ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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Q:スズカさんの領域何個?
A:3個


サイドストーリー:到達者

「このレースは」

 

 観光案内人のような口調で、東条隼瀬は喋った。

 

「ウイニングライブというものが存在しなかったときは、お前が勝ったフォワ賞と同日に行われていたようだ。だが同じレース場、同じライブ会場で1日に2度行うというのは」

 

「時間が厳しく、効率の無駄、ということですか」

 

「そうだ。集客力のない地方だと1日に2回のレースとライブを組むのは珍しくないが、これはGⅠだからな」

 

 フォワ賞も凱旋門賞の前哨戦としてそれなりの注目度があり集客力がある。

 森の中をくり抜いてできたようなレース場の空気はよく、日本にはない雰囲気があった。

 

「ゲートに入ったか」

 

 1枠1番1番人気。どこかで見たような並びに目を細め、空を見る。

 日にちがやけに近いこともあってか、脳裏には嫌なものが思い出された。

 

 周りの騒がしさと隣で尻尾をゆっくりと振るミホノブルボンの存在をまるきり無視しながら、男はやや持ち直した空を見ている。

 バ場はそれでもやや重めだが、充分に良バ場と言えるのではないだろうか。

 

「来てくださったんですね」

 

 ささやくような、霧のような声がした。

 隣で座るブルボンの指で袖が引っ張られ、迫る危機を知らせてくる。

 ざわめきが、より一層勢いを増す。

 

「スズカ……」

 

「トレーナーさん」

 

 相も変わらず儚げな雰囲気をまとった彼女は、走ることしか意識を向けていないようなある種の狂気的な一途さを孕んだ翡翠の瞳を向けていた。

 

「今日も、勝ちますから。見ていてください」

 

「それは」

 

 一瞬、黙る。訊いていいものか、悪いものか。第一その資格が、自分にはあるのか。

 そんな思考がよぎり、煮えたぎるような感情を覆って、そして消えた。

 

「お前のためにか」

 

「……いいえ。これからは、誰の為にでもなく」

 

 栗毛を風に靡かせながら、身を翻す。

 ゲートの下からぬるっと脱走してきたらしい彼女が職員に連行されていくのを見送りながら、鋼鉄の瞳を一度瞑目して開く。

 

「必要なようだな」

 

「やはりマスターも、そう思われますか」

 

「……ああ。君のリプレイは優れた精度を持っていたが、本人の雰囲気を完全に再現できていたかといえば、そうではなかった。だからわからなかった、が」

 

 目的がすでに達成されている。それでも、止まれない。ゴールを失ったと自覚したからこそ、なおさら。

 

「ブルボン」

 

「はい」

 

「見よう」

 

 無言で頷く。大外にポツンと設置されたゲートにサイレンススズカが半ば収監されるように入り、扉が閉まる。

 

 バン、と。硬質のゲートが弾かれるように開く。ファンファーレのない出走は無骨で、唐突で、更に加えるならばまさしく、闘争心同士の殴り合い、本能のぶつかり合い、競争の開始という印象を与える音だった。

 

(速い)

 

 外に開く扉とほぼ同時に、右脚が外に出ている。大外枠に回されてもなんのその。やることは変わらない。そう言わんばかりの、見事なスタート。

 サイレンススズカを見つめるひとりのウマ娘は、そのスタートの見事さに感嘆した。そしてその感嘆はすぐさま緊張と迎撃に向けて引き締められ、硬質化する。

 

(……逃げと相対するには、気を張るのが早い)

 

 ミホノブルボンは、そう思った。

 

 開幕からハナを奪われることを阻止しようとしているのならば、彼女はもっと前に出ていかなければならない。だが、そんな素振りは影もない。

 明らかにサイレンススズカを注視している彼女は、それなりの交戦経験があるはずである。ならばこそ、行動と表情の齟齬がひどい。

 

 彼女のことを、ミホノブルボンはジャパンカップで見たことがある。自分の行った中途半端な逃げ差しを見抜き、そして対策を完成させていたウマ娘。辛くも勝ったものの、それは彼女に運が向かなかっただけであり、その手腕に疑いはない。

 

(なぜ)

