ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート 作:ルルマンド
「本来三冠ウマ娘というのは、もっと伝説的なものだったんだぜ」
現在イギリスにいる男は、練習を終えたライスシャワーの方を見ながらそう呟いた。
彼の目の前のスマートフォンには、日本で開かれている皐月賞が映し出されている。
「一生の中で、一度見ることができれば幸せ。そういう気配すらあった。それをあいつは、数年に1度は見ることができる程度のものにまでしてみせた」
「お兄さまは、そうなるって思うの?」
「それはわからない。ただ俺から言えることは、あいつが負けたところは見たことがないってことだな」
トゥインクルシリーズに絶対がないと言われるのは、どんな強者でもめぐりあいと運次第で容易く負けるからだ。
東条隼瀬は謂わば、その運負けを防ぐことが極めて巧みだった。シンボリルドルフと組んでいたときも、サイレンススズカと組んでいたときも。
彼は実力的に勝てる勝負に、当たり前のように勝つ。
それができないことが多かったミホノブルボンと組んでも最初から勝ち続けられたあたりそれだけではなかったらしいが、劣勢な相手に順当に勝つ、というのは彼の本領が発揮される場面である。
そして今年のクラシック路線には、ナリタブライアンが当たり前に勝てる相手しかいない。
(やりようはあるが、それでもな……)
まともに走ってもかなわないなら、檻に叩き込んで逃さなければいい。しかし勝ち筋がそれくらいしかないなら、防ぐこともまた容易いというものである。
「そう言えばライス。芝には慣れたか?」
「うん。だいぶ慣れてきたよ、お兄さま」
「うんうん。ならいいんだ」
最大4000メートル走るのである。前提として芝に慣れていないと、思わぬ事故をまねきかねない。
東条家の二人に比べれば管理能力に劣る部分があるとは言っても、並よりは遥かに有効な管理を行える『将軍』たるこの男は、やや大仰に頷いた。
そんな男の予想を、世間は計らずも共有していた。もっとも将軍の予想の根拠となる情報も論理もなく、単に雰囲気を目ざとく察知したくらいなものだが、歴戦のファンたちのそういう嗅覚は侮れない。
皐月賞の一番人気は、当然というべきかナリタブライアンだった。
三冠ウマ娘が出るのではないか。
世間には、そんな声がある。業界の中でも若い世代にも、そういう声がある。
しかし神の如きシンザンを知る古い世代にとって、三冠ウマ娘とは神聖不可侵なものである。だからこそ、ミスターシービーは神と人の時代をつなぐ三冠ウマ娘として、ルドルフをも超える人気を獲得したのだ。
その翌年に三冠ウマ娘という概念を完璧に人の時代へと引きずり出したシンボリルドルフが栄光を自ら冠り、トウカイテイオーが続かんとした。
天才たる彼女の挑戦は不幸にも怪我によって絶たれたものの、菊花賞に出れさえすれば勝てていたであろうというのが関係者・ファンの共通見解である。
そしてその翌年、ミホノブルボンが出てきた。彼女は血統が全てを決めるトゥインクルシリーズの分厚い常識に風穴を開け、ついでとばかりに悲願たる凱旋門賞の栄光までも手にした。
ミスターシービーによって存在が改めて確認され、シンボリルドルフによって存在するのが当たり前になった三冠ウマ娘は、ミホノブルボンによって努力次第で誰にでも得られる栄冠へと変質した。
無論その努力次第というのが曲者で、血統に恵まれないウマ娘たちはミホノブルボンという精神的怪物を超えなければならない。
しかしそれでも、希望が無いよりはマシだった。努力する意味を証明してくれたことが、寒門出身のウマ娘たちの努力を助長した。
自己規定の矮小化を防いで挑戦心を喚起したのである。
だが翌年のクラシック路線は有り体に言えばBNWと言う3強の時代であり、彼女らには食い込む隙がなかった。
そんなときに降ってきたミホノブルボンが凱旋門賞を制したという一報が、どれほど彼女らを助けたことか。
今年こそは。
そんな思いを胸に皐月賞へ挑み、精神的怪物へ続く遥かなる道を歩まんとする彼女らは、肉体的怪物を打ち倒すことを強いられていた。
その肉体的怪物こそが、ナリタブライアンである。
色とりどりの勝負服の中で、ひときわ目立つバンカラな服。裾が意図的に千切られたそれを纏うウマ娘の黒いテールヘアーが風に揺れていた。
この怪物を正面切って打ち倒す術を、この場にいる15人のウマ娘は持ち得ない。
怪物の怪物たる所以は、その圧倒的な能力である。これが駆け引きに強いウマ娘であればじゃんけんのようなまぐれの勝ちもあるが、グーでパーを突き破られては勝ちようがない。
