ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート 作:ルルマンド
あと、この話を読み終わったあと、ぜひデルトラクエストのed『ユビキリゲンマン』をフルで聴いてほしい。それがこの作品の個人的なエンディングテーマです。
茨城県のやや辺鄙な田舎。
穏やかさとおおらかさが窺い知れる起伏に富んだ路を走破しながら、青い車がウマ娘の形をしたカーナビの指示に従いながら目的地へと進む。
「前方24メートルを右折です。マスター」
言葉と共に指がさされるたびに、突き指するんじゃないかとヒヤヒヤする。それほどの揺れに耐えながら、東条隼瀬は言われた通り右折した。
尻が浮くほどの原初のままの坂を越えて、タイヤで水を吸い込むための金属の網を踏む。
盛大な金属音と共に、グレーチングを浮かせながら久方ぶりにアスファルトを踏み、そして着いた。
「安全運転がモットーだったのだがな」
「実際マシな方だと思いますが……いえ。マシで満足できるならば、マスターはもっと器用に生きられていますね」
「言っている途中で対話相手の人格的特徴のリバイバルに成功したようで何よりだ」
電車で行こうか、と。
そう誘って、見事に断られた。ミホノブルボンとしては、車がよかったらしい。まあ思い返してみれば1回目の夏合宿のときもそうだった。車が好きなのか、あるいは人混みが嫌いなのか。
どちらにしても、充分理解を示せる理由である。
「ブルボン、おかえり」
「ただいま帰りました。お父さん。こちら、マスターです」
「隼瀬くんも。時間通りだね」
「お久しぶりです」
自分のマスターが深々と頭を下げたのを見て、ミホノブルボンはやや驚いた。
「まあ、上がってください。ブルボンも、おいで」
そう言って、趣と温かみのある古民家――――バルコニーがついているそれに入っていくやや小さめの体躯を見送って、ミホノブルボンは隣を見上げて話しかけた。
「面識がお有りでしたか」
「3回な」
「3回」
「契約すると決めたとき。クラシック三冠を取ったとき。あとは、海外遠征に向かう前。挨拶、報告、交渉と、それぞれ訪ねた意味は違うがな」
ずいぶん熱心な人だ。
心の中でこれ以上上げようがない彼への評価を底上げして、ミホノブルボンは素直な感想をポロリとこぼした。
「意外でした。マスターはお忙しいですし、電話のみであったかと」
「お前、俺を非常識人間だと思ってるんじゃないか? 娘の夢を預かるとき、達成したとき、そして海外くんだりにまで連れ回すとき。礼儀の面でも義理の面でも、やはり直接挨拶をすべきだろう」
「いえ。少なくとも私は、マスターのことを非常識人間だとは思っていません。ただ、マスターの従う常識が果たして世間一般のそれと同等同質のものではないだろう、とは思っています」
靴を脱ぎ並べて、肩をも並べて廊下を歩く。
ミホノブルボンから感じられる自分の影響、自分の影に辟易しつつ、東条隼瀬はため息をついた。
「俺は悲しい。あの純真無垢だったブルボンが悪い男の影響を受けて……」
「私としては、そう悪い気分ではありませんよ。そしてまた、娘にとってもそうであろうと思います」
右ではなく、前。廊下の終わりの広間から、その声はした。
予想外のところからカッ飛んできた返事に肩を揺らして、東条隼瀬は頭を下げる。
「申し訳ない。品行方正とは程遠い素行に加えて、この通り口が悪いもので」
「品行方正な方もいいでしょう。ですが貴方と娘のやり取りは聴いてて飽きない。エンターテイメントとして、中々のものです」
それに、と。前置きしてから心から嬉しそうな柔らかい笑みを見せて、娘の成長を喜ぶ父親は言った。
「娘を成長させていただいて、本当に嬉しいのです。私はなんと言うか……娘に他人との関係を紡ぐすべを教えられなかった。ニュースで度々見ましたが、今や娘には多くの友がいて、尊敬すべき先輩もいる。それはまぎれもなく、貴方のお陰です」
「そうですよ、マスター。誇ってください」
ドヤ顔。というか、フフン顔か。まあどちらにしても、実家に帰ってホームアドバンテージを手にし、気が大きくなっているらしかった。
そんなレアブルボンを見て、穏やかながら巌のような固さのある顔が緩む。
