ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート 作:ルルマンド
芝、3200メートル。
去年、メジロマックイーン対ライスシャワー対ミホノブルボンという凄絶な三つ巴戦が行われたレース、天皇賞春。
今年は長距離で逃げ切り勝ちをしかけるというひっそりとやばいことやっていたメジロパーマーがURAファイナルズ後の調整に失敗し、右脚の脚部不安で回避。
長距離の王者メジロマックイーンは屈腱炎のリハビリ中。トウカイテイオーも有馬記念後の骨折(1年ぶり4度目)のリハビリ。
ライスシャワーはステイヤーズミリオンの挑戦に行って不在。ミホノブルボンは開店休業サイボーグ状態で、完璧に勢力図が空白となった感じのある、そんなシニア戦線で輝きを放つのは、次世代の星と期待される去年のクラシック世代。
すなわち、BNWと呼ばれる三人だった。
そしてその中でも頭一つ、いや二つ、あるいは三つ。デカいというか、存在感を示すウマ娘がいる。
「さあ、各ウマ娘ラストスパートに入った!」
実況が、そう叫ぶ。地獄としか形容しようのない昨年と違って、今年の注目ウマ娘は少ない。故に彼女の負担もいくらか軽減されていた。
ナイスネイチャ、マチカネタンホイザ、ナリタタイシン、そしてビワハヤヒデ。注目されるのはこのあたり。
特にナイスネイチャやマチカネタンホイザあたりは実力はあるというのにめぐり合わせが悪く、GⅠの栄冠を獲得するに至っていない。
彼女たちからすれば、言い方は悪いがこういうときこそチャンスなのである。かつて天皇賞春を制覇したウマ娘の参加もない。となれば、チャンスは通常よりも大きいと言える。
しかし彼女たちカノープスの面々が持つめぐり合わせの悪さは、ここに来てもしっかりと働いた。
ナリタタイシン――――怒涛の末脚で皐月賞を差し切り勝ちした彼女は、その小さな身体に見合わない豊富なスタミナで3000メートル近い距離を難なく駆け抜けて前へ迫った。
そこには彼女の同期で仲間でライバル、ビワハヤヒデがいる。
ナリタタイシンの持ち味は、爆発力である。一瞬の切れ味、末脚。そういったものにかけては、彼女は同期の二人に負けているとは思っていなかった。
春の天皇賞、3200メートル。彼女にとっては未知の距離。しかしビワハヤヒデに勝つには、どうすればいいか。彼女はそれを事前に知っていた。
――――仕掛けることだ。ハヤヒデより早く!
ビワハヤヒデと、自分との間。これを詰めるだけの切れ味を、彼女の脚は持っている。その自覚もある。しかしその差は大きいと言えるようなものでもなく、ビワハヤヒデに早めに仕掛けられたら差しきれない。
だが早めに仕掛ければ、スタミナが尽きる。
つまり、ビワハヤヒデの仕掛けるタイミングと、スタミナの尽きるタイミング。そのほんの僅かな間に、仕掛ける。それも、スタミナが尽きないギリギリのタイミング、ゴール板を駆け抜けた瞬間、倒れるほどの限界まで研ぎ澄まさなければならない。
信じなければ、勝てない。自分の才能を、勘を、センスを信じなければ。
トレーナーとの、何度も繰り返したトレーニング。ビワハヤヒデに勝つための一瞬を掴むための訓練。
――――今だッ!
