ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート 作:ルルマンド
ミホノブルボンがダービーを終えて完全なる寒門の星となってからは 【ウマ娘大陸】や【プロジェクトU〜挑戦者たち〜】 などといったテレビ番組の取材がついた。
東条隼瀬はこういった連中の対応をめんどくさがる傾向にあるが、その時期は夏合宿後、菊花賞前。ミホノブルボンが切り開くものとして歩むことを決めた以後である。
故に彼は全身全霊でミホノブルボンというウマ娘のかかえる現実とその乗り越えていくさまを過不足なく伝えられるように協力を惜しまなかった。
つまり、何が言いたいのか。
要は大レースの前、有力なウマ娘の前には必ずと言っていいほど記者が現れる。 最有力ならば、テレビ局まで来たりする。そういうことである。
「もうすぐ日本ダービーですね!」
「そうですね」
そして、来た。有象無象が。
と言ってもやかましいから、対応がめんどうくさいからと言って邪険に扱うわけにもいかない。彼ら彼女らはそれが仕事で、他に余計なことをしたわけでもないのだから。
「隼瀬トレーナーは今回も秘策がお有りですか?」
というこの記者と彼は、さほど親しいというわけではない。単純に、叔母のほうがより有名な『東条トレーナー』だからである。
東条隼瀬は、古参の記者やファンからすれば東条ハナの甥だった。
「その有無を、聴きたいというわけですか」
「ええ。是非、お聴きしたいと思います」
「……ふ」
少し笑い、くるりと身を翻す。
そのままレース場に向かうであろうと思っていた記者たちは面食らい、慌てて止まった。
「無い」
「……へ?」
「無い。前進あるのみ。以上!」
これはある意味で、正しい言葉だった。
ナリタブライアンに与えた指示は、簡潔である。大外から強襲してブッチぎる。それだけ。
しかしそれは、いかにも彼らしからぬ乱暴さだと記者たちは思った。
ミホノブルボンとの3年間の総括として『このレースはこう来るだろうと思った。だからこうした』という一々もっともな解説をしてくれたこの男が力押ししたレースは、GⅡやメイクデビューなどの大舞台とは言い難いレースのみ。
(これはまた、なにかあるな)
何もないが、ベテランの記者はそう思った。
東条隼瀬は、策士である。和洋東西合わせてもトップクラスに頭がキレるウマ娘、シンボリルドルフの行動を完璧に読み切って嵌め切った程の男が、無策でダービーという大舞台に来るだろうか?
「東条トレーナーはかつておっしゃいました」
口を開いたのは、新人と言っていい若い男の記者だった。後ろにはお目付け役なのか、同じ会社の先輩――――乙名史記者がくっついている。
東条隼瀬は、古参の記者やファンからすれば東条ハナの甥だった。しかし新参の記者やファンからすれば、東条ハナこそが東条隼瀬の叔母だった。
要は、認識が逆転している。それがそのまま、呼び方に出た。
「レースの前にいかに情報を集められるか、集めた情報のもと如何なる作戦で動くか。それによって大方の勝敗は決まる、と。レース場でのウマ娘の努力は怠慢や過失を犯したトレーナーの損失を埋め立てるほどの効力を持つと考えない方がいい、と。それが今回に限っては、埋められるとお考えですか?」
「埋めてもらわなければ困る」
それは冷厳とした、謂わば彼の本質的な欠陥と呼べる愛嬌のなさが表に出た一言だった。
あまりにも、放り投げ過ぎている。ナリタブライアンは天才であるし怪物でもあるが、それでもトレーナーが怠慢に陥っていい、ということにはならない。
そんな思考がこの若い記者の脳裏を過ぎった瞬間、後ろで袖が引かれた。
――――これは、続きがありますよ
先輩。乙名史記者の制止に含まれたそんな意図を察して、黙る。
黙って続きを待とうとしたその刹那に、東条隼瀬の口が開いた。
「宝塚記念でビワハヤヒデに勝ちたいなら、そしてあいつほどの才能があるなら、このくらい圧勝してもらわなければな」
「……宝塚記念?」
え、出るの?