 

 その疑問が氷解したのは、0.8秒後のことだった。もっとも氷解というよりも、圧倒的な暴威によって消し飛ばされたという方が表現としては正しい。

 

「譲りません」

 

 一歩ごと、内枠の有利を利用して先頭へと躍り出たウマ娘に迫る。観戦者たるサイボーグウマ娘のような、肉体の頑健さを利用した0から100への加速ではない。

 あくまでも身体に配慮した0から80への加速。

 

「誰にも――――」

 

 言葉に、熱意も気合もない。静かで淡々とした、目の前にある自分の物をひょいと掴むような、所有権を改めて主張するような気負いのなさ。

 

 一歩。いや、半歩。

 正当な持ち主のもとに返ってきた、先頭でこそ見ることのできる世界を抱きしめながら、サイレンススズカは微笑んだ。

 

 色彩が、ズレる。

 緑生い茂る森に覆われたロンシャンレース場が、枯葉剤でも撒かれたかのように赤茶け、生命がその色を無くす。

 

 その広域さをほんの一瞬だけ保持して、その世界は瞬時に縮んだ。

 

「これは……」

 

 領域なのだろうか。

 あまりにも異質なそれを感じ取って、ミホノブルボンは首を傾げた。

 流石に映像を見て、領域を感じ取ることはできない。だがその場に居合わせれば、観戦者であっても感じ取ることはできる。

 

 それは無論素質のあるもの、ごく一部の選ばれしウマ娘たち、領域構築者だけに限ったことではある。だがそのごく一部に、ミホノブルボンは努力だけで踏み入った。

 そしてそのミホノブルボンから見て、サイレンススズカの広げた領域は瞬時に広がり一瞬で消えた。より正しく表現するならば収縮したわけだが、その表現の間には咎められるほどの距離があるとも思えない。

 

 サイレンススズカの領域は発動された。しかし、その効力を発揮する間もなく消えた。

 

 少なくとも、ミホノブルボンはそう判断した。

 

 サイレンススズカがゆっくりと、そして迅速に斜行して内に食い込み、すぐさま逃げウマ娘にとって最も有利なコースを取る。

 取ったコースを邪魔する者は、いない。しかし後ろから徐々に、徐々に。他のウマ娘たちが高速で迫ってくる。

 

 追う。追う。サイレンススズカを追う。

 追わなければ、負けるから。彼女には逃げウマ娘特有の、終盤の失速がない。故にいつもの逃げウマ娘を相手にするようにしたら、まず逃げ切られてしまう。

 故にサイレンススズカが逃げ、他11人は追う。それも一般的な逃げウマ娘を相手にするように序盤から放っておくのではなく、それなりに本気を出して走る。

 

 必然として、レースのペースは通常のそれよりも加速した。

 サイレンススズカが走るだけで、後ろを走るウマ娘たちのペースは崩される。

 

 彼女がレースを加速させるというのはそのあたりか、と。ミホノブルボンは納得した。

 これは、どうにもならない。彼女はペースを遅くするということをしたが、それはあくまでも技術的なもの。気づけさえすれば、単純な力量で覆すことができた。

 

 しかしこれは単純な力技なだけに、地力で勝らないことにはどうにもならない。

 

 レースのペースは、加速していく。サイレンススズカは一定の速度で走っているわけではない。少しずつ、少しずつ加速していく。

 トゥインクルシリーズの本場、フランスのGⅠである。出走する他のウマ娘も一流と言っていい実力の持ち主であり、それに気づく。

 

 加速に釣られる。どのみち釣られなければ、差し切れる位置に居続けられない。釣られないということは、仕掛けないということ。仕掛けないということは、負けるということである。

 トライアルレースであれば、入着のみを目指すこともある。手の内を晒さずに本番に繋げるというのは、立派な戦術のひとつである。

 

 だが、ここはGⅠ。入着のみを目的にするウマ娘はいない。入着のみを目的にする意味もない。

 

 ――――少しはこちらを見ろ!

