ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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アフターストーリー:疑似

 ナリタブライアンが皐月賞を勝つというのは、謂わば既定路線だった。

 ファンからしても、評論家からしても、他のウマ娘からしても。そして、東条隼瀬からしても、である。

 

「当たり前だ、こんなもの。勝つに決まっているではないか」

 

「言うものだな、アンタも」

 

 ウイニングライブを終えて記者会見に向かう男が言った傲岸とすら言える一言。

 それをシンボリルドルフが聴いたら、そんなことは言うべきではないと窘めたことだろう。

 だが、ナリタブライアンとしても負ける気はなかったし、負けると思ったこともない。

 

 それにしても飾らなすぎる言い方であるが、彼女自身も言葉に装飾や含みを持たせない質である。

 自分の本音をそのまま言う、あるいは言ってしまうこの男の癖を理解することは容易かったし、自分が言葉への加飾を嫌う以上、窘める気にもならなかった。

 

 第一、この真っ直ぐすぎる言葉の選び方こそが、彼女が彼を信頼する所以でもあるのだから。

 

「調子を整えて実力さえ出しきれれば勝てる。実力以上の物を要求されないなら、誰がトレーナーをやっても同じさ。それくらいお前は強かった」

 

「当たり前だ。誰に管理されてやってると思ってる」

 

「……管理ね」

 

 まあ確かに、それに近いことはしている。

 だがそれは怪我をしないための大枠を作る、ということである。

 ミホノブルボンにやったような一挙手一投足に渡る主導的な管理主義を、今の彼は使っていない。

 

 サイレンススズカに対しても、ナリタブライアンに対しても、彼がやっていることは願望を聴き、やりたいことを問い、そしてメニューを臨機応変に組み立て直して全体のバランスを取っていくという、放任主義に首輪をつけたような塩梅の代物である。

 

 昨今の好ましくない風潮の確認をする為に幾人かの――――最近放任で結果を出せていないベテランの指導方法を見学したが、あれは管理というよりも強制に近かった。最北から最南に転向しても、極端なところが変わらない。

 

 流石と言うべきか、その本家本元たる理事長代理の行っているチーム運営は理に適ったものだった。

 

 才能が損なわれること。

 夢に挑むことができなくなること。

 アスリートとしての生を終えてからの日常生活に影響が残るような大怪我を防ぐことを第一に置いた徹底的な管理主義。

 

 なぜ徹底的な管理ができるのかと言えば、それは樫本理子という女性の経験と才能が管理主義の鉄壁に柔軟さを与えているからである。

 だが誰もがそうできるわけではない。理事長代理は寝食を惜しむような熱心さで他の結果が出ていない放任主義者たちを教育しているわけだが、教育だけでできるようになるとも思えない。

 

「管理というのは、何だと思う?」

 

「駄目なものに駄目だということ。そしてその理由を言い、代案を出すことだろう。具体例を上げれば、アンタはいつも完全に否定し切らない。今日はだめ。なぜならこうだから。その代わりに明日やらせてやる、という。こういうのが、管理だ。違うのか?」

 

「いや」

 

 違わない。

 その短い答えをブルボンやルドルフが聴けば根底にある疑問に気を向け、内包物を察知しただろう。

 

 だがナリタブライアンの場合、そこまで気は回さなかった。

 

「それにしても、私に手を貸してよかったのか?」

 

 アンタは寒門の味方だろう。希望を与えておいて自ら摘む。そういうことはいいのか?

 少なくとも世間的なイメージは、そうである。本質的には、彼には寒門も名門もない。手を貸してくれと言ってきたウマ娘の味方である。

 

 だが自分と共に三冠の覇道を突き進むことは、彼がミホノブルボンと共に舗装した道を自ら破壊するものではないか。

 ナリタブライアンとしては、そう思わないでもない。

 

「俺は魚を釣る方法は教えたし、ブルボンが誰にでも釣れるところを見せた」

 

 学会で彼が発表した坂路トレーニングの有用性とトレーニングの管理理論は、なんの隠し事もなく、なんの奥義も隠していない公明正大なものである。

 そしてミホノブルボンはそこに書いてある通りに鍛え、身体が破壊される限界線を反復横飛びするような過酷なトレーニングで三冠に至った。

 