記者連中は一様に、そう思った。
宝塚記念は、人気投票によって出走ウマ娘が決まる春の総決算、グランプリである。
故に出ようと思って簡単に出られるものではない。しかし確かに、ナリタブライアンはファン投票の有力な対象ではある。かなりの票も入っている。しかし投票されたからと言って、出てくるとも限らない。
特に、クラシック期のウマ娘は。
「姉ビワハヤヒデと妹ナリタブライアンとの間には絆がある! 共に走り、共に競おうという約束がある! 故にこそ、ビワハヤヒデの絶頂期たる今にぶつける! そういうことですね!」
「そう、そういうことだ」
辛抱たまらんとばかりにものすごい早口でまくし立てた乙名史記者を軽く肯定し、彼は身を翻した。
東京レース場。日本ダービーが行われる、会場の方へ。
「今のところクラシック戦線で最も強いウマ娘が、最も努力をして、最も高い目標を見据えている。なら、勝てる。なにもおかしなところのない、当たり前のことだ」
「ダービーは一番運のいいウマ娘が勝つ、という先人の言葉もありますが……」
「運によって左右されるような実力をしているなら、そうだろうな。だがそうではない」
一昨年とは違い、観客気分で楽しむさ。
そう言い残して去っていく男の背を追いかけることはせず、記者たちは一様に携帯電話を取り出して本社に連絡を入れた。
明日の一面を、差し替える必要ができたからである。
「そうだ。ブライアン三冠王手と同じくらいのデカさで、宝塚記念挑戦も盛り込め! 姉妹対決だってこともな!」
一方。
そんな騒ぎが起こっていることを、ナリタブライアンは知らなかった。
「遅かったな」
黒鹿毛の耳をピコピコと揺らす。
やや不満げな動作だが、顔には出ていない。少し遅れたのかな、程度の苛立ちにも満たない感情を察知して、東条隼瀬は安堵した。
彼女はバンカラな見た目をして、案外と繊細なところがある。その繊細なところを余計に刺激して走りに集中できなければ、負けもありうる。
ダービー。世代ナンバーワンを決める、生涯に一度の夢舞台。
その魔力は、時にウマ娘を狂わせる。前途有望なウマ娘がダービーに全てを賭し、全力中の全力を、あるいは全力を超えた全力を振り絞って怪我をして消えていく。
そういう相手は、集中力を欠いた6割ブライアンには荷が重い。
しかし今の集中力のある6割ブライアンならば、そういうダービーに酔ったウマ娘たちの全力を超えた全力を相手にしてもなんとかなるだろう。
「色々と、対応すべきことがあったからな。で、調子はどうだ」
「悪くない。普通に走るさ」
そりゃあそうだろうなと、東条隼瀬は思った。
そういう、悪くない調子にしたのは彼自身なのである。
当初の予定では、可もなく不可もない調子にする気だった。菊花賞で最高のパフォーマンスを見せ、ジャパンカップに出して有馬記念かアオハル杯に出す。
それが当初の予定ではあったが、予定と都合が変わった。故にそれなりに苦労して調子が上がるように仕向けた。
だから、本来普通であったはずの調子が悪くないところまできたのだ。
「そうか。まあ、行ってこい」
「ああ。そうする」
あまり、並んでやるなよ。なるべく優しく、突き放してやれよ。
短い言葉のやり取りを終えてパドックへ向かうその背中にこの言葉をかけるかどうか、最後まで彼は迷った。
ダービーである。やや昔ではサクラチヨノオー、近いところではサニーブライアンとトウカイテイオーも、ダービー後に骨折した。
ダービーは、実力以上の何かを出させる力がある。
今のナリタブライアンは、実力の6割くらいしか出せない。そう聴けば、他のウマ娘たちは欣喜雀躍するだろう。怪我とかそういうことならば反応もまた変わってくるが、この実力を出し切れない原因は調整の仕方にあるのだから。
サイボーグでもない限り、全力を長期に渡って出し続けることはできない。だからこその思い切った調整なのだが、これは他のウマ娘たちにとって不幸になるかもしれない。
追いつける。そういう幻想を抱かせてしまうかもしれない。となると彼女たちは無理に無理を押してナリタブライアンと並んで、そして脚をやってしまうのではないか。
(だがこれは俺の先走りであると言えるかもしれないな)
まず、既に勝てると決まったわけではない。
そして、無理に並ばせないようにすればナリタブライアンの悪癖がまた顔を出しかねない。となると、負ける確率が上がってしまう。
(皐月で本人に気づかれぬままに治したのだから、あえて意識させることでもないか……)
理想と現実の両立は、難しい。
ただ現実に向き合って、目の前に立ち塞がるナリタブライアンという怪物を打倒せんとする者たちからすれば随分悠長な悩みを抱えて、東条隼瀬は観客席に向かった。
向かう先の観客席。彼ら彼女らの注目の向かう先はやはり、ナリタブライアンだった。
