ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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アフターストーリー:待機

『どうだ、ブライアンとは』

 

「今回で2回目のクラシック級になりますが、似たような結果になりそうです」

 

 皐月賞。誰もが恋い焦がれるクラシック路線の初戦を前にして、東条隼瀬は何でもないように答えた。

 電話の先には、彼の直接的な上司がいる。つまり、リギルを束ねる東条ハナが。

 

 彼女は文字通り、死ぬほど忙しい。だがそれでも時間を割いて連絡したのは、やはりナリタブライアンというウマ娘が持つ非凡すぎる素質故だった。

 適切でない自己評価を自らに下している男が、その圧倒的な才能の前に気後れしているのではないか、と思ったのである。

 

『似たような、か』

 

「ええ。あれ程の才能と気質の持ち主を預かっておいてなんですが、2年前から然程進歩はなさそうです」

 

『……そういう軽口が叩けるなら大丈夫そうだな』

 

 彼が2年前のクラシック路線で残した実績を超えるとすれば、宝塚記念あたりを勝たなければならない。

 クラシック級のウマ娘がシニア級が集う宝塚記念を制覇した例は、ひとつしかない。

 

 シンボリルドルフという前例しか。

 

「まあ彼女は平押しでも勝てる程度の実力は持っています。こちらとしては万が一を防ぐことに集中すればいい。即ち、実力差を覆さなければ話にすらならない他陣営と比べて非常に楽と言えるでしょう」

 

『弱点には、気づいているわけか』

 

「一応、現実を見ているはずです」

 

 ――――なら、それでいい

 

 そう言い残して切れた電話の画面をしげしげと見て、親指と人差し指でスマートフォンを摘んでくるりと回す。

 

「さて、言うか。言わんでもいいことを」

 

 何もしなくても勝てる。極論、寝てても勝てる。

 2年前の皐月賞のときにはなかった適切な余裕を心の一隅に宿しながら、彼は与えられた控え室に入った。

 

「どうだ、調子は」

 

「悪くない。良くもないが」

 

「だろうな。では、作戦を説明する」

 

 化け物じみた末脚を、身体が走ることに慣れきっていない春先に使えば故障する可能性が出てくる。

 その辺りを考慮して、ナリタブライアンの調子は絶好調とは言い難いところに落ち着かせられていた。

 

 本人に抑える気がないのであれば、より外的な方法で抑え込む。春から上り秋に頂点になるような調整を、彼はこの怪物に施していた。

 ものすごくひょっとすると、負けるかもしれない。だが何よりもまず、怪我をしないことを重視するが故の調整である。

 

 そしてその本調子でない部分は、自分の作戦で補えばいい。

 

「聴こう」

 

「まずこのレースを支配するのは、サクラエイコウオーだ。弥生賞を勝ったやつだな。こいつがおそらくは、逃げる。逃げてペースを握り、そしてレースの主導権を握るだろう」

 

「競っていくか? 逃げを放置しておくと、厄介だろう」

 

 サクラエイコウオーという名前に心当たりはなかったが、ナリタブライアンは逃げという戦法についてほんの少しの危機感があった。

 

 最近、逃げウマ娘たちの伸長が著しい。

 シンボリルドルフをあと一歩のところまで追い詰めた――――尤も彼女は常にあと一歩のところまで追い詰められ、そして無傷で帰ってくるわけだが――――カツラギエース。

 皐月とダービーを制した戦略系逃げウマ娘のサニーブライアン。

 シニア級になってから目立った成績は残せていないが黄金世代の中で二冠を占めたセイウンスカイ。

 そしてダイタクヘリオスとメジロパーマーのバカ逃げコンビに、サイレンススズカとミホノブルボン。

 

 近年、強い逃げが増えている。故にレースのトレンドも変化し、ミスターシービー以来脈々と受け継がれてきた後方待機の戦法が廃れた。

 そして前を取り合うような先行策が幅を利かせているわけである。

 

「昨今そのような言説があるが、逃げは放置する。レースというのは本来、スタートしてから終わる1秒前まで主導権を握らせてしまっていてもいい。要は最後の1秒でお前が勝っていればそれでいいんだ。序盤から終盤まで気張って主導権を握り続ける意味がない」

 

「傍から聴くぶんには、それはアンタが言うべきことじゃないな」

 

 そう言うナリタブライアンの目の前にいるのは、逃げウマ娘育成のスペシャリストと言える男である。

 そのスペシャリストたる所以――――ノウハウや逃げる意味、どう走るか、どう戦略を組み立てるかというのを彼は誰にでも知れるように公開してしまったわけであるが、それでも本家本元であることに変わりはない。

 

 そんな彼が語る逃げの特質にして長所、【序盤からレースを支配できる】というのを完璧に否定するとは思わなかった。

 

「まあな。だが、これは事実だ。スズカは趣味で先頭を取り、主導権を手にしても握らなかった。そしてブルボンに関しては、握らなければ勝てなかった。しかしお前はそうではない」

 

 【序盤からレースを支配できる】というのは逃げウマ娘の長所である。しかしそれが長所であることと、その長所がなくてもいい、というのは矛盾しない。

 長所ではあるが、必ずしも必要ではないということなのである。

 

「まず今回の大枠の流れを説明する。後方で待機して脚を溜め、第3コーナーから進出。第4コーナーにかけて内を通ってごぼう抜きしてゴールする。これが基本構想だ」

 

「内? 外じゃないのか」

 

 大外強襲が、ナリタブライアンの必勝戦法である。これまでの勝ちレースはほとんど全て、怪物じみたスペックに任せた大外ブン回しで捻じ切って勝ってきた。

 そして負けた時は脚をうまく使えなくなったとき、あるいは進路をうまく取れなかったときである。

 