――――ああ、やはりこのひとはミホノブルボンの親なのだ。
それは、そう思わせる表情の緩み方だった。
「まあ、お座りください。ブルボンも、好きなところに座りなさい」
家の広間に通され、机を挟んで向かい合う。
お座りくださいと指し示された席の隣に当然のようにちょこんと腰を下ろしたミホノブルボンをちらりと見て、東条隼瀬は座布団の上に座った。
「お父さん。依頼されていたお土産です」
「ありがとう、ブルボン」
ブルボンが渡したのは、特選にんじんパン。
それなりに高かったはずである。確か、ワンコインに収まる範疇ではあったが。
にんじんパンというだけあって、ウマ娘の味覚に合うように作られている。尤も人間の料理がウマ娘の舌に合うように、にんじんパンも人間の舌には合う。
だが、好んで食べるかといえば、違う。
(妹でもいるのかな)
見たこともないし、聴いたこともないが。あるいは親族にいるとか、そういうことかもしれない。
「まあ、くつろいでいてください。飲み物を持ってきますから」
「感謝します」
その言葉に軽い会釈が返され、特選にんじんパンを持ったブルボンパパは駆けていく。
その背を見送って、東条隼瀬は隣のブルボンの耳にこそこそと寄り、問うた。
「お前、妹でもいるのか。それか、親しい親類でもいるのか」
親しい親類はいない。
ミホノブルボンはそう言っていたが、もし万が一言い忘れた、とかなら間違えて処理してしまったかもしれないのである。
「いえ。マスターがそう訊かれるのは、特選にんじんパンが気になったから、でしょうか?」
「そうだ。別に他人の味覚に文句をつけるわけではないが、あれはウマ娘に合うように作られたものだろう」
ピコピコ揺れる耳に鼻先をかすめられながら、東条隼瀬はなおも続けた。
学者肌というか、気になったものをそのままにしてはおけない性分をしていたのである。
「お父さんのお嫁さん。つまり、私の母に当たる、今は亡き女性の好物であったそうです。レースに勝った時――――もっとも、片手の指が余る程の勝利しか挙げられなかったそうですが、そのときに買ってあげていた、とか」
となると最高でも、4勝。
残酷な世界だと、つくづく思う。文明の発展と共に理性と制度によって塗り固められた原初の残酷さが、レースにはある。
弱肉強食、優勝劣敗。全力を賭してもなおあまりにも覆し難い、そんな論理。
そんな論理に屈さず戦い抜き、そのご褒美として買い与えたのだろう。そしておそらくは、勝利と同じく、パンを分かち合ったのだ。
そしてもう、分かち合うことはできない。
決定的なものが、勝利と敗北を分かち合ってきた二人の間を引き裂いたから。
「……悪いことを訊いたな」
「いえ。記憶に有りませんので、お気になさらず」
「それでもだ。無神経だった」
俯いた顔、握り締められた手。
悔やんでいるであろうゴツゴツとした手に触れて、握る。
驚いたような鋼鉄の瞳と星の瞬く青い瞳が交錯したところで、家主がゆっくりと帰ってきた。
「寒いですからね。緑茶でもどうですか」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます、お父さん」
両者同じく礼を言い、湯呑を取る。飲んで一息ついてから、二人はほぼ同時に机の上に緑茶を置いた。
「さて、今回はどんなご用件でしょうか」
その言葉が自分に向けられたものではないという事を、ミホノブルボンは知っていた。
ついでに帰っておいで。
あと、そのまたついでに特選にんじんパンを買ってきてほしい。
そういう頼みを、彼女はお父さんから受けた。あくまでも主眼は彼に置かれているのだ。
「まずは、お詫びを。私のための海外遠征でご迷惑をおかけしたこと、申し訳ございません」
「ああ、それは構いませんよ。私もトレーナーの端くれでしたから、いなし方も慣れています。ブルボンも納得して、貴方の頼みを実行したのでしょうし」
「ありがとうございます。本当にこの娘は、私には勿体ないウマ娘です。人の心の機微に細やかで、普段はともかく肝心なところでは間違えない。どんな苦しいことも、夢の為に貫徹する意志力がクローズ・アップされがちではありますが、私としてはこの細やかさに救われました」