ブライアンは、当然と言うべき一番人気。それもただの一番人気ではなく、二番人気の娘に8倍くらいの差をつけての一番人気である。
これは、常軌を逸していた。
基本的に観客は、強いウマ娘が好きである。極論すれば観客は、強いウマ娘が強い勝ち方をするのが楽しみでレースを見る。だから、一番人気は必然的に一番強いと思われるウマ娘が名を連ねる。
しかしその強いウマ娘というのはあくまでも主観で、なかなか一致するものでもない。
それがここまで一致するというのは、言葉を選ばずに言えばおかしかった。
(決して、世代のレベルが低いわけではない)
シンボリルドルフの同期は、正直弱かった。彼女にライバルというライバルはいなかったし、並び立てるどころか追い縋ってくるものもいなかった。
ナリタブライアンも、そうである。しかし同期のレベルは高い。少なくとも、シンボリルドルフの同期よりは。
左右に首を振ってそんな同期たちを視界に入れて、ナリタブライアンは外寄りも外寄りのゲートに収まった。
(8枠17番か)
悪くない位置だ。
他の誰がどう思おうと知らんとばかりに、ナリタブライアンはそう思った。
日本ダービーが行われる東京2400メートルは、統計的に内枠有利である。雨でも降っていれば内枠がやや不利に傾いたかもしれないが、あいにくの晴れ模様。
『8枠18番、ゲート収まりました。さあ、一生に一度の大舞台。東京優駿、日本ダービー』
ガタン、と。
目の前が開けた。
『今、スタートしました!』
1人、露骨に遅れた。集中力が切れたのか、どうなのか。
その事実を捨て去っていいものとして認識しつつ、ナリタブライアンは前寄りながらポツンと外側の位置に付けた。
下手に好位置をキープすることに拘ると、包まれるかもしれない。となると、外に抜け出しにくくなる。故に後続のウマ娘が抜け出そうとした時用の道を作ってやった形になる。
多少の、おそらくは100メートルくらいのロスは承知の上である。ひとりだけ2500メートル走ってもなお、勝てる。彼女にはその自信はあったし、裏打ちするだけの努力もしていた。
そしてそのポツンと一人外に位置するのを見て、他のウマ娘は自身の疑念を確信に変えた。
ナリタブライアンの弱点は、改善されたわけではない、と。
彼女の弱点は、強過ぎることである。故に仕掛けられれば応じ、体力と残すべき脚を無駄に消耗する。
それを防ぐための奇策として、彼女は皐月賞では最後尾に陣取った。
最後尾に陣取ったウマ娘へ仕掛けにいけるわけもない。となると全体の勢いを緩めて最後尾を最後尾で無くせばいいわけだが、そうなると結局序盤から脚をためていたナリタブライアンが勝ってしまう。
ならば、逃げ切るしかない。そんな思考回路で皐月賞は進み、そして当たり前のようにナリタブライアンが勝った。
この奇策にしてやられた他の陣営は考えた。
まだナリタブライアンの弱点は改善されていない。その時間を稼ぐためであろう、と。
そして、ほぼ一ヶ月後。ダービーにまでなっても、ナリタブライアンはポツリと距離を空けて、わざと不利な道を走っている。
その理由は、何か。
それは、不利を受け入れなければそれ以上の不利が襲いかかるからであろう。
つまり好位置でスタミナの消耗を防ぐという利益よりも、繰り返される駆け引きに呑まれて消耗してしまう損失を恐れたのだ。
それは実にマトモな思考であり、理屈に合っていると言える。
なぜナリタブライアンは最適なコースを取らないのか?
それは最適なコースを取れない理由があるからだ。
理由とはなにか? 周りのウマ娘が仕掛ける度に挑戦に応じ、消耗してしまう癖が抜けていないからだ。
トレーナーとしてはあくまで王道と呼べる、論理的な思考。
よって大半のトレーナーは、ナリタブライアンに向けて第2コーナーの時点で仕掛ける素振りを見せることを指示した。
「仕掛けたか」
妹の雄姿を見に来た姉――――ビワハヤヒデは、一匹狼よろしく外にポツリと一人で走るブライアンの後ろと内側からウマ娘たちが仕掛けに来たのを見て、そう呟いた。
「君はどう思う?」
「よくないですね。一度やろうとしたものを見抜かれて、もう一度やる。それ自体は間違いではありません。ですがそれも、打つ手が有効であればという話です」
かつて有効であったものが、今も有効であるとは限らない。
ビワハヤヒデのトレーナーは、言わないでもわかることをわざわざ口に出すタイプではなかった。
「対策はできている、と?」
「ええ。皐月賞の時、ナリタブライアンさんは必要以上に脚を溜めることを強いられていました。恐らくあれで、上書き保存させるような形で学習させたのでしょう。溜めるときは、溜めることにのみ集中すればいい、と」
その証拠に。
そう指を差された先には、胡乱げな目で周囲を見回すナリタブライアンが居た。
(ん)
仕掛けが早いな。
瞬時にそう思い、低く位置していた首を傾げる。
(アガッたのか、こいつら。ダービーだからか?)
