ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート 作:ルルマンド
「感謝している人……すなわち、マスター」
ミホノブルボンに、羞恥心というものはないのかも知れない。
ファン感謝祭で紡がれた1つのシーンで、誰もがそう思った。
それは、ポーカーフェイス大会。優勝者の所属するクラスには、気づけば消え去っている学食の大目玉、パフェが振る舞われるという。
そんなポーカーフェイス大会は熾烈を極めた。まずお化け屋敷での決戦で大半が驚愕と怯みの顔を見せてしまい落選し、次回の辛い物食べ競争でもまた多くが落選した。
そして、最後。2つの難関を乗り越え身近な人への感謝を伝えよう!という自爆テロのような企画に挑んだブルボンは、迷わずにその名を口にした。
「マスターは私の夢を応援してくださいました。周りが無理と言っても、あのトレーナーは言う事を聞くのをいいことに無理なトレーニングを課している。またウマ娘を故障させる気かと言われても、マスターは揺らがず、私を応援してくださいました。三冠を目前にしたときは夢を自ら見つけることの大切さを説いて下さり、私は繋げていくことの重要さを学びました。
私は、マスターに感謝しています。夢を叶えられたのも、私には過分の名声を得られたのも。それはひとえに、マスターのおかげであると」
それに対して、たいていのウマ娘が羨望の眼差しを向けた。
ここまで深い信頼関係は、そう築けるものではない。
自分たちも。そう思っている中で、一人の男が立ち上がった。
「俺もお前に感謝している。俺が立ち直れたのも、ブルボン。お前が側に居てくれたおかげだ。お前が俺を信じてくれたおかげだ。俺の指し示す道を疑うことなく駆けてくれる。そんなお前だからこそ、夢を果たせたのだ。これからも、共に夢を駆けていこう」
「はい、マスター」
これまたこの二人に対して、たいていのトレーナーが羨望の眼差しを向けた。
ここまで深い信頼関係は、そう築けるものではない。
そう。それは、かけがえのない絆を感じるひとときだった。
しかし、翌日。
「マスター。それはなんですか」
「犬。捨てられていたから拾ってきた」
老いた感じのある、茶色の犬。
そのボロ犬は彼女のマスターの腕に抱かれ、だらーんと尻尾を垂らしてハッハッハッと息を吐いている。
風呂から出たばかりだから、だろう。おそらく汚れていた犬を洗ってあげていたであろうマスターの優しさ。
それをごく自然に『自分に向けられるべきものだ』と思っていたミホノブルボンは、やや不機嫌に耳を絞った。
ブルボンは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の他所犬を除かなければならぬと決意した。
ブルボンには恋慕の情がわからぬ。ブルボンは、サイボーグである。田舎で父と共に遊んで暮して来た。けれどもマスターのペット事情に対しては、人一倍に敏感であった。
(おや)
と、東条隼瀬は勘付いた。
このイヌ科のウマ娘は何やら不機嫌らしい、と。
人間は眼や口元、表情などに感情が出る。
それに加えてウマ娘は、耳と尻尾にも感情が出る。
ミホノブルボンは表情や眼、口元などに感情が出にくい。出にくいが、そのぶん耳と尻尾に感情が如実に出てくる。そして彼女は基本的にぽややんと穏やかな気質をしているから――――少なくとも、彼自身はそう思っている――――ブルボンは常に機嫌が良さそうな感じに耳をピコピコして尻尾を振っていた。
しかしその耳を左右にピコピコさせる動作はなくなり、今は耳が絞られている。
耳を絞るとはなんぞや、という話ではあるが、つまり耳を後ろに向けているという感じだと思ってくれればよい。
(こいつ、怒る機能があったんだな)