 故に朝日杯FSでは大外強襲で勝ちをもぎ取ったのだ。実力を完璧に出し切れるように。

 

「外は荒れているからよもやがあるかもしれないし、無駄に距離がかさむ。内の状態の良さは確認済みだから、こちらの方が事故は少ない」

 

「だが塞がれる可能性もあるだろう」

 

「それはない。具体的なことを問うが、塞がれるとすれば誰にだと思う?」

 

「逃げ、サクラエイコウオーだろう」

 

 中段を構成するウマ娘たちが進路を塞ぐよりも速く走り、ブッ千切る自信はある。

 が、その中段を突き放すように先頭を走る逃げであれば、斜行を取られない程度の余裕ある距離を取りつつ最適な進路を塞ぐことができる。そうなれば、また1から進路を取り直さなければならず、時間が足りずに負ける可能性が出てくる。

 

 であれば普通に前目の先行策をとり、外に抜け出しての大外強襲でいいのではないか。そちらの方が、リスクなく勝てるのではないか。

 ナリタブライアンの思っていることは以上であり、そしてその思考は実に正しかった。少なくとも皐月賞に勝つことを目指しているだけならば、間違いなく彼女の方が正しい。

 

 しかし東条隼瀬には彼なりの理屈がある。

 その為に後方待機を、もっと言えば脚を溜めるということを身体に憶えさせようとしているのだった。

 

 それはナリタブライアンの数少ない弱点を、長所を殺すことなく補強するためのものである。しかしそのことは、彼女自身には話していない。

 そしてついでに言えば、勝ちを蔑ろにしているわけではない。塞がれる可能性が限りなくゼロに近いからこそ、この皐月賞という大舞台で試してやろうと思っていたのである。

 

「そのサクラエイコウオーが逸走したということは知っているか?」

 

「……ああ、激突しかけたアレか」

 

 サクラエイコウオーはジュニア級の頃、メイクデビューでコーナーを曲がり損ねて明後日の方向に駆け出し、壁にぶつかりかけて止まったということがあった。

 

「その欠点が、この際は我々の有利に働く。サクラエイコウオーには走ることの才能があり過ぎる程にある。4ブルボンくらいはある。が、それだけにレースという狭い表現場所に投影し切ることができていない」

 

 曲がる。駆け引きする。コースに沿った走り方をする。レースとはただ走る場ではなく、走りながら競い合う。走るのがうまいだけで、レースには勝てない。例外としてサイレンススズカがいるが、サクラエイコウオーにはサイレンススズカ程の才能はない。

 

(4ブルボン……?)

 

 それは44冠ウマ娘になれるということだろうか、とナリタブライアンは思った。

 因みにトウカイテイオーは15ブルボンくらいである。結構な間【これほど怪我をしてこのレベルの走りを……やはり天才か】と言ってきたが、昨年の有馬記念での激走でビワハヤヒデを下してからその株は更に上がった。

 

「彼女はコーナーを曲がるとき外に膨れる。膨れ、そしてなんとか曲がり切ろうとするから細かいことを考えている暇がない。つまりブライアン、お前の道を遮る者はない」

 

「なるほど」

 

 自分の考えはあった。しかしそれを表には出さず、しっかりとトレーナーの話を聴いてから納得して頷く。

 バンカラな見た目にそぐわない冷静で沈毅な精神性を発揮しながら、ナリタブライアンは頷いた。

 

「大枠はわかった。で、細かいサインはどうする?」

 

 アンタの指示に従おう。

 ほんの少しだけ辛いピリ辛ラーメンを注文したつもりが死ぬほど辛いヒリ辛を注文してしまったときも黙って食い切った程の、ある種度を越えた――――例えば胃とかが破裂してもしばらくは自我を保ち続けて平気な顔してそうな我慢強さでもって、彼女は彼の指揮に従うつもりだった。

 

「高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に処してくれ。一応、読み間違えはないはずだ。あと、終盤は皆が皆外に膨れると思う。なにかあって大外強襲を行うならば、中盤から仕掛けるといい」

 

「わかった。つまり読み外したらどうにかこうにか中盤から終盤にきて大外に抜けだせばいいんだな」

 

 登山のエスケープルートのような大外強襲案を聴き、ナリタブライアンは確認のために繰り返してから頷いた。

 

「そうだ。じゃ、勝ってこい」

 

「ああ。そうする」

 

 他の陣営が緊張に浸されて気張りに満たされる中で、この陣営は平静を保っていた。

 

「それにしてもあいつ、聴いてたのと随分違うな」

 

 レース前になるととにかく気が立つ。精神的に消耗してしまう。

 彼の師匠である東条ハナからは、そう聴いていた。だが気が立っているような素振りもないし、精神的にも安定しているように見える。

 

「俺の見る目がないのかな」

 

 そんな独り言が、空気に溶けて消えた。

 

 じゃ、勝ってこい。

 

 そう言ったが、本来は怪我せずに帰ってこいと言いたかった。

 しかしあの性格である。彼女の親からは、急性虫垂炎になりながらも学校まで歩いて行って授業を受け、普通に走ったりなんだりしてから若干顔色を変えながら帰ってきて初めて、『姉貴。腹が痛いかもしれない』といった程だと聴いている。

 その我慢強さ、意地っ張りさで『怪我をするなと言われた。したら怒るだろう。ならなんとか誤魔化して怪我を隠そう』などと考えられてはたまらない。

 

「それにしても、怪我をしないで帰ってきて欲しいものだ」

 

 およそGⅠに挑む若手トレーナーとは思えないほどに野心のない呟きと共に。

 彼にとって二度目の、皐月賞がはじまる。




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