ここで、即ち『勝ちようがない』で止まるような諦めのいい人間でも、トレーナーにはなれる。
しかし『勝ちようがない』で止まるような諦めのいい人間は、GⅠに出られるようなトレーナーにはなれない。
そしてここはGⅠで、無論みんな勝つためにここに来ていた。
作戦は、ひとつ。そしてそのひとつの作戦を、15人のウマ娘とそのトレーナーたちは共有していた。
これは、集まって作戦会議した結果というわけではない。
向こう岸にある勝ちという果実をもぎ取るには、同じ橋を渡ることを強いられる。ただそれだけのこと。
――――これは東条の甥が言うところの、理不尽な二択というやつだ
彼がこの策に気づかなければ、勝負の土台に登れる。気づいても、対策のしようがない。
そんな確信とともに、15組のコンビはこの大舞台に臨んでいた。
ナリタブライアンの弱点。それは気性が律儀すぎるところである。
そしてそのことを、トレーナーたちは正確に見抜いていた。
勝負を仕掛けられれば序盤でも中盤でも応じてしまう。それを利用し、繰り返す。
そして疲労と消耗を蓄積させて、最終直線で抜け出す為の脚を使い果たさせる。
それが唯一にして無二の、そして回避しようのない勝ち筋である。
数週間かそこらで、気性は改善されない。菊花賞後のミホノブルボンのかかり癖が思いの外長引いたことからも、それはわかる。
気性の改善に対しては、彼も常識の埒外にはいないのだと。
そしてこれまでのことは、東条隼瀬が既に見抜いているところだった。
ゲートが開く。ほぼ完璧なスタートを切ったナリタブライアンは、いつもの位置につこうとして意図的に緩めた。
理由はわからないが、後方待機からの末脚勝負で勝てと言われているのだから、そうする。
律儀さ、あるいは素直と形容していいその気質の長所を発揮して、彼女はおとなしく最後尾についた。
『さあ、はじまりました皐月賞! ハナはサクラエイコウオー。サクラエイコウオーがレースを引っ張ります。注目の一番人気、ナリタブライアンはポツンと1人最後方からのスタートになりました』
ナリタブライアンがいつもの好位につけなかったことに若干驚きつつも、実況は努めて動揺を見せずに正確な情報を発信した。
『ナリタブライアン、スタートに問題はありませんでした。これにはどういった意図があるのか!?』
その意図は、走っている本人すら知らない。
知るのは観客席でお行儀良く座り、コーヒーで一杯やっている男のみである。
(言うとおりに、動いてくれたか)
よかったと、ひとまず東条隼瀬は安堵した。
ナリタブライアン自身に、彼女の負け筋と弱点を伝えてもよかった。そちらの方がより臨機応変に動けただろう。
しかしあのバンカラな見た目に反してとても賢く、繊細なところがあるウマ娘である。自身の弱点を過大に捉えてしまい、却って長所が削がれる可能性があった。
ナリタブライアンの長所は、勝負への躊躇いのなさである。そして短所も、勝負を迂闊に受けてしまい消耗するところにある。
これを指摘すれば、彼女はなるほどと思って余計な勝負に迂闊に乗らなくなるだろう。だが一方で、ここぞという場面で『ここは乗っていい場面か』と思考して一拍遅くなってしまう可能性があった。
それは賢くなったと言えるし、付け込まれる隙がなくなったとも言える。
そして無論その一拍を埋められる程の才能は、彼女にはある。その怪物的な末脚であれば、一拍の間など問題にもならない。
しかしその才能に『躊躇い』という一抹の影が差してしまうのもまた、確かなことなのだ。
(長所と短所は紙一重。長所を見るのは、ブライアンがやればいい。短所は俺が見る。そして気づかせずに補填する。それでこそ、あの才能を十全に活かせるというものだ)
そんな彼の深く、そしてすっトロい思考が長く感じない程に、皐月賞はスローペースで進んでいた。
サクラエイコウオーと幾人かの逃げウマ娘たちは文字通りエイコウに向かって驀進しているが、他の先行・差しのウマ娘たちの動揺は甚だしかった。
いつもの――――そして絶好の好位。
そこに、ナリタブライアンが来ない。トレーナーと共に導き出した答えが正確であればあるほど、トレーナーを信じていれば信じているほどにその動揺は深く、濃かった。
ある者は当初の計画に固執してナリタブライアンがゆったりと走っている後方まで行こうと脚を緩め、ある者は思考を切り替えて前へ行こうとする。
それでもやはり当初の計画が覆されたという動揺は濃く、その上がっていく脚は遅かった。
(なんだ? 妙にトロいな)
前を見たナリタブライアンは一番ゆったり走っているウマ娘とは思えない感想を抱いた。