ナリタタイシンは、ほぼ完璧に近いタイミングで仕掛けた。ゴール板を二、三歩駆けて倒れそうなほどのスタミナしか残らないようなスパート。
ほぼ最後尾から一気にごぼう抜きし、前方中程の好位につけていたビワハヤヒデに迫る。
勝った、と。ナリタタイシンは思った。まだ、ハヤヒデはスパートをかけていない。両者の間は3バ身。今この瞬間からハヤヒデがスパートをかけても、ゴール板までにはクビ差で差し切れる。
くるりと、芦毛の向きが変わった。三冠の栄光を掴まんとしている妹と同じ黄金の瞳がナリタタイシンを見つめる。
「そう。ここだ」
静かで、冷たい言葉。実際に証明された数式を見つめる数学者のような。
そうして、ビワハヤヒデは限界ギリギリまで力を温存した上でスパートをかけた。
彼女に引きずられるように、そしてナリタタイシンの影のような圧に押し出されるように。ビワハヤヒデの後続でピッタリとマークしていた幾人かのウマ娘がスパートをかけて外に膨らむ。そしてその膨らんだぶんだけ、ナリタタイシンは進路の変更を余儀なくされた。
ナリタタイシンとそのトレーナーの予測より、ビワハヤヒデの末脚はすごかった。
ビワハヤヒデとそのトレーナーの予測より、ナリタタイシンのスタミナは豊富だった。
お互いに、誤算があった。しかしこの場を制したのは、ビワハヤヒデとそのトレーナーだったのである。
(見たか、ブライアン)
観客席にいる妹を見つめ、指をさす。
姉は妹の背を追い、妹は姉の背を追う。そんな関係を、隠しもしない。
天皇賞春は限界ギリギリでの、ビワハヤヒデの勝利。
ナリタタイシンとの差は、ほんのクビ差。その差はビワハヤヒデでもナリタタイシンでもなく、彼女たちの間にいたウマ娘たちによってもたらされたものだった。
少なくとも、だいたいのウマ娘とトレーナーは、そう思った。
そしてそう思わなかった数少ない者も居る。
「アンタに訊きたいことがある」
「どうぞ」
ナリタブライアン。今年の三冠ウマ娘であろうと期待されている、そんな有望株の怪物は練習を終えて、重たい口を開けた。
明らかに今日、彼女はトレーニングに身が入っていなかった。ダービーが迫っているからだろうかと思いもしたが、どうやらそうではなかったらしい。
「私は、姉貴に勝てると思うか」
「ビワハヤヒデか」
芦毛のウマ娘。頭がデカく、肉体的には競り合いに強い。
去年、つまりブルボンが春シニア三冠を達成したり凱旋門賞を制覇したりと忙しかった、そんな年のクラシック世代の中核、BNWのひとり。
彼女は、強い。
「いずれはな」
「そのいずれは、いつくる」
「それはわからん。ナリタタイシンとウイニングチケットに関しては、底が見えた。だがビワハヤヒデに関しては底が見えん」
B(ビワハヤヒデ)
N(ナリタタイシン)
W(ウイニングチケット)。
そう並び称されるこの三人の実力は、必ずしも同一のものではない。
ウイニングチケットは、完成度が高い。脚質からして優等生というべき王道の走りを見せるが底知れ無さはなく、いわば相当強いというだけでしかない。反則気味に強いナリタブライアンには、敵わない。
ナリタタイシンに関しては、勝つ事自体は一番容易い。彼女は身体が小さく、自らの出力に耐えきれない。そしてそれにより、調子を保つことが不可能に近いのだ。
つまり絶好調のときにはやり過ごし、普通から不調に転落するときにレースで相対すればなんの工夫もいらないほどに楽に勝てる。
そして、ビワハヤヒデ。
このBNWという三人は、夏前までは互角だった。ダービーを制した完成度のウイニングチケット、皐月賞で見事な差し切り勝ちを見せた爆発力のナリタタイシン、皐月とダービーでどちらも連対した安定感のビワハヤヒデ。
だが彼女は、夏に化けた。どんなタイプを相手にしても安定して善戦できるウマ娘から、どんなタイプを相手にしても安定して勝てるウマ娘へ。
その結果、彼女は菊花賞を制した。つまりビワハヤヒデは、地力が高すぎるがゆえにそう見えなかっただけで、いわゆる夏の上がりウマ娘だったのである。
「先日春天を勝ったからな。メジロマックイーンが不在だったとはいえ」
そう、先日。
京都レース場で行われた芝3200メートルでの大レースにおいて、ビワハヤヒデはナリタタイシンのスパートが来るのを待ってからスパートをかけて勝つという圧倒的な強さを見せた。
「あれは強かった。実に強かった。俺はナリタタイシンの末脚を過大評価していたわけではないが、差し切られてもおかしくないと思っていた。しかし、最後は手数の多さが勝負を決めたな」
