ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート 作:ルルマンド
「ルドルフ」
「ん」
ブルボンに口述筆記をさせるためにブツブツと言っていた口を休めるように閉じて、自分が書いていた書類をルドルフに渡す。
予算配分の見事さ、更にはその配分に沿うように生徒側からの要望を取捨選択するまでの迅速さ。ちらりと見ただけでわかるそれらを吟味した上で、シンボリルドルフは頷いた。
「これでいい。次も頼む」
「わかった。ブルボン、続きだ」
「はい、マスター」
口で別なことを言いながら、書類を処理していく。
「普段ならこの時期は戦場じみた雰囲気になるもんだが」
ぺらりと一枚だけ、プリントされた要望書に目を通して分類する。
副会長とは思えないほどの単純作業に従事するナリタブライアンは、その金色の目線を唯一の男とそのウマ娘の方に向けた。
「楽でいいな、今年は」
楽を単に楽として捉えて気楽に単純作業に興じるナリタブライアンに反して、もう一人の副会長ことエアグルーヴの表情はそう単純に楽を甘受するような、そんな喜びに満ちてはいなかった。
生徒会室が戦場じみた忙しさになるのは、ナリタブライアンの言った通りいつものことである。
しかしこの楽さは、いつものことではない。その原因はシンボリルドルフの補佐官としてついているのがエアグルーヴではなく、東条隼瀬であることにある。
少なくともエアグルーヴはそう思った。そして自分がまだまだ尊敬すべき皇帝の視座に届かないこと、これまで足を引っ張ってしまっていたのかもしれないという点に思いを致らせ、少し凹んでいた。
シンボリルドルフの仕事は、去年のそれよりも更に速い。それは彼女の能力が爆裂に上がったからではなく、補佐に付く者が彼女の意図するところを正確に察知し、やってほしいことを言われる前に行い、望んでいるところを察知しているからであった。
そしてそんなことができる理由はひとえに、その補佐官が補佐する相手と同じものを見て同じものを感じているからに他ならない。
「だが……」
「あの働きを見て忸怩たるところがあるわけだ、アンタは」
「……追いつくさ、すぐにでもな」
ブライアンは生徒会の仕事に対してやる気がない、というわけではない。死ぬほど向いていないだけである。
そのことを、東条隼瀬は知っていた。
故にナリタブライアンにはその動体視力と我慢強さを活かしたひたすらな単純作業を任せる。
――――無理をさせずに活かすべきところを活かす
それは無論彼がナリタブライアンのぶんの仕事をこなせるからであるが、人を使うと言う点においても劣っている、とエアグルーヴが感じてしまうのも無理からぬことだった。
別にそれは、能力の優劣ではなくやり方の違いに過ぎない。だがエアグルーヴからすれば、『うまく使いこなしている』と見てしまう。
東条隼瀬はあるがままの能力と気質を鑑定し、使えるところを使う。
エアグルーヴはやってほしいことに必要な能力を伸ばすような仕事の振り方をする。
効率がいいのは前者だが、長い目で見れば優秀なのは後者であった。
「ブルボン、次は?」
「リギル執事喫茶についてです」
「またやるのか。それならテンプレートがあったはずだから、今回借りた教室に適用させておいてくれ。席と出口が重ならないようにな」
「わかりました」
リギル執事喫茶は、かなりの人気企画である。しかし借り受ける教室がくじ引きによるランダムである以上、席の配置や厨房の設置を調節しなければならない。
そういった細かい作業は、事務処理能力にかけては一流であるミホノブルボンにとっては容易いことだった。
「ルドルフ、確認と裁可を頼む。あとこれ、資料だ。そろそろ要る頃だろう」
「ありがとう。ちょうど探そうとしていたところだった」
「だろうな」
阿吽の呼吸、というのか。
あくまでもシンボリルドルフという企画の創出能力・調整能力・事務処理能力の三冠ウマ娘に依存して様々な学園の企画や問題を処理してきたのが現在の生徒会である。
だがその直属にナンバーツーというべき絶対の補佐役を置くことで依存度が薄れ、もともと極めて優秀な組織力が加速度的に研ぎ澄まされていくようだった。