妙に、ごちゃごちゃしている。意図が見えない。
(私をマークしたかった。後方にいたからそれができずに動揺している。そんなところか)
レース展開とコース取りを主眼において頭を使いつつ、妙にごちゃっとした現状を見て片手間で一息の間にそこまで思考できた頭の冴えこそが、ナリタブライアンの恐れるところである。
しかしナリタブライアンは、ここで思考を止めた。
(またアイツがなんかしたな)
考える作業は、考えることが好きなやつに任せればいい。
自分はただ、走る。それだけに集中すればいいのだ。
(そうだろう)
薄い黄金の瞳が、コーヒーを飲んで呑気してる芦毛の男を捉えた。
軽く手を振ってきた悠長さを見て苦笑しかけ、心が弛緩する。
最後方。
いつもならまずありえない位置を、大舞台ではじめて経験する。そのことへの緊張がなかったと言えば嘘になる。だがあいつがあんなクソ呑気してるのであれば、自分が最善を尽くせば勝てるのだろう。
ナリタブライアンは自然と、そう思えた。
そんな彼女の精神的均衡がほぼ完璧に整ったのと時を同じくして、脚を緩めたり速めたりしている中盤のウマ娘達の動きがやっと沈静化した。
彼女たちと、その後ろにいるトレーナーの前には理不尽な二択が突きつけられていた。
――――前へ行って自分の走りをするか、当初のプランどおり後ろに下がるか。
前へ行けば実力勝負になり、負ける。
後ろへ行けば末脚勝負になり、負ける。
ナリタブライアンはポツンと1人で走っているが、アレができるのは彼女の怪物じみた末脚があってこそである。彼女たちにそれがあれば、わざわざ消耗と疲労を蓄積させようなどと考える必要はなかった。
そして何よりも致命的なのが、スタート後の動揺だった。明らかにペースを乱し、脚が鈍った。思考も依然、まとまりを見せない。
即ち、彼女らはスタートしてほどない地点で既に、実力を出し切れないことが確定したのである。
一方でナリタブライアンは、当初の予定通りとばかりに悠々と脚を溜めている。
実力差がある。そして、全力も出せない。相手は出せる。
つまりこの時点で、先頭を走るサクラエイコウオーと逃げウマ娘以外はチェックメイトをかけられたのだ。
となれば、まともなトレーナーであればする指示は一つである。
――――自分の走りを見せてやれ
その決断の裏には、それまでの積み重ねがある。信頼がある。
まともな勝負であの怪物を撃砕してやれという軒昂たる意気がある。
だがその意気でも埋められない程の実力差があった。
第3コーナーを曲がり、侵出をはじめるナリタブライアン。彼女がそう決断する前に、他のウマ娘たちは仕掛けた。
早めに仕掛けなければ、勝てない。スタミナが枯れ果てないことに賭けるしかない。
なによりも、ナリタブライアンと言えば大外からの急襲である。早めに自分が仕掛けることで、理想的なコースを取れなくなる。そうすれば勝ち目も出てくる。
それは実に正しい判断だった。だが正しいからこそ、容易に予想がつくものだった。
(本当に空いたな……)
内が、ガラリとしている。未来予知じみた作戦立案能力に半ば呆れるような思いを抱きながら、ナリタブライアンは溜めに溜めた勝負へのフラストレーションを解放した一撃で大地を蹴り揺らして内を急進した。
槍で串刺しにされるように差し切られていくウマ娘たちをぶち抜き、最終コーナーを曲がるためにやや左に膨れたサクラエイコウオーの視界には、影が横切ったようにしか見えなかっただろう。
誰も、『無理』とは言わない。歯を食いしばって、走る。
(やはり、GⅠだ)
質が高い。むりだなんだと諦めるようなやつに勝っても、満たされない。全力を振り絞ってくるからこそ、勝負というのは楽しいのだ。
地を飛翔し獲物をその鉤爪に捕らえんとする猛禽のような、頭を限界ギリギリまで地に這わせた独特のフォーム。
空を掻くような大きな一歩で、ナリタブライアンはこれまでの約1分半を支配してきたサクラエイコウオーを隷下に置いた。
『先頭はナリタナリタナリタ! ナリタブライアン! 抜け出した抜け出した! 完全に抜けた! ぶっちぎり! 追う者は誰も居ない! 圧勝! やはり怪物は強かった! おそるべし、ナリタブライアン! まずは1冠です!』
カメラが頑張って引いても2着の姿すら見えない圧倒的な結果で、黒いテールヘアーが過ぎ去った後に2着のウマ娘がゴール板を駆け抜ける。
それは圧倒的な、もう怪物としか言いようのない末脚がもたらした圧勝劇だった。
58人の兄貴たち、感想ありがとナス!
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