そして、尻尾。蛇が威嚇するようにゆらりと上げたまま、ゆっくりと左右に振れている。
緊張し、そして怒っている。今のブルボンは、そんなところである。
――――ブルボンって、怒るんだ
ミホノブルボンが結構前、記者会見で怒った彼を見て思ったこととほぼ同じようなことを、彼もまた思った。
基本的に、ミホノブルボンは怒らない。常に機嫌がいいとすら言っていい。
それは飼い主――――もといマスターである東条隼瀬の側にいられるだけで嬉しい。だからご機嫌、という実に犬っぽい理由なわけであるが、もともと気質が善良で穏やかだからというのもある。
名ウマ娘は、気性難が多い。
というより気性難と形容される性格の激しさを走りの推進力に換えて走ることができる者が、名ウマ娘になれると言えるかもしれない。
しかしミホノブルボンにはそういうところがなかった。非常に穏やかで、安定している。
だからこそあれだけ過酷な――――普通のウマ娘であればトレーナーを蹴り飛ばして逃げかねないような――――トレーニングを平然とこなせたのだろう。
そしてそういう性格が、ラップ走法という一定の速度を保つという彼女独特の走法にも表れていた。
そんな平坦な気質、善良で穏やかな性格をしている彼女が、怒っている。心做しか眉もピーンと上がっている。
「犬ツー。そこでおとなしくしていろよ」
ワン、と。覇気のない鳴き声と共に、大地に降ろされた犬はブルブルと身を震わせて水を飛ばした。
(まったく、覇気がない)
私であればもっとハリのある鳴き声を繰り出せる。勝った。
それは他人(というか、犬だが)と自分を比べて優越感に浸るということをほとんどしない、ミホノブルボンにしては珍しい思考の巡りである。
取り敢えず、ブルボンの機嫌は放置すれば直るだろう。
そんな安直な思考でフキゲンブルボンを放置することを決めた男が犬ツーの餌を作りに台所に消えたのを見た後に、ミホノブルボンは犬ツーを見下ろした。
感心に、座って待っている。もともと飼い犬であったのを、老いたから捨てられたのか。
ともあれ、なかなかの知能である。だが。
(私の方が頭がいい)
当たり前である。
「マスター、お手伝いします」
「おお」
そんな密やかな優越感と共に、ミホノブルボンはマスターが薄く切っている鶏肉を見て作業に加わった。
鶏肉を薄く切って、煮込む。柔らかくなるまで煮込み、煮込み、煮込む。
それを冷ましたのをいくつか使い古された餌入れに載せ、東条隼瀬はハッハッハッと息を漏らす犬の前に差し出した。
「犬ツー、お食べ」
ワン、と鳴く。しかし覇気がない。
ワン。口の中で高らかに呟いてみて、ミホノブルボンは少しだけ口角を上げた。
(ステータス、『勝利』を確認)
その勝利になんの意味があるのか?
誰が勝利を判定するのか?
それは勝ったと判定したミホノブルボン自身にしかわからないが、ともかく勝ったらしい。
そんなミホノブルボンは、料理するべく戻っていったマスターの背中を反射でてこてこ追いかけかけて、止まった。
「犬ツー」
「ワン」
「あなたの餌は私とマスターで作りました。しかし、私とマスターの食事をあなたは作れません。つまり、私の方が上です。わかりますか」
「わふ?」
「わふ?ではありません」
「ワン!」
「ワン。でしたらマスターの1番は私。2番はあなた。それもわかりますね」
「ワン!」
「わかった、ということですね?」
「ワン?」
犬にマウントを取るウマ娘。
彼女が18戦18勝、総獲得賞金額28億。トゥインクルシリーズの歴史に残る、傑出した存在であることをこの犬は知らない。
だが、このクソデカい同種の匂いのする存在が自分の同系統の格上であることを理解したのか、柔らかく煮た鶏肉を呑み込み終えて腹を見せた。
「ワン……」
「よし」
よくないよ、ブルボンさん!