東条隼瀬という男は、もともとシンボリルドルフのような理想や気宇の壮大さを持っていたわけではない。
しかしその理想に触れて共感し、視座を合わせることを決めた。そしてその瞬間から、同じ視座に立つために能力と気宇を成長させていったわけである。
彼が共有する理想に合わせて能力を充実させていく男だということを、シンボリルドルフは知っていた。
そしてエアグルーヴにもそれができるであろう、と。
「よし、ファン感謝祭の準備は完了した。発注の後、様々な事故が突発するだろうがそのときはその時と考えていていいだろう。ありがとう」
「……何だ、もう終わったのか」
分類の仕事を終えて提出書類の運び屋に転職していたナリタブライアンは、いささか拍子抜けしたようにそう言った。
ダービー前のお祭りというべきファン感謝祭までには、まだまだ猶予がある。故にあと二日、いや三日くらいはかかってもおかしくなかったし、事実去年や一昨年はそれくらいかかっていたのである。
「規模を縮小したのか?」
そんなブライアンの疑問は、当然のものだった。
剛毅なところがある彼女は、参謀とブルボンという事務処理能力の鬼どもの加入によって数時間単位で効率化されることは想定していた。しかし、日にち単位の効率化は流石に想定外だったのである。
「いや、今回は寒門のウマ娘がたくさん来るだろうから規模は増大させてある。トレーナーくんに助っ人を頼んだのも、そのためだよ」
「へぇ。じゃあ規模の増大より事務処理能力の増大を差し引いて、大きな黒字になったわけか」
エアグルーヴの能力も、参謀に食らいつくことで一気に増大した。彼女は皇帝と参謀が何を考えているか、どういうところで思考を読み合っているかを仕事の合間の観察によって洞察し、そしてそれをほぼ自分のものにしつつあったのである。
「エアグルーヴ、本当によくやってくれた。期待通りの成長をしてくれて嬉しいよ」
「いえ、会長の意図を察することにおいてまだまだ未熟であることを認識しました。これに満足せず、精進していく所存です」
「ああ。それと、流石だねトレーナーくん。ああも私の思考を読んで先回りしてくれるとは」
「でなければブルボンの無敗伝説の終点は宝塚記念だっただろうな。俺は誰よりも、お前を知っている。知ろうとしてもいる。知りたいと思っている。同じ視座に立つ者でありたいと足掻くからこそできることがある、そういうことだ」
シンボリルドルフのルナなところにクリティカルヒットを喰らわせ、何度目かの再建を果たした『何か』をこれまた何度目かの瓦礫の山に変えた男は、あくびを一つ漏らしてから立ち上がった。
「よしブルボン、帰るぞ。手伝ってくれたお礼に、甘いものでも食わせてやろう」
「では、あんみつを所望します」
「ああ、いいぞ」
バタン、と生徒会室の樫の扉が閉まる。
犬と飼い主、あるいは娘と父親、年の離れた妹と兄。そんな感じの二人を見送って生徒会室に残ったのは、どストライクな直球を胸に喰らって尻尾に反乱を起こされている耳が萎れた皇帝と、皇帝に褒められて喜びを噛みしめるエアグルーヴと、あとはナリタブライアン。
「謎だ」
樫の扉の向こうに去っていった男と皇帝を見比べ思いながら、いつかのように。
ナリタブライアンは呟いた。
そして一方、能天気ポンコツ二人組はと言えば。
「あんみつ。あんみつか。好きになったのか?」
「はい。マスターもお食べになりますか?」
「いや、最近食欲がな……」
「最近というより、食欲旺盛であった試しがないのでは」
春は季節の変わり目だから食欲がない。
夏は暑いから食欲がない。
秋は温度差がひどくて食欲がない。
冬は寒いから食欲がない。
じゃあ一体、食欲不振でないときはいつなのか。
年単位で続くスランプをそれ即ち実力というように、彼の食欲不振は不振と言うにはふさわしくない。言うなれば、通常運転である。
商店街の外れ、侘び寂びの利いた甘味処に徒歩で向かい、席につく。
ミホノブルボンがいつものようにあんみつを頼んだのを見て、東条隼瀬はサラリと見たメニューの中で一番胃に優しそうなものをチョイスした。
「じゃあ俺は抹茶をいただこうかな」
「アイスですか」
「ノーアイス。俺は今日弁当を食ったからあんまり食欲がないのだ」
「珍しいですね。買ったのですか?」