 

 悪態をつきたくなるような単騎行だった。サイレンススズカの辞書には、駆け引きもけん制も存在しない。そんなまどろっこしいことを考えてすらいない。自分の物であるハナを取って、走るだけ。勝利は影のように、あとからついてくる。

 

 彼女に相対するには、圧倒的なスペックがいる。ジェット機にプロペラ機が勝てないように、そもそも土俵に立つための地力がいる。

 

 最高峰と言っていいこの場においてもそれを備えるのは、たったひとりだけだった。

 遥々辺境の日本くんだりまでやってきて、サイレンススズカの息吹を感じて帰っていった、アメリカのウマ娘。

 

 2400メートルの半ばに来たあたりで、彼女はそろそろだと察知した。

 序盤から少しずつ、少しずつ。避けることも相手をしないことも許さない、サイレンススズカの理不尽な二択。圧倒的なカタログスペックを完璧に活かした、駆け引き封じ。

 

 ここらで仕掛けなければ、取り返しがつかなくなる。

 

(あいつの領域はひとつだけ)

 

 開幕から自身を加速させる。そのことによって、レース自身を牽引して世界そのものを加速させる。その単純な、そして使いこなせなければ自分のスタミナをも劇的な損耗に引きずり込むそれを、極めている。

 前半戦としては異常とも言えるペース、全く未経験の加速世界の迅速さに呑み込まれ、既に幾人かはそのスタミナの底を覗かせつつあった。

 

(何故そんなものに目覚めたのかは、想像がつく)

 

 シンボリルドルフ、サイレンススズカ、そしてミホノブルボン。

 例の芦毛のやつが関わったウマ娘は、基本的にその能力が限界にまで鍛え上げられている。

 

 圧倒的な能力差を活かした、戦略的優位を用意する。詭計奇策は用いないが、それらをも凌駕した物量で押し流す究極の脳筋作成者。

 それが東条隼瀬という男であろうと、彼女は予測していた。

 

 如何にも生来理知的そうなシンボリルドルフにはその戦略的優位性を十全に活かす傑出した頭脳があった。

 これまた透き通るような明哲な知恵を持っていそうなサイレンススズカには細かいことはやらないが、自分の優位を認識し、保持し、理不尽な二択を仕掛けてくることで相手全てを引き潰すという単純にして無敵の戦術を発想する思考の余白があった。

 

 ミホノブルボンは、サイレンススズカのノウハウの流用であろう。

 

 つまりサイレンススズカがああなったのは、信じているからだ。生来の自分と、おそらくは無上の信頼を置いているであろうトレーナーと作り上げた自分を。

 

 だから自分が潰れる前に相手を潰すチキンレースのような領域に目覚めたし、それを使いこなせるのだと。

 

(ならば……)

 

 身を潜める。仕掛けるには適切なタイミングであっても、今は必殺の一撃を喰らわせるには早すぎる。

 

 急いたウマ娘たちが必死に領域を広げようとして霧散していくのを横目に見て、待って、待って、待つ。

 

 そして、他のウマ娘たちの影に潜み、風を受けてもらい、スタミナを温存していた身体を外に振れさせ、彼女は一気に対サイレンススズカ統一戦線の最前線へと躍り出た。

 

(美しい。本当に)

 

 ウマ娘には、二面性がある。競技者としての面と、アイドル的な面が。

 故に勝負服にはたいてい、どちらかにより過ぎないように細心の注意が払われたデザインがされている。だがサイレンススズカの勝負服は、あくまでも競技者としての面に終始したデザインをしていた。

 

 走ることしか考えていない。流線型を思わせる理想的なフォームで、サイレンススズカは滑らかに大地と空の狭間を駆ける。

 

 そのあまりにも一途で、故に他のウマ娘など相手にしないというあまりにも極端すぎる姿勢を、彼女は心から美しく思った。

 たとえ自分の生まれ故郷のアメリカを、その誇りたるトゥインクルシリーズを、彼女が支配しようとも。

 

 ――――サイレンススズカを倒せ! サイレンススズカを倒せ! サイレンススズカを倒せ!