「その細やかさは娘本来のものですが、磨き上げたのは貴方です。貴方の行動の結果が、貴方をより良い方向に導いたのでしょう。むろん、ブルボンの努力あってのものですが」
お父さん。
マスター。
マスター。
お父さん。
お互いがお互いを尊重し、敬っている。
そんな二人の会話は終始穏やかに進んだ。
これからも担当させていただく、という報告では二人とも深々と頭を下げ合い、釣られてブルボン自身も下げてしまったくらいである。
陽が昇りきってから落ちはじめ、話もそろそろ尽きようかというところで、東条隼瀬は彼にとっての本題を切り出した。
「……今日は個人的な願いを聞き届けていただきたいと思ってきたのです」
「なんでしょう」
ぴょい、と。ミホノブルボンの心臓が跳ねた。無論物理的に普段の動作から逸脱した反応をしたわけではなく、緊張のあまりそう感じただけである。だが彼女には、その緊張の理由がわからなかった。
「トレセン学園で、教鞭をとっていただけないでしょうか。ブルボンが栄光を掴み得たのは、貴方が無私の心で基礎を固めていたからです。私などは、極論貴方の功績を剽窃したに過ぎません」
そしてマスターのこの言葉に少しがっかりした理由も、わからなかった。
「評価していただけて光栄ではありますが、それは言い過ぎというものでしょう。ブルボンの栄光は、貴方あってのものですよ。それに私は、古い人間です」
「では、無理でしょうか」
「ええ。私が30年若ければ、望まれなくとも貴方の力となることを使命にしたでしょう。もっとも大した才能もありませんのでお邪魔かも知れませんが」
少しおどけて見せて、微笑む。
枯れかけの大樹のような重厚さと淋しさが入り混じった独特の風韻を見せられ、まだまだ20代のひよっこは少し怯んだ。
「ですが……今の私は、ここに居たいのです」
「それは……」
貴方の妻のことか、と不躾に口にしない程度の気づかいは、彼にもできる。というか、できるようになった。
「どうやら、ご存知のようですね。私がここから離れると、妻が悲しむ。寂しがる。そして私も、トレセン学園に行けば悲しくなるし寂しくなります。18年で、やっと家に染み付いた悲しみに慣れました。ですがトレセン学園は……」
だからか、と。思った。
これほど娘を愛していながらも、決して直接見に来なかった理由。
ミホノブルボンは、お父さんとダービーを見に行ったのだという。だがそれ以外に、レースを見ただとか、そういう経験談は聴いたことがない。
これほど娘の為を思う親であれば、レースを直接観戦させるはずだ。空気を感じさせるはずだ。そうすれば経験になり、モチベーションにもなる。
それはつまり、そういうことなのだ。
「さあ、話も済んだことですし、バーベキューでもしましょうか。食材と機材はもう、バルコニーに運んであります。食べ終えましたら、今夜は泊まっていかれるといいでしょう」
話は終わりです、とやんわりと切られ、それに従う。
その後はバーベキューを楽しみ、ブルボンがパックパックもっきゅもっきゅと食べる姿を見つつ大いに愛で、就寝し、そして夜が明けた。
挨拶を交わし、別れる。
自分がこの家まで赴いたとき、教官としての教えをつけていただけませんか、という願いを快諾してくれたのは、断ったことへの罪悪感があったからだろうか。そうしたら自分は、その罪悪感を利用したことになるのか。
「惜しい」
駐車場へ進む途中。
遠ざかっていく手を振る姿を、一瞬見返して呟く。
そう口にするのが侮辱であり、不躾であり、無神経であるとわかっていても、そうとしか言えない。
肉親を教育するのは、他人を教育するよりも難しい。そんな中でミホノブルボンと言うウマ娘の強靭な心身を鍛え上げたその手腕には、瞠目すべき点がある。
隣でおとなしくしているミホノブルボンはその言葉に気づいたのか、あるいは気づいていないのか。どちらにしても、彼女は受け流していた。
「大切なものを喪うというのは、やはり大変なことなのだろうな」
「マスターは、経験がお有りですか?」
実感のこもった言葉に問いを投げて、ミホノブルボンは少し不躾かな、と自らを恥じた。
