬はそんなことを思った。




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