ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート 作:ルルマンド
ミホノブルボンは彼がどこに行くにしても、てこてこと後をついてくる。
雛鳥が初めて見たものを親だと思って付いていくように、ミホノブルボンは初めて担当してくれた――――肉親以外で初めて自分の夢を応援してくれた男をマスターと認識したのか、てこてこと忠実についてくるわけである。
鳥がピーチクパーチクと鳴くように、犬がワンと吠えるように、ミホノブルボンはマスターマスターと言って付いてくる。
そして無口そうで結構しゃべる質のミホノブルボンは隣に座って一生懸命に、今日あったことを熱心に話す。
「今日はサクラバクシンオーさんとウィークリーミッション『カフェへバクシーン』を行いました。摂取したカロリーは約700キロカロリーと推定。細かいメニューの提出を行いますか?」
「いや、いつものだろう。それならば構わない。楽しかったか?」
「はい」
こういった無表情で無口そうなウマ娘が尻尾をブンブンと振りながら拙くも一生懸命なお話をしてくれるというのは、東条隼瀬からすればとてもありがたいことだった。
「マスターは、私の話をよく聴いてくださいます」
「ああ」
「そして私は他者にステータス『楽しい』を付与するような喋り方ができません。マスターは楽しんでいらっしゃいますか?」
暗闇で何故か発光する耳飾りを着けていない方の耳を不安げにへたれさせて、ミホノブルボンは問うた。
声色は依然としてアナウンスのような平坦な秩序が保たれているものの、その目線にはほんの少し窺うような色がある。
「無論だ。お前と話し、時間と空間を共有する。言葉の内容だけではなく、雰囲気と風韻を楽しむ。俺はそういうふうに、結構こういう時間を楽しんでいるんだがな」
「そうですか」
「そうさ。お前といると、俺は落ち着くんでね」
ホワイトチョコレートに覆われた棒状の菓子を頬張る男は、脚を組み直して冷やされたコーヒーを一口飲んだ。
「それはルドルフ会長といるときも同じことではありませんか?」
「あいつと居ると安心する。それは当然だ。俺が気づかないことに彼女は気づくだろうし、その判断に従っていればまず間違いはない。だがだからこそ、俺としては失望されないように色々と気を張っているわけだ」
そういう絶対的な信頼があるからこそ、シンボリルドルフは決断前に必ず、彼に意見を求めるのだろう。
決断したあとでは、自分の導き出した正答を肯定するような答えしか返ってこないから。
「お前は俺を必要としてくれている。それがわかるからこそ、遠慮なくお前の側に居られるわけだ」
「はい。私はマスターを必要としています。マスターが私を必要としてくださっているのと同じくらい多く、それよりも深く、私はマスターの存在を必要としています」
「うん」
うん、と言った瞬間、撫でられることを察知したミホノブルボンの栗毛の耳が撫でられやすいようにぺたんと頭に溶けるように畳まれる。
その代わりにやや遠慮というものに欠ける男の手が少女の頭の上に乗せられ、犬にでもやるようにわしゃわしゃと撫でた。
――――お父さんとマスターは、違う
それは、わかっている。自分に対して向けられている感情が僅かに異なり、自分が向けている感情は大きく異なる。
だがこの、大きな手で撫でられる感覚。包み込むように優しい、安心を与えてくれる行為。
人格的な温かみがそうさせるのか、あるいは単に手の動かし方が似ているということなのか。
撫でられ終わって耳がぴょこんと立ち上がっても、ミホノブルボンはわからなかった。
「いい子だ、お前は。本人の資質もそうだが、親の教育が良かったのだろうな」
自分に加えて大好きなお父さんが褒められたことを受けて、鍛えられた栗色の尻尾がパタパタと揺れる。
意味もなく彼のコーヒーを持っていない方の手をぎゅーっと握ったりして、手持ち無沙汰とばかりに虚空を見た。
「口」
ズボッと、彼が頬張っていたものと同種の菓子が半開きになっていた口を強襲する。
ホワイトチョコレートのしっとりとした甘さとクッキー生地のサックリ感がハーモニーをもたらしたあたりで、ミホノブルボンは星の瞬く瞳を隣に向けた。
「どんなに偉業を打ち立てても速くなっても変わらんな。ぽけーっと口を開ける癖は」
見てて面白いから別に直さんでいいが。
おそらくはこのあと続くであろう言葉をマスターとの過去ログ倉庫から引っ張り出してきたミホノブルボンは、次の言葉に耳を疑った。
「お、当たった」
「何がですか?」
「いや、お前のブロマイドがな。ほら」
名前繋がりのコラボ商品である。
闘走本能と不敗の誇りを剥き出しにして走っている姿を激写し、編集を施されたそのカードは暗闇でも見える特殊加工をされたものらしかった。
「かっこいいだろう。集めているんだ」
「だからリギルのお茶請けがブランド統一の憂き目にあっていたのですか」
「旨かろうが」
「そこは、否定しませんが」
げっ歯類のようにポリポリやってからこくりと呑み込むイヌ科のウマ娘は、それでも納得しかねるように首を傾げた。
「なぜ、そんなものを集めるのですか?」
「俺は担当ウマ娘のグッズは基本的に全て揃える主義なんだ。老後なんの能もなくなって過去を楽しむことしかできなくなったときに、暇にならないようにな」
棒状のクッキーを包むホワイトチョコレートのように、『現在が遠くなってしまったときに過去を色褪せずに思い出したい』という本音を皮肉でコーティングした言葉の本音と建前を正確に把握しつつ、ミホノブルボンは耳をピコピコと左右に揺らした。