だが不躾の本家本元である彼は特に気にすることもなく、だが悲しげに一言もらした。
「ああ。犬がな」
子供が生まれたら犬を飼いなさい。
子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となるでしょう。
子供が幼年期の時、子供の良き遊び相手となるでしょう。
子供が少年期の時、子供の良き理解者となるでしょう。
そして子供が青年になった時、自らの死をもって子供に命の尊さを教えるでしょう。
誰かがどこかで、そんなことを言った。そしてたいていのトレーナーの名門は、これを実践している。
死に別れではないにしろ、ウマ娘とトレーナーには別れが待っている。
3年間を終えて、結果が出せずに別れることもある。
3年も保たずに、怪我などで別れることもある。
そしてどんなに理想的なキャリアを描いても、10年、20年と共に過ごすことはできない。それほど、ウマ娘が全力で走れる時間は長くはない。
東条隼瀬は、共に育った犬を失った。老いて手の施しようがなく、今日明日だと言うときに一緒に寝て、起きた。今日も一日生きていられるかななどと言ったときに、犬は頬をひと舐めして、笑って死んだ。
笑って死んだのは、感傷的に見ているからかもしれない。だが、そう思った。そう思わなければやっていけなかったのかもしれないが。
「ブルボン」
「はい」
「お前は、俺より長く生きろ」
「それがオーダーであれば」
「命令じゃない。お願いだ」
それはいつかのレースの前。勝ってこいと言われたその時の言葉を、そっくりひっくり返したものだった。
「努力します」
「それでいい。我ながら、少し――――」
感傷的になり過ぎた。
色々なことを、想像しすぎた。重ね過ぎた。はじまりがあれば終わりがある。そのことを強く意識し過ぎたのだ。
「さみしいだろうに、悪いことをした」
「お父さんは……たぶん、少し時間を置いたらトレセン学園に来ると思います。マスターに会いに。きっかけを作ってくれたことに、感謝していると思います」
「自ら傷口をえぐるようなものだろう」
「痛くても、泣きたくても。それでも、忘れてしまうよりは遥かにマシです。それは、マスターも知っていると思います」
心当たりは、2つほどある。
だが彼はそれを口にする気には、ならなかった。
「マスター。話したいことがあります。はじまりを通り過ぎ、そして終わりにつく前、今だからこそ。言っておくべきことがあります」
「どうした」
「私は、マスターとお父さんの違いがわかりませんでした。どちらにも同じくらいに、同じように愛されていると思っていました。なぜなら」
何かを言いたいのだと察して、東条隼瀬は合いの手を入れることすらせずにちらりとミホノブルボンを見た。
蛹から脱皮しようと身をよじる蝶のように、少女は女性になりつつある。
「私は、マスターのことをお父さんのようだと思いました。初めて会った、あの日。私の夢を肯定してくださったあの日から、私はマスターとお父さんを重ねていました。なので私は一歩後ろで、マスターについていくことを選びました。お父さんは、私の前に居てくれたからです。私はそれ以外の付き合い方を知らなかったということもありますが、それが正しいと思ったのです」
少しだけ、後ろに。
歩くときも、車でも。ほんの少しだけ後ろを歩く。
お父さんにしていたように。お父さんとしていたように。
「ですが私は、マスターの隣を歩きたいと思うようになりました。そして今、そうしています。やはりマスターとお父さんは、違うと。私は、そう思います」
パチリと、眼が瞬く。
少女としての煌めきが消え、女性としての光が灯る。
「どうか、これからも。私と歩調を合わせて、歩いていってください。置いていかず、置いていかれず。貴方の隣を歩く事を、許してください」
「……当たり前だ。俺はお前のマスターだからな」
こくり、と頷く。
先に行こうとする彼の裾を握って、押しとどめて、そして並んで。
「はい。貴方は、マスター。たったひとりの、大切な。とても大事な、マスターです」
東条隼瀬とミホノブルボンはこれからも不器用に一歩ずつ歩き続けることでしょう。
ですが一旦、物語はこれで終わりです。