ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

121 / 208
アフターストーリー:猛禽

 コツンコツンと、窓を硬い何かが叩く音がした。

 

(なんだ?)

 

 珍しく部室に泊まり込みしていない男は、ムクリと立ち上がった。何分割かされたパソコンの画面には、いずれもナリタブライアンが走っている景色が映されている。

 

 どう勝ったか。どう負けたか。

 その分析のために時間を費やしていた男は、凝った腰に手を当てて窓に向かった。

 

「……マンボ?」

 

 窓枠。そこに爪を器用に引っかけて留まっているのは、鷹。東京都内に野生の鷹が闊歩しているわけもなく、必然的に誰かに飼われていることになる。となると、その候補者はひとり。

 

 エルコンドルパサー。ターフの怪鳥、黄金世代最強のウマ娘。

 

 また脱走か、と彼は思った。そしてこの後どうなるかもわかった。

 一旦自室内の引き出しから革の防護具を引っ張り出し、右肩に着ける。

 

「マンボ、おいで」

 

 筋肉の確かさを示すような強い音。バサバサとした羽音を立てて入室を決めた大鷹は、我が物顔で右肩に着地した。

 

「どうした。怖い怖いグラスに解放されたのか、あるいはただのいつも通りのうっかりミスか」

 

 知らんとばかりに首を左右に振って、服をかけるためのポールの枝に飛び移るマンボの軌跡を目で追って、ふぅとため息をついた。

 

「お前、心配されるぞ?」

 

 かん高い鳴き声が返ってくる。心配いらないということなのか、或いはそんなことは知っているということなのか。

 

「マンボ。ペットがいなくなるというのは飼い主にとってとても辛いことなのだ。わかるかな」

 

 知らんとばかりに首を傾げるマンボがパソコンのフチに飛び乗り、鋭い爪がカバーを削る。

 

「仕方ないやつだな」

 

 突き出した腕に優しく着地したこの鳥を、どうするか。ひとまずエルコンドルパサーに連絡をいれておくべきか。

 そう思案して、窓を見た。その先にはヒシアマゾンが寮長を務める美浦寮がある。今の時間であれば消灯時間であるから、もう電気は全て消えている。

 

 その、はずであった。

 しかし一室だけ、電気が点いている。そしてしばらくして消え、その隣が点く。

 

「ふむ?」

 

 人語を介さない猛禽類と顔を合わせながら、東条隼瀬はなんとなく事態を察した。

 

 ――――エルコンめ、企んだな

 

 たぶん、持ち物検査が行われている。夜食を勝手に食べないようにとか、そういうことのために。

 これも理事長代理による、例の管理主義の一環だろう。勝手に夜食を食べて体重が増えたりすれば不調につながるし、加えて言えばなんか変なものを持ち込んでいる可能性もある。

 正しいこととは思うが、それにしても性急だという誹りは免れない。

 

 そしてペット禁止の寮で勝手にペットを飼っていたエルコンドルパサーは、その矛先が自分に向きかねないことを察してペットを――――この割とデカい鷹、マンボを逃したのだろう。たぶん、預かれるやつが起きていることを信じて。

 

「なるほど、お前は賢い子だ」

 

 首のあたりを掻いてやりながら、ひとまず腕を軽く振ってマンボを空へ逃がす。

 そして突っ込んでこないのを確認してから、東条隼瀬はトレーナー寮から出た。

 

「となると、やはりあるだろうな」

 

 もう、慣れた感じがある。

 春の陽気とは正反対の肌寒さに髪を揺らされながら、東条隼瀬はある地点へ向かう。

 

「それにしても、ぐんぐんと来るな。まあ、違反しているのは確かだが」

 

 エルコンドルパサーの部屋の下あたりにまで行くと、あった。

 紐に吊るされたマンボのお世話用具やら、お菓子やら。たぶんお菓子は、グラスワンダーのものだろうが。

 

 軽く2回引いてやると、スルスルと紐が窓枠に消えた。

 代わりにぴょこんと出てきたエルコンドルパサーが両手を拝むようにしてペコリと謝ってきたのに手を振って返す。

 

「なるほど、夕食はまだ、と」

 

 メモ用紙に書かれたやってほしいことを読み、部屋に帰って早々右肩へと強襲を仕掛けてきたマンボをいなしつつ、餌を取り出す。

 取り出した餌を鳥籠の中に入れて、彼は毎度恒例の理不尽な二択をこの招かれざる猛禽類に与えた。

 