「マスターはおそらく、死ぬ寸前までルドルフ会長に酷使されるのでその心配には及ばないと思います」
「そりゃあありがたい」
あの皇帝は、死ぬまでこの露悪的で皮肉屋な助言者を手放さないだろう。
ミホノブルボンは、自分と彼の間に破り難い絆があることを知っている。だがそれと同じかそれ以上の絆がシンボリルドルフと彼との間にあることもまた、知っていた。
「それと」
「うん?」
「本物が側に居る以上、そういうものは他の人に譲ってあげてはいかがですか」
こいつ、恥ずかしいのか。
確かに、本人の前で本人のグッズを自慢げに披露するというのは、いささかデリカシーにかけていたかもしれない。
「それはそれ、これはこれだ」
わざわざ誂えたケースの中に収めたブロマイドをしまいつつ、東条隼瀬は凪いだ表情を見せるイヌ科のウマ娘の顔を見た。
怒っている、というわけではない。ただ、恥ずかしがってるようにも見えない。
「嫌か、こういうのを集めるのは」
「嫌ではありません。私もマスターと初めて会ったときの靴をまだとっておいていますし、まだ履いてもいますから」
「ああ、あのボロか」
死ぬほどデリカシーのないことをポロリと口からこぼしている男を割と諦めたような目線で見て、ミホノブルボンはボロ呼ばわりされた靴を思い浮かべた。
確かに、ボロボロではある。しかし歩くのに支障はないし、見た目もそれなりのものである。
「なんでとっておいているんだ?」
「マスターと会えたことも、担当していただけたことも奇跡のようなものです。どこかで何かが違っていれば、会ってなかったという可能性すらあります。その幸運を思い出し、その上であぐらをかかないようにしているのです」
「臥薪嘗胆というわけか」
お前は関羽か。
そんなツッコミをおくびにも出さず、彼は世間一般的な四字熟語で話を〆る。
屈辱を、というわけではないが自分を戒めてはいるわけだからそうなのかもしれない。
そんなミホノブルボンは、取り敢えず曖昧に頷いた。
「あの頃着ていた服はもう着れなくなってしまいましたから、靴だけが最後の拠り所です」
「だが実際、靴の破損は事故に繋がる。保管しておくのはいいが、使うのはやめるべきだろうな」
「…………はい」
非常に現実的な意見をぶつけられて自信満々にキリッとしていることが多い眉がしゅーんとなったのを見て、東条隼瀬は慌てて口を開いた。
「だから明日にでも、靴屋に行こう。これもそれなりの思い出になると思うが、どうだ」
「はい」
眉がキリッとなり、尻尾がうるさいくらいに振られはじめたのを見て、思わずクスリと笑いを漏らす。
(かわいいやつ)
わかりにくい癖に、わかりやすい。
耳も『ワクワク』とでも言うように左右にゆらゆらと揺れているあたり、とった選択は間違いではなかったらしい。
「わかりやすいな、お前は」
「いえ、私は表情に乏しいと指摘されたことがあります。よって、表情はわかりにくいはずです」
「まあ表情と声の抑揚にはやや乏しいが、感情の機微とはそれだけで知るものでもないからな」
それまでブンブンしていた尻尾でクエスチョンマークを作る程度にはわかっていないらしいブルボンの頭を軽く撫でる。
「お前、そろそろ門限だろう。帰りなさい」
「はい、マスター。また明日」
「ああ、また明日」
栗毛の少女は、疑っていない。昨日も今日もそうだったように、明日も明後日も側に彼がいることを。
だが男の方は、必ずしもそうとは限らないと言うことを知っていた。
個人にとってのこれまでというものが有限なのだから、これからというのも有限であることを。
「ブルボン」
「はい」
くるりと振り返った、青い瞳。
美しく、純朴なその光を真正面から受け止めながら、東条隼瀬はなんとなく切り出した。
「お前、卒業してなりたいものとか、そういうのはあるのか?」
「……?」
卒業してもこれまでがずっと続く。
割と無邪気にそう信じていたミホノブルボンは、ぽけーっとした顔をして立ち止まった。
「指導者になりたいとか、地方で何かをやりたいとか、そういうことはあるのか?」
「……取り敢えず、マスターと一緒にいたいと思っています」
マスターがいて、ライスがいて、ライスの側には将軍がいて、そして生徒会室に行けばルドルフ会長がいる。
そういう日常を、そういう日常が作り出す小空間を、ミホノブルボンは愛していた。その終わりを考えることができないほどに、このまま続いてほしいと思っていた。
「私は、マスターの側に居ることが好きです。マスターと、マスターの周りの人が織り成す空間の中にいつまでも居たいと、そう思っています」
「そ、そうか。なら、卒業したら俺の補佐をしないか? お前は手袋必須とはいえ最近電子機器も扱えるようになった。俺の意図も汲めるし、事務処理能力も高い。補佐役としては適切だと、思う。別に今返事をする必要はないから、将来の選択肢として覚えておいてくれ」
「はい。メモリーに保存しておきます」
パチパチと、両者の瞳が瞬く。
無限にも感じられる沈黙の後に、ミホノブルボンの方が口を開いた。
「ですから、マスターも忘れないでください」
「ああ。忘れないさ」
「お願いします。忘れてしまった、ということになると」
「なると?」
「冷静さを欠いてしまうかも知れません」
そりゃ怖い。
そんな呟きが、春の風に吹き消されて消えた。
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