イギリス在住のライスシャワーさん辺りがそうツッコむであろうそんな適当極まりない解決の果てに、ミホノブルボンはてこてこてこてこと台所に歩いていった。
今日は久々に、マスターとお夕飯を共にする。お相伴にあずかる。そんな日である。
「おや」
さっきまで怒ってたのがもうご機嫌になった。
そんな子供じみたブルボンのミホーっとした顔を見て少し笑い、東条隼瀬は手早く切った食材を鍋に入れた。
「来ないと思いましたか?」
「いや、今思ったのは違うことだ」
「……?」
だらーんと弛緩した尻尾がパタパタと揺れる。そんなゴキゲンブルボンは割り振られた仕事をコツコツと的確にこなしていく。
基本的に言われたことをやるぶんには極めて有能なのがミホノブルボンである。
こうした平時には、迅速な指示こそできないものの時間さえあれば正確で的確な指示を下せる男の右腕としてそのサイボーグのような正確さを存分に活かすことができた。
「夕食を誰かと食べるのはいいことだ」
「はい。マスターと食べるご飯は、普段よりも美味しく感じます」
こういうことをサラリと言えるあたり、愛娘ポイントが高い。
豚汁をずずーっとやっているミホノブルボンが器を机に置いたのを見て、東条隼瀬は左手を伸ばしてわしゃわしゃと収まりの悪い栗毛を撫でた。
「お前はかわいいな」
「あの犬はどうですか?」
「かわいい」
かわいいというのには、二種類がある。
しかしこの場合、ブルボンと犬に与えられた『かわいい』は同一のものだった。
ぷくーっと左頬を膨らませたブルボンは気づかれないように、足元をぐるぐるしていた老犬を見た。
食事を終えたのか、ブルボンが座っている椅子の周りをぐるぐると走り、疲れれば歩き、荒く息をしている。
「いやに懐かれているじゃないか、ブルボン」
「同族だと思われているのかもしれません」
「ああ。それか……」
この犬を捨てた家族の中に、ウマ娘が居たのか。
まあそのあたりは完全な想像にはなるが、そう考えると物悲しさがある。
ミホノブルボンも何かを察したのか、その言葉の続きを問おうとはしなかった。
「犬と言うのは、かわいいものだ」
そして捨てられてもまだ懐いてくるというのは、哀れでもある。
そんなノスタルジックな雰囲気を破壊するような問いが、ミホノブルボンの口から発せられた。
「マスター。私の方がかわいいと、そうは思われませんか?」
「……お、おお。そうかな。まあやはり個人の観点、要は好みに準ずるのではないかな」
「私が問題にしているのはマスターの好みです」
「犬……」
尻尾がピーンと伸び、くるっと耳が絞られる。そして眉はしょぼぼぼぼーんと下がっている。
怒ってもいるが、凹んでもいる。そんなところだろう。
私は怒っています。そんなサインが無意識に出たのを見て、東条隼瀬はあっさりと掌を返した。
「……じゃなくてお前かな。似たようなもんだし、喋れるぶん勝つ」
するりと、耳が戻る。尻尾が垂れるような感じになり、そして下がっていた眉がつり上がった。
一応彼としては、嘘を言った覚えは無かった。正直なところどっちでもいいと言うのが本音だっただけに、その場の雰囲気に従った形になる。
(それにしても、こいつ……)
心が成長しているのか、どうなのか。
そのあたりはわからないが、少なくとも出会ったときのブルボンであればこういう話の振り方はしてこなかっただろう。
そのことだけは、わかる。ただの犬みたいなものだと思っていたし、忠誠に近い感じがあるとすら思っていた。
しかしそれにしても、今回は質が違うもののように思える。
(そのあたりは、よくわからん)
だが変わっているのは、確かだ。
ウキウキで魚に箸を伸ばしているブルボンを見ても、大して成長したようにも思えない。だが毎日の殆どを一緒にいることもあって、成長に気づくことも難しい。
どうなんだろうか。
そんな視線に気づくこともなく、ウキウキブルボンは一緒に作った料理を食べていた。
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