黄金世代。大半がもうドリームリーグへ進んだそんな5人組の中に、キングヘイローというウマ娘がいる。
彼女は良血と言っていい有望なウマ娘だったが、そんな彼女にしてもレース直前に得意とする差しではなく、逃げで挑むという奇行に及んだ。
それはひとえに、アガッたから。ダービーという舞台で、判断力が鈍り冷静さを欠いたから。要は、掛かったということなのだろう。
(まあ、あることか)
と思いきや、すんなりと掛かりを収めて大半が引っ込む。
(なんなんだ、こいつら)
賢いのか、どうなのか。そのあたりの判別がつかず、取り敢えずナリタブライアンは保留にした。
こういう相手の意図を読むとかそういうことは、適任のやつがいる。
しかし、これは困ったとナリタブライアンは思った。
ここまで外に進路をとれば、外から包まれることはないと思っていた。しかしこういう掛かり癖のあるウマ娘には、理屈が通じないらしい。現に後ろから外に回って仕掛けようとしていた気配が、いくつかあった。
「早めにやるか」
理屈が通じないらしい相手には、理屈が通じない強さを。
大きく息を吸って、ナリタブライアンは更に姿勢を低くした。
第3コーナー。ここで仕掛ける。先頭までの8バ身を詰め切って、第4コーナーからブッ千切る。
そして、大きく息を吐く。酸素が脳から消え去り、視界が暗く染まる。
自分の内部へ、領域へ。
深く、深く、ナリタブライアンの意識は沈んでいく。
影。闇。黒。
そういったものが、苦手だった。自分と同じだけの速さで付いてくるそれが、ナリタブライアンは苦手だった。物心ついて初めて恐れたのが、自分の黒ぐろとした影だった。
或いは彼女にとって影とは、恐怖の象徴だったのかもしれない。そしてあるときに、知った。恐怖からは、影からは、逃げ切れないのだと。
故に、逃げない。迎え撃ち、打ち砕く。
影を、恐怖を、それに付随する敗北を。
「――――散れッ……!」
影と闇に呑まれている、世界。
振り下ろした拳で自分が踏みしめていた世界が砕かれ、影が消える。
領域を広げ、そして恐怖共々自身の力で打ち砕く。
豪快にして繊細な領域を構築し、ナリタブライアンは地を飛翔した。
猫科の肉食動物が飛びかかる寸前に見せるような低空の構え。肉体の柔らかさ、バランス感覚、瞬発力。全てを備えていなければとても、そんなフォームでは走れない。
そんな第3コーナーまでの短い距離で先頭に追いつき、第4コーナーからもう一段ギアを上げてブッ千切る。
『一人だけ違うのか!』
そんな実況のとおり。まさしく、一人だけ格の違うレース展開。
彼女しか映らない、映せない。
そんな幾台かのカメラを映し出しつつ、ナリタブライアンは圧巻の勝利を見せた。
「フッ」
そんな勝利の余韻も他所に、ナリタブライアンは周囲を見渡した。
そして、あっさり見つけた。幼い頃から見覚えのあるモコモコとした芦毛を。
「やはり見てたのか、姉貴」
自分がそうされたように、指を一本伸ばしてさす。
やっとやってきた後続をチラリと見て、ナリタブライアンは控え室に戻った。
「どうだ」
「悪くない」
「ああ、そうだろう」
とは言いつつも、彼の表情は微妙なままだった。
短い言葉の応酬は、不機嫌の証ではない。単純に、互いに本来は無口な質なのである。
「どうかしたか?」
「……いや」
まあ、なんとかするさ。
暗にそんなことを言われたような気がして、ナリタブライアンは敢えて踏み込まなかった。
そして。
「私は、ブライアンに勝てると思うか?」
怪物の去ったあと。
完膚無きまでに叩き潰されたウマ娘たちを見ながら、ビワハヤヒデは隣のトレーナーに問いかけた。
圧倒的な。
そう、彼女が見せた天皇賞春の完勝が薄れる程の圧倒的な勝利。
それを見て特に驚くふうな素振りもなく、ビワハヤヒデのトレーナーは頷いた。
「今のままなら、そうですね」
ビワハヤヒデは、去年の有馬記念でトウカイテイオーに負けた。
負けるはずのないレースに負け、勝利の方程式が圧倒的な才能に打ち砕かれたのを感じ、そして再び立ち上がった。
「恐怖を乗り越えた、君が勝ちますよ」
30人の兄貴たち、感想ありがとナス!
マッコウゴジラ兄貴、zakojima兄貴、Qooo兄貴、評価ありがとナス!