ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート 作:ルルマンド
「ブライアン。今日は、ここらで終わりだ」
「……チッ」
皇帝との、併走トレーニング。ある程度心身共に成熟していなければできないそれを軽々こなし、しかしルドルフのルドルフたる由縁の威圧感、駆け引きの迅速さ。
威圧感で精神がすり減り、息をつかせぬ駆け引きを受けて対応に追われる。そんな中で弱音を吐くことすらできず、なおも『まだだ』という挑戦者の闘志を燃やすような顔。
そんな可愛い後輩が漏らした吐き捨てるような舌打ちが自らの不甲斐なさに向けられたものであることを、シンボリルドルフは知っていた。
「ビワハヤヒデは疲れた状態で走って勝てる相手ではない。今日は風呂に入ってご飯を食べて、すぐに寝ることだ」
「……アンタは」
ナリタブライアンは、気が立っていた。
それは別に珍しいことではない。彼女は元々レースへの執着が人一倍強く、したがって入れ込み具合も他とは一線を画す。
故にレースとレースの間を空けても空けなくても、肉体的な消耗はさほど変わらない。
それは、最近改善されてきた癖であった。しかし今、再び顔を出してきている。
姉と走る。
それはナリタブライアンにとっては、念願だった。強い相手と、激しいレースをしたい。だがそれと同じくらい――――いや、それ以上に、姉と走りたい。勝ちたい。
だから、今を極めたい。後悔を残したくない。最後のトレーニングを終えた今も、脳裏に過るのは『ああしていれば』『こうしていれば』という思い。
「ん?」
「アンタは、レース前に焦らない。乱れない。焦ったところも、乱れたところも見たことがない。去年の今、アンタは私以上にヤバい相手を迎えていたはずだ。だがアンタは動揺しなかった。何故だ」
その後悔とか、そういうもの。
そういうものとは無縁の、絶対的な皇帝。かつて自分をより高みへ導いてくれた翼とのレースを控えたあのときも、シンボリルドルフは毛程の動揺も見せなかった。
ただ泰然自若と警戒に値する相手を迎える。
彼女にとって、シンボリルドルフは日常のシンボルのようなものだった。なんとなく生徒会室にいれば必ず居て、必ず整然として仕事をこなしている。
その場に東条隼瀬がいても、然程羽目を外すこともない。いつどんなときも、三冠のかかったレースの前も、ジャパンカップで日本の国威を背負って挑んだときも、まったく動揺は見せなかった。
実のところ、彼女は動揺したことはあった。だがそれはフランスでのことで、ナリタブライアンは見ることができていない。
「それは、私を絶対と信じてくれるひとがいるからさ。私はそのひとの期待に応えたいし、応えてきた。ある一点を除いてはね。そしてその一点も、来年埋まる……というのは、建前だよ」
本当にそれは、建前なのか。
ナリタブライアンはそう訊こうとしたがなんとなく訊き難い雰囲気があり口をつぐんだ。
そしてその間に、シンボリルドルフは話を続ける。
「基本的に私の側には参謀くんが居たからね。目の前に用意されている選択肢は2つしかなかった」
「勝利か敗北か、か」
開き直っていた。いや、開き直れていたのか。
どのみちレースの結末は二択しかないのだから、時間いっぱいで準備をしたあとはレースで全力を尽くすのみ。
そういうことか。
そう思ったナリタブライアンの黄金色の瞳に獰猛な――――獅子のような、獲物を爪に捕らえることが当たり前とでも言うような豪傑の笑みが映った。
「勝利か敗北か、ではないよ。圧倒的な勝利か、完全な勝利かだ」
理性的で、明哲で。
走り、競うという本能に突き動かされる自分とは正反対に見えた、『皇帝』。
「ジャパンカップは失策だった。必要以上の差をつけて勝ってしまったからね。ウマ娘の脚は、ガラスの脚。使えばすり減り、元に戻らない。つまりは、無駄な消耗だ。有馬記念のときもそう。『神の子』相手に少し昂ぶってしまった。これも、無駄な消耗だ。これ以外は、私は完璧な勝利を収めている。だからこれは、別に誇張じゃない」
その本質の獰猛さを垣間見たような気がして、そしてその物言いの実力相応の自信家ぶりを見て、ナリタブライアンは笑った。
「ハハッ! アンタらしくない、随分身勝手な言い草じゃないか。相手には相手の都合があっただろうに!」
勝利か、敗北か。