彼は基本的に朝夕二食の男である。
ウマ娘は間食を含めて四食で生活することも珍しくないのに比して、エンゲル係数に優しい男だと言えた。
「ああ……対価を払ってはいるから、買ったと言っていいかもしれないが」
「なるほど」
提供者の存在とその内訳を察知して、ミホノブルボンは頷いた。彼女の脳の半分はあんみつへの期待で、そして半分はなんか色々なものに占められている。
それだけに、彼女の反応は淡白だった。
「マスターはファン感謝祭のとき、何か御用がお有りですか?」
「オペラオーの演劇公演に参加することになっている。だから毎日16時から30分間は拘束されることになるな」
「となると、ピアノですか?」
「そうだ。というか、それくらいしかできん。あとはまあ、リギル関係で色々だな。執事喫茶のときは厨房にも入るし、講演もある」
そう言いつつ、東条隼瀬は脳裏にある担当ウマ娘たちのスケジュールを引っ張り出した。ナリタブライアンに関してはダービー前ということで予定はガラガラだが、ブルボンとスズカは忙しい。なんだかんだで人気で、実績もあるウマ娘だけに。
「スズカは昼間の模擬レースやらライブやらがあるし、お前にしたって今回案内役を仰せつかったわけだろう」
「はい。学園内の案内パンフレットのインプット完了。いかなる質問にも対応できるように事前インストールは済ませています」
「それはなにより。クラスの出し物は何をやるんだ?」
「お化け屋敷です。ポスト:幽霊を仰せつかりました。事前準備に関しても、それなりに貢献しているつもりです」
へー、じゃあターミネーター役でもするのか。
そう言いかけた口を抹茶ですすぐ。
「お前は暗いところでやたら光るから、気をつけろよ」
「心します」
どう気をつけるのか。
そういう詳しいことをゴタゴタと言わないあたりに、この二人の関係が精緻で画一的なものではなく、雑で適当なものであることが窺えた。
「執事喫茶で」
「うん」
「マスターは執事服を着るのですか?」
それは彼女自身が見たいとかそういうことではなく、クラスメートから言われたからであった。
あの鉄面皮な毒舌家は、執事喫茶の執事として出てくるの!?と。
やや掛かり気味に言われて、ミホノブルボンはその疑問を氷解させるために、今なんとなく問うたわけである。
「いや。リハーサルでは着るが、その予定はない。需要もないだろう」
「需要に関してはあります。マスターの見た目は私のクラスメートの間でも人気ですので」
基本的に良い子が多いウマ娘たちである。
わざわざ応援グッズを買ってミホノブルボンのレースをテレビや現地で観戦していた者は多い。更に言えば、日本トゥインクルシリーズの悲願である凱旋門賞に挑戦するときなど、授業すら止まった。
そしてミホノブルボンのレースを見れば必然的に、見た目だけならばシンボリルドルフと互角なこの男を見ることになる。
人格的円満さを生贄に捧げて手に入れたに違いない隼のような冷たく鋭い美貌は、目元の精悍さと病理的な白い肌がかもし出す儚さを巧みに同居させていた。
要は、彼は顔が良かった。
かっこいいとか綺麗とかではなく、顔が良かった。
「なるほど。しかし俺が膝を屈したいと望むのはこの世に2つの人格があるだけだ。そしてその2つの人格は結果的に1人のものだった。すなわち、真似事と言えどもそいつ以外に仕える気はない」
「わかりました。伝えておきます」
あんみつの汁にひたしたさくらんぼを最後に食べ終えて、ミホノブルボンは自分にも運ばれてきた抹茶を口にして、顔を歪めた。
「あら、苦いか」
「余計に」
「しかたないな」
くいーっと2杯目の抹茶をかっさらうように飲み干して立ち上がり、座っているミホノブルボンの肩をぽんと叩く。
「外で水を買ってやる。出るぞ」
「はい、マスター」
甘いものを食べたあとは、喉が渇く。
その渇きを苦味のある抹茶で潤すことこそ至福と信じている彼ではあったが、できないことを強いる気はない。
天然水でも買ってやるかと思いつつ会計とカロリー計算を同時に行いながら、彼の財布からそれなりの金銭が羽ばたいた。
58人の兄貴たち、感想ありがとナス!
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