 

 日本で言えばリギルに当たるチームのトレーナーは、個人の圧倒的な力に支配された中でそう絶叫した。せめて、一回でもいいから土をつけろと。

 

 これが単なるウマ娘であれば、こうはならなかった。しかし、あの異次元の逃亡者は『サイレンス』の名を持っていた。それはアメリカで生まれて活躍しても認められず、そして日本へ去っていったウマ娘の名だった。

 

 その血と命を、名を。彼女は継いでいた。

 

 見た目の問題で忌まれ、日本に去っていった娘に意趣返しとばかりにボコボコにされて、悔しくないのか。

 お前らもアメリカのウマ娘ならば、正々堂々と力で打倒してみろ。

 あまりにも絶対的な跳梁を許すな。

 3年連続3回目のエクリプス賞を取られた挙げ句に『飽きた』とばかりに帰られたとあらば、アメリカのトゥインクルシリーズのレベルが疑われる。

 

 本人的には正当な実力を示すには3年はいるという意識があったからなのだが、たいていの人間はこれを『自分たちが不甲斐ないからだ』と受け取った。

 相手にならない、ライバルのひとりもいやしない。そんな専制を許したのは、自分たちの指導力不足だと。

 

 そしてウマ娘たちも、自分たちの実力のなさを呪った。呪い、立ち上がり、強くあらんと努力をした。

 

 だが、サイレンススズカは誰にも倒せなかった。影を踏むことすらできなかった。

 

 だから、というわけではない。アメリカの誇りとか、意地とか、そういうものを他所に、彼女はサイレンススズカに勝ちたいのだ。

 

(猛禽なら猛禽らしく――――)

 

 迫る。距離を詰める。

 その領域を構築する為には長ったらしい条件も、駆け引きもない。

 

(――――籠に囚われていな!)

 

 単純な、サイレンススズカの脚を止めることに特化した領域が放たれた。

 それは、鎖。大地と空の狭間を駆ける彼女を地表に縫い付けるためのもの。本来ならばゆっくりと対象に絡みつくはずのそれは、極めて迅速にサイレンススズカの脚を捕えて減速を強いる。

 

 ちらりと、汚れを拒む清い湖水を思わせるエメラルドグリーンの瞳が彼女を捉えた。

 

(そうだ。私を……私を見ろ!)

 

 その念は通じず、知らぬとばかりに彼女は先頭へ、先頭へ、そしてその先へと駆けていく。

 サイレンススズカ。影すら踏ませぬ逃亡者。その影へ一歩を踏み出した瞬間、白銀の鎖に錆が湧く。

 

 急速に錆が増殖し、銀の鎖を風に吹かれれば粉と消えるかのような弱さにまで腐食させる。

 引きちぎられるまでにゼロコンマ何秒。おそらくは、半秒もない。

 だがその一瞬未満の停滞こそが、彼女の望みだった。

 

 消え去り霧散した鎖に代わる二の矢となる荒涼とした領域を広げ、赤く大きな太陽に照らされた荒野に濃く写し出された影を踏む。

 積もりはじめた新雪のように、誰にも踏み荒らされなかったサイレンススズカの影が、蹄鉄によって凹み、荒らされていく。

 

(よし、このまま――――)

 

 あと、数百メートル。

 他のウマ娘たちは疲れ果て、下がりつつある。こうなるとサイレンススズカの思うつぼである。自分のペースに巻き込み、疲弊させ、楽に勝つ。これが、単純な実力由来の力技。

 

 そうはさせないために、単純な実力の底上げと新たな領域の開発をした。

 サイレンススズカに勝つためだけに、魂を磨き上げた。

 

 勝負するための、土俵に立った。

 

 その瞬間、荒野に日が陰る。

 陰り、昇り、陰り、昇り、そして、落ちる。

 

 全てを使い果たしたように砕け散る領域の廃墟の中を、サイレンススズカだけが駆けていった。

 

(……あの人、どこかで見たような)

 

 ゴール板を駆け抜け、大きく息を吸って吐く。

 そんな疑問は霧散して、見慣れた先頭の景色が瞼の裏に消えた。

 

「トレーナーさん。私」

 

 ――――強くなりました

 

 その言葉に異論を唱えられる者は、誰もいない。これまでの実績と今得た栄光。そしてなによりも、これからの栄光が、サイレンススズカを照らしていた。




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