「ほれマンボ。欲しければ籠の中に入れ」

 

 やりおるわ、このヒト耳。

 

 そう言いたげに振り返ったマンボがおとなしく収容される中で、彼はやっと本来の仕事に向き合うことに成功した。

 

「やはり課題は安定感……何だマンボ」

 

 本当の意味でガタガタうるさいマンボ。餌の残骸を回収したし、毛づくろいもしてやった。あとは、他に何を望むというのか。

 

「……水。水か、マンボ」

 

 これは俺の失策だったな。

 割と素直に自らの誤りをこの鳥に謝し、水をエルコンドルパサーから渡された皿に入れて差し出す。

 

 遅いわい、このヒト耳。

 我が物顔で振る舞い、プンプンするマンボに謝りつつ水をくれてやる。

 

「懐かしいなぁ、この心地よい面倒くささ」

 

 犬。そう名付けられた犬を、彼は飼っていた。

 このマンボとかいう畜し――――猛禽類より遥かに賢くおとなしかったが、それでも老衰しきった末期は辛そうで、自分のことを自分でできなくなっていた。そのときは、何かと世話を焼いたものである。

 

「いかん、悲しくなってきた」

 

 おとなしくなってきたマンボのやかましさがあれば、また違ってきたのだろうが。

 

 仕事に打ち込むことで蘇ってきた悲しみを消し去りつつ、彼は寝て、起きた。

 

「おはようブルボン」

 

「…………似合っていますね、マスター」

 

 結構いろんなことを言いたかったがこらえた感じのあるブルボンは、じろりと彼の肩を見ながら取り敢えず褒めた。基本的にいい子な彼女は、これまた基本的に否定から入らない。何事も肯定から入り、いいところを探す。

 

 自分の信頼するトレーナーが唐突に鷹をつれて現れても、取り敢えず褒める。彼女の状況への従順さが表れたような反応に鷹揚に頷き、自分の服装を省みる。

 ローテーション通りで、然程変化はない。しかし、決定的に違うものがいくつかある。それが肩に着けた防護具であり、肩を占領している猛禽類の存在だった。

 

「……ああ、マンボのことか」

 

「マンボ。エルコンドルパサーさんの愛鷹との名称の一致を確認。過去ログを参照し、個体差を確認します」

 

「これは本物のマンボだから確認せんでいい。預かっているんだよ、いつまでかは知らんが」

 

 案外長引くかもしれないし、今日で終わりかもしれない。

 そのあやふやさ、計画性のなさに彼らしくなさを感じたミホノブルボンは、この猛禽類の存在が状況の変化によってなされたものであることを察した。

 

 となると。

 

「抜き打ちチェックの影響ですか」

 

「なんだ、あのあと栗東にも来たのか?」

 

「いえ、同時に」

 

「なるほど、抜かりないことだ」

 

 翌日に回せば、対策する時間が生まれる。となると抜き打ちの意味が無くなる。

 

「で、誰か何か没収されたのか?」

 

「マックイーンさんがお菓子を取られていました」

 

「然程かさばりもしなかっただろうに、隠せなかったのか」 

 

「いえ、モンブランを複数個持ち込んでいたようで」

 

「…………それはまあ、隠せないだろうな」

 

 彼がイメージするお菓子は駄菓子であり、マックイーンのお菓子はケーキであった。

 それは実に、かさばる。そんな納得と哀れみを覚えた男は、ふわりとあくびを朝の空に上げた。

 

「マスター。幸い理解を得られたようで、私に被害はありませんでした」

 

「お前、なにか変なのを持っていたのか?」

 

「カカオの苗を育てていました。来年のバレンタインデーに向けて頑張っていたので、個人的には認めてもらい感謝しています」

 

 ペット禁止の寮であるが、植物に関してはその限りではない。

 

 そういうことなのか、その健気さに打たれたのか、あるいは植物を育むということが管理主義的計画性へつながると考えたのか、どれであるかは定かではない。

 

 それにしても。

 

「相変わらず謎の多才さだな」

 

「はい。マスター譲りです」

 

「譲った覚えはないが、正の方向へ影響を受けているなら何よりだ」

 