この二択であれば、相手に勝ち目があることになる。しかし、皇帝の皇帝らしい言い草では、それすらない。
「そうだね。だが、こちらにはこちらの都合がある。だから負けてやる必要もないし、負ける可能性を残す理由もない。そうだろう?」
「……ああ。その通りだ」
シンボリルドルフの強さ、憎たらしいくらいの強さと形容される。
それはひとえに彼女の勝ちパターンが最後だけちょこっと前に出てそのまま勝つという、良く言えば効率的で悪く言えば地味なものだったからである。
確かに、レースを見ても然程圧倒している感じはない。だが、最後はなんだかんだでサラッと勝つ。
だが併走してみると、常に圧倒されている。掌の上で踊らされている。そんな感覚しか感じない。
その認識の齟齬がどのあたりにあるのか、ナリタブライアンには意味がよく理解できなかった。
確かに、基本的にシンボリルドルフは1バ身差で勝っている。先輩三冠ウマ娘のミスターシービーとの4度の内3度は、判で押したように1バ身差。
ああ、惜しい。そう感じるほどの、僅差だった。
「それに、ブライアン。ああは言ったが、私も菊花賞からジャパンカップまでの1週間は結構緊張していたんだよ」
「嘘だろ、それは」
「嘘じゃないさ。負ける気はしなかったが、宝塚記念と、菊花賞。私は参謀くんに負担を少なくして、しかも勝ちたいとのたまった。そして彼はそれを叶えてくれた。あのときの私は、中1週の強行軍だなんだと言われながら、実のところほぼ万全だったんだよ。それで敗けたら自分への怒りのあまり泣いて喚いて、自室を破壊していたかもしれない。だからやはり、大一番には昂ぶるものさ」
弱みを笑いながらあっさりと見せる、あっけらかんとした強者の心構え。
やや精神の均衡が落ち着きを取り戻しつつあるのを感じつつ、ナリタブライアンは思った。
――――かなわないな、アンタには
ナリタブライアンは今のところ、凄まじいパフォーマンスを見せている。
一昨年ミホノブルボンは凄まじいパフォーマンスを見せたが、それは逃げという脚質もあって過去の三冠ウマ娘たちと比べられることはなかった。
しかしナリタブライアンのそれは、ミスターシービーやシンボリルドルフのそれとかぶる。
全部1バ身で勝ってきたルドルフと、差を付けるだけ付けるナリタブライアン。
ファンたちはこれをもってナリタブライアンこそルドルフを超えると言っているが、本人はそうは思わなかった。
実力にしても、精神面にしても、である。
これは年季の差もあり、正しい評価とは言えない。しかし少なくとも、ナリタブライアン自身はそう思った。
「……アンタとの併走は、疲れる。風呂に入って、寝ることに決めた。じゃあな」
「ああ、そうするといい」
風呂に入って、何ごともなく寝る。
そのことを決めた。なんの不安もなく、決められる精神状態になった。
ブライアンの短い言葉からそのあたりを読み取って、シンボリルドルフは笑って彼女の行動を促した。
礼が欲しくて話したわけではなかった。だから、シンボリルドルフは比較的雑な挨拶で可愛い後輩が去っていっても、ニコニコと見送っていた。
そしてこのあと何もなければ、バンカラな彼女の背中がトレセン学園の寮に消えるまで見送っていたことだろう。
だが、ナリタブライアンはくるりと彼女の方を向いた。まだこちらを、見ている。見てくれている。そのことを確信しているかのように。
「……ありがとう、皇帝。助かった。楽になった」
「おや。素直にお礼を言う君を見るのは、なかなかに新鮮だな」
「やかましい。それだけだ」
「わかった、わかった」
末っ子気質なブライアンの弱点を奇しくも――――あるいはわざと突いたシンボリルドルフは、小走りで去っていくナリタブライアンを見送ってから、グラウンドの掃除にかかった。
定められた練習量を、如何に濃密にするか。
ナリタブライアンの思考はまだそのあたりを彷徨っていて、量を増やそうとする方向へはシフトしていない。
あの小走りからは、それが読み取れる。
「少し不安になったが、信頼しているじゃないか」
「らしいな」
鹿毛の尻尾が、ピーンと跳ねる。しかしそれでも、情けない声を上げなかったのは流石に皇帝と言うべきであろう。
あっさりと、実にあっさりと後ろを取られたシンボリルドルフは、ブリキの木こりのようにギギギと後ろを振り向いた。
「よ、ルドルフ」