「だから俺は、釣ったものを与えてやる気はない。ブルボンは努力し、自ら勝ち取った。ならば後に続く者もそうすべきだ。立ちはだかる者が、遠慮してやる必要はない。そうではないか」

 

「まあそうだが」

 

 量、質、密度の掛け算。

 才能が皆目ないミホノブルボンは、努力でその全てを補った。

 

 普通のウマ娘なら7回は壊れてもおかしくない量を、一流のウマ娘の数倍の精神力でやり切る。ただやり切るのではなく、目的意識と集中力を途切れさせずにやり抜く。これは、真に偉大なことである。

 

 それはミホノブルボンのトレーナーとして過酷すぎる練習を与え続けた東条隼瀬自身が一番わかっていた。

 彼女らがその先達に追いつこうとするならば、それこそ手を抜くことなどあり得ない、と。

 

「それに、寒門の誰かが無敗で三冠を制するとなると、俺とブルボンのそれまでに並ばれるということになるからな」

 

「アンタはそれが気に食わないわけだ」

 

 ミホノブルボンの夢を全力で応援する。寒門でもやれることを示す。

 示しつつ、自分とミホノブルボンが歩んだ3年間が唯一輝く特別のものであってほしい。

 

 そこを詳しく洞察したわけではないが、ナリタブライアンは野生的な勘でこの理性的に見える男の単純ならざる心境を見抜いた。

 

「気に食わないわけではない。ただ」

 

「ただ?」

 

「俺を超えるくらいはしてもらわなければ、ブルボンの栄光に並ばせるわけにはいかないな」

 

(気に食わないんじゃないか)

 

 厳しすぎる父性愛、というべきか。

 

 しかもこれの厄介なことは、抱く本人が感情としての複雑さを自覚していないにも拘わらず、『レースに挑むからには全力でやらざるを得ない』というトレーナーならば誰もが頷く性分で理論武装してしまっていることである。

 

 ミホノブルボンは、親友のライスシャワーとの忖度なしの激闘の末に無敗と三冠をその手に掴んだ。

 そんなウマ娘の後継者になりたいのならば、忖度を必要とするはずがない。ならば、彼が大人気ないほどの全力で叩き潰しにかかるのも何らおかしいことではない。

 第一、手加減を必要とするならば後継者になどなり得ない。ついでに言うならば、ミホノブルボンがそれを望まないだろう。

 

 そもそも彼女はあくまでも、自分と同じように信頼できるトレーナーと共にどこまでも夢を追いかけていけるための道を切り開きたいだけであり、別に自分の他の寒門ウマ娘にクラシック三冠の栄冠を得てほしいわけではないのだから。

 

 

 ――――二度目の皐月賞制覇ですが、ご感想は?

 ――――順当な結果を得られたと思っています

 

 ――――クラシック三冠は狙えそうでしょうか?

 ――――レースを終えた時点で今年の有資格者はブライアンひとりだけになったのですから、狙えると言えるのではないですか

 

 ――――次のレースは?

 ――――日本ダービーでしょう

 

 ――――これは管理主義の勝利であると言えるでしょうか?

 ――――ナリタブライアンの勝利であるとしか言えないでしょうね

 

 そして記者会見の最後に、月刊トゥインクルの記者が締めとしてはやや不適切ながら、それでも必要な質問を投げかけた。

 

 ――――東条トレーナーは、管理主義が放任主義に優越しているとお考えですか?

 ――――両者の間に適性はあっても優劣はない。問題はむしろ運営者の手腕にあります。放任主義は運営者の優劣が色濃く出やすく、管理主義は出にくい。そういうことです

 

 基本的にインタビューを受けるはずのナリタブライアンが死ぬほど無愛想でリップサービスをしないが故に、比較法でまともな部類に分類された男は質問の集中砲火を食らった。

 

 『ああ』、『そうだ』、『違う』、『しつこい』くらいしか返答の選択肢を持たないナリタブライアンは、見た目通りのつっけんどんぶり。要は、マスコミ嫌いである。

 

 記者会見を終えたあと、ナリタ家へ向けて『2年連続皐月賞制覇』という偉業を称える祝電を送り、東条隼瀬はコーヒーをぐびぐびとやりながら車を運転して府中に帰ってきた。

 