「手数?」
怪訝な眼差しが、東条隼瀬を射抜いた。
ナリタブライアンはビワハヤヒデを見ていた。彼女のみを見ていて、そして最終局面に至ってようやくナリタタイシンを見た。
故にその視野は深く、そして狭い。
「視野の広さと言ってもいい。ナリタタイシンは自分の力でビワハヤヒデを抜かすことを考えていた。だがビワハヤヒデは自分の力のみを頼りにしていたわけではない。最後、彼女は確かに状況を動かした。そして他のウマ娘を使ってナリタタイシンの猛攻を防いだ。見事なものだと思うよ」
「現状私と姉貴が競ったら、勝てる確率はどれくらいだ」
そう訊くこと自体が、ナリタブライアンらしからぬ行動だった。
彼女は、自信家である。そんな彼女が勝利への確率の計算を他人に求めるというのは、いかにもらしくない。
「勝てない。先日のレースを見て確信した。お前は全力を出せれば誰にも負けないが、要は全力が出せなければ負けもあり得る。そしてビワハヤヒデは、お前が全力を発揮することを許さないだろう」
「じゃあ、いつなら勝てる」
「いつ勝ちたいんだ」
そう問われた瞬間、ナリタブライアンの脳裏には姉のローテーションが過ぎった。
京都記念、春天、宝塚。
そしてオールカマー、秋天、有馬記念。
オールカマーには出られるが、対決の舞台としては不足。秋天は菊花と近すぎる。有馬記念は8ヶ月後と、遠すぎる。
自然、選択肢は絞られた。
「――――宝塚」
「なるほど。宝塚記念でビワハヤヒデに勝ちたいんだな?」
「ああ」
クラシック級のウマ娘が、シニアの強豪入り乱れる春のグランプリ、宝塚記念を制す。
それを果たしたのはシンボリルドルフのみで、他には居ない。ミホノブルボンだって、そんなことは無理だった。
シンボリルドルフの宝塚記念。三冠ウマ娘として最強の名をほしいままにしていたミスターシービーを打ち破り、ほんのクビ差で勝った大レース。
現在のシニア戦線最強格に、クラシック戦線最強格が挑む。その形勢は、如何にもシンボリルドルフの時と似ていた。
挑む側のトレーナーに至っては、同一人物である。
「ビワハヤヒデのトレーナーは、22歳だったな」
「ああ。それがどうかしたか?」
22歳。怖いものも知らないような、そんな歳。飛び級で試験に合格し、そして採用試験にも受かって、ビワハヤヒデという逸材に巡り合う。
果断な手をなんの躊躇いもなく打ってくる思い切りの良さと、豊かな才能があるだろう。
いや、だろう、ではない。ある。
(才能に経験が追いついた脂の乗り切った全盛期のトレーナーと、俺が読み合うのか……)
これは年寄りにはキツいと、率直に東条隼瀬(28)は思った。
これまでの対局相手は、基本的にベテランだった。だからデータが豊富に集まったし、予測も簡単にできた。
(分かれ道のない思考の袋小路に追い込むしかないか……)
相手の手が過去の蓄積を参照しても読めないなら、道を限定してしまえばいい。
そしてそれは、さほど難しいことでもない。問題はその袋小路を飛び越えていかないかということだが、そのあたりを考慮するとキリがない。
「……わかった。ビワハヤヒデと競うことは予測していたし、そのための策もあった。だから、負けないような態勢を整えることはできる。しかし、時間が足りないから勝つところまでは持っていけない。よーいどんの……いや、よーいどんでビワハヤヒデが躓いたような状況を作るから、あとはお前がなんとかしろ」
「ああ。なんとかするさ」
「そしてその為に日本ダービーに勝て。本気でブッチ切れ」
宝塚記念に勝つために、ダービーを勝て。
その指令は相当無茶苦茶なものだった。日本ダービーは、生涯に一度の夢舞台。数多のウマ娘が挑んで敵わず、挑めない者すらいる。
ウマ娘に比して遥かに長く多くの挑戦権を持つトレーナーの中にさえ、ダービー制覇の夢を果たせない者もいる。
「ああ。で、作戦は?」
「お前は普通にやれば勝てる。よって、進路がどうのこうの、駆け引きがどうのこうのという策はいらん。大外強襲で仕留め切れ。嫌いじゃなかろう」
「ゴリ押しか。なるほど、嫌いじゃない」
そして、日本ダービーはその通りになった。
だがこの時はまだ、ナリタブライアンが日本ダービーを勝てるかどうかは誰もわからない。
ダービーを2週間後に控えた1日は、ナリタブライアンの宝塚記念挑戦という大ニュースに相応しい決定が下されたのとは反比例して静かに、あくまでも何事もなかったかのように過ぎ去っていった。
34人の兄貴たち、感想ありがとナス!
ぴんちゃん兄貴、甘党菓子兄貴、評価ありがとナス!