 そんな穏やかな会話をしている中で、旋風がドアを通過した。アメリカを壊滅状態にしたそのタイフーンは、当たり前のように走り、そして帰ってきたのである。

 

「昨日の夜と、今日。どれくらい走った?」

 

「これくらいです」

 

「……うん」

 

 腕を左右に伸ばしてニュアンスで伝えようとするスズカに付けた万歩計もどきとデバイスを同期させ、出力する。

 下限から上限までの数値を見比べ、最も多く走った場合の距離を導き出して脚の消耗の度合いに見当を付け、触診で確認する。そうしてから、今日のトレーニングメニューに調整を加えて脚へと無理な負荷がかからないように、しかし最大効率で練習ができるように調節する。

 

「よし、今日のメニューは昼に渡す」

 

「お願いします」

 

「ああ、任せてもらおう」

 

 朝昼夜と勝手に走っていた全盛期のスズカに比べて、今のスズカは朝と夜にしか走らなくなった。おかげで随分、トレーニングメニューの調整もしやすいというものである。

 

「それにしても、トレーナーさんってすごかったんですね」

 

「ああ?」

 

 思考の海から引き戻された男は、走りの天才から唐突なお褒めの言葉をもらって変な声が出た。胡乱な眼で明るい栗毛を見て、首を傾げる。

 

「アメリカの方は驚いていました。こんなんではトレーニングメニューは組めないと。フランスの方は放任主義だったので疲れたときに諌められるくらいだったのですが」

 

 こういう実体験を聴くと、東条隼瀬としては放任主義のありがたさというものを実感せざるを得ない。

 外国は、管理主義の本場である。ウマ娘がレースを組み立てることはなく、何から何までトレーナーが決める。作戦もトレーニングメニューも脚質も、あるいは勝つか負けるかまで。

 

 本命たる旗艦を守る護衛艦のような形で走らされるウマ娘もいるし、レースの勢いやペースを本命のウマ娘に合うように調節・維持するための走りをさせられるウマ娘もいる。

 ミホノブルボンは逃げたから関係なかったが、あの凱旋門賞にもそういうウマ娘は結構出ていた。逃げたからまるきり関係なかったが、これが先行や差しなどの王道を往く脚質であれば突破にそれなりの苦労を要しただろう。

 

 現にルドルフの海外遠征の際には、シリウスシンボリあたりにこの役割をさせようという意見もあった。ルドルフ本人が拒否したのでおしゃかになったが。

 

「その負荷を慮って昼に走るのをやめてくれたわけか」

 

「……それもあります」

 

「前も言ったが、別に遠慮することはない。俺としてもサイレンススズカという偉大な才能を管理させてもらっているのだからそれなりに苦労もするだろうと考えているし、覚悟もしている。そしてその苦労や覚悟は多少なりとも、偉大な才能の完成に貢献したという満足感に繋がるわけだ」

 

 耳を萎れさせ、文字通りお外を走ってくるために外へ消えていくスズカを見送る。

 見送った側から、グラスワンダーとエルコンドルパサーがやってきた。

 

「相変わらず速いですねぇ」

 

 栗毛が出て行ったらまた栗毛が来た。メラメラエガオな表情をして。

 語尾を穏やかに伸ばしながらも、数年前の敗北――――毎日王冠で完膚無きまでに叩きのめされた苦い記憶を忘れていないことが窺える闘志。

 

「デース……」

 

 闘志ギラギラな同居人に若干ビビったような感じのある、毎日王冠で完膚無きまでにボコられたウマ娘の片割れ。ひょっとすると……いや、ひょっとしなくともグラスワンダーより強いかもしれない彼女は、肩から降りて卓上を闊歩するマンボを見て太陽のような笑顔で駆け寄った。

 

「マンボー!」

 

 知らん、なんだこのウマ耳。

 つれない態度で翼をバタつかせながら逃げるように卓上を走るマンボを追い回して追いついて抱きしめたエルコンドルパサーは、はたと気づいたように、自分のペットを匿ってくれた無愛想な男に向けて頭を下げた。

 

「いつもありがとうございます、参謀さん!」

 

「まあそれはいいが、いつまでになりそうだ?」

 

「それはわからないデース……」

 

 腕から抜け出したマンボが空を舞い、またも我が物顔で男の右肩に止まる。 

 

「だとさ。かなしいなぁマンボ。もううちの子になるか?」

 