「長々と喋ることが嫌いなのは性分なんだから、言っても無駄さ。喋ることによって走るのがうまくなるならそうさせるが、そうではないからな」

 

「その寛容さはマスターの美徳ですね」

 

「めんどくさいだけさ」

 

「その露悪的な言い口はマスターの欠点ですね」

 

 ポンコツロボ(いぬ)の星の散りばめられたような瞳の平熱ぶりが、このわざと自分を悪く見せるような言い方に慣れていることを示していた。

 

「どうでしたか、今年の世代は」

 

「今のところではあるが、お前に続くやつは現れそうにないな」

 

 レッグプレスを一定のペースで上げ下げしているにも拘わらずなんの澱みもなく続けられる言葉に、ミホノブルボンというウマ娘が練習に練習を重ね鍛え抜かれていることが察せられた。

 

「見たところ、あの出走者たちの中に私に劣る才覚の持ち主はいませんでした。それでもですか」

 

「お前の長所は驚異的な精神力にある。そう簡単にブルボン二世が現れるというわけにもいかないだろうよ」

 

 サボらず、音を上げず。

 ただひたすらに彼女は身体を鍛え上げた。

 坂路とは、身体を早熟させる施設である。素質のままに圧倒できる才能がない彼女は自分の能力を一気に上げざるを得なかった。

 

 早熟した身体を粘りと持続性のあるものに作り変え、そして疲労を抜いてこれからに備える。

 そのために丸々1年を要すというのは、彼女が如何にこれまで無理をしてきたかの証左だった。

 

「よくやるよ、お前は」

 

「マスターが居てこそです」

 

「そうだな。俺が居てこそのお前で、お前が居てこその俺さ」

 

 シンボリルドルフにも、サイレンススズカにも、そしてナリタブライアンにも、必ずしも自分の力が必要だとは思わない。

 完成度には左右のブレがあるかもしれないが上下のブレは起きなかっただろうし、あの才能であれば放っておいても三冠なりなんなりになれたことであろう。

 

 しかしミホノブルボンに関しては自分がいてこそだと言う若干の自信が、彼にはあった。

 

「その通りです、マスター」

 

 むふーっと。

 眉毛を左右にピーンと上げ、口元が短い弧を描く。

 

 基本的に自己評価の低い2人だからこそ、互いが支え合ってこその栄光であるということを正しく理解することができていた。

 

「それにしてもマスターはやはり、管理主義の伸長を快く思わないのですね」

 

「伸長は喜ぶさ。なにせ管理主義というのは凡人が画一的な優秀さを育てあげるには最高の方式だから、主流ではあるべきだと俺も思う。だが問題はその主流が濁流となって支流を呑み込まんとしていることだ。このままでは、天才や個性派の行き場がなくなる」

 

 個性的で天才肌な連中をそういう型に嵌めてしまうと、お互いにとっての不幸になる。

 そういうやつらには放任主義があっていて、そういうやつらのために、放任主義は残されるべきなのだ。

 

 ミホノブルボンからすれば、管理主義は歓迎すべきものである。

 自己を改革していく想像力に乏しい彼女からすれば、次々に『ああせい』『こうせい』と言ってくれる管理主義は合い過ぎるほどに合っていた。

 

「それにしても、管理主義は天才に合わないのですか?」

 

「凡人の管理主義には、な」

 

「ではマスターはどうなのでしょうか」

 

「俺は本人たちの要望を汲んで、管理を最低限にとどめている。謂わば天才の天才ぶりを借りて運営する疑似天才というべきだろうな」

 

 そうですかね。

 そう思ったが、ミホノブルボンは賢かった。

 スズカがうんたらーとか言いはじめることが容易に想像できるだけに、彼女は口をつぐんだのである。

 

「疑似天才、ですか」

 

「そうだ。今回俺は相手の動きを完璧に読んだ。だがそれだって、俺が優れていたからではない。ブライアンの実力が相手の勝ち筋を限定させたからこそだ。サクラのトレーナーなどが『読み切られた。あいつは天才だ』などと言ったが、俺は所詮パチモンさ」

 

 そうかな、と。

 ミホノブルボンは、また思った。




57人の兄貴たち、感想ありがとナス!

ギアスター兄貴、みね兄貴、Emmanuel兄貴、カンタラ兄貴、サイドン兄貴、評価ありがとナス!

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