「……参謀くん。どこから聴いていたんだい?」
「いや、なにも。で、ジャパンカップの前に緊張していたというのは本当か?」
「…………このうそつきめ」
聴いてるじゃないか。
そう呟くほどに幼さの残る口調になりかけた自分を巧みに律して、シンボリルドルフはいつもの自分らしい自然体な気品を保つべく右手をしゃなりと外へ振った。
「まあ、本当だよ。緊張していた。だがこれは別に、君を信頼していなかったわけではない」
が、自然体な気品は自然体だからこそのもので、作れるものではないのである。ごく当たり前に、その不自然さは東条隼瀬にバレた。
「へー。腹出して寝てたのにな」
「……腹?」
「腹。出してたろ、腹。しかも割とだらしなく寝ていた」
「………………」
正直、心当たりはあった。
お腹を出して寝て、腹痛に苦しむ。そういうことは幼い頃に結構よくあった。そういうこともあり、彼女の勝負服は腹は言うに及ばず、全体の露出が極端に少ない。
「……私がリギルの部室で寝たのは唯一、ジャパンカップ前日のときしかない」
「流石だな、皇帝。抜群の記憶力だ」
そして抜群の生活能力である。
ウマ娘がトレーナー室や部室で疲れのあまり寝てしまうのは、さほど珍しいことではないのである。それが一回しかないというのは、純粋に称賛されるべきことなのだ。
「あのとき。私は深夜に起きた。そして毛布がかけられているのを見ておハナさんに申し訳なく思ったものだった、が……」
「残念ながら、それをやったのは俺だ。外国勢の映像を見に来たら信じがたいことに。そう。実に信じがたいことに! そこには風呂を出たあとのパジャマ姿でお腹を剥き出しにし、顔に本を載せたまま寝るとあるやんごとなきお方の姿があった。その余裕綽々な姿に、俺は心底痺れたよ」
無論、皮肉だろう。シンボリルドルフはそう受け取った。実際のところ彼は心から痺れていたのだが、その本心を察知するだけの余裕は今の彼女には無かった。
「い、いや。それはおかしい。私は君の歩行音には気づく。どんなに集中していても、だ。となると例え寝ていても、必ず起きたはずだ!」
「だから、緊張の弦を外していたんだろうと言っている。俺はあのとき思った。こいつは精神的にタフだなぁと。だから凱旋門の時の送還命令を受け入れたんだ。結果的に失策だった……というのはまあ、いい。ブライアンのこと、ありがとう。それを言いに来たんだ」
突如湧いて出てきた(ルドルフ視点)挙げ句、皇帝をいじめるのに飽きたらしい(あくまでもルドルフ視点)男は、さらりと感謝を口にした。
ああいうことは、実際の競技者にしか言えないことである。あくまでも東条隼瀬はトレーナーであって、競技者ではない。
「ブライアンは」
「声が上ずってるぞ。具体的にいうと0.4オクターブ分ズレている。つまり、高くなっているということ――――」
「うるさい」
本人的には単に事実を指摘しただけなのに暴君ライオン丸の一閃によって黙らされた男は、なんとなくおとなしくなった。幼少の頃のしつけが効いたのかもしれない。
「ブライアンはトレーニングはトレーニングとして、健気に君の課題をこなそうとしている。恐怖を飲み込む、ということを」
「別にそこまで深く考えなくてもいいんだが。おそらく、ブライアンは気づくだろうし」
その、言い方。
最近の彼らしからぬ言葉選びの軽さに驚きつつ、シンボリルドルフはアメシストの瞳を向けた。
「なぜそう言える」
「手本がある。それに、別に明日のレースで気づかなくてもいいさ」
「それは、負けるということかい?」
「目覚めなくても勝てる、ということだ。たぶん」
なるほど。君がそこまで自信満々に言い切るなら、何かもっともらしい理屈があるのだろうな。
そんな言葉が喉から出かかったところで、シンボリルドルフは意外な言葉につんのめった。
「たぶん?」
「ああ。たぶん」
「たぶんか……」
自信満々に、たぶんと言う。
この変化を喜んでいいのか、どうなのか。
いそいそとグラウンドの整備に精を出す男を見続けているわけにもいかず、シンボリルドルフは同じように整備に動きはじめた。
41人の兄貴たち、感想ありがとナス!
mozzy5150兄貴、きさらぎ兄貴、yucris兄貴、IronWorks兄貴、評価ありがとナス!
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