 鋭い嘴で自分の羽を繕っているマンボは、人語を解しているかのように鋭く鳴いた。

 その鳴き声をどう理解したのかは知らないが、エルコンドルパサーの顔色が若干引きつる。

 

「ちょ……待ってください! マンボはうちの子! うちの子デース!」

 

「あら、素直なのをいいことに誘拐しようとしていたらおっそろしい怪鳥が来たな。逃げろマンボ」

 

 伸ばした手からするりと逃げていく鷹。

 あー、マンボぉぉ!という、妙に聴き慣れた声がする中で、グラスワンダーに賄賂でも渡すようにお菓子を突き出す。

 

「グラス。最近体重をキープできているようだし、息抜きに食べたいなら食べるといい。だが、太るなよ」

 

「あまりにも直接的な表現での忠告ありがとうございます」

 

「ああ。伝わりやすかろう」

 

「ええ、とても」

 

 能力と誠実さを認められつつ、そのあまりのデリカシーの無さから苦手に思われている相手からの皮肉を華麗にスルーしてお菓子を渡した。

 羽ばたくし鳴くし騒ぐマンボと違ってそれほどかさばらないし、もうよかろうと思ったのである。

 

 マンボはあれで結構賢い。だからこそ、トレセン学園の敷地から出ることはない。

 

 そして脱走しても、割かし戻ってくる。

 そんな飛行欲を満たしたであろうマンボを今度は右腕に載せ、東条隼瀬は部室から出た。

 

 既に学生であるウマ娘たちは校舎へと向かい、頑張って授業を受けている。

 そんな中、だだっ広い校庭で遊ぶ男と一羽。

 

「マンボ。お前も狩猟本能を満たしたいだろう」

 

 犬と、あるいはブルボンとフリスビーで遊ぶような感じに空に餌を投げて捕食させるという貴族の遊び。

 マンボが避難してくるたびにしていたそれをまたするべく餌を掴み、驚異的な肩で彼方へ投げる。

 

 投げたそれが落ちてくる前に鉤爪でかっさらって帰ってくるマンボと戯れているところで、後ろから声がかかった。

 

「相変わらず少数の人間にしか好かれない割に、大多数の動物には好かれるようだな、アンタは」

 

「お、左遷されたブライアンじゃないか。授業はどうした」

 

「フケた」

 

 初っ端から挨拶代わりの皮肉の応酬を繰り広げて、ナリタブライアンは物珍しそうに空を舞う鷹を見た。

 

「アンタのだったのか、あれ」

 

「別に俺のものではない。昨日部屋に向かって飛んできたので、軽く面倒を見ている。そんなところだな」

 

「へぇ……」

 

 エルコンドルパサーが鷹を飼っていることをバラさず、かつ嘘もつかない。

 その微妙な綱渡りを見事に達成したところで、獲物を捕らえたマンボが腕に戻って餌を食べはじめた。

 

 その光景を興味深そうに見る、ナリタブライアン。黄金の瞳が、瞬きもせずにマンボを見ている。

 

「好きなのか?」

 

「ん、ああ。何者も恐れず飛んでいる姿が、な。天敵のいない空を飛ぶこいつを、私はかっこいいと思う。思った。あんたはそうは思わないのか?」

 

「ま、わからんでもない。だが俺としては天敵のいない動物よりも、天敵がいつつ堂々としているやつの方が好きだね」

 

 恐れを知らないのではなく、恐れを知り、呑み込む。動物がそんな高尚な考え方をしているとは思えないが、そういう生き方をしているのだから、本能が即ち高貴なのだろうと思う。

 

「というと?」

 

「恐怖が無いやつより、恐怖を乗り越えたやつの方が好き、ということだ」

 

 だから姉貴の方を気に入っているのか。

 そうは、口に出さなかった。

 

 超えるべきものを、ではない。

 超えたいものを超えるために努力を続けている人を知っている。

 

「確かに、そうだな。少なくとも、そちらの方が尊敬できる」

 

 話は終わった。鷹の運動も終わった。

 そう言わんばかりに帰っていく男の背を見て、ナリタブライアンは呟いた。




74人の兄貴たち、感想ありがとナス!

ウラジーミルマカロフ兄貴、桜海老兄貴、yakumaru兄貴、ダイチ3兄貴、評価ありがとナス!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。